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李氏朝鮮VS琉球王国
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0284マンセー名無しさん
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2019/10/31(木) 17:38:32.31ID:skx7wDC2
首里城の火事、そもそも国定公園内の設備だからどっちにしろ国が復元してくれるんでしょ?

そっちは心配ないとして、例の米軍攻撃前のカラー空撮画像での屋根瓦の色の問題はなんか決着付いてましたか?
0285マンセー名無しさん
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2019/11/01(金) 19:50:20.51ID:tjfkjmEo
沖縄のシンボル「首里城」再建支援プロジェクト
https://www.furusato-tax.jp/gcf/717
国県等に納付と一応は言っているけど那覇市が寄付を募るのは変だろ
0286マンセー名無しさん
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2019/11/02(土) 15:45:31.70ID:wv8o1NgZ
赤いのが本当は黒かったんじゃないかとかいうのは、20年後だったら再検証対象になったかもしれませんが
高良その他の方々が健在な今では、そのまま前回通りの再建になりそうではないですか
0287マンセー名無しさん
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2019/11/09(土) 21:06:52.65ID:VRJ0b+t9
2年間で県民の誇りへw
でも以前の記事を抹消しない沖縄タイムスの姿勢は称賛されるべきですねマジに。


https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/101012
沖縄タイムス社説[首里城運営 県移管へ]地元との関係を大切に
2017年6月7日

周辺住民にとって首里城の存在は「誇り」になっているだろうか。県民は琉球王国のシンボルともいえる首里城の存在をどのように受け止めているのだろうか。
気になるのは、地元客が少ないことだ。 安里進さんは「技術」という視点から見ることによって、首里城を身近に引き寄せることができる、と言う。
「復元整備を通して明らかになってきたことは、沖縄の昔の技術。失われた技術が復元され、復活しつつある」
県の主体的な取り組みによって首里城を「身近な存在」にすることが期待される。


https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/492179
沖縄タイムス沖縄のシンボル・首里城とは? 14世紀に築城、2000年に世界遺産
2019年11月4日

沖縄の歴史を象徴するような首里城の主要施設が、一夜にして崩れ落ちた。「誇りだった」「もう一度あの姿が見たい」−。多くの県民は深い喪失感に包まれ、再度の復元を祈った。
首里城は琉球王国時代に数百年にわたって政治、文化の中心地で、さまざまな歴史の舞台にもなった。専門家は「県民の心のよりどころだ。衝撃は大きい」と話す。
0288マンセー名無しさん
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2019/11/10(日) 02:01:26.73ID:ohjP4lQo
首里城火災、屋内の配線近くの延長コードにショート痕、火災前の現場動画には剥き出しで通路に這わせてる杜撰さが残る
https://togetter.com/li/1428065
0289マンセー名無しさん
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2019/11/23(土) 15:26:12.47ID:jPhhHPAh
原因の検証はちゃんとやってる?
なんか責任取るやつが誰も出ずになあなあで復元ばかり持ち上げてて

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/501543
国王冠、玉座など確認できず 401点、焼失か 首里城火災
0290マンセー名無しさん
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2019/11/28(木) 21:25:56.40ID:m7fBFx5L
久々に来てみたら琉球独立応援部落ちてたのか。
散々おもちゃにして遊んでやったけどなくなると寂しいもんだな。
0292マンセー名無しさん
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2019/12/22(日) 22:24:20.76ID:Q2qJg96c
琉球王国が東南アジアに築いた一大交易ネットワーク
【連載】ビジネスに効く! 世界史最前線(第36回)2019.12.21(土) 玉木 俊明
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58693
0293マンセー名無しさん
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2019/12/31(火) 12:27:24.86ID:o3NdDvfz
新年はまともな話が聞けますように
0294マンセー名無しさん
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2020/01/01(水) 19:50:57.15ID:1qUJq1+q
正月早々ブラタモリで大先生か
0296マンセー名無しさん
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2020/01/21(火) 19:55:33.62ID:ECcCaGK0
テコンダーもさすがに沖縄の北朝鮮信奉者をネタにはしまいが
0297マンセー名無しさん
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2020/01/25(土) 19:42:00.63ID:7bYPmW24
吉成直樹が新刊だすってよ

琉球王国は誰がつくったのか
倭寇と交易の時代
https://www.7gatsusha.com/books/498/
0299マンセー名無しさん
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2020/01/28(火) 18:03:51.62ID:zwOfiGUB
リンク先のも、なぜ地域名称に「韓半島」を使うのか?
考古学者の論文にも見受けられるが、向こうの連中との付き合い上仕方なくなのか、
やっぱ偏った思想からなのか?
0300マンセー名無しさん
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2020/01/30(木) 12:33:23.02ID:3B8X8N4l
たし蟹
韓半島は政治的中立性の欠落した不自然な名称だ
使用しているだけで偏った政治思想があると思ってどんな論文でも話半分に感じる
0301マンセー名無しさん
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2020/02/06(木) 20:44:19.02ID:Pld6yOV4
奄美は9〜10世紀に農耕導入  奄美新聞

http://amamishimbun.co.jp/2019/12/17/22200/

奄美考古学会事務局の川口雅之さんは各研究者の発表から、

▽農耕の開始は奄美が9〜10世紀、沖縄は11世紀ごろで北から南に拡散。発信源は喜界島の可能性がある
▽薩摩半島の拠点と喜界島が交易し、農耕が伝わった可能性がある

▽奄美の初期農耕の「多様性」をどうとらえるか―の3点を抽出。

小畑教授は「調査に際して予断を持たず、まだ見えていなものを探す努力が必要だろう。
圧痕を探してもらい、新しい方法を考えて新しい史実の掘り起こしにつながれば」と語った。
0302マンセー名無しさん
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2020/02/06(木) 20:45:44.91ID:Pld6yOV4
奄美も沖縄も、先住民が農耕を受け入れたんだろうか
それとも移住民が主体なんだろうか
0303マンセー名無しさん
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2020/02/17(月) 01:20:25.72ID:EpqYRTKo
先住民が農耕を受け入れた。
移住民は文化的には
ほとんど先住民のそれを
一掃する影響を与えたが、
少数で遺伝子プールにはほとんど
影響を及ぼさなかったと思われる。
喜界島から何千人も渡来したとは
到底考えられんからな。
沖縄県民の遺伝子は内地と大して変わらんが、
要するに先住民、おそらくヤク人や
隼人あたりと同系統の連中だろうが、
彼らも結局は単なる日本人の一分派に
過ぎないということだろう
大和朝廷以前に分かれたから
文化が大分違ってみえるだけで。
0304マンセー名無しさん
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2020/02/17(月) 01:24:05.52ID:EpqYRTKo
以前、いわゆる蝦夷は昔に分かれた
日本人の一派に過ぎずアイヌとは違う、
最大のポイントは蝦夷が馬飼であることだ
アイヌは馬には乗らない、
という議論があったが、
隼人なりヤク人なりも
蝦夷と同様に遺伝的には
大和朝廷の連中と大して変わらなかった
ということだろう
0305マンセー名無しさん
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2020/02/17(月) 01:35:23.77ID:EpqYRTKo
天孫族の神話は改めて
見直されるべきだと思うね。
史書には天孫族が
国頭や島尻という地名を作り、
首里も建設したと述べられている。
沖縄本島の地理感覚や首都意識を
彼らが作ったということだ。
実際、これらの地名は日本語として
容易に解釈でき、
オキナワのような先住民由来の地名とは違う。
おもろそうしにもイソ城は
アマミクが建設したと述べられており、
天孫族やアマミクの神話は
決して羽地朝秀が新たに作ったものではない。
0306マンセー名無しさん
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2020/02/17(月) 01:55:23.30ID:EpqYRTKo
上記の論文で吉成は
三山が中山から分立したという
史書の見方に疑義を呈しているが、
実際問題として明史には
14世紀時点で三山とも
同じ国姓、尚を使用していたと
明記されているから、
三山には何らかの身内意識があったのは
確かで、決してバラバラに
成立したものではない。
また初期中山の中心が浦添だったというのは
昔から時々聞くが、
何の根拠もない妄想だな。
浦添が大きな勢力を持っていたのは確かだが、
にも関わらず、史書によれば
浦添の権力者は首里進出を選んできたのだから
首里は特別な都であったことを
認めるべきだろう。
中山という島嶼国家のグランドデザインは
喜界島からの移住者によって
既に描かれていたと思われる。
その後の覇者は、それをなぞっているだけ。
日本史の基盤に大和朝廷の作り出した
天皇制というシステムや
京がどっしり横たわっているのと同じ
尚ハシも首里を目指したという意味ではそうだ。
0307マンセー名無しさん
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2020/02/17(月) 02:01:27.17ID:EpqYRTKo
浦添はもともとは
首里と泊の中継地点として
形成されたのではないかな。

那覇は尚ハシが再開発したものとみて
間違いないだろう。
元々は泊が首里に付随する
港だったと思われる。
実は泊の方が首里には近いしな
那覇は恐らく先住民由来の地名だろうな
オキナワとも関係ありそう。
そういう地名が維持されたこと自体、
天孫族の関心が薄かった証拠だろう
0308マンセー名無しさん
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2020/02/17(月) 02:20:34.64ID:EpqYRTKo
つーか那覇の方が発展したのは
新しい埋立地で土地が余ってたからという
以外に無いと思うな。
神戸が一寒村から
一気に大港になったのと同じようなもん。
0309マンセー名無しさん
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2020/02/18(火) 01:14:41.74ID:HSMXCIRg
去年出た『琉球の中世』はおすすめ。
池田榮史が移住の具体的なシナリオを描こうとしている。
もともとはシンポジウムでの発表なんだけど
聴衆が全然説得されてなくてうける
まだ全然未解明なんだよな
0310マンセー名無しさん
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2020/02/18(火) 18:46:40.01ID:nAFMMTSc
内容教えて。
泊の先駆性を強調してるらしいが
妥当な事と思うのに
他の連中はどこに同意してなかったの?

今月はアレクシオスを買う予定だから
外れの本に3000円近く使うのは痛い
0311マンセー名無しさん
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2020/02/18(火) 23:28:13.14ID:jJcZ6jSx
琉球王国以前の歴史は凄い興味あるわ
歴史学だけじゃなくて考古学、人類学、言語学とかも密接に絡んでくるだろうし
0312マンセー名無しさん
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2020/02/19(水) 22:49:10.32ID:VPQVZTi8
宮古のハ行→パ行の訛はマジで上代にまで
遡れるの?
0313マンセー名無しさん
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2020/02/22(土) 22:50:08.76ID:Ezn1e2md
隼人の言葉に琉球語と対応する単語があるらしいが隼人は琉球語に近い言語話してた可能性もあるんかな
オーストロネシアっていう説はよくいわれるけど
0314マンセー名無しさん
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2020/02/24(月) 21:20:12.07ID:JLsuU+zs
琉球の先住民は隼人やヤクと同族でしょ。
ほぼ確実に。他にいないし。
台湾と与那国の移動は
この間物好きが試して
改めて証明されたように
産業革命以前は困難。
黒潮があるとはいえ、
七島伝いに行くのがもっともマシなのは
大昔から変わらない。
であれば、鑑真が遭遇した
沖縄人は隼人やヤクと同族だろう。
そこに本州起源の文化や人間が
流入してきて、、というのも
九州本土と構造は同じ。
遺伝的にも言語的にも九州本土と
大して変わらないという事実とは
全く矛盾しない
0315マンセー名無しさん
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2020/02/25(火) 00:58:43.53ID:IPd8O8C3
琉球列島において狩猟・漁猟・採集に依存する生活を営んでいた人々は、基本
的に海岸砂丘周辺に居住地を構えていた。これに対して、新たに移住してきた
人々は喜界島城久遺跡群に見られるように丘陵地を選んで遺跡を構築する傾向
がある。

池田の主張のなかで異論がなさそうな箇所を引用してみた
一般に、農耕はしょぼいものであっても狩猟採集とは養える人口の桁が違う
余所で完成された技術を持ち込むならなおさら
現在の琉球列島の住人は言語文化的には移住者の子孫だろう
0316マンセー名無しさん
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2020/02/25(火) 13:05:37.95ID:jmSvGJXq
農耕の恩恵を被るのは
移住者だけじゃないからな。
誰に農耕させるかといったら
下々の連中でしょ。
先住民が移住者の文化をほぼ
受け入れたのは認めるにしても
限られた移住者が瞬時に増えて
グスク時代を引き起こしたという
解釈には無理があると思う。
グスク時代の開始が急激なものである
というのは彼も認めていると思うが。
さらに単純に海岸砂丘地が先住民というのも
単純すぎる解釈だ。
具志頭のゆったちじょうの御嶽は
まさに海岸砂丘に形成された居留地で、
この近辺の部落の基礎になったとされるが、
おもろさうしによると
後代まで宗主権を認められており
花城など周辺部落からの貢納を受け入れていた
とのことだ。
0317マンセー名無しさん
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2020/02/25(火) 13:15:44.65ID:jmSvGJXq
もう一つがこの海岸砂丘地周辺は
丘陵地よりも畑作に適しているということだ。
ゆったちじょうの御嶽近辺も
今や一面畑になっている
また、一般論として、
後代の居住地は海岸砂丘より
一歩入ったところではあるが、
その近くの平地に発展することが多いのに対し、
城が構築された丘陵地は
居住地としては放棄されることが多い。
畑がある程度で。
糸数城、玉城のあたりも
居住地としてはさびれている。
住むことを考えたら
平地の海岸砂丘の方が
もともと有利ではある。
海からの攻撃や水害を
考えなければ、ではあるが。
0318マンセー名無しさん
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2020/02/25(火) 15:40:57.24ID:VraS7dLK
朝鮮は日本に併合されるまでとても貧しかったらしいけど弓が強かったらしいし
軍事力的には李氏朝鮮かな
0319マンセー名無しさん
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2020/02/25(火) 17:36:37.31ID:jmSvGJXq
朝鮮と琉球とでは比較にならないね。
朝鮮は腐っても東亜の三番手の大国だが、
琉球は単なるゴミ。
精々10万石程度だからな。
琉球は経済力クソ。資源なし。
工業力なし。話にならない
0321マンセー名無しさん
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2020/02/29(土) 16:26:56.15ID:JJGTb+Kn
でノートによると伊藤陽寿(山口の至誠館大所属)の指導で立項したと


つか関係ないけど上里氏、市立図書館の館長になっとったんかい
0322マンセー名無しさん
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2020/03/01(日) 07:53:40.82ID:y2N31fIf
>320
琉球の扱いは優遇だ、
ただではこんなことはしないはずだ
とか力説してる時点で古臭くて読む気しなくなるな。
沖縄は、朝貢国の中でもひと際国家規模が劣る。
ベトナム・朝鮮と沖縄県ごときが比較されることの
おかしさを考えてみるとよい。
そんな国に他と同様に
3年に1回は手土産もってあいさつに来いよ
という方がおかしいだろ。
また得がなければ外交関係結ばないというのも
現実の人間社会から乖離した甚だおかしな発想。
現代日本もメリットは大してないのに
アフリカの経済支援とかしてるじゃん。
また当の琉球自体が
朝貢が負担過剰だからあまりさせない方がよい
自国の物産だけを納めさせるべきだ、と
夏子陽に指摘されながらも
自分からその後も借金こさえながら
しこしこ朝貢してたわけでね。
得にならないからあれはしないこれはしない
というのは現実の人間の行動と異なるね。
就職率の低いクソ学部の発想。
0323マンセー名無しさん
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2020/03/01(日) 08:28:55.71ID:y2N31fIf
朝貢を軸に世界から沖縄をみてみましょう
というのがここ数年の流行だったが
もうそろそろいいんじゃないかな。
尚巴志は朝貢せずに
朝貢していた中山・山北を苦も無く倒した。
朝貢していた尚巴志王統は
朝貢してない尚円一派にあっけなく倒された。
朝貢してるかどうかは国内における
力関係には必ずしも関係しない
朝貢してない尚巴志の優位性がどこにあったかといえば
知念半島の肥沃な地質を背景とした農業
さらにその農業資源と日本船からくる鉄資源との交易だ。
喜界島のクローズアップと合わせて
日本本土の経済的結びつきや
つい最近まで農業以外に碌な産業がなかったという
沖縄の現実にもう一度注目すべきだと思うね
結局朝貢で手に入るのは実用性のないぜいたく品だけで
生活必需品は本土から来るからね。
最も重要な事実は、
日本本土の方が中国より圧倒的に往来しやすいということだ。
尚寧冊封騒動のときも
中国から沖縄への渡航の危険性が問題になっている。
途中に陸地がないということがね。
その意味でも七島があるというのは
古代から中世までは沖縄の発展に非常に大きい
影響を与えてきた。
0324マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/01(日) 08:36:36.29ID:y2N31fIf
明人36姓が下賜されたのかどうかという議論も
渡航の困難さと、そもそも歴史上
明人の自然な居留地なんぞ
形成されたためしがない
という事実を無視した暴論だね。
そもそも史書には下賜されたと明記されているんだから
36姓は自然に形成された居留地から発生したものだというのは
単なる妄想。
さらに36姓はその後途絶え
(自然には誰もこなかったということ)
王府自身が再下賜を求めている。
その後も明人の居留地が自然に形成された事例なんてない。
それが、14世紀ころに奇跡的に一度だけ起こっていたというのは
愚論だね。
0325マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/01(日) 09:08:21.10ID:y2N31fIf
朝貢貿易が衰退したから中央集権化でカバーというのも
理屈が全く分からない理論だね。これらは相互に何の関係もない。

実際には中央集権化は尚巴志王統で強力におし進められた
三山時代を終わらせたのは尚巴志だし
アマワリを滅ぼして
勝連の繁栄を終わらせたのも尚巴志王統での話だ
最後には自らの起源の地である喜界島も征服した。
那覇港造営による首都機能の拡充も尚巴志王統で行われた
また王権の在り方も尚円王統と比べ全く違っていた
権力が王族に集中しており
朝鮮王朝実録によれば
王族が主催して年1回の軍事演習を行っていた
首里には国王の親衛隊もあったようで輪番で常駐していると述べられている。
また史書によれば尚円はもともと
王府ではなく王族の家宰組織でキャリアをスタートさせている
尚円王統では王族の政治的権力はほとんどなく
国王自身も群臣会議で決まったことを承認するだけだ。
尚巴志王統では中央集権化の一貫として
王府や各王族の官僚組織が発展しており
そこに尚円のような地域のエリートが吸収されていた
尚徳の悪行として賢人の言うことを聞かないことが挙げられていることから
尚円王統はこういった
尚巴志王統の専制政治を支えるために発展した官僚組織が
発展しすぎて自意識をもってしまったために
逆に専制的な主君に反逆したために成立したと考えられる
0326マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/07(土) 07:20:57.32ID:XOtvLDgI
第二尚氏が官僚組織の合議制だとすると
尚真が豪族を首里に集住させた中央集権体制とはどういうことなんすか
0327マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/07(土) 22:46:27.65ID:adUOPUat
まず明白な事実として、史書には、豪族同士が争いを続けるので地方の兵を解散して豪族は
首里に集住させたとある。
また集住に際しトラブルは記録上全くない事を
確認したい。集住に対して地方豪族層は協力的だったと考えられる。
もう一つ確かな事実はそもそもの初めから、首里を目指す流れがあった。
覇者を目指すものは皆首里を目指してきた。
首里にいきたがるのは別におかしくない。
とはいえ、三山時代には、山北、山南のほか、勝連なども栄えており独自に外国と交易していたし、
尚ハシ自身与那原で外国と交易していた。そのように各地が独自に発展する兆候もあったが、それらの大豪族は全て叩き潰されたし、
尚ハシは首里に移った
このようにして地方が自立する可能性は失われた。
後に残ったのは有象無象の小物の按司だけ。
よらば大樹の影というが大樹は首里しか残っていない。
或いはもともと地方で独自にやっていくのが現実的でなかったのかもしれない。
集住の際に何が起こっていたか。
推測としては、生き残った中小按司層は、配下の士族を養いかねていた可能性がある。
後代には士族の過剰により役人が無駄に多いということが起こったが、
同じようなことが起こっていたと思われる。
按司も破産しかけていたので、地方統治の権利を喜んで放棄したのではないか。
その後の王府の統治システムは上納金だけは納めて後は地方の役所は自活しろ勝手に絞りとれ、というものに変わっている
0328マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/07(土) 23:03:14.62ID:adUOPUat
或いは地方で分立して
ゴチャゴチャやってること自体が、
同時代人からはクソに見えてた可能性もある
尚シショウは三山の王は犬同然で
リスペクトされてないと述べてるからね。
首里を中心にまとまるべきだという
考えが伝統的にあって、
尚ハシ王統での大豪族の討伐を経て
尚真期に完成しただけかもしれない。

もう一つは、そもそもこいつらには
現代的な主権意識なんてない、ということだね。
そういった意味では、
集住というのを重くとらえる必要はないかめしれない。
王府にとっては平和と安定のために朝貢するのが
理屈抜きで自明の理だったように、
平和のためだから
生活費保証してやるんで
首里に来いと言われたら 
それで単純に納得できたのかもしれない
0329マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/07(土) 23:26:34.26ID:VYPOozP7
尚真のもとで集住を進めた結果、いわゆる中央集権体制になったとして、
それでどこまで地方に首里の意志を強制できたかは疑問だね。
そもそも王府は強制しようとすらしていない。要するに上納金さえ納めれば、
後は勝手に搾取して自活しろ、だし、琉球征伐のときだって、
離島でも北部でも王府は何のイニシアチブも発揮してないし発揮する気もないからね。
またその前には大島征伐も3回もやるはめになってるよね。
尚ハシ王統では大島なんていつの間にか屈服していたのに。
だから尚真王治下で行われたいわゆる中央集権化を、全て王府の意のままにすると解釈すると間違いになる。
その意味では、学者どもが分権的でまとまりがないとディスる島津氏の方がよっぽど地方まで
意志を強制できている。
呼んだら津々浦々から兵隊が集まるからな。
まあ中央集権ってのは万能の体制ではないし現代ではむしろ分権化の方向にあることも忘れてはならない。
また中央の体制によってどこまで地方に意志を強制できるかは異なる。
実質的に、王府は徴税権すら完全には掌握していないし、掌握する気もない。
地方役人の生活の面倒まではみる力はないし見る気もない、
百姓の生活なんて心底どうでもいいというわけだ。
0330マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/08(日) 00:33:48.99ID:ze17Jtf+
尚円王統は尚ハシ王統の反省をもとに
設計されてる。
まず国王は主導権をもたない
ハンコ押すだけの神聖王になった。
ましてや王族の権力はほどんどなくなった。
その結果、シロシブシの乱みたいな事は
尚円王統では起こっていない。
そして王権の形骸化とともに
摂政も不要となった。
琉球征伐後にならないと復活しない。
変わってホウシカンが最高位となり
なおかつ3人に増やされた。
球陽ではいつから3人になったかは
不明とあるが、
恐らく独裁者の出現を防ぐために
増えたのだろう。
軍権は個人に属する事は無くなった。
この結果、尚円王統でも
後継者争いは起こっているが
バックについた重臣同士の政治的争いに終始し
戦闘には至っていない。
・内乱は嫌だ、
・専制君主も嫌だ
という二点を重視して
尚円王統は設計されている。
集住に応じた按司層にも
以上の理念は共有されていたのでは?
事実として内乱も専制君主も無しなんだから
うまくいっていたのは間違いないし、
であれば周囲からの指示も得られただろう。
代りに非常事態への対応力は地に落ちたが。
0331マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/08(日) 00:45:35.42ID:ze17Jtf+
ちなみに朝鮮王朝実録には
尚円王統では首里城内には
女官しかいないと書かれている。
また年一回の軍事演習もやるが
王族が指揮をとり国王は
姿を見せないとある。
いずれも暗殺を警戒したのだろう。
尚円のクーデターが支持された伏線が
あったことが、この時既に伺える。
或いは国王が奥に引っ込むシステムで
みんなある程度居心地よかったところに
イケイケの尚徳が出てきたのも
悪かったのかもしれない
0332マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/09(月) 01:18:34.28ID:y6E7/FmX
沖縄の刺青のハヂチってあるけど縄文由来の文化なのか古墳時代あたり文化が由来なのか謎
0333マンセー名無しさん
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2020/03/10(火) 13:25:31.57ID:TynUVqNt
首里とソウルは語源が同じじゃね?と言語学に詳しい人がいってたけど三別抄という高麗の軍隊が沖縄に逃げてきた可能性があるらしいからあながちトンデモでもないんやね
0334マンセー名無しさん
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2020/03/12(木) 22:15:49.60ID:WuWnYBDj
いかにもハン板らしいネタ

そんな説あったっけと思ったら、こういうのなのか

でもまあそのサイトの人も結論は一番下だけどw




首里(しゅい)語源・朝鮮語の都「そうる」に由来する?。

https://youjii81.fc2.net/blog-entry-4.html

>山中襄太著『地名語源辞典』校倉書房(1995年)の記述を見ると、薩摩文書に「しほり」と書かれていることから、

>朝鮮と関わりのある地名だとしている。古くは新羅の首府・徐伐を「そふる」と云い、百済の首府・所夫里を「そふり」と

>呼んだことから、その語感が「しゅり」、「しほり」に通じるのだと云う。日本地名研究の権威、谷川健一も琉球と朝鮮は

>極めて密接な関係にあったことから、朝鮮の都を表す「そうる」説をとっている。




>伊波普猷の文献、著述には首里の語源を扱ったものが見当たらない。また、東恩納寛淳も「首里の語義、今解す可からず」と

>書いている。つまるところ、「首里の語源は分からない」と云うことである。
0335マンセー名無しさん
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2020/03/12(木) 22:27:09.85ID:WuWnYBDj
それと三別抄来訪説ってもしかして沖縄史学界では定説になっちゃってたりする?
0336マンセー名無しさん
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2020/03/13(金) 01:01:32.53ID:8JZYq5sa
三別抄の乱が起きた13世紀後半は三国遺事が書かれた記事でもあるのだが、
三国遺事には「今俗訓京字云徐伐」という割注がみえる。
15世紀の龍飛御天歌にはハングルで셔ᄫᅳᆯが現れる。

伊藤英人の「古代朝鮮半島諸言語に関する河野六郎説の整理と濊倭同系の可能性」によると
*sjɛːper (徐伐) > *sjəːβɯr (셔ᄫᅳᆯ siəvɯr)

もしこの時期に日本語に借用されたのなら、第1音節はuではなくoで写しただろう。
語末子音のr (l)にiを付加するかも疑問だ。
0337マンセー名無しさん
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2020/03/13(金) 01:10:25.29ID:8JZYq5sa
首の母音はoではなくu。
沖縄では現在はoはuに合流しているが、これがいつ起きたかも関係する。

そのウェブサイトから東恩納寛惇の『大日本地名辞書』(1900年) の琉球の部を孫引きすると、
 此の二字 (注ː 首里) は、尚円王の文書にツしたる、「首里之印」を以て始見とす。
尚円の治世は15世紀後半と相当早い時期なわけで、まだoはuに合流していなかった可能性がある。
0338マンセー名無しさん
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2020/03/13(金) 16:41:36.45ID:9c4uanq1
琉球史とか文化について研究してる学者って琉球語、言語学わかるんですかね?
古琉球時代なんか特に言語学の知識ないと大変そうだけど
0339マンセー名無しさん
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2020/03/13(金) 17:22:26.98ID:Evr6YUR3
わからないのが問題。
ただこれは日本史学全体の問題で、
言語学どころか、
古文漢文の基本的文法すら
系統的な教育は行われていない。
無手勝流でとにかく
文献読ませて体で覚えさせていくのが主流。
文法を知っていれば
解釈に迷ったときは
基本的文法規則にたちもどって
文章構造を見直せば正解に辿り着けるが、
現代の日本史学者は適当なので、
悩んだときは自分のみたいものを
そこに見出してしまいがち。
端的に言えば誤読が多い。
俺が聞いた相手は以上の事実を認めつつ、
学生が低レベルで地味な文法の講釈を
欲しないからだと言い訳していた。
実際には教授レベルですら
信じられない幼稚な誤読を繰り返すので
上が根本的に教える能力がないのが実態
責任者が責任とらずに
下に押し付けるのも日本史学界の特徴だね。
学生ディスるんだったら
授業料とるのやめるべきだとおもうが。
0340マンセー名無しさん
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2020/03/13(金) 17:26:33.58ID:cs8ilDh3
王の車は猫車 VS 泡盛
0341マンセー名無しさん
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2020/03/13(金) 17:27:13.44ID:Evr6YUR3
首里は漢字の通りだと思うけどなあ、、
浦添、泊など周辺の
同じ程度の規模、歴史を誇る都市は
いずれも漢字としても日本語としても
解釈が容易。
音読みなのが怪しいってこと?
0342マンセー名無しさん
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2020/03/13(金) 17:31:41.81ID:Evr6YUR3
上で音韻について解説してる人は
多分前からいる人だと思うが、
こんな芸当が出来る人は
琉球史学者にはただの一人もいないから
ここで話しが聞けることに
ありがたみを感じた方がよい
0343マンセー名無しさん
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2020/03/13(金) 17:35:42.02ID:Evr6YUR3
三別抄うんぬんについては
論文化されてないから
いくら琉球史学界とはいえ、
さすがに定説化までは
いってないんじゃないかね、、
話にならない妄想としか
言いようがない。
九州を経ずに朝鮮から沖縄に来るやつは
漂流者だけ。
その九州に三別抄のさの字もないんだから
お察しくださいとしか
言いようがない
0344マンセー名無しさん
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2020/03/14(土) 00:19:51.75ID:V6vCu1xC
三別抄がいた当時って済州島から沖縄本島まで渡海するの難易度的にどうなんですかね?
0345マンセー名無しさん
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2020/03/14(土) 09:12:15.15ID:WSgOORV6
読売新聞書評
琉球王国は誰がつくったのか 吉成直樹著
2020/03/01
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20200229-OYT8T50135/
改めて考え直す契機に 評・加藤聖文(歴史学者・国文学研究資料館准教授)

昨年10月、首里城が焼け落ちる姿は、沖縄県民に限らず多くの人に衝撃を与えた。
首里城は、琉球王国の王府であったことは、誰もが知っていよう。しかし、私たちは琉球王国をどこまで知っているだろうか?

実は、「琉球王国」がどのような背景と要因によって誕生したのか、今もさまざまな学説が唱えられ、琉球王国を打ち立てた思紹ししょう・尚巴志しょうはし親子が何者かすらよく分かっていない。
通説の琉球王国論では、農耕社会の成熟を基盤とし、対外的には中国(明)の海洋通商政策と結びついて王国が成立したとされる。
しかし、このような内在的発展と対外的独自性によって王国が誕生したとする通説は、沖縄アイデンティティーを求める近代以降の社会思潮と無縁ではなかった。

本書は、このような通説を真っ向から批判する。中国と朝鮮では王朝交替、日本では南北朝の動乱、激動の東アジアの視座に立って、東シナ海を跳梁ちょうりょうする倭寇わこうを切り口に、琉球王国は外在的要因によって誕生したと説く。

とりわけ刺激的なのは、思紹・尚巴志が拠点とした佐敷上グスクと日本の城郭の共通性から、琉球と倭寇との深い結びつきを明らかにし、明による冊封が、王国としての認知ではなく、倭寇封じ込め策の一環だったと論じている点だ。

さらに、本書は琉球史をめぐる今日的な問題も見逃さない。沖縄海洋博覧会以降の電通による行政・県民・メディアを巻き込んだ観光キャンペーンと通説とされる琉球王国論が、表裏一体の関係にあったとの指摘には思わず膝を打った。

首里城の焼失は、私たちに琉球王国とは何だったのか、沖縄本島に止とどまらず奄美群島から先島諸島まで含めて、改めて考え直す契機でもある。再建される首里城が、ただの観光施設とならないためにも、本書は一読の価値がある。
0346マンセー名無しさん
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2020/03/14(土) 15:53:06.50ID:P6F+rT1f
うろ覚えだけど言語学者のボビンも首里と朝鮮の首都名についての関係論じてたような
0348マンセー名無しさん
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2020/03/15(日) 14:26:15.29ID:5Qo9WmNJ
ボビンはちゃんとした学者だが勇み足が多いので話半分に聞くのが良い。
ソウルとの関わりはともかく、以下の2点は穏当だと思う。

・『おもろさうし』の「しより」の「よ」の母音はuではなくoを表していた
・漢字表記の「首里」ができた頃はまだoはuに合流していない
・だとすると、「首里」は民間語源または当て字では?

ボビンが漢字表記の「首里」の初出を確認していないが、東恩納説と矛盾はない。

ボビンが言う通り、龍飛御天歌の셔ᄫᅳᆯの第1音節は上声であり
上声はOld Koreanの2音節に由来することが多い。
>>336で触れた伊藤(今月出たの『日本語「起源」論の歴史と展望』に収録)は
河野六郎を引いて、*siraに由来して「新羅」と同語源だとしている。

「徐伐」にしても셔ᄫᅳᆯにしても、語末は-lであって-iがない。
伊藤から孫引きの河野説によると
新羅語の*pɯr (伐) と百済民衆語 (韓語) の*puri (夫里) は方言差。
方言地名としては부리は現代でも生き残っているようなので、
朝鮮語側に-iがないから借用説は駄目だと言い切るのは難しい。
0349マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/15(日) 16:13:40.34ID:5Qo9WmNJ
2点→3点

>>310
亀レスだが、「泊の先駆性」云々は考古学の池田ではなく
史学の黒嶋敏の「第一尚氏期における首里の外港を探る」のことだろう。
内容は自分で確認してほしいが、俺が疑わしいと思っている部分を一点紹介する。

黒嶋は、沖縄県立博物館所蔵の「琉球国図」
(ネット上で良い画像が見当たらないが、これの左上)
https://api.piratsuka.com/event_files/1488862947_ay6hutvm_raw.jpg
を重要なソースとして使っている。
「琉球国図」は1696年に太宰府天満宮に奉納されたもので新しいが、
黒嶋と先行研究の上里・深瀬・渡辺 (2005) は、
海東諸国紀 (1501) の琉球国之図 (画像の右上) との類似性等を根拠に、
古琉球時代に博多商人が持っていた情報を反映していると見なしている。
0350マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/15(日) 16:15:38.80ID:5Qo9WmNJ
この地図で那覇近郊に記される「飛羅加泊」を
黒嶋は坂(ふぃら)中(なか)樋川、坂(ふぃら)の泉(かー)という
天久の坂の途中の湧水に由来する名前だと解釈している。
傍証として、港湾近くで真水を確保できるポイントは
船乗りにとって重要な航海情報だったからと主張している。

もとがシンポジウムの発表だったので、本論のあとに質疑討論が続いているのだけど
「飛羅加泊」の解釈について、柳原敏昭は
 「琉球国図」が現地の生きた情報、実際に話されている言葉に基づいて作成
 されていることを示唆しており、非常に重要な発見だと思います。
と述べ、渡辺美季は
 「飛羅加泊」はまさに「坂の泉 (フィラヌカー)」だと思います。(中略) 精
 緻な分析をしていただいて、これほど泊のことが明らかになったのは、琉球
 史にとって画期的なことだと思います。
と絶賛している。その後の総合討論で、村井章介が
 黒嶋報告で衝撃的だったのは「琉球国図」の「飛羅加泊」でした。謎の記述
 を見事に解明され、港に真水を供給する泉の名前から来ているという結論は、
 すごく示唆的です。
と発言しており、やはりべた褒め。
0351マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/15(日) 16:20:14.50ID:5Qo9WmNJ
標準語の「川」に対応する語は
琉球では意味変化を起こして、井戸や泉を指したりする場合もあるが、
音声的には首里方言はkaaとなっている。
kaaに「加」を充てても問題ないと歴史の人は思ったのだろうけど、
奄美ではhooのようになっていることから、
このaaが琉球祖語にさかのぼらない新しい変化なのは明らか。
本土では、川は古くはkapaで、語中のpが弱化してkawaに変化した。
沖縄でもkapa > kawa > kaaという変化が想定されるが、問題はそれがいつ起きたか。

南方支那人が書いた『使琉球録』(1535) の「夷吾」では
「河」は「嗑哇」と音写されており、kawaに近い音が想定できる。
ただし、日訳も同じ「嗑哇」という漢字を使っているので、日訳を流用した可能性が残る。
さらに時代が下った『中山伝信録』(1721) でも「河」を「喀哇」と音写している。
クリフォードの『琉球語彙』(1818) では英語のWellがMeézee kaとなっているので
この頃までにはwは完全に脱落して長母音化したことがわかる。

そんな感じなので、15世紀半ばに博多町人が「川 (泉)」にあたる土着語を聞いたとしたら、
*kapaもしくは*kawaのような音であって、*kaaではなかっただろうし、
それを「加」で写したかは怪しい。
0352マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/16(月) 14:37:43.08ID:zRd5rv8o
海東諸国記の語音翻訳では、
鑑真の頃にはあこなわか何かだった
本島の呼称が、
うちな、になってるから、
16世記時点では
ワ→アになってると思われる。

ただ川が如何に訛ろうと
意味は記憶されており
大体の地名表記ではちゃんと
川の字が当てられてるから、
坂中が坂の川の訛だとする説は
どうかなと思うが。
ヒラナカがヒラカになるのかなという気もするし。
アコナワのナも
鑑真たちはちゃんと聞き取ってるわけだからね。
ヒラカ泊はよくある今は失われた地名の一つで
いいような気もするが。

つーかヒラカ泊がヒラナカ泊だったら
何がそんなに嬉しいの?
感動ポイントがわからない。
水も食糧も船員は自分では
集めに行かないと思うんだけど。
交易で原住民に持ってきてもらうものだから。
0353マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/16(月) 21:41:06.33ID:v0eT/XMG
根本的に坂の川が
ヒラナカになるのかという疑問もあるしな。
訛るならひらんかーくらいだろ。
ウがアに訛る例なんてあるのかな?
0354マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/17(火) 01:46:20.79ID:QFBTPIKi
本当に「川」を表す要素なら語源意識が残っていて、
他の地名と同じように「川」と写したはずだというのは同意。

「飛羅加」はおおよそ[ɸiɾaka]のような音で、ヒラナカではなかろう。
黒嶋や渡辺は「フィラヌカー」などと言って、勝手に「の」を補っている。
「の」なしの複合名詞なら後部が連濁して「ガー」になっていないと変だ。

語音翻訳では「瓦」が카라になっていてp/wが脱落しているのだけど、
後代の漢語資料ではなぜか復活している。
16世紀の資料は過渡的な面があるが、
少なくとも「川」に関してはまだ長音化してなさそうだ。
0355マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/19(木) 14:37:55.17ID:tGqoq1ND
14世紀末に「李氏朝鮮」が成立。儒教が普及させるため仏教を弾圧しました。
そして、儒教思想に基づき、上流階級が政治を掌握する両班(ヤンバン)制度が確立。
儒教で重要視している冠婚葬祭の作法が根付きました。

朝鮮時代にも牛肉を食べる機会は多くありませんでした。仏教が封印されても、牛や馬は交通や
輸送に必要だったため、屠殺は基本的に禁止。そのかわり、豚肉や鶏肉を良く食べていました。
また、滋養強壮食として「犬肉」が流行しました。

李氏朝鮮末期には、唐辛子と白菜が伝来したのです。唐辛子の特長は、殺菌力があり防腐剤の
代わりになること。キムチに唐辛子が使われるようになり、さらなる長期保存を可能にしました。
コチュジャンの誕生も唐辛子のお陰です。
0356マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/19(木) 17:06:31.05ID:tGqoq1ND
犬肉、年間200万頭・1兆4000億ウォンを消費
(2006年10月24日16時51分付 中央日報日本語版より)

韓国で犬料理が有名。犬料理はもともと「ケジャングック(ケは韓国語で犬)」 と
呼ばれていましたが、 表現が直接的なので現在は「ボシンタン(補身湯)」と呼
ばれています。
ソウル市内には2008年度には500店舗以上あったそうですが、最近は減っている
と聞いています。2006年には「年間200万頭」が食されたと報道されています。
0357マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/20(金) 00:34:45.96ID:fP3XCk5c
沖縄でも犬は食べますよ。
ググったら言い訳も含めて色々証言が出てくる。

事実は、犬はローコスト。
餌がいらない。
人糞やら何やらを勝手に食って育つので。
飼ってるんだか野良だかわかんないようなのが
村に山ほどいて食べたくなったら
捕まえて食べられる。
だから貧しい沖縄の農民にとっては
貴重なタンパク源だったわけですね。
薬として食ってたというのはただの言い訳ですね。

ちなみに豚は穀物を与えないとならず
飼育にコストがかかるので
もったいなくて
農民は自分では食べませんでした。
ヤギは芋の葉で育つので比較的ローコストで
自分でも食べましたが
芋の葉を集める手間がかかるので
あくまでハレの日の食べ物でした
0358マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/21(土) 02:01:57.40ID:92gZ2hLG
沖縄人は本土人より縄文要素高いけど琉球語話者が九州あたりから琉球列島に移住してきて原住民と混交した結果そうなったのか、元々移住する前から縄文要素高かったのかどっち?
0359マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/21(土) 13:33:29.00ID:ZgigzBgy
何を指して縄文と言っているのか。
まずそこからじゃない?
0360マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/21(土) 16:17:45.20ID:fXQMvXan
朝鮮人と性風俗について

朝鮮紀行ではイザベラが女性であるのであまり語られませんでしたね、
しかし 「男は何もせず地面にへたりこんで長キセルを吸ってボケ〜としていた」と
の記述があり、ただ漠然と普段朝鮮人の男は何もしないのかと疑問に思いました 

さらに、朝鮮雑記の「妻で客人をもてなす」とは驚いた。
朝鮮では日常的な売春行為をする為、売春婦を一ヶ所に集めることはせず、
自宅に客人を泊め、妻と性行為させ、怠け者の男は売春の代金回収を
「気が向いたら」していたと記述があった。

朝鮮雑記で「気が向いたら」とあるが、気が向いてない状態のん男は、やはり
朝鮮紀行の「男は何もせず地面にへたりこんで長キセルを吸ってボケ〜としていた」
とここで二冊の記述がリンクしていることが分かり大変感銘いたしました 。
0361マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/22(日) 13:39:39.54ID:s4wCcLh4
>>345
電通がまた話題なんで、これも話が広まらないかなーと思ってる
0362マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/22(日) 18:50:47.15ID:pFJEJg6k
悪の権化電通が琉球王国論を作った・・・というのはお話としては確かに面白いんだけど
ぶっちゃけ過剰評価だと思うんだよな
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/korea/1528188489/9
0363マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/22(日) 19:58:07.40ID:s4wCcLh4
あ、すんません過去スレ見れないんです
0364マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/22(日) 21:43:38.45ID:CPMjNt35
電通に高良倉吉の相乗効果では?
0365マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/22(日) 21:46:01.71ID:CPMjNt35
しかし高良の王府への異様な忠誠心の起源が
分からないな。
伝統的には王府は悪性をしいていたゴミ扱いで、
必ずしも県民の共感は得ていなかったと思うが
0366マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/23(月) 03:11:07.68ID:TBVD4gUH
三別抄琉球渡来説も気になるけど南走平家が琉球に移住したとか南朝の落ち武者が琉球に移住したという話も気になる
たぶん通説ではないんだろうけど可能性としてはあるのかな
0367マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/23(月) 12:59:44.71ID:HrTsks9I
三別抄は到底あり得ないが、
喜界島の有力豪族の勘樽金の系図には
平家の子孫と書いてあるな。
何代か前の女の入り婿が
平家の子孫だとかで。
少なくとも、
家康が新田氏の子孫であると自称したのと
同様に、
平家の子孫を名乗るのは
中世から珍しい事ではなかった。

また本島を開発した喜界島人の
主流は、平家より前から
喜界島にいた連中、いわゆる
史書にいう海見族の子孫と思われるが、
そこに合流した平家勢力も当然いたと思うよ
0368マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/23(月) 13:01:24.26ID:HrTsks9I
喜界島からの移住の原因になったのは
頼朝による喜界島遠征で
その目的は平家の残党狩り
0369マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/23(月) 17:15:54.01ID:bsLENplW
朝鮮半島の主な歴史
  7世紀頃、「百済・新羅・高句麗」の三国時代は終焉した。
  7世紀:唐の隷属国
13世紀:モンゴル(元)の属国
13世紀:エベンギ人が元居た民族を混血または滅ぼし「背乗り」してきた。
13世紀:高麗の「李氏が明国と結託」、高麗王を殺し高麗を滅ぼした。

1392年:高麗を滅ぼした「李氏が明国から朝鮮」という名を賜る、一地方都市の長扱い。 
        ★ここで初めて「朝鮮」という名称が出てくる。★
14世: 李氏朝鮮は「明の属国 」
17世紀:李氏朝鮮は「清の属国」
20世紀:大韓帝国(李王朝)日本が莫大な資本と人材の投与で近代化を進める。(済州島出身の金満哲氏)

13世紀ころ、エベンキ人が「背乗り」したところで、エベンキ人が多くの半島にいた民族を滅ぼしたか
混血した地域とされ、顔立ちなどの容姿、言語、トーテムポールなどの風習等々が酷似していると研究者
が発表したもの。
0370マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/23(月) 17:38:02.49ID:HrTsks9I
縄文要素ってのは顔みて言ってるんだろうが
沖縄県各地で大分顔形は違うし、
食生活でも変わるからな。
顔形はあてにならない。

源琉球語自体が存在せず、
南琉球方言と北琉球方言は
それぞれ独自に九州から伝播した可能性も
あるので、
宮古八重山と本島とで遺伝的差異を調べても
面白いかもしれないが、
大金かけてまでやる意義はないと
一県民としては思う。
0371マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/23(月) 20:26:58.28ID:/4KuQ46F
なるほどこれですか。

>>362
9 名前:マンセー名無しさん[] 投稿日:2018/06/08(金) 01:50:20.54 ID:teTOFzlp

ブログ見て思い出したんだけど、

電通の『沖縄県観光振興総合計画に関する報告書:誘客プロモーションを中心に』を頑張って閲覧した。




多田治の描写から受ける印象とはずいぶん違って、全体としてはいかにも広告代理店が作りそうなレポートだった。

124ページの報告書のなかで、「沖縄の歴史」の開発を提案している部分は2ページ、

県民対策としてPRのテーマを「観光立県」よりも「沖縄の文化」としたいと述べているのは1ページ弱。

意識して探さないと見落としそう。

残りのページの半分以上は、広告打つから電通に金を払えという内容で、

電通一押しのキャッチコピー「ファンタジア沖縄」がダサすぎてどん引きなんだけど、これ結局採用されたの?
0372マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/24(火) 01:18:09.66ID:Pu/hWpcJ
大昔に一度だけ紹介したことがあるが、奄美大島の平家伝承については
高橋一郎が『伝承のコスモロジー』(1994)、『海原の平家伝承』(1998)と2冊も本を書いている。
両者とも聞き取り調査とその分析なんだが
真面目に平家伝承の大島における展開を考察しているのは『伝承のコスモロジー』の方で
『海原の平家伝承』は時々思い出したように言及するだけのタイトル詐欺。

大島の平家伝承の特色は平家が一族もろとも自害して果てたことになっていることで
つまり大島の支配層の系譜に結び付けられていないんだよね。
0373マンセー名無しさん
垢版 |
2020/03/25(水) 01:35:06.59ID:XY4ZYSZ8
宮古・八重山の事情はまた別として、
奄美と沖縄の伝承はそれぞれ平家と源氏(為朝)で棲み分けているように見える。
でも大島の旧家には為朝の子孫を自称する者がそれなりにいた。
ただし、舜天の子孫が琉球から来て土着したという系譜(これは史実の反映)に
為朝の琉球渡来伝承が接続される形になっていて、大島と直接土着したわけではない。
系譜という性質上、旧家が排他的に伝承していたため
奄美で広く語られるようになったのは明治以降、昇曙夢のような啓蒙家が書き立ててから
・・・というのが高橋一郎の見解。
0374マンセー名無しさん
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2020/03/25(水) 21:07:30.83ID:xbPFkEPy
平家没落由来記でも
平家の系譜は途絶えたと書いてあるな。

あと喜界島の平家遺跡も
城久遺跡とは全然場所が違う。
もし平家が実際に喜界島や大島まで
来ていたとしても
城久遺跡系の連中とは
別だったかもしれないな
本島の天孫族に連なるのは
城久遺跡の連中と思われる
0375マンセー名無しさん
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2020/03/26(木) 03:00:24.90ID:Sm7Y7zYB
韓国朝鮮人の祖先は悪魔の洞窟門にいた山葡萄原人 !

ロシアのアムール川流域の洞窟(悪魔の)に住んでいた、山葡萄原人が挹婁(ゆうろう)になり、
その遺跡からは豚と共 に多数の魚や犬の骨が発見されています。
当時から犬を食っていたのです。
犬は大好物だったのです。
朝鮮人が犬を食うのは、今日や昨日ではなく、ずっと昔から「犬は食い物」と思っていたのです。
0376マンセー名無しさん
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2020/03/26(木) 21:08:22.06ID:Sm7Y7zYB
韓国朝鮮人の祖先は悪魔の洞窟門にいた山葡萄原人 !

ロシアのアムール川流域の洞窟(悪魔の)に住んでいた、山葡萄原人が挹婁(ゆうろう)になり、
その遺跡からは豚と共 に多数の魚や犬の骨が発見されています。
当時から犬を食っていたのです。
犬は大好物だったのです。
朝鮮人が犬を食うのは、今日や昨日ではなく、ずっと昔から「犬は食い物」と思っていたのです。
0377マンセー名無しさん
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2020/03/28(土) 15:35:30.58ID:H0wosG6h
言語学とか全然わからんけど首里だけじゃなくて察度も朝鮮語からきてるって説あるやん
福建人だけじゃなくて韓国人も結構、渡来してきたんかな
0378マンセー名無しさん
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2020/03/28(土) 22:24:48.73ID:t7FHmkmr
福建人そのものが大してきてないからな。
36姓は明が朝貢のために
任務として強制移住させたもの。
歴代宝案には
としとったから中国に帰りたいと言って
帰った奴の記録もある。
沖縄には帰属意識すらない。
本島に自発的に来た奴は記録上いない。
尚寧冊封騒ぎのときの明側の記録では、
航路上に碌に島が無いので危険であるとされている
宮古島には戦乱を避けて
宮古島に移住してきた唐人豊見親の綾語があるが、
一族は間もなく衰亡して絶えたとされている。
そもそも航路上の重要な中継地点である
台湾ですら、三山時代には
中国は支配していない。
その意味で台湾に寄港するにも
気軽にはできない。
武力がないと危険。
そして何より台湾と与那国の間には黒潮が流れている
間に島は全くないから
渡りきるのが非常に難しい。
だから冊封使も危険だと文句言うわけだ。
0379マンセー名無しさん
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2020/03/28(土) 22:28:44.56ID:t7FHmkmr
尚真代だったかな?
漂着した朝鮮人の記録に、
尚真からないちゃーは
信用できないから
福建伝に帰れと言われたが、
朝鮮人は無視して
ないちゃーに依頼して九州経由で帰った話がある。
もちろん何もトラブルはなかった。
九州経由の方が安全である事がここからも分かる。
0380マンセー名無しさん
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2020/03/29(日) 00:27:08.08ID:SMUr/opM
吉成直樹は昔から言語音痴でどうしようもないが
察度の語源は朝鮮語の使道という与太話を最新刊でも繰り返していた(161頁)

使道が사도なのはあくまで現代語であって、ハングルができた頃はᄉᆞ도だった。
検討すべきは、사도ではなく、ᄉᆞ도を当時の沖縄が借用したらどんな語形になるか。
朝鮮語からの借用事例は全然ないから
反対に沖縄の言葉を朝鮮人が写した事例から推測するほかない。
例によって海東諸国記の語音翻訳の出番となる。

語音翻訳でアレア(ㆍ)が安定して登場するのは「す」「ず」「つ」を写す場合で
例えば墨、炭をᄉᆞ미と写している。
ついでにいえば、あ行は一貫してㅏに対応していて、う行とは混同していない。
つまり朝鮮語のᄉᆞを沖縄に持ってきたら「す」になって「さ」にはならない。
0381マンセー名無しさん
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2020/03/29(日) 06:31:15.29ID:aVgvsu5f
本当に泰期がおもろさうしの
たちよもいと同じなら
泰期がたちや・たちよから
来てるなんて
想像もできないから、
察度も語源探すだけ無駄かも。
そういう名前を使ってましたで
終わるしかないんじゃない。
尚ハシだってそうだしな。
0382マンセー名無しさん
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2020/03/29(日) 06:33:47.28ID:aVgvsu5f
しかし承察度が大里の訛化ってのは
無理矢理だと思うな。
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