シンザン 19戦15勝2着4回(15-4-0-0)G1級レース6戦6勝
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当時一頭の牡馬が出走できる大レース
皐月賞・ダービー・菊花賞・有馬記念・天皇賞(当時は勝ち抜け制だったので春秋連覇は不可能)・宝塚記念
の6つを全て勝利
歴史的な意味でも、勝率や連対率が求められる現代的な評価の視点で見ても超名馬 八大競走勝ちの映像は見たけどやっぱり地味なんだよな
菊花賞と超大外ぶん回しの有馬は強い そらシンザンとセントライトは単独でレース名になってるからなぁ。 爺さん世代に競馬の話させると
「シンザンの有馬記念はよぉ〜、外ラチに寄せられすぎて画面から消えるんだよぉ〜」って嬉々として語ってくれる 無敗の皐月賞馬がダービーの前に叩きでオープン特別出てあっさり負けるとか今じゃ有り得ないよな >>1
>当時一頭の牡馬が出走できる大レース
>皐月賞・ダービー・菊花賞・有馬記念・天皇賞(当時は勝ち抜け制だったので春秋連覇は不可能)・宝塚記念
>の6つを全て勝利
なんで6冠馬じゃなくて5冠馬なんだろ >>8
春2冠取った馬が菊花賞前に叩きとして1か月間に4戦 しかも66〜68キロの斤量を背負う対古馬ハンデ戦
そして菊花賞勝って三冠即引退とかオグリキャップも裸足で逃げる馬もいたっていうね >>11
当時の宝塚はGIみたいな扱いはされてなかった
八大競走って書かなかったのは何故かと>>1に問いたい シンザンを超えろ→ルドルフを超えろ→ディープを超えろ→次はどの産駒がここのポジに入るんだろうねぇ ボロ負け前提でいいからあの年の凱旋門賞走ってるところ見たかった >>17
クリフジがシンザンの約20年前だしディープからもうすぐ20年だからそろそろ出そう >>18
滅茶苦茶好意的に見て69年にスピードシンボリがキングジョージで8馬身半差だから
シンザンも8馬身半差……つまり3着はあるな シンザンより強いのがいてそいつから逃げたからって、うちの爺さんは嫌ってたな
どいつかは知らんけど こんな糞ローテを組むような調教師が名伯楽のわけない >>21
重賞4連勝してたアサホコ、シンザンが出なかった春天を勝った
厩務員が「あの頃のアサホコは絶好調のシンザンでも五分だった、あそこで使えなかったのはシンザンにとっての幸運だった」って後からゲロってる >>20
1965年は無謀だけど、1966年なら比較的相手が手薄なので善戦あるかも。
スピードシンボリより数段強くて海外適性も高い前提だが。 >>22
当時としてはまともなほう
タニノムーティエとかタケシバオーのほうが遥かにイカれてる 名前かっこいいよな
かっこいい和名増えてほしい
ハワイ語とか誰得 >>25
武田文吾がシンザンが走りたくないと言っているからっていう発言はそういう背景があったのね シンザンの血を持った牝系って残り20系統ぐらいかな
マルイチジョウオーとウーマンパワー以外はちょっと安定性が
ミスターシービーやナリタブライアンほどじゃないが苦しいな >>30
まあシンザン牝馬の系統はまだそこそこあるよね
ミホシンザン牝馬ですらまだいるし アサホコを重賞5連勝に導いた加賀武見はあの時ならシンザンより上だったという思いがあって
それが目黒、秋天で勝負付けが済んだ筈のミハルカスを尚も駆って
意地でもシンザンを倒そうとした有馬記念の奇策に繋がるんだな >>34
ミホシンザンよりシルバーランドの方が残りそうだったりする
ウーマンパワー牝系にディープインパクトやキングカメハメハ、エピファネイアが種付けされてるから、しばらく拡大が続きそう。 >>40
トロットスターを出したシンラッキー牝系は、半妹レギンレイヴが繁殖牝馬やってるだけっぽい。
ちょっと厳しいかも。
ロジックが出たファインドラマ牝系とか、あとメイショウマンボの母母母母母父がシンザンだな。
>>41
1月4日の京都マイルオープン勝ってるから実質勝利みたいなもんよ。
マイシンザンが名前で過剰人気(2番人気)した上折り合いを欠いてビリ(笑) 活躍産駒は短命だったり長命だったり
短命 ブルスイショー、シンザンミサキ、グレートタイタン、スピードシンザン、アサヒダイオー
長命 ミホシンザン、ミナガワマンナ、シルバーランド、キャプテンナムラ、ハイエストシンザン(←活躍馬ではないけど) アサヒライジングでミナガワマンナを見た気がしたから調べたけど中々お母さんの能力を受け継ぐ子は居なかったわ デビューから少しずつ距離適性を伸ばしていって
距離の視点からのレース選択は当時としてはなかなか悪くないよな
おやって思うのは菊花賞の次の1600mだけだわ
マルゼンスキーとかタケシバオーとかにある謎の1200m戦がない 調べたらシンザンから15牝系、ミホシンザンから3牝系、ミナガワマンナ2牝系、シルバーランド1牝系
加えてばんえいに入ったハクヨウチカラ牝系と、乗用種に少なくとも1牝系の23牝系が残ってるらしい。 セントライト→川上哲治
シンザン→長嶋茂雄
ルドルフ→王貞治
みたいなイメージ >>47
セントライト→?
シンザン→川上哲治
ミスターシービー→長嶋茂雄
シンボリルドルフ→王貞治
ナリタブライアン→原辰徳?
ディープインパクト→松井秀喜?
オルフェーヴル→阿部慎之助?
コントレイル→岡本和真?
人気の長嶋実力の王
セントライトの位置はベーブルースでも入れとけ ベーブルースはドキュメンタリーで何度か白黒映像に出てた太った選手だと分かるけど
あと漢字の名前ズラッと並べてるのも全部野球選手? ワシントン国際
1962年 タカマガハラ 10着/13頭 32馬身
1964年 リュウフォーレル 8着/8頭 30馬身1/2
1967年 スピードシンボリ 5着/9頭 8馬身1/4
1968年 タケシバオー 8着/8頭 24馬身1/2
1969年 タケシバオー 7着/7頭 35馬身
1972年 メジロムサシ 7着/7頭 43馬身
1975年 ツキサムホマレ 9着/9頭 30馬身3/4
1976年 フジノパーシア 6着/8頭 23馬身
1980年 ハシクランツ 8着/8頭 44馬身
大差でなかったのはスピードシンボリだけ 中小牧場生産の三冠馬はシンザンとデアリングタクトくらい >>27
大久保正陽のローテとかエリモジョージの頃からメジロパーマーまで変わってないもんな デアリングタクトはアモアイ以上に歴史を変えると思う
コントレイルが斜行してこなければアモアイにも勝った クロノジェネシスも秋天の立ち遅れが無かったらと思うところがあるから
デアリングタクトとの対戦は楽しみだな >>12
超えろって言うけど、ぶっちゃけ戦績的にはパーフェクトだから超えようが無いわな シンザンとか覚えてる人もういないだろ
シンザン記念をアーモンドアイ記念に改名しろ 牝馬二冠のカネケヤキと菊花賞で戦ってるのって良いよなぁ セントライト → 中島治康
シンザン → 野村克也
シービー→ 王貞治
ルドルフ → 落合博満
ブライアン →ブーマー
ディープ → バース
コントレイル → 松中
野球の三冠王でやってみた。
三冠王の方が1人足りないし、松中はコントレイルの方が合いそうだから、
オルフェ外した >>52
スピードシンボリは欧州でも善戦してるしなんなんだろ 【ブラジル】
セントライト=ペレ
シンザン=ジーコ
シービー=ロベカル
ルドルフ=リバウド
ブライアン=ロナウド
ディープ=ロナウジーニョ
オルフェ=アドリアーノ
コント=Jリーグの助っ人ブラジル人
日本
セントライト=釜本
シンザン=奥寺
シービー=ラモス
ルドルフ=カズ
ブライアン=中田
ディープ=小野
オルフェ=高原
コント=巻 バスケ
セントライト=ジャバー
シンザン=ドクターJ
シービー=バード
ルドルフ=マジック
ブライアン=ジョーダン
ディープ=コービー
オルフェ=レブロン
コント=八村塁
漫画
セントライト=鉄腕アトム
シンザン=あしたのジョー
シービー=こち亀
ルドルフ=北斗の拳
ブライアン=ドラゴンボール
ディープ=スラムダンク
オルフェ=みどりのマキバオー
コント=いちご100% >>22
いまの方が全くファンを無視したクソローテだろ セントライト=ジャニーさん
シンザン=錦織
シービー=中居
ルドルフ=キムタク
ブライアン=堂本剛
ディープ=長瀬
オルフェ=タッキー
コント=ジャニーズJr. 当時のサラブレッド長寿記録更新したのも偉いよな
やっぱり強い馬は個体としても強く
生命力がなくちゃね >>20
1969年のキングジョージと
1965年の凱旋門賞が同レベルって前提なのはさすがに頭が悪すぎるだろ >>1
昔競馬だからな、今の競馬だと下手したら未勝利馬にも勝てないかもしれんぞ 【ポテチ】
セントライト=塩
シンザン=コンソメ
シービー=濃厚コンソメ
ルドルフ=博多の塩
ブライアン=バター
ディープ=わさビーフ
オルフェ=ピザ
コント=無塩バター 有馬記念、外ラチ沿い走る必要あったのか
内に入れたらもっと楽に勝てたんじゃないの? >>16
こういう意見よく聞くけど普通に大レースだったからな
「歴史が無いから8大競走ではない」というだけで、第1回の時点から「西の有馬」を大々的に銘打って開催されてた
現代の基準で言うところの明らかなG1レースだったよ 宝塚は当時はよくてG3級のドマイナーローカルレース
新参以降一流も走るようになって格が上がった >>76
アサヒテイオー牡 中津 シンザンxアサヒタマナー1979
カクノパワー 牡 岩手 シンザンxクインホマレ1974
タニノカザン 牡 中津 シンザンxコバダンスール1981
タマモレデイ 牝 高崎 シンザンxイナスズラン1978
だってさ 本当は伸山だからな
神讃かと思ったら違うんだよびっくり それでも外ラチはやり過ぎだろ
それで伝説になったんだからいいのかもしれないけどさ 本当にぺんぺん草しか生えてなかった当時の馬場だから ようつべで昭和のレース動画見ると芝コースじゃなくて土コースになっているからな >>47
>>49
なんでもやきうに例えないと気が済まない昭和ジジイw >>87
別に好きなものに例えてくれてもええんやで?
さぁどうぞ >>74
それはない、コダマもリユウフオーレルも勝っているクモハタ記念なんかと同じく八大競走に準ずる位置付けだったと思うが… シンザンなんてレベル低い時代の馬だろwwwダイワテキサスくらいの強さしかねーわ 宝塚記念 関東で馬券売り出したの1970年代半ばだぜ
それまでは全国発売でなかった
それにシンザンのころは別定で60s以上背負った馬もいた
どう見ても2流レース >>88
見ればわかるけど全馬真ん中よりはるかに外回ってるんだよ
その上でシンザンはさらに外回らされたからラチまで行ってしまった
内通れる馬場だったらあんな競馬になってない >>92
まあ、JRAが顕彰馬の紹介でシンザンの主な勝ち鞍に五冠と合わせて宝塚も載せているから準G1的な扱いじゃないかな? 現代的な評価の視点で見ても
と言っても未だに連帯記録って引き合いに出されるだろ
惜しかったのはロードカナロアかな >>91
60年代にダイワテキサスいたら無敗で無双してる 宝塚記念が現在の王道路線的な価値を得たのってめちゃくちゃ最近だぞ 平場オープンを公開調教替わりにしてたからな
今の調教環境なら全勝もあった >>15
とは言え菊直前の古呼馬以外は別にトップハンデという訳じゃないでしょ
古呼馬特ハンは不明だけど66kgだと多分トップハンデじゃないだろうし
10/5の古呼馬はエステイツ67kgに対してセントライト66kg、
10/12の横浜農林省賞典はエステイツ62kgに対してセントライト56kgだからな
セントライトのダービーに出てた桜花賞馬ブランドソールとか翌年牝馬でも68kgとか背負わされてたのを
見ても分かる通り当時66kgとか68kgとか背負うのは普通で今の58kgとかと感覚は変わらなかったんじゃないかな
1ヶ月4戦とかも普通だったしな、ミナミモアなんてセントライト同様1ヶ月で4戦した後11月に更に4戦してるし
と言うかあの当時の競馬は春季秋季制で年間通しての開催じゃなかったから集中して走らせてたよな >>71
>>83
逃げたミハルカスの加賀はなんとしてもシンザンのナタの切れ味を封じて倒そうと
番手と共に大外を占めてシンザン以下には荒れた内側しかコースがない状況を作ろうとしたんだ
しかし代打ちの名手松本善登は迷わずシンザンを外ラチ沿いまで突っ込ませて差した シンザンが3冠取ったのは1964年。ナリタブライアンが1994年
ちょうど30年前。
コントレイルの30年前は1990年のクラシック世代はメジロマックイーンの世代。
シンザンなんて「いにしえの時代」の馬くらいに思ってたけど、こう見るとそこまで離れてないように感じる。 シンザンは京都杯で負けているが、このレースを勝った二冠馬は本番全敗
ミスターシービー、ナリタブライアン
も京都(新聞)杯で負けていたりする
ネオユニヴァースが神戸新聞杯で負けた時に少し話題になった記憶 >>68
「あの年」で1965年と分かる奴なら同レベル扱いは当然しない前提のネタレスだったつもりだが
今見返すと分かりにくい書き方しててすまんな >>17 ディープを超えろなんて言われたことないだろw ブライアンの出現でシンザンやルドルフは無価値化されたんだよ。 成績表の綺麗さなんて強さの指標じゃないし、なくなったんだよ >>98
オープン競走は見習い騎手の減量も反映される
だからシンザンも古馬になってからのオープン競走には
3kg減の武田博が乗っていた
もしこれが現代だった
コントレイルのオープン競走に
4kg減の古川奈穂ちゃんが乗るなんてこともありえるわけだ 知ってるつもり!?って偉人紹介する番組で昔取り上げられてた
あれ見てシンザンすげーって友達と盛り上がってたな シンザンのレース動画見るとスタート凄く良いよな
それで先行して末脚が切れるんだから
何しても勝てないわ >>46
ミホシンザンは3つだけど風前の灯
今日も走った2歳のペガサスハーツが繁殖入りしないと多分ここで終る >>102
逆だ
ブライアンとかマックイーンとか
今の若いファンからしたら
いにしえの馬だよ既に >>113
マリンフェスタが牡馬ばかり出したのが痛かったな
2020年の種付けはモーリスらしいがさて >>71
松本善登が後日語っていたな
関東の連中が
なんか企んでるから
とにかく他馬の外々を走らせろ
シンザンを思いっきり走らせればそれでいい
仮にそれで負けてもお前の責任じゃない
先生にそう言われてたから・・・
そしたら加賀の馬が4コーナーで思いっきり外に行ったんで・・・
それでも先生の指示通りに迷わず外に行きましたよ
そしたらもう外ラチすれすれでね (笑)
俺それまで中山であんま乗った事がなかったんで
もし俺が中山での騎乗経験が豊富な騎手だったらあそこで迷っていたでしょうね >>49
そこまで出すならセントライトは中島治康だろ 1965年1着賞金(付加賞込)
東京優駿 1189.7万円
皐月賞 824.5万円
菊花賞 990.4万円
桜花賞 674.8万円
優駿牝馬 775.2万円
天皇賞春 808.2万円
天皇賞秋 819.6万円
有馬記念 815.8万円
中山大障害春 462.8万円
中山大障害秋 563.7万円
宝塚記念 508.1万円
安田記念 211.7万円
朝日杯3歳S 379.8万円
阪神3歳S 371.9万円
賞金的には準八大とまでは言えないけど八大以外の中ではトップクラスだったのは事実 >>118
トップクラスというよりトップだろ(八大競走以外平地で) >>120
平地に限定すればトップだけど別に平地に限定してないよ?わざわざ中山大障害も書いたし >>119
クラシックは付加賞が大きいんじゃない?
今年の菊花賞見ると、賞金は1億2000万円だけど、クラシック賞金とかが2,700万円程入ってる >>4
地味に勝ってる=強いんだよ 派手に勝つ馬は惨敗も多い >>120
だから平地で八大競走以外て平地トップって書けば良かったんだよね? >>125
いや、そもそも>>120のツッコミ必要? >>118
2000m時代の高松宮杯みたいな位置付けだったのだろう
だからシンザンのタイトルには加わっていない >>69
お爺ちゃん。
ご飯はさっき食べたでしょ。 今みたいにプログラムが確立されて無いから抜けて強い馬はオープンで60kg以上のレースを使わざるをえなかったからな。
63kg背負って勝った目黒記念は現代競馬には無い価値がある。 >>130
昔の目黒記念で63kgってむしろ軽い方だろ
少し前にはシーザー63.5kgタカマガハラ64kgホマレボシ63.5kgとか居たし
10年ちょっと前だと勝ち馬でもハタカゼ75kgミツハタ73kgとかだからな
63kg程度でイキがる意味が分からん 軽い方だろ(キリッ
シンザン以降で63キロより重い負担重量背負ってる馬が1頭もいないのに軽い方とは >>132
シンザン以前に山程居るのにシンザン以降だけ見てどうすんのw >>132
ヒシマサヒデ63kg
オンワードヒル63kg
取り敢えずこの辺と同レベルの馬ですというアピールで良いのかな?w
確かに以降でより重いのは居ないな、同斤は居るけどww そもそも勝ち馬に限定しても63kgは歴代負担重量トップ10にすら入ってない
しかもそのシンザン63kgの目黒記念は八大競走未出走だったミハルカスですら61kgを背負ってるからな
八大競走未出走馬ですら2kg差61kgの時点で60kg超なんて当時は日常茶飯事なんだと普通は思うよな
何故かそれを特別だと思ってる奴が居るみたいだけど 65年だと宝塚記念と阪神大賞典が1着賞金500万で同じみたいだな。 >>134
ヒシマサヒデとか10着惨敗なのに比較対照にもならんだろ >>138
何kg背負ったかの話に着順とか出す意味あるのか? >>139
俺は130じゃねえけど、話の発端の130は背負って勝ったって言ってるから、勝ったの前提じゃねーの? >>140
勝った馬なら負担重量ベスト10にも入ってない、で終了じゃね?
ヒシマサヒデは>>132に対するレスであってそれは負担重量だけの話だぞ? >>142
132ならそれこそ軽い方じゃないで終了の話だわ >>137
グレード制導入以前は
後発の高松宮杯も含めて同格だと思われる
だからシンザンを宝塚記念含めてGT6勝級は
ハイセイコーを皐月賞、宝塚記念、高松宮杯でGT3勝級と言うのと同じくらい違和感がある >>143
>シンザン以降で63キロより重い負担重量背負ってる馬が1頭もいないのに軽い方とは
これに対するレスで「軽い方じゃない」じゃ通じないぞ?
1頭も居ないという主張に対して同斤なら居るけどなという内容で名前を挙げたのだからな
口を挟むならせめて話の流れを理解してからにしてくれ >>145
よりなら同斤は入らないんじゃねーの?
以上なら入るが >>146
?
だから>>134でより重いのは居ないな、同斤なら居るけどと言ってるんだが?
お前いい加減にしろよ、さっきから難癖つけてるだけじゃねぇか >>144
流石にトウショウボーイ辺りになるとちょっと違う気もする ジャパンカップ創設あたりで十一大競走って言っていたからそれまではタイトル扱いしていなかったと思う
まだ「西のグランプリ」と呼んで盛り上げようとしていた時期。 >>116
関東って昔から意地汚いな。
自分らが負けてる時だけ施設が施設が煩いし。 シンザン鉄が重くて調教で走らないから
いっそ調教代わりに走らせるという武田文吾の方針 格の高い重賞(それこそ高松宮杯も)でもほとんどが強豪馬が60キロ以上背負わされる中、
宝塚記念は定量戦で異質だし位置づけとしてはやはり八大競争でなくとも格は高かったんじゃないのかね シンザンの時は定量じゃないか
シンザンの3年後からっぽいな
ハイセイコーの時もまだちょっと格が足りなかったようだけど
トウショウボーイの辺りから風向き変わってそう 一流馬でも半年休養明けのオープン戦とかだと容赦なく2番人気やらになるのって今の感覚だと理解不能よな
当時はそれだけ休み明けの叩きレースは走らなかったということ 宝塚はフランケルが走ってレートが跳ねた英チャンみたいなもん
シンザンが走ったことで格が跳ねた >>131
時代的には10年以上後ろのテンポイントでさえ63,5背負って勝ってる >>161
それも8馬身差
他にもエリモジョージやタニノチカラ辺りは結構背負ってた印象 >>157
最初、馬齢で1963〜1967年が別定、1968年に馬齢に戻ったみたい。 >>7
その映像見たことあるが本当に消えてアナウンサーの実況だけ響くシュールな映像w >>11
当時の宝塚は今のG1レースの扱いはされていなかった。あとの5レースは旧8大レース >>154
オープンの平場というのが80年代前半ぐらいまであった記憶 夏負けして菊花賞の出走も怪しかったくらいだから仕方ない 負けるか故障するまで体調悪くても出し続けるぞなんて脳筋陣営には
大レース全勝なんて無理だから
あと高度経済成長と活馬の自由化で輸入が加速した内国産種牡馬冬の時代に
種牡馬リーディングTOP10に何度も割り込んで活路を開いた点でも偉大な馬やね >>166
そもそもG1って概念がなかったから、海外にもなかったし… >>169
夏負けと言いつつ菊花賞の前に秋2走(二着二回)してる
夏負けは二敗の言い分けと本番負けたときの言い分けな >>172
いい歳こいてこういう事を今言うやつ
根性がひん曲がったまま、老人になったんだろうな >>173
今の競馬しか知らん若僧に決まってるだろ
少なくとも昔のクラシックを戦い抜く難しさを知ってたら言い訳の為なんて言葉が出るわけ無い シンザンのスレでこれだけレスが伸びるって競馬板の年齢層どんだけ高いんだよ?草
さすがのこの(´・ω・`")もシンザンともなればリアルで見てないしこれだけ熱く語れん罠
(´・ω・`") おまえはリアルでみてないシンザンよりずっと過去の馬で熱くなってるじゃん いつも >>177
リアルタイムで見た訳じゃない
ルドルフ以前を知る者の責任だな
シンザンをリスペクトし語り継ぐ事は
旧い競馬をひたすら卑下する者が多い昨今せめて俺達の世代は過去の名馬たちをリスペクトし語り継いで行きたいじゃないか シンザンと言えば大外の更に回して見えなくなって勝った有馬記念か
図抜けて強い馬だったんだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています