古文漢文板の質問スレ4 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
山があり、その(山の)名前は去痓。
南の最果てにあり、その山を北に移すことは叶わず、結局去痓のままだった。
天帝様が山の位置を決めようとでもした創世記みたいな神話的な話なのかな。 山有り、名づけて去?という
(病気を治すために)南より極めて北を果たす(地球を一周した)も、
病を去ること成らず、(山は発見できず)、果つ(死んだ)
私ならこう解釈しますね。
地球が丸いことを知っているとしたので、新しい文章でないと困ります。 漢文で果の字が「(地の)果て」や「死ぬ」の意味で使われることはあるんでしょうか?
ちなみにその文は、世界は平らな大地で中華がその中心に位置しているという考えが常識だった時代に書かれたものなので、
地球一周の観念が著者にあった可能性は低いと思われます >>538
「果」のそういう使い方は日本独自の用法(いわゆる国訓) >>538
>>539
地球一周はさすがに言い過ぎました。
果たすは「とげる」の字義で読んでいるつもりです。極=果で「きわめる、つくす、とげる」かな・・・
果=死は国訓でしたか・・・
となると、私的には、痓(病?)を去るの果を成さず、ですね。
(どんな病をも治してしまう)去痓という山がある(らしい)
南から北へと(あらゆる手段を)尽くしてみたが、
(去痓山は発見できず)病を去るという成果は達成できなかった。
こんな感じでどうでしょう? あと、確認ですけど、この文章はホントに中国人の手によるものですか?
初見の時から、どうにも和臭を感じているのですが・・・ 少し調べたら、全く頓珍漢でした
山海経の中の一節ですね。
大荒之中,有山名曰去痓。南極果,北不成,去痓果。
さまざまな注釈の中でも難解とされているそうです。
結論は、読めません、です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています