ちょい時間できたんで少し書いてみる

まあ、民主主義に何故「神」が出てくるのかって話をちゃんとやると世界史や政治思想、憲法論絡んでくるんでまず序論的にサックリと素朴にやってみる

「逆」に考えるとどうなるか?って、そこだけ予備知識不要な状態で考えてみてどうなるかってとこだけ述べてみる

「神」ないしは「超越者」が居ないまま平等を実現した場合、社会がどうなっちゃうのか

ここは「自由契約」を軸にしてみる
平等な二者が全く対等な契約を結んだとする
互いに守るならもちろん何も問題ない
しかし、片方が「裏切り」を行ったとしたら?
両者は力関係的には対等なんだから、できる報復も自分が相手にできる程度のもん
つまり、大した対抗はできない

じゃあ、国家や警察は?
その両者も、結局構成員は同じ「平等な人間」
圧倒的な権力で処罰することを認めたら、その権力を持つことそのものが「特権的/不平等」となってしまう
権力を公使することさえ、根拠を問われた場合正当性を失っちゃう訳で
つまり、平等が行き着く先は騙したもん勝ちの弱肉強食となってしまう矛盾に陥る

だから、「契約を監視し違反者を罰する絶対者」の前提が必要となる
超越的な倫理、聖書的「罪と罰」に於いて、契約を破ることを畏れとして認識させる観念をスタートにせんとならん

まあ、これだけじゃまだ足りないんだけど
それだとキリスト教の絶対神と日本の「お天道様」で何が違うのか明確じゃないし
その辺はどうしてもプロテスタンティズムの歴史から説明せんといけないから、また改めて