>>57
「縄文時代 文化圏」でググったら出てくるだろ
http://kodaisi.gozaru.jp/sisouAAA/sisouA/sisouA-html.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3#縄文時代の文化圏
http://hirahaku.jp/tenjishitsu/p38-39.html

研究者によって(もしくは時代によって)差があるが
縄文文化は均一な一つの文化ではなく、地域性の大きな似通ってはいるが異なる部分もある複数の文化圏の複合したものだ
一般的に縄文土器ときいて思い浮かべる複雑な装飾の施された土器が発展するのは主に東日本であり、西日本では簡素な形式のものが使われた
各文化圏の言語がそれぞれ同一の語族か異なる語族かまでは不明であり、現存する日本語族乃至アイヌ語に近縁な言語を話す文化が複数あった可能性も否定できない
わかることは縄文時代から日本列島内外の海路による交易は盛んであり、次第に文化圏は統一の方向へ向かって行ったということだ
末期には北海道東部、東日本、西日本、琉球諸島でまとまった
少なくとも西日本が日本語族だろうと考えても、アイヌは東日本と北海道東部のどちらなのか、琉球がその頃から日本語族だったのかは不明

ただし琉球語派と東国方言の存在から最低でも紀元前1世紀までに琉球諸島と東北地方南部までに日本祖語が存在していたことは間違いない
特に北琉球に関しては確実に縄文文化の後裔だろうと思われる
その時代に本土から人口が移動してきて民族を置き換えた考古学的痕跡はないからな
だが南琉球は縄文文化がなかったことから日本語圏ではなかった可能性が高い

南琉球にはオーストロネシア人の進出らしき痕跡が残されているが、オーストロネシア人がそれ以上北上できなかったのは倭人(日本語族話者)という同等以上の文化を持った原住民の存在のせいだろう
オーストロネシア人がオーストラリアに進出できず、ニューギニアでも沿岸にとどまっているのも、
それらの土地の環境では原住民の文化様式が最も適しており、仮に定住するにしても向こう言語や文化に合わせる必要があるからだ