彡(゚)(゚) 儒教について語るスレ
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『鬼神論』のように合理的な宗教観を持っていた新井白石だからこそ
『西洋紀聞』でシドッチから聴いた旧約聖書の世界創造を鼻で笑ってて面白いやね
「デウス、もしよく自ら生れたらむには、などか天地もまた自から成らざらむ。又天地の未だ成らざらぬ時、
先づ善人の為に天堂を造るの説、天地も未だ生ぜずして、斯の人すでに善悪の相わかれしも心得ず。」
デウス(ヤハヴェ)に関してシドッチは白石に「デウスは上帝と同じだ」って儒教の言葉で説明してるのもまた興味深いわ Deusを訳すのに「神」と「上帝」のどちらを使うのかって議論は清朝でもあったみたいやな🤔 イザナギイザナミが国作りする記紀神話や須弥山が出てくる仏教的宇宙観と比べたら
理気と陰陽で世界を説明する儒教的宇宙観の方が現代から見ても合理的やと思うわ
山片蟠桃が儒教をベースに無鬼論を主張したのも肯ける 李相華「哲学におけるフェミニズム受容と哲学体系の変化」(張必話他『韓国フェミニズムの潮流』明石ライブラリー、2006)
って韓国フェミニズムを紹介した論考で儒教とフェミニズムの関係について触れてて興味深かったわ
儒教の「仁」のような人倫に関してはフェミニズムも必ずしも否定はしないけれど
それでも陰陽二元論で女性が陰として従属的に扱われる点ついては問題が残ると指摘しとった
儒教とフェミニズムに関しては金恵淑(キム・ヘスク)っていう女性哲学者が深く掘り下げてるらしいで 加地伸行は沈黙の宗教の中で女性は虐げられていたわけではないと主張しとるね
古来より元々男女の分業が成立しており儒教はそれを追認したに過ぎない
家庭内での主婦の権限は相当に強かったと 三従七去説は悪名高いけど三従はまだしも七去は離婚を認めてる訳でもあるしな
あと経書としての典拠は「大戴礼記」やったっけ?純粋な孔孟の教えっという訳でもないし
後漢の女君書「女誡」あたりになると女を抑圧してる感がないではないがあれも原理的には儒家特有のものではないやね そもそも「天」って概念が異民族の祭祀だったものを漢民族が採り入れた…って王柯『多民族国家中国』(岩波新書)で読んだけどこれマジ?
「天」の祭祀って漢民族固有のもんだと思ってたわ 東洋の古典 論語
西洋の古典 プラトン
両方読んだがたしかに両者に違いがある
どちらもおもしろい
プラトンは原理をとことん追求してる。論語は社会学といっていい 宮嶋博史「日本史認識のパラダイム転換のために」(『思想』1029号、2010年)っていう論文の
「朱子学が作った中央集権的・非身分的な「儒教的近代」があって辺境の日本はそれを受容できなかった」
っていう挑戦的な「儒教的近代論」がなかなか面白かったで
それに対して「西欧型近代を否定するだけのエスノセントリズムに陥る危険がある」って岸本美緒の批判
「東アジア史の「パラダイム転換」をめぐって」(国立歴史民俗博物館編『「韓国併合」100周年を問う2010年シンポジウム』岩波書店)
も面白かったわ 【日韓】日本の援助で発展した韓国が恩をアダで返し続ける理由 「恩を受けると自分が道徳的下位になるため、恩をくれた日本に復讐」★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1541822590/
【日韓】「恩を受けると自分が道徳的下位になるため、恩をくれた日本に復讐」 日本の援助で発展した韓国が恩をアダで返し続ける理由
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1541757715/ 0546 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/08/29 19:56:47
バブル世代から言わせると団塊ジュニアは異常な奴が多い
劣等感丸出しの奴が多くて、煽られるとすぐ発狂するからねw
怠け者の末路
まあ自業自得
1 ID:aU6jdaq/
0547 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/08/31 00:22:31
和歌山の発砲事件の犯人まだ捕まってないの?
犯人は団塊ジュニア?
まーたやらかしたのか
これだから団塊ジュニアはw
この世代は全員死刑でいいよ
日本のガン
危険だから社会から排除したほうがいい 垣内景子『朱子学入門』(ミネルヴァ書房)はかなり勉強になったわ
読書案内ついてて便利やったから貼るわ
邪魔くさかったらすまんな 評は垣内景子が書いたものをワイが勝手に要約したもの
土田健次郎『儒教入門』東京大学出版会、2015
儒教に関するほぼ唯一といっていい概説書で一般向けなのに重厚な内容。
土田健次郎『江戸の朱子学』筑摩選書、2014
江戸時代の朱子学を解説したものだが朱子学そのものについても詳しく論じており、日本思想史における朱子学の果たした役割が立体的に描かれている。
三浦國雄『「朱子語類」抄』講談社学術文庫、2008
全百四十巻と大著かつ通常の漢文とは異なる古白話でとっつきにくい「朱子語類」から重要なものを選んで読みやすくしたもの。
三浦國雄『朱子伝』平凡社ライブラリー、2010
朱子学が朱熹という人間の個性で成立したことがわかる評伝。
島田虔次『朱子学と陽明学』岩波新書、1967
小島毅『朱子学と陽明学』ちくま学芸文庫、2013
小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書、2012
朱子学と陽明学の関係に関しての一般向け概説書3冊。
丸山眞男『日本政治思想史研究』1952、東京大学出版会
渡辺浩『東アジアの王権と思想』1997、東京大学出版会
日本の朱子学に関しての必読書2冊。 朱熹って学者として東洋一なんじゃないかな
内藤湖南が1000年前にこんな学問を作ったのはすごいとか言ってた >>86
経書の注釈に飽き足らず独特の哲学体系にまで仕立て上げたことや
現実に南宋以降の社会制度を大きく変えた影響力を考えると朱子に比肩しうる学者って確かに思いつかんな 朱子は自らの学問の系譜に周敦頤・二程・張載を採り入れたのもよく出来とるよな🤔
あれで人倫だけぢゃなく宇宙まで語れるようになったし🙄 仏教道教が大きい死生観や世界観を持っているのに対抗するために宇宙を語らざるをえなかった事情も大きいと思うな 須弥山があるような仏教の世界観ほど荒唐無稽でもなく
道士たちが考えていた仙境ほどの異界でもなく
太極を中心に合理的に宇宙から人体までを説明したのが周敦頤『太極図説』のすごいとこやね 朱子学の流れが三浦梅園たち近世日本の自然哲学者を生んだわけだしね 上に挙がってる土田健次郎『儒教入門』(東京大学出版会)が入門書としてはオーソドックスでええと思うで
儒教の宗教性に目を配った加地伸行の本も悪くないんやけどクセがあるというか とんくすこ
機会があったらその本を推薦して勧誘してみるわ
学問スレで学問を語ってる貴重なスレだからいろんな人に来てほしいし 古文漢文板に儒教スレあったんやけど今はなくなったみたいやね
昔は一応↓みたいなスレがあった
江戸の儒学が好きな人
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/kobun/1001866901/
哲学板にも儒教スレ一応あるみたいやけど哲学板のクソコテが暴れてるばかりであんまり中身がないンゴ…
あんまり覗いたことなかったけどクソコテだらけなんやな哲学板
【論語】孔子の哲学【儒教】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1429441460/ 東北大が科研費プロジェクトで『日本儒林叢書』の全文検索できるオンラインサイト作ったで
意外と面白いから皆も使おう(提案)
気になる漢語や固有名詞を検索してみたら儒者たちがどういう文脈でそれを使ってたのかがわかるンゴ
日本儒林叢書全文データベース
http://www2.sal.tohoku.ac.jp/jurin/ http://www.perikansha.co.jp/Search.cgi?mode=SHOW&code=1000001641
小島康敬編集『「礼楽」文化-東アジアの教養』(ぺりかん社、2013)は儒教にとって重要な概念である礼楽について論じた数少ない本やからオススメやで
朱子・荻生徂徠・李退渓・康有為と古代から近代までの中国・朝鮮・日本の礼楽思想を論じてる
儒教にとって音楽が重要だったことは意外と知られてないから不思議ンゴ 礼楽というと『論語』にも八イツの舞について書いてあるよな🤔 徂徠ってやっぱり偉大なんかな
仁斎の『童子問』みたいな読みやすい著作あれば読んでみたいが 「徂徠は才人であり、ときどきいい説も出すが、とんでもない議論をすることもあるので読むときには注意が必要」
貝塚茂樹先生の徂徠評
まあ数多いる儒学者の中で後世に第一人者として名前が残ってるのは凄いことではある 貝塚茂樹と同姓同名のネトウヨ学者がいて驚いた記憶がある
アンテナ研究の泰斗である八木秀次にも同姓同名のネトウヨ学者がおったが オカルティストの糸川英夫は同姓同名かと思ったら同一人物だった 吉川幸次郎の『仁斎・徂徠・宣長』(岩波書店)ええで🙋
岩波現代文庫あたりに入らないかな🤔 図書館で『荻生徂徠全集』をパラパラ引いてみたけど中国における度量衡の歴史について
周代から明代までの変遷を書いた『度量考』なんて著作があって面白かったわ
赤穂事件の処断もそうやけど色々やっとるんやな徂徠 もうすぐ赤穂事件の日やし日本思想大系の『近世武家思想』を読もう 忠と孝は全く別の論理やな
創作とはいえ『平家物語』に「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」って平清盛と重盛の会話があるけれども
中世武士にとって忠と孝は別の論理だったんやね そんなシーンあるんか
そら一族のほうが大事やわなあ そう思うと明治に創作された家族国家観って実によく浸透したもんやな そんなに経書は沢山載ってないけどこれ便利やで
Web漢文大系 - 漢詩・漢文訓読サイト
https://kanbun.info/ 徂徠学派の太宰春台は「四十六士論」は赤穂浪士たちの吉良邸討ち入りを批判して
そもそも赤穂城を受け渡さずに討ち死にすべきやったと論じていて興味深いンゴ
赤穂城に死するに如かず、吾之を聞く。赤穂は富国也。民其の君を欣び戴く事一世に非ず。
良雄ら苟も能く義を以て之に先んせば誰か敢へて之に叛かん。即ち戦士何ぞただ四十六人のみならん哉。
誠に以て城を背にし使者と一戦すべく、然る後城に登り火を縦ち、人々各々自殺し、
其の尸をして城と倶に焚けしめば、赤穂人の能事畢はれり。
こういう儒者が赤穂事件を論じた文章が沢山載ってるから岩波日本思想大系の『近世武家思想』ええで 御公儀の裁定に真っ向から盾突くとは豪気なお方やねぇ 大石たちの義盟に参加しながらも親から他家への再仕官を勧められ板挟みにあって自害した萱野三平には
浅野家への忠と親への孝を両立出来ない苦悩があったんやね
近世中期でも忠と孝は全く別の倫理だったんやろね 明治の知識人って大体経書の教養があるけどあれって子供の頃に素読やってたからやろな
幸徳秋水や河上肇みたいな左翼知識人ですら立派な漢詩を作っとる 李退渓と李叔献が李氏朝鮮で有名な二大儒者やったっけ
二人とも紙幣の肖像になってるやね 李叔献って誰やーと思って調べたら李栗谷のことやん
名前か字か号かで揃えてくれんとややこしいわ 邊英浩『朝鮮儒教の特質と現代韓国―李退溪・李栗谷から朴正煕まで』って本を図書館で借りてみたわ
姜在彦の『朝鮮儒教の二千年』よりもより踏み込んだ感じの一冊
朴正煕は軍人ゆえに文弱の両班の伝統を嫌ったけど自らの精神には儒教的な倫理を強く宿していたっていう複雑な人物みたいやね 仏教や道教(神道)と違って現世から離れてしまうことなく
人倫の政治から自然の原理までを統一した思想で説明できる哲学体系だった朱子学ってやっぱり凄いと思う(こなみ)
近代化論が流行した時には目の敵にされた朱子学やけど
朱子学がなければ中日朝の政治や学問がここまで興隆できたとは思えないんよなあ 日本でいうと幕末から明治期に西洋文明を輸入するにあたって「体系的な学問を理解する能力」は確実に役にたったと思うよ
ただ中朝では朱子学の排他性が前面にでてしまったのは残念なところ 近代日本歴史学の父である重野安繹もその実証主義の基礎にあるのはランケやなくって清朝考証学やからね
康有為や梁啓超が出てきたように異民族王朝の清代でも学問は成長してたんやね 『論語』の子罕第九は孔子の若い頃の苦労が書かれてて好き
「吾試いられず、故に藝あり」や「吾少して賎し故に鄙事に多能なり」はいい言葉やわ
そして没後数世紀して文宣王なんて諡号贈られてるのも面白いンゴ 僭越が嫌われ発展の妨げになる儒教は好きじゃないなぁ。
学校の授業で教える道徳くらいが丁度いいよ。 むしろ科挙官僚や文人を沢山生んで政治的にも学問的にも発展させたんちゃうか
日本の武士も宋学採り入れてただの武人から官僚に成長したし 原理においては儒教は僭越を嫌って発展を阻害する思想とは必ずしもいえないんちゃうかな
宋代の人材登用は科挙のピークやから割と柔軟やし
科挙以前の九品官人法の頃はガチガチに門閥主義やけど 元末明初のころに文芸が盛んになったのは科挙が廃止になった影響で才人が「じゃあ小説でも書くかー」ってなったからって見方もあるで
日本では武士が朱子学を導入したから科挙制度と馴染まなかったってのはあるけど科挙は一長一短やな 盧泰愚政権の1990年代に韓国のソウルに5年間住んでたけど、無条件で目上に逆らうなって考えが浸透してて肩こったわ。
目上との酒の席は横向いて飲まないといけなかったし、あんま楽しくなかったもんな。
礼儀や道徳心は儒教じゃなくても浸透すると思うし、葬式で家が傾くこともある儒教はやっぱ私には合わなかったな。 元や清みたいな異民族王朝さえ感化してしまうのは儒教の強さを感じるな🙋
韓国社会での冠婚葬祭の簡略化は朴正煕政権のセマウル運動の時に始まったんやっけ🤔
「礼記」に三年の服喪が規定されてるように祭祀は先祖と父母への「孝」やからな🙄
沖縄やベトナムも祖先祭祀がやたらと細かいし日本が例外的にユルいのかも😎 >>84の本で朱子学研究者の垣内景子が内田樹『日本辺境論』を高評価してて面白かったんやけど
中世の日本人が「粟散辺土」と自嘲したように東アジアの端っこだったからこそ
地続きのベトナムや朝鮮ほど本格的に中華文明が導入されてないって点はあるかもしれんね 魯迅に「孔乙己」っていうすごく短い小説があるんやけど
そこではかなり惨めな儒者の成れの果てを描いてて「魯迅は儒者が嫌いだったんやなあ」と思ったわ 日本に留学してきた魯迅が「懐かしいだろ」って湯島聖堂に連れて行かれてげんなりしたとか 現代社会に於いて、儒教は祭典などを取り仕切る行事としての役目は果たせるけど、実生活では面倒で流れを滞留させるからな。
周、春秋、戦国、戦国七雄を見ても、詩経やその他の礼は時間が掛かりすぎる。 マックス・ウェーバーは『儒教と道教』であの当時にしては珍しく西洋の知識人として儒教を論じとるね
「近代資本主義を生み出せなかった儒教」ってウェーバーの儒教観はその後批判されるようになったが 野口武彦『王道と革命の間―日本思想と孟子問題』を読んだんやけど
『孟子』の湯武放伐論(易姓革命)は天皇制がある日本の儒学者にとってアポリアだったみたいやな 徳川幕府を天皇家とは別個の王権として「徳川王朝」として捉える渡辺浩『東アジアの王権と思想』は面白かったわ
白石や徂徠は大政委任論や水戸学正名論と違って明確に徳川家を王権として規定してたんやな 大阪大学中国哲学研究室―電子テキスト類目
http://www.let.osaka-u.ac.jp/chutetsu/lunwen/etxt_lst/index.html
こんなん見つけたけど儒教の経書や史書に加えて色々な中国思想の電子テキストへのリンクあるで 徂徠の『政談』を読むと徳川家を明確に王権として位置づけてて興味深いンゴ🤔
松平定信の大政委任論とは随分印象が違う😨 儒教はあまりにふるすぎるせいで産業革命以降の合理主義からみると
テクノロジーの進歩についていけない年長者にいちいち御用聞きをしないと納得しない足枷になってると思う。
衰退まっしぐらの日本とかな とはいえ儒教道徳を国是にしたリー・クアン・ユーのシンガポールは未だに発展しとるし
日本の衰退は儒教とは別の要因があるんちゃうかな 儒教は師承の学問といわれている
西洋に追いつき追い越せで先達に追いつくスピードはとても早い
いざ追い越そうとする段になって何をやったらいいかわからなくなり迷走する
あえて日本停滞の理由を儒教に求めればこうなるかな
シンガポールが試されるのもここからだと思う 明六社や福沢諭吉あたりの明治初期の知識人は
儒教と洋学を折衷して立身出世を説いとったね
昌平坂学問所出身の儒者で明六社の創設メンバーにおった中村正直がスマイルズの『西国立志篇(自助論)』を訳してベストセラーになったり 繁体字と英語だけやけどこんな中国のサイトもあったで😎
ほとんどの中国哲学書の原著がオンラインで読めるンゴ🤗
大著の朱子語類140巻が読み放題や🙋
中国哲学書電子化計画
https://ctext.org/library.pl?if=en
https://ctext.org/library.pl?if=en&res=257 シンガポールっていいよな、小さいから国内旅行も簡単だし小さいがゆえに発展して生活は豊かだし
一年中夏だから薄着の女見放題だし
デパートには米国中国日本韓国あたりの雑誌も食品もなんでも揃ってる https://www.jstage.jst.go.jp/article/asianstudies/37/1/37_1/_article/-char/ja/
田中恭子「シンガポールの儒教教育 Confucian Education in Singapore, 1984-1989」(1990)
シンガポールの儒教教育について書いた論文やね
シンガポールのマジョリティは華人やけど華人以外にもマレー人・タミル人もおるから
そういう多民族に儒教論理って通じるものなんやろか >>147
本質的に儒教と仏教は相性が良くないんや
仏教は現世を否定して社会から出家して解脱による救済を目指す思想
儒教は現世を肯定し人倫による社会の統治を目指す思想
李氏朝鮮や水戸藩が儒教の名の下に廃仏政策をとったのは有名やね 本場中国の三武一宗の法難も有名だよね
経済や軍事面から語られることが多いけど儒仏道の主導権争いって側面もあるし とあるとこから誘導されてきたがROMっとるよ
>>141
山本七平氏の「空気の研究」なんか面白いよ
「空気」にヒントがあるんじゃねえかなあ。 >>149
三武一宗のなかでも道教に傾倒して廃仏政策をとったのは北魏の太武帝と唐の武宗やったっけ
確かに儒・仏・道の三教の主導権争いって感じで面白いやね
老子化胡説で「仏教は実は老子の教え」として取り込んだり
「孔子問礼」で「老子は孔子に礼を教えた」と門人扱いしたりと
道教は儒仏を自らのうちに取り込んでいったというか
実際に道教寺院(道観)入ってみたら道教の神々に加えて
仏教の如来・菩薩に孔子まで祀られてて道教のパンテノンって融通無碍やなあと思ったンゴ >>148
仏教は苦行や禁欲により理想の人格を目指す理性主義なんだが
儒教はは俗悪も含めた人間臭さをそのまま肯定しているので相容れないな。
ご馳走が用意できずに肉親のお肉でおもてなしを受けて感激なんてのは仏教モラルでは邪教扱いされるが一方では美談なんですよ。 ミトラ教の冬至の祝祭を「そや、教祖の誕生日にしたろw」と取り込んだキリスト教や
そのキリストを「そや、ウチの聖人に認定したろw」と取り込んだイスラム教
あるいはヒンズー教でのお釈迦様の扱い方
大きくなった宗教は他宗教を懐柔してうまく取り込んでいる
荘子でも「顔淵ガー、子路ガー」って記述が時々あるので良くも悪くも儒教の存在って大きかったんだろうね 逆に儒教は異教を採り込んだりしとったっけ?
易や陰陽説は本来儒家が作ったものではないけどおおまかに言えば漢民族の伝統の中にあったしな
日本やと神道を儒教で理論化した林羅山の王道神道や闇斎の垂加神道なんてのがあったけど 村長が権威づけのために先祖崇拝を村人に強要する日本の仏教もどきが儒教だと思われる。
儒教には古代インドみたいな理数系のセンスが全くないのでねずみ講みたいに親が増えれば子が飢えるシステムなんだよな むかしの人から見て仏教や道教が独自の世界観や哲学が発展しているのに比べて
儒教がひたすら忠孝を説いているのはスケールが小さく感じたかもしれないね
そのあたりを整備していったのが朱熹で儒教においては革命的だったと思う
孔子から見たら「どうしてこうなったwww」かもしれんが 朱熹をはじめとした宋学はホンマに革命的やったと思うわ
儒教に宇宙観と大きな体系を与えて人倫から自然までを語れる壮大な哲学体系にまで進化させた
朱子学批判のほうがのちに強くなるから朱子学の肯定的側面が評価されることが少ないのが勿体ないンゴ
朱子学があってこそ徂徠や仁斎みたいな批判者も生まれたんちゃうかな https://i.imgur.com/A4TNnD4.jpg
清の康熙帝は17世紀になって「万世師表」の儒教の模範たるべき七十二賢人に
全く別の時代の朱熹を新たに加えて顕彰したくらいやからやっぱり偉大な人物やと思うわ 朱熹は出世できなかったのが不満で、それをモチベーションに体制批判の学問
「俺の儒教が一番正しい」を生み出したのに、いつの間にか体制擁護の学問にされてしまった。
きっと李氏朝鮮の所為だな 宋学って生まれた時から中央集権的かつ官僚的な思想やろ李氏朝鮮関係ないわ
原住民の儒教についての知識は基礎知識すら怪しいな 朱熹は出世できなかったのが不満 ← これはあるかも
体制批判の学問 ← これはない
「俺の儒教が一番正しい」 ← これはある
体制擁護の学問 ← 最初からそうだってば
朱子学が当時の情勢として金に圧迫されていた南宋の正当性を主張しているという見方をすれば
「弱者が自己の正当性を主張する」という点で李氏朝鮮が共感して小中華思想に発展したともいえる
関係性はあるかも知れんが話の展開が滅茶苦茶 林羅山以降の徳川政権だって体制擁護イデオロギーの官学として朱子学を採用した訳やしなあ
何を言っているのか訳わからんやね… 朱喜が寧宗の待講から降ろされたのは思想内容で弾圧されたんじゃなくって韓タク冑との政争に破れたからだろ… >164
それは朱熹個人の失脚理由だろ
朱熹個人ではなく朱子学自体が弾圧されたのは、朱熹が批判した旧体制が復権したからだよ。 どう考えても朱子学(性理学)は体制批判の思想ではないやろ
基本的に朱子は官吏と学者の間で学問を大成した人物なんやし
あえて体制批判的な儒教を挙げるなら朱子の批判者だった陸象山と王陽明の陸王学のほうで特に内面に重きを置いた龍渓・王心斎の現成派(王学左派)や
日本でも陽明学を奉じた人間は大塩中斎・吉田松陰・西郷隆盛・真木和泉守と叛乱起こした例が多いしな 朱熹が個人的に皇帝の命に背いたって話は聞いたことあるけど学問が反体制的かなぁ…
政敵が朱熹とその一味を派閥ごと排除しようとして朱子学自体を弾圧したんでしょ
朱熹が死んだ後すぐに弾圧が弱められてるし
P.S.
儒教の反体制派といえば李卓吾先生 >>162
幕末になると西洋合理主義の成果としての黒船や科学技術を前に儒学は時代遅れとなります。
何故なら村の長老の知恵袋からはスペンサー銃や化学薬品は出てこないからな 儒教の欠点はまず排他的なところかなぁ…
まず西洋技術が優れていることは認められない人が一定数いたし
技術を認めている人も「和魂洋才」「中体西用」と言って精神面で抜け出せない人がいた
日本では早い段階で髷を切り落としたり魂ごと西洋化したのでなんとか追いつけたけど
中朝はそれが遅れたのが被植民地化の原因と考えている
あと保守的なところ
孔子が「周公の時代が最高だぜ!」と言ってしまったので今日より昨日のほうが良かったと解釈されてしまった
儒教原理主義者が通貨制度を物々交換に戻そうとしたり文明の発展を阻害する要因にはなったと思う
なお火薬の起源は中国 黒色火薬で花火が綺麗という水準で止まっている間に西欧ではノーベルがダイナマイトを発明というどうしようもない技術格差があるけどな。 幕末の佐久間象山や大鳥圭介がいい例やけど
ヨーロッパの科学を受容するうえで儒教の体系性は役に立ったと思うで
浄土真宗の僧侶だった佐田介石見てればわかるように仏教には洋学を受容できる素地がなかったし
清朝末期にも康有為や梁啓超がいたし朝鮮にも朴珪寿がおった
19世紀東アジアの知識人がヨーロッパの学問を理解する上でのベースになってるんちゃうか
毛沢東やホーチミンの世代になってくると儒教が縁遠くなってはくるが 浄土真宗は仏教ではない土着宗教だからそうなるな。福沢諭吉のいう百姓の未開人では文明を理解できないとなる。
そこでカルト宗教の出番ですよ まあ儒教には本質的に古代(周代)を理想化する下降史観があるやね
丸山眞男が近代意識の萌芽を見た荻生徂徠でさえ「先王の道」は六経を生んだ夏・殷・周の三代を理想とする下降史観やし 福沢諭吉に限らず当時は階級社会なので百姓なんて苗字も許されない程度の人間だと認識していたしその通りというだけだよ。 25〜26日にかけてえらく伸びてたのに元の過疎スレに戻ってしまったね
若干話が噛み合っていなかったけど話し相手がいないとスレが伸びないね
すると孟子が論客として名を残したのも墨子が話し相手になっていたからかもしれないね 弁証法的な主張になるけどライバルがいたからこそ伸びたというのはあるかも🙄
諸子百家の中の儒家
六師外道と仏教
ユダヤ教四学派とキリスト教
ジャーヒリーヤとイスラム教
仏教や儒教という外的な刺激がなければ神社神道が成立したかは疑わしいやね🤔 孔子の母親の顔徴在が孔子を産んだのが17歳ってのはまあええんやけど
その時父親の叔梁コツが70代の老人だったってのは史実なんやろうか?
孔子の異常な体格と同じく公洋学派が後世に脚色したような気がしてないでもないわ
父親も宋代に「斉国公」、元代に「啓聖王」なんてすごい号を追贈されとるね
これも素王説の一巻やろか 小玉敏彦「東アジア近世社会における儒教受容の諸相(II) : 李氏朝鮮社会の場合」
https://ci.nii.ac.jp/naid/120006466019
>阿部吉雄の朝鮮儒学に関する研究は,戦前に出版された『李退渓』〔阿部1944〕と
>戦後に集大成された『日本朱子学と朝鮮』〔阿部1965〕である。
>彼の研究は,李退渓(李滉)の儒学思想が日本の江戸期に与えた影響に関する研究と
>李退渓自身に対する研究に分かれる。江戸期の日本の藤原惺窩,林羅山,山ア安斎などの
>儒者は李退渓の著述に接しその影響を受けた。特に山ア闇斎は李退渓の書物を深く研究し,
>その価値を高く評価したとする。李退渓の書物は江戸期の日本で8 種までも印刷され,
>李退渓は闇斎学派からはもちろん他の学派からも崇拝を受けたとされる〔阿部1944 p.3〕。
山崎闇斎の崎門学派と李退渓の関係は深いんやな
阿部吉雄の本って古そうやけど読んでみよ 「吾少也賤」って書いてるくらいだから出自は大したことなかったんだろうけど
孔子の母親ってシャーマンだったんやっけ? 顔徴在は何かしらの宗教行為を生業にしていたから文字の読み書きができてそれを孔子が学んだと言われているね
出典が孔子世家なのでそもそも顔徴在って名前自体が創作かも知れないけど 顔徴在と叔梁コツの存在がよくわからないのはそこやね
『史記』の記述をそのまま受け入れてもいいものなのか… 「陰陽五行の惑溺を払はざれば窮理の道に入る可らず」って福沢諭吉の『文明論之概略』にあるけど
そもそも窮理が「格物窮理」って朱子学の言葉な訳やし
諭吉の儒教批判って儒教的なロジックを用いて儒教を批判しとるから不思議やね http://www.seido.or.jp/cl02/detail-6.html
来月になると各地の孔子廟で釈奠(孔子祭)が開催されるので見学してみるとええで
三牲をはじめお供え物の様々が面白い
湯島聖堂の釈奠は過去の祭式が喪われて神道色が入ってしまってるのが残念やけどね
神田明神の神職が来て式を取り仕切っとる 現代まで生き残ってる数少ない漢学塾が二松学舎やけど
ここ開学した三島中洲って陽明学者なんよね
実業家の渋沢栄一やフィクサーの安岡正篤も陽明学を学んでたし意外と近代の陽明学者っておるね 到知出版社ってところがどうも安岡正篤関係の版元らしく陽明学の本を良く出しとる ワイ二松学舎出身や
昔は論語必修だったらしいけど今はさらっとやるだけやし
国文やったから中文のことはまるでわからんけどな
「東大の養老院」の要素は今でもある
都道府県の教員採用試験で陽明学系の問題が出るときはほぼ間違いなく二松学舎出身の教員がわるさしてるという噂や 読書スレから来たで
やっぱり五胡十六国の時代に儒教と仏教がフュージョンしたのは大きかったんですかね。
後漢末〜魏晋のあたりの儒教って立身出世のツール化してて学閥と地縁ですべてが成り立ってる世界でそこからハブられた寒門や五胡の連中がひたすらヘイトを溜め込む構造やし。
(後の唐で遊侠あがりの李勣が宰相になったりするのとは偉い違い) 儒家はまた儒学、孔孟思想、孔儒思想とも言われている。中国に起源し、同時に他の周りの東亜地域の国に影響を与え、伝播された文化主流思想、哲理と宗教体系である。
紀元前5世紀に孔子によって創立され、周朝礼楽の伝統から生まれ、仁、恕、誠、孝を核心価値とし、君子の道徳修養に重点を置いて、仁と礼の相補相成を強調し、
五倫と家族倫理を重視し、教化と仁政を提唱し、労役を軽くし税金を減らし、暴政を攻撃し、礼楽秩序を再建し、風俗を改め、国を守り民を安んじ、入世の理想と人文主義精神に富む。 儒家は孔子を聖人としてあがめ、四書五経を経典とし、孟子、荀子、董仲舒、韓愈、二程、朱熹、王陽明、顧炎武、朝鮮李退渓、日本山崎暗斎などの大儒を得て発揚し、長い時が経ってもなお新しい。東亜の政治文化と道徳の教育には大きな貢献がある。
20世紀、中国は内憂外患、国力は衰弱し、儒家はあまねく知識人と一般民衆の批判と唾棄を受け、前例のない打撃と破壊を受けた。
学者は一般的に儒家は現代世界では昔の輝きを取り戻すのは難しいと考えているが、その倫理思想は東亜ひいては世界の文化教育経済の発展にも貢献している。
儒家は最初に現れた時は勢いが弱く、初めは諸子百家の中の目立たない学派であった。何百年の発展を経て、百家から抜きん出てきた。中国の学術思想の主流と公式イデオロギーになり、次第に専制政治の各方面と社会生活の各方面に浸透した。 儒教は秦の時代に迫害されたが、漢の時代から朝廷の独尊を得、官学と国教になり、文化教育と朝廷に入る道を掌握し、儒家が中国の歴史文化における崇高な地位を築き上げた。
両晋南北朝と唐代では、儒家と仏、道の二家が三教と呼ばれた。儒学は一度哲理思想領域での指導地位を失い、宋儒によって改めて解釈され、理学を形成し、心性の学を発展させ、儒家は勢いを立て直した。
その倫理思想は中国社会の各方面に浸透し、朝鮮、日本、ベトナム、琉球などに伝播し、尊敬され、東亜の一大学術思想体系となった。 道端良秀『仏教と儒教』(レクルス文庫)って本を読んだんやが
中国仏教史に儒教が与えた影響の大きさを分析してて面白かったで
宋代には『玉歴宝鈔』という儒仏道の三教融合の立場から死後の世界について書いた庶民信仰の本があって流行したそうや 岩波文庫から出た和辻哲郎著の孔子は参考書として読むのがよいのかな 小島毅は靖国問題の時もそうやったけど中国思想研究者の中でも時事について発言することが多いので
今回の元号についても何かしら発言するんちゃうかな
『天皇と儒教思想-伝統はいかに創られたのか』なんて新書も書いとるしな
>>194
ええ本やで
あくまでも和辻倫理学から読み直した孔子像って点は否めないけど
和辻倫理学自体が「人間同士の関係性」について考えた思想やから人倫を説いた孔子との相性はええので
さほどおかしな事は言ってないしね 和辻哲郎は学位論文の「原始仏教の実践哲学」を京大に赴任したら歴史学の原勝郎にボロクソ言われたらしいな
原勝郎はとにかくおっかない人やったらしく林達夫もヴィーコの本を借りようと史学科の書庫に入ったらカミナリを落とされたとか『思想のドラマトゥルギー』で言ってたわ
『波多野精一全集』の月報かなにかでも東京から赴任した波多野や原は子供が関西弁になるのが許せなくて
原は子供が関西弁で喋るたびにゲンコツ食らわせてたとかいう話もあった気がするンゴ
でも原の『東山時代における一縉紳の生活』はホンマ名著やね
三島由紀夫も東文彦あての十代のころの書簡で絶賛しとるし(どんだけ早熟なんやって話やけど)
西郷信綱も風巻景次郎の西行論の解説で、風巻の初期論文「定家伝と時代相」は原のこの本に影響されて書かれたって書いてたし 阮ズーって18-19世紀のベトナムの儒者が面白くて清代の『金雲翹』を翻案した『チュエンキウ』って恋愛小説書いてるんよな
恋愛小説書くような儒者なんて珍しい…珍しくない?
西洋史と国史の両方を研究しとった原勝郎は面白い存在よなあ
戦後に黒田俊雄の「顕密体制論」で批判されるようになったとはいえ「鎌倉新仏教」って概念を唱えて
日本版宗教改革やって言い出した一人やしね 儒教の恋愛観ってどんなもんなんやろ?
『礼記』に「斉家」が大事と書かれとるから結婚と生殖を中心に置いた家族的なものなんかな wikiから引用やで
母方の従姉妹やから結婚したのは親の仲介だろうし離婚したのも親の指示やね
夫婦仲はよかったみたいやけど姑と折り合いが悪かったようで
陸游
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E6%B8%B8
20歳になり、母方の従姉妹である唐婉と結婚し、仲睦まじく暮らしたが、陸游の母は2人が結婚してから不幸が続くことから占い師に相談した。
占い師は、陸游と唐婉がこのままいたら不幸が続くとして、離婚を勧めた。母も、唐婉が子供を生まないこともあって占い師の意見に従い、2人を離婚させた。
のちにそれぞれ互いに他の相手と再婚し、沈園という庭園を散歩中に偶然再会する。そこで交わした詞「釵頭鳳」は有名である。
陸游の唐婉への思いは、後年折に触れ彼女のことを追憶する詩を作るほど深いものがあった。 金多希「儒教社会を生きる女性たち―「列女」と「七去之悪」を手がかりとして―」
宇都宮大学国際学部研究論集 2014 第37号, 109?117
https://uuair.lib.utsunomiya-u.ac.jp/dspace/bitstream/10241/9126/1/37-10-Korean.pdf
李氏朝鮮時代の女性に対する儒教道徳では「列女」が顕彰された一方で「七去之悪」をもって抑圧したそうや
でも七去説って離婚の自由でもある気がするんやけどそこはどうなんやろね 大陸だと所謂「処女厨」とか「貞女二夫に見えず」的な感覚って北宋辺りからじゃ。隋唐の頃なんて異様なほど女の自己主張が激しくてすぐに離婚だの「旦那が妾作った?よし殺す!」だのやたらアグレッシブ 湯浅邦弘編『概説中国思想史』(ミネルヴァ書房)を読んでるんやけど
元朝もフビライとアユルバルワダの治世になると科挙を再開したりして積極的に儒教を採り入れてたんやな
考証学が伸びた清代ほどではないにせよ許衡に呉澄と有名な儒者も元代にはおったし
こういう風に異民族王朝でさえも教化してしまうあたりは思想としての強度を感じるンゴ 小島祐馬の「中国思想史」もkindle化されたンゴ >>206
かなりかっちり書いてるし特におかしな内容もないやね
あえて言えば清代の顧炎武・黄宗羲・康有為の名前を出してくれるなら
朱熹の紹介箇所で二程子と陸象山の名前も挙げてほしかったかもって…くらいやな 四書集注以前は『孟子』ってそこまで重要な位置占めてなかったんやね
唐の韓退之が再評価に先鞭をつけたみたいやけど
現在の地位にまで引き上げられたのは四書集注以降というから朱子はやっぱり大きな存在やね 『中庸』の未発已発論って面白いやね
こういう内面への傾斜も朱子学の特徴やなあ 朱子は陸象山との交流見ててもかなり度量が広いイメージ >>212
呂祖謙もおったしね
朱陸論争はおもろいやね 論敵同士でも個人レベルでは濃い交友があるのが宋朝ならではって感じやね。 47文字で無常を詠んだいろは歌もすげえとは思うんやけど
全て異なる漢字1000文字で森羅万象を書いた千字文もすごいやね https://i.imgur.com/WPjWlI9.jpg
三浦梅園って面白い存在やね
朱子学の自然学の側面を独自に発展させた人 戦前くらいまで使われてた「就中(なかんずく)」って不思議な言葉やな
漢文訓読体から生まれた言葉やったけど訓点資料には出てこないという 就中って最初に見たの安彦良和の漫画やったわ(ガンダムオリジン) 『現代思想』の2014年3月号の特集「いまなぜ儒教か」に載っとる
井上厚史「封印された朝鮮儒教」っていう論文がおもろい
「宇宙太虚一元論」の徐敬徳(1489-1546)や「気の哲学」の崔漢綺(1803‐1879)という
今まで日本の朝鮮儒教研究では論じられてこなかった朝鮮の儒者を紹介しとるンゴ
この論文読むと従来の日本の朝鮮儒教研究のフレームワークって狭かったんやなと思った(こなみ) 難しい儒学の話になっちゃって一見さんが離れていってしまったな
なにか素人うけするような話題はないものか 教科書的な説明やけど元々は経世済民の政治思想だった儒教が
北宋の周敦頤と二程や南宋の朱熹によって宋学って巨大な哲学体系を獲得するんやね
人倫や政治や経済だけじゃなくって理気二元論で世界構造まで語れるようになったんよ
朱子以降の儒教はきわめて思弁性が強く形而上学的な性格が強くなったんやね
そうした宋学が朝鮮や日本にも輸入されて
朝鮮では李退渓や李栗谷
日本では山崎闇斎のような厳格な朱子学者が影響力を持ったんやけど
朝鮮の場合はそこに両班の政争が絡んで有名な「士禍」が起こってしまったんやね
その辺をふんわりとしか把握してないネトウヨが朝鮮の儒教を知ったかぶりして批判してるんやと思うで
もちろん荻生徂徠たち古学派を評価した丸山眞男やセマウル運動を推進した朴正煕みたいに日韓双方に
朱子学を批判した近代主義者がいたのも事実やけどね >>226
すっごいわかりやすい…
朝鮮の儒教はきちんと掘れば負の面も含めいろいろわかるのに、ネトウヨは勝手なイメージで論じるからな >>231
仏教は個人の救済を目指す思想だから人の為にはなるけど
現世否定した思想だから世の為にはならんで
儒教は経世済民の思想だったから世の為になるんで中国日本朝鮮ベトナム琉球で統治のイデオロギーになりえたんやし 世界遺産になってる山東省曲阜市の孔廟(孔子の霊廟)孔林(孔子一族の墓地)孔府(孔子一族の邸宅)の「三孔」は一度訪ねてみたいンゴ
北京の孔廟和国子監博物館でさえ湯島聖堂と比べ物にならんくらいクッソでかかったから
それよりはるかに大きい曲阜の「三孔」って想像つかへん・・・
https://i.imgur.com/ge72bSq.jpg
https://i.imgur.com/qLBeCxS.jpg
https://i.imgur.com/YpLRwVc.jpg 韓国が「中国には従順、日本には攻撃的」な理由
韓国人にこれだけは言っておきたい日本人の本音
2019.8.5(月) 武藤 正敏
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57220?page=4
これまで述べてきたように、韓国では日本との歴史問題について今も多くのわだかまりを持って見ている。中国との歴史問題への扱いを見ると一目瞭然である。日韓関係を改善させるためには、このような韓国の歴史に関するわだかまりを和らげることが不可欠である。
韓国が中国に対しては歴史問題を持ち出さない理由は、おそらくかつて中国が宗主国だったという経緯があるので、「中国に対しては強いことが言えない」という意識があるのだろう。事大主義である。
反面、日本は歴史的に韓国から文化を学んできた「弟子」であり、その「弟子」が「兄貴分」である韓国に対して行ってきた歴史的な数々の行為は許されない、という感情が働くのかもしれない。
そうした優越感と、その裏側にある劣等感を取り除き、歴史を客観的に見ることが日韓関係を立て直す基本になるだろう。
客観的視点なくして歴史問題での接近はない
戦後の日韓関係において、日韓の歴史問題が起きるたびに、両国は歴史共同研究を発足させ、政治的解決を図ってきた。しかし、それに出てきた韓国の研究者は国民感情を背に強硬姿勢を貫いてきた。
日本の研究者が、「事実はこうなのだから、良く確かめてほしい」と発言したところ、韓国側の出席者は「あなたは韓国を愛していないのか」と答えたそうである。
これでは歴史共同研究をいくらやっても成果はないだろう。ドイツとフランス、ポーランドの歴史研究に成果があったのは、国民感情を排して事実を突き詰めていこうという合意があったからである。
韓国の歴史研究は、「韓国の論理に歴史的事実を如何に当てはめるか」との見地で行われている。事実を事実として受け止めることをそろそろ始めて欲しいものである。
そして歴史を客観的に理解する。日本も戦後韓国を多大に支援してきた。それを理解することで歴史に対するわだかまりを捨てることができるであろう。そうなれば、韓国の中国を見る目、日本を見る目が平等となるのではないか。 ジャップの差別的な風習や伝統はだいたい儒教のせいだと思うんだが
ネトウヨの脳内では儒教=悪いものになってる
つまりジャップの上下間系とかなくしてくれるってことでええか?儒教否定した毛沢東を評価するってことでええか?
わいは男や年長者や家族など一切敬う必要ないし、消え失せろとおもうが
そういうとそれはそれでネトウヨが否定してくるし
ネトウヨは中国は文革で伝統が壊れたとかほざくくせに
一方で中国は儒教に縛られてるとかほざく
ネトウヨの儒教に関する言説はブレブレ まあ中国に関しては中国共産党が手のひら返したせいでもあるんだが、ネトウヨはそれを理解してないと思う >>236
ネトウヨこそ自由人権民主主義の保証された韓国に噛みつくのばかり必死で
中共には噛みつけないへたれだよな
台湾でも韓国でも慰安婦像が被害にあったが
天安門広場で習近平批判することはできないヘタレ
心の奥底では韓国人が優しくて寛大だし命まではとられないとわかってるからそうなんだろう >>239 >>241 >ID:zTYyG7e7
ネタか? 釣りだよなw
あまりにもツッコミどころ満載で、安倍のマスク並みに感性のずれた在日オヤジだな、と微笑んでしまったわ 儒教が革命思想(暴君放伐論)なのを知らん左翼気取りのガイジがおるな(笑) 毛沢東なんて忠だけちゃっかり残してんじゃんあれこそいらねーな
後、文化財破壊は行き過ぎ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています