でも本当に北鮮の工作員として働いていたやつらもいたよな
特に4・3事件で密入国してきた連中には

https://www.tokyo-np.co.jp/article/123477/

軍事政権下の韓国で、帰国した在日韓国人らが北朝鮮工作員にでっち上げられた…苦渋の記憶「語り継ぐ」

 韓国で1960〜80年代、軍事独裁政権の情報機関が、日本から帰国した在日韓国人らを北朝鮮の工作員にでっち上げる「スパイ捏造ねつぞう事件」が相次いだ。再審で無罪判決が出たが、拷問のトラウマ(心的外傷)が残る被害者も多い。南部の済州島で、名誉回復に挑む男性を訪ねた。 (済州島で、相坂穣)

 「怪しい家」。風変わりな名のゲストハウスが、済州の市街地の外れに立つ。「スパイとしてずっと怪しまれた私の家だから、この名を付けた」。家主の姜光保カンクァンボさん(80)が語り始めた。

 41年に済州島で生まれた。45年に韓国は日本の植民地支配から解放されたが、48年以降、韓国軍などが済州島民を反体制勢力として虐殺する「4・3事件」が起きた。絶望して日本に渡る若者が多く、姜さんも20歳で密航した。

 朝鮮半島出身者が多く暮らす大阪市生野区のメッキ工場などで働いた。同じ密航者の韓国人と結婚し、2男1女をもうけたが、79年に、不法滞在で摘発された。長女と長男は小学生になっており、永住権を申請すれば認められる可能性があったが、両親が残っていた済州に、帰郷した。

 だが、済州空港で飛行機を降りてすぐ、当時の情報機関だった韓国中央情報部(KCIA)に拘束された。情報部員たちは、姜さんが日本で事実上の北朝鮮大使館の機能を持つ在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の影響を受け、韓国国民を扇動する工作活動を仕掛けるために帰国したと決めつけた。

 服を脱がされ、警棒で殴打されるなどの拷問を受けたが、身に覚えはなく、答えようがなかった。3日後に釈放された。

 1カ月後、今度は、警察に連行された。電気拷問で痛めつけられた。捜査員たちが24時間、交代で出入りし、睡眠を許されなかった。意識がもうろうとする中、2カ月後の79年10月26日、朴正熙パクチョンヒ大統領が暗殺されたという新聞記事を読んだ。拷問は突然やみ、まもなく釈放された。