☆的を「得る」とか「役不足」を誤用する馬鹿 24☆
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『的を得るとか役不足を誤用する馬鹿は、IP抜いて素性暴いて晒し者にしてもいいと思う。
それと、「食指」じゃなくて「触手」が伸びるとか言ってる奴は、
人間じゃなくて火星人か何かだろうから、地球防衛のために捕まえて
処刑してもいいと思う。』
って、↓のスレで土曜の深夜から日曜の夕方にかけて284連投したキ〇ガイが言ってました
前スレ
★的を「得る」とか「役不足」を誤用する馬鹿 23★ [無断転載禁止](c)2ch.net
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/kobun/1530392412/ 予備校講師をしていますが、確かに、to the pointを「的を射る」と訳すことは生徒たちを前にしてはできませんね。
ここ数年、民放のバラエティー番組などで何度も「的を射る」が正しいという解説を見ることがあるし、最近ではネット辞書などでも「的を射た」というのをたまに見るけど、さすがにこの意味で「的を射る」はあまりにもおかしいと感じるので、
授業ではto the pointは「当を得て(いる)、要領を得たもので(ある)、適切で(ある)」と言ってきた。 ちなみに、「的を得ている」の「的」というのは弓や銃の対象、つまり「的中」「射的」の的ではなく
「的確」「的然」「的的」などの的で、「明白なさま、間違いのないさま」という意味。
漢文訓読で「的ラカ(あきらか)」
この意味の「的」は「射る(撃ちあてる)」より「得る(把握する・理解する)」ほうが自然。
それでもここ10年ほどマスコミがうるさく「的は射るものだ」と言っていて、
感受性豊かな思春期の子供たちも見て真に受けているので、
授業では無駄な議論を避けるため、「的を得る」とも「的を射る」ともいわず、
「当を得る」「要領を得る」「適切である」という表現を使うようにしています。 国を保てなくなり頼むから併合してやったのに、
恩を仇で返すバカチョン民族。
従軍慰安婦問題?
そんな問題はない!
親が金に困り娘を売った。
娘は知らなかった。
それだけだ。
恨むならチョンなんかに生まれた運命を恨め。
恩を仇で返すバカチョン民族。
世界の三大嫌われ民族
チョン公
ユダ公
露助
東洋のユダ公=チョン公。
在日、巣へ帰れ、失せろ、消えろ。
在日は、羞恥心がないから、日本人の蔑む仕事をやる。
そういう仕事は、金になる。
アイデンティティがないから、金しか頼るものがない。
白丁←検索のこと。 >>93
俺らはずっといたよ
マスゴミとかの声がデカくて敵が優勢に見えただけで、アンケート見れば日本人の半分は何十年も的を得る誤用説を無視してる
つーかみんな同意してないから長い事「議論の途中」だったわけで
証拠もないのにもう誤用だと決まったような話をしてた連中が頭悪過ぎなだけ 「的を射るの間違いで的を得るが生まれた」という証拠も何もないし、
同義語や類義語がいくつあっても構わない事を考えれば、的を射るの存在って的を得るが正しいか間違ってるかに全然関係ないんだけど
なぜ並べて関連付けようと思ったんだろ? >>107
「説明らしきちょっとした文章」をつけると馬鹿が信じやすくなる
よく考えれば「的を得ると似た言葉がある」「その言葉は意味が通じる正しい言葉である」という事は
「的を得るは間違った言葉である」という証明にはなっていないんだけどね
俺の言う事が理解できない奴は高校まで戻って証明という言葉の意味と必要な手順を学びなおせ >「説明らしきちょっとした文章」をつけると馬鹿が信じやすくなる
↑
それは馬鹿AKIがよくやる手。 的を得るを使ってたのが大正生まれまでとか言ってる奴は頭大丈夫か?
「じゃないかな」から始まって長々と続けるってどんだけおざなりな理論展開だよ >>109
前々から思ってたんだけど、何故かこの板は数学能力に極端に劣る人間が多い気がする
数学の証明にはある程度筋道を立てた文章力が必要なように
国語での理論展開にも証明、条件、集団等最低限の数学力は必要なんだが
同義語が存在する言語において
「意味Aを持つ単語A'が正用であるとき、同様の意味Aを持つ単語A''は誤用である」
が成立しないことなんて、中学生でも分からなけりゃいけないのにな 一番謎なのは「的は射るもの」などという無茶苦茶な決めつけがまるで正論のように扱われていたこと
何故か鵜呑みにして盲信してた奴が一時期わんさか居たが
言い出した奴の顔が見てみたいわ、どんなアホ面してるのか 言い出したのはおそらくコイツ↓でしょう。
31名無氏物語2018/07/14(土) 00:05:22.15ID:oLwhMyit
>>30
「的を射る」とは「的確に要點と捉ふ」と云ふ意味である。
此處で云ふ「捉ふ」とは「得る」「理解する」「悟る」と云ふ「受動」を意味しない。
35名無氏物語2018/07/14(土) 00:25:00.46ID:oLwhMyit
>>34
「的を射る」と「的を得る」とは同じ意味にはならぬ。
而して「的を得る」は文章としても成立しない。
「得る」とは「我が物とする」と云ふ意味だが、「的を射る」にそんな意は何處にも存在しない。 2ちゃん的にはおおいにあり得るが(その旧仮名君が広めた)、
日本全体でいうと、やっぱり辞書編集者たちだろうな。
三省堂だっけ、
「的を得るが間違い、というのは誤りでした。」と発表したのは。
最初に的を得るが間違いといい出したのは、このあたりの辞書編集者たちだろうな
だいたい一般大衆は、辞書というものを完璧に正しいものと思い込んでる。
新聞なども、枕言葉(枕詞)のように、「広辞苑によると」と書いて、物事の定義付けをしようとしている。 毎度毎度書き換えられてるのにね。
英和辞典なんて、ジーニアスでさえ、版ごとに品詞の扱いまで変えることが多々ある。 >>94
一応「慣用されてる内に特殊な比喩的意味でしか使われなくなった固定的な語句の組み合わせ」みたいな感じの定義があるのよ
ただこの定義、割とガバガバなんで専門家でも話半分にしか考えてない
本物の国語学者が書いた本だとタイトルが「慣用句・ことわざ・言い回し辞典」とかになってて
前書きで「ある言葉が慣用句か諺か、あるいは単に修辞なのかは判断基準が曖昧なのでこの本では分類していない」みたいな断り書きがあったりする 例えば「尻に火がつく」は事態が差し迫って追い詰められた状態になる、という慣用句として辞書に載っているが
火事になったときに服のお尻の所に火がついたら「尻に火がついた」って言っちゃいかんのか?って言ったらそんな事はないし
後ろから何かに追い立てられたように急ぐことを「尻に火がついたように」と形容するのも、ちゃんと比喩として成り立ってるし誤用扱いされてるのを見た事がない
あと「固定的な語句の組み合わせ」だからって「尻」を「ケツ」や「臀部」に替えたら意味が分からなくなるというものでもない
ぶっちゃけ「背中」や「後頭部」とかにかえても同じ意味の新作比喩表現が出来るんじゃないかってくらいどうでもいい
下手をすると、Wikipediaとかで調べた慣用句の定義を厳密に適用すると
日本語に慣用句はほとんどないかもしれないw
でも専門家気取りの勘違いしたシロウトの誤用警察さんはこういう事言っちゃうんだよね…
「『尻に火がつく』は慣用句だから『尻』を『ケツ』や『臀部』に変えると意味が通じない!誤用!」 >>112
この板というか文学部の教授レベルで
自分の専門分野で未証明の仮設を検証もせずに頭っから信じてる奴がいるからね
そういう事だから「文系は理系と比べてバカ」みたいなイメージが出来ちゃうんだと思うよ >>119
そもそも別の単語に言い換えても成立する慣用句なんてかなりあるんだよなあ、例えば
口を出す > 口を挟む
宙に浮く > 宙に迷う
目に付く > 目に留まる
汗をかく > 汗を流す
顔から火が出る > 面から火が出る
全て慣用句辞典に載っている言葉
通じないような単語に言い換えるなよ、ってだけで
同義の慣用句があっていけないことには全くならない
何故なら実際に慣用句の同義語は存在するから
∴「的を射る」と「的を得る」が仮に慣用句であったとして
慣用句の同義語として両者存在することに、慣用句の如何なるルールにも違反はしていないんだよね そりゃあ当を得るでいいし、要領を得るでもいい。
でも「的を射る」は本来この意味では使われない。 「当を得る」と「的を得る」は言葉としてのニュアンスが違う
「当を得る」は「正しいこと」に主眼があるけど
「的を得る」は「上手い」「凄い」のような間投詞的な含みが多分にある
英語に例えるなら「当を得る」は"correct"で「的を得る」は"marvelous"
「当を得る」の用例として「彼の当を得た発言には感心した」というのがあったけど
「的を得る」なら「彼が的を得た発言をした」だけで感心したことまで暗に表すことができ
いちいち文言をくどくする必要がなくなる
こういった違いは辞書を捲ってるだけでは分かり難い >>125
> 「的を得る」なら「彼が的を得た発言をした」だけで感心したことまで暗に表すことができ
其だつたら其を「得る」と表現するのはをかしい。
「得る」は手に入る。自分の者にす”の意。
對者の發言を評するに「得る」と云ふのは固より適切では無い。 あのね、お前の感性に従って言葉があるわけでなく、長い間の人間の生活や共有の意識・感性の中で今の日本語がある。
いちいちお前がどう思うかはどうでもいい。 >「得る」は手に入る。自分の者にす”の意。
え?
「的(物事の核心、要点)を得る(自分のものにする)」だから
つまり「完全に把握してる」って意味で合ってるじゃん
むしろ何が違うんだ? まと というのは、適宜 のような意味で、える というと、
につかわしい みたいな意味かな。 >>132
> まと というのは、適宜 のような意味で、
的とは核心、要點と云ふ意味。
適宜とは合つてゐる縡。適してゐると云ふ意味。
雙方共に意味は違ふ。 >>131
其では詞の使ひ方としてをかしいだらう。
「當を得る」の「得る」とは自分自身の縡なの歟(嗤)。 そもそも「当を得る」という表現は単なる俗語に過ぎず、もともと日本語にあった表現ではない。
明治期に外国かぶれの若者たちの間で流行した英・漢文直訳型の「洒落た言い回し」であって、昭和に入ってから定着したものの、明治末期にはまだ「新しい洒落た言い回し」でしかなく、「最近の若者は言葉を勝手にもてあそぶ」と眉をひそめられるようなものだった。 ちなみにハイレベルな外国語翻訳では、この手の「翻訳調」は控えるのが原則。
「実に当(要)を得ている」は「実に核心をついたものである」「的確そのものだ」などとするのが正解。 >>135
> そもそも「当を得る」という表現は単なる俗語に過ぎず、もともと日本語にあった表現ではない。
>
あのね
じゃおたくは元々日本語にあった言葉だけで書き込みしなさいよ
まず漢字ひらがなカタカナは使えないよ
中国から来たものだからね
やまと言葉だけでは書き込みもできない
百歩譲って文字は使うとしても、元々日本語にあるという観点から言えば、殆どの熟語も無理
清少納言みたいな文章書いてりゃいいよ
それか万葉仮名とかさ 訂正
○まず漢字は使えないよ。そして漢字をもとにした平仮名カタカナだってアウトだろ、おたく的には。 日本においては、漢字やカタカナ、ひらがなが、
もともと日本語で使われてきた「和語」を表記するために利用されてきたものなのでは? 「的」は、「(弓矢、銃の)標的」と言う意味のほかに、「物事の核心、要点、要」「明確である様子、正しい様子」という意味があります。
少なくとも「標的」も「核心、要点、要」も、「目指すべき(守るべき)もの」というところからきているのでしょう。
「得(う)」は「手に入れる」のほかに、「把握する(理解する)」「〜することができる(成功する)」と言う意味もある。
「掌握するを得たり」というと、「掌握することに成功した(掌握することができた)」
「已むを得ず」というのは「抑える(止める)ことができず」
など。
<的を得る>は「要点(要)」を「把握する」と受け止めるのが自然でしょうね。
ということで「当を得る」「核心を突く」「当を得る」これらには>>125さんの言うようなニュアンスの違いは全くありません。
「当を得た表現」「的を得た表現」の場合は、どちらも「見事な(上手な)表現」と言う意味になり、
「その回答は実に当を得たものだった」「その回答は実に的を得たものだった」
の場合はどちらも、「その回答は実に的確な(正しい)ものだった」 的確、という言葉がすでに、的を確かに(捉える)という意味だしなあ >的とは核心、要點と云ふ意味。
そうであれば、「要点を得る」と言うように「的を得る」も成り立つはずなのに、
何故このように↓言い張るのですか?
>「的を得る」は成句としても他動の意味としても文章として端から成立してゐないのである。
>「的」と「得る」との閧ノ語彙としての關聯性は何一存在しない。
>ID:SzcDThu2の莫迦は此の基本的の縡が何一判つてゐない(嗤) >>141
それは違います。的確の「的」は名詞の「要点・要」ではなく形容詞で、日本語では形容動詞「的ラカ(あきらか)」
的確の「確」は他動詞ではなく形容詞。日本語の形容動詞「確カ(たしか)」 それは中国語の熟語としての話?
そんな熟語をいちいち中国語の本来の意味や品詞に立ち戻って解釈とか、今、関係ないだろ
皆自分の知識をここで披露したいんだろうけど、言葉はコミュニケーションの道具であるということを忘れるな
本来の意味とかいって、遡るのもいいけど、いったいどこまで遡ったら真実がわかるんだ?
そのうち、漢字の成り立ちにまで溯って蘊蓄を垂れそうな勢い。 >>144
中国語じゃなく、日本語の二字熟語としての意味ですよ。
日本語の「あきらかなり(的らかなり)」と、日本語の「たしかなり(確かなり)」を組み合わせた、日本語の二字熟語です。 役不足とはG1レヴェルのオシャレにないとか、ファッションしていて色気はダメ
というころじゃないの? >>142
> そうであれば、「要点を得る」と言うように「的を得る」も成り立つはずなのに、
「得る」のは「要點」では無く「要領」である。 要領=要点
要領を得る=要点を得る
さすがに情けない >>134
「得る」には「把握する」の意味もあるじゃないか 「要領」に「得る」が適用されて
「要点」に「得る」が適用されてはいけない理由が全く思い当たらない
というか「要領」の意味が「物事の主要な部分。要点。」となっているんだけど >>151
「的を射る」(要點を捉へる)と云ふ辭は一體誰が誰に對して用ゐる辭なんだい(嗤)。 「的」に「物事の要点、核心」の意味があることは知ってるよね?
「物事の要点、核心を把握する」
どこにどう問題があるのか説明よろしく >>153
的を把握するとは何う云ふ意味なんだい。
固より文章になつてゐないだらうに(嗤)。 >>157
では「的を得る」とは自分が自分に對して用ゐる辭なのかい(嗤)。 >>158
誰が誰に用いるかということで「的を得る」という言葉に何の影響があるんだい? >>161
おい/\「得る」とは何う云ふ意味なんだい(嗤)。 >>164
「得る」は手に入る。自分の者にすの意。 >>165
「把握する」の意味もある
というか質問に対して質問で返すということは会話の手順を理解していないね君 >>167
三省堂国語辞典はさう云ふ見解を述べてはゐないが(嗤)。 >>168
別に三省堂が全て正しいとは言わないし(現に「的を得る」を語訳として記載していた)
どのような理論展開でそうなったのか、編纂者の意見を引用して説明よろしくね >>167
飯間浩明
『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。
「◆的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。
「当を得る・要領を得る・時宜を得る」と同様、「得る」は「うまく捉える」の意だと結論しました。
詳細は「得る」の項を。 把握する でも うまく捉える でも正しく解釈出来るんだからより正用としての信憑性が高まる訳だが しかもこいつ「説明」という言葉の意味を理解してないな
さすがはフンドシ >>172
「把握する」と「捉へる」とは意味が違ふ。 うん知ってる
こういう輩のせいで、文系人間は中学生レベルの数学も出来ないなんてバカにされるんだろうな 言葉の知識もなく、文法的理解もなく、ただひたすら無意味に旧漢字を使うのは
おそらく底辺の理系(技術職)だからでしょう。
実は理系(技術職)のほうが数学ができない人間が多い。
数学は文系と同じく論理力が必要だからね。 >>175
固より雙方共に向けられる射程が違つてゐるのだから、「正しく解釈出来るんだからより正用としての信憑性が高まる」と云ふ縡は無い。
>>176
「無意味に旧漢字を使う」等と云ふ無理解の連中は其こそ何故か文系に多い。
理系からはさう云ふ文句は殆ど言はれない(嗤)。 それはおまえが理系と会話出来る能力がないから
射程とか頭逝ってるな >>176
全く無意味だよな
相手に意思を伝えるのが目的であれば、より相手が理解しやすい文言を使うのが当然の措置だ
過去の書物から引用したり、歴史小説等で演出のために旧仮名や旧漢字を使うのは(好き嫌いはともかく)意味があるが
web掲示板の会話で使われても寒いだけ
後半は意味不明
論理力は数学でもある
まあフンドシは文系理系以前に国語も数学も義務教育の範疇の知力がないから論外だけどな
例えば
1.「双方共に向けられる射程」とは何を表すのか(今までに無い文言で突然反論?をしてそのくせ全く説明なし)
2.「射程」が、何故、どのように「違っている」のか
3.「射程が違う」と何故「信憑性が高まると言えない」のか
ここらへんがごっそり抜けてるからチンプンカンプンな怪文書のような代物になる
相手に理解させるための最低限のことすら説明出来ないのがフンドシ 褌大人気!w
ここを改めて見てみれば 『褌と戯れるスレ』になってるな そういや最近たまに「体たらく」を単体で使う奴を見る
「酷い体たらくだ」とか「あの体たらくで〜」とかじゃなく「体たらくな誰それが〜」のように使う
まあ「体たらく」は一般的にネガティブな状態を表すのに使われるから何が言いたいかは理解出来るんだけど >「体たらくな誰それが〜」
さすがにそれはないでしょ、と思ったけど…
可能性としては、コピー位置の問題かも。
たとえば「ああいう体たらくをさらした誰それが〜」と言う意味で「ああいう体たらくな(の)誰それが〜」
と言ったんじゃないでしょうか。
日本語では連体修飾節を軽く「の」で終わらせることがよくある。
そして「の」を形容動詞みたいに「な」という人も少なくない。響きはよくないですけどね。
そういうことじゃないでしょうか。 >>182
いやそこじゃなくて、その例文だと
「ああいう体たらくな(の)誰それが〜」ではなく「体たらくの(な)誰それが〜」となってしまっている
「体たらく」は単体だと「様子」や「有様」を意味する言葉であり
「[どのような]体たらく」かを示す形容詞が必要になるんだけど
「体たらく」だけで使っている人が居るということ
現代は一般的に「〇〇の(な)体たらく」は好ましくない様子を表現するために使われるので
(「あの体たらく」と言って良い意味で受け取る人はまず居ない)
「体たらく」自体に「好ましくない様子」という意味があるのだと思い込んでるんじゃないかという推定は出来る
と思ってちょっと調べたら単体で誤用してる例も↓の下の方に載ってるな
p://xn--n8j320ixuiolgtssen2b.com/%E8%A8%80%E8%91%89/teitaraku-imi.html そうなんですね。世の中ほんとにいろんな風に言葉が変わります。
おもしろいのが「けし(怪し)…怪しい、異常だ」。
この意味をあらわすのに未然形に「ず」を付けた「けしからず(怪しからず)」もよく使われるようになってあまりに定着してしまったから、
打消しの意味を言うために、わざわざ「けしくはあらず(怪しくはあらず)」と言うようになった。
200年もたてば、「やむをえず」が「やむをおえず」でもよくなり、辞書に漢字表記で「止むを得ず・止むを負えず」とか併記されるようになったり、
「体たらく」の語義に、別の意味が追加されるようになるのかもしれないね。 >>176
> ただひたすら無意味に旧漢字を使うのは
×新日鉄住金
◎新日鐵住金 近世に作られた和製漢語「為体」の元は「体たらく」
<体(様子)+「たり」の未然形+「く」>
「〜のような体(様子)であること」「〜の姿」と言う意味。
それが近世に入って「無様な様子」を示すようになり、「為体」という和製漢語も作られた。
漢文では「為…之体」「…の体たり(…の姿である、…な様子である)」。
本来の和語であった「体たらく」を「無様な姿(為体)」とする用法は近世に始まる。 固有名詞と、文章の中の一般名詞・動詞の漢字や助詞・副詞の仮名を混同するとか
頭おかしいにも程があるな >>184
あなたは>>143ですよね
あなたはかなり高齢な女性ですか?
何か書いてることが、現代日本語とはいつも若干ズレてるように思いますが >>184
けしくはあらず、なんて現代日本語では使われないでしょう
けしからぬ(けしからん、けしからず)は使うけど
終止形のけしからず、は事実上使われてない。
ましてや「けしくはあらず」は古語の範疇でしょ。
そんな言葉を例に出されてもピンときませんけどね
書いてることの方向性は理解できますが
何かズレてる >>191
ここは古文・漢文の掲示板。
さらにいうとけしからずもけしくはあらずも、女性語というわけではない。
ちなみにたとえ100歳女性でも「現代女性」であることに変わりはない。 現在100歳でご存命の女性を「現代女性」に含めるかどうかは文脈やニュアンスによると思う
意識して使ったことはないけど、俺が使うとすれば基本的には含めないつもりで言うだろうな 100歳であれば、古語ではなく、現代日本語を使うという点では同じでしょうね。 馬鹿AKIババアとはID:gLMjVT28のこと。
平日の深夜に書き込むのが認知症老人である証拠。
痴呆が進んで時間の区別もつかなくなっているらしい。 現代日本語を使う=現代女性 なんて解釈初めて見たわ 100歳は現代女性ではないという話もなかなか聞きません。
現代女性…現代の女性、現代に生きる女性 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています