明治・大正のころは、米国人は牛の内臓は捨てていた。

捨てるのはもったいない、中の内臓から食べられるものがないか?
と考案したのが仙台の伊達の牛タンを七輪で炭焼きにした
<タン塩焼>きであった。

その後も、牛の尻尾で作った、塩味のあっさりテールスープに、
麦飯を添えて。現代の「牛タン定食」が完成した。