【擬古文】書くための古文【書かばや】
講読だけでは飽き足らず、古文を自分で書いてみたい人が集まり研磨するスレッドです。 とよあしはらのなかつくにひとはやまとことのはのみにてことあけすへし。
からことはからふみにしのはてことはにしのはてふみなとにてものすは
いみしうあいなし。
いにしへひとはからふみにてやまとことのはをかきあらはす、
しかはあれとからことはをやまとことのはにましゆることなし。
からことはをかなにてかきたるはあやなし、やまとことのは
はかりにてあけつらふへし。 おのこなるもの、ほとをみむとばかりおもふたぐひのおほきぞいぶせき。 古ぶりの言葉書かんと思へども、今の世の者なれば、
言葉の運びざま、おのづから今の文のごとくなれり、
漢文(からぶみ)に例へていへば、和臭ならんか、
文法は知れども、古の言ひざまをまねぶはいとむつかしきわざなり >>5
宣長の文を真似びて書けること悟らるる、うれし。 をんなもあらねば、一人かはつるみのみするこそあさましけれ。 >>8
かはつるみとは、なぞ。
今の世の動き絵なるものをもちひて教えたべ。 「ていれべる」とは、何事ぞ。
人の世のあまたの行ひに、己の差し金をしふるこそ問題ならめ。 ある予備校の古文の先生は
「現代人は古文を書く必要がないので、助動詞活用表の○の位置は覚えなくてよい」
と仰っていました。
逆に言えば、古文を書く人は助動詞活用表の○の位置を覚えるんでしょうか。
ご苦労様なことです。(嫌味じゃないです) 文法スレなの?
てっきり昔の人みたいに毛筆で草書をスラスラスラーと書くことを目指すスレかと思ったw ないふることすくなきは、いとよろし。
「ない」=地震 古文書いてる小説家って知らないけど、歌人俳人は古文使ってるよね。 >>12
活用など文法の事柄は覚えず。たびたびさらりと読むのみ。
文法を覚えんとするよりも
古文をしばしば看て古文のさまを口慣れ知らんと務めたり
>>25
文語を用ゆる歌人さへ、ただ活用と助詞に文語を用ゆるのみぞ
万葉集古今集新古今集のごとき古文の様にあらず。今の様になんある 私思うんだけど、なんで古文でわざわざ漢字を排してほとんどひらがなで書いたりするの?読みにくいじゃん。 >>26
現代人は古文は書けない。奈良人でも平安人でもないから
ってことでおk?
>>29
桶
言葉とか言い回しとか文章の流れに現代の癖が出てしまう
古語を使うように気をつけたとしても文の調子が平安とは異なる けふ本屋に行きて徒然草枕草子を買ひき
源氏物語得まほしく思へど冊数多ければ買はざりき やっぱり沢山日記を読むのがいいよね
普通の日本語で書くものでも色々本を読むと書けるわけで
世阿弥の文章はとっても読みやすい >>30
勘違いしてないか?
べつに好みの問題だからこれ以上言及しようとは思わないが、
歌人や俳人が平安の心のありかたの再現を目指しているとは限らない。
古文を使って現代の感情を詠むからといって
「文の調子が平安とは異なる」という指摘は的外れのように思う。 「平安の心」ってのがいまいち分からんな
どういうものなの?
まさか寝殿造りで夏暑く冬寒いところに住み
天然痘もある環境で糊みたいな甘酒飲んでヒシオをつまみにナメながら
自然がどうだ季節がなんだと花見をしつつ
なんか気分が優れないような気がしたら陰陽で御まじないをして
40代ぐらいで流行り病とか虫歯とか成人病で死んでいく人生送らないと
分からないって事はないだろ??? いにしえぶりのねのふみとどきてみちまなぶほいはたすべく
としごろにつれづれにおこたることなくあやまたずこころとうつつ
おのずとあふやふにせんことなくやみをこえひがごとにもこころしてむかひ
おのれのみちをたのしもふや。 このふみどうっすか? 「みちまなぶ」なんて具体的に言わない気がする。
もうわかってるだろ的なノリで「ほい」っていきなり書くんじゃないかな。 さよふけておほわたをわたりきたるさけふくみつつ
うしらつといてかきちらしたまへるふみをたとれは
はしなくもともをえたるここちしてえいのふかまるをおほゆ
いさやさけほかはむまはむうたはむ 電車にて帰るをりに、前にうちゐたるめのこのこよなうなまめかしきを
眺めつゝ、この女とこそまじはらめなどと思ひたるほどに、にはかに
ちんぽの硬くなりて、股ぐらに富士のあらはれたるこそあはれなれ。 富士ならば高嶺に白雪や積もりけむ、いとゆかしうこそおぼえ侍れ。 あな、と。雪なむいつしか降りたるをつゆ覚えざりき。 >>43
ベクターにて「快適仮名遣ひ」を得たり。
つくづく感謝せざるを得ず。
これまでの入力奮戦は何だったかと深く思ひ入るばかりなり。
諸君も須らく「快適仮名遣ひ」をこそ導入せざるべからざるなれ。
>>48
> 諸君も須らく「快適仮名遣ひ」をこそ導入せざるべからざるなれ。
文語特有の表現を盛込まんとするの意図解せざるにはあらざるも,少しくやり過ぎなるべし。 われもまたうしらの教えにならひて快適仮名遣ひをなむ荷降ろし(たうんろおと)したる
言の葉の書きさまのゆたけきけこといやちこにしてげにありがたきかな 誠に御同慶の至りなれども、恐らくは「教へ」ならんかと愚考す。
入力は「をしへ」とせざるべからざるものなり。
老婆心を許されよ。 五十の書込みをしつる者にはあらねども、わづかなる過ちを言挙げして、したり顔
せむはみやびを知らぬ人にて、めのこも好まぬぞ。あなや、あさまし。
むかしの人はみやびにて、女にもて囃されけむぞいとうらやましきかな。 係り結びてふものを知りて
○○の一つ覚えのやうに使つて使つて使ひまくるぞ
われらの真骨頂なる。 係り結びを多用した文章はチョー馬鹿っぽくなるから注意 さこそあるなれ。
かかり結びぞ多くもちいるは禁ずべかりける。 あな、仮名遣ひ誤ちたるこそ恥なれ。我も又快適仮名遣ひを導入せばや。 古めきたる言葉つきにて書かれし文どもを好めども、
京伝馬琴種彦或ひは篁村紅葉一葉なんど、
近き世に書かれたる易しき新しき文をより好めり。
ゆゑにいにしへ人の残せし文のやさしきあてなるを真似むとすれども、
おのづから唐めきて四角なところあり、また江戸くさくもあり。
中古の文こそ擬古文の本体なるべきにや、わからず。諸兄いかに考へつるぞ。 アホウのすなる擬古文といふものをわれもしてみむとてするなり。 >>58
副詞ヨリは翻訳文体によりて生ぜるものなれば,擬古文にこれを用ゐんは適せざるべし。 ふみかくときからぶみよみくだしのふみのさまをまじふるはいとあしきことぞ。 平安の御代のことばこそいとどうるはしけれ。おほやまとは神の國にて、
ことだまさきふはふ國なり。さるに、今の人はふみにからことばをあまたまじへて、
才ありげにしたり顔すめる、あさましうなむ。ただ一つ二つ用ゐるばかり
ならば、さもあらぬを、「移る」、「終る」などと言ふべきところをわざと
「移動す」、「終了す」などと要らぬからことばをまじふるは、益なうて、
げに愚かなり。 >>63
げにようこそのたまうたれ。御国のことばの清らにたへにみやびなるかぎりを
ゑりいでてこそふみはかくべけれ。きたなき唐ことばをあまたまじふるは
いといとあさましう心なきわざなり。 「平安の御代」という言い方に違和感がある。
何か用例や出典があるのかな。
帝の御名や元号などを用いて、
自然に言い表わすことが、いろいろできると思う。
例えば「白河院のときめきたまへる頃より、
土御門殿、宇治の大臣の頃まで」とか。 早速、×白河院→○白河殿、だな。
何か例文が適切かどうかも疑わしくなってきた… ここに於いては擬古文といふを必ずしも平安の昔を真似るもののみにあらずとすべし。
この命題や如何。
そも源語勢語のごとき言葉のみでは今の人の心を書きつくすこと能はざるべし >>69
オマエみたいに擬古文調で文章を書いて得意がるバカがいるから文学全体がバカにされてるんだよ! >>69
では→にては
能はざるべし→叶ふまじ
など作りたればなほよし >作りたれば
これで教えたつもりで得意がるのが擬古文調で文章を書く阿呆の作文力。w 擬古文書くはげにあほうなり。さかしき人のすまじきわざになむ・。 「では」さすがにわろしな
擬古文書くはいにしへのこころばへうるはしきさまをしたへばなり
さかしきふるまひをし学をほこる料にはあらず
いにしへ人のこころは平安のみにつきるものかは >つまんね
バカにエンターテインメントが出来ると思うか?(笑) >>80
「足りず」はあしかりなむ。「足らず」とこそ書くべけれ。 いにしへぶりのふみ書かむ人は、こゝろもいにしへのみやびを知るべし。
人をいたづらにののしりて、煽り立つるは詮なきことにて、むかしの人はかくは
すまじき。おだしう、静かなればこそ、むかしの良き歌なども生まれたりけるなれ。 寝まほしく思はるままに、一刻ばかりうたた寝しき。
つゆ寝られず。