>>211

 彼が一躍有名になったのは、盧武鉉政権下で発足した強制動員被害真相糾明委員会の
事務局長に任命されてからだった。

「日帝強占下強制動員被害真相糾明等に関する特別法に基づき設置された
真相糾命委員会では、被害実態の調査、被害者、遺族の認定などに取組んだ。
盧武鉉、小泉会談で決まった日本に残る民間徴用犠牲者の遺骨返還問題の際には
チェ・ポンテ氏も事務局長として日本にたびたび来日し、
遺骨収集などの交渉で手腕を発揮していました」(ソウル特派員)

 政府委員の立場として当時から強制動員や徴用工問題に取組んでいた。

「当時のチェ・ポンテは被害者を助けていたし、多くの会議を開くなど尽力をしていた。
『私は公務員よりも、在野で被害者のために働く』と公言していました」(韓国紙記者)


「いろんな裁判を起こすために花火をあげる節がある」

チェ・ポンテ氏(筆者撮影)
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 被害者のために奮闘するその姿は、薬害エイズ問題で名を上げた
若かりし頃の菅直人氏(元厚生労働大臣・元総理大臣)を彷彿させるものがある。
実際に朝日新聞も、チェ・ポンテ氏の若さと情熱に溢れる姿を紙面で絶賛していた。

 しかし彼は、弁護士としては毀誉褒貶のあるタイプだったようだ。

「クレバーなタイプなので説得力のある話をするのですが、一方で山っ気も強い。
『裁判は勝たないとだめですよ』が口癖で、いろんな裁判を起こすために花火をあげる
節がある。在韓被爆者のため、原爆を落とした米国相手に補償を求めるつもりだ、
などと話していたこともあります」(チェ・ポンテ氏を知る人物)

https://bunshun.jp/articles/-/12086