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李氏朝鮮VS琉球王国
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0002マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 21:32:52.56ID:iiSPn5rk
またかいな
0003マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 21:33:26.77ID:Fr1sEHKL
ちゅちょちぇ〜?👶
0004マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 21:51:56.88ID:Gy1eRmyA
無職で無能なのに民族差別なんて恥ずかしくないの?
0005マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 21:58:18.37ID:Gy1eRmyA
沖縄差別の正当化の為に琉球の粗探しなんて恥ずかしくないんか?
0006マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 22:03:23.19ID:iiSPn5rk
そんじゃあ良と上里大先生についてはどう評価してくれんの?
0007マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 22:04:19.78ID:Y94NH5fj
ハングル板のおっさん達は不都合なレスは見えないから無駄やぞ
0008マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 22:05:19.29ID:Y94NH5fj
>>6
うおおおおおお論点ずらし来たああああああ
棚上げすげぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!
0009マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 22:08:27.77ID:iiSPn5rk
学問板らしいことも語れないんならゴミは巣に帰れよ
0010マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 22:10:43.21ID:Y94NH5fj
差別する事は学問😈

0012マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 22:14:26.11ID:Fr1sEHKL
とうふです☺
 さあ、あなたはいよいよ、とうふ真理教へ入会なさいました👏
 あなたがとうふ真理教へ入信した動機、つまり、なぜ真理を実践しようと考えたのか😟これを、心にまず三度、思い浮かべましょう☝
 思い浮かべることができましたか?🙆
 次に、あなたの入信目的を達成するための教えの実践、この教えの実践が伝授されたならば、速やかにそれを、「すこるぞ!✊すこるぞ!✊すこるぞ!✊」と三度決意しましょう🙋
0014マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 22:17:13.56ID:iiSPn5rk
まあ荒らしが常駐してくれるようだから以後のスレ落ちだけは免れるか・・w
0015マンセー名無しさん垢版2018/08/03(金) 22:19:43.69ID:Y94NH5fj
ざっこ
0016マンセー名無しさん垢版2018/08/04(土) 00:45:30.09ID:5JxVNqJ0
73マンセー名無しさん2018/07/01(日) 17:06:11.97ID:WNKs+u84
水谷知生
南西諸島の地域名称の歴史的および政治的背景
地理学評論 82–4 300–322 2009
https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj/82/4/82_4_300/_pdf/-char/ja

話題が変わるけど、これ、事実関係の整理としては面白い。
まあ、しかし、この手の論文を書く人は「地域名称の政治性ガー」って言わないと気が済まないんだろうか。
庶民には見渡すこともできない広域を命名対象として認識する必要性が全然ないわけで
海軍あたりが必要に迫られて名前をつけるのに何の不思議もない。
0017マンセー名無しさん垢版2018/08/04(土) 01:00:17.72ID:5JxVNqJ0
 南西諸島の測量は1873(明治6)年2月から7月に海軍水路寮によって行われ
6),南西諸島地域の最初の水路誌である『南島水路誌』(柳1873)は,測量
指揮にあたった柳 楢悦によって同年11月にまとめられた.この『南島水路誌』
で初めて南西諸島の地域名称が体系的に記述された.南西諸島全域は「南島」
とされ,島嶼群を「先島」,「琉球群島」,「奄美群島」,「土噶喇群島」,
「大隅群島」の五つに区分している7).
 (中略)
 柳(1873)はまた序文で,「南島の地名は,中国名,西洋名,日本名が錯綜
しているが,島々は我が国の版図に入ったのであるから,名称は土俗の呼称に
従って記載する」と述べ,英国海軍水路誌の名称をそのままはとらず,名称を
自ら整理した形跡がある.Meiaco-sima groupは「先島」,The Linschoten
Islandsは「土噶喇群島」とした.「土噶喇群島」は,それまで「七島」ある
いは「薩摩七島」とされていた島嶼群に新たに名称を付し,「奄美群島」も,
それまで「大島」と総称されることはあったが,柳がここで名称を付したと考
えられる.そのほか,「八重山諸島」と「宮古諸島」で「先島」が構成され,
「沖縄諸島」,「慶良間諸島」,「伊平屋諸島」で「琉球群島」が構成される
と整理した.この水路誌での島嶼群の区分と名称が,その後,行政が用いる地
域名称の基礎として長く使用されていくこととなった.その意味で柳の整理の
果たした役割は大きい.
0018マンセー名無しさん垢版2018/08/04(土) 01:09:12.20ID:5JxVNqJ0
17マンセー名無しさん2018/06/13(水) 00:15:57.47ID:xXAzafUA
室町からかなり下って明治の頃の事情となると、国会図書館デジタルコレクションが役に立つ。

『分邦詳密日本地図』(1890=明治23)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937062
奄美群島には名前が与えられておらず、単に「大隅之内」と書かれている。奄美大島は単に「大島」。
明治23年はちょうど都道府県が今の形に落ち着いた年で、この頃は旧国名が引き続き使われていた。
8コマ目を見ると、琉球国が西海道の中に入っていて、薩摩、壱岐、対馬に続いている。

『日本地理教科書附図及附録』(1902=明治35)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762727
ざっと見たかぎりでは地図に「奄美」が出現するのはこの年から。
14コマ目に「奄美群島」が登場する。奄美大島は「大島」のまま。
明治31年には那覇区が日本で29番目に人口が多い市区町村だったとのこと。
0019マンセー名無しさん垢版2018/08/04(土) 01:14:03.91ID:5JxVNqJ0
大島、徳之島、喜界島、沖永良部島、与論島とその他の小島からなるグループを
「奄美群島」と命名したのは水谷の言う通り柳楢悦だろう。
柳は「土俗の呼称」というが、当時奄美で「奄美」という呼称は使われていなかったのではないか。
群島のような抽象的な概念はもちろんのこと、大島を指す用法もなかったはず。
水谷は列島、諸島、群島といったグループレベルの地域名称しか取り上げておらず、
奄美大島を「奄美大島」と命名したのがどこの誰かはわからない。
0020マンセー名無しさん垢版2018/08/05(日) 00:41:26.35ID:JTgiIV/V
国会図書館デジタルコレクションで「奄美」の古い使用例を探してみると、
箕作住吉『奄美大嶋及沖縄採集旅行記』が引っかかった。
1901年の調査旅行の報告を1903年になってから『動物学雑誌』で4回に分けて掲載したもの。
中身は本当に単なる旅行記で、とても学術雑誌に載せるものとは思えないが、時代が違うのだろう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10826794
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10826820
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10826896
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10826917

「奄美大島(嶋)」はタイトルと図だけに出てきて、ルビが振ってある。
本文では単に「大島」とよんでいるし、一度も「奄美」は出てこない。
1901年の時点で箕作は「奄美」という呼称を知らなかったのではないか。
1903年に全国向けの雑誌に載せる段になって伊豆大島等と区別する必要が生じて
どこかから「奄美大島」を見つけてきたのだろう。
0021マンセー名無しさん垢版2018/08/05(日) 14:37:44.63ID:FwFW7odg
海軍水路部の『日本水路誌』第二巻(1894)には「奄美大島」が登場する。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/847180
ただし奄美群島が鳥島を含む一方で輿論島が沖縄群島に入れられてしまっている。
行政区画は無視して緯度経度でグループ化しているみたい。
大隅群島から先島群島までを南西諸島と総称している。
0022マンセー名無しさん垢版2018/08/05(日) 18:58:10.38ID:MJhlkFOd
ほれ、もっとレスせんと落ちるで
0023マンセー名無しさん垢版2018/08/05(日) 19:16:46.59ID:8W/4f8gA
そんな感じで一日一回で充分だよ
0024マンセー名無しさん垢版2018/08/06(月) 18:02:29.29ID:BF000oSz
沖縄島の公式な命名は琉球処分の沖縄県設置からだっけ?
0025マンセー名無しさん垢版2018/08/06(月) 23:54:26.38ID:dPppYaLy
13マンセー名無しさん2018/06/10(日) 18:47:38.47ID:zsW4PNZd
「奄美」という語は近代になって急に復活したように見えるんだけど、経緯わかる?

「奄美」の初出は「アマミキヨ」なんかよりずっと古い。
日本書紀の657年の記事に「海見嶋」が出てくる。682年の記事には「阿麻彌人」が出てくる。
平安時代は小右記997年に「奄美嶋」の海賊の記事がある。
鎌倉時代の金沢文庫所蔵日本図の「雨見島私領郡」が俺の知る限り最後。

奄美大島を「大島」とよぶのは「奄美」よりも新しいけど現代まで続いている。
1306年の千竈時家処分状は「大しま」はおそらく奄美大島だし、
李朝実録1462年の記事に「吾時麻嶋」もそうだろう。
奄美群島全体を大島とよぶのは明治になって大島郡ができてからだと思う。
0026マンセー名無しさん垢版2018/08/07(火) 00:29:54.82ID:1X1eyDOI
なぜ「奄美」の近代の用法を調べているかは前のスレの↑に書いた通り。
ここまでの調査からを見るかぎり、「奄美」は明治になってから付けられた名前だ。
この古い呼称を日本書紀や続日本紀から採ったのは明治の復古主義の影響で、
南島と朝廷との関わりを強調したかったのだと推測する。
もちろん海軍が記紀のたぐいに直接あたったのではなく、
江戸時代からの研究を引いたのだろうが、具体的に何を参照したのかはまだわからない。
柳楢悦は安濃津藩出身だし、薩摩藩の資料ではないかもしれない。
0027マンセー名無しさん垢版2018/08/07(火) 14:22:43.69ID:ZumogjSK
古事類苑データベースのコピペを貼ってみるか
http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/

〔日本國郡沿革考 四屬島〕塚本明毅(明治13)
琉球○中略 沖繩島{管二十七村 方言呼村爲間切、而私稱郡、日本史云、沖繩即阿兒奈波之訛、 
中山傳信?、國人至今自呼流球曰屋其惹、中山世譜云、中頭中山府、五州十一郡、原八郡、康煕年間分爲十一郡、
島尻山南府、原十四郡、康煕年間分爲十五郡、國頭山北府、原十四郡、康煕年間分爲九郡、} 
計羅摩島{管一村 或作慶良間 琉球史略云、東馬齒山大小五島、俗溪頼米、以下圈外注、皆採琉球史略、}
 戸無(トナキ)島{管一村 或度名喜、度那寄、} 久米島{管二村 續紀作球美、姑米、}
 粟島{管一村 或粟國島、 安根?、或阿姑尼、又安護仁、} 伊惠島{管一村 椅山、或椅世麻、亦伊江島、}
 伊是那(イセナ)島{管一村 琉球史略不載} 惠平屋島{管一村 或伊比屋、又伊平屋、葉壁山、俗呼禹臣馬、}
 宮古島{管六村 南七島國人皆曰太平山、始爲宮、古復爲迷姑、今麻姑、} 八重山島{管十一村 南北九島、國人皆曰八重山、一名北木山、
土名彜師加紀按續紀云謂信覺、與彜師加紀音相近、疑是島、中山世譜以此島爲太平山、可疑、} 鬼界島{管五村 古作貴賀、或貴賀、或貴?、奇界、}
 大島{管七村 鳥父世麻、自稱小琉球、} コ之島、{管三村 續紀作度感、度姑、} 永樂部島{管三村 或永良部、伊良保、或惠良部、}
 與論島{管一村、由論、} 右島津氏所上幕府之圖籍所載如斯、而中山世鑑云、庇カ喇、{俗呼平良}姑李麻、{俗呼來間、譯曰古裏間、一作來麻、土名來曰姑李、}
烏喝彌、{俗呼大~、一作宇間味、}伊奇麻、{俗呼池間、譯曰伊喜間、}面那、{俗呼水納、一作水名、}伊良保、{俗呼惠良部}達喇麻、{俗呼多良間、一作太良末、}
0028マンセー名無しさん垢版2018/08/07(火) 14:23:10.76ID:ZumogjSK
七島總稱之曰宮古島、又曰麻姑山、伊世佳奇、{俗呼石垣}姑彌、{俗呼一作西表}烏巴麻、{俗呼小濱、二島譯曰宇波間、}
阿喇斯姑{俗呼新城、阿喇姑斯古、}達奇度奴、{俗呼武富、譯爲富武、一作武富、}巴梯呂麻、{俗呼波照間}
姑呂世麻、{俗呼K島、譯爲久里島作K島、}巴度間、{俗呼鳩間、麻巴度麻譯曰波渡間、一作鳩間、}
由那姑尼、{俗呼與那國}以上九島、總稱之曰八重山、又曰太平山、姑達佳、{俗呼久高、夏?作孔達佳、}
津奇奴、{俗呼津輕}巴麻、{俗呼濱比嘉、譯爲濱島、}伊奇、{俗呼伊計、譯爲池島、以上東四島、}姑米、{俗呼久米、}
東馬齒、{俗呼前慶良間}西馬齒{俗呼西慶良間、大小四島、以上西三島、}度那喜、{俗呼度名喜}阿姑尼、{俗呼粟國}
猗世麻、{一曰猗山、俗呼伊江、}葉壁山、{俗呼伊比屋}硫?島、{俗呼鳥島、硫?山一名K島、多鳥、又名烏島、以上西北五島、}
度姑、{俗呼コ島、}烏世麻、{俗呼大島}由論、{俗呼與論}永良部、{俗同}由呂、{俗呼與路、一作由路、}
烏奴奇{俗呼冲野、又曰浮野、}佳奇呂麻{俗呼垣路間呂一作路、又作加喜呂麻}奇界、{俗呼鬼界、以上東北八島、國人皆曰烏父世麻、
過此爲土?喇七島、亦作度加喇、臣按汪揖?七島?、口島、中島、諏訪瀬島惡石、臥?島、平島、寶島也、人不滿萬、惟寶島較大、
國人統呼之曰土?喇、或曰即倭也、}是爲琉球三十六島、
0029マンセー名無しさん垢版2018/08/07(火) 19:44:29.24ID:yEdkEeoQ
えーと長いけどつまり、明治13年くらいの時点では、大島(烏父世麻、うふしま)と呼ばれてたってことね。
0030マンセー名無しさん垢版2018/08/07(火) 21:58:18.41ID:NrExyn9V
>>24
公式な命名はよくわからないけど、沖縄は本体沖縄島のことで、
沖縄諸島とか沖縄群島とかいって沖縄の範囲を拡大したのは明治のことだろう。
0031マンセー名無しさん垢版2018/08/08(水) 17:37:13.10ID:ieK6xCUd
翁長が意識混濁で辞職させられる見込みって、また混迷しそうだねえ
0032マンセー名無しさん垢版2018/08/08(水) 19:35:37.39ID:8kMxVxsL
もう長くはないだろうと思っていたが、はやいな。

翁長沖縄知事が死去 67歳 辺野古新基地反対を貫く
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/295992
 沖縄県知事の翁長雄志氏が8日午後7時までに、膵臓(すいぞう)が
んのため入院中の浦添総合病院で死去したことが分かった。67歳だっ
た。米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設への反
対を訴え、2014年の県知事選で初当選。新基地建設反対を最後まで
貫いた。
0033マンセー名無しさん垢版2018/08/09(木) 20:07:46.34ID:y16MoG9q
田中優子の江戸から見ると  琉球国その文化の高さ
https://mainichi.jp/articles/20180808/dde/012/070/038000c
 東京は六本木にある「東京ミッドタウン」。そのなかにサントリー美術館がある。今年は9月2日まで、「琉球 美の宝庫」を開催している。
今までにも、沖縄県を含めさまざまな博物館で、私は琉球の工芸品を見てきた。その代表は螺鈿(らでん)をほどこした漆器で、それも
見慣れていた。しかし今回は照明の当て方に工夫があって、螺鈿をほどこした漆器が実に美しかった。夜の琉球の月明かり星明かり、
あるいはろうそくの光で見たらこうではないかと思え、まるで琉球にいるような心地になった。
0034マンセー名無しさん垢版2018/08/10(金) 01:26:43.56ID:JC6jpPLC
江戸時代の南島研究を調べるなら新井白石の『南島志』から始めるのが良いんだろうけど、
名越左源太『南島雑話』と、『奄美史料集成』に収録されている薩摩の代官記の類を見てみた。
アクセスしやすかったから。
どっちもはずれで、薩摩藩が奄美を支配するようになってからの話と、
その前史としての琉球の支配にしか言及していなかった。
0036マンセー名無しさん垢版2018/08/11(土) 14:28:56.66ID:Vj5ouqkQ
27マンセー名無しさん2018/06/15(金) 20:18:52.26ID:mLymcWdH
日本列島ほぼ全域描く、最古級の地図発見 広島の博物館
https://www.asahi.com/articles/ASL6H36LKL6HPTFC009.html
 14世紀中ごろの室町時代(南北朝時代)に描かれたとみられる、本
州から九州のほぼ全域が記された日本地図がみつかった。広島県福山市
の県立歴史博物館が15日発表した。現存する最古の日本地図は京都・
仁和寺(にんなじ)所蔵の「日本図」(1305年)とされるが、西日
本が欠けており、全体が残った地図では最古級。日本地図の変遷をたど
るうえで重要な発見と注目される。
 博物館によれば、確認されたのは「日本扶桑(ふそう)国之図」(縦
122センチ、横57センチ)。広島出身の収集家から博物館に寄託さ
れた。国内68カ国が描かれ、地図の欄外には国名と郡名、人口や田畑
の面積、寺の数なども記された。近畿を中心に九州を上に描き、京都か
ら各地へ街道が伸びている。当時は「琉球(りゅうきゅう)」と呼ばれ、
日本と中国などとの中継ぎ貿易で栄えた沖縄も記されている。沖縄を
「龍及(りゅうきゅう)国」と表現する鎌倉時代の地図の特徴と、港町
の地名が多く記されるなど室町時代の特徴を備え、さらに文字の書体の
古さなどから14世紀中ごろの作と判断した。
 博物館の久下(くげ)実(みのる)・主任学芸員は「鎌倉時代と室町
時代の特徴がある地図は知られていなかった。空白の期間を埋める資料
という点でも重要だ」と話す。

28マンセー名無しさん2018/06/15(金) 20:37:41.11ID:mLymcWdH
下から順に龍及國、種子嶋、鬼界嶋、黒嶋とならんでいる。
この並びだと鬼界嶋は奄美群島の喜界島ではなく硫黄島のことだろう。

鎌倉時代と推定される金沢文庫の日本図には「龍及國宇嶋身人頭鳥雨見嶋私領郡」とあった。
今回の地図は「龍及國頭□□」と読める。
0037マンセー名無しさん垢版2018/08/11(土) 14:37:58.20ID:Vj5ouqkQ
前のスレの↑の地図を見てきた。
問題の部分は「龍及國頭(鳥  )験嶋」とあった。
最後の2文字の解釈はちょっと思いつかない。
新聞記事を読んだときには見落としていたが、
「龍及國」とは別に、対馬の下(つまり東)に「流毬嶋」が載っていた。
0039マンセー名無しさん垢版2018/08/11(土) 22:07:43.36ID:DbNUVU6s
平八郎の東郷氏も澁谷氏の別系なんだ
0040マンセー名無しさん垢版2018/08/12(日) 21:03:10.33ID:jJlsmpX0
来る沖縄県知事選のオール沖縄鳩山待望論ってマジすか
0041マンセー名無しさん垢版2018/08/12(日) 22:39:01.47ID:cft9Jwak
>>37
ケンで終わる地名としては奄美大島の宇検と田検、沖縄本島の具志堅が思い浮かぶが
関係あるかな。
谷川健一はケンがキナに通じて焼畑に関連するかもしれないと言うが、これは怪しい。
https://books.google.co.jp/books?id=X6ADZTG-d6oC&;pg=PA140&lpg=PA140&dq=&source=bl&hl=en&sa=X#v=onepage&q&f=false
0042マンセー名無しさん垢版2018/08/13(月) 21:57:19.40ID:XCb+2xJK
チナとキナとケンが同語源だとすると、古形はケナだろう。
0043マンセー名無しさん垢版2018/08/15(水) 15:14:59.30ID:SECIoe88
http://manwe.lib.u-ryukyu.ac.jp/d-archive/s/viewer?&;cd=00030120
伊地知季安『南聘紀考』上巻の7コマ目、日本書紀斉明帝三年の条の「海見島」に割注で「即今大島、詳下」とある。
下というのは11コマ目だろう。

所謂海見島、或作阿麻彌、或作菴美、皆一島名、而語轉耳、諬南島志、並謂今大島、阿麻彌者、上世神人名也、
[琉球始祖、(以下略)]其東北有山、乃神人所降、因名曰阿麻彌嶽、因亦名島、地形因大故後稱大島云。

おとなしくはじめから『南島志』を見ておけよという展開だ。
しかし幕末に至っても「奄美」表記が確立されていない。
0044マンセー名無しさん垢版2018/08/16(木) 18:21:03.50ID:iGZaU02i
超入門! お城セミナー
第27回【構造】沖縄のグスクが「城じゃない」って本当!?
https://shirobito.jp/article/432
0045マンセー名無しさん垢版2018/08/17(金) 01:11:32.67ID:olbSdCyy
南島志 上巻 地理第一
https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%8D%97%E5%B3%B6%E5%BF%97/%E5%9C%B0%E7%90%86%E7%AC%AC%E4%B8%80
大島。島在コ島東北十八里,琉球北界也。【續文獻通考所謂琉球北山是也。】
國史所謂阿麻彌島,或作菴美,或作奄美,並皆謂此。阿麻彌者,上世神人名也。
其東北有山,乃神人所降,因名曰阿麻美嶽。島亦因得此名。地形稍大,
後稱以爲大島。
0047マンセー名無しさん垢版2018/08/17(金) 17:25:57.66ID:GL7fy1iI
新井白石は沖縄群島が中山、奄美群島が山北、宮古・八重山が山南だと勘違いしていた模様。
0048マンセー名無しさん垢版2018/08/18(土) 22:42:17.44ID:zOyu9uoH
東恩納寛惇『南島風土記』によると、『中山世譜』尚金福王の景泰二年の条に「亜間美」が出てくるという。
調べてみると、実際には「亜間美」は先代の尚思達の代にも登場する。

尚思達:(正統)十四年己巳,王遣亞間美等奉表貢方物。宴賚如例。
尚金福:(景泰)二年辛未,遣亞間美等貢方物。
https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E4%B8%96%E8%AD%9C/%E5%8D%B705

この「亜間美」は人を指しているが、東恩納はそれが地頭名に由来すると解釈している。
もしそうなら沖縄から奄美と呼んだ事例が15世紀にあったことになるけど、そんな広域支配者がいただろうか?
0050マンセー名無しさん垢版2018/08/19(日) 11:22:57.79ID:60F/cEFj
沖縄から貧困がなくならない本当の理由(7)貧困の合理性
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/300288

あれ、前に読んだかなと思って日付を確認したら数日前だった
この人、いつも同じこと書いている
閉鎖的な村社会
0051マンセー名無しさん垢版2018/08/19(日) 11:32:17.95ID:YH6DkXQ2
   (::::::::::/彡彡彡彡彡   ミミミミミミミ :::::::::::)
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0053マンセー名無しさん垢版2018/08/20(月) 02:12:35.80ID:HrqQcHx3
アマミという名称と「奄美」という表記の歴史についての現時点でのまとめ

・アマミは『日本書紀』が初出の由緒ある地名だが、鎌倉時代の日本地図を最後に登場しなくなる(?)
・「奄美」表記は『続日本紀』に登場するが他の表記との混在状態が続く
・アマミを大島に比定するのに異論があるわけではないけど、一方で決定的な証拠もないように見える
・アマミが本土からの呼称だったが、自称でもあったかはわからない
・『中山世譜』に人名として「亜間美」が登場するが、奄美に由来するのかわからない
・アマミキヨ関係はあとで調べる
・新井白石の『南島志』以来の南島研究はアマミを大島に比定してきたが、この段階でも「奄美」表記は確立していない
・「奄美群島」の命名は海軍の『南島水路誌』(1873)によるものと思われる
・大島に「奄美」を足したのは「奄美群島」の命名よりもあとかもしれない
・奄美大島を伊豆大島や周防大島と区別するのは海軍など全国規模の組織の都合であって
 地元の人間には関係なかったはず
0054マンセー名無しさん垢版2018/08/20(月) 13:45:09.43ID:FA7n19MN
レキオ島唄アッチャー 琉球弧の歴史と喜界島(その7)、奄美の歴史から

奄美の歴史から
これまで喜界島の城久(ぐすく)遺跡群が南方交易の拠点であり、琉球弧の島々にも様々な影響を与えてきたことを見てきた。
ここで、改めて古代から中世にかけて奄美諸島の歴史を簡略にみておきたい。
 奄美群島は、早くから日本に知られていたようで、7世紀に『日本書紀』には「海見嶋」、「阿麻弥人」として登場。『続日本紀』には
「菴美」、「奄美」とあり、奄美群島のことだと考えられるそうだ。

<733年(天平5年)の第10回遣唐使は、奄美を経由して唐へ向かっている。735年(天平7年)に朝廷は、遣唐使の往来上の利便のため
碑を南島に建てた。『延喜式』雑式には規定が書かれており、島名のほか停泊所や給水所が書き込まれ、奄美群島の各島々に
この牌が建てられたとしているが、未だ実物の発見は無い。また、遣唐使に奄美語の通訳を置くことも記されている。997年(長徳3年)に
大宰府管内へ「奄美島」の者が武装して乱入、放火や掠奪をしたという(『小右記』)。翌年、大宰府からの追捕命令が貴駕島に
発せられている(『日本紀略』)。この貴駕島は現在の喜界島と考えられ、城久遺跡(喜界島)が発見されたことにより、ここが命令を
受領した大宰府の出先機関と推定されている(「ウィキペディア」の「奄美群島の歴史」から)。>

大宰府管内襲撃事件というのは、997年、大宰府は「南蛮(奄美人)」が大宰府管内の薩摩、肥前、肥後、筑前、壱岐、対馬を襲い、
300人以上が略奪された事件である。
<奄美島人(南蛮)の大宰府管内への襲撃事件が繰り返し起きている頃に喜界島の変質が起きていることは明らかである。さらに、
注目すべきことは997年の大宰府管内襲撃事件を含めて、断続的に続いた奄美島人の襲撃事件の対象につねに含まれているのが
大隅あるいは薩摩だということである。(吉成直樹著『琉球の成立―移住と交易の歴史』)>
0055マンセー名無しさん垢版2018/08/20(月) 13:45:30.17ID:FA7n19MN
なぜ、奄美人が海を渡って九州まで襲撃したのか。
<これらの事実が示しているのは、ヤコウガイをはじめとする南方物産の交易に、南九州を中心とする有力者が強く関与しようとした結果、
奄美島人側の反発を招き、大宰府管内への襲撃事件が引き起こされたのではないかということである。(同書)>
興味深いのは、大宰府が「貴駕島」に南蛮の追捕を命じいていることだ。「貴駕島」は、喜界島の可能性が高い。
同じ奄美群島のなかで、喜界島に「奄美人」追補を命じたことは、喜界島は他の奄美諸島とは異なる立場にあることを示している。
大宰府の管轄下にあったようだ。

奄美群島のふたつの世界
当時、奄美群島は二分されて認識されていたらしい。鈴木靖民氏は次のように指摘している。
「10世紀最末、11世紀初において奄美諸島が一括できる政治的、社会的状況にはなく、古代国家、九州諸国の人たちから喜界島とそれ
以外とに二分されて認識されている。喜界島の大宰府ないし古代国家側に立つ位置付け、特性に注目しなければならない。つまり奄美大島と
喜界島との並存ないし対抗が認められるのである。(『日本古代の周縁史』)」
同じ奄美諸島の中で、古代国家側に立つ喜界島と、奄美大島は対抗する立場にあったという。それぞれ異なる役割を担っていたという。
<奄美諸島の古代、中世成立期において、喜界島と奄美大島は日本古代国家の「南島」政策ともかかわって二つの中心地であり、
それぞれ異なる役割を担わされたと思われる。(同書)>
0056マンセー名無しさん垢版2018/08/20(月) 14:35:35.56ID:FA7n19MN
その部分を東京大学史料編纂所データベース検索他から抜き出してみた。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html
日本紀略 長徳四年
「九月十五日庚午。太宰府言上下知貴駕島。捕進南蛮由。」

小右記 長徳三年 十月一日
「大宰飛駅到来云、高麗国人虜掠対馬・壱岐嶋、又着肥前国欲虜領云ゝ、上下驚駭、三丞相失度」
「丞相復座云、菴(奄)美嶋者焼亡海夫等宅、奪取財物、又執載男女於舟将去来」
「良久之後復座、下給大宰符(府)言上解文等、令諸卿定申、奄美島者乗船帯兵具、掠奪国島海夫等、筑前・筑後・薩摩・壱岐・対馬、
或致害或放火、奪取人物、多浮海上、又為当国人於處ゝ合戦之間、奄美人中矢亦有其数、但当国人多被奪取、已及三百人、符(府)解文云、
先年奄美島人来、奪取大隅国人民四百人」
0057マンセー名無しさん垢版2018/08/21(火) 14:31:30.35ID:KcNvzrHM
方言辞典のたぐいを見ても「奄美」は出てこない
「琉球」が収録されているのも珍しいけど
0058マンセー名無しさん垢版2018/08/21(火) 19:55:29.17ID:9OhYgwSH
日本史板に行ってもガイジばっかりや世界史板やと板違いやからハングル板に流れて来たんか?
大変やな
0059マンセー名無しさん垢版2018/08/21(火) 20:47:52.23ID:J5sUK/zy
10年近くは続いているスレだったはずだから、最初はどうだっただろうね?
歴史板でまともな反応がないというのはその通りだと思う
0060マンセー名無しさん垢版2018/08/22(水) 21:41:18.26ID:gXPoED7W
歴史板の多くもハン板も過疎だったからなあ
そりゃ占領もされるわ
0061マンセー名無しさん垢版2018/08/22(水) 22:21:02.52ID:yl+pSsGF
俺はもう5年以上このスレにいるが
元々ハン板住人で、琉球に関心を持ったのは結構最近だからなあ
李朝や朝鮮全般との比較ネタはたまにはあるけど豊富ではないので
普段のスレ進行は見ての通りになる
0062マンセー名無しさん垢版2018/08/23(木) 00:24:01.82ID:/2svSHNv
時々湧く明らかに差別意識と偏見を持って沖縄を貶してる奴みてどう思う?
0063マンセー名無しさん垢版2018/08/23(木) 16:07:16.91ID:+s4IZrtt
沖縄史研究者の上里という人はこのスレでは評判悪いんだけれども、それは資料の読み間違えや理解がおかしいんじゃないの、
でも平然と自説を開陳してるねっていう、あくまでも学問上の上からの話
仮に本人が人当たりのいい人格者でも、まあ同じ反応になるだろう

で、この上里さんは、琉球すごい!世界に輝く海洋国家!支配されてるのではなくこっちが日本人でいてやるんだ、というような
沖縄ナショナリズムを表明してるところがあって、師匠の高良(元)副知事も反天皇制を公言してたりして、まあそういうとこは
スレ的にも揶揄されがちかも

それでその沖縄ナショナリズムは沖縄独立を煽ってる左翼活動家と通ずるかというと、左翼活動家からは実に評判が悪い
琉球すごいの延長で、かつての琉球王国は独自の軍事力を持って薩摩にも無抵抗ではやられなかったと主張しているがために、
琉球が理想の非武装平和国家でないと困る左翼の皆さんには総スカン
0065マンセー名無しさん垢版2018/08/24(金) 02:02:15.24ID:xjZgq8Ha
>>62
荒らしは放置が2ちゃんの基本だったはずなんだけど
もはや忘れられているのかな

>>63
アホなこと言っていたら誰でも叩くよ。
大先生がどうしようもなくスロッピーなのはブログ主が散々指摘してきたこと。
史料の読解はおかしいし、細部の整合性もとれないし、物事の本質を捉えるのも苦手で、
まあ何というか、地頭力が低いんだよね。見ていてかわいそうになるくらい
0066マンセー名無しさん垢版2018/08/24(金) 06:55:05.58ID:3Ta5T3Mc
荒らしは放置というか、荒らしの団体が大挙して乗り込んできてんだから
無理筋
0067マンセー名無しさん垢版2018/08/24(金) 07:32:36.42ID:nM3AHSEh
その大先生とやら個人に粘着して「統合性が無い」「地頭力が低い」って...可哀想なのはお前らやろ😅
こんなネットの片隅で陰口叩いててさぁ...恥ずかしくないの?
0068マンセー名無しさん垢版2018/08/24(金) 17:41:42.19ID:zwpZdJLX
そういや首里城正殿の前の通路敷が斜めになってるのは何か説明あったっけ?
武家屋敷だと門と玄関が直線にならないのは基本だけど、それだけのこと?
0069マンセー名無しさん垢版2018/08/25(土) 00:07:04.95ID:LstcUdoN
大先生がやらかした個別の事例について知りたければブログ主の旧ブログをInternet Archiveで漁ればよいし
頭が混乱していない人が琉球について書いているのを読みたければ渡辺美季の論文をすすめる
まあどっちでもなさそうだがな
0070マンセー名無しさん垢版2018/08/25(土) 00:11:24.55ID:LstcUdoN
「奄美・琉球」がウィキペディアに立項されてるんだが、>>16の水谷論文でも少し言及がある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%84%E7%BE%8E%E3%83%BB%E7%90%89%E7%90%83

筆者が鹿児島県職員として奄美諸島の世界自然遺産登
録作業を担当していた当時(2005年),奄美大島の一首
長から世界自然遺産候補地の「琉球諸島」の名称に対す
る意見を受けた.第二次世界大戦終結時に奄美諸島と
吐喇列島の武装解除のために,「北部琉球」の兵器の受
領命令を受け徳之島に来た米軍司令官に対し,日本側の
司令官は,奄美諸島は「北部琉球」ではないとして「奄
美群島並びにトカラ列島」と命令を修正させてそれに応
じた(高田1956).その経緯も踏まえ,「琉球諸島」に奄
美群島を含めることは適当でないとの主張であった.
0071マンセー名無しさん垢版2018/08/25(土) 01:34:53.36ID:aQ4owQ92
パヨキチ「リベラルです」
バカウヨ「ふつうの日本人です」

こいつら同じやん。ベクトルの向きが逆なだけ
どっちもどっちでキチガイバカであることには変わりが無い
0073マンセー名無しさん垢版2018/08/25(土) 09:38:00.16ID:77N82lGw
>>71
皆自分はまともだと思ってる
>どっちもどっちでキチガイバカであることには変わりが無い
こんなこと言ってるお前も自分のことを
そう考えてるんだろうな嗤
0074マンセー名無しさん垢版2018/08/25(土) 10:25:32.08ID:eCx93MzZ
>>73
嗤 とかわざわざ使うあたりが自分だけ特別でいたい的な厨二感
0076マンセー名無しさん垢版2018/08/25(土) 22:17:26.32ID:z9/zrWr3
「奄美・琉球」という並びには違和感がある。
人文系ならまだしも、世界自然遺産のように自然科学系の文脈だとことさら変だ。
>>70にあるように、奄美側が「琉球」と呼ばれるのを拒否しているのだと思われるが
もう少し裏付けがほしい。水谷のエピソードは2005年だが、
環境庁(省)の環境白書を見ると1995年には「奄美・琉球諸島」が出現する。
https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h07/9649.html
https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h06/8727.html
この呼称の成り立ちはネットではたどれないかもしれない。
0077マンセー名無しさん垢版2018/08/26(日) 13:11:31.30ID:EjFNkQej
要するに歴史上の奄美島=現在の奄美大島とする根拠が薄いってことだよね。
新井白石あたりから主張された比較的新しい説だから
0078マンセー名無しさん垢版2018/08/26(日) 14:53:27.49ID:FBpU5wRC
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c0/Mori-Motonari.jpg
日本刀の柄の拵の鮫皮は、桃山時代までは実戦的で防水効果のある黒漆を塗った黒鮫
大坂の陣以降、江戸時代全般から現代までは見栄え優先で防水加工しない素のままの鮫皮で白鮫と呼ばれる

それ以外に金箔押しや金彩漆を施した金鮫というのが桃山時代まであって、大名級だと黄金板を鮫皮状に加工していたという
この毛利元就の有名な肖像画も、腰刀の柄は金板の金鮫と見られている(現存はしていない)

https://pbs.twimg.com/media/DhkTtmVUEAA-rbR.jpg
ということで琉球独特と説明されがちな北谷菜切の拵の、金無垢を鮫皮状に加工した柄も、本土の流行にのっとったものに
過ぎないようだ
可能性としてはやっぱり拵も本土製ということもありうるか
0079マンセー名無しさん垢版2018/08/26(日) 17:44:22.76ID:EjFNkQej
拵えを作る力はないとみるべきだろう。
何といっても主力武器は棍棒なんだからwww

ただ(ソースはみたことないが)拵えを琉球でつけて
中国に輸出してたみたいな話も聞いたことはあるが
本当なのかな?
0081マンセー名無しさん垢版2018/08/26(日) 19:53:16.17ID:RkvDZt55
差別する事しか能の無い害児共にそんな知能あるわけないだろ!いい加減にしろ!
0082マンセー名無しさん垢版2018/08/26(日) 20:04:28.18ID:rDD4J6R/
差別意識で固められた脳みそで歴史を語るなんて無理だって、はっきり分かんだね
0083マンセー名無しさん垢版2018/08/26(日) 21:10:03.62ID:kBAn+Qzn
夏子陽は琉球人はバカで腰抜けばかりと
断言してて差別意識全開だが、
どんな平等クンよりも
琉球史の解明に貢献してるな。
つまりは琉球人はバカで腰抜けばかりという
事実をwww

で、平等クンは使琉球録はちゃんと読んでるのかな?

あ、ゴメンゴメン、漢文読めないかwww
0084マンセー名無しさん垢版2018/08/26(日) 23:59:22.21ID:gMnFHKQF
五十嵐氏の以下の指摘は当たり前すぎて見過ごしがちだけど、言葉にしておくのは大事かもしれない。
https://researchmap.jp/mu90vd43k-1856949/#_1856949
本稿の「琉球列島」とは、奄美群島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島を指す。この地域は、琉球王国
(1429-1879)がその歴史上最も広範な領域を有した時代(1522-1609)の支配領域と一致する。琉球祖語
に遡る諸言語、すなわち琉球語が用いられる地域が、琉球王国の支配領域と一致する事実はしばしば、琉
球王国がこの地域を政治的に統一した時期と、琉語語が同地域へ拡散した時期が一致するとの誤解を招
いてきたように思われる。琉球語と畿内の言語とが分岐した年代は7世紀以前であると推定されるが(服
部 1979)、琉球祖語の話者が琉球列島への移住を開始した年代は、それよりはるかあとの、グスク時代の
開始時期(10〜11世紀)であると推定される(Pellard 2015)。グスク文化を特徴づける長崎県産の石鍋は
11世紀から琉球列島へ流通し始め、徳之島産のカムィ焼きは11世紀から12世紀にかけて奄美群島から八
重山諸島にいたる琉球列島全域に広まったという(安里 2002 )。琉球語話者が奄美大島・喜界島から与那
国島に至る琉球列島全域への拡散を完了した時代も12世紀と見てよいだろう。したがって「琉球語圏」
の成立は、琉球王国の成立より200年以上早く、琉球王国による八重山諸島の征服より300年以上早い。
0085マンセー名無しさん垢版2018/08/27(月) 00:38:51.17ID:OftNQ5dk
>>83
それってつまり差別しかしないここの池沼おじさん達は能無しってこと?
まさか自分から認めるとは思わんかったわ...流石に無駄に長く生きてるだけあるね
0086マンセー名無しさん垢版2018/08/27(月) 07:09:17.19ID:k0n+V1b4
ウン、まあお前がそう思うんならそうなんじゃないか?
中山世譜や琉球国由来記や明史や朝鮮王朝実録をもとに
ソース付きで琉球人をバカにしている俺たちと、
何一つ根拠を出せない負け犬リベラル君
www

アイゴー差別ニダーwww
0087マンセー名無しさん垢版2018/08/27(月) 08:39:52.73ID:RRFSu/wJ
>>84
12世紀から与那覇勢頭の入貢(1390年)まで200年だが
1390年の時点で全く通じなかったという。
200年でそこまで訛るかな?微妙じゃない?

少なくとも100年前の日本語は
現代でも問題なく通じる。

逆に1000年前の平安時代の言葉は
現代だと全然通じないだろう。
発音が全然違うから。
0088マンセー名無しさん垢版2018/08/27(月) 15:45:32.01ID:lMiTDuVm
ああ、例のブログ更新してたのか。
そういや崔茂宣の火砲ってどういうのだったんだろうね?
宇田川武久『東アジア兵器交流史の研究』の受け売りだと、朝鮮に明朝から弾丸式の火砲が導入されたのは16世紀半ばだそうで、
倭寇船団を壊滅させた崔茂宣の火砲は、『高麗史』の描写だと撃破撃沈じゃなくて炎上させたみたいだし。
0089マンセー名無しさん垢版2018/08/27(月) 18:50:39.82ID:hZQr16UC
非常に鋭い指摘だ。確かにその通りだ。
火桶(実際には火へん)については、
韓国のwikiによると
朝鮮における火器の総称と解釈されているらしい。
ただしこれは碗口と火桶が区別されている事実とは
あまり合致しない。

あなたの指摘するところを考えると、
火矢だったと考えるのが良いと思う。
矢みたいなのに、火薬がくくりつけられていて
火を撒き散らしながら飛んでいく。
これじゃないと敵は燃えない。
少なくとも火桶には火矢も含まれていたと
考えるべきだ。

16世紀になると紀校新書に
火桶というのが出てくるが、
これは桶の中に火薬をつめて
点火した石炭をいれた陶器をくくりつけたもので
船の上で使う。
こちらの甲板が高いのが前提で
敵の船に投げ落として使うもので
朝鮮のものとは明らかに違う。
放射するものではないからね。
漢字も違うし。
0090マンセー名無しさん垢版2018/08/27(月) 21:23:13.41ID:dyYnkJRw
>>86
あっ、やっぱり自分が低脳だって自覚はあるんだな
ソースつってもよぉ...それ自分の見たいもの見てるだけじゃね?かつその中から差別的なものだけ抜き出して、自分から「差別してる」って認めるとかさぁ...道徳観とか倫理観とか諸々終わってないかアンタ
0091マンセー名無しさん垢版2018/08/27(月) 22:21:27.18ID:k0n+V1b4
なあ、お前だけこのスレで浮いてる事に気付かないか?バカ過ぎてwww

このスレで唯一重視されるのは史実。根拠。
倫理とか道徳が好きなら小学校に行けwww
お前の哀れな知能にはその程度がお似合いww
0093マンセー名無しさん垢版2018/08/27(月) 22:55:19.75ID:B4ob7TcD
>>87
言語の変化の速さがどういう社会条件で決まるかはあまりわかっていない。
変化が少ない方で有名な例だど、アイスランド人は1000年前の古代ノルド語のテキストを難なく読めるという。
古代ノルド語の複雑な屈折体系をよく保存しているから。
ただし母音の体系は変化しているので、しゃべっているのを理解するには多少の慣れが必要かもしれない。

たぶん話者が多いほど変化が全体に広がりにくくて変化が遅いのだと思う。
ただし単純な話者の総数ではなく、通婚圏といった社会の流動性が効いてくる。
沖縄みたいに結婚まで集落内で閉じていると、わりとすぐに変化するんじゃないかな。
0094マンセー名無しさん垢版2018/08/28(火) 00:09:57.95ID:Sk62TYTs
なるほど。

沖縄はこの人の言うとおり戦後しばらくまで
集落内で生活が閉じていた。今、60代くらいの人は
部落ごとの顔つきや方言を判別することができる。
部落ごとも非常に仲が悪かった。
沖縄人は基本的に心が狭いからというのが一つ。
もう一つは部落毎に重税が課せられるので
他部落のやつと結婚すると
人手が減るので不利になるのが一つ。

これは決して最近の傾向ではなく、
金志川豊見親のあやぐにも、
平良の近くを通った金志川豊見親が、
俺たちの部落の女を奪ったとして
平良の若者たちに待ち伏せされて
攻撃を受ける情景が描写されている。
0095マンセー名無しさん垢版2018/08/28(火) 18:06:40.80ID:myaakHS/
>>89
火箭か。
やはり、後世イメージする火砲よりは、ロケット花火式火矢みたいだね。
こちらが本来の「ロケット」だけど。

神機箭(中文簡体)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%9C%BA%E7%AE%AD
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/%E6%98%8E%E6%9C%9D%E7%9A%84%E7%A5%9E%E6%A9%9F%E7%AE%AD.jpg

ハン板でもよく知られてる多弾装ロケットランチャー式の神機箭は宋代中国に起源があって、崔茂宣のもこういうタイプの奴なんではなかろうか。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ea/Hwacha2.jpg
0096マンセー名無しさん垢版2018/08/28(火) 20:15:54.27ID:m8Qv/fBR
その戦闘経過の個所は高麗史でも羅世伝にあるんだよね


倭寇延安府. 世與金海君金?以戰艦五十餘 往?之. 又與??倭于龍岡縣木串浦獲二 盡殺之.
又與コ符崔茂宣等領戰艦百 追捕倭賊. 時賊五百 入鎭浦口維舶分兵守之登岸散入州郡恣行焚掠.
屍蔽山野轉穀于其舶米 地厚尺. 世等至鎭浦用茂宣所製火 焚其船.
烟?漲天賊守船者燒死殆盡赴海死者亦衆.
https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E5%8F%B2/%E5%8D%B7%E4%B8%80%E7%99%BE%E5%8D%81%E5%9B%9B



高麗史の全文も中文版ウィキソースにあるとは、連中の力の入れようは馬鹿にできん
0097マンセー名無しさん垢版2018/08/28(火) 21:14:24.56ID:Sk62TYTs
宋代から明初にかけての火器は
突火槍といういわゆる手銃の類と、
火矢という上記の殺人ロケット花火に
大別される。
朝鮮が新発明した可能性は無きに等しいので
火桶は上記の二種のいずれかになる。
そのうち放火できるのは火矢だけだ。
0098マンセー名無しさん垢版2018/08/28(火) 21:18:10.56ID:WSknPDo8
朝鮮遣唐使は、江戸幕府の朝鮮出兵を恐れ、朝貢使として派遣していました。
金仁謙の著書『日東壮遊歌』より抜粋

●1764年1月22日 大阪
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、
銅の屋根で、黄金の内装である。 この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。
中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の10000倍の発展だ。
北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」
と言っている。
穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。

●1764年1月28日 京都
街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。 「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。 この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。
0100マンセー名無しさん垢版2018/08/28(火) 21:19:01.83ID:c77cDJpy
チャンコロはマジで凄い。
中山世譜も使琉球録もどっちも
全文挙げてるからな。

ハナクソみたいな妄想論文ばかり公開して
悦にいってる我が国のバカ学者より
役に立つわ。

うちらのはまともに就職もできないクズのくせに
エリート気取りで納税者を見下してるからな。
ちゃんと就職してる時点で
掃除のオバチャンの方があれらより
ウムクトゥがあるわwww
0102マンセー名無しさん垢版2018/08/28(火) 21:51:26.71ID:Sk62TYTs
根本的に社会不適合を正当化して憚らない連中が
現実の人間社会について
まともな研究ができると考えること自体
頭がおかしいと思うね。

知り合いの弟が史学科卒で
学生時代は喜界島掘ったりしてたが
今はニートしてるらしい
家族からしたらたまらんよ。
0103マンセー名無しさん垢版2018/08/28(火) 22:03:59.67ID:Sk62TYTs
火矢はプリミティブな火器だが
日本からの鳥銃によって
銅手銃=火槍が陳腐化しつつあった
16世紀でも価値を認められている。
戚継光の練兵実記では、
鳥銃、大砲に火矢が併記されている
0104マンセー名無しさん垢版2018/08/29(水) 23:38:14.20ID:rb1xea4o
言葉の変化は一定の速さで進むのではなくて、
一気に進むときとゆっくり進むときがあるんじゃないかと昔から言われている。
これは遺伝学の用語だけど、(連続)始祖効果といって、
集団がどんどん移住していくとき、移住者は少数で遺伝的多様性が低く、遺伝的なドリフトが進んで分化する。
言語も同様に、元の集団から別れた小集団が移住する際に急速に変化するという説がある。
https://www.researchgate.net/profile/Quentin_Atkinson/publication/5613064_Brevia-Languages_Evolve_in_Punctuational_Bursts/links/0fcfd506cafa7d9389000000/Brevia-Languages-Evolve-in-Punctuational-Bursts.pdf
0105マンセー名無しさん垢版2018/08/30(木) 18:17:36.84ID:a+wWZAaO
沖縄タイムス[読書]沖縄考古学会編「南島考古入門」 奄美含め琉球全体を概観
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/279869
来年創立50周年を迎える沖縄考古学会が、普及書を目指して編集した本書は、
現時点での沖縄での考古学調査・研究の成果のすべてが盛り込まれており、
文字通りこの1冊で沖縄考古学の全貌を知ることができる内容である。
0106マンセー名無しさん垢版2018/08/31(金) 17:37:01.47ID:iGZAoNwR
当初思っていたのとは違う方向で議論が進んだけど、もともと>>84で五十嵐論文を引いたのは
「琉球」という言葉に問題が多いと言いたかったからだった。

琉球といえば第一には琉球王国のことで、首里周辺の狭い範囲にしかあてはまらない話が多い。
一方の琉球列島は、陸地の面積はともかくとして、とにかく細長い。
奄美、沖縄、宮古、八重山という大きなくくりの間でも言葉も通じないくらい違うし、
それぞれの内部の多様性も無視できない。

言語研究の場合ははっきりしていて、他の文化研究についてもある程度はそうなんだけど、
琉球という一枚岩のエンティティは現実世界には存在しない。
実体を持つのは名瀬だとか与那国島祖納といった小さな単位。
琉球列島全体を対象とするということは、そうした小さな単位同士を比較するということだし、
その結果得られるのは、琉球祖語という琉球王国以前の時代のエンティティだ。

一つの言葉がまったく違う2つの意味を持っていると不便なので、別の名前をつけてみる。
小琉球・大琉球というと台湾・沖縄を指すから、代わりにL琉球、G琉球ということにする。
漠然と琉球について語る人を見たら、それはL琉球のことか、G琉球のことかと問いただすと良い。
L琉球のことを語りながら、それがあたかもG琉球のことように見せかける
悪質な言説があることに気付くと思う。
0107マンセー名無しさん垢版2018/08/31(金) 20:20:31.05ID:24OBRII8
>>106
>琉球といえば第一には琉球王国のことで、首里周辺の狭い範囲にしかあてはまらない話が多い。
それを言うときには「沖縄」を使えばいいだけであって八重山諸島宮古諸島を含まない沖縄諸島を「琉球」と呼ぶのは違うとおもうぞ
0108マンセー名無しさん垢版2018/08/31(金) 20:54:39.45ID:7G9ahzAe
元朝皇子の追放された琉球は台湾なんでしょ?
0109マンセー名無しさん垢版2018/08/31(金) 21:52:32.03ID:kypnc+nQ
>>107
お前の言っている意味が分からない
少なくとも歴史的用語の琉球はうちなーと完全に同じだぞ?
使い分けは一切されていない。
外国かぶれは琉球と呼ぶが、
地元のパンピーはうちなーと呼ぶってだけ。
海東諸国紀に琉球=現地語ではうちなーですとはっきり書かれているからな。
要するにどっちも現代で言う沖縄本島のこと。

>>108
台湾の事。澎湖諸島の向かいにあると書かれているからな。
0110マンセー名無しさん垢版2018/08/31(金) 22:00:10.45ID:24OBRII8
>>109
「るーちゅー」「どぅーちゅー」が「うちなー」と同じ?
琉球の用例が宮古や八重山では当てはまらない例ってどんなんじゃ?
0111マンセー名無しさん垢版2018/08/31(金) 22:06:06.20ID:kypnc+nQ
火㷁について朝鮮王朝実録を調べてたんだが、
恐らくこれは「火筒」と全く同じだと思う。
火筒という語も朝鮮王朝実録で使われているが
発音が同じ。火㷁は朝鮮独自の漢字表記に過ぎないと思われる。

火㷁碗口についてはこれは、二種類の武器を併記したのではなく
いわゆる「碗口銃」を当時の朝鮮では
単純にそう呼んでいた、というだけである可能性がある。
確かに、火㷁が火砲などと併記されている記載もあるが
それと同時に、火㷁箭という表記もあり、
火器専従部隊が「火㷁軍」と称されていた事実もあり
15世紀半ばには火器の総称として「火㷁=火筒」が
使われていたという主張には一定の妥当性がある。
0112マンセー名無しさん垢版2018/08/31(金) 22:24:43.99ID:kypnc+nQ
琉球=うちなー(漢字の当て字)と書かれている記述をどこかで見たが
海東諸国記ではなかったな。こりゃ失礼。
0113マンセー名無しさん垢版2018/08/31(金) 22:38:39.69ID:kypnc+nQ
>>110
全く意味が分からないな。
琉球の用例が宮古八重山では当てはまらないって
何が言いたいの?

少なくとも宮古八重山では琉球なんて言葉は使わないよ?

例:仲宗根豊見親のあやぐ
空広が、とよみやぬ、あやごどそ
おきな(沖縄)から、みおまいから、みおこい

さらに琉球は沖縄本島しか指さない言葉だよ?
海東諸国記:琉球国紀より
「国在南海中南北長而東西短」
これはどの史料でもそうなっている。
朝鮮王朝実録でも明史でも。

現代で「琉球王国」と表現される領域は
沖縄本島=琉球国は、他の島も治めています
という表現であらわされている。
沖縄本島以外は「琉球」じゃないんだよ。
同時代人は全員そう認識している。
0114マンセー名無しさん垢版2018/09/01(土) 04:43:07.79ID:gCZHCSde
53マンセー名無しさん2018/06/24(日) 10:05:54.60ID:8yW7/weD
支那人は漢語の「琉球」に対応する土語は「おきなわ」だと思っていた。
網羅的に調べたわけではないが以下の例がある。

陳侃、高澄の『使琉球録』「夷語附」(1535)は漢語「琉球」に「倭急拿」を対応付ける。
『琉球館訳語』(16世紀後半?)には「琉球」を含む複合語が何度も出てくるが一貫して「倭及那」と訳している。
潘相『琉球入学見聞録』(1764)も「琉球地」を「屋其惹」とする。
0115マンセー名無しさん垢版2018/09/01(土) 10:37:11.69ID:4bPfeuao
火㷁=火筒は同じで(発音は確実に同じ)
単に漢字表記が違うだけ。これは確実と思われる。
基本的には管形火器と解釈してよい。

中国の管形火器は、宋代のごく初期の「火槍」に始まり
(これは槍に紙で包んだ火薬をくくりつけたもので
敵の前に突き出して爆竹で驚かせて
その後は普通の槍として用いるもの。
火槍は後代、これから発展した管形火器の呼称としても用いられる)
宋代後期の竹でできた管形火器「突火槍」「突火筒」に発展する
(これは竹の筒にグリップをつけたもので
見た目はもののけ姫の手銃に近くなる。
しかし中身は前代の火槍の拡大版で
噴出する火気で敵を驚かせたり火傷を負わせたりするのがメインで
火気が吹き出し終わった後に弾丸が飛び出したという。宋史にそう説明されている)

元代にはこれが金属でできた管形火器に発展する。
この頃から銃と言う言葉も出てくる。
銃と言うのは本来金属に穴をあけた物品を指す。

朝鮮王朝実録に出てくる火筒、銃筒はどういうものだったか。
銃筒に関しては
実は朝鮮王朝実録に図がある。
もののけ姫式の手銃だが
銃身が長い。なぜかというとメインの発射物は矢だったから。
矢には推進剤はついていない
銃筒には種類があって
複数本を打てるものもある(銃身は一つ)

火筒はその前身で、ほぼ同じと考えてよい。
ただし材質は金属に限らなかった。
朝鮮王朝実録にも竹の火筒という表現が出てくる。
0116マンセー名無しさん垢版2018/09/01(土) 11:07:19.41ID:4bPfeuao
>>88
あなたのいう弾丸が無かったというのは
火筒・銃筒と形容される
個人携行火器に限る。
それは確かに弾丸では無く矢を使っていた。
恐らく火薬の威力不足の中で
軌道を安定させて少しでも飛距離を稼ぐためだろう。
17世紀になって、性能不足のために
「明の鉄丸銃筒に比べるとウンコ。子供のおもちゃ」
と形容されたのも確か。

ただし碗口は間違いなくあった。
碗口は大型の弾丸を発射する。
図示もされているから間違いないところだ。
だから弾丸がないというのは語弊がある。
0117マンセー名無しさん垢版2018/09/01(土) 11:10:14.21ID:4bPfeuao
火器の発展史を概観すると
形云々よりも火薬の調合・精度が大きなハードルになっている。
0118マンセー名無しさん垢版2018/09/01(土) 11:53:40.35ID:hramqxHI
>>108
白鵬が、モンゴル皇子が居住していたことを知って沖縄に親近感を持ちました
とか言ってたんだっけか
0119マンセー名無しさん垢版2018/09/01(土) 12:23:42.28ID:4bPfeuao
15世紀半ばに編纂された「國朝五禮序例」 兵器圖說 には、
「銃筒碗口」として
碗口銃の図説が載せられているから、
「火㷁碗口」は一語であって
要するに碗口銃というのがFA。
朝鮮では単純に慣用的に
「火筒碗口」と表現していたのだろう。
金属性火器の普及によって
用語が火筒⇒銃筒に変わって
兵器圖說では「銃筒碗口」と呼ばれているってだけ。
0120マンセー名無しさん垢版2018/09/01(土) 18:01:41.74ID:hramqxHI
首里城公園 展示会資料集 王家の秘宝
http://oki-park.jp/shurijo/event/3499/3814


同じ形式の拵えが随分と好きだったみたいだねえ
解説文からすると琉球製であることを疑ってないようだけど
0121マンセー名無しさん垢版2018/09/01(土) 18:08:38.73ID:hramqxHI
>>78
青貝巴紋散合口拵 製作年代:16世紀
ttp://oki-park.jp/userfiles/images/shurijo/event/kikakuten/2018/1806_oukehihou_26.jpg

青貝微塵塗印籠刻鞘合口拵 製作年代:16世紀〜17世紀前半
ttp://oki-park.jp/userfiles/images/shurijo/event/kikakuten/2018/1806_oukehihou_29.jpg
0123マンセー名無しさん垢版2018/09/03(月) 01:09:09.55ID:HANuwolp
もし琉球諸語が島から島へとゆっくり広がったのであれば
 (奄美 (沖縄 (宮古 八重山)))
のような系統関係になっていそうなものだけど、現在得られている手がかりを見るかぎり
 ((奄美 沖縄) (宮古 八重山))
のように大きく南北で分かれる。
トマ・ペラールは、これを日本語系の話者が短期間に一気に広がったことの傍証とする。
0124マンセー名無しさん垢版2018/09/03(月) 12:18:42.69ID:/Wgf2wAt
どういう理屈でそうなるの?

あと実際の地元民からは
八重山と本島の方言は
似てるって良く言われるんだが
学者のセンセイ方としては
あくまで別ということ?
逆になんで実際の話者は
そういう印象をもつんだろう
0125マンセー名無しさん垢版2018/09/03(月) 13:15:46.76ID:eKZ/t3sW
今の本島と先島の方言はどちらも同じ程度内地の言葉が入ってるからそりゃ似てるだろ
0126マンセー名無しさん垢版2018/09/03(月) 16:12:25.46ID:/Wgf2wAt
日本語分からない人?
宮古と本島の方言は似ても似つかないが
八重山の方言は意外と通じる
という印象を持つ人が多いという話しなんだけど。
ただの印象だろうというなら
それはそれでいいんだけどね。
宮古の方言が意味わからんのは
県民の総意。

ていうかお前みたいなアホの意見とか
聞いてないから。チラ裏でよろ。
0127マンセー名無しさん垢版2018/09/03(月) 16:14:41.27ID:/Wgf2wAt
新着レスがあったと思ったら
ただのアホだったわwww

先島と言っても宮古八重山じゃ
文化が全く異なるからなwww
仲も悪いし。
何が論点になるのか全く理解してない
0128マンセー名無しさん垢版2018/09/04(火) 01:10:34.86ID:jrp4S2/k
>>124
現代の言葉が全体的に似ているかを適当に測ると
宮古だけ離れて孤立しているようではあるんだけど、
系統関係は全体的な近さではなくて、親子関係によって分類する。
五十嵐氏などはこれを「分岐学的手法」と言っている。
文化的に見ても宮古よりも八重山の方が沖縄からの影響を強く受けていみたいだけど
系統関係を考える時にはそういう借用の影響は取り除いてしまうので関係ない。
なんたって南九州と琉球が兄弟関係だととなえるくらいだからね
それに、宮古の言葉が通じない印象を受けるのは、音の体系の違いも大きいんじゃないかな
0129マンセー名無しさん垢版2018/09/04(火) 13:02:41.57ID:i6d7COhm
http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/exhibit/held
首里・那覇のお菓子たち
会期:2018-08-03(金) 〜 2018-09-24(月)

琉球王国時代、中国からの冊封使や薩摩藩の在番奉行をもてなすのに出されたのが、
料理であり、菓子でした。王家の祝儀や法事でも特別な料理やお菓子がだされました。
当時、料理やお菓子を作る人を包丁人といいますが、包丁人が作る料理やお菓子は
接待用であり、儀礼用で、庶民の口には入りませんでした。
1879年の琉球処分(沖縄県設置)以降、中国や薩摩藩への接待はなくなり、包丁人は
活躍の場を求めて、首里・那覇に下りていきました。首里・那覇では、自由に商売が
始められ、本土から菓子職人や製造技術も入り、お菓子専門店も開店しました。
庶民が求めやすいお菓子も作られましたが、通常は行事ごとのお菓子を作るのが普通でした。
今回の企画展では、接待用のお菓子から庶民が口にするものまで、首里・那覇を中心に
作られたお菓子の数々を写真パネル等で紹介します。
0130マンセー名無しさん垢版2018/09/04(火) 13:08:42.50ID:i6d7COhm
收藏於故宮博物院的「國寶級」日本刀,從何而來?
http://ek21.com/news/1/47260/
http://5b0988e595225.cdn.sohucs.com/images/20180821/078a2e6c9ea04244a5d2aa63f7358887.jpeg
http://5b0988e595225.cdn.sohucs.com/images/20180821/097db5fdb3eb4236a05a72340c0da7d9.jpeg
http://5b0988e595225.cdn.sohucs.com/images/20180821/dbfa027f6e1548e995e17cb459d90b59.jpeg
http://5b0988e595225.cdn.sohucs.com/images/20180821/a5967ef9d5524a729fcefbd474527695.jpeg
0131マンセー名無しさん垢版2018/09/04(火) 17:32:42.85ID:jUumbTF/
>>96
古事記に六国史どころか日本外史まであるじゃん・・
中国人すげえw
0133生粋の名無しさん ◆KMJMcFN7tqqR 垢版2018/09/04(火) 20:59:38.59ID:QGgkXrfT
言語的には奄美群島は鹿児島経由か伊豆諸島経由の可能性が高いと思います
本島と奄美群島よりもたぶん伊豆諸島のほうが結びつきつよい
0135マンセー名無しさん垢版2018/09/05(水) 10:24:41.28ID:6NzlXhGs
現代中国人が何でもネットにアップしていてすごいのはそうなんだけど
それはそうとして、漢文だけ見ていたら認識が歪むよなあとは思う。
琉球が倭寇の受け皿として成立したのかは定かではないけど
ともかく支那との関係において本土との関係を隠蔽するという点では一貫している
0137マンセー名無しさん垢版2018/09/05(水) 21:15:00.62ID:iTSPxatE
>>129
ええなあ面白い
初めて見たわ
サーターアンダギーみたいな揚げ菓子は昔からあったんやろか?
0138マンセー名無しさん垢版2018/09/05(水) 21:15:42.82ID:iTSPxatE
>>132
いいものがないって意味?
0139マンセー名無しさん垢版2018/09/06(木) 00:25:38.49ID:wvY+m3BO
分岐学的手法で「奄美」が浮かび上がるということは
奄美祖語という理論上仮定される言葉を話す集団がいて
それが島々に広がって枝分かれしていったということ。

これがもし本当だとすると、意外な発見だ。
文化的には与論と山原との間にそんなに明確な断絶はなさそうだし
奄美は薩摩が恣意的に切り取ったものだと一般には思われている。
実際、弓削政己のような奄美の研究者も
どうして薩摩は与論までで境界を引いたのかと不思議に思っていたようだ。
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2011/10/post-e368.html
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2013/10/post-f7f2.html
0140マンセー名無しさん垢版2018/09/06(木) 10:50:41.97ID:fSoxJGYU
ちなみに三線は徳之島より北側が奄美三線、
沖永良部島より南側がな琉球三線になる。
0141マンセー名無しさん垢版2018/09/06(木) 19:31:41.82ID:wpcKCX6h
うちの爺さん世代もそうだったけど、話を聞くと沖永良部島でも奄美の島唄は歌われるし、徳之島でも琉球民謡は歌われてた
線引きすると思考が楽になるだろうけど、あまりにも断定口調だと現地から見ると知ったかぶりの書生さんに見えてしまうな
0142マンセー名無しさん垢版2018/09/06(木) 20:09:05.48ID:qp2m1TgU
琉球と奄美では同じ歌を歌ってても音階が違うんでなかったか?
0143マンセー名無しさん垢版2018/09/06(木) 23:59:09.38ID:wvY+m3BO
例外がいろいろあるにしても、全体として徳之島と沖永良部島の間に
音楽上の比較的はっきりした境界線が引けるのは確かだ

音楽に関しては不案内で最近の説がどうなっているかわからないが
手元にあった小島美子の1977年(!)の論文にあたってみた
https://ci.nii.ac.jp/naid/40001981610
結論だけ見ると小島説は以下の通り
・沖縄音階は首里を中心に、かなり新しい時代に発生した
・律音階主体の奄美に対して、沖縄音階は次第に北上してきた
・徳之島と沖永良部島との間の境界線は歴史的にそう深いものではない

与論島と沖縄本島の間に古い境界があるとは一言も言っていないけれど
奄美を系統上のまとまりと見る説とは少なくとも矛盾はしない。

それにしても「書生さん」か。なかなか2ちゃんでは見かけない物言いだ
0144マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 05:56:05.15ID:i+JoYCrg
首里を中心とした思考性に凝り固まり硬直してしまった首里原理主義脳さんかな
与論島クオリアを担ぎ出してくるあたりも「書生さん」なんだよねw
0145マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 09:27:08.52ID:4PGI5YFI
実際に徳之島出身者などに三線を弾く知り合いとかがいるから、
そのあたりに聞いてた話なんだけどね。
書生呼ばわりされるとはw
0147マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 10:03:49.83ID:i+JoYCrg
書生さんでなくとも自称研究者とか言う岸政彦のようなナイチャーがイデオロギーまみれの思い込みで、自分に都合のよいサンプルだけを切り取って南西諸島について断定してる悪質な事例が散見するからな
俺としては優しく指摘したあげたんだが
0148マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 10:17:17.02ID:i+JoYCrg
岸政彦の悪質さは自分の都合の良い沖縄像に合わせるためにサンプル選びやヒアリングまで奄美を完全に抹殺してるところだな
まあ、奴らのようなナイチャーにとってパラダイスな沖縄を本土から分断したいんだろうからそりゃ沖縄と内地の間に線引きしたくて堪らないだろうし、奄美は邪魔でしょうがないだろうよw
0149マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 10:34:29.98ID:i+JoYCrg
まあ、そういう連中は研究者やジャーナリストと言いつつ沖縄を政治利用したい気持ちと、そもそも南西諸島について知らないだろうと思うが
最近は自分たちでもそれを気づき始めてるのか文学者なやうなアーティスト気取りで沖縄を語ったりしてるのが笑いが止まらなくてな
0150マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 10:36:41.20ID:i+JoYCrg
歴史や文化などの島の物を売名に使い、売り物にする屑商売人は許せんなー
0151マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 20:00:05.22ID:JQ46OjcM
一度でまとめて書けることを
分割して連投するのはメンヘラーのしるし
0152マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 21:12:12.28ID:tj1POKXL
まあそういうスレでそういうひとが集ってるから



数えるほどの住人もいないだろうけどね
0153マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 21:23:46.78ID:mYDvAGJf
と、数えるほどの住人が書きこんでくれていますww
枯れ木も山の賑わい、
漢文読めない文盲もスレの賑わいwww
0155マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 21:33:57.34ID:mYDvAGJf
個人的感覚や経験も大事なんだけど
今、一般的なものであるのが
当然のものでも
実は意外と新しかったりするから
その辺注意は必要。
先日八重山方言の話しをしたが
首里に近いというのは
単なる思い込みという話しだった。
0156マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 21:35:34.54ID:tj1POKXL
なんだやっぱりブログ主かw

あんたの基地外っぷりはみんな知ってるから心配しなくとも大丈夫だよ
大事なのは書き込みの中身だし、それはちゃんと評価されてるから
0157マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 21:43:09.31ID:y/B4iVo0
本来は言語学板に書くべき内容だがハングル板に熱心に興味を持つ利用者がいるのであえて書き込もうとしよう

思うのだが琉球語諸方言の分岐の順番を音韻構造の共通点から割り出すことはできないのだろうか?

奄美語の七母音は上代日本語の八母音と無関係なのだろうか?
有気音や放出音の存在する国頭語は非常に特殊な変化を遂げている様に見える
宮古語の子音のみで単語が成立しうる音韻体系は更に途轍もない変化の様だ
0158マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 21:44:18.61ID:mYDvAGJf
特に沖縄は教育水準が低い反映か、
知識人階級が非常にバカなので、
何でもかんでも過去に遡らせて
大げさに言いたてる。
空手の起源はてぃーだとか
沖縄そばは冊封使接待が起源だとかww

実際には空手ははっかくけんなどの
ナンパ少林拳のあからさまなパクリで
遡ってもせいぜい18世紀後半。
ナンパ少林拳自体がそんなもんだからな。
ぶっちゃけ近代中国武術自体が
歴史が浅くて明代に遡れるのは
八極拳だけ。

沖縄そばも明治時代に中華そばが入ってきてから。
本土のラーメンと起源は同じ。
0159マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 22:06:12.29ID:mYDvAGJf
上代日本語の名残か、、

13世紀にいきなり大人数の人間集団が南下して
南西諸島を文化的のみならず
遺伝的にも一色に塗り替えたというのには
やはり違和感がある。
そこまで一時に移動すると
記録に残らないのはやはりおかしい。
そもそも黒潮に遮られて現実的でないと思う。

10世紀以前に南西諸島人が
朝貢したり対馬を襲撃したり
活発に活動していた事実があり
先住民がいたのは確かなのだから、
それら先住民の多数の集団が
13世紀の劇的な変化の受け皿になったと
考えた方が自然では?
その集団も変な言語を喋っていたと
考える必要はない。
隼人族やヤク人の一種と考えれば
九州人と文化的にも遺伝的にも
大差ないのは全くおかしくない
上代日本語のバリエーションを話していても
おかしくない

その意味でも
例の琉球語二系統説には大いに興味をそそられる
0160マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 22:19:09.71ID:tj1POKXL
というか城久遺跡の集団も時期毎に単一だったのかね?
0161マンセー名無しさん垢版2018/09/07(金) 23:37:48.31ID:7yoU8FKv
いくら名無しさんで発言を追いにくいとはいえ
俺が首里原理主義に見えるのは相当なもんだ。
というか岸政彦って一体どこのどいつで、どういう文脈で出てきたんだよw
この噛み合わなさは、なんか徳之島出身の知り合いを思い出すなあ
0162マンセー名無しさん垢版2018/09/08(土) 00:31:55.89ID:EAGWuurx
平家の落人か
それに近い九州の負け組サムライはほぼ確実に
南西諸島に来ていたと思う。
鎌倉方の何かの記録にも
喜界島に平家が逃げたのて追っ手を送ったと
記述があるからね。
この喜界島が今の喜界島かどうかは
議論の余地があるが
最初は遠くて危ないから見逃そうという
話しになってたのを
頼朝が覆したらしいから
それなりに危ないところとなると
やはり今の喜界島とみなしていいと思う。
その意味では
やはり平家没落由来記はなかなか軽視できないし、
喜界島にも平家にゆかりのある城跡がある。

ただ城久遺跡とどこまで関係あるかと言うと微妙だ。
喜界島で平家ゆかりの遺跡は山城だ。
平家の子孫を名乗るウフジャラの家譜にも
先祖は山に住んでいたが
後代になって平地に降りてきたとある。

それに対して城久遺跡は平家の遺跡と離れており
平地にある。
若干の距離感を感じる
0163マンセー名無しさん垢版2018/09/08(土) 00:52:01.83ID:zE5NkNo/
北奄美の7母音体系は最近は音韻的には5母音と解釈する(母音ではなく子音の違いと見る)説が優勢になっている。
いずれにしても二次的な変化であって琉球祖語にさかのぼるものではないと思う。

上代語の母音と琉球諸語の母音との間には簡単には対応しない事例があって悩ましい。
それをどうやって説明するかは服部四郎の時代からずーっと議論していて
もはや素人の出る幕はないよ。

https://hal.archives-ouvertes.fr/hal-00373303/document
この論文のTable 2が説明の一例。人によって細かい違いはあるけれど、だいたいこんな感じ。
表のPJは日本祖語、WOJが上代語、PRが琉球祖語。
この表にあるように、基本的には、日本祖語にあった区別が
上代語と琉球祖語で別々に失われた(主には二重母音が融合)から、
対応が複雑になったのだという説明になる。
0164マンセー名無しさん垢版2018/09/08(土) 01:19:41.54ID:zE5NkNo/
南西諸島の人口が歴史的にどう推移したかを誰か真面目に推定してないんですかね。
一般には食糧生産のモードが狩猟採集から農耕に移ると養える人口が桁違いに増える。
ヨーロッパの場合、狩猟採集民がいたところに中東から農耕民がやってきたんだけど
前者の遺伝的な痕跡がほとんど検出できないくらい完全な人口の置き換えが起きたことが
最近の古代DNAの分析でわかっている。
現代から見ると笑ってしまうくらい効率の悪い農耕でもそんな風になる。
0166マンセー名無しさん垢版2018/09/08(土) 13:14:59.56ID:th0B6Wg+
『北から生まれた中世日本』(2012)という、南島だけ追っていたら見落としそうな本があるんだが、
奄美博物館の高梨修が「鎌倉幕府成立期前後における南海島嶼海域の様子ー南海島嶼海域をめぐる政治的動態の考察」という論考をよせている。
城久遺跡群は
I期(8世紀後半〜11世紀前半)
II期(11世紀後半〜12世紀)
III期(13世紀後半〜15世紀)
と区分され、II期が最盛期だが、III期との間の13世紀前半に空白期間がある。
ここで高梨が注目するのは源頼朝による1188年のキカイガシマ討伐で、
これによって城久遺跡群の交易拠点機能が失われたと推測する。
鎌倉幕府は平氏政権とうってかわって日宋貿易に不熱心だったが、
この鎌倉幕府が奄美を支配下に組み込んだ(十二島地頭職に関して「此外五島」への言及がある)結果として、
沖縄が奄美に代わる貿易拠点として台頭したと考える。
前段階の平氏政権がII期の城久遺跡群を日宋貿易の拠点にした可能性もあるが直接的な証拠は乏しい。
0167マンセー名無しさん垢版2018/09/08(土) 13:29:26.74ID:uASDG1se
智多星朴ホンギュは相変わらず奮闘しているか?
0169マンセー名無しさん垢版2018/09/08(土) 20:52:11.51ID:eXn/v0dN
>>165
宮古・八重山に台湾原住民の遺伝的影響が見られないという結論はあっているが
その図を出すのはおかしい。
系統樹は混合がないという仮定のもとで作るものだから。
本当の根拠は、図がなくて地味だが、Table 2のD Statisticsだ。
https://academic.oup.com/mbe/article/31/11/2929/2925651

この尺度で、混合の影響で理想的な系統樹からどの程度逸脱しているかを測る。
D(W, X; Y, Z)のW、X、Y、Zはそれぞれ集団で、
Wには明らかに外れ値とわかっている集団を指定しておく。
 (W (X (Y Z)))
という系統樹が完全に成り立つならDは0だが、そうでなければ0から離れる。
Xから見てZとの関係が深いと正の値、反対にYと近ければ負の値になる。

結果を論文からコピって右に解釈を追加した。本当はZ Scoreというのも見る必要があるんだが省略する。
CHBは北方漢人、CEUは北ヨーロッパ系、AMは台湾のアミ族、ATは台湾のタイヤル属、MJは本土、KRは韓国、
OKは沖縄、MYは宮古、YEは八重山。

D (CHB, OK; MY, YE)  -0.0002  沖縄は宮古・八重山と等距離
D (CEU, AM; MY, OK)  0.0021  アミ族は宮古・沖縄と等距離
D (CEU, AT; MY, OK)  0.0016  タイヤル族は宮古・沖縄と等距離
D (CEU, OK; CHB, MJ)  0.0171  沖縄は北方漢人よりも本土に近い
D (CEU, OK; CHB, KR)  0.0092  沖縄は北方漢人よりも韓国に近い(Dの値は小さいがZの値から誤差ではないとわかる)
0170生粋の名無しさん ◆KMJMcFN7tqqR 垢版2018/09/08(土) 21:00:54.33ID:HtxCnxHI
>>158
よくわかんないな
空手の起源は「手(てぃ)」だけど16世紀より前に沖縄にあったって主張してるの見たことない
公相君(クーサンクー)からして中国から渡ってきたってことをはっきり明示してるし、
本部御殿流だって14世紀より前には流派成立があり得ない
0171マンセー名無しさん垢版2018/09/08(土) 21:09:37.36ID:eXn/v0dN
ちょうど宮古が独自だという話題が出ているが、遺伝学的にもこれが確認できる。
下の図の(a)のように、遺伝的な距離をもとにネットワークを作ると、宮古(MY)だけ長い枝がのびて孤立する。
https://academic.oup.com/view-large/figure/74388546/msu230f4p.jpeg
上のD値からわかるように、宮古が台湾原住民と混交したからそうなったわけではない。
Table 1の対角線にD_Xという、集団内部の多様性を測る尺度が載っているが
これによると多様性は 宮古 < 八重山 < 沖縄 < 本土 となっている。
宮古で過去に人口が極端に少なかった時期があり、遺伝的なドリフトが起きたと解釈できる。
同じことが程度の差こそあれ琉球全体に言えるだろう。
0172マンセー名無しさん垢版2018/09/08(土) 22:47:51.51ID:EAGWuurx
本部御殿手自体がウソ。妄想設定。
上原が本部なんちゃらから空手を
教わったのは事実だろうが
本部御殿長子相伝の秘技とか
たわ言もいいとこ。
大体上原自身、そんな事いいだしたのは
高齢になってから。

そもそも空手には流派なんてないから。
本部もいろんな先生から教わって自分なりの
コツをつかんでたから
自分が先輩からしてもらったことを
後輩の上原にしてやった。ただそれだけの事。
それ以外はただの脳内設定だよ。
0173マンセー名無しさん垢版2018/09/08(土) 22:54:44.95ID:EAGWuurx
上原が人格的にいい奴なのは確か。
自己中心的で幼稚なクソ野郎ばかりの
沖縄空手界隈で
珍しい円満温厚な奴で人望もあった。
これは事実。

同時にあいつが年とってから
言い出したうどんとか秘伝とかいうのは
ただのウソ。これまた事実。

まあ別に上地流だってウソつきだし、
要するに沖縄では
戦後になってもこの手の
天狗に教わった式の
誇大広告がユーザーからも
求められるような
周回遅れの社会だったんだろうなってだけ。
0174マンセー名無しさん垢版2018/09/08(土) 22:59:17.67ID:EAGWuurx
大体上原が教える空手自体が、
うどんがどうのとか言い出した頃と
最晩年とでは違うからね。
彼は晩年には琉舞にはまってたから
空手もダンス風になってた。

まあ要するに、うどんの秘伝とかいうのはウソで、
彼は単なる上原空手を
教えてただけなんだよね。
全然悪いことじゃないよ。
それは普通のこと。
0175マンセー名無しさん垢版2018/09/09(日) 18:49:41.90ID:tvaI/LcO
ポリティカリーインコレクトな推測を書いてみる。
ユタとかカンカカリャーは何らかの遺伝子疾患と関係する可能性はないかな。
該当者とそうでない人のDNAを集めて相関分析にかけてみたい。
何か出てきたら面白いんだけど
0176マンセー名無しさん垢版2018/09/09(日) 18:57:12.82ID:eIvxkan1
基地外や変態、犯罪者にも役割を持たせるのは現代より進んでいた原始社会の福祉と言う定説
0177マンセー名無しさん垢版2018/09/10(月) 01:40:05.22ID:+hoTncvV
病身舞とかインドのあれとか日本でも福の神として崇めるらしいな
完璧じゃない物を特別視する発想は多い
0178マンセー名無しさん垢版2018/09/10(月) 08:01:40.85ID:wKM8t9fv
幻視幻聴なんて珍しいもんじゃないよ。
一週間寝なかったら
誰でも体験するよ
0179マンセー名無しさん垢版2018/09/11(火) 01:10:45.78ID:ZJ9hbmfQ
>>176-177
福助とかな

韓英一や篠沢一男も火神として崇められる時がいつか来るだろう
0180マンセー名無しさん垢版2018/09/12(水) 00:57:14.55ID:Og2sMcuu
ペラールが挙げる奄美・沖縄の分類根拠を見てみる
アスタリスクは理論上の再構形を、BとCはアクセント型をあらわす。
https://hal.archives-ouvertes.fr/hal-01289257
奄美を特徴付ける共有改新
・琉球祖語の *kakozu C(あご)の第2音節が *u>a と不規則変化
・ホコリが ɸuɸuŋ のような形に不規則変化
沖縄を特徴付ける共有改新
・琉球祖語の *kame B(亀)の第1節が長音化(首里:kaːmiː)
・琉球祖語の *pato B(鳩)の第1音節が *a>o: と不規則変化(首里:ho:tu)
・琉球祖語の *pago B(憎い・きらいだ)の意味が「汚い」に変化
0181マンセー名無しさん垢版2018/09/13(木) 00:52:39.21ID:Sx8XCyFz
日本人起源 ゲノム歴史学で解明へ 離島など500人解析
https://mainichi.jp/articles/20180911/k00/00e/040/178000c
 日本列島に住む人類の起源を、ゲノム(遺伝情報)解析や言語学などの共同
研究で解明を目指す新たなプロジェクトを、情報・システム研究機構などの8
団体合同の研究チームが始める。考古学など文理融合による「ゲノム歴史学」
という新手法で取り組む異例のプロジェクト。日本人がどこから来たのかとい
う謎に迫れるかが期待される。

報道発表があったプロジェクトはこれだな
http://yaponesian.org/
0182マンセー名無しさん垢版2018/09/13(木) 12:35:26.67ID:BJWPDSr+
ヤポネシア(日本列島)には約4万年前に最初のヒトが渡来し、その後も何度か渡来の波がありました。この枠組みの中で、
ヤポネシア人(日本列島人)はどのような集団にその起源をもつのか、ヤポネシアにおける成立・発展の過程はどうで
あったのかを、多地域から選別した現代人500個体と旧石器時代〜歴史時代の古代人100名のゲノム配列を決定し
比較解析することで、ヤポネシア人ゲノム史の解明をめざします。ヒトとともにヤポネシアに移ってきた動植物についても、
それらのゲノム配列の比較から歴史を解明します。過去の人口増減の詳細な歴史を、ゲノム配列から推定する既存の方法や
新規に開発する方法を用いて、再構築します。ヤポネシア人の歴史を多方向から検討するために、これらゲノム研究と、
年代測定を取り入れた考古学研究や、日本語・琉球語の方言解析を含む言語学の研究グループとの共同研究を行ないます。
これらから、文理融合のあらたな研究領域を確立します。
http://yaponesian.org/

もう琉球語って言いきっちゃってるグループなのか
で、言語担当がこっちの面子と


言語学研究グループの紹介
<計画研究B02> 日本語と関連言語の比較解析によるヤポネシア人の歴史の解明

研究代表者

遠藤 光暁(青山学院大学・経済学部  教授) → WebSite

研究分担者

木部 暢子 (国立国語研究所  副所長/教授) → WebSite

狩俣 繁久 (琉球大学・島嶼地域科学研究所 教授) → WebSite

中川 裕 (千葉大学・文学部  教授) → WebSite

風間 伸次郎 (東京外国語大学・総合国際学研究院 教授) → WebSite
0183マンセー名無しさん垢版2018/09/13(木) 13:00:24.53ID:BJWPDSr+
その5人それぞれの専門がこうか

中国語
日本語方言
沖縄方言
アイヌ語
ツングース語
0186マンセー名無しさん垢版2018/09/13(木) 20:25:06.27ID:gGGB/FUE
まあ琉球語って言い切っちゃう人と、日本国内でも韓半島って書いちゃう人は重なりがちだよね
考古学分野でも韓半島と書くのはわりといるような
0187マンセー名無しさん垢版2018/09/13(木) 22:42:16.87ID:s8cA2/X4
福井玲などは「中世韓国語」という違和感しかない用語を平気で使う
「韓国で発表したものを毎回日本での呼び方に移し変えるのが不便だから」と言っている
0188マンセー名無しさん垢版2018/09/14(金) 14:10:21.78ID:XtNFanFT
>>184,
琉球語のなにがおかしい


日本語族

  日本語派(Japanese language(s))は、日本本土(本州・四国・九州・北海道とその付属島嶼)で話される言葉。
  
    八丈語(八丈方言)
    日本語(本土日本語、本土方言)
      東日本方言
      西日本方言
      九州方言
  
  琉球語派(琉球諸語、Ryukyuan language(s))は、琉球諸島(奄美群島・沖縄諸島・先島諸島)で話される言葉。
  
    北琉球語群
      奄美語
        北奄美大島方言(北奄美語)
        南奄美大島方言(南奄美語)
        喜界方言(喜界語)
        徳之島方言(徳之島語)
      国頭語
        沖永良部方言(沖永良部語)
        与論方言(与論語)
        沖縄北部方言(国頭語)
      沖縄語(中央沖縄語)
    南琉球語群
      宮古語
      八重山語
      与那国語
0189マンセー名無しさん垢版2018/09/14(金) 22:08:54.37ID:TOcBwA/J
>>186
北海道をアイヌモシリと呼ぶことが良心的だと思っているような方々は
なぜか樺太をサハリンとしか呼ばないんだよなあ

樺太こそがアイヌ語由来の名称なんだろ?
0190マンセー名無しさん垢版2018/09/14(金) 23:00:19.06ID:9dwS46wX
ある一面頭良くても、偽善に酔っちゃう頭弱い人たちって多いからね
0191マンセー名無しさん垢版2018/09/14(金) 23:01:59.72ID:XtNFanFT
>>189
アイヌモシリは島名とちゃうわ
北海道をアイヌモシリなんて呼ぶ人は見たことない

実は「北海道」かて島名やのうて道名なんやけどな
島名はほんまは「渡島」ちうんや
そやけど渡島ちう島名が忘れられてそのかわりあの島を北海道ちう道名で呼ぶようになってもたんや
0192マンセー名無しさん垢版2018/09/15(土) 01:40:04.73ID:rnZVxuqr
アイヌモシリが明確な境界をもった地理的概念だったとは到底思えないけど
少なくとも和人地を含まないであろうから、アイヌモシリ=北海道とはならない
0193マンセー名無しさん垢版2018/09/15(土) 01:56:18.94ID:rnZVxuqr
>>188
分岐学的手法によってその分類はもはや無効になってるというのが>>136-139>>180の議論だよ。
さらに>>84で引いた五十嵐説に従うなら、琉球は南九州の兄弟であり、
琉球を除外した日本語派は分岐学的に無効なので、日本語族は本土・琉球の総称とするほかない。
0194マンセー名無しさん垢版2018/09/15(土) 05:31:03.73ID:q98VAwSc
DNAでも沖縄県民は南九州民と兄弟なのは確定してるのに、感情的に沖縄先住民論や大陸渡来説を喚く人たち
0195マンセー名無しさん垢版2018/09/16(日) 10:43:40.70ID:vIW0bBdy
マジレスすると全ゲノム分析で本土を細分化したデータはこれくらいしかないぞ。
https://www.cell.com/ajhg/fulltext/S0002-9297(08)00487-4?code=ajhg-site
北海道、東北、関東甲信越、東海北陸、近畿、九州、沖縄という大雑把な区分で、
しかも九州は奄美を含んでいる。
0196マンセー名無しさん垢版2018/09/16(日) 14:07:46.82ID:5RCk2cxa
ここ10年ほどで古代DNAの研究が海外で凄まじく進んでいて
ネアンデルタール人のように無茶苦茶古いDNAも解読できるし
東南アジアのように保存状態が悪い環境にでも適用できるようになっている。

ヤポネシアゲノムのプロジェクトはできるかできないかじゃなくて
輸入学問をやるかやらないかの問題にすぎないんだけど
メンツを見るとあまり期待できないんだよなあ。
城久遺跡群から出てきた骨なんかを片っ端から解読してほしいところだけど
狩俣とか、沖縄の内在的発展論に傾倒している連中が障害になりそう。
0198マンセー名無しさん垢版2018/09/16(日) 21:00:14.83ID:5Y0u1SFX
だいたい狩俣氏は自分の巨大プロジェクトを持っていて、テーマも似通っているのに、
いまさら何をするつもりなんだろう
https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-17H06115/
こっちは1億以上もお金を取っておきながらウェブサイトすらない時点でお察し。
研究概要を見てもお金のかかる要素が見当たらないんだけど、
どこに消えていってるのかな
0199マンセー名無しさん垢版2018/09/17(月) 01:22:15.97ID:lxL2HUt3
>>196
保存状態が悪くても解読できるなら縄文時代後期の西日本の人骨調べてほしいね
日韓に共通して分布していて状況証拠的には縄文時代の日本列島に発祥して朝鮮半島から満州へ広がった遺伝子があるのだが
その裏付けが欲しい
0200マンセー名無しさん垢版2018/09/17(月) 06:44:19.44ID:KIn7wC+V
>>199
韓国や中国がそんな都合の悪い遺伝情報出すわけないだろ
0201マンセー名無しさん垢版2018/09/17(月) 07:15:07.01ID:L52mpH0f
いやいや、今はそれどころか、
中韓に手柄取られる心配をしなきゃいけない。
日本の歴史学関係は人材がゴミだからな。
未だに縄文弥生二重構造とか平気で言ってるし。

考えてみたら戦前は、稲村賢敷みたいな
田舎の秀才が、地頭はいいけど
受験テクニックが分からず
医学部法学部には受からなくて
文学部みたいなクソ学部に流れてた。
それが戦後になると
沖縄の離島からでも内地のマリストとか行って
そのままエリート学部に入るようになった。
文学部などのクソ学部にはまさにカスしか
入らないようになった。
その点、中国や欧米は分母が大きいから
クソ学部にも頭良い変わり者が流れてる
0202マンセー名無しさん垢版2018/09/17(月) 07:23:33.01ID:L52mpH0f
日本史学、東洋史学と、
西洋史学とでは、
明らかに西洋史学の方がレベルが高い。
人間も謙虚だしな。
高良庫吉みたいに
アホのくせにでかい口叩く奴はなかなか見当たらない

質的にはそんなに変わらないはずなんだよ。
やはり欧米に手本があるかないかが
差になってるんじゃないかな。
レベルの高い見本があるだけじゃなく
英語なりなんなり読めないと商売に
ならないから必死に努力する。

それに引き換え日本史学は
古文漢文すらまともに読めない。

大半が医学部進学するような
エリート進学校であれば
古文文法もしっかり仕込まれるんだが
そういうところの出は
文学部には行かないんだよな。
0203マンセー名無しさん垢版2018/09/19(水) 19:04:23.36ID:asoqZN+E
>>199
kwsk
どういう状況証拠?
0204マンセー名無しさん垢版2018/09/20(木) 01:03:20.59ID:FNh8/8eh
>>203
Y染色体ハプログループO1b2a1は日韓に共通してみられるが
それが発生したとされる時期に朝鮮半島には人が住んでいなかった
(済州島からは1万年前の土器が発見されてはいるらしい)

韓国から出土する新石器時代の人骨は縄文人の形質的特徴を備え
また縄文土器に類似した形状の土器を使用していた

ならば朝鮮半島に最初に現れた現在までつながる最初の人と文化は日本列島からやって来たと考えるのが自然
0205マンセー名無しさん垢版2018/09/20(木) 14:51:43.04ID:UjiTi0mm
縄文人の広がりはともかく、氷河期終わった時期に朝鮮半島だけ人類いないってのもどうなんかね
遺物の発見がないのはなんともしようがないけどさ
0207マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 12:11:21.05ID:dHjH2xbW
少し話はズレますが
昔の日本は女系社会で知識や文化の伝達も女系でやっていたはず(縄文とかもそうなのかな?)なのでY染色体ハプログループより母型のハプログループの方が重要なのでは?
0208マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 20:31:17.22ID:3pgvedKN
ブログ主、今度は戦国板に殴り込んでるのか
あのいつもの言動見てると、職業倫理とは何ぞや、と思えるね
0209マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 20:41:49.55ID:ugJqU6uQ
>>206
同じハプログループなのに名前が複数あってややこしいんよな

>>207
縄文文化は別に均一な一つの文化ではなくて似通った複数の小文化圏の集合体やで
アイヌの祖先もおれば倭人の祖先もおる
女系社会の集団もおれば男系社会の集団もおったろう
0210マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 21:02:12.97ID:BllmhJxT
なぜそこで職業倫理が出てくるの?
0212マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 22:14:55.27ID:RVHzrkLE
全くその通り!
自分個人が受けた琉球の風の考証の仕事に
浦添図書館から金を出させて、
さも当然という口ぶりで
納税者への感謝の言葉もない
高良K吉とか、
国費ですら愛知教育大学にしか行けない
間抜けな社会のダニの分際で、
善良な納税者である郷土史家をディスりまくる
T良庫吉とか見てると、
職業倫理ってなんだろうって気になるよな。
0213マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 22:18:41.00ID:RVHzrkLE
高良の学問的業績ってなんかあるの?
あのクリ・ヒキ制度?www

アレに因縁つけられた郷土史家の皆さんも可哀想。
奴の文章読んでると傲慢さが滲み出てるから
押しの強さに負けたんだろうな。
俺がその時生まれてたら
速攻で論破して守ってあげられたのに!

xクリwwwバカ丸出しwww
所詮国費で愛知教育大学行く程度の脳みそだわww
0214マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 22:20:12.80ID:3pgvedKN
いやもう、あんたはそれでいいよw
0215マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 22:22:35.83ID:RVHzrkLE
アレは沖縄を愛してるとやたらアピールするが、
沖縄を愛してる奴が
国費で一文の足しにもならない史学科に
行くのが不思議でならない。

まあビアスの悪魔の辞典にも、
愛国心は悪党のカモフラージュと書いてあったから
そういうことなんだろうな。
0216マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 22:24:51.63ID:RVHzrkLE
そもそも国費で愛知教育大学みたいな
クソ大学に行けるのが驚きww

国費で旧帝大いったとか
早稲田一橋にいったという人は
しょっちゅう見かけるが、

愛知教育大学に行った奴なんて
高良しか知らんわwww
0217マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 22:28:36.29ID:RVHzrkLE
琉球の風自体、
アイツ的には考証頑張ったつもりらしいんだよな。

俺はケインコスギが
空手で鉄砲に立ち向かうシーンしか覚えてないがww
チャックノリスみたいでかっこよかったですww

16世紀に空手があって
なおかつ鉄砲に空手で立ち向かうとか
非常にリアルな考証だよなwww
0218マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 22:35:39.04ID:RVHzrkLE
あと菊隠も一切出て来なかったよな。
王府公認の最大の功労者なのに。

結局高良って現実の琉球には
全く興味ないんだよね。

ところで王府自身は、
同時代から一貫して
謝名=クソ野郎 扱いだけど、
琉球の風邪みたいに英雄扱いするのって
いつ頃からなんだろう?
古いものではないよね。
東恩納は完全無視してた。
謝名だけというより個々人に興味ないって感じ。
社会情勢のせいだから
それを解明してみますという論調だったわ。
当時の学問的流行なんだろうね。
0219マンセー名無しさん垢版2018/09/21(金) 22:39:14.58ID:RVHzrkLE
ちなみに菊隠の隠居寺の
ダルマ峰西来院は今でも
たいへん繁盛してるから
興味ある奴は行ってみると良い。
現在はダルマ寺で通る
風情は全くないがな。
首里の古い街中にあって道は狭いし
駐車場も狭いのは忠告しておく

円覚寺が滅んで
ダルマ寺が繁盛してるの見ると
所業無情を感じるわ。
0220マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 00:29:42.08ID:2E8AItvI
>>209
O2b1-47zのことなら、縄文人に由来すると見るのは難しい。
一つ上の階層のO2b-SRY465での比較ではあるんだけど
本土よりも沖縄の方が出現頻度が低く、アイヌからは検出されないとHammerらは報告している。
二重構造仮説における弥生人と考えるのが自然だ。
0221マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 01:36:13.82ID:ETccUWf2
>>220
縄文文化は単一民族によってなされたものではそもそもない
アイヌに存在しないことを以て縄文人に存在しなかったと決めつけるのは理が通らない

琉球人は縄文形質が濃厚であるが南琉球はO2bが67%を占め、縄文人固有であるとされるD系統はわずか4%であるという
しかも琉球諸島には8〜10世紀頃まで稲作が開始されない(弥生文化が伝播しない)
これではどう考えてもO2b系統を渡来系のものだと言い張ることは無理だ

そもそも二重構造説という考えが時代遅れだろう
0222マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 14:13:37.81ID:s9bXTUxU
うーん、どこからいこうか。
まず「時代遅れ」というのが本質から外れていてよくわからない。
学説は時間がたてば自動的に古くなるわけではなくて、
より説得力のある説で上書きされるまでは有効だ。
もしそういう説があるなら、ソース付きで示してくれないことには始まらない。

ついでに言えば、そもそもハプログループ自体がオワコン気味なんだよね。
全ゲノム解析がもたらす圧倒的な量の情報を前にして
0223マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 14:19:25.15ID:s9bXTUxU
先にこちらがソースを出しておくと、
全ゲノム解析の時代においても、二重構造仮説は基本的には維持されている。
その上で、縄文、弥生とされる集団の内部にそれぞれ構造があった可能性や、
それらの集団の混交が一回性のイベントではなくて、
もっと複雑な歴史があった可能性が議論されている。
https://www.nature.com/articles/jhg2012114
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0002929708004874

もし大きく2つの祖先集団からなるという仮説から否定するのであれば
もう一度言うけど根拠を示してよ
0224マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 14:39:46.68ID:s9bXTUxU
> 琉球人は縄文形質が濃厚であるが南琉球はO2bが67%を占め、縄文人固有であるとされるD系統はわずか4%であるという

1.ハプログループのソース出して
2.「縄文形質が濃厚であるが南琉球」というのはどういうこと?
考古学的に見て、南琉球はずっとまったく別の文化圏であった上に、無人化していた時期があった可能性も高い。
南北が同じ文化圏(考古学的な意味での)になるのは、沖縄で言うグスク文化が広がってからだよ。

もしかして
1.南琉球の先住民が縄文系で
2.しかも現代人から検出可能なレベルの遺伝的影響を残している
と思ってる?
0225マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 15:02:56.48ID:ETccUWf2
>>224
南琉球でO2bが67%のソースは崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅』ね
中身読んでなくてネット情報で見たからそれに更に一次ソースの論文があるのか崎谷の独自調査かなのかは知らん

顔が縄文的であるのにY染色体だけが渡来系に入れ替わるなんてバカなことはないだろう(むしろ世界的にはY染色体ハプロが近縁なのに顔立ちが全然違う人種になっている方がありがち)
どちらにせよ縄文文化だから均一な遺伝子プールという考えは捨てるべき
縄文時代は非常に長く日本列島は我々の思う以上に広い

とにかく必要なのは当時の西日本や朝鮮半島の人骨の遺伝子調査だ
0226マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 16:54:02.58ID:ri0tKoBm
戦国板を見てきたが確かにNHKのこれはすごい
上里先生プロデュース?


録画バカ一代 英雄たちの選択 琉球スペシャル第1弾「独立を守れ!島津侵攻 尚寧王の決断」

琉球側は 無理すれば1万までの軍事力が保有可能で10分の1に
鉄砲を持たせても十分 なんとかしっかりした軍はできると。

尚寧王は 和睦の使者を送ったが島津側は これを拒否。
やむなく防衛軍 およそ3, 000の兵を那覇港へ派遣した。

防衛軍は 那覇港の入り口に築かれた砦に配備された。
そして 4月1日島津軍の船団がそこへ突入したのである。

島津軍を迎え撃ったといわれる三重城跡。現在も 那覇港に面した場所に
残っている。

ここから…「高石垣に矢狭間をあけ大石火矢を構え置き湊口には鉄の網を張って 警戒していた。
石火矢を放つと船は ことごとく破壊された」。ちょうど この奥のとこですね。

その島津軍の船に対して…撃退をした船を焼いたというふうに記録に出てきますから
実際の戦いでも非常に効果的にですね
この三重城が機能したんだというそういう様子が分かります。
0227マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 17:52:22.17ID:14QsUuPB
崎谷の本は手元の記録によると2008年に読んだことがある。でも記憶にない・・・
日進月歩の分野で10年前の本は流石に賞味期限切れでは?

同じことの繰り返しになるけど、現代人のデータを見るかぎり
大きく2つの祖先集団が浮かび上がるということ自体は最近のデータからも支持されている。
その内部に構造があるというのならともかく、二重構造仮説自体を否定するなら根拠を示してほしい。
さらに縄文集団がO2b1-47zを含んでいたというのは飛躍がすぎる。

あと念のため言っておくと、現代人を調べてわかるのはその祖先だけで、
検出可能なレベルで子孫を残さずに滅んだ集団のことはわからない。
0228マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 17:58:54.76ID:14QsUuPB
表現型について何か主張したければ、それこそ全ゲノム解析が必要だ。
Y染色体に関する遠い祖先の自分への遺伝的影響なんてほとんどないから。


>>206に書いた2つの論文のうち、上のHammerらは、O2b1-47zは日本列島で発生し、
韓国と東南アジアからも検出されるのは日本の統治の影響かもしれないと主張している。
前半も強い根拠はないし、後半は非常に疑わしい。

下のKimらは、韓国の方が日本よりも多様性が大きいこと、
4.4K年前という推定発生年代が弥生時代よりもさかのぼることをもって、朝鮮半島で発生したと主張する。
Hammerらよりは説得力があるが、Kimらも認める通り、発生地点が朝鮮半島の外である可能性は否定できない。
朝鮮半島を経由して日本列島に来る過程で多様性が減少した可能性や、
同じ集団が同時期に別々に朝鮮半島と日本列島に来たが、後者の方が少数だった可能性なども考えられる。
0229マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 18:07:54.22ID:YxIOgTPY
非常に興味深いな
もっとやってくれ
後でブログにも載せとく
0230マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 18:09:09.56ID:14QsUuPB
Kimらは「朝鮮の建国神話によると、古朝鮮は南満州で紀元前2333年に建国された。」とか書いている。
こんなたわごとを遺伝学の論文に書かれたらドン引きだよ
0231マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 18:32:27.05ID:ri0tKoBm
母校の紀要で30年近く前に韓国人が寄稿したのに目を通したことありますが、
冒頭から「ご存じの通り半万年の歴史を持つ韓国は・・」とあってですね
五千年じゃなく、ちゃんと半万年と書かれていたのが忘れられない
0232マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 18:38:03.98ID:0ASq0nQP
韓国の人たちはそうやって背伸びしていないと自我が崩壊してしまう気高い誇りの持ち主だということは皆さんよくご存知かと思いますが、沖縄の人たちがそうならないように願ってます
いや、沖縄の人たちというより沖縄外の人たちが沖縄の看板を利用して島の人間たちをそういう体質にしようとしているのは私も島の人間ですから分かってますよ
0233マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 18:46:24.41ID:ETccUWf2
>>228
Hammer et al.の2006年の論文ではO2b1-47zの発生年代が7,870年前(5,720〜12,630年前)となっているな
この頃には朝鮮半島には人が棲んでなかったか住んでいてもごく少数だった筈だ
http://www.nature.com/articles/jhg20068
0234マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 21:23:00.29ID:gWj0esXT
まあ論文書いて議論に参加してるだけマシじゃん。
カネだけ使って何も結果出さない狩俣とか
税金だけは派手に使う口だけ高良とか
抱えてる沖縄関係者が
朝鮮の事をバカに出来たもんじゃない
0235マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 21:26:48.14ID:gWj0esXT
kimの議論の一部はhammerへの
的を得た反論にもなってるしな
バカにできたもんじゃない。
西里アラシロ論争の
西里喜行とか、
持論をブツブツ呟いてるだけで
アラシロへの何の反論にもなってなかったわ。
コイツあすぺか?って感じ
アラシロも明らかにイライラしてたし
0236マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 22:14:15.13ID:mBZZurqK
>>233
Table 2を見ればわかるように、年代推定はモデルの仮定によってぶれまくるのであくまで参考程度に。

その朝鮮半島無人説についてもソースください。
特定のハプログループに依存した議論ではないし、もしかして弥生人の存在を否定してるの?

結局、弥生人の移動について、時間と場所に関する高解像度な情報が知りたいということだと思うが、
この問題については全然がないよね。
祖先集団がどこにいたかは現代人のゲノムからは直接はわからない。
古代DNAが得られれば決定的な証拠となるけど、弥生人のように日本国の領域外から来た集団となると
日本人にはお手上げだ。
0237マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 22:24:51.30ID:mBZZurqK
まあ二重構造仮説を大枠で認めつつも変更を迫る報告はいろいろある。
例えば、去年出た論文は、江戸時代の北海道アイヌのミトコンドリアDNAを100体近く調べている。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/ajpa.23338
mtDNAハプログループを便宜的に4つにグループ化すると、江戸時代の北海道アイヌは
(1)北海道縄文型 30.9%
(2)オホーツク型 35.1%
(3)本土日本人型 27.7%
(4)シベリア型  6.4%
に分類され、オホーツク型が従来予想されていたよりもはるかに高頻度だと報告している。
さらに、北海道を西南と北東・中央に二分すると、前者は本土日本人型が多く、後者は北海道縄文型が多い。
0238マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 22:44:18.42ID:mBZZurqK
2つの集団の混合比を推定する場合、混合元の集団の代理データとして現代人を使う。
これも報告によってかなり激しくブレるので、眉に唾をつけて見るべきだが、
Jinamらの2015年の論文は、全ゲノムSNPデータを使って、
縄文系の割合は本土日本人で18%、琉球(沖縄)人で28%と推定している。
http://www.saitou-naruya-laboratory.org/assets/files/Jinam_jhg2015.pdf
0239マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 23:06:13.86ID:ETccUWf2
>>237
そもそも弥生人が単純に列島外から来たという考えが間違い
弥生人特有とされる遺伝子は稲作の伝播とは無関係にやってきたことが示唆されるし
九州西北部に分布する朝鮮半島南部や江南と共通する形式の支石墓の被葬者が縄文系であるなど
弥生文化を持った集団にも渡来系のものと在来系のものがあることがわかってきている

マダガスカル人はマレー・ポリネシア人と黒人の混血だが、黒人がマダガスカルの先住民であるマレー・ポリネシア人を征服した訳ではなく、マレー・ポリネシア人が黒人を奴隷として連れ去り、混血した
日本人も同様の成り立ちなのだろう(島嶼側の住民が主体的に大陸側の住民を連れて行き混血した)
0240マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 23:24:37.79ID:gWj0esXT
むう、、遺伝子話では向こうが一枚上手かなと
思ってたら
物凄い説得力のあるネタが出てきたな。
こっちはこっちで他分野への目配せが凄い。

双方一歩も譲らないハイレベルな戦いだ、、
0241マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 23:26:37.45ID:gWj0esXT
つーかこの人たちはどこでこんな知識を
身につけたんだろう。自習?
0242マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 23:27:57.66ID:gWj0esXT
この流れは最近では一番興奮するね
0243マンセー名無しさん垢版2018/09/22(土) 23:56:47.30ID:PbOEpGQF
>>239
なんつーか、アーリア人の出インド説を唱えるヒンドゥーナショナリストみたいだな

何度も言ってるんだけど、ソースを提示してよ。それがないと始まらないよ。
そんでもって、>>239の話はO2b1-47z在来説とどういう関係にあるの?
渡来系と在来系の存在とそれらの混交を認めているなら、俺と意見の相違はないんだけど。

> 島嶼側の住民が主体的に大陸側の住民を連れて行き混血した
というようなことを(47z変異の発生地点とは無関係に)主張したいのなら
例えば混合に性的偏りがないか調べてみたらいいんじゃないか
0244マンセー名無しさん垢版2018/09/23(日) 13:12:44.74ID:2T2gDHgs
マダガスカルのゲノムについてちょっと調べてみたよ。
去年出た論文が全土の大規模調査(Y染色体が1,554個体、mtDNAが2,691個体、全ゲノムSNPが700個体)を行っている。
http://www.pnas.org/content/114/32/E6498.short
アフリカとアジアの祖先の割合を見ると、男系の方がアフリカ系の割合が高い。
Y染色体:70.7% 対 20.7%
mtDNA:42.4% 対 50.1%
全ゲノム:59.4% 対 36.6%
足しても100%にならないのは他の要素があるからで、Y染色体で特に合計値が低いのは中東の影響とみられる。

アフリカとアジアの祖先の割合にはかなりの地域差がある。
女系で見るとアフリカ系は北部に集中し、アジア系は中南部に分布する。
男系ではアフリカ系が海岸部と北部を占め、アジア系は集中している中央高地においても30%程度にすぎない。

東アフリカの南バントゥーとマダガスカルの分岐年代は1500年前、
アジアの南ボルネオとの分岐年代は2000-3000年前なので、
オーストロネシア語族の話者が先に来て、
その後にバントゥー系のアフリカ人が北海岸にやってきたと考えられる。
バントゥー系は北から中南部へと男系を中心に広がって、オーストロネシア系の女系と混交している。
中央高地ではボトルネック効果(一時的に有効個体数が減る)が見られ、
政治経済的に成功した小集団が急速に拡散したと推測される。
0245マンセー名無しさん垢版2018/09/23(日) 13:33:06.57ID:2T2gDHgs
https://www.nature.com/articles/s41467-018-03342-5
同じグループが今年出した論文は、猛烈な選択圧が働いた結果、
第一世代から現代にいたる過程で、ゲノム全体においても5-10%程度アジア系が減少し、
その分アフリカ系が増えたと推定している。
アフリカ系はマラリア耐性に関わる遺伝子変異を持っていて、アジア系は持っていないのが主要因。
低地においてアフリカ系の割合が高く、反対に中央高地では選択圧が比較的低い理由も部分的に説明できる。

ということで、現在の人口構造は奴隷云々では説明できないみたい。
オーストロネシア語族は、オセアニアに向かった集団も、パプア系の男系と混交しつつ、
オーストロネシア系の言語を維持していたりする。
マラガシも女系社会なんだっけ?
0246マンセー名無しさん垢版2018/09/25(火) 02:28:05.75ID:gqyxwo1w
日本語の文献だと、去年出た斎藤成也の『核DNA解析でたどる日本人の源流』がほぼ最新。
身内以外の、特に海外の研究成果は結構スルーしているけど。
0248マンセー名無しさん垢版2018/09/26(水) 22:58:43.81ID:Kcxe45r3
日本周辺の古代DNAで報告があるのは、
ネパール旧ムスタン王国の3000-1000年前のものと
ロシア沿海州のDevil’s Gateで発見された7700年前のものくらいかな。
http://www.pnas.org/content/113/27/7485.short
http://advances.sciencemag.org/content/3/2/e1601877

前者は第一著者が在外韓国人で、後者は韓国のグループが加わっている。
いずれも現在周囲に住んでいる人間と連続性がある
(ヨーロッパでは完全な人口置き換えが起きていたりするのに)という以上に大きな情報はない。

他には北京の田園洞人の報告もあるが、こっちは4万年以上前なのでスケールが違う。
0249マンセー名無しさん垢版2018/09/28(金) 18:47:51.12ID:OF9Opm/f
https://www.ninjal.ac.jp/event/specialists/project-meeting/m-2018/20180917-07/
「対照言語学の観点から見た日本語の音声と文法」研究発表会 (平成30年9月17日)
プロジェクト名・リーダー名対照言語学の観点から見た日本語の音声と文法
窪薗 晴夫 (国立国語研究所 理論・対照研究領域 教授)班名・リーダー名音声研究班 「語のプロソディーと文のプロソディー」
窪薗 晴夫 (国立国語研究所 理論・対照研究領域 教授)開催期日平成30年9月17日 (月・祝)
開催場所琉球大学 地域創生総合研究棟 1階 多目的ホール (〒903-0213 沖縄県中頭郡西原町字千原1番地)

テーマ : 琉球語のアクセント


9:30〜10:50
発表@
「3拍名詞第4類における本土日本語と琉球語間の1対2のアクセント型の対応について」
"On the one-to-two accentual correspondence in Class 3.4 between Japanese and Ryukyuan"
五十嵐 陽介 (一橋大学)
IGARASHI Yosuke (Hitotsubashi University)
3拍名詞第4類における1対2の音対応は,琉球語アクセントの通時的研究における未解決問題の1つである。第4類とは「鏡,暦,刀,蓆」等からなる
約70の語であり,本土日本語では一貫して単一のアクセント型で実現される。ところが琉球語諸方言では,第4類の一部 (鏡,暦…) がある型で,
残り (刀,蓆…) が別の型で実現される。前者を「鏡類」,後者を「刀類」と呼ぶ。この1対2の対応を発見した先行研究には,しかしながら,
分析した語数が第4類の総語数の3割にも満たず,データも北琉球に偏っているという問題がある。本発表はより多くの語を対象として,
北琉球・南琉球の諸方言のアクセント型の対応を検討した。その結果,第4類の85%以上が「鏡類」であり,「刀類」は数の上では例外であることが
明らかになった。本発表はさらに「刀類」は大分方言でも例外的な型で実現される事実を示し,問題の対応が琉球語に固有ではない可能性を指摘する。
0250マンセー名無しさん垢版2018/09/28(金) 18:48:48.77ID:OF9Opm/f
11:10〜12:30
発表A
「沖縄本島北部の三型アクセント体系の諸相 ―通時的な視点から―」
"Aspects of the three-pattern accentual systems in the northern part of the Main Island of Okinawa: from the diachronic point of view"
松森 晶子 (日本女子大学)
MATSUMORI Akiko (Japan Women’s University)
国頭 (くにがみ) 村4地点,名護市4地点,東 (ひがし) 村1地点,今帰仁 (なきじん) 村2地点,伊是名 (いぜな) 島,伊平屋 (いへや) 島など,
沖縄本島の北部の三型体系内部のアクセント型の特質を概観しながら,これらの体系に共通する特徴について論じ,あわせて沖縄本島の
アクセント研究の今後の記述的課題も提案する。今,琉球祖語の3つの系列A,B,Cに相当する型をそれぞれA型,B型,C型と呼ぶとすれば,
本発表では,本島北部の三型体系は,(1) A型は文節が高く始まり,B型,C型は低く始まる,(2) A型は文節の前から,B型とC型は後ろから
数えることによってそのアクセント位置が決まる,という2つの特徴を共有している可能性があると指摘する。松森 (2017) は北琉球祖語の
アクセント体系について,A系列にHLH,B系列にLLH,C系列にLHLという祖型を提案したが,その仮説が以上の事実をどのように説明できるかについても論じる。
0251マンセー名無しさん垢版2018/09/28(金) 18:48:56.57ID:OF9Opm/f
13:30〜14:50
発表B
「南琉球多良間方言のアクセント低核」
"On the Low-Kernel of the Accent in the Tarama Dialect of Southern Ryukyuan"
新田 哲夫 (金沢大学)
NITTA Tetsuo (Kanazawa University)
多良間方言のアクセントは三型アクセント体系をもっており,そのことは研究者の間では周知の事実となっている。多良間方言のアクセントの
弁別特徴は,HLの「下降」であると見なされてきたが,LHの「上昇」もまたアクセントの実現という認識が出てきた。発表者はこの方言の弁別特徴は
有核の韻律語の末位モーラが常に低くなる「アクセント低核」 (…L*) であることを提案する。アクセント低核は,核のあるモーラが「常にLになる」
という特徴を有するが,核の前がHの場合は,核の置かれるLへの下降を伴い (…H↓L*) ,核の前がLの場合は,核のあるモーラがLで実現した直後,
核の特徴を際立たせるために上昇を伴う (…LL*↑) 。この二種の韻律語は環境的変異と見なすことができる。本発表ではさらに,アクセント型が
指定される韻律語の他に,アクセント型の指定のない「副韻律語」を仮定して分析を試みる。
0253マンセー名無しさん垢版2018/09/29(土) 17:59:06.30ID:BMkQmnKJ
>>180で見たペラールによる系統樹は共有改新に基づいている。
見方を変えると、沖縄を特徴付ける共有改新とされる変化は沖縄の中で最初期に起きたことになる。
もし新しい時代に起きたことが示せたらペラール説への反証となる。

もちろん古い言語資料はほとんどないのだけど、沖縄なら少しだけ残っている。
例えば『混効験集』(1711)には「はうと 鳩之事」とある。
鳩の不規則変化はそれなりに古い時代に起きたことになり、ペーラル説と矛盾しない。
0254マンセー名無しさん垢版2018/09/29(土) 20:33:11.60ID:KMnfHy0D
91マンセー名無しさん2018/07/11(水) 23:47:59.23ID:T1/8rwDa
縄文人、ラオス・マレーシアにルーツ? ゲノム配列解読
https://www.asahi.com/articles/ASL7B5V8QL7BPTFC018.html
約2500年前の縄文人の人骨に含まれる全ゲノム(遺伝情報)を解析
した結果、約8千年前の東南アジアの遺跡で出土した古人骨から得られ
たゲノム配列と似ていることが、金沢大学の覚張(がくはり)隆史特任
助教(生命科学)らの研究グループの調査でわかった。縄文人の全ゲノ
ム配列の解読に成功したのは世界で初めて。日本人の祖先が、どこから
来たのかを考えるうえで注目されている。
研究成果は11日、横浜市で開催中の国際分子生物進化学会で報告され
たほか、6日付の米科学誌サイエンス電子版に発表された。
0255マンセー名無しさん垢版2018/09/29(土) 20:44:48.85ID:KMnfHy0D
この論文は前スレでも少し取り上げたけど、いちばん重要な部分に触れてなかった。
http://science.sciencemag.org/content/361/6397/88
http://www.himalayanlanguages.org/files/driem/pdfs/2018e.pdf
縄文人
・女
・渥美半島の伊川津貝塚
・2720-2418年前
・mtDNA:N9b1

この縄文人を東南アジアの古代人と比べているのだけど
縄文人は孤立していて、進化の過程を他の集団とあまり共有していない。
論文がGroup 1と呼ぶ以下の2体のホアビン文化人だけがわずかに似ている。

La368
・男
・ラオス
・7950-7795年前
・mtDNA:M5

Ma911
・男
・マレー半島
・4415-4160年前
・mtDNA:M21b1a
・YDNA:D-M174

伊川津縄文人はGroup 1系と東アジア系を3対7くらいで混合した集団の子孫としてモデル化できる。
0256マンセー名無しさん垢版2018/09/29(土) 20:49:28.71ID:cOjhxlMd
>>255
ホアビン文化人か
縄文人の足取りを追う手がかりとなる今はおらんくなった人種とかなんかかっけーな
0257マンセー名無しさん垢版2018/09/30(日) 00:07:52.44ID:KOtwftH3
古代DNAの研究はペーボ/ライクとウィラースレブの二大グループの寡占状態に見えるが、
今回の研究は後者がやっている。ちゃんと機能する解読テクニックが
共同研究を通じてようやく日本に輸入されたっぽい。

ホアビン文化人とアンダマン諸島のオンゲ人は早くに分岐した古い集団だった。
縄文人も同じように早くに分岐して長い間孤立していた集団だと思われてきた。
今回の結果によれば、古い集団がそのまま日本に来たのではなく、東アジア系の集団と混交しており、
しかも割合から言えば東アジア系の方がマジョリティを占める。

古い集団と東アジア系の混交がどこで起きたか知りたいところだけど、現状では手がかりがとぼしい。
面白いことに、田園洞人(4万年以上前の北京)は東アジア系から別れてから孤立しており、
縄文人を含む東アジア、東南アジア、それに新大陸(の大部分)と関わることなく滅んでいる。
我々の祖先は、田園洞人やその近縁集団と接触しない程度に離れた場所、例えば南支那あたりから広がったと推測できる。

図3DのqpGraphを見ると、
日本人と伊川津縄文人の合流するノードから伊川津縄文人への枝がやたら長いのが目を引く。
現代日本人の形成に寄与した縄文人は西日本系であって中部系ではないといったことが言えるのか、
あるいは統計的なアーティファクトにすぎず、意味を解釈するだけ無駄なのか。
0258マンセー名無しさん垢版2018/09/30(日) 17:17:56.35ID:UXm8QZBT
ニューズウィークの日本人寄稿者はやっぱそっち系が多いか。
ハン板占拠したとかいう皆さんも、少し前まではネトウヨ動画で中高年ガーとか言ってたのに(笑
今日の結果がどちらでも楽しみです。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/09/post-11029.php
本土に伝わらない沖縄の本音と分断
The True Face of Okinawa
2018年9月28日(金)19時00分
與那覇里子(沖縄タイムス記者)
<保守系ネット番組しか見ない若者と基地議論をタブー視させる空気──報じられない沖縄県民の断絶と心のひだ>
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