明や清の支配下にあったことから、李氏朝鮮が製塩に関して支配力を及ぼしていたという
話がよくあるんじゃが、実は明や清が李氏朝鮮に対して
「塩はウチから買え。勝手に造ったら滅ぼす」
なんて迫った事実は確認されておらん。

それどころか、塩に課する税は李氏朝鮮の大きな収入源の一つであり、三代目国王である
太宗は、高麗時代より続く国家専売制を強化すべく、「義塩色」なる官職を設けて塩税の
管理をさせておる。
塩が支那の専売下にあるなら、当然朝鮮の収入にはならんところであることに注意。

朝鮮における「塩」は、岩塩鉱がないわけではないが、やはり三方を囲む海から得られる
ものであった。
当時沿岸を荒らし回っておった倭寇をとっ捕まえて、塩田での作業に従事させたという記録
も残っておる。

そのことからも判るように、製塩は非常な重労働であり、しかも大量の燃料を必要とする
元手のかかる事業であった。
ところが、厳しい身分制のもと、そういう労働は奴婢や白丁にさせればよい、とばかりに勝手
に塩を作る輩が相次ぎ、これは朝鮮の山々が悉く禿山と化す原因の一つともなった。

要は闇塩の横行によって、燃料の管理運用がガッタガタになったため、李氏朝鮮はまともに
塩を作れなくなったというわけじゃな。