「レ」だの「上」「下」だの補助記号をうって
あっちへ飛びこっちへ飛び
ある部分は翻訳して読み、
ある部分は中国語(の訛り)発音のまま読み
しかもその読み分けはまったく恣意的。

そうしてできる訓読文には、
原文のリズムも平仄も何もあったものではない。
かと言ってまともに翻訳しているわけでもない。
意味を把握するにはさらに現代語訳が必要。
したがって漢文の本には
1.原文
2.訓読文
3.現代語訳
の3つが必要になる。通常はこれに加えて語句の注釈もつく。

そこに簡潔を以って旨とする漢文の美点は見るかげもない。
孟子も司馬遷も白居易も、
まさかそんな風に読まれるなどとは予想もしなかっただろうな。