0392マンセー名無しさん垢版 | 栗砲2019/05/27(月) 00:27:29.46ID:2zZghzuk 明治・大正のころは、米国人は牛の内臓は捨てていた。 捨てるのはもったいない、中の内臓から食べられるものがないか? と考案したのが仙台の伊達の牛タンを七輪で炭焼きにした <タン塩焼>きであった。 その後も、牛の尻尾で作った、塩味のあっさりテールスープに、 麦飯を添えて。現代の「牛タン定食」が完成した。