>>170
> 小西氏によると、タリ・リは過去にあったことを今実感していると説明がありました。
> それを便宜的に説明すると「〜している」に当たるので存続だろうと、
> つ・ぬは、確述であり、その物事が完全に終了したことを示す。
> キ・ケリは回想であるが、ケリは今気づいたこととして回想してる、とのこと
それが、なぜ
> これを考えると、つ・ぬが、けり と結びついた時は、タリ・リと同じ意味になるとかんがえていいのでしょうか?
という結論につながるのか、少々わかりかねます。難しく考えすぎでは?

少なくとも「花咲きたり」と「花咲きにけり」が同じ意味になるということは、ありえません。
「入門文法書」に単純に従って「花が咲いている」「花が咲いてしまった(なぁ」と解釈しわけるのが、かえって正解でしょう。

「つ・ぬ」と「たり・り」的な完了表現のニュアンスの違いというのは、現代語にもあるもので、たとえば
「その書類ははとっくに提出してしまった(つ・ぬ的)」「その書類はとっくに提出してある」(たり・り的)
前者は、「提出という行為の完了・終了を確述」、後者は「提出という行為を改めて実感して確認」的なニュアンスを感じませんか?
で、「〜てしまう」「〜ている・てある」というのは、入門文法書における「つ・ぬ」「たり・り」の訳語そのものですよね。

入門文法書の、一見単純な説明というのは、多年にわたる文法研究の成果の上に成り立っているものです。
まずそこから出発することをおすすめします。