>>384
それは>>380にこそ当て嵌まるんだが
そういう意味ではないなら、どういう意味であるかの説明がない

あと

>「的を得る」からいきなり「要點を理解する」に飛ぶ。
>何うして態々「要點」を「的」に言替へてゐるの歟。

何故言い替えてはいけないのかな?
現代において「的」に「要点」の意味がある訳で
もし言い替えがなかったらその意味は存在しないことになる
逆説的に言い替えが発生したという想定が出来ない方が不自然

>言替へるには言替へる丈の理窟が本來其處にある筈だが、中閧省いてゐるせゐで其が全く見えてこぬ。

原文の意味をそのままなぞっても中間すら見えて来ないな

>「的を得る」とは具體的に何う云ふ状況を顯してゐるの歟。
>國語で「的を得る」を云ふ状況は抑説明が出來るの歟。

今までに散々説明されている

>だから「射て的に中てる」に相當する中閧素つ飛ばして、いきなり「要點を理解する」に飛ぶ。

おまえの想定する「中間」とは?
ないものはすっ飛ばせないから当然想定する「中間」がある筈だよな

>だつたら普通に「當を得る」で宜い筈である。

「当を得る」でなければならないという必然性は言語における同義語・類義語の存在によって否定されている
つまり「当を得る」の存在は「的を得る」の否定にはならずその論は完全に無意味