ジャックス/早川義夫 その3
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水橋:早川(義夫)くんは最初、ナイチンゲイルという3人組のユニットを組んでいたんです。
僕が加入した時には、すでに谷野(ひとし)くんもメンバーだった。
僕が早川くんのところへ初めて会いに行ったのが1967年6月7日で、
その3日後には『バイタリス・フォークビレッジ』っていう、当時アマチュアフォークの登竜門だったニッポン放送のオーディション番組に出演してるんです。
水橋:しかも、生放送(笑)。それが僕のデビューライブです。
ギターもまだ持っていなくて、谷野くんから12弦のアコギを借りて“からっぽの世界”や“マリアンヌ”を演奏した。
いい加減だったんですよね、当時は。
その後、当時の彼女から借りたエレキギターを持つようになって……。
僕は自分でギター買ったことないんだ(笑)。 水橋:ジャックスは、いい加減なバンドでしたよ。
早くレコーディングを終わらせて遊びに行きたいとしか考えてなかった(笑)。
世間からは、「どうせあいつら新宿風月堂(谷川俊太郎や唐十郎、寺山修司などが出入りしていた名曲喫茶)に入り浸ってるフーテンだろ」なんて思われていたけど、
実際その通りだったからね(笑)。
そういう匂いや空気が好きな人たちは喜んでくれるけど、
大半の人たちは「なんなんだアレは?」って感じですよね。
水橋:当時、仲が良かったのはザ・フォーク・クルセダーズの加藤(和彦)くんくらいだったかな。
加藤くんも、洋楽の音を研究しまくっていました。
「どうやって鳴らしたら、こんな音が出るんだろう」って。
座布団叩いて音を加工してみたり(笑)。
だからザ・フォーク・クルセダーズも、その後に彼が始めたサディスティック・ミカ・バンドも立派に成長した。
GSも盛り上がっていたけど、その中では、山口富士夫がやっていたダイナマイツやザ・スパイダースが良かったね。 水橋:今聴いてみても、『ジャックスの世界』はすごくポップなアルバムなんですよ。
それは、僕と木田高介くんの趣味ですね(木田は、ジャックス解散後に編曲家となり、かぐや姫“神田川”、ダ・カーポ“結婚するって本当ですか”など数々のヒット曲を手がける)。
でも、それ以降は曲がつまらなくなって辞めたんです。 水橋:一番大きいのは、8つ上の兄の影響ですね。もう亡くなってしまったんですけど。
彼はジャズに傾倒していて、かまやつひろしの親父さん(ジャズシンガーのティーブ・釜萢)に師事していたんですよ。
それもあって、普通の家よりは色んな音楽が流れていたと思います。
水橋:The Beatlesを聴いたのは中学3年生の時だったかな。
日本では『抱きしめたい/こいつ(I Want To Hold Your Hand / This Boy)』(1964年)が彼らのデビューシングルだったと思うけど、
親からちょろまかしたお金を持って、
豪徳寺のレコード屋まで買いに走ったのを覚えています。 武蔵新城の本屋オーナー時代の早川氏と奥様を何度もお見かけしました。
漫画はつげ義春しか置いてませんでした。 そういえば、つげ忠男の漫画も置いてました。
10年ほど前に早川書店の跡地に行ってみたらVHSビデオの店になっていました。
そこで100円のビデオを買いました。
次に行ってみたらビデオの店は閉店していました。 残り未発表音源は
二人組の時の
イエスタデイと、いい娘だね
二曲 >>115
ふるさとの歌とかいうのもあったから三曲じゃない?ごく一部では出回ったみたいだけど。
あと、ライブ音源は未発表のものがいくつかあるみたい。 50周年は
水橋春夫在籍時の秘蔵写真
ファンクラブ会報全冊
未発表音源&全ジャックスショウ音源(第1回目は音源無し)
でBOXセットね。 初代ギタリストの高橋氏が在籍して居た頃の4人編成でのライブ音源は
流石にないんだろうね。 休業宣言来ちゃったよorz
いつかは来ると思ってたけど、 いつでも当たり前のようにあると思ってたライブスケジュール
無いとやはり淋しいな 葬式鉄じゃないけど、休止分かってたら単独以外のイベント出演だって無理して行ったのに(T^T) 前回の鈴ん小屋のMCが?な感じだったんだけど本当に休業宣言来たか
また本屋やるとも思えんし何をやんだろ… 歌い続ける事は
常にマンネリズムとの戦いなので
嘘つかずに歌いたいための休業なのかもしれないな
初期衝動を取り返すための休業なのかもしれないな 山崎春美が、新ガセネタを結成した具合かw
キツイ感じもあるが。 奥様の介護とか、歳も歳だしと。
奥様についてあげたいと。 離婚はしてなかったぽいね
でも妻はなんか違うらしく言い方変えてたけど
最後な感じが全然しない何時も通りのライブでした
ただ最後はいつかで締めて欲しかった >>130
あがた森魚が普通に客で居たわ
頑張ってチケット取ったみたい 七尾さん、ライブ終わりで1階の椅子に座っていて目立ってたな。 確実にどんな人でも可能な稼ぐことができるホームページ
関心がある人だけ見てください。
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MP1 ほんと、アーティスト オブ アーティストだったんだな。 早川義夫の一番いいところは政治力ゼロな事だな
七尾のような変な政治的なこという奴はファンやめてもらいたい 木田高介 本名 桂重高
木田惠子(母親で精神分析者) 本名 梶原恵美子
Wikipedia調べ
?名字が違うけど親は離婚したのかな、そして母親は息子のペンネームの木田をもらったのかな 水橋さん亡くなったそうだよ
日曜日のライブ楽しみにしてたのに… 追悼うp
Live '68'7'24
https://www.axfc.net/u/3927641
パスは小文字でジャックス 実は独りになりたい故に
馬鹿みたいに沢山の人と話すのだ
SNS時代を予見していたような… ジャックスの世界のジャケ
水橋一人だけ子供みたいだった 早川さんが復帰した時は、昔と印象が違ったから最初はちょっと戸惑ったけど、
水橋さんの時はギターが鳴ったらすぐ、ああ、ジャックスの音だ!って思った 早川復活時の達観したような正直な歌詞っていうのがどこかで見覚えあるなと思っていたのが最近わかった
復活というか久しぶりにメジャーでやり出した頃の岡林信康にそっくりというかあれに触発されていたと思う >>156
オルタナティヴ臭がムンムンして
カッコいいよね 海外に持っていくとさっぱり評価されないよねジャックス YouTubeのジャックスのコメント欄にちらほら英語の書き込みがあるけど
何で外人が日本でも知名度の低いジャックスを知ってるの? ファーストの水橋の写真が育ちのいいお坊ちゃん風なので、
ジャックスを知ってから20年ぐらい勝手なイメージで「こいつが谷野ひとしってやつでベースだろうな」と思い込んでた
まさかあのいかついギターサウンドの主がこの人だとは、夢にも思わなんだ
それにしても日仏会館のライブ盤を正式に再発してくれんかのう、、、アナログでw
緑ジャケのブートは超愛聴盤なんだけど、音質がどのくらい違うのか知りたい
20年ぐらい前に一度、再発の予定がたったんだけど中止になったんだよなあ >>162
CD「Best of Solid vol.1」の水橋在籍期のライブ音源が
音質も良くて演奏もよかった あんぐら音楽祭の音源だっけ?
ああいうのがもっと発掘されないかなあ 日本のGSのマニアが海外に多いってことは
GSが海外にはない日本独自の音楽ってことを意味してると思う
しかしジャックスはGSではない
どう考えても こちらからすればエアロとボンジョビの区別がつかないようなものでは? ジュリアンコープは「シーズみたい」とか言ってたような
ぜんぜんちゃうやろと思うが、西欧人にはそう聞こえるんだろうな ジャックスをGSと思うやつもサイケと思うやつもどっちも的外れ ジャックスの評価は詞の部分も大きいからなあ
日本語が判らない海外の視点だと
ファズ使用のガレージバンドという部分で同時代のGSと同じ扱いになるのも仕方ないのでは
フルートやビブラフォンが入っているからアシッドフォーク扱いにもなりそう 早川と水橋
数年前に和解的なライブやったけど
その後、特に交流も無いし、
水橋は谷野参加でソロアルバム出すときに早川のゲスト参加も無いし。
お互い「人として」仲違いしたままでいるのはいけないと思いつつも、
「音楽面」では相入れなかったんだろうな どっちが悪いとか、そういうこと言いたいわけじゃない
人間関係ってそういうもんだ >>163
気になったんでCD発掘してきた
1968年3月27日「アンダーグラウンド音楽会」だそうだ
’69年の「あんぐら音楽祭」とは別物
で、会場が曲目一覧には「大阪サンケイホール」と書かれていて、
曲解説には「大阪フェスティバルホール」と書かれている。
調べてみたところ、この日フェスティバルホールでは、
「大阪フィル 第66回定期演奏会」が催されているので、
解説を書いた故・黒沢進氏の勘違いでしょうか?
この音源は最初期の貴重できれいな録音なのでフルで発表してほしいな >>170
早川さんは天性のフロントマンみたいなもので
楽器演奏で人のバックとか出来ないだろうしなあ
ピアノも弾き語りは素晴らしいけど、ゲストになるには独自の存在感がありすぎる
それこそ木田高介が生きていれば、間をつなぐ役割を果たせただろうけど
それは要するにジャックスだよね >>172
本当に貴重な音源だよね
水橋在籍時の音はあの劣悪なライブ盤だけだった
ただ色々な人が出たステージだったようなので他にも音源あるのかな >>173
木田高介は80年代初頭に亡くなってしまうけど、
ジャックス解散後にいろんなアーティストと仕事して、
それらの記録や文献読む限り、この人ってすごい人格者というか
イイ人だったんだなとわかる。
ジャックスも木田が生きてれば再結成の可能性はあったんだろうね 素晴らしいバンドは
すぐに解散して
みんな、いなくなってしまう。 >>175
俺が俺がの前に出たがる人が多い世界の中で
本当の意味で裏方が出来る人だったね マリアンヌのドラムスタイル
当時のポップスでは画期的だったと思う。 ポップスのリズムキープするドラミングではないね
効果音、SE的なドラム
むしろパーカッション的 コルトレーンとか好きだったんでは
フルージャズ的なセンス 木田氏も風月堂に通ってたならフリージャズ聴いてたかも。
水橋氏の話では
風月堂に通ってたのは早川氏と谷野氏と言ってたような
水橋と木田は風月堂は嫌いだったとか言ってたような。 木田高介のサックス聴いたとき、アイラーが好きなんだろうなと思ったけどね 木田さんの人柄についてはみんなの回想で大体分かるね
一番仲が良かったという水橋さんも今頃向こうで一緒に笑顔で飲めない酒でも飲んでるだろう ジャックスの世界での
谷野さんの
デタラメに暴走するベースも
カッコイイ 自分の中での3大ギタリスト
ジャックスの水橋春夫
ガセネタの浜野純
RCサクセションの破廉ケンチ
共通点は全員、活動期間が短過ぎるw The Stalinの初代ギターの金子あつしもかなり独特なギター弾いてた それにしても三枚目製作開始でこれからという矢先で残念
まだ録音もしてなかっただろうし 木田高介の遺品はまだ封印状態なのかな
孫世代以降になると捨てられそうで怖い 一定数予約来たら発売するっていってた木田のソロアルバムは発売決まったみたいだね レコード持ってるけど正直あまり出来の良いものではない 木田高介、桂重高氏亡くなったころの状況は、御母堂で精神分析家(フロイトの孫弟子にあたるという)木田恵子氏が自著「0歳人・1歳人・2歳人―やさしい精神分析」のなかで書いておられたのを読んだ覚えがあります。 週に一度の寝みもないほどの多忙な編曲作業がつづきく中、そうした流れから再度ソロ活動に転換しようとした時期の事故で、その深層についての分析だったと記憶しています。 タモリのラジオ番組のオープニングに 「DOG'S MAP & CAT'S MAP」が使用されていましたね。 なんかジャックスのアナログ再発の流れ来るみたいすよ
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ジャックス
ジャックスのアナログ7inch「からっぽの世界」「マリアンヌ」の再発盤が10月10日に同時リリースされる。
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「からっぽの世界」ジャケット
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「マリアンヌ」ジャケット
「からっぽの世界」は1968年3月、「マリアンヌ」は同年5月にインディーレーベル・タクトからオリジナル盤が発売され、今年で50周年を迎える。
今回リリースされる再発盤は日本コロムビアが所有するオリジナルマスターテープからカッティングされ、ジャケットアートワークもタクト盤のものが忠実に再現される。
以下略
ソース元
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180816-00000067-natalien-musi 木田 高介
『DOG'S MAP & CAT'S MAP』
https://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=0453&cd=DQCL-726
元ジャックスの木田高介、唯一のソロ名義アルバム初CD化!
「ジャックス」「高石ともやとザ・ナターシャー・セブン」などのメンバーを歴任した他、
作曲家・編曲家・プロデューサーとしても日本のフォーク/ロック創生期に重要な役割を果たした
木田高介(きだ・たかすけ:1949-1980)が、当時創立されたばかりのエピック・ソニーから
リリースした唯一のソロ名義アルバム、初CD化。
録音は全曲LAで現地ミュージシャンの演奏によるメロウなフュージョン・サウンドを展開。
本アルバム発表の翌月、木田は交通事故のため急逝した。
オリジナル発売日:1980年4月21日 >>197
今の今までずっと、きだコウスケだと思ってた! 奥さんの看病してるんじゃないの
よくなって戻って来てほしいね 60年代って「湖」てフレーズが大流行してたな
音楽に限らずウルトラマンウルトラセブンでも湖のロケが何回もあった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています