漢詩文は中国語で読もう
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
高校での漢文教育をはじめとして、訓読に終始する日本人の漢文受容は、「
音」による表現を切り捨ててしまう点で片手落ちの憾みなしとしない。 ここ
に、漢文ほんらいの読み方である直読を取り入れることで、訓読で失われてし
まう音的要素を汲み取ろうとすることは、鑑賞上有益であろうと思われる。
さて、直読をするに当たっては、日本語音を用いるか、中国語音を用いるか
、推定復元音を用いるか、日本語音ならば呉音か漢音か唐音か、中国語音なら
ば普通話か方言か、といった多様な選択肢があるが、私としては普通話を推し
たい。
何となれば日本語音においては呉音や漢音が混用されていてプレドミナント
なものを定めがたいという問題もあるが、音的要素の鑑賞に関してはやはり中
国語の枢要な特徴である単音節が保存されず、また声調がまったく導入されて
いない点で問題を認めざるを得ないからである。 他方、復元音は仮説であっ
て実証されたものでないため、これも採りがたい。 結局は中国語、それも諸
々の方言のなかで現状においてプレドミナントに用いられている普通話を採る
のが最も妥当であろうと思われる。
漢文に用いられる古典中国語が本国において時間を経て現代中国語へと変化
した歴史は、ラテン語とイタリア語へとの関係に比することができるが、周知
の通りこんにちラテン語の発音においては復元音と並んでイタリア語式の発音
が広く用いられている一方、他の地域での現地語式の発音は近代に行われなく
なっている。これに倣えば、古典を本国の現代語音で読むことは異とするには
当たらない。
付言するに現代中国語による直読はただに鑑賞を助けるだけでなく、漢文学
習を第二外国語としての中国語学習に連関させる効果をもたらし、双方の学習
上の益ともなるだろうと思われるが、如何であろうか。 そもそも喋れなくても読めるのが売りで開発された
漢詩のはずでしょ 発音さえできればいいんですよ
現代語訳がありますから
by おさる 漢詩が黙読を前提に「開発」されたものでないことは言を俟たない。ここに
その端的な例として、最初期の漢詩、『詩経』周南の労働歌を引こう。
采采芣苢,薄言采之。
采采芣苢,薄言有之。
采采芣苢,薄言掇之。
采采芣苢,薄言捋之。
宇野直人『漢詩の歴史』では、これを解説して、「草摘みをしながらの仕事
唄と思われるが、歌詞の内容は”さあ、オオバコを摘み取ろう”というだけのも
の。単純で覚えやすく、大声で声を合わせて唄うにもよく、また歌詞の繰り返
しが身体と心とに一種のエネルギーを呼び起こし、仕事の能率を上げたことだろ
う。」とする。 しかし、その訓読文はこうである。
フイをとりとる、いささかここにこれをとる。
フイをとりとる、いささかここにこれをもつ。
確かに意味としてはそうなのだろうが、しかしこれは草摘みのリズムに合わ
せて歌う労働歌としてはあまりに冗長かつ説明的であって、この訓読文を音読
しても草摘みの能率を上げることはあるまい。 ここでは明らかに音節による
リズムが重要なのであって、やはり現代中国語音で
cǎi cǎi fú yǐ , báo yán cǎi zhī 。
cǎi cǎi fú yǐ , báo yán yǒu zhī 。
とリズミカルに読むとき、この歌を唱和しながら古代の農婦たちの労働をい
となむ姿が眼前に浮ぶのである。 こうした最初期の詩を見るとき、やはり漢
詩もまた他の言語の詩文学と同様、ほんらい音的な要素が枢要な部分を占める
表現と考えるべきであって、直読による鑑賞を忌避する理由はないと思われる
のである。 漢詩が黙読を前提に「開発」されたものでないことは言を俟たない。
ここにその端的な例として、最初期の漢詩、『愚猿詩』の労働歌を引こう。
毆毆汚猿 快快虐之
蹵蹵瞽猿 楽楽弄之
殺殺愚猿 急急消之
弑弑禍猿 疾疾滅之
猿田猴人『漢詩史概論』では、これを解説して、「人に害をなす猿を退治する唄と思われるが、歌詞の内容は”さあ、猿を殺っちまおう”というだけのもの。
単純で覚えやすく、大声で声を合わせて唄うにもよく、また歌詞の繰り返しが身体と心とに一種のエネルギーを呼び起こし、猿退治の能率を上げたことだろう。」とする。 >>スレ主
前スレでも言われたことだが、北京語音は入声の語末子音が消滅している。
日本語音と中国語音は一長一短でどちらか一方が優位とは定めがたいと思う。 優劣がないならわざわざ労力を払って中国語発音を学ぶより、既知の日本語音で読めば良いわ ★カルト癒着こそが東北大での出世方法と認めてしまった
吉川先輩(D5)のご発言はこちら★
931 返信:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2013/10/19(土) 02:06:20.28 ID:mjz5UMS30 [8/9]
>>929
キチガイカルトに接近したことで出世できた一方、頭がおかしくなったという事実の間に板挟みになってるわけな
ある程度は納得したわ
あと>>914の推理研の管理人がが吉川と同一人物だとわかったのは何故なんだ? >>9
私も前のスレで答えたように、入声の消滅は普通話発音の欠点であることに同
意する。 ただ、だからといって「優劣はない」と直ちに結論づけることには躊
躇をおぼえる。
一体、個々の漢字発音が中古音から既に変遷を経ていることは日本語音にも中
国語音にも当てはまることであって、日本語でも「入」をはじめとする語末子
音pは残っていないし、中国語で今も残る語末子音のngは日本においてはもとよ
り導入されてすらいない。つまり特に入声の語末子音の消滅だけを重視すれば
確かに日本語に利があるとは言えるが、個々の発音が受けた変遷の一部と見れ
ば、日本語と中国語と、共に変わらないものはないのだ。
ただ、一語が一音節となる単音節のリズムが守られていることは、このように
相対化できない現代中国語発音の利点であるし、またそれは七言、五言と語=音
節の数によって形式を規定される漢詩において、より基本的な要素と言えるの
ではないだろうか。 音節が一定しないということは、七言や五言といった漢
詩を漢詩たらしめる最も基本的な要素を失わせてしまうと、少なくとも私は思
う。 一音節の中国語と一口に言っても色んな方言があり
広東語などは北京語より古い形式を残している。
たまたま政治的・歴史的要因でメジャーになった北京語を
古代に遡及させるのは必然性がない メジャーかどうかは重要。
複数の方式が等価な場合、最もメジャーな方式を選択するのが正しい。 試しに北京官話の音で読んでみるくらいはいいと思う
ピンインの読み方覚えて発音練習すれば誰でもできるのだから
サルでもできるよ
でも、そんなのテキトーでいいよ
気が向いた時だけで十分
毎回真面目にやるようなもんじゃない というより漢文自体、気が向いたときにやるもんだからな
さすがに「猿にもできる」とまで貶めたくなるほどの敵意は湧かんがw
私の専門は理論物理です→ 頭が良いんですね
私は刑法をやってます→ それは有為の人材ですね
私は中国語ができます→ すごいですね
私は漢文が専門です→ あー…(残念な顔) >>18
理系だけど
漢文をもうちょっと歯応えと実用性のある科目にして欲しい。
語法・句法を暗記して訓読するだけでは頭を使わないしつまらない
その知識が大学進学後の知識とほとんど繋がらないから意義も感じにくい
やるとしてもこのスレで言うような方向で
中国語の学習につながるような形でやって欲しいと思う。 中国語は半年で覚えられるから急がなくてもいいんじゃね
綺麗なおねーちゃんからマンツーで発音を2週間鍛えてもらえば
あとは自習でOKでしょ そんなことを言い出せば中学から英語をやる必要もない
綺麗なおねーちゃんからマンツーで発音を2週間鍛えてもらえば
あとは自習でOKでしょって話になる スレの趣旨は「漢文の理解に中国語による直読を取り入れよう」というもの。
高校で漢文をやるなら、訓読とともに中国語による直読を併用すると良い。
本格的に中国語を始めるのは大学からで良いだろう。
その際に高校漢文で培った知識が役に立つとは思うが 才能ある人に中国語学習させるなんて間違った指導じゃん 漢文教育に意味がないという主張はこっちでやると良いと思う
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1322580431/l50
とりあえず、このスレでやってるのは、
漢文に学ぶ価値があるという前提を共有した上での議論 てか中国ビジネスなんてうんこちゃんのお仕事じゃん
まずは才能ある人材を中華から隔離せんとだめでしょ 中国語による直読の利点として
・漢詩など韻文の表現にとっては特に重要な音的要素は訓読ではまったく無視されてきたが、
これを音節構造を保存した形で鑑賞することができる。
・日本人にのみ通じる形式で閉じることなく、本国の中国人十億人以上によって学ばれている、
より普遍的な形式で古典教養を共有することができる。
・現代中国語の学習と利用への役立ち。古典語を踏まえることでその後裔である現代語中国語を
歴史的に理解できる。(漢文訓読体・文語文を学ぶことが現代日本語に対する理解を深めることと同様)
・漢文がそもそも直読により鑑賞される中国文学であることを想起させ、
それにより外国文学を日本語化する訓読という技術の意義をより直接的に把握できる。 無理に役立たせなくてもいいよ
中国語なんて必要に応じて普通に学べば間に合う
漢文教育において、あまり中国のものだと言い過ぎると真の漢文文化が見えなくなる
東アジアの国々へどのように伝わり、
どのように受容され、
どのような独自的発展をしつつも、
なおかつ他地域と共通の公用語として機能し続けたのか、
という側面から学ばなければ、中国起源でありながら他国の文化的基盤でもあることが見えてこない 無理に役立たせるべきという主張は誰もしていないよ。
中国語音による直読は漢文の理解に資するだろうし、同時に中国語の学習にも役立つだろう、という事実を述べるだけ。
また中国のものだと「言い過ぎる」の程度がどの程度を指しているのかよく分からないが、
少なくとも直読を一切行わずに訓読文に変換して日本語として読むばかりでは
事実、中国において作られたという事実が読解のプロセスに反映されない。
中国のものであることを「隠しすぎる」ために真の漢文文化が見えなくなっている、
というのがむしろ現状に適合する指摘なのではないかな。 漢文が中国起源なのを知らない高校生なんているのか?
いたら超絶バカだから、漢文自体教えても無駄だよ
そんなことを教えるためだけに中国語の発音練習?
しかも漢文が将来の中国語の予備学習?
そんなことなら、漢文なんて最初から学ばなくていい
捨ててしまえ 付言しておくが、
中国語での直読によってテクストの理解をよりを深めるとしても、
訓読とともに日本での受容を学ぶことは今までと同様に必要だ。
その点を誤解しないように。
ただ、もともと「中国語でかく読まれていた」ことを意識することで、
訓読が何を行うプロセスで、それにより何が汲み取られ、何が汲み取られないかという
訓読自体を客観化・相対化する視点が得られることは期待して良い。
これは訓読への理解を深める上でも好ましいことだ。
それは建築史に喩えれば、
日本の建築だけをひたすら見るのではなく、
各時代に日本が影響を受けた中国建築を対置して比較することによってはじめて、
日本建築の特質がより鮮明に理解できる、というのと同じこと。 日本の内部で閉じた世界ばかりに目を向けていても、日本は見えない。 中国起源なのを知っているかどうかという単なる情報のレベルではなく、
実際の鑑賞のレベルにおいて、本来中国でいかに読まれたかを認識することが重要。
実際、漢文を学んでもなお
訓読みと音読みとの本質的な差について曖昧な理解にとどまる高校生は多い。
中国語と日本語の関係をきちんと把握できていないからだ。
漢文がただ漢字を並べ替えて読めるようにする技術として学ばれるとすれば、
漢文を学ぶ意味も半減してしまうだろう。 おさるの害を嘆く五言絶句でも鑑賞してろ
中国語で読んで深く味わってくれ また進退窮まって猿がどうのと喚き始めたね。毎日毎日、懲りない御仁だ。w 本来の音は北京官話や普通話ですらないことを教えるほうがまだマシだ
漢詩の平仄や韻をマトモに教えれば、生徒は北京官話の音も偽物だと気づく
もし中国語っぽく発音したけりゃよそで勉強すりゃいいんだよ
そもそもあれこれ教えてる時間もないのだから どんなにマトモな意見でも、漢文のカキコには絶対に反応しないサルがいる
発音練習の前に読解練習しろっての 【参考;復元音による音的要素の鑑賞】
千里江陵一日還 両岸猿声啼不住
「第二句は里と陵のLのなめらかな発音があって、一イツ・日ジツと詰まる音が続き、
終わりに還ホヮンと口を開いた明るい音が来るのは、いかにも千里の遠くまで一息に
下るという内容とよく合う」
「しかも一と日は同じ詰まる音でも、一のほうは高く、日のほうは低いので、グッグッと
せるような勢いが出る」
「第三句の両岸猿の産後はいずれもアの母音を含むが、そのアは発音記号でɑと記す、
暗い感じの音である、それが三つ連続すると、両岸の迫った暗い渓谷の感じが出るようだ」
(石川忠久『新 漢詩の風景』大修館書店)
石川忠久氏本人の感想ではなく、復元音で朗読した平山久雄氏の感想として引用されている文。
なかなか興味深い記述なのでここに引いておく。 >>36
相手にして貰いたければ冷静に論理的な書き込みをお勧めする。
悔し紛れに猿がどうのと喚いたり、第三者を自称してみたり、荒らしてみたりしても
私としては片方の口角を少し上げるくらいの反応しかできない。 いやいや
前スレの第三者は全く別人だね
俺がサルサル言ってるのは彼が猿猴とあう言葉を使った影響だけどね
で、読解力については疑ってるよ
そんなに第三者がどうとか言うなら、
そのうち本当に第三者のフリでもして現代中国語でレスしてやろうか?
そうすれば、漢文だけじゃなく現代中国語もできない正真正銘のサルと判明するから
まぁ、漢文が読めないのにここまで漢文についてえらそーに語ってる時点で十分異常だけどな 自称別人くんの御託はどうでもいいから
スレの論点に関する書き込みをしてごらん 国語の試験で漢文は得点源だから漢字嫌いが軽減されるんじゃん
その辺の教育システムを変えるのはまずいでしょ 偽物か本物かという白黒論で言えば、
普通話だけでなく現代日本語による訓読みも復元中古音も偽物だわな。
だから使うなというのならそもそも現代人に漢文を読むなというのと同じ。
それも一つのスタンスだが、それでも漢文を読みたい、読む価値があると思えば
手に入る「偽物」を用いて鑑賞するしかないわけで、現にそれが我々のやってることだ。
そこを出発点として、訓読という「偽物」だけに頼って鑑賞するのか、
それとも直読という「偽物」も併用して多面的に鑑賞しようとするのか、
いずれが正しい理解に漸近できるか、ということに論じる価値があるのだと思う。 時間的制約で教える内容を取捨選択しなければならないのは事実だ
漢詩をマトモに教えたら普通話や北京官話の音も嘘だとバレるのも事実だ
あと、漢文が実質的に東アジアの公用語だったことを分からせるのはやはり必要だ
昔は中国ですら、所変われば言語変わるの状態で、漢文が言葉の壁を克服する道具だったのだから
北京官話の音で教えても悪くないが、それで分かったつもりになるのはおかしいし、
全員に強要するようなものでもない 旗色が悪くなると「こいつは漢文が読めない!」認定だからなぁ。
つくづく空疎な御仁だ。
>>43
だよね。訓読だけで音的要素が把握できるかといえば、不可能なわけで
反論者は北京語音が完璧でないと騒ぐばかりで、
そもそも訓読のみに固執するべき理由を今のところ提示できていない。 サルの相手してても時間の無駄だし
読書でもすっかな
どうせまた自演してんだろーし ホント読書だけしてネット上に出てこないでくれれば一番いいんだが 漢詩文の鑑賞する際、訓読をするにせよしないにせよ、直読した方が良いのは言うまでもないとして
日本語音での直読は、これはこれで漢音にするか呉音にするか、テキトーに混用するかという問題があり
きちんと体系的に必然性のある音で読みたければ、学校で習う常用漢字としての読み方を知っているだけでは無理で、
辞書を引いて漢音ないし呉音を確認していかないと難しい。これは前スレの最初の方でも議論になってる。
「春眠不覚暁」は漢音ではシュンベンフウカクキョウ。呉音ではシュンメンフカクキョウ。
しかしおそらく一般にはこれを音読みしろと言われれば「シュンミンフカクギョウ」と呉音と慣用音を混ぜてしまうはず。
難しいのはその発音の揺れに正誤優劣を定めがたいということだ。
唐詩を読むのに漢音を排して呉音を取る必然性はないし、
六朝詩を強いて漢音で読むべき必然性もない。
宋元以降に関しては唐音の方が良いという話にもなるだろう。
結局、現状で直読のもっともメジャーな方式だから、という理由で普通話発音を選んだ方が、
読むのが費用対効果を考えても体系性を考えても、
またせっかく憶える以上、共有している集団が大きい方が良いという理由でも、
一番妥当のような気がする。 お経っていまだに呉音で直読してるよね。今の時代呉音で直読しても意味ないと思うんだけど
日本語訳で音読しようとかいうことにはならないのかな。 意味はあるよ。
今の漢訳経典の直読より、現代日本語訳を読み上げた方が、長く時間がかかるだろう。
すると、葬式に時間がかかるだろう。参列者が迷惑するだろう。坊さんの労働量が増えて時給が減るだろう。
のみならず、お経の意味が分かってしまえば、
瞑想で悟りに至る方法なんぞを死んだ人間の前で説明することの馬鹿馬鹿しさに、
参列者が嫌でも気づいてしまうだろう。
葬式に坊さんをわざわざ呼ぶことの無意味さが知れてしまうだろう。 アーメイさんの歌なら中国語で歌いたいけど
知らないおっさんが作った漢詩なんて中国語で読みたくないじゃん >>45
で?
北京官語で読まなきゃいけないという「必要性」はいつ説明してくださるんですか?
「必要性」の意味が分からない?
>結局、現状で直読のもっともメジャーな方式だから、という理由で普通話発音を選んだ方が、
>読むのが費用対効果を考えても体系性を考えても、
>またせっかく憶える以上、共有している集団が大きい方が良いという理由でも、
>一番妥当のような気がする。
これが必要性の説明なんですか?(笑) >>48
汝曰、詠詩宜以北京音。
然尚其理不晰也。
其何爲證哉。 このスレにおいて、漢詩文を中国語ないし北京語で読むことが鑑賞上有益であろう、理解に資するとは
言っているが、漢詩文を中国語で読む「必要」があるという表現は一切使っていない。
前スレでも言ったことだが、必要か否かというのは、漢詩文を読むに際し、どのような・どの程度の
理解を求めるかという要請によって異なる。例えば音的要素を全く無視した程度の理解で構わない者と、
音的要素を蔑ろにしたくないという者とでは、必要とする度合いも変わってくるだろう。
それは個々人の価値観によって選択されるべきものであって、敢えて共有されなければならない
ものではない。
ここではそうした主観に依存しない客観的事実として、漢詩文が持つ情報を理解する上で
中国語による直読が役立つか否かを論じている。
その上で必要か否かは各人が自分が要求する理解の水準に照らして判断すれば良い。 【中国語による直読を併用する利点;原文の復元性】
訓読みに際しては、複数の漢語が一つの和語に合流することが一般に起こる。
この訓読の性質上、訓読のみによった漢文鑑賞は、原文の復元において問題を
生じやすい。
例えば『静夜思』の「床前看月光」は「ショウゼンにゲッコウをみる」、「低
頭思故郷」は「こうべをたれてコキョウをおもう」と訓読されまた暗唱されて
いるのが一般的だが、この訓読文の音から原文を復元しようとすると、「月光
を見る」「頭を垂れて」と書いてしまう間違いが容易に起こるだろう。
こうした訓読の不可逆性を補うのが、直読による原文の音の参照である。「シ
ョウゼンカンゲッコウ」、「テイトウシコキョウ」と音読みによる直読を同時
に暗唱していれば、少なくとも上述のような間違いは犯さないはずだ。
ただし、日本語による音読みはこの原文の復元性という点でやはり問題がある。
周知のように日本語の漢字音は数が少なく、また声調もないため、中国語のそ
れより遥かに同音となる語が多い。 このため上述のような訓読みにおける合
流だけでなく、直読においても本来区別されていた複数の漢字が日本語音では
同一の音に合流してしまうのである。 子夜呉歌の揮毫を求められて「万古擣
衣聲」と書いてしまった作家のエピソードをご存知だろうか。『静夜思』の例
で言えば、「ゲッコウをみる」という訓読文と「カンゲッコウ」という音読文
を組み合わせてなお、「観月光」という誤った復元をしてしまうこともありうる。
もちろん中国語音にも同音異義語はあるが、その数は日本語音より遥かに少な
く、こうした音から原文を復元する際の誤変換のリスクは低い。 復音於字、其不要也。
文言是書言。是以伝文以文焉。 >>55
確かに同訓の語を間違えることはよくありそう。
「月落ち烏鳴いて霜天に満つ」とか。 同訓異字語の混乱や曖昧化は、漢語とヤマトコトバが別言語の語彙体系である以上、不可避的に発生する問題。
解決したければホントに中国語で考えて中国語で感じる頭を作るしかないと思う。
日本人としては日本語が把握できるニュアンス以外は汲み取る必要もないというスタンスもありえるのでは 要するに、「月落ち烏鳴いて」であろうと「啼いて」であろうと、
少なくとも我々にとってはどうでもいい。
どっちの字を当ててもヤマトコトバ「なく」で解釈することには変わりないから。
「ないて」という和語は「鳴」「啼」「泣」「哭」など全てをカバーするのだから間違ってもいない。
それで良しとするのが訓読のスタンスなのだと思う。 中国語は
必要>十分
の方程式みたいなもんじゃん
悠久時代はおわったでしょ >>60
その和語による理解に終始するスタンスから一歩進んで、
漢語のニュアンスの差を汲み取れる水準で鑑賞しようと思えば、
直読を取り入れた方がよいということになるね 漢文って文字で理解するものでは?
音で理解するものがあるとすれば
おおよその雰囲気くらいで
漢文で会話するわけでもないから、
他人に音で伝える必要もないし
同訓意字で困ったことないけど そもそも、日本語のほうが微妙なニュアンスを伝えるのに適した言語だ
漢文はあまりにシンプル過ぎるので複数の解釈が成り立ってしまうことがあるけど、
それを訓読する際、きちんと補読すれば曖昧な解釈を排除できる
確かに同訓異字の問題はあるけれど、
漢文にも一つの字に多様な概念を負わせ過ぎている場合がある
だから、我々の祖先は、一つの字に複数の訓を当てることで、
微妙なニュアンスを表現できるよう工夫したのだ 漢文は、文字を「読んで」理解するもの。
そしてこのスレの論点は、どう「読む」か。
たとえば「月落烏啼霜満点」を
tsuki ochi karasu naite shimo ten-ni mitsuとのみ読むか
yue luo wu ti shuang man tianとも読むか
getsu raku u tei sou man tenとも読むか
つまり訓読のみで読むか、直読も行うかということが論点になっているのね。
むろん君が文字を「読まずに」漢詩文を理解する人間であれば、
つまり文字から一切の音的情報を得ずに意味を読み取る――絵画のように――人間であれば、
この論点に君は何のかかわりももたない。 音にするかどうかも論点になってるけど、
それだけじゃないよね
>>62を見ればわかるよ
>その和語による理解に終始するスタンスから一歩進んで、
>漢語のニュアンスの差を汲み取れる水準で鑑賞しようと思えば、
>直読を取り入れた方がよいということになるね
ただ単に直読したからといって、
他の方法で読んだ場合よりニュアンスを正確にくみ取れる保証は全くないのは前述した通り
音読そのものに反対してるわけではない なお、「同訓異字」とは、一つの訓を異なる複数の字に当てていること。
例えば「看」、「観」、「視」、「診」、「見」はいずれも漢語では異なる意味範囲を持った異なる語だが、
日本語では全てに「みる」という訓を当てる。 これが同訓異字。
漢語において区別されていた細かな意味の差異を、
そのまま表現できる語彙がヤマトコトバにない場合に、
より大雑把な意味範囲の言葉で受け止めた結果生じるもの。
「啼」という漢語が持っていた「鳴」その他とのニュアンスの差は
「なく」というヤマトコトバで読まれることで曖昧化する。
これは訓読を含めた「他言語の翻訳」というプロセスが宿命的に伴うものだ。
ところが君は>>64を読む限り全く的外れの理解をしている。
>漢文にも一つの字に多様な概念を負わせ過ぎている場合がある
それは全く逆の「同字異訓」の話だろう。 勘違いでも何でもなく、同字異訓をも問題にしてるよ
それが何か?
漢文を読んでれば、権威ある注釈書同士を比較しても全く異なる解釈をしてることがある
それは漢文というものがとても曖昧に解釈できるものだからだ
だから、読解する際に「私はこう解釈しました」ということを明確にするには訓読が役立つと言ってるだけだ
で別に直読するなとか、中国語の音で発音するなとか一切言ってない
純粋に>>62に対する反論だ >>62は訓読するなと言ってないから反論になってない。
漢語によるニュアンスの差を把捉する為に直読を「取り入れた方がよい」と言ってる。 >>69
だから論点が違うんだっての
きみが>>62で言った論点と他での論点がそもそもズレてるんだろ
で、俺は>>62限定で反論したんだよ
それ以上でもそれ以下でもない
個人的には直読・訓読を併用すればいいと思っている
ただし、一般的な日本人がどちらか一方だけを採用するなら訓読でいいと考える
だから、別に直読を否定してるわけじゃない 同字異訓も同訓異字も翻訳の欠点であることは同じだけどね。
より広い意味範囲の和語で読んでしまえば、
原語が狭く限定していた意味範囲がぼやけて損なわれてしまう。
逆に複数の訓が可能な中から一つを選んで読んでしまえば、
原語のもつ意味の広がり・多義性を損なうことになる。
いずれにせよ詩語というのは、
詩人が感性を傾けて考え抜き選び抜いた上でそこに置かれているわけで
それを和語に置き換えてしまえばどうしても細かなニュアンスは失われるよね。 漢文古文やっててちゃんとした本読まなかったから
女性のパンティーを見る経験だけが
他者との触れ合いになって
それが人類学だとか言い出すようになるwwwwww
悲惨wwwwww 訓読で分かるのはプロットだけ。
語の微妙なニュアンスや音的要素のようなディテールは訓読では拾えないってことだね。
こうやって訓読の限界を知っておくことは重要だね >>74
中国人なら漢文の微妙なニュアンスがわかるのかというと、実は結構怪しいんだけどね
四書五経のような超メジャーな漢籍には中国人の書いた注釈書が大量にあるけど、
結構違う解釈してるのがあるんだよね
決していい加減なもの同士の比較ではなく、かなり権威のある本格的なもの同士でそうなんだよ
中国人が読もうと日本人が読もうと曖昧なものは曖昧だし、複数の解釈ができるものは複数の解釈ができる
だから訓読だからどうとかいうもんじゃなく、漢文読解では不可避の問題だと思う
ただし、哲学書と違って漢詩の場合、そのような曖昧さがかえって良い味を出していると言えなくもない …そりゃ全然次元の違う話じゃん
訓読で失われるニュアンスってのは漢語「啼」が和語「なく」に変換されることで
ほんらい「泣」「鳴」「哭」などと分かたれていた啼のニュアンスが失われるという話
それに対して訓古学の経典解釈というのはそもそも原典の意味が文脈上確定できないゆえに
行われるもので、翻訳によるニュアンスの喪失とは事象のレイヤーが違うよね 要するに原典の解釈が確定していなければそもそも訓読においても解釈は確定しない。
これはプロットの段階での問題。
一方、音的要素やニュアンスの差異といったディテールに関する翻訳不能性は
プロットが確定していようといまいと、それに関係なく訓読というプロセスの結果生じる。
この二つの事象を同列に並べちゃダメでしょ 訓が同じでも漢字を見れば違うのはわかる。
それでも解釈を間違えるのは単なるオバカさん。
やはり漢文はどんな音で読むにせよ、文字を見て解釈するものだからだ。
また、それとは別に、漢字の多義性のせいで読みにくいというのは確実にある
子謂子貢曰。女與回也孰愈。對曰。賜也何敢望回。回也聞一以知十。賜也聞一以知二。子曰。弗如也。吾與女弗如也。
「吾與女弗如也」は、魏の何晏の『集解』に従えば「私もお前と一緒で及ばない」と訳せる。
南宋の朱熹の『集注』し従えば「私はおまえが及んでいないのを許そう」と訳せる。
思想的に難しいから解釈が分かれるというのではなく、単に字義がアヤフヤだから起こる現象。
上記の例はどちらが正しいか判断に迷うが、「文脈から判断してこういう意味だろう」と判断できる場合もある。
しかし、直読では解釈の違いが音の違いとして示されない。
ところが、訓読した場合、読み方自体が異なってくるため、解釈自体を音によって表現できる。
だから、直読と訓読は併用すべきだと考える。 出典を書くのを忘れた。
『論語』巻第三、公治長第五ね。 >>78
>「吾與女弗如也」は、魏の何晏の『集解』に従えば「私もお前と一緒で及ばない」と訳せる。
>南宋の朱熹の『集注』し従えば「私はおまえが及んでいないのを許そう」と訳せる。
中国人が中国語で解釈してこのザマか
情けねえな 「解釈自体を音によって表現できる」のは現代語訳においてさらに顕著なのだが
それが重要なら、現代語訳をこそ用いるべきという話になるな。
ま、何にせよ訓読だけじゃダメだということだな 現代語訳じゃ漢文を読んだことになんなくない?
それって読んだんじゃなくて訳したんでしょ
訓読法なら一応読んだうちに入るけど
にしてもなんでこんなに曖昧なの漢文
これじゃどんな読み方したって意味わかんねー 漢文を誰と何処で読むか
なんだよね
東北大で漢文読むのは負け組
ホモになる方がマシ 先生は○○と仰った
すると○○が○と言ったので
先生は○○だね、と言った←読んでてつまんない 確かに>>78の論理だと「直読と現代語訳」併用を支持することになりそう。
解釈を音によって表現する度合いは訓読より現代語訳の方が高いわけだし。
訓読は翻訳に他ならないしな。 現代語訳は所詮意訳だよ
訓読に価値があるのは、
原文の読み上げをしつつ、
それが直訳にもなっているからだ エサ与えるな
漢文読めない人が読める人を相手に強弁するスレだから
読める読めないは論点と無関係?
それ以前の問題なんたよ
こういう議論は漢文の読解作文がある程度できる人がするもんだ >>87
訳者の解釈が介在するという意味では訓読も現代語訳と同様、直訳ではない。>>78を参照のこと。 訓読は読む本人が白文を見てやるのが基本だよ
解釈を伴っていても、本来は白文の読み上げだ
他人の書き下し文などは参考にすぎない 自力で白文を読むのが基本だし、
音読だの直読だのの重要性を論じるのは、
そういうレベルの人がやることだ
と釣られてみるテスト 「オレはレベルが高い」「お前はレベルが低い」以外に何の中身もないレスだな。
どんだけコンプレックス強いんだこいつ 別に論点とも関係ないしな。
白文をいかに読むか、訓読の利点はどうか、直読の利点はどうか、という話をしている。
自力か他力かなんて話はしてない。
なお、「読み上げ」という語をいかに定義するかによるが
訓読は自力だろうが他力だろうが、原文を解釈して作り出した文語文。
ゆえに単一の原文から複数の訓読が導かれることがままある。
そのうち一を選択するのは訳者のオピニオン。
純粋に原文の読み上げと言えるのは直読だろう。 ニュアンスがどーのこーのという話の流れだから、
音を鑑賞するとかいう類は関係無い
というか、全くのど素人が論じるのはやはり滑稽だ
漢文を読む力が無くて漢文について何を語るわけ?
もっともらしく語ったところで、
泳げない奴が水泳についてウンチク垂れてんのと何がちがうんだ? そもそも漢文の読解力がどーだこーだ言うなら、
漢作文でも教えたほうが、ピンイン読む方法なんぞ教えるよりはるかに有益だ
発音できるだけなんてのは、それこそお猿の電車レベルだ そもそも発音できりゃいいなら俺でもできるわけで、
それしか能がないやつに何のコンプレックスを持たなきゃならんの 君の妄想による「あいつは漢文できない」認定とか
君の自称による「オレは漢文できる」主張はいいから
少しは中身のあること言ってごらん。
本当は書き込まないことを一番勧めたいのだが、
その自制心はないようだから。 ずっとピンイン読んで漢文ごっこやってろ
本当の読書人は漢文を発音して自己満足に耽ってるほど間抜けじゃないんだよ
そんなのはただの道具だ
それを自慢げに語るのは、最近新しい辞書買ったぜ、みたいな低レベルの自慢だよ
そんなこたぁ誰でもできる程度のな
漢文を本当に愛する人というのは、自分で漢詩を作ったり、独自の解釈で読んで既成の解釈を批評したりするもんだ
以下、完全にレスを断つ
お前は議論すべき対象ではない 漢文厨
男性同士で無駄知識の比べっこをします
これを兜合わせと言います >>98の漢詩よみたーい
>>98の漢詩よみたーい
>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい
>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい
>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい
>>98の漢詩よみたーい >>98の漢詩よみたーい
>>98の漢詩よみたーい
>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい
>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい
>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい>>98の漢詩よみたーい
>>98の漢詩よみたーい >>98のは漢詩じゃなくて漢文詩だよね
それでも日本語で読んで美しかったらいいんじゃない
オナニーは自由だよ >>106
訓読で漢文を学んだ日本人が平仄や押韻をきちんと意識して漢詩を作っている件
君の喧嘩相手が作った>>31のツマラない詩ですら形式的には完璧な五言絶句平起式 Monkey screams wood greatly shakes
こっから綺麗な英語にします Teer falls and I greatly regret Sitting by the lake under the moon 頑張って韻を揃えて漢字を並べただけで文として成り立ってないから
書き下せとか言ってはいけない。
何にせよこのスレの話題と何の関係もない罵倒のための漢字の羅列は
「真の読書人が自作の漢詩を披瀝するスレ」にでも貼って欲しいところ。 >>116
意味はわからなくもないよ
猿哮え、森激震す
涙落ち、我深く嘆く
月下、湖邊に座し
猛獸の奸を殲ぼさんと思ふ
結句の書き下しは自信がない
他の読み方もできそうだ
ただ、罵倒のために即席で作ったらしく、恐ろしくツマラナイ内容だ
とはいえ、形式的には間違えていないと思われる 真の読書人くん、もう来ないと喚いた舌の根も乾かぬうちに戻ってきちゃったな thinking of destroying fierce beast's まで出来てたのに負けたし
書き下しはカンの意味解らなくても
出来るから卑怯 日本人の作った漢詩も結構いいよ
菅原道真、西郷隆盛、その他歴史上の有名人が作った漢詩を読むとすごく感動する
趣味で漢詩を作る人は今でもそれなりにいる
だけど、幕末〜明治くらいの時代に比べるとあまりに少ない
何しろ形式が面倒だからね
あぁ、スレ違いだね
作詞スレじゃないんだからこれくらいにしとこう まあ馬鹿は従来通りどうでもいいや。
とりあえず訓読のみによる鑑賞の欠点は
・音節によるリズムなど原文の音的要素が全く損なわれること
・漢語が和語に置換されることで原文の語が持つニュアンスが損なわれること
の二点が今のところ挙がっている。
この認識を足場に直読の射程について議論を続けたいところ。 誰かが薩長を持ち上げるたびに
仙台でだれかがレイプされる 116 名前:名無氏物語 [sage] :2013/10/24(木) 21:21:21.52 ID:s/Nk7VTV
頑張って韻を揃えて漢字を並べただけで文として成り立ってないから
書き下せとか言ってはいけない。
何にせよこのスレの話題と何の関係もない罵倒のための漢字の羅列は
「真の読書人が自作の漢詩を披瀝するスレ」にでも貼って欲しいところ。
118 名前:名無氏物語 [sage] :2013/10/24(木) 21:26:46.93 ID:znpCTJwT
>>116
意味はわからなくもないよ
猿哮え、森激震す
涙落ち、我深く嘆く
月下、湖邊に座し
猛獸の奸を殲ぼさんと思ふ
結句の書き下しは自信がない
他の読み方もできそうだ
ただ、罵倒のために即席で作ったらしく、恐ろしくツマラナイ内容だ
とはいえ、形式的には間違えていないと思われる そして繰り返される「お前は漢文が読めない」認定。
以後レスを断つという宣言は記憶の彼方へ。
どこまでもみっともない御仁だなぁ。 >>130
こんな愚にもつかない漢詩モドキを作って悦に入ってるレベルで
真の読書人だの、ど素人が論じるなだの言ってたのかと思うと
むしろ可哀想になってくるな 漢詩モドキではなく、単純に面白くない漢詩なのでは?
何をモドキと定義するのかよく分からないので
シンタックスに誤りがあるとか、
平仄と韻がなってないとかではないから
むしろ、この詩の悪い所は特定個人を猿に見立てて攻撃する意図で作られたことだ
だから、他人が鑑賞し、共感することができない
まぁギャグとして作ったとおぼしき詩にマジになることもないが >>134
>そして繰り返される「お前は漢文が読めない」認定。
俺も同一人物認定されるの覚悟で言うが、俺から見ても読めてないように見える
そう思われたくなけりゃ漢文でのレスにも反応すればいいのに
例な下手な漢詩にしたって、「文になってないから書き下し出来ない認定」してるからおかしなことになるんだよ
あそこでサラッと書き下ししてから下手だ糞だと批判すれば説得力があるのに 君の妄想による「あいつは漢文できない」認定とか
君の自称による「オレは漢文できる」主張はいいから
少しは中身のあること言ってごらん。
本当は書き込まないことを一番勧めたいのだが、
その自制心はないようだから。 あと、バレバレだから。
これ以上恥を晒したくなければ、見苦しいことはやめような。 君も救いようがないね
不都合な事実わを指摘されると同一人物認定とか 前スレで、「仕事あるから」って打ち切って「レスするとしても1カ月後、もうしないかも」って言ってる人とかもいたろ?
君にウンザリしてるのはもう1人2人じゃないんだよ
少しは嫌われてることを自覚してくれ ごめん、バレバレだから。
もうそろそろ見苦しい真似はやめた方が良いんじゃないかな。 同一人物だと思うなら思っとけばいいよ
これは救いようがない 同一人物だなんて誰も言及してない。君が勝手に白状してるだけだろう。
繰り返すが、そろそろ見苦しい真似はやめなさい。 君が理解していないことを一つ教えよう。
「俺は○○ができる」とネット上で主張することは、誰にでもできる。
IDを百回変えて「俺は別人だが○○が嫌いだ」ということも、誰にでもできる。
ここではそういう主張は、意味がない。
ただ愚かな人間がいるということを示す以外は。
もう一度このスレの>>1を見返して見ると良い。
ここで論題として提示されているのは、
直読が漢文の理解に資するか、直読に際して中国語音を用いることが妥当か、という2点。
これら論題につき個々人がその当否に関して思うところを話すのが、このスレの趣旨だ。
他者の罵倒や自己アピール、誰それが嫌われている云々といった
属人的な関心のためのコメントはいくらそれを書き込んだところで、
論点と何の関わりもない。
君はそろそろ無駄な努力をしていることに気づいた方が良い。 自己アピールは君もやってるけど
ヌルく雑談でもしてるならまだしも、漢文教育に何の貢献もしそうにない場所で、他人を言い負かすことに全力を傾けてるんだからね
よほど暇なのか? 中国語の勉強に漢文を利用するのは良いかもしれない
漢文の勉強に中国語を使用するのは無駄 「他人を言い負かすことに全力を傾けてる」「よほど暇なのか?」
これも属人的な関心のためのコメント。 論点と無関係。
理解できないなら、書き込まない方が良い。 詐欺師「いい儲け話がありますぜ」
某氏「お前、詐欺の前科があるよな」
詐欺師「それは論点と関係ありません。属人的なことですぜ」
おっさん「あのバッター、グリップの握りがなってないからフライが多いんだよ」
某氏「あんた、えらそーに批評してるけど野球できんの?」
おっさん「それは論点と関係ねぇよ。属人的なことだろ」 匿名掲示板において確認できないことを願望で決めつけても仕方ない、という話なんだがな。
しかしそこまで149がこのスレの参加者の漢文能力が重要だと思うなら、
「誰の」漢文能力が如何なる根拠によりどのように特定されるのかを独自に論じてみれば良いのではないかな。
明確な根拠があれば参考情報にはなるだろうし、無ければただの私怨で喚いている可哀想な子と判断されるだろう。 116 名前:名無氏物語 [sage] :2013/10/24(木) 21:21:21.52 ID:s/Nk7VTV
頑張って韻を揃えて漢字を並べただけで文として成り立ってないから
書き下せとか言ってはいけない。
何にせよこのスレの話題と何の関係もない罵倒のための漢字の羅列は
「真の読書人が自作の漢詩を披瀝するスレ」にでも貼って欲しいところ。
118 名前:名無氏物語 [sage] :2013/10/24(木) 21:26:46.93 ID:znpCTJwT
>>116
意味はわからなくもないよ
猿哮え、森激震す
涙落ち、我深く嘆く
月下、湖邊に座し
猛獸の奸を殲ぼさんと思ふ
結句の書き下しは自信がない
他の読み方もできそうだ
ただ、罵倒のために即席で作ったらしく、恐ろしくツマラナイ内容だ
とはいえ、形式的には間違えていないと思われる まー何というか
漢文読めなかったところで人生で困ることはほとんど無いから、どーでもいい事だけど なるほど、愚にもつかない漢詩に対して「書き下せとか言ってはいけない」と評されたことを根拠に、
白文が「書き下せない」と判断したのか。
うん、実に客観的だ。苦笑 >頑張って韻を揃えて漢字を並べただけで文として成り立ってないから
成り立っててもできなかったという
それがいつの間にかつまらないからしなかったことになってるという 「猿哮森激震」という文字列を「猿哮え、森激震す」と読むことは高校生でもできると思うんだが、
それが文章として成り立ってるかは別の話だぞ。
まさか「文として成り立ってない」という評を
訓読が一切不可能という意味で受け取って、漢文能力がどうたら言ってるのか 少なくともシンタックス・エラーはないし、
普通の漢文として読めるし
それを「文として成り立っている」と言う
面白いとかつまらないとか、個人的な価値観は関係無いこと 句の脈絡がないから文として成り立ってないと言われちゃうんだろうね。
いや、君が「読み下せさえすれば文として成り立つ」と定義することは自由だけど
その定義を相手が共有していることを前提にしないと「白文が書き下せない」という判断はできないんだよなあ。苦笑 回回十
回
回
回 回十回 十
十十十十回十十十十
十 回十回 回
回
回
十回回 ・相手が脈絡のない句の羅列を「文として成り立ってない」と評する
・157くんは「書き下せさえすれば文として成り立ってるんだ!」と思ってる
というところまではまあ良いとして、その自分定義を理由に
「相手は書き下しができないんだ!」という判断はできないよな。
相手がその定義を共有しているとは限らないんだから。
そもそも高校生でもできるような書き下しが相手にできないと判断する前に、
少し冷静に考えてみれば良かったんだが、私怨は理性を曇らせるものだネェ。 いや、それは詭弁だ
つまらないだけで、一応言わんとしてることはわかる
それと、五言絶句に限ったことではないけど、絶句や律詩は単に特定の句末で韻を踏めばいいわけじゃない
どこで平字を使い、どこで仄字を使うかまで考えなければいけない
五言絶句だったら、句の中が二字と三字の構成になっていなければならない
だから、内容がクソつまらない漢詩でもその条件を満たし、なおかつ一応意味が通るものであれば、そこいらの凡庸な漢文マニアより技量は上だと判断できる
同じ貶すにしても、そんなことくらいはキチンと気づいた上で批評するのが普通
で、ボクはそれに気がついた上で言おう
糞ツマンネ 君が書き下せるから文として成り立っていると主張することを誰も止めはしない。
ただ、その君の定義を相手が共有していることを前提にした判定は、論理的に成立しないということだね。
あの漢詩を以て「そこらの漢文マニアより技量が上」と賞賛するのも君の自由だが
残念ながら私は「そこらの漢文マニア」より勝るという何らの根拠も見出せないなぁ。
どうしても身びいきしたくなるのが人情だということは認めるにせよ、ね。 >>162
>君が書き下せるから文として成り立っていると主張することを誰も止めはしない。
書き下せるからじゃないよ
猿がけたたましく咆哮すると、森が激しく震える
その恐ろしい声を聞き、涙を流しながら深く嘆く
月明かりの下、湖のほとりに座り、
あの獰猛な獣の奸(よこしま)を滅ぼそうと思うのだった
無関係な句の羅列ではないよ
君にはそう見えるらしいけど まぁ何と言うか
論点と関係なくて属人的で認定で客観的じゃないからどーでもいいよな
ちょいと忙しいのでサヨウナラ 月がふつうは他者の故郷のメタファーだけど
まあいいや
このスレセンスないから でも漢詩を漢詩原理主義でやってない人の方が性格イイからね >>164
漢和辞典で字義くらい調べなさいっての
面倒ならオンラインでもいいから
http://www.seiwatei.net/chinakan/chinakan.cgi
本当に忙しいから去るよ
バイ 吉川さんからまだオナニーごめんなさいって言ってもらえてないから
ここに居座る >>163
日本語で読んでも脈絡のなさは覆いようもないな。
薄っぺらい紋切り型の俗語をそれっぽく並べただけで詩と呼ぶには値しない。
そこらの漢文マニアどころか高校生でもこの詩の作者よりは詩心ありそう。 >>170
平仄合わせて韻踏んで漢詩作るのって難しいんだぜ
昔懸想していた女性に贈った事があるわ >>172 女性!?漢詩書くってだけでホモなのに矛盾するわー 懸想ってことは
本人が読めないところで
若葉色のダイアリーですね
よくわかります 結局、この子が延々とこのスレでやってる人を論じる議論って、
他者の言を恣意的に歪曲して「白文が書き下せない」と言い張って貶めてみたり、
愚にもつかない詩を「そこらの漢文マニアより上」などと恥ずかしげもなく持ち上げてみたり、
要は強引に自己の権威化を図ろうとしてるだけなんだよね。
漢文の能力があると他人から認めて欲しければ、
それこそ「自作ポエムを披露するスレ」でも立てて評を仰げば良い。
まあ、その作品がアレじゃ仕方ないが。苦笑 >>176
名無しが自己の権威なんか主張しても何の意味もない。
だから論者の権威でなく、論理と事実によって正誤を判定しましょう。
ーーというのは議論するまでもない、匿名掲示板利用の前提だと思うのだがねぇ。 >>173
この英語読みはなかなか面白いな。
天生我材必有用,
Tiān shēng wǒ cái bì yǒu yòng,
[Heaven] [produce] [me] [ability] [must] [have] [use]
Heaven made me – my abilities must have a purpose;
千金散盡還復來。
qiānjīn sàn jǐn hái fù lái.
[thousand] [gold] [scatter] [exhaust] [still] [return] [come]
I spend a thousand gold pieces completely, but they’ll come back again.
原理的には訓読みと同じ。
我々がやってる訓読みとはこういうものなんだと
他者の目から見る視点が得られて興味深い。 レ点とか一とか二とか三とか四とかなくても
中国語が読めるアメリカ人は
中国と手を組んで日本を滅ぼすんですね
よくわかりました 英語か中国語を身につけて
平和的にリソースをいただけるような
人材を増やした方がいいじゃん
だって漢文厨は兵隊としても無能なんでしょ まあもうそうなってるか
漢文だのラテン語だのエスペラント語だの
マイナー言語やってる人間は
リソースなんかもってないから
どうでもいいよね 英語読みがどんなに優れていても
一部研究室で許されていようと
漢文原理主義の研究室に行ったら人生終了
人生終了した相手に向かって「他者の意見ありがとうございます」
なんて言ってるから嫌われるんだよ
まあ呪われたいだけかもしれないけどね、吉川裕 一方的に女性を自らの快楽のために使い
「お前のためじゃないからな
俺のためだからな」と言い放ち
開き直った事は反省しましたか。 中国語を学んだ後は、漢詩文も中国語で直読してる。
リズムが鑑賞できるというのもあるが、やはり原文が暗唱できるのが良い。
高校の頃は訓読文を読んで暗記していたのだが
どうしても訓よみの部分は漢字が曖昧になってしまう。
今でも赤壁賦は訓読での暗唱オンリーなので
例えば「魚蝦をともとし麋鹿をともとし」の「とも」が、
どっちがどういう表記だったのか出てこない。
やはり文章は一義的には音声情報で記憶されるし
その方が効率も良いので
訓読文よりは直読文の方が原文を復元しやすいのは確か。
それに訓読文は元来中国語の文章を日本語の文章に訳したものであって中国語自体でない。
その二次的な訓読文よりは原文を暗記した方が情報としての価値も高い。 「天生我材必有用」を
「Heaven made me; my abilities must have a purpose」と完全に英語にするのは訓読と違うのでは。
訓読文は部分的に日本語にするだけで漢語のまま残す語も多い。上の将進酒の句も
「テンのわがザイをショウず、かならずヨウあり」と読み天・材・生・用は漢語のまま訳さない。
英語でいうと「TIAN SHENGed me,my CAI must have a YONG」こんな感じじゃないか? 千金散盡還復來
センキンサンじつくすもまたかえりきたらん
I SANed QIAN JIN completely, but they’ll come back again.
恐らく我々がこの英中混用文を見て抱くのと同じ印象を
外国人は我々の訓読文を見て抱くのだろう。 大学の第二外国語の中国語とか、ガキのお遊びレベルだけどな
あれやったくらいだと、ピンインを読み上げる儀式ができるようになるだけで、漢文の理解に役立たない
余計なことに時間を取られる分、訓読法や漢文法を普通にも学んだ人に遠く及ばない読解力になる 鋭い。現実は常に折衷だ。
現状の高校は返り点の訓読練習で日本語の基礎を鍛え
大学で中国語としての漢文という視点でも勉強するが順当。
理想を言えばきりがないあらゆる分野を学べば有益だが
物理的に限界がある。 「遠く及ばない」と言ってもそもそも高校のカリキュラムが目指す読解能力なんて多寡が知れてるしな
あくまで概略を理解させるって点ではバランスよく訓読と直読をやらせた方がいいのかもしれんな。
どうせ拼音なんて「ガキのお遊びレベル」のしかも初歩でしかない容易なものだし、大した負担にはならんだろう。 確かに
「ピンインは簡単だバカでもできる」と言いながら
「現状に遠く及ばない読解力」になるほど授業を圧迫するって
明らかに矛盾してるよな
ピンインを貶めたいという感情に突き動かされて
論理の整合性を考えずに喋っちゃてる感じ >>193
ピンインを覚えるのが負担なんじゃなく、一々全部直読するのが時間の無駄になる
授業で「さあ、みんなで読み上げてみましょう」なんてことを全てにおいてやっていたら進まない
それに、高校のカリキュラムが目指す読解能力でも、語彙力さえつければほとんどの文は読める
いや、実際には読めない文もあるんだが、文法や語彙以外の漢文読解に必要な常識が足りないから読めなくなる
だから、高校の段階でじっくり取り組むべきは、ピンインを呪文のように読み上げるファッションに終始するのではなく、
文法力をつけ、漢文を読むために必要な常識を習得させることだ まあ、必要なことはバランスだろうな。
訓読だけでは鑑賞が片手落ちになるという事実の上で、直読と訓読のバランスをどう取ってゆくか。
現状、高校の漢文教育であらゆる漢文を自力で白文から訓読体に変換できるようなレベルは目指されておらず、
あくまでその入門を教えているに過ぎないわけだが、
漢文鑑賞の入門が訓読という特定の技術の基礎に終始することはバランスを欠く。
おそらくこうした点に訓読オンリーの高校漢文を是正すべき声があがる理由もあるのだろう。 授業での書き下し文の音読は今でもやってるけど。
少なくともうちの高校では。
漢文も古文も英文も、言語学習の基礎は音読だと思うよ
音読して文例を体で覚えた上で文法を整理した方が効率がいいし
読み上げを授業に取り入れてるのは一般的なことだと思うがなあ? そういえば、英語でも文法力をつけるのに一番役立ったのは例文集の音読による暗唱だった。
直読が文法力をスポイルするというより、むしろシナジェティックに文法の理解を促進させるとも考えられる。
少なくとも自分の英語学習の経験においてはそうだったな。 >>196
直読すべきだというなら、どのように漢文の読み方を教えるつもりなのか知りたい
高校のカリキュラムでも、本当に真面目に勉強した生徒なら白文をある程度読める
真面目に勉強する子が少ないから読めない子が多いだけのことで
漢文に興味のある子は、高校の授業で物足りなければ自分でやるだろうが、その場合でも高校で教わった文法・語法の初歩的な知識は役に立つ
だから、肝心なのは読解の方法なのであって、その他のことに多大な時間を割くことの意味がわからない
発音の習得だけなら、大学に入ってからでも十分だろう 「真面目に勉強する子」なら拼音を教えても苦もなく吸収して直読による鑑賞を併用できるのではないかな。
拼音が負担になるという主張では真面目に勉強しない生徒を基準にし
訓読で漢文が読めるようになるという主張では真面目に勉強する志の厚い生徒を基準にするというのでは比較にならない。
肝心なことはバランスの取れた漢文読解・鑑賞への入門を教えることであって、
訓読の技術を完璧に伝授することではないはずだし、現にないよね。
訓読で得られる原文の情報が限定的なものである以上、少なくともその限界を
直読を通じて把握させておくことは必要なんじゃないかな。
おそらくこのスレでやみくもに訓読で十全な読解が可能だと繰り返す人たちは、
漢文解釈を訓読に限定する発想にどっぷり浸かった現行の教育のために
訓読を相対化する視点に馴染めないのだろう。 >>198
大学等で漢文を学んでる人でもまともに直読できてない人は多い
直読と称して中国語の発音で読んで、意味を理解するのに頭の中で語順入れ替えてる人も結構いる
そもそも、大学等の高等教育機関でも、中文・中哲・中国史など学科で、まったく漢文訓読法を用いずに教えているところはほとんど無い
>>200
だから、直読でどう読み方を教えるの?
「発音する」ことと「読める」ことの間には大きな隔絶がある 「訓読すると意味が理解できる」というのは順序が違うんだよな。
「意味が理解できた文は訓読できる」が正しい。
もっともそこで理解されている意味というのは、あくまで訓読が汲み取れる意味だけで、
その外部にこぼれ落ちた意味があることも忘れてはいけないのだが。 大学で中国古典を教える現場でも直読オンリーは少ないね
訓読法との併用が多い
一応直読もやるのだから、学生達は直読できてるのかというと、そうでもない
とりあえず発音して、その後頭の中で訓読まがいの語順入れ替えしたりする人が多い
結局、発音できるだけだと直読したフリができるだけだね >>頭の中で語順入れ替えをしている人が多い
他人の頭の中を読み取る装置でも発明したのか
それとも具体的なアンケート結果でもあるんだろうか >>204
本人が直読できないことを告白することもあるよ
それに、周りの人を見てればそんなことわかるよ
英語の苦手な高校生とおなじで、とりあえす発音してから、あーでもないこーでもないと考え込んでる
それでもわからないと紙に書いて露骨に訓読モドキをやり始めたりする 少なくとも203が語順を入れ替えて読んでしまうことは分かるんだが
「多くの人が…」と一般化するにはやめた方がいいと思う。思い込みと区別できないから。
ただ、私は直読をしながら語順を入れ替えるという感覚はよくわからない。
英語と同様に漢文もいちいち日本語の語順に入れ替えずに語順通りに理解するだけ。
英語の初学者はそんなことやったりするのかな?
語順なんて言語によって違うのだから、
ある語順でなければ理解できないということはもちろんなくて、
むしろ言語ごとに定まった語順で読んだ方が分かりやすい。
訓読はあくまで原文から作られた日本語の文語文という位置づけで
理解のプロセスではなく、理解した後にその理解に基づいて作られる産物だなぁ。 漢文学習は現代中国語の学習とは別に考えるべきもの
将来現代中国語を学ばない者がほとんどなので、中国語学習の予備的段階とするのは無益だし、それでは国語科の趣旨に反する
訓読法を使えば古代の文献に若干手を入れるだけで理解可能になるのだから、これを漢文教育に活用しない手はないだろう
そもそも現代中国語に比べれてはるかに少ない努力で習得できるのだから、初学者が訓読法で漢文を学ぶのは順当な方法だ
>>206
普通の高校生の語学力を高く見積りすぎだよ
そんなに英語に不便しない子ばかりに見えるかい? 不思議なことにこのスレで反論する人がしばしばおちいる陥穽なのだが
「現代中国語を習得しろ」とは誰も言っていないのだよ。
反論の緒を探そうとして、無意識的にか反論しやすい対象を勝手に設定してしまうのだろうけれど。
直読が有益であるという第一義は、漢文の理解のためのもの。
訓読で理解できる内容は、漢文の持つ情報の一部でしかない。
漢文を解釈する上で、直読を併用することがより理解をまったきものにするゆえに
漢文教育の入門たる高校漢文においてもそれに触れることがバランス上妥当であろうということ。 >>208
爾性敏慧有大志於教育
然尚甚有難
教以察人是要也 そして、この点も繰り返しておきたいのだが、
「訓読によって漢文が理解できる」のではない。
「理解した漢文はその理解に従って訓読できる」、というのが正しい。
白文を然るべく訓読するためには、
各語の語義と文法上の役割が(少なくとも当人が正しいと信じられる程度に)理解できていなくてはならない。
そして、各語の語義と文法上の役割が分かっているという同じ条件のもとで、
直読によってもやはり同じ情報を得ることはできる。
逆に各語の語義と文法上の役割が分かっていなければ、
直読しても意味は分からないし、訓読することもできない。
つまり、文のプロットを理解するために必要なのは
各語の語義と文法上の役割を理解すことであり、
「訓読」やその結果物であってプロセスではないのだ。 女曰直讀也訓讀也諸解文
不解則不可讀
然則當示範爲證 古日本有音博士之官
以音教文
不啻自其口出寔能解之而教傳
然爾以音爲足
非音博士唯音博士也 >>210
>直読によってもやはり同じ情報を得ることはできる。
これをピンインの直読でするということは中国語を学習すると
いうことではないのか? >>213
そのとおりだね
ただ訓読が不要だと言っている人はこのスレにはいないように思えるが 若解文則可対
不解文則不可対
試也
以為大言而不可為之 そもそも今の高校漢文修了者に期待されている能力って
白文を自分で解釈する能力じゃないよね。
「返り点のついた漢文」を解釈する能力だよね。
白文から訓読文への変換過程を自分でやることはないよ
授業でも入学試験でも。 訓読文を提示した上で、白文に正しく返り点を打たせるというつまらない問題も出るけどね
白文をいきなり解釈させる問題は入試漢文で見たことない。
読解すべき問題文には返り点が既に振ってある。
要するに「各語の語義や文法上の役割」を決定するプロセスは高校レベルではやらない。
それらの情報は与えた上で、漢文を返り点に従って正しく読めますか、
そうやって読んだ日本語の文語文の内容がちゃんと取れますか、というのが高校漢文。
白文→返り点を振った漢文→書き下し文→現代語訳
という四段階のプロセスがあるとして高校生がやるのは二つ目以降。 じっさい京大なんかはハナから文語文として出題してるな >>220
センターの問3なんかは白文の正しい書き下しを選択する問題だな
謂賓構造を意識してない普通の高校生が一番困る問題
教師側も教え方に困る問題
“漢文程度”っていう位置づけではなかなかそこまで習得させられない >>218
意地悪ダナー
でも、同じこと薄々感じてたからスッキリした なんで、ラテン語をよく持ち出すの。
フランス語・ラテン語・中国語を大学時に、
勉強してれば、こんなスレは立てられないよ。
自らのドグマにはまっているのかな。 誹謗の意図は、全くないけど、
研究対象・趣味としてはまった人は、
それなりに努力して中国語を勉強するから、
前提論は、無意味。
失礼。 一方的に女性を自らの快楽のために使い
「お前のためじゃないからな
俺のためだからな」と言い放ち
開き直った事は反省しましたか。 レイプ犯でも歯科免許奪われないために
二度レイプしたりするんでしょ
東北大学 中国好きな人とか
今の一般人の中国の言語体系にシンパシー持ってたら
漢文なんてやらねーだろ
考えるための言葉じゃないし
奴隷語だよなあ 一方的に女性を自らの快楽のために使い
「お前のためじゃないからな
俺のためだからな」と言い放ち
開き直った事は反省しましたか。 裕ちゃんのアナル気持ちいいよぉ
裕ちゃんのアナルよく締まるよぉ 生意気な吉川裕をレイプしたい
生意気な吉川裕をレイプしたい
生意気な吉川裕をレイプしたい
生意気な吉川裕をレイプしたい
生意気な吉川裕をレイプしたい
生意気な吉川裕をレイプしたい
きっと気持ちいい たとえ参考であっても現代中国語のピンインで漢文を読む
訓練をするということは、中国語を部分的に学習するととらえるのが
普通の感覚。それを「現代中国語の習得をしろ」とは言ってない
と言うのは詭弁と言われてもしようがないな。
本人は外国語に苦労しないようなことを書き込んでいるので、
才人なんだろう。才人が才に溺れたというところか。 万葉仮名を現代日本語の仮名発音で読むからと言って、
万葉集を学ぶことが現代日本語を学ぶことと同じだとは言われない。
してみると、漢字を現代中国語の発音で読んでも、
漢文を学ぶことは現代中国語を学ぶことと同じではないだろう。 漢文→公用語じゃないから自分でも何やってるか解らない先生の権威に従う
現代中国語→社会的信用のある民間人と話せる言葉を勉強できる 漢文→どうとでも読める変な文章を読んでて不安になる
現代中国語→取引にミスがあってはいけないので言葉と現実社会が
常にシンクロしている でもやっぱり英語がおすすめ!
英語とピンインができればすごく便利 >>236
万葉集仮名を外国人が現代日本語で読むのは
現代日本語を部分的にでも習得することではないか?
現実には日本語を習得してから万葉仮名を読むだろうが。 生意気な吉川裕のおちんちんに
ハバネロペッパーをかけて
痙攣してイキそうな所を
アナルから焼酎を呑まして
フィニッシュしたい 漢字は表意文字なので、字を見ると意味がわかる
そのせいでどんな発音で読むかと関係なく意味が取れてしまう
だからベトナムやら朝鮮やら日本やら、広域にわたって普及できた
それぞれの地域ごとに発音がバラバラでも、文の解釈に関しては一致するというのは驚異だ
漢文はそのような性質を持つため、仮に直読を肯定するとしても、音に拘るより字義に拘って学習したほうが直読の近道となる
そこが万葉仮名と一緒くたに考えにくい点だ 生意気な吉川裕のおちんちんに
ハバネロペッパーをかけて
痙攣してイキそうな所を
アナルから焼酎を呑まして
フィニッシュしたい >>244
國破山河在を guó pò shān hé zài と読んで理解することだけを直読というわけでもなかろうに
これを全く奇想天外な発音で読んだとしても、例えばどこかの宇宙人が ポンパンウェコタン と読んだとしても、
字を先頭から順に読んで理解しているなら直読になるわけで
だから変な読み方をしろとか言ってるわけじゃないけれど 生意気な吉川裕のおちんちんに
ハバネロペッパーをかけて
痙攣してイキそうな所を
アナルから焼酎を呑まして
フィニッシュしたい
裕ちゃんの出した下痢を指に絡めて
裕ちゃんに舐めて欲しい
きっと気持ちいい >>246
「國破れて」はどうして間違いなんでしょうか?
教えてください。
問題なのは「國」ではなく「破」の訓でしょうか?
「破」は「壊」が基本の義で、この場合は「攻敗敵」の義と解釈していたのですが、違うのですか? >>249
吉川何たら言ってる時点でまともな人間じゃないのわかるでしょ >漢文に用いられる古典中国語が本国において時間を経て現代中国語へと変化
した歴史は、
>ラテン語とイタリア語へとの関係に比することができる
>>1の言ってるこれって大嘘だよな
数千年前から漢文は純然たる文章語で、口語と乖離してたはずだけど >>249
君は未熟だから解らないと思うけど
経典と向き合っていれば自ずから明らかになるはずだよ
勉強が足りないね >>250
まともじゃないのは
私と裕ちゃんが一緒になれない世界の方だよ!!! >>252
杜甫の詩は、経典か!?
現代語の「经典」の意味で言っているのか。
以下、無視した方が良さそうなレスだな。 >>254
他人を馬鹿にしたいと言う心を
コントロールしなさい
それでは小人ですよ >>251
「漢文が数千年前から純然たる文章語」について詳しく。
具体的に何年ほど前から口語とどの程度乖離していたのか具体的な根拠と共にplease
ちなみにラテン語から乖離した口語がイタリア語なんだけどな >ラテン語から乖離した口語がイタリア語
まわりがみんなイタリア語しゃべってても
ラテン語喋っちゃう男の人って・・・ >>258
251じゃないけど少なくとも敦煌文書のコータン語音訳では
今の口語とそう変わらない言葉だったように記憶している
1000年前だけど
詳細は高田時雄『敦煌資料による中国語史の研究』を 政治的に言えば
チベット語やタイ語と同じ音にしたい人がいっぱいいるみたいよ<
古代中国語 ラテン語も古典ラテン語が文献上に確認される時期には既に
それと乖離した口語(俗ラテン語)が存在してるしな。
「口語との乖離」を理由に>>1が大嘘だと主張するのはよく分からない。
まあ感情的な反発なのだろうが。
古典中国語(漢語)と現代中国語の関係をラテン語と現代イタリア語になぞらえることは
そもそも前スレではむしろ現代中国語読みに反対する立場の人間が使ってた比喩だったはず。
「ラテン語を読むためにイタリア語を勉強しろというようなものだ」云々と。 >>261
政治はあんまり関係ないような
梅祖麟や潘悟雲、鄭張尚芳でしょ
チベット語やタイ語については自分はよく知らないが
少なくとも日本呉音を用いて例証しているものはかなり適当なんで
イマイチ信用できないね
声調の別義機能とチベット語の対応とかも >>260
一般に日本語の用法として千年前を「数千年前」と称するのは無理があると思う。笑 政治は関係ないと言ってる人に限って創価だから信じられないね
古典なんか解釈してる時点で信頼できない人間なんだよ 創価<政治性はないよ 解釈に政治性は反映しないよ
客観的に他の宗教を資料として検証するよ
↑
もう何も信じない 政治経済に興味ないと書いていた裕ちゃんは
「出版の商品経済を通して庶民化した江戸儒学」とか言うレポートを
書いていたのなの
きっと悪い人に洗脳されているの
私が守ってあげるのなの 「漢字は表意文字なので発音が分からなくても意味が取れる」というのは
よくある誤謬。
実際のところ、発音が分からなくても意味が取れるのは表音文字でも変わらない。
仮にアルファベットの音価を全く別の音と置き換えても、
或いは訓読のごとく全くアルファベットの羅列と無関係に発音しても、
特定の綴り(漢字における特定の字形)を特定の意味と結びつけた理解を前提とすれば
解釈は可能だし、
現に中世ヨーロッパではラテン語文献は現地語式に発音されていた。
「発音が分からなくても意味が取れる」ことと、
「発音が分からなくても原文の情報を十全に把握できる」ことは別。
>>1で挙げられているような音的要素もまた原文の持つ情報であるし、
それは詩においてはディテールの重要な半ばでありうる。
プロットのみが取れれば可とするか、
或いはディテールに及んだ理解を欲するかによって
音的要素の鑑賞を必要とするか否かは変わってくるにせよ、
発音を無視しないことが原文情報の理解に資することまでは否定できまい。 稚拙な漢文を懸命に書いたところで反論にはならんのだわ。ごめんな。 Wikipediaにはこうある
漢文はその発生の初めから知的に整理された中国の文章語で、紀元前の文献である『論語』や『孟子』のころにはすでに記載語として成立していた。その文章は当時の口語の煩雑さを整理して、より簡潔な形に凝集させたものである。
黄河流域に発生した黄河文明は、言語を筆記する文字として漢字を生み、漢字で文字記録を行う文化を発達させた。ところが、漢字は異なる言語を用いる複数の文化集団によって受容されたため、漢字による文章を取り交わす圏内で共通の文語が形成されていった。 ああ、じゃあ当初から口語と乖離していたラテン語を変わらんな。…で? >>270
物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣。 はい、また逃亡ですか。
懲りない御仁というのは、論破されるたびに
「以後レスを断つ!」「エサをやるな!」などと宣言し、
その舌の根も乾かぬうちにまたこのスレに戻ってきてしまう
自制心のない御仁のことをいうのだろうなぁ。微苦笑 オレは漢文ができる!と息巻きながら
誰でもできるコピペで済ましてしまってよろしいので?苦笑 こんなところでマジになってる悲惨な奴を観察して楽しんでます 「オレはマジじゃない」
あー、これも反論に詰まった子がよく陥るところだよね。
スレが立つや否や現れてさんざん喚きたおした御仁が今さら言っても
説得力を欠くことは否めないけれど。はは。 いやー、流石にコピペは気づくよな
気がつかずに「稚拙な漢文」とか言わせたくて罠仕掛けたつもりだったが、無理があったね
また他の罠でも考えることにしよう
おちょくると楽しくて楽しくて仕方がないんだよ 今日も李商隠をピンインで読んで、現代語訳で理解してますかぁ?
なんて凄い漢文の達人なんだ! 浅知恵をあっさり見破られてしまい、
とりあえず「おちょくってる」と言い繕うあたり、
相当マジになってるんだなー(棒 ま、従来通り馬鹿はどうでもいいや。
スレ主の主張や認識を打ち砕くような指摘、論理的な反論などをお待ちしております。w プロファイリング
漢文なんでロクにできないが、学生になって第二外国語の中国語を受講してピンインの読み方を知った
そこで、漢文板で「漢文も中国語で発音すべき」と言って自己愛を満足させている
以上、当たってるかも知れないテキトーなプロファイリングでしたー 悔しいのは分かるが、君の願望を幾ら書き込んでも痛くも痒くもないからさ。
少しくらい論理的な反論をしてごらん。苦笑 なぜ中国語関連のスレではなく漢文スレなのか?
それは、中国語のスレでは中国語ができないことがすぐバレるから
漢文ならちょびっと高校でやったから何とか誤魔化せるだろうと判断した
これまたテキトーなプロファイリングでした 漢文でレスして実力を見せつけるはずが
コピペを見破られておおわらわの巻 >>287
そういうつもりなら最初からコピペするって
今まで作文する意味が無いだろ
多分、プロファイリングは当たらずとも遠からずだと思うよ
まぁ2chなんて元々自己愛を満足させるための娯楽場だから、どんな人が出入りしたところで構わんだろうけど 「漢文ができるオレ」をアピールして自己愛を満足させたかったのか…。
しかしコピペがバレた言い訳が「罠だったのさ!」って 自己愛強そうな奴見ると、どうやってイジメようか、いかにして恥をかかせようかと考えてしまう癖があってね
まぁ趣味みたいなもんだから大目に見てくれ
相手だって恥をかいたとしても匿名だからどうということもないだろうし >>289
この種の願望による認定って、自己紹介になっちゃうから怖いよね。
「こいつは自己愛で書き込んでるに決まってる!」と思い込んでしまうのは、
「自分なら当然そうする」という前提があるから。
この世には色んな思考や動機を持つ人間がいる、という想像力が欠如している人間は
自己の思考様式が他者に遍く共有されていると思ってしまう。
結果、こうした安易な断定を開陳して、自己の思考様式を晒してしまう。
「人を論じる議論」はつくづく自刃への道だなぁと思うわ。 で、お前じゃなくて他の人が反応したりとか
他の人には読めて、お前はなぜ読めないのかなー
ド素人だろ? 既存の句を剽窃してまで「漢文が書けるオレ」を主張したり、
執拗に相手を「ど素人」認定してみたり、
こいつの書き込みは徹頭徹尾、「オレはお前より偉いんだ」主張だからな。
「自己愛が強い」ってのはなるほど分かりやすい自己投影ではある。 コピペはあんたが稚拙だとか言った後の2文だけだが
だから言ったろ、稚拙だとか言い始めたから罠張ったんだと なんか、また変な非難合戦になってるな。
漢詩なんて、中国人も意味分からずに、
小学生の時に暗記させられる。
酒も飲んだこともない小僧に、
李白の詩の意味がわかるわけないよ。 「文章語では音的要素が全く省みられない」というのなら反論になるが
作詩において平仄や脚韻の規則が厳密に定められていることからも分かるように
「文章語」であっても音読されることを想定して
音的要素を表現の一部としているわけだよ
文章語か口語か、という差異は
音的要素が必要か不要かという話題とは別個。両者を混同しないように。 >>300
於文言文音讀之所宗也
何無音得意之正鵠 詩経はそもそも歌われていたものを文字に記録したものだろうし、
その後の詩も基本的には歌われることを想定して作られている。
李白の清平調が玄宗の前で楽人に奏されたのをはじめ、
唐詩が歌われるエピソードなんて史上に枚挙に暇がない。
詩は口語でなく、なおかつ音と不可分のものだね。 王昌齢が二人の詩友と酒舗で飲んでたら歌手がうたいはじめたので
誰の詩が一番歌われるか競ったというエピソードもあったなー。
一般的に詩とは発音という行為を通じて鑑賞されるものだったんだろうね。 王維の「相思」は李亀年のオハコだったとか
要するに漢詩は今の流行歌の歌詞みたいなもんだわな。
愛唱されることで享受される芸術。 >>307
謂而無對者也不亦悲乎
欲相語詩而爾不解吾言 扮智者與悪文家相鬧
倶有蛮勇而無礼
吾謝於第二頻道之諸士 ごめんな。二匹で頑張って荒らしても痛くも痒くもないんだ。w
論理的な反論でもない限り。 稚拙な漢文を恥ずかしげもなく書き込めば認めてもらえると期待してるんだよ。
ただ惜しむらくは中身が空っぽで論点にかすりもしない内容ばかりなので
ああ、やっぱり馬鹿なのだなあと納得させる効果しか生んでいないことは
悲劇というべきか、喜劇というべきか。 >>312
論理的も非論理的も何も、今日は反論らしい反論は何もしとらんが
というか、>>302や>>304が君の読解力だと反論や暴言に見えるらしいね
たまたま何となく意味のわかった>>310に反応してみただけだというのがよくわかる
もっとも、「二人で君を困らせるために荒らしている」という趣旨ではないので誤読だけど たまに脈絡なくマトモな文を書くと思ったらコピペだったりするんだな。
しかも『大学』。せめてもう少しマイナーどころから盗めば良いのに。w だいたいにおいて漢文なんて楽しきゃいいんだよ
俺は職業にしてるわけでもねーし
漢作文だって単なる遊びだ
普段普通に仕事してんだから、仕事以外のことなんぞテキトーだよ 「反論になってない」と明言しているのに315の読解力では「反論と認識された」ことになるのかー。
漢文以前に日本語お勉強した方が良いかもねえ。
なお、当方、悔しさに任せて論旨に絡まないレスを延々と書き込むことを荒らしと規定しておりますゆえ、あしからず。 >>317
それは説明したろ
稚拙だとか言い始めたからやったと
「どうせ読めてないから名文を見ても稚拙だとか言うはずだ」と思ってね
さすがにコピペはわかったようだが >>321
そう言いながら毎日相手してくれるので嬉しいよ
からかい甲斐がある
これからも下手な漢文でレスしてあげるから、一生懸命読んでくれ >>319
相手を「反論になってない」と批判するのは、相手が批判のつもりで何らかの発言をした場合だろw
でなければそんな物言いをする必要ないってw 「かまってちゃん」は馬鹿にされても構ってもらえれば満足なんだよ。
ま、「荒らし」とも言うんだけれども。w 何にせよ、君が読めるとは信じてないよ
過去の経緯を見る限りね
読解力が高いとは思わない
他人の文を稚拙だといいつつ、自分はどんな文が書けるのかと思うし 喧嘩ふっかけたキッカケは「こいつ屁理屈並べてるけど漢文できんのかぁ?」って思って試しに突っついてイジメてみたんだよなぁ
もちろん、遊びとしてね
ほれ、たまにいるだろ
将棋の本読んで「定跡ではここで端歩を突くのは悪く、最善は角を交換して・・・」みたいに知ったかぶって、
いざ他人と指すと激弱なやつ
失礼ながら君をその類と判断してイジメを決行したという次第
俺はイジメ大好き人間だから、常にイジメ甲斐のあるやつを求めて2chを放浪しているのさ >>328
掘れるケツを探してるようにしか見えないのなの 生意気な吉川裕の♥♥おちんちん♥♥に
ハバネロペッパーをかけて
痙攣してイキそう♥な所を
アナル♥から焼酎を呑まして
フィニッシュ♥したい
裕ちゃん♥の出した下痢♥♥を指に絡めて
裕ちゃん♥に舐めて欲しい♥♥♥
きっと気持ちいい♥♥♥♥
うんちまみれの裕ちゃんが好き♥ 漢文で飯を食おうとするなら、
相当な鍛練が必要。
間違いなく抑揚をつけて、
中国語で発音しようとするなら、
更なる鍛練が必要。
黄文雄が、古典学習を批判してるが、
むべなるかな。 漢文ってコンテンツ維持する税金が無駄
NEETしててくれた方が
世のため人のため 富裕層だって
資本を殺す漢文厨に飯を食わせるために納税してるわけじゃない
あんまふざけた事してると罰が当たると思うな
もう当たってるか
漢文ある大学ブラックだもの 漢文で税を食うことを目的に生きてる人達がいるなら
軽蔑するよ
親に楽させたいから国立とか
もっともらしい事言うけど
自分の親を顔の見えない納税者より重くとらえる人間を
君子だとは思わないよ
公人だとも思わないね 日雇い労働者層
富裕層
会社員
いろいろな人と話して
漢文の話なんか喜ばれた事一度もない
せいぜい老人ホームの老人くらいだよ
なんで漢文厨のアイデンティティのために税金が使われてるんだよ
本出したって研究室の飲み会で自慢するだけじゃないか 老人ホームで漢詩教室でもやれば?
少しは市民に還元しろよ 喧嘩をふっかけた結果、>>328が激弱だったというオチか 相手の力も未知数じゃん
ウンチクタレる以外何にもしてないんだから
こちらは下手だろうが何だろうが読み書き出来ることを証明してんだし 中国語の発音で読みましょー、みたいな凡庸な主張でここまで理屈並べてウダウダやってんだから、ある意味特殊な才能ではある
漢文ができるかどうかは別だけど
ピンイン読むのなんて俺でもできることだし
他にウェード式や注音符号も覚えてるが、
だからって此奴のように発音ガーみたいなのはどうでもいいけど 前スレで本人が現代語訳みるまで意味がはっきりわからない、と言ってるし
自分で書き下しや翻訳ができるのが専門家レベルだから、そこから遥かに遠い
他人の実力をとやかく言える程の能力ではなかろう 創価奴隷の事を専門家と呼んでいるのか・・
おもしろい! >>345
おまえがな
漢文できるように精進しろよ 必死で反論したあげくに「からかってただけだ」と言い出すのは
バカがプライドを守ろうとする際によく見られる行動様式だな。
これまでのパターンから見て、そろそろ「もう無視する!」宣言が来るんじゃないかな。
そしてID変えて再登場、の繰り返し。 未だに「オレの方が漢文ができると認めてくれ!」やからなぁ。
お前のことなんて誰も興味ないよ、と。 世の中からお金を貰うことと
世の中を小人呼ばわりすることは
矛盾するよね
世の中はそういう人が大嫌い 俺の方ができるとか言ってないのだが
お前が出来ないと言ってる ちんぽの長さとか
わかりやすい事で勝負したらいいのにね 漢文板もだいぶ人間の言葉を話すようになりましたねえ
あとは漢文が滅びてくれればいいんですけど まあ、ネット上でくらい認められたいんだろうな。
あんまり馬鹿にするのも可哀想という気もしないでもないが
あの程度の稚拙な漢文や愚にもつかない漢詩を書き散らされて
誉めるわけにもいかんしなあ。
どうせこのタイプは認めて貰えないと根にもって居座るだろうし
適当にオモチャにして遊ぶとか、使い道を探さないとな。 昔の文士様だって芸妓がうんぬん酒がうんぬんしか書かないんだから
漢文厨の知能指数リミットは元々かなり低い あれだけ大言壮語する人物が、漢文に関して素人レベルらしいから突っ込み入れとるんだが
>白文と書き下し文を読んだ時点では漠然としたイメージが湧くだけで、
>正確な意味を掴むのは語釈や現代語訳を読んでからだよ。
前スレでこれだからなぁ
これを指摘したら「現代語訳見るだけで漢文出来ない認定した」とか反発しとったけど
自分で書き下しや翻訳が出来ないのを出来ないと言うなら何を出来ないと呼べばいいのか また発作が始まったか。 「オレの方が上だ!」アピール。
「なぜならあいつは現代語訳を参照するから」
他人の訳を参照すると読めないことになっちゃうなんて恐ろしいわぁ >自分で書き下しや翻訳が出来ないのを出来ないと言うなら
失礼
書き間違えた
訂正
自分で書き下しや翻訳が出来ないのを出来ると言うなら 大した実力もないのに匿名家自慰版で「オレは玄人だ」とか
自分を権威付けしたがる子って
どんだけ承認に飢えてるのかと同情すら覚えるわ そもそも「大言壮語」ってどのレス?具体的にレス番挙げてみ 現代語訳読むまで理解出来ない言い訳として、李商隠は現代語訳を見ないと理解できないとか言い始めたし
それを書き下したり翻訳してる人は何なのかと これだけ漢文が出来ない証拠だらけなのに、専門家でもここまで言わんだろうと思うほどに断定的な物言いをし、反論があると片っ端から頭ごなしに否定
どれだけ偉い人なんだ?
自分を天皇か何かと思ってる? で、そういう生意気なガキ見るとイジメてみたくなるんだよなぁ もう論語や唐詩の書き下しはいらないよね正直 余ってる 漢文の書籍に付されている現代語訳を参照するというのは、
専門家による解釈に謙虚に耳を傾けるということだな。
李商隠の詩は典拠が多用されていて、専門家でもその同定が難しい。
まあ、漢文の玄人たる365の手にかかれば
当然専門家よりも正確な解釈が可能なのだろうが(w 時代ごとに解釈が変わるなら
自分の意見を直接言えるようにすればいいじゃない
論語はいらない 「大言壮語」って具体的にどれ?
君の被害妄想でないのなら、提示してみ ま、「現代語訳を参照する」程度の理由で漢文ができない証拠だと言い出したら
専門家は皆365よりできないことになっちまうわなぁ。w
問題はなぜそこまでして365が見え透いた虚勢を張りたがるのか、という点だろうな。 >>368
それだと、英語出来ない人が「翻訳があるから英語読めなくていいや」と言ってるのと同じになってしまう
やはり自力で理解しようとする努力は必要だよ 英語で書かれたものは
読まれる価値がある
漢文には ない 自分の稚拙な漢文能力が唯一のとりえで、
せめてネットでは認めてもらいたい。
勢い込んでドヤっと漢文でレスしたら、
あっさり「稚拙だ」などと貶されてしまった。
悔しくなって『大学』の句をコピペしたら、
あっさり「コピペだ」などと見抜かれてしまった。
そりゃ恨み骨髄に徹する気持ちも分かるけどな(w >>372
すまんが意味が分からん
どの漢籍も最初に訳した人がいるはずなんだが
彼らも現代語訳を見ないと意味を理解できなかったわけか
矛盾しとるね 市民が望んでるのはデモクラシィであって
儒教の重農奴隷税金泥棒制度ではない
あ、新潟や宮城は知らないよw >それだと、英語出来ない人が「翻訳があるから英語読めなくていいや」と言ってるのと同じになってしまう
全然。英文学の専門家でも他の専門家の解釈を参照することはある。
他人の解釈を参照する=自分で解釈しない、という君の発想がまさに「できない子」の発想。 >>375
君は言ってもいないことを言うなと人には言うが、自分には甘いね
俺はできると言ってるんじゃなく、お前が出来ないと言っている
そして、コピペの理由もきちんと説明したはずだ で、「大言壮語」って具体的にどの発言?レス番あげて明示してみろよ。 >>378
>他人の解釈を参照する=自分で解釈しない、という君の発想がまさに「できない子」の発想。
>白文と書き下し文を読んだ時点では漠然としたイメージが湧くだけで、
>正確な意味を掴むのは語釈や現代語訳を読んでからだよ。
漠然としたイメージが湧くだけで、結局現代語訳を鵜呑みにするのは自分で解釈するとは言わん まあ、先行研究を一切参照する必要がない、現代語訳を参照する奴は漢文ができない、と豪語する奴よりは
素直に専門家の解釈を参照すると言う人間の方が謙虚だわなぁ(w 「漢文ができない」認定も妄想、「大言壮語」認定も妄想。
どこまでも空虚な御仁ですなぁ(w ああ、落ちる前に一言
二つID使ってるのバレバレだから 「大言壮語」の具体的なレス番を問われて一例もあげられなかったしな 「現代語訳を鵜呑みにする」とも誰も言ってない。
「語釈や現代語訳を参照して正確な意味を取る」。これは普通のことだわな。
発言を捏造してまで他人を貶めたがるこの執念は一体何なんだろうと思うネェ。
いずれにせよ捏造に基づく認定なんて一文の価値もない。 漢文厨が煽り合ってるのを上から眺める
これでいいんです >>1
訓読ではくみ取れない音の要素を味わうために直読が必要、
という点では誰も異論のないところなんだが
北京語音による理解が日本語の音読みに比べて
労力に見合うだけの理解をもたらすかという点では、
意見が分かれるだろうね 日本語による音読み、と一口にいうけれど我々の使う音読みは呉音、漢音、唐音、さらには慣用音が錯綜していて
統一的に読もうとすると半可な実力では出来ない。どのみち辞書を引きながら確認することになる。
そうすると普段使わないような漢字音をわざわざ漢文を読むだけのために調べる意味はあるのか、
他人がそれを聞いて分かるのか、という情報の利用価値の問題が出てくる。
かといって呉音漢音慣用音を確たる基準もなくごちゃ混ぜで使って朗読すると、
ある時代の音の再現でもない、無秩序な、つまり無意味な音になりさがる。
またいく通りも可能な発音によって他者に通じる可能性も下がる。
この点、
普通話発音はもっか中国で漢詩文の発音に用いられているスタンダードなので
統一的な発音という点でも、情報の利用価値という点でも日本語音よりは遥かに問題の少ない方法と言えるだろう。 >>395
中国語にも破音字があるがな。
字義が分かっていれば文章は読めるが、やはり音も解した方が良いのは確か。
個人的には現代中国語で読んだ方が理解が早いように感じる。 訓読で意味が分かるのはけっこうなんだが、
李白も杜甫も、訓読した際の文章を考慮して詩を作ったわけではないから
どうしても語呂が悪くなる訓読文は出てくるよね。
李白「越中覧古」の結句「只今惟有鷓鴣飛」なんかは良い例で、
訓読すると「タダイマタダシャコノトブアリ」。
語呂の悪い酷い文になってしまう。
逆に杜牧「江南春」みたいに訓読しても流麗な文語文になるものもあるけどね。 >>397
江南春絶句の書き下し文がなぜ流麗か。
千里鶯啼緑映紅 センリうぐいすないてみどりくれないにエイず
水村山郭酒旗風 スイソンサンカクシュキのかぜ
南朝四百八十寺 ナンチョウシヒャクハッシンジ
多少楼台煙雨中 タショウのロウダイエンウのなか
答えは簡単。音読みの部分が多いから。
訓じた字の多い起句はモタついてるが、
そこから先は音読みでテンポよく流れる。
原文のリズムが保存されてるほど、
読んだときの語呂もよくなる道理。 音読みが多いというだけでなく
そのおかげで七五調になってるのが大きいと思う あー、でも七言を音読みすると四字・三字で切れるから
音読みすると最大で八拍・六拍、結果として七五調になりやすいのは確かだな 以日語音讀、歉也
詠莫如以現代漢語音
其響如韶而如長江滔滔流
然於日本教之孰若不教
以爲寡得而多失
何則寡時而多勞
學子疏之、學統絶 >>399,400
然り。七言詩の四音節・三音節を音読みすると七五調に近いリズムになる。
ひょっとしたら七五調自体、漢詩を直読することで生まれたものかも知れないね。
結局、音から離れて訓読みをあてるほど、
原文のリズムは失われて、日本語としてもモタついた美しくない文章になってしまう。
ある意味原文レイプと言って良い。
訓読で意味を取るのは良いとしても、
読むのはやはり中国語音で読みたいよね。 >>402
日本語の音読みでも悪くないんだけど、やっぱり物足りないんだよね
詩を読むなら現代中国語音で読むのが最上だ
何しろ響きが音楽的だし、大河の流れる如く流麗だからね
だけど、日本においてそれを教えるべきか否かとなると難しい
思うに、メリットよりデメリットのほうが大きい気がする
なにしろ、ただでさえ授業時間が足りないのに、やることが増えるのだから
ただでさえ不人気科目なのに、余計に生徒に嫌われて、勉強する人がさらに減りそうだ
もちろんこれは、あくまで教育上の問題であって、中国語音による音読自体の価値に関わりはないけれど 教師が中国語で音読して見せるなど、限られた時間の中でも方法はいろいろあるだろうが
重要なことは漢文の読み方が訓読一択でないことをきちんと示すことだな。
そうすることで訓読を相対化でき、その利点と欠点を外部から把握することができる。
訓読一択の現状の教え方ではそれが見えない。 >>404
ほんらい学ぶべきは漢文を理解する方法であって、返り点を打つ方法じゃないからね。
両者をイコールで結んで訓読法の解説に終始してきた漢文教育の編成自体、抜本的に見直されて良い。
そもそも漢文は、日本語教育の素材としてこれを見るなら、
重要なのは書き下し文を正しく解釈できるようになることであるし
中国文学としてこれを見るなら中国語により直読されるべきで、
白文から書き下し文への変換過程には実は二次的な重要性しかない。
また現にいまのカリキュラムでは白文から書き下し文への変換が自力で行える域には至らない。
してみると訓読技法の解説に終始する現行カリキュラムは、既に墨守すべき理由を失っているのかも知れない。 >>405
我々の祖先は白文を訓読法で読んできたのだから、日本語の歴史および漢文が日本語に与えた影響を教えるためには訓読法の理解が必要
むしろ、今のカリキュラムはむしろ訓読法を十分に教えていないといえる
特に句法の説明ばかりで体系的な文法知識を教えなさすぎる
白文を自力で書き下せるくらいまで教えるべきだと思う
漢文を外国語として捉えない理由は訓読法で読めるからというのもあるが、かつて公文書や書簡で漢文が多用されたからというのもある
無論、皆が皆正則漢文を書けたわけでもないが、幼少から漢文教育を受けた教養人であれば読み書き共にできた
つまり、自国語の一部として取り入れてしまったということだ
だから、漢文を国語として教えることに何らの不自然もない
その上で、中国語学として学びたい者があれば大学で学べば良いことだし、
高校の段階で漢文法をしっかり教わっていれば、訓読法によって学んだ人であってもすぐ直読できるようになる 先祖代々漢文屋さんですか
それってすごくウザくないですか
一般市民に嫌われませんか われわれってお前ん家だろとしか思わない
我が国厨の正体が破壊的セクトだと知った今
何も真剣に捉えない >そもそも漢文は、日本語教育の素材としてこれを見るなら、
>重要なのは書き下し文を正しく解釈できるようになることであるし
実際、京大では国語の入試問題として漢文の代わりに明治の文語文を解釈させているよな。
つまり文系受験者も含めて「漢文→書き下し文」のプロセスを完全に捨てて、
「文語文→現代語」という解釈プロセスだけを要求している。
高校生にとって重要なのは訓読法でなく、国語力としての文語の読解力だと、
大学サイドは判断してるということ。 だから京大は東大より落ちると言われてるのか、なるほどな。 漢文→書き下し文、という訓読技法のプロセスと
書き下し文→現代語、という文語解釈のプロセスとを並べた際
後者がメインであって、前者は省略可というプライオリティの差は厳然としてあるわけね。 まあ現行の漢文教育で教えてるのは主として「返り点を付された文を如何に読むか」で、
「白文に如何に返り点を付すか」ではないからな。
返り点が付された文を書き下し文にするのは馬鹿でもできるから、
結局枢要なのは書き下し文の解釈ということになる。
その意味で京大は本質を突いているとも言える。
仮に漢文の授業時間が倍増すれば訓読に対する位置付けも変わるかも知れんが
現行の内容だと無視されても仕方ないがもんがあるとは思う。 先祖がやってたから云々などと言い出せば
漢字は舊字體に、仮名は舊假名遣ひに、四書五経を素読させて
数学は和算を、と際限なく過去のやり方に習うことになりかねないが、
現実には教育は時代のニーズに合ったより良いものに変えていくものだ。
現状で訓読技法がその意義を失いつつあるのは事実であって、
それは訓読法が持つ諸々の欠点と無関係ではない。
それを無視して訓読一辺倒の教育を説いても詮無いよ。
書き下し文だけに関心が向けられる状態を食い止めるためにも、
原文鑑賞のダイレクトな手段としての直読は取り入れられていい。 大久保利通は漢文でその息子は英語とドイツ語だったんでしょ
そのあたりの時代に漢文教養は滅びたんじゃねえ? 東大も漢文捨てればいいのにぃ
江戸城は堕ちたんだよぉ? 徳川も皇室も関東においやって
創価なんかは東北に隔離すれば
京都はリベラルってこと?解りません おいやったというか徳川はもとから江戸だけど
徳川に皇室をぶつけたやつらは誰なんだろうね
まあ漢文関係ないか >>414
>現実には教育は時代のニーズに合ったより良いものに変えていくものだ。
ならば漢文廃止の方向で 支那留学生が古典籍の講義に参加すると、文の区切りとかは
完璧にわかるんだが、意味を聞いてみると適当な大体の意味しか
取れてないやつが多かったわ。意味を完璧にとるには訓読がもっともよろしい。
緻密な読解が音読できるぞすごいだろ厨にはなかなかできないのであります >>422
それはよくある誤解。
”小野小町歌「わが身よにふるながめせしまに」の「ながめ」は
日本人にとっては「眺め」なのか「長雨」なのか曖昧だが
while I was looking..と訳せば前者の意味だとハッキリする。
やはり和歌の意味を完璧に取るには英訳がもっともよろしい。
緻密な読解できるぜ!”
…とかイギリス人が言ってたら「ちょっと待て」と思うだろ。
訓読というのは原文に特定の解釈を与えて和訳するプロセスだから
原文の解釈の幅、意味の幅よりも狭い訳を与えれることで、当然解釈は特定される。
それは確かに当該言語を母語としない者にとって分かりやすいやり方ではあるが、
緻密な読解ができたというのは勘違いというほかない。
上の例でいえば「眺め」であり「長雨」でもあるという方が、曖昧であるがそれでいて正しい。
訓読を含む翻訳とは一般に、原語の多義性を殺して特定の解釈を与える。
和語「かしこい」を、英語cleverや漢語「賢」と訳せば
「かしこまる」などと同源のこの和語が持っていた畏怖の念などのニュアンスは失われる。
それは緻密な解釈ではない。ただ原語の解釈の幅を勝手に削ぎ落としただけなのだ。
むろん多義性を表現の手段として用いることのない場合にはそれで事足りることもあるが、
詩のように言語の持つ表現を極限まで駆使するような表現形式においては害が大きい。 和歌の掛詞を漢文の曖昧さと一緒にするのもどうだろう。
掛詞は文学的効果を狙ってのものだが、
漢字は多義語だから曖昧にしたくなくても
曖昧になってしまって、解釈に困ることがある。
文法も簡素過ぎて、文法によってではなく常識で判断せざるを得ない。
厳密であるべき哲学書・学術書・技術書ですら曖昧になりがちだ。
勿論、対策がないわけではないけれど。
「労」一文字では言わんとしていることがわかりにくいので、
勤労・慰労・疲労などの連文にするなどすれば、この欠点は緩和される。
なんにせよ、この欠点を美徳だとするのは無理がある。 外国語に訳してみて初めて気付くこともあるからな。
少なくとも意味を緻密に理解していないと翻訳はできないのだし、
自分の理解をチェックするために日本語文を読みながら逐次英訳してみるのも良いと思う。
まあその場合も「翻訳すると理解できる」のではなくて
「理解できていれば翻訳できる」が正確だけどな。
必要条件と十分条件を混用するのはアホな文系の子にはよくあることだから仕方ない。 月耀如晴雪
梅花似照星
可憐金鏡転
庭上玉房馨
これは菅原道真が十一歳の時に詠んだ五言絶句『月夜見梅花』だが、
仮にこの転句を『憐れむべし金鏡転(てん)じて』と読んだとしよう。
そうすると、『憐れむべし金鏡転(めぐ)りて』とも読めるかもという考えが浮かぶかも知れない。
つまり、訓読しながらその多義性に気づいたり、作者の真意を探ろうという気も起こったりすることが多いのだ。
「理解できていれば翻訳できる」のは事実なんだが、訓読法のほうがかえって多義性に気づきやすかったり、
解釈のリトライの動機付けになったりしやすく、より正確な理解に近づきやすいように思う。
何となくわかった気がするのにこなれた現代語訳ができない中国人がいるのは、
おそらく何となくわかった気がすることに満足してしまい、深い解釈への動機づけが不足しているからなのだろう。 逆に考えてみよう。
「おおてらの まろきはしらの つきかげを
つちにふみつつ ものをこそおもへ」(会津八一『南京新唱』)
この歌を漢訳して鑑賞する中国人がいうわけだ。
”「まろきはしら」を「圓柱」と訓じるべきか、「梭柱」と訓じるべきか?
我々は漢訳することでその多義性に気づいたり作者の真意を探ることができる!
あわれむべし、原語で解釈する日本人は何となくわかった気がすることで満足してしまい、
我々のように深い解釈ができないのだ!”
これに賛同する426のような日本人もいるのかも知れないが、
俺なら首をかしげてしまうだろう。そしてこう思うはずだ。
”確かに一対一に対応する訳語がない以上、翻訳に際しては
原語より狭い意味の語彙を当てざるを得ない場合もある。
しかし、原語の「まろきはしら」を円柱や梭柱と限定することが、
果たして深い解釈と言えるのだろうか?
原語が限定していない以上、そのいずれとも限定しない解釈の方が、
正しくまた深いとも言えるのではないか?
少なくとも「日本人より深く理解できる」という思い込みは、
夜郎自大の謗りを免れないのではないか?”
と。 日本人は日常漢字を使ってるから漢字が多義語であることを知っている。
知った上で、その文脈で最も適切な解釈をしようとする。
逆に大和言葉を日常使用して、その義を理解している中国人がどれだけいるのだろう?
逆に例えるのがおかしいのは、漢字はすでに日本語の文字になっているのにその逆は無いからだ。 ちなみに「まろきはしら」を圓柱と訳すと、断面が円形の柱、ということになる。
しかしこれを立面が丸みを帯びた、いわゆるエンタシスの柱と解すると、
「梭柱」のように別の漢語を当てることになる。
じゃあ、正解は? 作者が意図したのはどっち?
――実は、両方、というのが正しい。
作者はこの歌を、同日に訪れた唐招提寺と法隆寺西院回廊の印象を併せて読んだと回想している。
法隆寺回廊の柱はよく知られているように丸みを帯びたエンタシスだが、
唐招提寺の柱はエンタシスのないただの円柱。
「まろきはしら」はそのいずれかでもありえるし、その両方でもありうる。 なお、いうまでもないことだが
「原語に対して複数の訳語が対応しうる」のは漢語と和語に限った話ではない。
和語であれ漢語であれ、或いは英語やフランス語やウルドゥー語でも、
異なる言語間での翻訳というプロセスには不可避の現象だよ。
問題は「より狭い範囲の訳を与えた」ことが果たして原文の緻密な理解と言えるのか、ということ。
私はそれは原語による理解に及ばないと思う。たとえ原語が他言語においては多義的に解されたとしても、ね。 >>430
同じ問題は漢文を中国語訳する場合にも起こるんだけど
漢文読解について、中国人が日本人よりどう有利なのか全然見えてこない もう少し具体的にいっておいたほうがよかったね
漢文を基準とし、正しい物と見做せば、
現代中国語なんて俗語だらけで文法的誤謬の多い変体漢文ということになる
日本の字音仮名遣い以上に韻書に合わない音で発音し、
中途半端に似ているけれど違いも多くて紛らわしい文法に悩み、
微妙な字義のずれに苦しみながら漢文を読むことが、どうして素晴らしい解釈につながるのかわからない 素晴らしい解釈に繋がる、なんて誰も言ってない。
432はじっくりレスを読み返してみたほうが良さそうだね。 >>433
だから、そんな状態でどう日本人より有利なのかと言ってるんだよ
それを「素晴らしい解釈」と表現したのは適当でなかったかもしれんが、そこは常識で理解してくれよ 「漢文は中国語です」と言うがたまにいるよな
そういう人は勘違いしてんだよ
「漢文は中国語でも日本語でもありません」というのが正解
漢字使ってるから普通話の音で読まれることが多いだけ
漢文を読むために必要なのは中国語の知識じゃない
漢文の文法と語彙だ
漢文は漢文として教えればいいだけ このスレの1で言ってるのは、音的要素を理解する上で中国語で読むのが有益、という話。
レス番420前後からの論点は、意味を理解する上で訓読みは中国人による直読より有利か、という話。
435は二つを混同してしまったのだね。読み返せば気付くのではないかな。 あと、漢文(古典中国語)と現代中国語のあいだに差異があるのは事実だが、
「漢文は中国語でも日本語でもない」というのは極論だな。
古典日本語(古文)が日本語であるのと同じ意味で、古典中国語も中国語の一部をなすと見るべきであって、
現代中国語とのあいだに差異があることだけを以て、
その差異を恰も日本語からの懸隔と等距離であるかのように表現するのは妥当性を欠く。 >>437
現代中国語からも十分遠い
語彙に関しては日本語のほうが余程近いだろう
語彙が近いからこそ訓読できるのだから
漢文からの遠さはたいして変わらない ここで英語は詳しいが漢文についてはよく知らない
という指摘がボディーブローのように効いてきたな。
さあおもしろくなってまいりました。 >>436
混同したからどうだというんだろう。
訓読の方が意味を理解する上で有利なら
音的要素の重要性も自然と下がる、
訓読みの有利不利の論争は重要な論点ではある。 >>432
>日本の字音仮名遣い以上に韻書に合わない音で発音
そりゃないだろう
曽・宕・通・江摂すべてオウ形で読む日本漢音が北京語より韻書に近いなんて口が避けても言えんわ
そもそも日本語のほうが母音子音数が少ないからこそ日本漢字音を用いての中国語音の復元が無理なんだし >>438
語彙的な差についてはとても気になる
漢文が訓読できて現代中国語の訓読が困難なのは、主に語彙の違いによるんだよね
とすれば、それこそが現代中国語と漢文に大きな差異がある証拠だから >>441
曽 ソウ
宕 タウ
通 トウ
江 カウ
摂 セフ
ngの音が無いという問題はあるものの、北京語より韻書に合いますが何か? >>443
漢音の話な
カウは呉音でカアウが類聚名義抄の音
呉音は中古音とは母体が違うとも考えられている
(梗摂一二等韻字がi介音を持つ形で表されていたり)
介音強化現象なんかも見られるし(対字)一韻中で主母音が異なるしで(斉韻が好例)「北京語より韻書に近い」とは到底言えないな
あと「摂」って韻鏡の16摂のこと
タウも呉音
呉音で言うなら通摂の舌音字(通・痛)はツウ形 >>444
全部漢音ですが何か?
字音仮名遣いは俗っぽく言えば漢字の旧仮名遣いです
『音韻闡微』で考えてみましょう
曽 慈恆切
宕 惰浪切
通 禿翁切
江 基腔切
攝 式摺切
全て当てはまりますね 韻書がどうとかいう話はもういいって
とりあえず元の話に戻そうよ >>446
漢音って普通典型的な長承本『蒙求』音を指すんだが。
字音仮名遣いについては自分の無知だった。
すまん。
ただ音韻闡微の反切と合うのはそりゃ当たり前の話
宣長以降音韻学を研究して作り出した架空の漢字音体系だからだな >>448
宣長らは伝来時の音の復元作業のつもりで研究したのだけれどね
少し強引なところもあるのは確かだけれど
この話題はこれくらいにしておこう
話を戻したい方も居らっしゃるようだし >>449
言ってみりゃ推定中古音価のカナ読みだよな
思っていたより優秀なものだ
正直なところちょっと惹かれてしまったw
どうも反切と完全に一致しない例(権ゴン=呉音特有の仮名音形を字音仮名遣いとする例)もあるみたいだけど
まあこの例も上古に円唇母音が合ったとか無かったとか言われているから今のところ一概に間違いとも言い切れないけど
スレ違いすまん。ではロム専に戻ります 「中国語で読む」と言っても
>>1で言ってるのは(音的要素の鑑賞のために)「現代中国語の漢字音で発音する」という意味。
>>431、>>435あたりが捉えているのは(語彙文法を含めて)「現代中国語として読む」という意味で、
そこが根本的にズレてるから話がかみ合わない。
少なくとも我々日本人が漢文を読むには、原文からダイレクトに訳すか、
或いは伝統に従って訓読による書き下し文語文を経由して訳すかという選択肢はあるにせよ、
何らかの形で現代日本語に翻訳して把握する所から入るしかない。
ただそれら訳読では原文の音的要素が失われてしまうから、
直読によって音的要素を捉えることが理解に資するだろう、という点には異論はあるまい。 今年の漢字って何?
悪徳営利団体の漢検がやってるただの余興だろ?
それなのに総理に聞いたり、学校の授業でやったりって、、、、
なんで一文字なの?漢字って熟語にして使うほうが一般的だけど?
ひょっとして名字が一文字の国のやつが支持してるの??
「今年の漢字は○」
↑日本語で頼むわ 音的要素の鑑賞が直読によるほかないとしても
プロットを取るのに訓読が最善かということは、また別に論じうる
外国語文を現代日本語に翻訳する方法としては
学校での英語教育のように原文を直読して訳す方式、
漢文教育のように一定の型にはめて作る「半翻訳文」を経由して解釈する方式があるが
特に後者が優れているとか、後者が必須である根拠はあるのだろうか 訓読で学んだ人でも熟練者は頭から順に追って読める
中国人でも未熟だと音では直読してても意味は行きつ戻りつして理解している
「中国人がどうして返り読み?」と思うかもしれないが、
句や節の切れ目、修飾・被修飾の関係、品詞の種類などを直読で判断できずに右往左往することがあるからだ
頭から順に発音しさえすれば意味を直読直解できるわけではない
それが簡単にできると思うなら、本当に難しい文を読んだことがないか、単なる嘘つきだろう
漢詩は句の中を五言ならば二・三、七言なら二・二・三と区切れるので構造がわかりやすいが、
それならば、訓読で学んだ人でも熟練者なら、無理に訓読せずとも先頭から追って解釈できてしまう
結局、訓読が良いか直読が良いかという問題ではなく、頭から発音しさえすれば英語のごとく直解できるという楽観主義が間違えているのだ
外見上、漢字が石畳のように並んでいるだけで、しかも品詞も比較的自由かつ曖昧である
だから、漢文は英語などより構文の把握が難しいのだ
音的要素を鑑賞するために直読するのは大いに結構だが、直解できるかどうかとは関係ない >>454
よく言った。
極めし者ぞ得る達観。
名詞や動詞の區別がない漢字に、
中国人も、嘆いているアル。 >>454
「訓読=構文を取る、直読=構文を取らない」という分かりやすい論理の摩り替えだな。
「頭から発音しさえすれば意味が取れる」などとは誰も言っていない。疑うならレスを探してごらん。
英語であれ中国語であれ、その他の言語であれ、
文構造が複雑であったり文法的意味が確定しにくい語句があった場合に
読み返して構文を捉え直すことはある。
漢文以外はそうした過程なしに「直解」できるというのなら、
それは本当に難しい日本語文や英文を読んだ経験がないからだろう。
そうした読解のための構文分析を「右往左往」「返り読み」と呼ぶことはいい。
しかしそれは「訓読」とは言わない。
454のような主張は根本的に、訓読が文章理解のプロセスだという誤解に基づく。
「訓読すると構文が分かる」のではない。「構文がわかると訓読できる」が正しい。
訓読の後に構文把握があるのではない。構文把握のあとに訓読による理解も、直読による理解もあるのだ。
それを理解した上で再度反論を考えてくると良い。 英文解釈でもまずはSVOCや関係詞節などを認識して文構造把握してから和文作るからね。
漢文も同じ。「読書」は読がV、書がOという認識があって、そののちに「書を読む」と訓読できる。
ただ、日本語文や英文や漢文その他に対する通常の読み方(直読)だと
原文(脳内)音読→品詞構文把握→内容把握、という順序で理解するんだけど
漢文訓読の場合は原文をそのまま読む最初のステップが抜けて、
品詞構文把握→書き下し文作成→内容把握、と代わりに後にワンステップ挟むことになる。
それが本質的な直読と訓読の差。 >>454 の
>漢文は英語などより構文の把握が難しいのだ
という論点は避けてどの言語でも直解はできないという
論点にずらしてきたな。ピンイン教育は中国語教育ではない
と言っている人だからどこまでも言い張ってくるだろうな。
さあまだまだ続く。 >>457
漢文は英語などとは異なり品詞が曖昧なんだよ
「読書」は「書を読む」以外の読み方もできる
「読む為の本」とも読めるだろう
「読本」などはまさにそうだ
こんな単純な例ですら紛れがあるのに、直読直解の方法や難易度が他の言語と変わらないわけがない ある言語が他の言語より難しい、というのは俗によく言われることだが、客観的な根拠は無い。
漢文も英文も、難解なものから平易なものまで様々なものがあり、
漢文が英文より常にその内容を理解するのが困難であるという主張は説得力を欠く。 また、仮にあらゆる英文より難解な構文を用いた漢文を読まなければならないとして
そのために訓読が必要であるとか、有利であるということにはならない。
何となれば既に指摘されているように、訓読にせよ直読にせよ、
内容を理解するためには構文を把握せねばならないという点に差はないからだ。
訓読というのは、構文を理解した然る後に、その理解を表現する仕方である。
構文の理解に先立って訓読というプロセスが存在するのではない。
ゆえに「訓読では理解できて、直読では理解することができない構文」といったものは無い。 自分が親しんでいるものが特別難しいものだ、と思いたがるのは人のサガだからねぇ。
漢文の構文が特に複雑だというのは、まさに漢文だけを知る井の中の蛙にしかできない主張だと思うよ。
俺は未だにコンラッドやヘンリー・ジェイムズのように複雑な構文を駆使する漢文を見たことがないが、
品詞が区別されるからこそより複雑な構文を使えるのかも知れないね。 >>462
「品詞が曖昧」だから「訓読が有利ないし必要」
という論理過程が不明だと指摘してるんだけど、理解できなかったのかな。 では、訓読は直読に対して構文読解上なんら有利ではない、という認識なのかね。
それならば456の指摘に戻るだけのことなのだけれど。 中国語の発音で読むことと直読直解は無関係という話だったような
下記の文章は『礼記』からの引用だが、これを初見で英語などの品詞がわかりやすい言語と同様に読めたら天才だ
こいつはまともに漢文読んだことないんじゃなかろうか
読んだことがあればそんな発想は出てこない
曾子寢疾病樂正子春坐於床下曾元曾申坐於
足童子隅坐而執燭童子曰華而v大夫之簀與
子春曰止曾子聞之瞿然曰呼曰華而v大夫之
簀與曾子曰然斯季孫之賜也我未之能易也元
起易簀曾元曰夫子之病革矣不可以變幸而至
於旦請敬易之曾子曰爾之愛我也不如彼君子
之愛人也以コ細人之愛人也以姑息吾何求哉
吾得正而斃焉斯已矣舉扶而易之反席未安而
沒 >>456の指摘をもう一度読み返そう。
>英語であれ中国語であれ、その他の言語であれ、
>文構造が複雑であったり文法的意味が確定しにくい語句があった場合に
>読み返して構文を捉え直すことはある。
>漢文以外はそうした過程なしに「直解」できるというのなら、
>それは本当に難しい日本語文や英文を読んだ経験がないからだろう。
>>467のいう「英語と同様に読める」が正確に意味するところがよく分からないが、
仮に英文の読解において構文分析が一切不要だと思っているのなら大きな間違いだ。 知る限りいかなる言語においても、
各語の文法的な役割を確定して内容を把握するために分析的な作業を要する文章というのは存在する。
ゆえに「頭から発音しさえすれば意味が取れる」などということは
英文や日本語文においても成り立たないし、現に誰も漢文につきそのようにに主張したことはない。
それが>>454以降の話の趣旨だ。理解できた金。 英語で構文解析が不要なんて言ってない
構文解析の難易度がどう見ても同じではないと言っている
品詞が分かりにくいということは、どれが述語動詞であるかという初期段階で躓きやすいということだ
英語なら、どれが動詞だろうかと悩むことなんて滅多にない
それを「同じだ同じだ」と言い続ける神経がわからない 構文解析と品詞の識別の不可分性をあえて無視する詭弁を聞くのはウンザリだ 構文解析をするにせよ、>>467に挙げたような文言文と英文では全くてまが違うのは明らかだろう
漢文をまともに読んだことがない人はいいねえ
悩みがなくて >>467
いや、日本語訳で良いから一度「ねじの回転」とか読んでみ。w
英語は関係詞が発達してるから、これを表現手段として駆使する作家にかかると、
従属節を二重三重に入れ込んだ複雑な構文が幾らでも作れる。
そういう文は日本語に訳しても頭つかって文構造を把握して読むことになる。
「頭から読めば理解できる」ような単純な文ばかりでないのは、
漢文だけでなく英語その他も同様、というのが英文読みの率直な感想だなあ。 もっとも難しい漢文の解釈と、もっとも難しい英文の解釈との間に
【難易度の差がある】と主観的に思うのは自由だと思うが、それを客観的に主張したければ
単に「品詞を自ら識別しなければならない」という漢文の難点だけを挙げてもダメだろう。
英語とて膠着語でないから文構造に置かなければ格が決定できないし、
関係代名詞・関係副詞を用いた階層的な文構造が発達しているという難点がある。
そういうものを総合的に比較しないと、いちがいに漢文が英文より難しいという臆断は説得力を持たない。
いずれにせよ、「漢文は難しいから訓読すべき」と主張しない限り
(また現に>>465においてそうした主張は否定しているが)、
訓読が直読よりも漢文の解釈に有利かという>>453以降の論点には絡まないよ。 漢文は文章に特化してるから、口語としては使い物にならなくなるほどに文法を極端に簡略化してる
それが漢文の構文解析の厄介さなんだ
だから、他の言語と同列に考えるべき程度のものではない
関係詞の入れ子も難しかろうが、品詞の分類からして分からないというのはかなりキツいんだよ
さっきの例文だけと、難しいといってもまぁ普通の文言だよ
さっきの「読書」のようなものですら、品詞が曖昧ゆえに構文解析に紛れが発生するわけだ
それをかんがえれば、普通の文だったら如何なることになるか容易にわかるはずだ 訓読が特別にゆうりだとは言えないが、訓読法は、パターン化して学ぶことによって、構文を見抜きやすくするトレーニングをしていると考えればよいのでは?
一つの学習法としての価値はあるだろう 漢文の「難しさ」と英の「難しさ」が全く同じとは言わない。
難しさの質的な差はあると思うよ。言語ごとの特質はあるわけだし。
英文と漢文、あるいは他言語の「難しさ」は、質的には同じじゃないでしょう。
ただ、それを「難易度」のような量的な差に還元して「漢文の方が難しい」と言っちゃうと、
ちょっと待てと思うわけよ。
少なくとも漢文を読むときに感じるものとは違った「難しさ」が、
ジェイムズやコンラッドを読むときには確かにあるわけで
言語ごとに異なる難しさを一概に比較して漢文の難易度が高いと言いたければ、
定性的な言及だけじゃ到底通らないでしょうよ、と。 構文を見抜くのは直読による読解でも行われている。
訓読が特にそのトレーニングになるという論理的な根拠に乏しい。
そもそもパターンで見抜けるような単純な構文については
別にトレーニングの要もないと思うのだが。 何にせよ、「読書」を「書を読む」という意味以外で解釈出来ないと思い込んで例に挙げる人に、本当の意味での漢文読解は無理だよ 確かに、読書をVOの例として挙げただけで
”「読書」を「書を読む」という意味以外で解釈出来ないと思い込んで”いると
安易に思い込んでしまう御仁には、
漢文読解のみならず文章読解一般が不可能、という見方も可能だろう。
しかしそうした人間にもここで議論に参加する権利は認めたい。
願わくば、論理に窮した際に相手の能力を貶めて優位に立とうとする習性を治した然る後に、だが。 最終的に「何にせよ」で打ちきって
強引に「こいつは漢文ができない」、に持っていくわけね。
わかりやすくて良いけど、ワンパターン過ぎ。w >>480
「読書」ほどに初歩的な部分で解釈が割れるのは、英文では起こらない
ジェイムズやコンラッドが難しいのとは話が違って、簡単な文でも落とし穴だらけなんだ
漢文をまともに学んだ人ならそんな事は当然のごとく知っていることで、
そこを完全にスルーして議論を進めているから、漢文知らない奴とか思ってしまったんだよ
もしこの見当が違ってて、ビシバシ漢文の構文解析ができる人だったら済まんねぇーーーー 「Read Books」とだけ表記すれば、
「本を読む」とも、「本を読め」とも解釈できるな。 あと、申し訳ないが、「読書」という表現を、
通用している以外の解釈によって用いた用例を漢籍から挙げて貰えるだろうか。
無理なら結構だが。 たまたま「読書」が出てきたからそれを使って漢文の構文解析の難しさを説明しただけて、その例に拘ってるわけではないよ
品詞が曖昧で多様な解釈ができてしまうという致命的な問題があることは、まともな漢文典を読めば誰でも気づくはずの事だ
その傾向が他の言語より著しいから、口の悪い人だと、漢文は欠陥言語とすら言う
それを完全にスルーして議論してるから妙だと思ったまでのこと 考えてもみなよ
品詞を確定し難い語が石畳のようにズラーっと並んでるんだ
それを構文解析すれば、複数の解釈が発生する可能性は他言語より圧倒的に高い
漢文を読む人はそれと格闘しているわけで、そんな事実は見たこともないかのようにスルーして他言語との比較をしている時点で、おかしいと思うよ で、「読書」の通常以外の用例を、挙げられるのかね。挙げられないのかね。 西田太一郎に聞けば?
彼も「読書」を例に複数の読み方ができることを指摘してたことがあるから
まあ、あの世から呼び出すのは難しいけど
揚げ足とってないで、こちらの疑問にも答えたらどうた? >>474
>英語とて膠着語でないから文構造に置かなければ格が決定できないし
そうだとしても文構造は漢文よりわかりやすくね?
英語なら主語は必ずある(命令文では省略されるけど、 当然youが主語)
格変化するし、動詞の変化もあるし、名詞には単複がある
漢文だと主語は必須ではない
格変化も動詞の変化もない
単複の区別はほとんどしない
ただひたすら品詞が判然としない漢字が並んでいるだけ
>>483
結局は両方ともVOだし
平叙文だったら主語が無いのはおかしいし
「読書」はこれだけで立派な文だけど
漢文は主語なんてあってもなくてもいいから なるほど、結局「読書」を「読むための本」の意でもちいた用例は挙げられないのか。大変結構。 その上で「読書」に関するレスを再度読み返して見る。
>457 :名無氏物語:2013/11/06(水) 10:16:13.69 ID:yJ4TjfBn
>英文解釈でもまずはSVOCや関係詞節などを認識して文構造把握してから和文作るからね。
>漢文も同じ。「読書」は読がV、書がOという認識があって、そののちに「書を読む」と訓読できる。
読んでわかるように、「読書」を「書を読む」と訓読するためには、読をV、書をOと把握する必要がある、という指摘だ。
ところがこれに対してこのように言う御仁がいるわけだ。
>479 :名無氏物語:2013/11/06(水) 16:08:32.27 ID:LW2OXqlN
>何にせよ、「読書」を「書を読む」という意味以外で解釈出来ないと思い込んで例に挙げる人に、
>本当の意味での漢文読解は無理だよ
いったいどういう読解をすれば、457を"「書を読む」という以外では解釈できない"という主張だと読み取れるのだろうか。
LW2OXqlN君の知性について、まともな会話が成り立つ水準にないと見るのが妥当であるように私には思われる。 >>491
揚げ足取りはどうでもいいよ
文構造を把握するからどっちも同じだというのが変だと言ってるんだ
「読書」の例じゃわかりにくいだろうから普通の文で考えてみる
「曾子寢疾病」
これを解釈したらどうなるか
「曾子が疾に寝ぬ。病(へい)なり」(曾子が病気で寝ていた。重篤だった。)
「疾」を補足語と考え、「寝ぬ」の原因として訳すとこうなる
「曾子寝は疾が病(へい)なり」(曾子寝は病気が重篤だった。)
漢文は語の間にスペースを置かないので、「曾子寝」の三文字を人名と見誤ることも有り得る
たまたま有名人だからこんな間違いは有り得ないように見えるが、有名人でなければ十分に有り得るミス
この例では「疾病」を「主語+述語」の構造と見做している
「曾子が寝ぬ。疾が病(へい)なり」(曾子が寝ていた。病気が重篤だった。)
この解釈が正解と思われる
Zengzi was lying. His sickness was serious.
英語でこう書けば漢文のような混乱は怒らない
このことからも品詞の曖昧さは漢文の構文把握にとって深刻な問題であるとわかる
自分の答えやすいことだけ答えて>>489にも答えてないし
卑怯な議論の進め方だね
最低のクソ野郎だ 457「読書という漢文を書を読むと訓読するには構文把握が必要」
479「読書を書を読むという以外では訓読できないと思ってる!」
揚げ足取りをしているのはどう見ても君だよね、というお話。
他人のレスを曲解して貶めるような卑怯なレスはいいから
少しは論理的な主張をしてごらん。 答えられないことにはスルー
「読書が、読書が、読書が」
そこだけ言ってりゃ楽だからね
漢文法に関わる質問はスルー
どうせそういうことは真っ当に勉強できてないからだろ? 文法的考察をするのがメインなんじゃないのか?
それを差し置いて読書がどうだこうだとしつこいんだよ
議論の中で出てきたたった一つの例文にこだわって、肝心のところから逃げ続けてるバカが
揚げ足取るのに利用できるから必死こいてこだわってるだけじゃねーか で、英文と漢文のどちらが難しいかという点については
既に「関係詞の発達」という英語の特徴を挙げて従属節を多用した複雑な構文という、
英語特有の難しさを指摘した上でこう言っている。
>477 :名無氏物語:2013/11/06(水) 15:51:49.50 ID:yJ4TjfBn
>漢文の「難しさ」と英の「難しさ」が全く同じとは言わない。
>難しさの質的な差はあると思うよ。言語ごとの特質はあるわけだし。
>英文と漢文、あるいは他言語の「難しさ」は、質的には同じじゃないでしょう。
>ただ、それを「難易度」のような量的な差に還元して「漢文の方が難しい」と言っちゃうと、
>ちょっと待てと思うわけよ。
>
>少なくとも漢文を読むときに感じるものとは違った「難しさ」が、
>ジェイムズやコンラッドを読むときには確かにあるわけで
>言語ごとに異なる難しさを一概に比較して漢文の難易度が高いと言いたければ、
>定性的な言及だけじゃ到底通らないでしょうよ、と。
興味深いのは、これに対して揚げ足取り君は>>489において「格が決定できない」という部分のみ抽出して
反論を試みているという点。
関係詞節云々については反論の糸口が見つからなかったのだろうが、当然のことながらそこをスルーしても
反論にはならない。 「読書がどうのこうのしつこいんだよ!」
そもそも相手が構文把握の例として挙げた「読書」という語を論い、
「それだけしか読み方がないと思い込んでいる!漢文理解は無理だ!」などと
つまらぬ曲解と誹謗を始めたのは誰なのだろう。
冷静に誤りを指摘されると「しつこい」などと逃げようとするのは卑劣という他ないな。
まずは「ごめんなさい」だろう。 >>496
関係詞がわからない巷にある英文全体の何割だよ
全体としてみれば大した問題でもないだろう
品詞分類がそもそも難しいことのほうが文章全体に影響するんだが
「格が決定できない」しか言ってないって?
他にも漢文に欠けてる要素が書いてあるだろ
英文で文の構造がかなりの精度でわかるのは、それらがヒントになるからだ
それらが欠けているのは深刻な問題だ 誹謗してるよ
お前に払う礼儀などあると思ってんのか?
さっさと死ね あんたが学生だかニートだか知らんが、あんたほど暇じゃないから俺は寝なければならない
あしたは忙しいのでね
今まで暇をみてレスしてきたが、お前だってかなり失礼な発言してるんだよ
こっちに礼を求める前にてめぇが礼をわきまえろ あんたらそれだけ勉強してきて社会的にも(おそらく)それなりの立場にあるんだろうし
ちょっとは落ち着いて議論しろよ
こんなところで誹謗中傷合戦しても仕方ないだろ >>501
同意。
なにやってんだ。
滲むような感情を表現しうる日本語と、
乾いた言語同士の比較なんか意味あるの!???
ポカーン状態だぜ。
>>467
礼記なんて、大学院演習レベル。
漢文で、飯を食おうと努力する人たちの通過点にすぎない。
わしは、天才ではない。アホだ。 いやいや暇なじいちゃんたちだろう。いずれにしても
論争するんならその日のぶんだけでも相手のレスを抽出してじっくり
読み込んで分析するぐらいの本気ださなきゃ論争にならないな。
ついでに言うと感情的な言葉使うと論理回路が麻痺しやすいな。
まあ俺はそんなヒマはないから参加はしない。
今日は面白くなりそうだったが最後がなあ。 お前ら聞きたいのだが、音的要素が詩には重要なので中国語の音読を入れろ!という主張する人は、
駢文についてはどうなの?駢文も音に気を使ってるけど音読するのか?
駢文は文献の量は相当なもんだからこれの扱いも決めてないといけないだろう。
詩の側にいれるのか、そうでないのか。 英語の関係詞ってそんなに難しいの?
読みにくいことはあるけど
関係詞の存在に気付くことすら困難な文とか見たことないな 「漢文は英文より読解が困難だ」という主張は、以下の二つの理由から無意味だと思う。
一つめ。 定性的・主観的な主張に終始していること。
既に指摘されているように、漢文と英文では特性が異なり、その発達の方向も異なっている。
難しい漢文における「難しさ」と難しい英文におけるそれは同質のものではない。
ゆえに、どれだけ漢文の難しさを定性的に指摘しても、性質の異なる英文との定量的な比較を行わない限り、
漢文が英文よりも難しいという主張は客観的なものになり得ない。
二つめ。 そもそも論点に絡まないこと。
もともと英文の話が出たのは>>454および>>456で、その指摘内容はこうだった。
>>454「頭から発音しさえすれば英語のごとく直解できるという楽観主義が間違えている」
>>456「「訓読=構文を取る、直読=構文を取らない」という分かりやすい論理の摩り替えだな。
「頭から発音しさえすれば意味が取れる」などとは誰も言っていない。
英語であれ中国語であれ、その他の言語であれ、
文構造が複雑であったり文法的意味が確定しにくい語句があった場合に
読み返して構文を捉え直すことはある。」
つまり、構文把握が困難な場合に読み返すというのは漢文に限った話ではない、
という指摘のなかで英文が例に挙げられているわけだ。
この論理に反論するためには、「英文は必ず頭から発音すれば意味がとれる」ことを証明するしかない。
「難易度の差」などという定義の困難な概念を主観的に主張しはじめたのは、そもそもその論点から逃げるためだろう。 そして、>>1を読めば分かるように、直読の目的は【音的要素】を鑑賞する点にあるとしており、
このスレで直読を勧める主張において
「頭から発音しさえすれば意味が分かる」などとは、誰も言っていないのだ。
音的要素ではなく【プロット】を取るためには、構文の把握が必要不可欠であり、
複雑なもの・困難なものについては分析的に読む必要があるだろう。
とはいえ、分析的な読み方は日本語や英語の難解な文章でも行われているものであって、
つまりそのために分析的に読むためには訓読が必須というわけではもちろんない。 この人ってこれだから喧嘩になるんだな
>「難易度の差」などという定義の困難な概念を主観的に主張しはじめたのは、そもそもその論点から逃げるためだろう。
論理論理言ってる割には非論理的な憶測で他人を批評するから喧嘩になるんだろ
単に「論点から外れている」と事実だけ指摘すればいいのにな >>506
なるほど、そういう流れで英語がどうのこうの言ってたのか。
「英語より漢文の方が難しい」がなぜ直読否定・訓読称揚に繋がるのか意味不明だった。 生意気な吉川裕ちゃんの♥♥おちんちん♥♥に
ハバネロペッパーをかけて
痙攣してイキそう♥な所を
アナル♥から焼酎を呑まして
フィニッシュ♥したい
裕ちゃん♥の出した下痢♥♥を指に絡めて
裕ちゃん♥に舐めて欲しい♥♥♥
きっと気持ちいい♥♥♥♥
うんちまみれの裕ちゃんが好き♥ >>509
いや、「英語より漢文の方が難しい」がなぜ直読否定・訓読称揚に繋がるのかという
論理過程は未だに不明なんだけどね >>508
名無しのIDに人格をあまり載せすぎない方が良いよ。
「このIDはこんな人間だ!」という風に書き込みの向こうの人格を語りたがるのは、
IDに人格を載せちゃってる証拠。
人と争うのでなく、意見や論理と争うようにすれば腹も立たない。喧嘩にもならない。 >>512
いやいや>>508の場合は文章の内容を批判してると言えるだろう。
それに腹を立ててもいいと思うよ、ただしパソコンの前でだけ
書き込みは君の言う通り意見や論理で争うのがいいなあ。 純粋に論理的に>>508の揚げ足取りに応じれば、
「○○だろう」という記述形態はそもそも推量であって断定ではないのだから、
そのような推量が可能な限りにおいて「非論理的」という批判は的外れだと言える。
しかし、>>508のような指摘はただ論者の人格を論うためのものであって、
ご覧のとおり論点に何ら影響しない。
IDに人格を投影するものは人を論じる議論に陥り易いが、
残念ながら論理や事実に興味がある人間にとっては何の意味もない。 ここまでの話を整理しよう。
漢文の持つ情報のうち、
(1)音的要素については、訓読による把握は困難であって、これを鑑賞したければ直読による必要がある。
この点については既に異論はない。
(2)意味内容、プロットについては、その理解に至る方式に以下の二通りがありうる。
a)英語や日本語の読解で一般的に行われている、直読とともに行う読解;
原文直読→構文把握→現代日本語訳
b)漢文教育において行われている、半翻訳文(訓読文)への変換を経た読解;
構文把握→訓読文作成→現代日本語訳
a),b)のいずれが優れるかという点について現時点で結論はない。 漢文に関する論理や事実に興味があったらこのスレに張り付いてないでリアルに漢文読めば?
人を論じてるって?
そうだよ
このバカが嫌いだから人を論じてるよ 文法的考察してるつもりなのかこいつ
漢文スレなのに英文法の話以外ほとんどしてねーじゃん
ハイ、また人を論じましたよ
漢文法を知らないらしいね(断定しないとOKらしいから推量形にしてみました) プロット理解において直読と訓読の間に有利不利の差がないのであれば、
それでは訓読の利点とはどこにあるのか、という議論が当然続かざるを得ない。
ただ、私としては、
「格調高い日本語の文語文を読むことができる」という点を以って訓読を弁護しておきたい。
訓読文に由来する漢文脈は、王朝文学に用いられた和文脈とともに、現代日本語の二つの根をなす。
漢文訓読文と古文に親しむことは日本語の表現力や読解力を鍛える上で非常に有益だ。
しかし、そうはいっても訓読を過大評価するのは慎みたい。
例えば「訓読すれば中国人より緻密に理解できる」「漢文の理解には訓読が必須」などの主張は
訓読贔屓が過ぎた結果、訓読に対する客観的な視点を失ったものと言えよう。
訓読とは、漢文に対する自分の理解を表現する一法に他ならない。
このような構文・このような語義として私は理解しました、という自分の理解の【結果】を、
日本の文語文の形式によって報告する手段、それが訓読である。
理解を報告する手段が文語文である必然性はなく、現代日本語によって報告しても、
或いは他の言語によって報告しても、当該理解の【過程】には関与しない。
訓読を称揚するものはしばしばこの事実を見誤っている。 高校教育では自力で訓読するところまでやらないから。
返り点はこういう風に読んでこう解釈するんですよーという読み方の説明をするだけ。
白文を解釈する上で訓読が有利かどうかを幾ら論じても高校教育には関係ない話。 >>520
そんな意味では高校では訓読法の解説なんかやってる時間に
ひたすら書き下し文と文語文読ませるのもぃいかもね
現に京大では現代文・古文・文語文の出題構成なんだし >>524
あれは東洋史が学内政治的に負けたからと聞いた >>524
国語というカテゴリーではそれで良いんじゃね?
中国文学の鑑賞という趣旨をそこに加えると
原文を無視するわけにはいかなくなってくるが >>525
それって逆にいうと政治的に勝利してごり押ししないと試験科目に残せないほど、
漢文不要論が支配的だったという話なんだが >>528
おそらく「裏を返せば」という意味合いで言ったのかと。
>>526
所詮中等教育の国語だからそれでも良いんじゃない?
国文出身で漢文出来なかったらカスだけど。 国語教育というのはあくまで日本語能力の養成向上を旨とすべきだから
高校漢文では書き下し文の読解が主、書き下し方の解説は従であるべきなんだけど
現状は書き下し方の説明に時間を取られてテキストの分量はごく貧弱な水準に留まってる。
せめて漢詩の二、三十は暗唱できて然るべきだと思うがそんな高校生は殆どいないのが実情。 ピッカマンV(bot)
@pikkaman_bot
昔の京大の偉い教授「漢文は中国の文章なのだから中国語で
学ぶべきだ。訓読などけしからん!」→入試から漢文削除→京大
生の国語力低下が教授会で問題に→ある教授「そろそろ漢文復
活させませんか?」例の教授の教え子「ダメだダメだ。漢文は
中国の(ry」→今に至る しかし、ソースのないデマだったとしたらよ?
>>532みたいな虚言をわざわざ創作してまで、
漢文を弁護しようとする漢文愛にはぐっとくるものがあるよな。w 唐詩を書いた人達って字典とかで平仄や音韻を調べてたの? >>534
東大生の国語力が低下してるって話は立花隆センセイあたりが喚いてたな。
国語力の低下は読書量減少やゆとり教育など諸々の理由があって
おそらく大学生一般に見られる現象なんだろうが、
特に京大でそれが顕著だという話は聞いたことがないし、
入試の出題形式が国語力低下?の原因視されたという話も聞かない。
ちゃんとしたソースが出るまではデマという扱いで良いと思うよ。 非常に奇妙なことだと思うのだが、音読による読解を主張する人は、音読せよということしか言わない。
まるで、音読をしさえすればたちどころに意味がとれると主張しているかのように。
引用文献
『漢文について』
http://www.manduuka.net/sanskrit/essay/kanbun.htm ――韻文などの音的要素を理解するには、直読する必要があるよね?
「何?音読しさえすれば意味が取れるだと?馬鹿を言うな!!!」
――…いや、誰もそんなことは言ってないから、落ち着いて。
内容を把握するためには、直読でも訓読でも構文と語義を解釈できなければならない。
でも音的要素を把握するには、直読した方が良いよね。
「何?音読しさえすれば意味が取れるだと?この馬鹿が!!!」
以下ループ。
というこのスレのパターン。 >>543
そこを読んでみると面白いよ。
直読そのものには反対してないから。 漢文は解釈ありて後、読むことが出来るものと云うもまた可であります。
これは漢文を棒読み(音読)する支那人と雖も同じであります。
河北景驍ヘ『助辞鵠』にこう云う、
夫廻旋の法、もと其の文廻旋して義をなすゆえ廻旋して読む、
漢人も直読すれど義は廻旋して心得るなり
引用元
『訓読と棒読み』
http://kanbunpo.blog.fc2.com/blog-entry-95.html
これも似たような意見だね。
案外こういう主張は多いようだ。
実際どうなのかね? 直読するのは良い事で、至極真っ当なことだし、その人達も直読が駄目だとは言ってない。
ここで疑問なのは、直読の際、英語の直読と同じように漢文も理解出来るという考えに懐疑的な人が何故多いのかだ。
そこが上手く理解出来ない。
彼らは普通の人よりはるかに漢文読解に精通しているはずで、そういう人達からこの手の主張が出てくる事情が知りたい。 「漢文は英文と同じように直読によっては理解できない」と主張する者は、
その根拠を問われた際、なぜか英文と漢文の差異を挙げることに終始してしまう。
実際は英文と漢文の差異を挙げるだけではダメで、
「その差異に由来する解釈の困難が直読によっては解決されず、訓読によってのみ解決される」
ということを示さないと、
「だから直読ではなく訓読が必要なのだ」という結論には繋がらない。 いや、中国人は訓読法を使ってないから、
訓読必須というわけじゃないと思う。
その人達も訓読しなければ読めないと強硬に主張しているふうでもないし。
ここで疑問に思ったのは中国人でもダイレクトに理解出来ないという主張。
現代の中国人にとって漢文が読みにくいものなのは間違いないんだろうけど。
多分、我々が古文を読みにくい以上に。
そのへんを詳しく知りたい。 「漢文は品詞や構文を同定するのが英文よりも難しい」という。そうだとしよう。
では訓読によった場合、直読よりも容易に品詞や構文が同定できるのか。
同じである。
直読は本文を音によって読み下した後に、品詞や構文、語義を同定して解釈する。
訓読は品詞や構文、語義の同定を行ったのちに、その解釈に従って訓読文として読み下す。
順序の違いがあるだけで、訓読によってその困難なプロセスが回避できるわけではない。 >>551
そうなると中国人の場合、頭の中で試行錯誤しながら現代語に変換することが多くなりそうだ。
英語に熟達した人達がするような直読と少しイメージが違ってしまうね。
言語の特性が違うから読み方も違ってくるのだと考えることも出来なくはないけど。 英文だろうと中文だろうと、直読とともに構文・語義同定というプロセスを経て解釈することは同じだよ。
むろん、日本語文でもね。 英文と漢文を比較する際の前提条件に差を付けちゃダメでしょ
英文は構文解釈上の不確定事項が存在しない前提
漢文は構文解釈上の不確定事項が存在する前提
その二者の読み方が違うと言ってもそりゃ当たり前。
漢文にも議論の余地なく読める部分はあるし英文でも解釈が割れる文章はある。 >>558
恣意的に偏った条件で比べようとしている人なんて一人もいないように見えるけど。
>>492の例を借りて考えてみるとわかりやすい。
漢文はこんな感じ。
曾子寢疾病
もし漢文法が英文法に近かったらどうだろう。
曾子 was 寝ing. 彼's 疾 was 病.
本物の英語ならすでに>>492にある通りで良いだろう。
Zengzi was lying. His sickness was serious.
こちらのほうが文の要素・構造を知るためのヒントが多い。
どれが動詞だろうか・・・どれが主語だろうか・・・そもそもこの語は名詞なのか動詞なのか・・・と悩むこともない。
ところが漢文は、英文では当然備わっているそのような要素をこれでもかというほど削りまくっている。
だから>>542や>>547のように、漢文は単純に直読することが困難だという意見が多くなる。
要するに、漢文は口語であることを完全に捨て、文章を書く目的に特化しており、
文法を極限までシンプルにしてしまったがために可読性が犠牲になっているのでは・・・という議論が出てくる。
その意見が正しいかどうかは勿論別だけれど、全く無根拠な主張というわけでもないだろう。
なお、この議論が混乱しやすいのは直読と訓読どちらが優れているかとか、音読の意義は何かとか、そういう問題に関連付けて論じようとすると話が複雑になるからだと思う。 漢文法が英文法に近かったらという発想は
脳みそがフレキシブルな大陸人にはないと思うよ
はやくしなないかなあ
文法ばっかりで何もできない人達 >>561
>>506
ついでに>His sickness was serious.
なんて文章は英語では使わない。不自然な英文を創作しないように。 >>563
>>492の文を借りただけだからね。
俺が創作したわけでもない。
多分漢文の構造をそのまま踏襲してるんだろう。
sicknessではなくillnessの例文が見つかるから、言うほど不自然でないんじゃない?
His illness is not serious.
http://ejje.weblio.jp/sentence/content/serious+illness 「illnessの文が見つかるからsicknessは不自然じゃない」という論理が成り立ってませんから…。
で、>>506を読み返しておいてね。 >>565
illnessで自然でsicknessで不自然な理由は何?
説明せずに不自然だと言われてもわからないから是非教えて欲しいんだけど。 曾子寢疾病
Zengzi/sleep/illness/illness
Zengzi was sleeping due to illness
Ill, Zengzi slept
書き下しではなくて組立ての英漢文の世界に
おまえらは来れないんだろうなあ
可哀想になあ なお、>>506で納得できる人は少ないと思うよ。
>>561のような単純な例(難しい文を選んでいるわけでもない)ですら漢文のほうが難しく見えるのはなぜなのか。
それは気のせいでも何でもなく、相応の理由があるはずだ。
俺は直読に賛成の立場なんだけど、疑問に思った点はしつこく追求する主義なんで、悪く思わんでくれ。 せいかいはひとつじゃない
英語の世界
漢詩なんかはこっちでやった方が
自分もぽえまー気分で楽しいのに
可哀想だなあ日本の漢詩厨 表現力を殺して
読解力(?)を優先させる国語教育最悪だよね ”「お菓子を食べました」という用例が見つかるから
「薬を食べました」という文も不自然ではない”
と主張する日本語学習者がいたら、コロケーションという概念を教えてやれ。
sickness is seriousという表現は一般的にしない。だから不自然。 >>572
わかりにくいなぁ。
もう少しわかるように説明しないと説明の価値がないよ。
illnessとsicknessの間に「お菓子」と「薬」程の差があるならまだしも。
英語苦手だからきちんと教えてくれ。 serious sicknessとは言うのだから
英語の方が間違ってるんじゃないの
なんだっていいじゃん
文法厨めんどくさいなあ
ロックじゃないよ君 illnessのほうがお医者さん必要って感じするね 「納得できない」じゃ反論にならんだろ。
>>506に対してあくまで英文と漢文の比較をしたいのなら、
それが訓読と直読の話題にどう結びつくのかを示してご覧。 >>576
訓読と直読の話題に結びつけてるつもりなんて全くないな。
関連付けて論じようとすると話が複雑になるとは言ったけどね。
「納得できない」と言ったのは、全く難しくもない当たり前の文で比較しても構文の把握しやすさに関して>>561を見れば無視できない差がある。
他のどんな文例で比較したとしても、漢文のほうが文中での働きや品詞の種類を示す要素が少ないのは変わらないので、
同様の現象が不可避なはずで、「恣意的な例を挙げたからだ」とかいう言い訳もできない気がするんだよ。 >>520
理解を報告する手段が文語文である必然性はなく、現代日本語によって報告しても、
或いは他の言語によって報告しても、当該理解の【過程】には関与しない。
訓読を称揚するものはしばしばこの事実を見誤っている。
訓読には、法則があり、なかなか初心者には理解できない。
つまり、死語そのもの。
しかしながら、その屍は、法則を理解する者によって、
脳内に、ある意味を構築する。
俳句なんか作るより、
現代語で喋りやがれ、
というような感覚では、
伝統をないがしろにしているきらいがある。 生意気な吉川裕ちゃんの♥♥おちんちん♥♥に
ハバネロペッパーをかけて
痙攣してイキそう♥な所を
アナル♥から焼酎を呑まして
フィニッシュ♥したい
裕ちゃん♥の出した下痢♥♥を指に絡めて
裕ちゃん♥に舐めて欲しい♥♥♥
きっと気持ちいい♥♥♥♥
うんちまみれの裕ちゃんが好き♥ 曾子寢疾病という文例に、中学生レベルの英語力の方が自作したであろう
Zengzi was lying. His sickness was serious. という文をカウンターパートとして持ってきて
「ほら、英語の方がわかりやすいだろう」と言っても、
そんなものは当たり前だと分からないかね。
既に指摘されているように、英文における難しさと漢文におけるそれは性質が違う。
かといって英文と漢文と、いずれの読解においても構文把握と語彙の解釈が必要となる点では同じ。
「英文なら頭から音で読んだだけで理解できる」という主張は成り立たないのだよ。 そして、これも既に指摘されていることだが、
仮に漢文の解釈があらゆる英文のそれより常に困難だとして(実際はそんなことはないが)、
ならば訓読がその解釈を容易にするのか?という点に回答できなければ
そもそもこの比較自体が論点に絡まない。
その論点を回避する限り、英文と漢文の「難易度」の主観的・恣意的な比較を幾ら行ったところで
ただの話題逸らしにしかならない。 英語の品詞は常に自明ってわけじゃないよ。
「he seriously sick」
と書けばsickを動詞として解して「彼は深刻そうに吐いた」と訳すこともできるし
sickを形容詞として解せば「マジで気持ち悪い彼は」と名詞句として訳すこともできるし
或いは名詞と解してheと並列させた叙述と見ることも無理ではない。理論上は、ね。 英語というのは院生でも小4に理解できるように書かないといけないシステムなんだけどね
権威主義の人はイギリス語なのかな
自分アメリカ語だから権威主義に付き合いたくないんだけど
漢文業界ゴミばかり さらに言えば英語のできない男の人なんか嫌い
英語ができても
デトロイト州を基準にアメリカを語る仙台人みたいなのは嫌い デトロイト州なんかなかった
ミシガン州だ
デトロイト州()
あったら即潰れるよね こいつらの英語読んでるだけで不幸せな感じになる
波長がわるい きっと対話や表現のための英語なんか喋れないんだ
翻訳(他人の書いたものをルールに従って書き下す)しかできないんだ
ゴミ人間
お前らは人間の言葉を一つも知らない
消えてしまえ "to be or not to be"のように多様な解釈が可能な省力的な表現も英文にはある。
しかしこういう文章を学校では習わないから、学校英語で終わってる人が
「英文は解釈に迷わない」と思い込むのも無理はない。
学校で習う英文と漢文はなぜ違うのか?
漢文はそもそも白文からの解釈は生徒の役割じゃないから。
漢文の授業で習うのは、既に解釈され書き下された文の読解。
自ら訳し自ら作文することを予定した英語のテキストとは、
扱う文の種類も自ずから異なるよね。 >>584
動詞なのに三単現のsを付けるとか過去形にするとかしないの?
チャーシューメン? >>591
解釈は難しいけど不定詞なのはわかるよ
ワンタン麺だー >>591
お前にシェイクスピアは読めない
読んで感動するだけの心と
恋愛経験が無い 漢文と英文は、一概にどちらが難しいとも言えない。
それぞれに難しい文もあればそうでないものもある。 まあ、多様な解釈が可能ってことはそれだけ正解が多いわけだから
解釈が一意に定まった文章の難解さよりも
読解の難易度という点では容易と言えるんじゃない?
一つしかない正解を外せば「誤訳」と一蹴されるだけだが
もともと解釈が定まらないなら、どう解しても「一説」になる。 >>596
文章を書いた人の意図と異なる解釈でも正解になるとか
猿酒入り回鍋肉だろ! ニンジンとトリカブトは、一概にどちらが体に悪いとも言えない。
それぞれに体に悪い成分もあればそうでないものもある。
抹茶風味の白子だぁー ニンジンとトリカブトでは、致死量という客観的・定量的な基準からトリカブトの方が体に悪いと言える。
さて、漢文と英文の「難しさ」を比較する客観的・定量的な指標を提示できるだろうか。
それができない限り、漢文と英文のいずれがニンジンでいずれがトリカブトに比喩できるとも主張できない。 >>600
ボクはニンジンアレルギー。
トリカブトよりニンジンのほうが死ねるよ!
豚骨バウムクーヘンな意見だな! 人参とトリカブトは交尾できるのかなあ
腐女子的な意味で ニンジンアレルギーの誰かを対象に限定しても、「致死量」は定義できるよん。
だから依然として「体に悪い」度合いの客観的な比較は可能。
さて、英文と漢文の難しさを比較する客観的基準は何だろう?
ぜひ拝聴したい。w 子の曰く、ギャグにマジレス。亦マヌケならずや。
朋無し、引きこもりて2ちゃん漬け。亦虚しからずや。 英文が攻めで
漢文は受けだよ
女々しいもん 去勢してるかもしれないし 追い詰められると「ギャグだ」と喚くのは馬鹿に普遍的に見られる行動様式だよね。
で、けっきょく英文は直解できるとか、漢文は英文より難しいといった主張は放棄なさった、
という認識で良いのかな。 ご不満なら反論をどうぞ。 波平憤り、鰹に謂ひて曰く、鰹は屡〻悪戯を為したり!
まともに議論しようとしてるように見えるの?
石鹸風味の海鮮丼だぜ! まともに議論すれば勝てないから方針転換したのは分かる。 お前がそう思うんならそうなんだろう
お前ん中ではな 「お前の中だけでそうなんだ」と本当に君が思っているのなら、そのレスは必要ないんだよ。
悔しいのは分かるが、負けたからと言って荒らしに走るのはみっともないぞ。w 訓読で音的要素は失われる。
そのうえ訓読で直読でも解釈プロセスに有利不利がないなら、
直読と比較した際の訓読のメリットってゼロでしょ。
「格調高い日本語の文語文」?
そんなもん、わざわざ中国人が書いた文を書き下して作らなくとも
もともと文語文として日本人が書いた文章を読ませれば良い。 お前本当に現代人か?
古代人じゃあるまいし。
こんな下らない議論でマジになるより他にやるべき事があるだろ。
今何時代だと思ってんの?
平安京に遷都したってのに、いまだ頭ん中は大昔の飛鳥にあるのか? >>613
コピペにマジレス
プププ
ドリアンジュースを鼻から飲んでくれ >>614
愛唱に耐える日本語の文語文というのが少ない。
日本人の書いたものより、杜甫や李白の書いたものの方が遥かに暗唱する価値がある。 それに、日本語が中国語から作られたという歴史的経緯をきちんと理解する上でも、原文の参照は必要だろう。
中国語で直読、さらに訓読された文を暗唱し、その意が解釈できるようにする、という漢文教育が理想。
目下メインとなっている訓読法伝授の意義は、いま以上に疑問を抱かれるかもしれないが。 >>614
漢文なんて下らないよな。
ヤッパリ日本人が書いた文語文に限るね!
日本人が書いた文語文を読みたければココがオススメ!
http://kambun.jp/ 漢文訓読は、和算みたいなもんだ。
前近代の日本人にとっては他に選択肢がなかったし、
中途半端ながらそれなりに用は足せる。
近代になってより合理的で普遍性を持つ西洋数学が入ってくると和算は廃れた。
近代の外国語学習にもやはり合理的で普遍性を持つ直読が使われるようになったが、
訓読は衰退しながら辛うじて学校教育に名残をとどめている。
伝統を理由に惰性で続いてはきたが、そろそろ引導を渡しても良い時期かも知れん。 そうだそうだー!
伝統を理由に古い物に固執すべきじゃない!
グローバル化著しい今日、グローバルスタンダードに従うべきだ!
日本語を廃止して英語を日本の公用語にしよう!
いっそのこと、日本もアメリカ合衆国の一州にしてもらえば良いね! 一人で張り付いて空回ってる子が不憫で…。よっぽど悔しかったんだな…。 >>618
>中国語で直読、さらに訓読された文を暗唱し、その意が解釈できるようにする、という漢文教育が理想。
結局日本語の基礎を固める必要のある高校生にそういう中国語教育を
したがっている人なんだとみんなわかっている。
だから暇な人以外は誰もあほらしくて議論に参加しない。
暇人どうしで一日中罵り合ってください。 「日本語の基礎を固める」ことを第一義とすると、
既に書き下された訓読文や、日本語として書かれた文語文を読むべきであって
しいて漢文の原文を参照する意義に乏しい。
むろん中国語文学としての鑑賞を要するならば原文を参照する意義もあろうが、
その場合は直読が最もまっとうな読み方であろう。 漢文には中国の漢文もあれば朝鮮。越南、日本
日本でも変種の候文がある。高校生が漢文を学ぶ
意義は漢字の使い方を身につけるという効果もある。
中国文学を原文で味わうという観点はレベルが高い話で
高校生に押し付けるには学ぶ方も教える方も負担が大きい。
英語学習の上に中国語までと言うのは非現実的でもある。 中国は軍閥同士の内戦で分裂・解体される―毛沢東主義者達が新政党
「中国至憲党」を立ち上げ、軍事クーデターで薄熙来を脱獄させる計
画を推進 背後には北朝鮮を支援する瀋陽軍区と成都軍区、旧満州帝
国人脈 武力革命により中国共産党幹部が粛清される日が来る
↓
「中国・韓国・在日朝鮮人崩壊ニュース」 ← 検索してください。 日本国は将来中華人民共和国日本省になるんだ。
だから、それに備えて漢文教育を中国語の予備学習にする必要があるのさ。
さて、麻婆豆腐入りインドカレーでも食べよう。 >>629
確かに、訓読技法を教える今の漢文のカリキュラムは負担が大きすぎて
日本語教育のために文語文を読ませるという本義を圧迫してるよな。
結果的に文語文も十分に読めず、かといって原文が自力で読めるわけでもない、
中途半端で意義に乏しい科目と成り果てている。
やはりここは訓読法の伝授を廃止して書き下し文を読ませる教育へと移行すべきだろうな。 書き下し文は、いつでも白文が参照できることだし、意味を組み取れればそれでよしというあつかいを受けて、
書き下し文自体の規則性だとか美しさだとかは多少目こぼしされてきた面があると思うんだ。
翻訳の過程を脱して書き下し文だけ何も知らない中高生に見せるとなると、何ゆえこんな奇怪な文章なのですか?と思うにちがいない。
翻訳のためにぎこちない文を作ってそこからまた読みとるという伝統の存在を教えない以上、そうなる。
そこに理由づけをするにはどうすればよいのか。 「訓読体の文法」なるものを教えるのか。
しかし訓読体は、大枠はあっても多少あいまいにやってきたところがあり、もともと文法の成文はない。
学習書はいくつもあっても権威といえる決定版の本はない。書き下し文のみを教えるとして、この点についてはどうする? 現代文でも文体についての整った規則や美しさの統一的基準なんて存在せんよ。
そんなものは多様な文体に接する中で自ずから帰納的・感覚的に体得してゆくものだ。
文語文が「奇怪」だというのなら古文も機会だろうし、現代文にも奇怪と感じられるものはあろう。
奇怪、結構じゃないか。奇異と感じられる表現に触れることで表現と読解の幅は広がる。視野が広がる。
本来それが教養の本義だろう。 >>634
なるほどそうお考えか。ではもう少し技術的なレベルの話にしよう。
たとえば「仮令+動詞」というのあるよな。仮が「かりに」という意味。令が使役化の役割をするが、
漢文では仮定を表すときにたまに無意味に使役形にすることがあり、この令もそれ。合わせて「仮に〜すれば」を表す。
訓読ではこれを「もし」と読むことになっている。さて現行の書き下し文では、大体「仮令(もし)」読み仮名をつけて処理されている。
では書き下し文のみを提示するように変更した場合、書き下し文の用字はどのようにする?
そのまま仮令(もし)とすると、なにゆえ「もし」に「仮令」と表記されているのですか? という質問は出るだろうな。それには、
原文で仮令と書かれていて、それを「もし」と訳したが、「もし」だけでは原文の字が分からないので(たとえば若の可能性もあるので)
こうやってるんだよ、と答えるのが正直なやり方だ。だが原文と切り離して書き下し文だけ提示するはずなのに
そこに「原文では〜」を持ちこむのは筋が通らない。
かといって、「もし」とだけ書くならば、書き下し文に何の字を使うかを、何を基準にするのかを取り決めねばなるまい。
自由な用字が許されて、原文「○○ 伐 ××」(○○が××を攻撃した)となっているのを「○○××を討つ」として、
原文と違う字にしてもいいのか、それについて規則を定めることが必要だと思うが、どうか。
それとも現行の書き下し文をそのまま教科書に載せればいいとお考えだろうか。 >>635
>漢文では仮定を表すときにたまに無意味に使役形にすることがあり、この令もそれ。合わせて「仮に〜すれば」を表す。
これって無意味に使役形にしてんの?
「…でないのを…させると」という意味合いで仮定になってると思ってた。
令他馬固不敗傷我乎
他馬なら令めば、固より我を敗傷せざらんや。
これなんか見ると、使役の意味が仮定に転用される理由がなんとなくわかる気がしてしまうんだけど、見当違いなのかな。
あと、仮令を「たとひ」と訓じたり、「けりょう」と音読みしたりすることもあるような気が。 >>636
「「…でないのを…させると」という意味合いで仮定になってる」と、「無意味に」は、言わんとすることは同じようなものよ。
使役と仮定は作為(〜とする)という点で概念的に共通するところがあるので
なくても意味は違わないが、仮定を表すときに余分に使役を表す語を入れる。
そのとき使役を表す語の持つ使役の意味は希薄なわけで、短く言えば「無意味に」になるよな。
>あと、仮令を「たとひ」と訓じたり、「けりょう」と音読みしたりすることもあるような気が。
確かにそうだ。>>635の趣旨は、
書き下し文に使う漢字は、慣習的に白文に拘束されていて、白文に使う字をあてる。
(不:〜ず のように、語として独立性のないものが書き下しに現れるときは例外だが)
それは書き下し文とともに白文を見ることを前提にそうなっているのであって、
書き下し文だけを読むという(これまでなかった)やりかたをするならば、この表記の拘束は理由を失う。
書き下し文だけを読ませようという人は、白文+書き下し文がセットであることをやめた場合に生じる変化とその処置は考えてますかー?
ということな。 ほかに書き下しオンリー化によって生じる問題は、公定の書き下し文の必要性な。
一般に、翻訳で原文が同じであっても訳文はばらつきが生じるものであるのは周知のことだと思うが、
教科書に書き下し文だけを載せるのは、訳文のみを見せることにほかならない。
従来、書き下し文が人によって異なってもそれは許された。あくまで訳文だから。
そして今の漢文の授業でも、書き下し文を問いはするが白文の意味を書き下し文を介して読みとるのが主なので、書き下し文のほうをうるさく言うことはない。
しかし書き下しオンリー化した場合は若干違う。
書き下し文のみを提示し、かつこれはある程度幅のある中の一例ですよーと一言断って教えるのでは、大義名分として弱いだろう。
時に暗唱もさせたりするかもしれないのに
「先生これが唯一じゃないのにどうしてかっちり覚えないといけないんですかー」と言うませた高校生はかならず出てくる。
そこで箔をつけるために、学校教育ではこれはこういう文面を標準としますというのを明文化しようと流れになるわな。
(現状もほぼ統一されていると思うが、それを追認する形で)
自分は漢文訓読体は誤用や不統一が混ざっている小汚い文体だと思うので、
書き下しオンリー化で小汚い文体がすりこまれるよりは、逆に効果を挙げていない現状の方がある面でマシだと思う。 吉川裕もアナルぺろぺろすると女の顔になるよね
もう我慢できないよ挿れていい? 公定の書き下し文>特に必要ないな。
学校教科書には多くの翻訳文学が収録されている。
これも訳者によって訳し方、文章には当然ばらつきがある。統一的な訳し方の定めなんて無いからな。
だからといって「公定の訳し方を定めよ」などというアホな主張は聴いたことがない。
訓読、書き下しも翻訳技術の一つだ。ただ作られる文体が文語文という特質があるに過ぎない。
>仮令はどう説明するか?
熟字訓、という概念は中学国語で教わりますが、何か。 >「これが唯一じゃないのにどうして云々」
直読を行わない現状の教育でも、暗唱に対して同じ反発は可能だよ。
「唯一」となるような文を暗唱したければ? 直読を勧めるしかない。 破音字があるから解釈が異なると直読でも違ってくる
読音を使うかどうかでも異なる
生徒に数千字もの漢字の音を覚えさせるのも非現実的 同一の原文に対して「異なる読み方や解釈があり得る」のは
漢文の中国語直読だけでなく漢文の訓読文、
或いは英文や外国文の翻訳文、さらには現代日本語文でもそうだが、
だから「公定の読み方を定めなければならない」という必然性がないし、
現に定めてもいない。
仮に「複数の読み方がありうる」ことをもって
中国語による直読や書き下し文のみによる国語教育を否定するなら、
同じ理由で訓読や翻訳文を教えることも否定せざるを得ないな。 また、「中国語で読む」という主張を「中国語発音を全て覚える」と置き換えて
「無理だ」と反論するのも非論理的と言わざるを得ない
。
必ず全部暗記することが必要だろうか。
テキストに発音を掲記する方法もあるし、
また教師の後に続いて発音させるという方法もある。
「中国語で読む」という主張から導かれる選択肢のうち、
わざわざ比較的労力の大きいもの(”数千の発音を全て暗記”)を恣意的に選んで反論するのは、
あまり頭の良い方法じゃないな。 そんな方法ならやらなくていいよ
漢文を語学として見るなら、出てきた文を発音できるようにするのは当然だ
語学として見ないなら、音読なんて教えなくていい 語学ではないな。
日本語力の養成を主眼とすれば、書き下し文や文語文を読ませるべき。訓読技法を教える意義に乏しい。
中国文学の鑑賞を主眼とすれば、原文の直読とその緻密な現代語訳を読むべき。やはり訓読技法を教える意義に乏しい。
では「レ点を振ってあるところは、下から上に読みます!」といった訓読技法は何のために教えるのか。
昔の日本人はこうやって漢文を読んでいました、という歴史を知らしめること以外の意義は薄いだろう。
その点、数学の時間に和算を教えて「昔の日本人はこうやって計算していました」と教えることと等しい。
限られた時間のなかで果たして和算や訓読法を教える必要があるのか?
少なくとも和算が教えられていない以上、訓読法に関しても同じ疑問が適用されて然るべきではないかな。 >>646
>日本語力の養成を主眼とすれば、書き下し文や文語文を読ませるべき。訓読技法を教える意義に乏しい。
>中国文学の鑑賞を主眼とすれば、原文の直読とその緻密な現代語訳を読むべき。やはり訓読技法を教える意義に乏しい。
国語の古典教育のはずなんですけど
頭大丈夫? 仮に現代国語を磨くためだとしても、クラシカルチャイニーズとその翻訳眺めてどーすんの?
そんなものの必要性を誰が認めるの?
漢文を中国語の音で読んだら日本語が上達すんの? >>646で言ったこと
(A)日本語力の養成を主眼とすれば、書き下し文や文語文を読ませるべき。
(B)中国文学の鑑賞を主眼とすれば、原文の直読とその緻密な現代語訳を読むべき。
>>648の反論
「現代国語を磨くために原文とその翻訳眺めてどーすんの?」
(A)の前半と(B)の後半が混線してる。
読解力無さ過ぎ。 なぜ直読否定派のレスってこんな質のものばかりなんだろう。
そんなに高いレベルを要求するつもりもないが、さすがにこの国語力では議論にならない。 Aだったらあんたの言ってることは必要ない
Bだったら国語としてやる意味がわからない。 私が言っていることは、いずれにせよ訓読技法を教える必要がないということだ。
しかし現状で漢文をわざわざ原文に関連付けているのは、
日本語力の養成に加えて中国文学の鑑賞をその目的としているからだろうな。 >>649 自分の切り分けが絶対正しく無謬のものだという前提の議論 そんな切り分けは詭弁でしかない >>653
現に「日本語力養成のために中国語で直読しろ」などとは、
私を含めて誰も言っていないのだから仕方ない。
相手の言ってもいないことを読み取って反論するのは、
読解力の不足というほかない。 だから、なんで中学高校で中国文学やるんだっての
外国文学鑑賞を通じて日本語を磨くなら、なぜ漢文に限る必要があるの?
漢文が日本語に影響を与えたからだというなら、訓読を通じて教えるのが筋だし 日本は中国の植民地か何かか?
日本の古典として教えないなら、なぜ漢文をわざわざ日本で教えるのか意味がわからん 漢文の原文は言うまでもなく日本語では全くないのだから、
仮に日本語能力の養成を唯一の目的とするのならば、
原文を参照する必要はないし、
また原文から翻訳する技法、すなわち訓読技法を学ぶ必要もないわけだ。
例えば現代文の教科書にはスティーブンソン、ドーデ、魯迅といった
海外の文学を翻訳したものが掲載されていたと私自身記憶するが、
これらの原文や翻訳技法に関しては
日本語教育として教える必要がなく、また現に教えていないだろう。 なお、国語史を知っていれば言うまでもないことだが、
外国文学の翻訳文もまた現代日本語の形成に大きな影響を与えている。 >>654
君の議論全般について言ってるんだよ。
得手勝手な前提を決めて詭弁を人のいないスレで
人のいない昼間書き込んでるだけだよと指摘してあげたんだよ。 なお、中国文学をやること自体がおかしいというのなら、そもそも漢文という科目は必要ない。
文語文を教えたければ近代にもとより日本語として日本人が書いたものが無数にあるのだから。
しかし現状で中国文学の鑑賞は漢文教育の目的の一つとなっている。
でなければ原文を参照する必要はないのだからね。
そしてここで行っているのは、漢文教育自体は必要という前提での議論だ。
その上で、訓読技法の教授に終始する現状の漢文教育が妥当か否かということを議論している。 >>659
このスレの最初から読み返しても、
「日本語力養成のために中国語で直読しろ」などとは誰も言ってない。
確認してみなさい。
自分の誤読ないし曲解を他人の責にするような卑怯な真似はやめよう。 >>660
>なお
>いうのなら
>そもそも
>必要ない
>たければ
>のだから
使う言葉だけは論理的風だが詭弁の羅列だよと言ったんだよ。 >>660
なら廃止でいいんじゃないですか?
あんたのいうような漢文教育は必要ない >>662
詭弁とレッテルを貼るだけで相手の論理を否定できれば楽で良いが、
残念なことに何の意味もない。
相手の論理を詭弁と呼ぶだけなら、相手の主張が詭弁でなくても可能なのだから。
相手の論理を否定したければ、論理を以って反論することだ。
それが無理なら議論に参加しない自制心を持ちたまえ。
>>663
「漢文教育自体は必要という前提のもとでの議論」と書いたはずだが、読めなかったのかな。
漢文教育不要論は、そのためのスレが幾つもたってるだろうから、そこで開陳すると良い。
私は取り合わない。 >>664
そうだな、詭弁をいちいち否定してまわるほど暇でもないんで
これ幸いと抜けさしてもらうよ。 漢文教育は必要だと思ってるよ
でも、あんたの言うようなものは不要だ
国語として教えないなら、中国古典だけ特別に独立した科目にしておく理由が失われる そう、漢文教育は必要だ。何のために?
(1)日本語能力の養成のために。 その場合、上述のごとく訓読技法を教える必要はない。
(2)中国文学の鑑賞のために。 その場合も、同上。
というのが、先ほどからここで主張していることなのだよ。
そして君は(1)と(2)の主張を切り貼りして的外れな反論し続けているというわけだ。 Aについていうと、国語教育としてなら中国古典だけ別格にする意味がない
Bについて言うと、国語科でなくなるため、国語科である漢文は存在意義をうしなうので廃止が妥当 さっきからこのつもりで言ってるのにあんたが理解しないで勝手に詭弁を弄してたんだろーが 現状、既に国語教育として漢文という独立の科目が存在するのだから、
「別格にする意味がない」という批判(?そもそも別格にしたからといって何の問題があるのか不明だが)は
現状に対して行うべきだろうな。
また中国文学の鑑賞という目的を加えても依然として国語科であることに何の問題もない。
現に、原文を掲載し訓読技法を通じて参照させることによって、中国文学の鑑賞を同時に行っているのだから
やはり存在意義を失うという批判は現状に対して行うべきだな。
つまり、いずれも反論にならない。 最後に一つだけ
現に漢文が教えられているのは我が国の古典として扱っていたからだ
現状はそうなんだ
俺はその現状を否定してない
否定してるのはあんただ いや、漢籍が日本語の古典でありうるという点につき、これまで一度も否定したことはないな。
むしろその上で、日本語教育のための日本語の古典教材に漢籍を用いるのなら、
書き下し文で読めば良い話であって、敢えて中国語の原文を参照する必要がないとは言ったが。
そして、この点に対する有効な反論はいまだに貰っていない。 我々の祖先は原文から思想を吸収したし、原文があってこその書き下し文でもある
漢文は中国由来だから中国語で読めと、源流にこだわるくせに、
書き下しの元が原文だという点は軽視する
卑怯にもほどかある 何れにせよ、こいつの言う通りの教育改革が起こるほど日本は腐ってないから安心だ
安心して去ろう そうだ。原文があってこその翻訳文(訓読文)だ。
では現代日本語の文体や語彙の基礎となった欧文たち――
例えばツルゲーネフのロシア語原文を現代日本語の理解のために読むべきだろうか。
そのロシア語の翻訳方法を教えるべきだろうか。
私は否という。もちろん原文からのアプローチは理解をより深めるだろうが、
仮に国語教育の目的を日本語能力の養成に限定するのならば、
原文を翻訳する方法までは不要である。翻訳文から読むべきである、と。
私は漢文についても同じスタンスなのだよ。
仮に日本語能力の養成に限定するのならば、
「日本語」である書き下し文を読ませるべきであって、
敢えて原文にあたる必要はない。
強調しておくが、これは【仮に日本語能力の養成に目的を限定するなら】の話だ。
原文の鑑賞を目的に加えた上で、中国語の原文に当たることは良い。それは理解を深める。
ではそのために訓読技法が必要なのか?原文を理解する上で最上の方法なのか?
その点に対しては議論の余地がある。
現に、ロシア語その他の外国語を学ぶ人間はきちんと発音から入って直読するのだからね。
特に詩などの韻文で音的要素を全く無視して読むことは、原文理解から遠ざかる道だろう。
ゆえに直読を取り入れるべき、というのがここでの主張だ。 ついでに老婆心から言っておくが、
毎回「去る」とか「もう書き込まない」といった趣旨の捨て台詞を書き込む必要はない。
どうせ君に書き込みをやめるだけの自制心はなく、
すぐに気になって開いてしまい、我慢できなくなってすぐに書き込むことは、
もう分かっているのだから。 無駄な書き込みはしなくても良い。 日本の教育が腐ってないと他人に信じて欲しい奴は
自分が辛いだけだからね^^ 反論できなくなって荒らしに走るのは止めた方が良いよ
見苦しいから 中国語と漢文を混同して漢文教育を中国語教育にしたがってるバカがいるスレはここですか? 国語教育なら書き下し文でいいというのがわからない
漢文そのものも我が国の古典だから
いや、正確に言えば我が国の古典というより東アジアの漢文文化圏共通の古典だろう
しかも、漢文は中国に限定されるものではなく、東アジア全域で利用された言語だ
だから、漢文を学ぶことは単に他国の古典を学ぶということではない
そして、我が国で訓読で受容され、日本語の形成に影響を与えたことを考慮すれば訓読を学ぶのは当たり前のことだ
というか、元々日本の漢文教育ってそういうもんだろ 書いてから少し後悔した
詭弁で反論されると不愉快だからレスしてくれなくていい 論破された悔し紛れにスレを荒らす可哀想な子を眺めながら飲む酒が美味いわぁ >>1
漢文学習を第二外国語としての中国語学習に連関させる効果をもたらし、双方の学習
上の益ともなるだろうと思われるが、如何であろうか。
実際に、あなたはやっていないから、疑問形なのかな。
大学に於いて漢文で飯を食おうとするなら、
それは、現在、当たり前のこと。
しかし、習得には、かなりの時間を取られるよ。
一般の人には、無理難題だな。 生意気な吉川裕ちゃんの♥♥おちんちん♥♥に
ハバネロペッパーをかけて
痙攣してイキそう♥な所を
アナル♥から焼酎を呑まして
フィニッシュ♥したい
裕ちゃん♥の出した下痢♥♥を指に絡めて
裕ちゃん♥に舐めて欲しい♥♥♥
きっと気持ちいい♥♥♥♥
うんちまみれの裕ちゃんが好き♥ というより高校教育は入門なのだから、時間に従って習得すれば良いのさ。
現行の訓読法にしても、高校漢文の内容では実用の域には遠く至らないのだから。 しかしこのスレ、定期的に「中国語と漢文は違うんだー」と喚く馬鹿が現れるのはなぜなんだぜ。
「中国語と漢文は全く同じだ」なんて誰も言ってないのに。 パッかパッかの地ひしこにれ和訳のチクる気迫にによて下僕くふね
弾けずに負や天下さやねきた湯抜く母し墓碑ぬ穂なよ
やデヴやな温ぬえなさについて似てる離婚にて
ネジしサポ?や聞き目るり、て絵な皮膚細胞は父祖減り小エビコアにの湯のの付与や屋たコアの八百屋
寝ふ塗塗無ゆそさきなのわやぬエコこそ止めアイネが干せ皮膚じゃ
ロロ四湯しこにたか無カフス作になにヌフな揶揄後おゆおのアホお肉かけせ日々の
をーん夜し気に抜く奴婢部にぬふふ粉抜き絵
述べせぬ日は枢はかのなるや
のの月し俗語に不備で理の服がさぞるる答えles。濃ゆく区委ね屋ぬに日 あなた景東少なくとも最悪。
人権ではなく、そこではありませんでした。 まとめて片付けておこうか。
>>689 「今の中国語と漢文は違う」
→同じだと誰も言っておりません。
>>695「中国語と漢文を混同している!」
→いいえ、全然。現代中国語で発音しようと言っているだけです
。万葉集を当時のカナ発音でなく現代日本語のカナ発音で発音す
れば古文と現代文を混同していることになるのですか?
>>707「過去に訓読で受容されたから訓読を学ぶのは当たり前」
→過去の日本人は計算に和算を用いておりましたが現在の算数数
学において和算は学びません。過去のやり方に無条件に従う必要
はなく伝統を理由に惰性で続けられているだけの不合理なものを
批判することは当たり前のことです。近代に始まった英語その他
の外国語学習において「訓読」が行われないのはなぜでしょうか
。直読に比べ不合理だからです。
>>720「習得に時間を取られるから無理」
誰も全ての漢字の中国語発音を完璧に暗記しろなどとは言ってい
ません。与えられている時間のなかで習得できることを習得すれ
ば良いだけのことです。 マンサニヨ私スパイク墓石に私の精神及びRuフー日本語翻訳地区皮脂や土地再使用人のより多くのパッケージは、
ホットふすまと母を引く、私はまだ世界が負でプレイしていないか、または離婚は移動しませんノブ温度又はNaとは、類似したねじれの開発をサポートしていますか?絵TE、
ラピスラズリの目は、コア八百屋店に聞く皮膚細胞は、水Ebikoa父親肌停止EINEがわずかに減少を付与し、
私は中間コーティング祝福空気エコロジーとふすまゆ祖先ビーチコンバーずに眠ることができるということです
愚かなヨガの肉よりも、日常ではない、より高いブリッジは4つの非カフロロホットSICOに動作した後、 宮古でうめき声逸作る。
このたわごとの連中。
迅速Aboo sireongga jukeorayi。
リトルゴキブリ農業洗練よりも良い、それはゴミではありません。
迅速マナーマミスラタ海または他。
マッハの保管して鉈豆などあります。 遺伝の息子の妻に12契約の民法改正。
広く彼女の夫、両親、子どもたちの政府で使用され、正しく減らすください。
ないように両親に、ではありません "がから、結婚の子どもたち"と呼ばれると "息子のさ。 これは最高のワームが良い資質の最高の要素昆虫ではないです。
"バグは"ダウングレード最高。
概して呼ばキャプテンコマンドです。
私は彼らを愛しているから。 乾燥国内義務は急落した。
私は約3に10に落ちた。
別格扱いにおけるアライアンス製造業者や卸売業者。
国は "冷たいビズ"スタイルを築いているため。 レスが伸びてると思ったら、荒らしが頑張ってたのか。
これはひどい。 >>739
このスレの地縛霊みたいなもんだよ。
もともと前スレで論破されて以来、
私怨を抑えきれずに罵倒と反論を書き込み続けてきた子なんだが
そのたびにあっさり論破されて結局荒らしに専念することにしたらしい。
まあ、幾ら無意味なレスを書き込んでも痛くも痒くもないどころか
知恵の浅いバカ踊りを愉しく観賞させてもらうだけのことなのだけれど。w 彼は水俣1月の途中で発明し84歳の男性。結果は、ウイルス感染NTに感染して表示されます。 スレッドを受けるような本当に地縛霊。
反論の最初の文字列で、
私は小さな男の子だったが、
常に個人的な書き込みを避ける暴走呪い。 過去のが自然であるため勲毒について学ぶために、
過去に勲毒日本人はいくつかの算術学習の実際の数を
xとカウントされないカウントを使用していた 同省の議会で記者会見した後音出らを追加し、
彼はフィリピンを負担し、助けるために一定の見た後になっていると、
嘆願がある船の外に送信された参加 月に六年、コンピュータシミュレーションの結果を実装するためのゆっくりとしたプロセスをシミュレートするために
多くの惑星系の形成は、 "ホット·ジュピター(燃焼ガス巨人ボール)"名古屋外曲です 盲従のマスター、彼はすぐに見てよく知っているだろう。
キケロ、彼の偉大な時代の恐怖を通じて、
最初は、彼らが行動するすべてのニーズ、
おかげで、外に、噂はそれを持っているとして。 裕ちゃんの勃起したおチンチンで日時計を作りたい
その影の長さが
愛の大きさを示すでしょう
示すでしょう 私は猫だった。
まだ名前が付けられていない。
プレスのどちらが刑務所の出生地を見ていない。
誰が私たちにもニャー/ \泣いてさ湿った日陰の場所で長い間貧しい1、
次の点を覚えておきましょう。
スペンスという方は、最初の少年を見たゝ。 冬の午後をクリアして、私は山に面した中心USENああホーチミンウィンドウに私の会社にあった。
待ちツタヒル処理はもちろん、白色である。
しかし、それはの色にできるだけ近く、可能です。 老婆心ながら言うと一度病院に行ったほうがいいと思う この人、レス番650くらいまでは(ID:yFOGoZ3T)普通にスレに反駁しようとしてるんだよね
最終的に>>675で捨て台詞のように「去る」と宣言して、気がすんだかと思えば
それから一時間を経ずして無意味な文字列を連投しはじめ、完全に荒らしになって今に至る。
どういう心理なんだろう? せめて荒らしてスレ主に一糸報いようと思ってるんだろ。 議論の流れを見る限り、どっちもどっちだ。
教育の専門家から見たら噴飯物だ。 自貢市は新しいクールは言った。
息子クリスチャン。
チーゆうニッケルアイガーの正しい種類。
自貢は言った。
Junziyiyan知識。
私はそれを知りません。
言葉は、あまりにも慎重にすることができます。
さらに、ダウンタウンのオーナー。
さらに、しないユタ州。 マスターヤン秦の始皇帝レゴン新しい家はQinyuqili DINV都市ピピ霧がフラグ。Fenghuiyanxiuを変える雨を振りかける夕食に行くべきかどうか半X。 荒らしは荒らしだからなぁ。
幾らスレに反対して腹がたったからと言っても
弁護の余地がないわ。 だから、一つの世界の精神でバレルの交わり、
彼が言えば、この話はまたプレゼンス些の汚染のために注目すべきである、
家庭的な作られていること、それもありません。 後も夏、ゆう。
そう夏の後に呼び出さ号元天皇、。
ゆう世界を作るための欲求、崩壊だけでなく、世界は彼らの息子カイに属します。
その後、賢者を聞かせてだけでなく、世界のために家に、風の三世代をオープンしました。 夏には、システムと、より、この世界で一緒にのみカレンダーをテストしていない。
夏の間は正殷で、夏鄭は言った。
漢はXIAから、カレンダーと初めにあった。
あまり後で革ヤン。 古代雲、神アマテラスヒスパニックに古代の輝かしいデビューの大きな宝号皇帝ヤンチュアン年齢を誇った。
学者はこの不条理と考えています。
噂は、Xiの始皇帝ディ銭徐フローティング海探索セント、あまりに平野広沢、来るだけでなく、王があります。
子孫か言った: "今年の日本"試験によると、その後、誤ってゆう、正史はそれを取ることはありません。
テストによると、その中国雑貨の初め、北東アジアの畜産は、海で移動し、前に万年で、今では縄文時代、磨かれた石の始まりになります。
漢に、中国、北朝鮮の人々は、牙タオ青銅オブジェクトに入る人々の農業、今では弥生時代という。
より多くの世紀には、日本では、ロードヤンの前に、印刷されたリボンに漢光武Dici、にエントリを作成します。 >>754
「専門家から見れば噴飯ものだ」のように、権威をかさにきて他者の意見を否定するのは、
ここでは専門家でなくてもできる。恐らく君も専門家ではあるまい。
このような掲示板において他者の意見を否定するための唯一の手段は、
論理と事実を以って反論を提示することだ。
そしてそれを避けるというのは、とりもなおさずそれができないことの証明に他ならない。
この点は荒らしだろうと専門家の自称だろうと、大した違いはない。 ところでスレを立てた人間として、ここに書き込みが絶えないことは慶賀の至りだ。
有用なレスは抽出して、次スレ以降にもコピペして残しておくつもりだから、
ぜひスレ主を唸らせるような論理的な反論を期待したい。w 裕ちゃんのおちんちんは
なんてイケナイおちんぽなんだろう これは知っているスレッドから、彼である、祝福する最初のものを書かない。
私は、よ少なく、ラインにクッキーの残りを便利抽出し、私が振り向く。 あなたがしたい場合、ソースの高さ、、、太陽と月を見ることが多すぎる。
太陽のように特殊な乗り心地の高速移動方法、二時間日の出前や日没後の写真撮影。 >>1
それは、中国語での直読を、従来の訓読に併せておこなおうという意味?
それとも、訓読を全く廃止して直読によって解釈しようという主張?
訓読は現状のままで直読を取り入れたら、やることの量は単純に増えるよね? >>769
>>1で言っていることは一般論で、とくに学校教育に限定した話ではない。
授業であろうと趣味であろうと、漢詩文を鑑賞する際に中国語音による直読を取り入れることは、
音的要素の把握を助け、訓読で意味を取るだけの鑑賞よりも原文の理解を深めるだろう。 それらの中で失われていることが多い国の消費市場である。
北へチラの数字を切断、チョンチュンビング筑紫間の移動が、太っていないDibengつくしその後配置。 キャンプ斑鳩宮、バイジ、チャオImna援助に駐留セッラJemna、Naishi坂本康の同じ年と再侵略の先頭に次の年、。
十年後、王子は、ヘッドチラデュ·ヒットした。 >>770
いや、だから訓読の必要性は認めない立場なのかと聞いてるんだが 我々は殆ど素晴らしい幸運、人生の無常と死の痛みは、
私は消費者の理解の笑い声によってと礼拝の神のサービスへ突破することが、
そこには注意していない知ることができ、
世界の無知ではない知恵にできました。
これまでに実行することです。 訓読が必要なら高校で直読やってる時間ないでしょ
訓読ですら概略をいうだけで実践には程遠いレベルなのに。
このうえ直読と併用?
二兎を追って一兎も得ないことになるのは目に見えてる 国語としての漢詩の教養というものはいらない
国を創造する事自体が間違いなのである
同志諸君ならこの過ちに気付いているだろう 不当な要求攻勢耳。
また、彼は言うならば、理由に違反していない。
それは邪悪な、正直、他の違いの時にあなたのために十分であるためです。 >>773
わたしは訓読に関して、その技術的なプロセスよりは
結果としての書き下し文の方が国語教育上は重要だと考えている。
また中国文学の鑑賞という点からは直読は訓読よりも優れた方法だと、
上に述べた理由から考えている。
従って比較の上で「訓読法」の教授のプライオリティは、直読や書き下し文の読み込みより低い。
その意味ではとうぜん現行の授業時間の配分も見直すべきだろうな。 高句麗クワイ=デ扶余、ガオ、サピエンス東明兼猫柳プリウス祖。
Incipimus nodum L S civitatem。
らレゲこのヴァルキリー由紀夫エゴクラッド秒トゥンクヤン。
UT太マキシモpalatium、メタムPotestateナスカforam。 >>779
だから、訓読の解説時間を削ったら意味が取れなくなるでしょ?
リズムの方が意味より大切ですか? 緑の植物を育てる。
あまりにも萌え、コテージ宝石。
ワードの内容を説明する。 早いTuobaラングラー雲、魏の蜜三年間、成人Tuoba力マイクロ移行盛越省は、
チーフスの大評議会のために、部族と呼ばれる。
フォースマイクロ兵士、反乱部族。
金源カン五年間、襟東から、東と西に分かれてニュートリノポール公式統計部門の力。
永嘉呂治世官が死亡し、弟李呂領事3人が、40万人以上の乗り物があります。
永は、災害、中原トラブルをもたらす、と地方知事劉くん真伊呂フォームは王に代わって公共、
後方手紙の代表として閉鎖をしてください。
数字の翼はより終わっ関与、趙翔国をランク付け、
プロトンのさえ翼去勢牛の味も、去勢牛を広げた。
王位の両方が、戒律、セットBaiguan、Zhaojian呉建国4 Gaiyuanを設定されています。
三年間、ある陣営雲盛ルパレ。 裕ちゃんのペニスがむくむくになって
幸せになりますように 推古天皇,諱豐御食炊屋姬尊,欽明天皇中女也。
欽明天皇十五年生,母蘇我堅鹽媛,大臣蘇我稻目之女也。
幼名額田部皇女,姿色端麗,進止軌制。
年十八,會敏達天皇后廣姬薨,遂立為皇后。
―――『推古天皇』, 引之於維基大典 佛教,佛陀之教也。
佛陀本梵文,意曰覺者。
印度有喬達摩·悉達多者,本王室貴冑,見民間多苦,遂棄妻子,苦行終日。
年三十五覺明道理,出而教世人,佛教由是始。
今其徒三億,與基督教、伊斯蘭教並稱三大也。
―――『佛教』, 引之於維基大典 佛教本無論神者,多弘佛陀修身原旨,使得渡化。
佛涅槃後百年,教分二部,上座、大眾也。上座部之法多南傳,仍道修身,以成阿羅漢,以其渡一人也,曰小乘。
大眾部之法多北傳,道助人行善,以成菩提薩埵,入世更渡人,曰大乘。
此二者,佛教之大宗也。
小乘以世有一佛,傳於斯里蘭卡、緬甸、泰國;大乘以世皆可成佛,傳於中國、日本、朝鮮。
―――『佛教』, 引之於維基大典 そう思うのならこんなところにいないで実行すればいい。
まず一般の人は自由に学べるし大学ではやってるだろう?
あとは高校だが実際にやってる高校も探せばあるだろう。
そこに取材して中国語教育して国語力が上がったか聞いてみればいい。
また実際に生徒を分けてどちらが国語力が上がるか比べる。同じなら必要ない。
かなり国語力が上がるなら変えればいいが、教育には知識だけ詰め込む
だけでなく民族教育とかいろんな面もあるから、相当利点がないと変えなくてよいだろう。
このスレで反対している人もみんな相当詳しい人が多いから中国語かじっている
人が多いはず。そういう人が高校でこの前に紙垂らしてpuやbuとかmamamama
やるのはむだと考えているのも根拠なしで言っているとも思えないが、
いずれにしても思想なんて実践しないと意味がない東西の古典で言っている、
ぜひこんなすれにいつまでもいないで数字で高校生にすばらしい効果があると証明してください。
吉報お待ちしています。 言うだけ無駄無駄。
詭弁を弄してるだけだから。
直読しろと言いつつも、相手の主張を否定するために中国語教育でないとも言う。
発音を鑑賞させるだけだと言いつつ、
直読で理解させることができるとも言う。
相手にするだけ無駄。 格致者,洋名science也,格物致知也。
《大學》云「致知在格物,物格而後知至。」
朱子注曰「推極吾之知識,欲其所知無不盡」,「窮至事物之理,欲其極處無不到也。」
後西學東漸,時人以格致稱之。
梁啟超曰「形而下學,即質學、化學、天文學、地質學、全體學、動物學、物學等是也。
吾因近人通行名義,舉凡屬於形而下學,皆謂之格致。」
今人所謂之科學是也。
―――『格致』, 引之於維基大典 相手にするだけ無駄だと思うなら無視すれば良いのに、
なぜ一日中張り付いて荒らしてるんだい? 數學者,量、形、結構之學,可略分為組合、分析、幾何與代數,植根邏輯、範疇論與集合論,似眾實一,諸域皆通。 亦有數論與數理物理學者,縱析幾何、代數,堪稱數學之用,難以分類。
故有學科,曰「算術」者,乃與今「數學」一也。然今有別矣,數學者,涵蓋之廣,算術實隸之也。
―――『數學』, 引之於維基大典 害獣を駆除する方法
1. 害獣を発見し、各個駆除する。
2.毒餌を仕掛けて殺傷する。
3.罠を用いて捕獲する。
4.巣を発見し、これを破壊する。
他にも方法はあるけれど、主なものは以上。 墨家,《漢志》曰:「出於清廟之守。」以其尚儉,若廟守之樸也。其始墨子。墨子,戰國人也,本學儒術,疑其禮之用,乃自立一流,從者數百,皆稱墨者。
―――『墨家』, 引之於維基大典 吉川裕さん。知ってる事は、彼は東北大学のドクターだということ。
声優は、アイドルマスターのリボンの子の中の人が好きだって言う事。
ムーンライダースとか、マイナーな音楽を聴くこと。麻雀が好きな事。
そしておちんちんがちっちゃいこと。 そんなおちんちんのちっちゃい吉川裕クンだけど
漢文を読んでる時だけは、ちょっぴり文士様気分で
エラくなった気がするみたい。
でも現実に戻るとおちんちんがちっちゃいの。 吉川君は、おちんちんがちっちゃくて
禿げてるから、女性に批判されなくてすむ儒教の道を選んだ。
儒教だとおちんちんのサイズはあまり関係ないから。
だけどおちんちんが小さいことに悩みすぎて
もっと禿げてきた。
こまったね吉川君。 >>781
意味を取る、とは如何なる内容を指すのかをまず明確にしよう。
そもそも現状の高校漢文における訓読法の解説は、
すでに返り点が振られた文をいかに読むかを教えるものであって、
自力で白文を書き下して意味を解釈するものではない。つまり現状でも意味は取れないんだよ。
高校漢文というのはあくまで入門であって、
それだけで漢文を読みこなせるようになるとは予定していないし、その必要もない。
ただ漢文を理解するために如何なる方法があり何をすれば良いのか、
その俯瞰を把握させることがとりあえずは必要なことだろう。
>>788
既に何度も言っているのだが、
中国語による直読は「日本語力の養成」のためではない。
音的要素をとらえて原文の理解を深めるためだ。
君と同様の誤読による反発は既に何度も書き込まれているから、
スレを読み返されることをお勧めする。 ある日吉川君は鏡の前で床に座って
両足を上げて、自分の肛門をじっくり観察した。
ひょっとして、僕、ここも使えるんじゃないかって。
そうしたら、案外、すんなり、
いろんな物を挿入できる事を発見したの。
禿げだけど。 半径10センチの電動こけし。
大きすぎて入らないかなと思うくらいのノベルティのバイブレーター。
裕ちゃんの肛門はそれが欲しくて欲しくてしょうがなくなってしまいました。
その大きな大きなものを奥までズブっといれたら
おもわず「はうっ」となってしまい、
二次元の女の子もびっくりな萌えボイスで
あんあん言ってしまうのでした。 裕ちゃんは初心者なので、本当は小さなエネマグラから始めた方が良かったのですが、
一番おおきなものからチャレンジしてしまいました。
それで一番おおきなもの、はいるかなあと思ったら
案外すんなり入ってしまいました。
おちんちんは小さくても、
おっきなものを咥えこむことができたら
それって日本一すごいって事じゃないかな?
裕ちゃんはまた得意になってしまうのでした。 うんちの穴に おっきなおっきなバイブレーターを突き刺した吉川裕クン
誰がどう見ても日本一です。ただ、バイブレーターが抜けなくなったので
隣の犬さん、猫さん、おじいさん、おばあさんに頼んで
抜いてもらうことになりました 老子,楚苦縣鄉曲仁里人也,姓李,名耳,字伯陽,諡曰聃。
周守藏室之史也。
孔子適周,問禮於老子。
孔子去,謂弟子曰︰「鳥,吾知其能飛;
魚,吾知其能遊;
獸,吾知其能走。
走者可以為罔,遊者可以為綸,飛者可以為矰。
至於龍,吾不能知其乘風雲而上天。
吾見老子,其猶龍邪。」
―――『老子』, 引之於維基大典 >>801
>中国語による直読は「日本語力の養成」のためではない。
音的要素をとらえて原文の理解を深めるためだ。
みんなに何度も言われていると思うが高校の現状の漢文の時間を
発音練習に費やす必要はないと思う。
必要と思うのなら実践してすばらしい効果があると証明すればよい。
いつまでやっても水掛け論になるだろう。 高校漢文を何だと思ってんだろう?
「古典としての古文と漢文,古典に関連する文章を読むことによって,我が国の伝統と文化に
対する理解を深め,生涯にわたって古典に親しむ態度を育てる。」
ということになってるんだよ。
古典としての漢文とは、中国古典を含むものの、我が国の古典として享受されてきた漢文を指し、
日本人がつくった漢文すなわち日本漢文も含んでいる。
高校漢文の目標は中国古典観賞じゃないし、中国語学として教えることでもない。
だから、現行の漢文教育の古典教育としての価値を否定するなら、その結論は漢文廃止以外にありえない。
ところが、決して廃止だとは主張しない。
続けるべきだという理由が、古典教育として必要だからだというならわかるが、そういうわけでもない。
結局、廃止という結論を好まず、また、中国語として読むことに拘泥し、
漢文教育の実態や文部科学省の方針等を完全無視して強弁しているにすぎない。 >>801
今も一般の人や大学ではやってるんだろう?
それじゃ満足できなくて高校生にもやらそうというんだろう。 道コ經,又名老子。書成春秋年間。著者不詳。或曰老子出乎函谷時所著,然時久而代遠,終不可考焉。
經分上下,上曰コ,下曰道。後人淆其上下,故經名道コ。
―――『道コ經』, 引之於維基大典 >>809
なぜ高校生にやらせなければいけないのか?
我が国の高等学校において、古典中国語学や中国文学が訓読法によって教えられていると思ってんの?
高等学校の漢文はそのようなものではないから。
漢文の購読を通じて、我が国の文化の特質や我が国の文化と中国の文化との関係について理解を深めることは必要だが、
中国文学観賞でも中国語学でも中国哲学でもなく、あくまで我が国の古典教育としての位置づけだ。
つまり、我が国の伝統と文化を理解することに資する限りにおいて中国の文化も論じられるものである。
つまり、君たちが理想としている教育は高校漢文の全面否定だ。
そういう教育がやりたければ現行の高校漢文を廃止し、中国古典文学を必修科目として新設するしかない。
そんな案に賛成する人が果たしてどれだけいるのか疑問だが。 言うだけ無駄だって。
また新たな理屈考えて詭弁を弄してくるだけだから。
奴にエサを与えないようにして、
干してしまうのが一番。
まともに議論しようとすればするほど増長させることになる。 陰陽五行者,古中國之物觀也。多為哲學、中醫學及占卜用。五行乃金、木、水、火、土。
天地之間,太極判而為陰陽,陰陽分而為五行。太極理也,陰陽五行氣也。理必寓乎氣,氣不離乎理。故天一生水,天三生木,天五生土,三者皆陽之所生;地二生火,地四生金,二者皆陰之所生。析而言之,為五行;對而言之,為二氣。
―――『陰陽五行』, 引之於維基大典 哲學(希臘語:Φιλοσοφία,愛知),又名通幾[一],至理之學也,所以希智求慧,則理真如。與夫質測――即科學――相待。《物理小識》云:「通幾護質測之窮。」
―――『哲學』, 引之於維基大典 豐臣秀吉(とよとみ ひでよし)者,尾張那古野人也,幼名日吉丸。
父木下彌右衛門,本尾張卒,傷殘,早歿。
日吉依母而活。
家貧不能自給,其母遂挈之而嫁於鄰翁竹阿彌。
日吉貌寢,頗類猿,語言多不遜,素不為竹阿彌所喜。
及稍長,屢見侵辱,日吉怒,竊錢數貫而奔,其母卒不敢問。
―――『豐臣秀吉』, 引之於維基大典 織田信長(平假名:おだ のぶなが),尾張織田氏人也。父信秀,本奉斯波氏,後廢之而執大柄。東敗今川,北戰齋藤,以「尾張之虎」聞。
―――『織田信長』, 引之於維基大典 >>811
漢文教育が「いかにあるべきか」という話において、
「高校漢文はこうだ!」「文科省の方針はこうだ!」と現状をひたすら叫んでも仕方ないな。
君が現状が理想だと思っているのならそれは結構だが、
他者の意見を否定したければ、現状が理想的である根拠を述べねばならんだろう。
そしてこれも既に何度も指摘したことだが、
漢文教育の目的を日本語力の養成に限定するなら、
私はもっぱ【書き下し文】をテキストとして読解させるべきであろうと考えている。
何となれば漢文原文は外国語であり、訓読技法というのはその翻訳プロセスであって、
国語教育の本旨からは外れる、中国語文学の鑑賞を目的とした技術だからだ。
確かに書き下された(翻訳された)日本語文の原典は中国文学だが、
一般にその翻訳文が日本語の形成に直接的な影響を与えた欧語文学に関しては、
国語のテキストとしては翻訳文が用いられるだけで、
その原文および翻訳技術が国語教科において教えられることはない。
それによって日本語能力の養成という本義は十分に達せられるのだから、
日本語能力養成という目的のもとでは中国文学を例外とすべき理由もない。
しかしながら漢文を中国文化を理解するための手段としてみるときには、
当然その原文を参照すべきだし、
その原文が持つ情報を音的要素も含めてきちんと取ることが望ましい。
中国語としての漢文を認識することは
漢字および漢文が実際にいかなる言語文化の産物であり、
日本語とどの程度隔たったものであり、
なおかつその距離を日本人がどう埋め、またどう埋められなかったのかという
関係性・相互関係を把握することにも資するだろう。 景教者,基督舊教之聶斯脫裏一派也。
據大秦景教流行中國碑,貞觀九祀,至於長安,十二年為建寺,則教入中華,在七世紀初。
當四世紀初以羅馬皇帝為允,得公然行景教。
其季年,有聶斯脫裏者,創基督二性連接說,此論謂以耶穌為感神之器,以耶穌母瑪利亞,僅產耶穌之體,不產耶穌所感之神,不當崇稱神母。
時神母之說方昌,聶氏獨犯眾論,四三一年以弗所之宗教會議大斥之,謂神與人既合於耶穌之一體,則瑪利亞所產之耶穌即為神體,豈有產神體之母而不宜陳神者?
聶說敗,並禁其傳道,聶氏乃出奔波斯,越四年而卒。
四九八年聶派徒眾獨聚議於波斯,定名Catholicos大公教派。
自是聶派由波斯逐漸而東,以至中國。
―――『景教』, 引之於維基大典 芬蘭共和國,在波羅的海之東。
東與俄羅斯接,北連瑞典、挪威。
國中多澤,海上多山,故號曰千湖千島。
方三十三萬公里,口五百萬餘。
―――『芬蘭共和國』, 引之於維基大典 >>818
本来直読されるべきものだから直読する。
それだけのことだよ >>821
まあ一言でそう表現することもできるかも知れない。
いずれにせよ直読というプロセスを経ずに訓読だけ教えても、
「なぜこのような奇妙な読み方をするのか」と不満が募るだけで、
訓読の意義を把握しにくいことは確かだろうな。 鐵者(化學符號︰Fe、原子序︰二十六),化學元素也,屬過渡金屬、五金之類。其性剛,入火可鍛延,淬火愈強韌。戰國紛亂,浸代銅用,遂作萬械之本。故《說文》稱其「K金」,誠斯然也。
―――『鐵』, 引之於維基大典 自演自演自演自演自演自演自演自演自演
自演自演自演自演自演自演自演自演自演
自演自演自演自演自演自演自演自演自演
自演自演自演自演自演自演自演自演自演
自演自演自演自演自演自演自演自演自演
自演自演自演自演自演自演自演自演自演 >>ID:HzOxA2Yl
荒らし君にも一応、老婆心と憐憫とから助言しておくけれど、
幾ら荒らし行為を続けても、私は痛くも痒くもないのだよ。
ただ君自身の愚かさを喧伝して恥を晒すだけの効果しかない。
もちろんそれで君の気が晴れるのなら幾ら荒らしてもかまわない。許可する。
しかし実際は、よりストレスと怨念を溜め込んでいるようにしか見えないのだよ。 地球者,坤輿也,亦吾人之所居。其形如丸,赤道環約四萬零七十五公里,兩極環約三萬九千九百四十又十之六公里,去日約億五千萬公里。自轉計十二時辰,或曰一日。又繞日而轉,一周約三百六十五日,曰公轉。有衛星一,曰月。
―――『地球』, 引之於維基大典 月者,地球之衛星也,為陰之精,故亦曰太陰。
其形圓,其質清,日光照之,則見其明。
日光所不照,則謂之魄。
故月望之日,日月相望,人居其間,盡睹其明,故形圓也。
二絃之日,日照其側,人觀其傍,故半明半魄也。
晦朔之日,日照其表,人在其裏,故不見也。
―――『月』, 引之於維基大典 >>ID:HzOxA2Yl
むろん、止めはしない。それで君の気が晴れるのなら存分に荒らしたまえ。許可する。苦笑 >>830
もちろん、私が政府の密命を受けていることもお忘れなく 化學(英文Chemistry),嘗謂質學,格致之學也。
天地萬物,固有陰陽之行,罔不成以質。
極其本,悉原子也。
原子集為分子。
遊漫歸一統合,體構各殊,統陰陽而齊天道,合天地而接有無,此之謂效,效者化學反應。
化學反應者,實塵之去留也,塵者名電子也,得而為負,負則謂之陰,失之曰正,正則謂之陽。
夫間中漫布而陳存者,名離子,離子之成,蓋電子層之分,每外層電子盈八則物定,是謂原子之綏(唯一層(K)者二即為綏)。
或有鹽,中性物也(注:其性中,然其酸鹼不一,所阿酸堿各異),蓋陰陽離子錯差交合而得。
化學家察物於微,多自原子、微物,或究其力,或窮其理。
可以製物,利患可見,其中藥食,可以益人,毒鴆之屬,傷人匪淺。
―――『化學』, 引之於維基大典 裕ちゃんのペニスはうんちくさいから
だれもぺろぺろしてくれません
なぜうんちくさくなってしまったのでしょう?
きっとうんちの穴にいれたからだよ ホモが女性の声に勃起するのは不思議なことだけど
漢詩厨の生態を調べれば調べるほど
なるほどと思った事があるのね シナ語で読める奴だけ読めばいい
読めない奴は日本語に訓読したものを読めばいい 離子(嘗譯傳點),與原子、分子並稱萬物之基本粒子也,因其製法曰電離,得名「離子」。
原子之電離者,或得電子而成負,曰陰離子;或去之而成正,曰陽離子。
而其電荷之值,悉示於原子符號右上方,失者為正,得者為負,正負號皆註於值後,值一者不註數字,諸如H+, SO42−等。
―――『離子』, 引之於維基大典 英國,大不列顛及北愛爾蘭聯合王國之略稱也(英文: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)。都倫敦,方廿四萬公里,口六千萬有奇。。舊稱英吉利,初使中華自稱也。因通稱英國。
本土四分,曰英格蘭、蘇格蘭、威爾士、北愛爾蘭,前三者合為一島,名大不列顛,因得國名。並海外屬地十四。其君英蘇コ混血。
國行君主立憲,今女王伊莉莎白二世,首相甘民樂。
―――『英國』, 引之於維基大典 蘇文忠公軾,字子瞻,眉州眉山人,唐宋古文八大家之一,宋仁宗景祐四年生。
生十年,父洵游學四方,母程氏親授以書。
聞程氏讀東漢《范滂傳》,慨然太息,比冠,博通經史,屬文日數千言。
―――『蘇軾』, 引之於維基大典 ぶりてんとあいるらんどはいいけど
大はどうやったらグレートって読むの 伊莉莎白もわかりやすいね
日本語は音読みがあって漢文がある事典で
漢語に対してスキゾ的なんじゃないだろうか 倭國在百濟・新羅東南、水陸三千里、於大海之中、依山島而居。
魏時譯通中國三十餘國、皆自稱王。
夷人不知里數、但計以日、其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。
其地勢東高西下、都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
古云、去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里、在會稽之東、與儋耳相近。
―――引之於『隋書倭国伝 』 漢光武時、遣使入朝、自稱大夫。安帝時、又遣使朝貢、謂之倭奴國。桓・靈之間、其國大亂、遞相攻伐、歴年無主。有女子、名卑彌呼、能以鬼道惑衆、於是國人共立爲王。
有男弟、佐卑彌理國、其王有侍婢千人、罕有見其面者、唯有男子二人、給王飮食、通傳言語。
―――引之於『隋書倭國傳』 ひきこもりによる統治、か
独身じゃないといけないのか 他国ではどうなんだろう?
漢籍やラテン語やギリシア語の古典を読むに際して、
(1)訓読のように、他国語のテクストを自国語文法に従った並び替えを施して読むのが一般的か?
直読、すなわち他国語のテクストの語順を守って読むのが一般的か?
(2)漢字を日本語音で読むように、他国語のテクストを自国語式の発音で読むのが一般的か?
漢字を復原中古音で読むように、他国語のテクストを書かれた当時の推定復原音で読むのが一般的か?
あるいは漢字を中国語音で読むように、他国語のテクストをその国の現代式発音で読むのが一般的か?
日本のやり方が合理的なのであれば、他国でも同じことをやっているだろう。 英語がひらがなレベルで
ラテン語が常用漢字レベル
omni potent の omni
disenchanted の dis そのくらい知っていれば
SATで高得点出せるでしょう
出したところで家の財産が2000万教育業界に持っていかれるので
知らない方がいいでしょう 英語の単語をラテン語として覚える事は馬鹿です
中卒でも詩人であったり
小説が好きなら割と難しい英単語はフィーリングでわかるし
disとかomniとか意味もわかる
そもそも、領土争いで摩擦が起きたスペイン人やフランス人と和解したいとか
良い商売がしたいと
スペイン語フランス語を学ぶ人が多いなか
ラテン語をやってる人なんて中卒・ホームスクールよりも信用できない スペイン語に少し触れると
仏教的だと思ってた事がキリスト教国でメジャーだと言う事が解るし、
「生きた」言語に触れる事が平和的だという事に気づきますね。
todo cambiaはよくスペイン人が歌う事ですが・・・物事は常に変化する、と言うことです。
ラテン語だの漢文だの言ってるお山の大将が
戦争を起こすのです だから私は漢文やラテン語などと言った
「死んだ」言語を利用して
実際の民間人の考えとかけ離れた
宗教的妄想を作る事を良しとしていません 漢文に興味を持つより
中国語に興味を持つ人のほうが
腐らないと思うんです 外国語ができれば、
漢文を書き下す装置になってしまった人(=創価奴隷)の作る
外人像、日本人像、歴史観
全部うそだってわかります
国民性なんてないです
少なくとも、創価に都合の良い国民性なんてあるわけないです 王妻號雞彌、後宮有女六七百人、名太子爲利歌彌多弗利、無城郭。
内官有十二等、一曰大徳、次小徳、次大仁、次小仁、次大義、次小義、次大禮、次小禮、次大智、次小智、次大信、次小信、員無定數。
有軍尼一百二十人、猶中國牧宰。八十戸置一伊尼翼、如今里長也。
十伊尼翼屬一軍尼。
―――引之於『隋書倭國傳』 我慢して自殺するのが日本人らしさとか
心中が日本思想だとか(!)
そういうことを言って生き延びたい人がいるなら(しかも税金を奪って)
それは絶対的な 悪 だと思います 毎至正月一日、必射戲飮酒、其餘節略與華同、好棊博・握槊・檽蒱之戲。
氣候温暖、草木冬青、土地膏腴、水多陸少、以小環挂鸕鷀項、令入水捕魚、日得百餘頭。俗無盤俎、藉以檞葉、食用手餔之。
性質直有雅風、女多男少、婚嫁不取同姓、男女相悦者即爲婚、婦入夫家、必先跨火、乃與夫相見、婦人不淫妬。
死者斂以棺槨、親賓就屍歌舞、妻子兄弟以白布製服、貴人三年殯於外、庶人卜日而瘞、及葬置屍船上、陸地牽之、或以小轝。
―――引之於『隋書倭國傳』 自分の属さない外国や他宗教、「外部」について嘘を吹き込む事で
仲間意識・指揮を高めるのは馬鹿げてます
それが日本人らしさだとも思いません
もっともそのやり方でやっているのは
排他的な破壊カルトに乗っ取られた組織くらいでしょう 倭在韓東南大海中、依山島爲居、凡百餘國。
自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國。
國皆稱王、世世傳統。
其大倭王居邪馬臺國。
樂浪郡徼去其國萬二千里、去其西北界拘邪韓國七千餘里。
其地大較在會稽東冶之東、與朱崖・儋耳相近、故其法俗多同。
―――引之於『後漢書倭傳』 >>848
韓国では漢文は音読み直読だね。
昔は日本みたいに訓読していた時期もあったらしい
(というか日本の訓読自体むこうから来たって話もある)が
李朝時代に儒教が盛んになると直読が一般化して訓読は廃れた。
日本の漢学者が朝鮮通信使の随員に漢詩の添削をしてもらったように、
朝鮮人の漢文能力は当時の日本人から仰ぎ見られる水準にあった事実も述べ添えておく。 中華民國國父孫文,字逸仙,本字コ明,別號中山,清廣東香山縣翠亨村人也,同治五年十月初六生。
父道川,嘗業裁縫於澳門,後鄙其奢,復歸田園。
母楊氏,蓋名媛也。
長兄眉,字コ彰,業商於夏威夷都檀香山,闌痘ヘ農。
次兄早逝,文其季也。
―――『孫文』, 引之於維基大典 南越,古方國也,趙氏。
秦始皇二十八年,命屠睢、趙佗將兵五十萬越五嶺征百越。
屠睢暴,為土人殺,改以任囂為將。
三十三年,平定嶺南,置南海、桂林、象三郡。
以囂為南海尉,佗為龍川令。
秦二世元年,陳涉起,中原混亂。
二年,囂病重,召佗至,陳南海一郡,依山旁水,可以立國。
並以佗為假南海尉。
囂卒,佗傳令南嶺諸關嚴守中原,防叛軍侵入。
漢四年,佗併桂林、象郡,稱南越武王。
後南越王兩度稱帝,卒入為漢藩,自去帝號。
四傳至建コ,南越內亂,漢武帝發兵南下,南越亡,嶺南復郡。
置南海、蒼梧、鬱林、合浦、交趾、九真、日南、珠崖、儋耳九郡。
南越歷九十三年,凡五主。
又安南阮朝入為清藩,初請為南越國王。
清高宗以其有北侵之殆,改越南國王。
為越南今名之源來。
蓋南越極盛時有河內、順化,故越南史稱南越國趙朝。
―――『南越』, 引之於維基大典 大明太祖開天行道肇紀立極大聖至神仁文義武俊コ成功高皇帝諱元璋,字國瑞,姓朱氏。
原名重八,後改為興宗,與大事改コ裕。
先世家沛,徙句容,再徙泗州。
父世珍,始徙鳳陽之鍾離。
生四子,重八其季也。
母陳氏。
―――『明太祖』, 引之於維基大典 >>859
韓国はアメリカコンプレックスのみに評価できる国
東アジアとしての韓国は貧相 韓国から何か学べと言っても
ステマで売れてるKPOPはいけない
政治的にセンスの悪い奴が選んでる
日本みたいに「民族主義ではないウヨク」がうようよしてないだけでも
マシなのかなw 右翼を信じるから日本人、といったロジックでは
純血種の日本人は
交配のチャンスを失うだろうねえ
漢文もその右翼的なものに入るのだろうか 日本人らしさの「記号」を取り合うような人達なんて
どうせ要らない競争で死ぬからいいけど >>859
こういう韓国のステマも創価学会かなあ
センス悪いよね 韓国人留学生(女)とか侍らせて
理想の弱者に作り上げるオッサンとか最低だと思うけどw
ま この世なんて最低なんで 二次元の女と風俗嬢にしか相手されないのが漢文厨だけど
そんなシステムの国に住みたくないよね
早く日本から消えてほしい漢文厨 漢字者,漢人屬文、言志之字也,蓋為倉頡所造。
千年以還,累有數萬,歸納其法,為以六書,曰象形、曰指事、曰會意、曰形聲、曰轉注、曰假借。
當世諸國之文字,殆盡為拼音之屬,獨漢字不然,誠大奇也。
―――『漢字』, 引之於維基大典 繩文時代,日本時代也。
公元一八七七年,首見於大森貝冢。
遺址有貝冢、洞穴及聚落,廣布日本。
時廣製K褐陶器,上文繩紋。
其處新石器時代初公元前一萬四千年至公元前三百年間。
是時冰河期,氣候嚴寒,凝南北極海為冰,降海升陸,迨西元前一萬二千年間,東瀛始成列島。
爾後東瀛中土繫乎朝鮮半島,遠而不疏,近而不ョ兮。
其時萬物回春,百花爭艷,不乏五穀,本州四國九州北海道南皆興繩文,圈牲畜,耘稻米,建族而治。東北海有親潮,與漁鮭貝,今有殘殼為證。
是以凡繩文族人雖佈東瀛,居本州之北者多。
―――『繩文時代』, 引之於維基大典 沖繩縣者,日本之縣也。
本中國藩屬,曰琉球國。
江戶初,薩摩軍之。
及至明治維新,廢藩置縣,因而為沖繩縣。
―――『沖繩縣』, 引之於維基大典 倭國在高驪東南大海中、世修貢職。
高祖永初二年、詔曰、倭讚萬里修貢、遠誠宜甄、可賜除授。
太祖元嘉二年、讚又遣司馬曹達奉表獻方物。
讚死弟珍立、遣使貢獻、自稱使持節都督倭・百濟・新羅・任那・秦韓・慕韓六國諸軍事・安東大將軍・倭國王、表求除正、詔除安東將軍・倭國王。
珍又求除正倭隋等十三人平西征虜冠軍輔國將軍號、詔並聽。
―――引之於『宋書倭國傳』 裕ちゃんへ
聖人は語り得ぬものを見てしまっても
自分で道を作ったから偉いと言う立場は
吉川裕に否定されたけど本当でしたね
吉川裕は語り得ぬ性欲が怖くて
カルト宗教に縋りました
その程度の人間です
創価と経典主義がんばってね
キリストは聖書は読まない
孔子は論語を読まない
徂徠は論語徴なんか読まないんです ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?
ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ?ハァ? 詳しい説明サンクス
これなら吉川が怒るのも当然な気がする 漢文の音的鑑賞なんて母国語が日本語の環境でできるわけないだろ。訓読のシステムは日本人が漢籍を理解し、広めるためにたどり着いた方法なんだからそれに従ってりゃいいんだよ。
意味を同時に理解できてないと、音的鑑賞なんかは鼻歌と同じになっちゃうよ。 音と意味をつなげられないから
外国語が苦手な馬鹿ばっかりになるよね 鼻歌って
漢詩とかは詩吟みたいなもんでしょ?
音でしょ? まあ書き下し工場の現場を見てしまったから
何も言えないけどね
異文化と触れ合いとか
音の再現とか
そういう悠長な事言えないような
切り詰めた環境で
宗教のために毎日書き下してる工場見ちゃったからね 隠遁生活したいんであって
貧乏暇なし研究室に行きたかったんじゃないもん >>879
広めるって書いてるけど
ガラパゴってるだけだよね 漢文工場は効率よく思考停止できる作業みたいなもんだよ
それが好きな人はもっと世の中のためになる単純作業があったんじゃないかな?
ルールをひたすら応用して客体に働きかける
その繰り返しなら
もっと人のためになる作業があったと思う
記憶力応用力の無駄遣いだよ 孔子孔子孔子孔子孔子孔子だぁぁぁ
孟子孟子孟子孟子孟子孟子だぁぁぁ
老子老子老子老子老子老子だぁぁぁ
荘子荘子荘子荘子荘子荘子だぁぁぁ バーレーン
横浜
イラン
サウジアラビア
インド
ヨルダン
アジアカップ ドッカーン! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(⌒⌒⌒)... | あなたも分からない人ですね。
|||. | 近世儒学のような世間的に広く認知されている専門分野を
_____ | 好きな人が『創価』な訳ありません。
/::常勝 :\〜プーン. | 『創価』とは鎌倉仏教とか日蓮大聖人とか、
/:::::::::::人間革命::: \〜プーン | そういうのが好きな人のことを指すのです。
|:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜プーン.. | 私は断じて『創価』ではありません!
|;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜 | 単なる日本思想好きな 佐藤弘夫 のイエスマンです!
|::( 6∪ ー─◎─◎ )〜 | あなたのように何でもかんでも『創価』呼ばわりしたら
|ノ (∵∴ ( o o)∴)〜 .| 世の中は『創価』だらけになってしまいますよ!
| ∪< ∵∵ 3 ∵> ムッキー! < 道学やキリスト教が好きな人を『創価』なんて言わないでしょう?
\ ⌒ ノ______ | それと同じです。私は断じて『創価』ではありません。
\_____/ | | ̄ ̄\ \ | そもそも私は漫画・アニメ趣味が高じて、日本思想に
___/ \ | | | ̄ ̄|....| 興味を持ったわけですから『創価』ではありません。
|:::::::/ \吉川裕_ \| | |__|....| 近世儒学以外の思想にも触れたことありません。
|:::::::| \____|⊃⊂|__|__/ / | ユニクロドンキ大好きなあなたと一緒にしないでください!
|:::::/ |未来創造| 〔 ̄ ̄〕 \________________________
/♪私なんばわーん〜♪\ >>210
あなたのコメントは全く正しい。
直読で文構造を把握して初めて訓読が可能となる。
しかし頻繁に文言を読んでいたら直読で読まないと間に合わないねw
また実際に文を作るとなると直読を訓練する必要がある。
訓読オンリーではリズムが掴めないのでお粗末な文言になる。 623 自分:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2014/01/16(木) 00:06:27.88 ID:jI9evkbd [2/4] ?PLT(14000)
宗教研究室でものを調べるというのがどんだけ鬱かというと
ひたすら儒教の注釈を読んで
儒者(馬鹿)が近代人みたいに出典・引用・ソースを書かないのを
図書館から探し出して来て
なんとか注疏のこの行の事を言っている、とか言う
作業を延々とするだけ。
で、それを仕切ってるのが吉川とかいう人生に意味のない人。 じゃあやめればいいじゃん
それに従事してるおまえも人生に意味ないな 意味の抜け殻だよ
そのおちんちんは何のためにあるの 裕ちゃんのおちんちんは何のためにあるの?
使うと大切な人を傷つけてしまうの? なぜ裕ちゃんのおちんちんは
人を傷つけるの?
人を傷つけるおちんちんなんか
切断してしまえ 結婚するつもりないのに結婚しようって言った
裕チャンの嘘つき ★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
↑マスコミや、カルトのネット工作員がやっていること
TVなどが、偏った思想や考え方に染まっているフリや常識が通じないフリをする人間をよく出演させるのは、
カルトよりキチガイに見える人たちを作ることで批判の矛先をカルトから逸らすことが目的。
リアルでもネットでも、偽装左翼は自分たちの主張に理がないことをわかっているのでまともに議論をしようとしないのが特徴。
,.., 中国の本屋に行ってみて驚いたよ。
中古音とか上古音を解説した本が売られている。
日本では中古音とか上古音を書いている本ってまるでないんだな。
方言についてだけど、ほとんど全ての地方の方言についての解説書が売られていた。
日本では広東語、上海語、台湾語ぐらいしか売られていない。
日本の中国学ってぶっちゃけ欠陥だらけじゃないの?
日本語ができる中国人留学生に協力してもらって一から作り直したほうが良いかもしれない。 >>904
日本人の音韻研究者は殆どいないね。
レベルは高いけど。日本で音韻の本を見たことないならあなたが知らないだけ。 >>906
日本語で書かれた概説書で思いついたところでは
・藤堂明保『中国語音韻論』、江南書院、1957年。
・牛島徳次ほか『中国文化叢書1 言語』、大修館書店、1967年。
(平山先生の中古音推定音価あり)
・小倉肇『日本呉音の研究』、新典社、1995年。
(中古音までの各時代が分かりやすくまとまっている)
・太田齋『韻書と等韻図』、神戸市外国語大学研究叢書、2013年。
(中古音で特に問題となるものについて詳細に書かれている。概説書としては難しすぎる)
・李思敬著、慶谷寿信・佐藤進訳『音韻のはなしー中国音韻学の基礎知識』、光生館、1987年。
(詳細な注釈付き)
・大島正二『中国言語学史 増訂版』、汲古書院、1998年。
(音韻の基本知識+音韻学史。読みやすい。)
・大島正二『唐代の人は漢詩をどう詠んだかー中国音韻学への誘い』、岩波書店、2009年。
(持ってないので分からない)
ぐらいっすね。 そんな事より東北大学の吉川裕チャンの話を聞いてくれないかな。
2011に女性に勃起した男性器を見せつけた吉川裕クン(東北大学大学院博士課程)だけど
おチンチンの事黙って欲しかったのか、思ったようなリアクションを貰えなかったのか
創価学会員の教員に女性が騒がないように口封じをしてもらったんだよね。
おかげで私は創価の教員から吉川裕の仕事の邪魔をしたから地震が起きたとまで言われたんだけど
じゃあ吉川君のペニスって素敵、って言えば
地震は防げたのかい?ねえ吉川君 >>907
それだけ挙げてもらえれば十分ですね。ありがとうございます。
一番最後の本は読んだことがあったと思います。
他の本についても目を通してみます。 東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで
東北大学大学院文学研究科の吉川裕を墨水に沈めるで 進路先が「宗教団体」
http://megalodon.jp/2014-0312-0031-06/www.sal.tohoku.ac.jp/shisoshi/daigakuin.html
大学院修了者の主な就職先
博士前期課程
警視庁、私立高校教師、福島市役所、宮城県図書館、
→宗教団体職員、宮城・山形・岩手などの県立高校教諭(多数)、
金沢市役所、山形県庁、仙台市役所、ビエンチャン大学 今日は渋谷ですれ違いの東大の女子大生が
「自分は浪人率60%の所から東大行ったけど
開成みたいな受験校から東大いけない男もいる」って話してた
悪い感じは全然しなかったし
その子に悪意はないと思ったけど
これが吉川裕(東北大学大学院文学研究科)というレイピストを産んだ背景なんだなと思った
でも東大女にも気付いて欲しい
コンプレックスのはけ口にされるのは民間人である事を 「お前のせいでプライドが傷ついた、一生恨む」などと後輩の女教師にキスした教諭、懲戒免職に
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1400212379/
裕チャンの仲間 「お前のせいでプライドが傷ついた、一生恨む」などと後輩の女教師にキスした教諭、懲戒免職に
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1400212379/
裕チャンの仲間 吉川裕「腐女子にリアル男性器見せたったw」
クズ「それでそれで?」
吉川裕「ショック受けてたよ」
クズ「やるぅ〜」
※東北大学大学院文学研究科の吉川裕チャンは
2012年2月追い出しコンパの席にて
ペニスが勃起して膨らむ所を女性に見せました。 古文辞は吉川裕の人生を予知していた!?
★荻生徂徠の人生もう一回おさらい★
宗教のお見合いで変な嫁貰って
遊女遊びで現実逃避して貧しいのを
政府の御用学者として税金ちょろまかして生きる
農家の嫁を思い出して羨ましく思うが
自分の人生が狂っているので手遅れ 家は新築、車は新車、女は処女がいい!!
そして、霊能者は若手のホープ八意(やごころ)先生21歳しかいない!!!
そんなつまんない話よりも、こっちこっち↓笑える休憩タイム。
八意先生による無料心霊写真鑑定J〜Rの記事を更新!!!
【「指ぱっちん」の天才霊能者八意先生に関するサイト】
日本一の天才霊能者の八意先生は埼玉県八潮市生まれ育ちの21歳です。
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↑一番上に表示される
「ハッカー伝言板改めえむびーまんの日記帳(山本隆雄ブログ)」
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八意先生の無料心霊写真鑑定の記事一覧が表示されます。
八意先生が口にしたことは絶対に起こりません(地震が発生する日付の予想など)。
しかも、心霊写真鑑定も間違いだらけのデタラメばかりです。
でも、あなたのどんな悩みでも、八意先生が「指ぱっちん」で解決してくれます。
一応、コメントも含めてすべて読んでみてください。
コメントの書き込み・誹謗中傷も大歓迎です。
困ったときの八意頼み、神様仏様八意様!
荒らしや煽りはスルー!
⊂ 米青 ネ申 禾斗 ιこ 彳〒 ιナ ⊃ ☆☆☆☆☆
☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆ リーチャオワイミーチン
ホーチー…?
チャンマイチョモランマイーチャン >>1
普通語(現代北京語)で、漢詩作詞当時の音調が取れるわけがねーだろ
同じ漢字でも読みが全く違う
中世フランス語で書かれた歌の直訳を、現代英語で歌うようなもの 世界中の迷惑。
中国人!
そんな国の言葉を学ぶのはバカそのもの。
京都・祇園で中国人観光客のトラブル相次ぐ
当たり屋」疑惑も持ち上がり、外国メディアが報道 琉球政府時代は、奄美人の犯した罪を「また大島(オオシマー)」と軽犯罪であってもことさら大げさに「奄美」を見出しに書き散らし在沖奄美人に対する差別を煽り、
現代では内地に対する憎悪を煽り続ける、沖縄のレイシズム憎悪新聞の沖縄タイムス、琉球新報を許すな!
惠 隆之介
沖縄女子中学生拉致強姦殺人事件詳細
犯人二人は日本人労務者ではなく、在日韓国人(メディアは「奄美大島出身」と報道)あまりの残虐さに気分が悪くなります。
https://www.facebook.com/ryunosuke.megumi/posts/1016469715051187 全然漢文の話してないじゃないですか? ショックです。きょうはじめてきました。 具体的に、ちゅうごくおんでよむためどう入ったらよいでしょうか? 文選に入ってる古詩十九首を注釈付きで読みたい。本文のみのものではなく。例えば、努力加餐飯の文に対して、下に善曰餐飯○○也など。ただ、書名を忘れてしまった。誰か教えて下さい。 >>943
持ってませんが、全釈漢文体系28-29に収録されてる可能性がかなり高いと思います。 ガールズチャンネル "はねても止めても正解 漢字の細かい違い許容"
荒れそうです。
中国から伝わった漢字を伝承し活用してきたのに漢字を壊されてしまいます。
頭は悪いですが漢詩が好きです。
反論お手伝い願えませんか。 漢文がなぜ国語の授業なのかを考えた方がいいよ
外国語学習というよりも、古文の延長だよ
そもそも呉楚の漢詩を普通話で発音しても無意味 英語の修得とゆー面においても効果的だと思ったー(小並) >>950
漢字の意味は其れ程変化していないから普通語でいいと思うよ
現代ですら地域で発音が違うわけだし かんしぶんをマスターするには
中国語を学ぶ必要あると思う
https://goo.gl/vPeQ3C 平仄の勉強に終始した方が速成するわ
先人の智慧に脱毛する本気で ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ >>952
現代中国語と漢文では
文法は全然違うよ https://goo.gl/lnuJ9f
これ普通にショックだよね。。
本当じゃないよね? これ本当なの?
普通にショックなんだけど。。
https://goo.gl/qP1Azu 別に中国の文化学ぶというより、理解力のための勉強だから、中国語で読む必要ない。 今年から中国語履修し始めたら
漢文の点数上がったわ やはり訓読調で読むのが日本人の漢文の学び方だと思うよ このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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