中学・高校・予備校で教科書に載った古文・漢文
『中納言参りたまひて』
海月の骨ななり、を「クジラの骨ななり」って言って友達に爆笑されたのが記憶に残ってる。 親の職業や社会的地位で生徒を差別していた
元大阪府立高校の国語教師・村井正三は
もう地獄へ落ちただろな 和歌に息づく 文学の神髄
「伊勢物語」から浮かぶ業平の魅力 小説家・高樹のぶ子氏
ttps://www.nikkei.com/article/DGKKZO63158260Y0A820C2BE0P00/
「伊勢物語」は平安時代の古典として中学高校でその名前が知られているけれど、読み通した人は
意外と少ないようだ。業平の名前も、有名な歌も覚えているのに、完読出来ない理由は何だろう。
十三世紀に藤原定家が編纂(へんさん)し書き写したとされる百二十五章段の、現在通行している
伊勢物語だが、読み通すには筋道を辿(たど)るのが煩雑で、エピソードも断片的に置かれていて、
繋がりが悪いことが大きな理由だと思われる。
もともと通して読むように作られてはおらず、有名な「鬼一口」と呼ばれる芥川の章段や、東下りで
詠まれた「かきつばた」の歌など、印象的な場面や歌が沢山(たくさん)あるのだが、順序立てて
読むのが難しく、途中で投げ出してしまうのだ。
このたび一代記として、業平の人生を時系列で小説にしたので、ボトルネックとなっていたこの流れ
の悪さが、一気に解消したのは間違いない。古典の研究者から、まず小説「業平」を読んで、次に
「伊勢物語」を読めば解りやすい、と言われたのは嬉(うれ)しかった。
むろん「業平」は小説であり、学者による諸々の研究に沿わない部分も当然あるけれど、可能な限り
史実を尊重したので、伊勢物語の導入本として活用されれば本望である。
実際、受験校として有名な開成中学が、テキストとして使って下さった。人生初の古典が「業平」で
あれば、古典は楽しいものになるだろう。