リンドン Part 1 【田中信昭 田中一郎 伊藤薫】
1974.5.5
「陽気な雨」でデビュー
メンバーは田中信昭、田中一郎、伊藤薫 リンドン
1976年7月20日
目黒区民センター
1.素敵なMusic
2.Birthday Party
ーMCー
3.キャンディ・ガール
4.恋のyeye
5.赤いドレスは着ないでおくれ
ーMCー
6.ふたりのフォトグラフ
ーMCー
7.これから二人は
8.踊ろよBaby
ーMCー
9.Come on Let's go!
ーMCー
10.悲しき想い
11.オレンジスペシャル
ーMCー
12.My Baby Rock'n Roll
7.と12.は、田中一郎作品
11.は、作詞:田中信昭 作曲:田中一郎 リンドン
1.素敵なミュージック
2.My Baby Rock'n Roll
ーMCー
3.赤いドレスは着ないでおくれ
https://m.youtube.com/watch?v=hJOcGUrDRMQ 1977年2月5日 新宿ロフト
リンドン&フレンズ 1部
1.2人のフォトグラフ
2.バースデイパーティー
3.恋のイエイエ
4.赤いドレスは着ないでおくれ
5.どうにもならぬ恋
6.素敵なミュージック
7.ー曲名不明ー
8.踊ろよベイビー
9.マイベイビーロックンロール
ーバスケットシューズ オン ステージ リンドン&フレンズ 2部
・千鳥橋渋滞(チューリップの曲)
・オレンジ色の喫茶店
V.CHAP(初代新宿ロフト店長)
G.田中一郎
B.田中信昭
D.松藤英男(甲斐バンド) リンドン&フレンズ 2部のつづき
10.わがまま娘
11.悲しき想い
12.雨の日にさよなら
13.抱きしめたい
14.プリーズMr.ポストマン
15.君なき世界
16.ダンス・ハ・スンダ
17.ロッキントゥザミュージック
18.これから二人は
19.ダンシングジョニー
20.ふたりのフォトグラフ
ー今井ひろし(バンバン)登場で、夜中の2時頃
までセッション ●1977年2月23日 新宿ルイード
リンドン解散パーティー 1部
1.陽気な雨
2.恋のイエイエ
3.ノー・リプライ
4.プリーズMr.ポストマン
5.夏の日の恋
6.プリーズMr.ポストマン(やり直し)
7.ダンシング・ジョニー
8.すてきなミュージック
9.バースデイ・パーティー
リンドン解散パーティー 2部
10.わがまま娘
11.赤いドレスは着ないでおくれ
12.雨の日にさよなら
13.どうにもならぬ恋
14.2人のフォトグラフ
15.踊ろよBaby?ツイスト&シャウト
16.ダンス・ハ・スンダ
17.これから二人は
18.君なき世界
19.悲しき想い
20.Rockin to the music
21.My baby Rock'n Roll
ーアンコール
22.Just Because せっかくスレ立ったことだし、ここに昔の一郎、リンドン、甲斐バンド、ARBのことをどんどん書き込んで欲しい。 田中信昭
「本格的にバンドやり始めたのが、大学の4年ぐらいかな。プロでやろうなんて、初めは全然なかったんですよ。
大学の時やってたバンドが、ラジオのコンテストで優勝して、割とトントン拍子に、なりゆきまかせみたいな。博多の場合、その頃、音楽が盛んでね。
チューリップなんかまだアマチュアで、フォークギターとウッドベースのビートルズ・ナンバーとかやってて、僕より3つか4つ上だったのかな。
僕と同世代なのは、甲斐バンドの連中とか、海援隊の千葉、モッズの森山とか。で、その1つ下の世代が長淵」 トリオのロックバンドなら1970年頃に成毛滋や陳信輝がやっていたけど 田中一郎
「野村ヨッチャンはギター300本持ってて高見沢は500本。俺はそんなに持ってない。髪の量はギターに比例するってことか!高見沢フッサフサだもんなー」 1974年10月8日 代々木山野ホール
リンドン フライングリサイタル
ーキンちゃんMCー
1.君だけに愛を(タイガース)
2.シーシーシー(タイガース)
ー谷村さん&ばんばさんMCー
3.早く雨が降らないかな
4.(曲名不明)
ーMCー
5.コンドルは飛んでいく(サイモン&ガーファンクル)
ー谷村新司MCー
6.抱きしめたい(ビートルズ)
7.エイト・デイズ・ア・ウィーク(ビートルズ)
8.ハードデイズナイト(ビートルズ)
9.抱きしめたい
10.わがまま娘
ーMCー
11.君なき世界
ーMCー
12.そんな君が
ーここからエンマくんが加わって4人ー
13.不思議な夢
14.(曲名不明)
15.落ち葉の季節
16.悲しき想い
17.オレンジ色の喫茶店
ーMCー
18.夏の日の恋
ーアンコールー
19.陽気な雨
20.オレンジスペシャル >>20
貴重な資料ありがとう。
鮎川誠と伊藤薫の対談なんてあったんだね。
Cricket Crewって書いてあるから、チューリップの会報かな?
伊藤薫のドラムがチューリップではあまり評価されてないのが残念。上田雅利が上手すぎたのもあるけど。 田中一郎のギター・アッパーカット2。今回は、木材以外のギターをアッパーカット!番外編
https://www.youtube.com/watch?v=ZzAHisRdBY0 リンドンがデビューした時、東芝EMIが
田中信昭の年齢を1歳サバよんでプロフィール
を発表していて、本人たちがプロフィールを
見てびっくりしたみたいで、MCでやたら
言っていた。
若いバンドというイメージを強くしたかった
みたい。
本人に相談もなしって、「ああ芸能界」という
かんじ。 田中信昭 1952年11月1日生
伊藤薫 1954年4月10日生
田中一郎 1954年12月8日生
…だから「陽気な雨」発売の1974年5月5日は、
田中信昭…21歳
伊藤薫 …20歳
田中一郎…19歳
だったんだけど…東芝EMIは、田中信昭を
1953年11月1日生の20歳ということにしたの。
MCでやたら
「田中信昭20歳です。本当は21歳です。」
と言っていた。 リンドンファンクラブのインタビュー
その場に安部俊幸さんがいたみたいで…
質問 :尊敬する人
いちろう「田中信昭サン」
かおる「チューリップの安部俊幸サン」
いちろう「チューリップの安部俊幸サン
ミュージシャンとしても尊敬」
かおる「人間的にも」
安部俊幸「いいよー」
1976年3月20日 新宿厚生年金会館小ホール
(ワンマンライブ)
1976年4月24日 新橋ヤクルトホール
(ワンマンライブ)
…の感想が載っているので、たぶんどちらかの
ライブの楽屋でのインタビューだと思う。
…安部さん観に来てたんだ… 田中信昭は福岡大学中退、一郎と薫は福岡大学付属大濠高校卒業して、そのまま福大には行かなかったのかな?松藤は行ってるよね?
甲斐バンドで唯一卒業してるのは長岡さんだね。
今は地元長崎でシーハット大村の館長してる。
唯一の理系大森さんは薬学部を中退…ちょっと勿体無い。 リンドンって、小ホールで規模は小さいけどワンマンライブやってたんだね!76年だから解散間際かな?
リンドンの人気のピークっていつだったんだろう。テレビ出演があったデビュー当時? >>33
高校3年の時に第一回ハッピーフォーク
フェスティバルで準優勝してしまったから
最後のほうは、高校に行っていなかったみたい。
卒業できるだけの出席日数があったから
卒業はできたみたいだけど。
来年は、甲斐バンド50周年だけど長岡さんは
戻ってこれないのかな?
1曲だけでもいいから… >>33
私は風邪をこじらせてしまって、1ヶ月ぐらい
咳が止まらなかったことがあったんだ。
それを大森さんに言ったら、大森さんは
「水をたくさん飲みなさい。」
とアドバイスしてくれました。
薬のことをよく知ってしまうと、恐ろしくて
薬が飲めなくなるという話をよく聞くけど本当
なのかな?と思ってしまった。 >>34
ワンマンライブもけっこういっぱいやっていたよ。
解散が1977年2月だから解散間際ではないよ!
1976年7月にアルバムのレコーディングをして
いるんだから、1976年て人気が安定してきた
時だったんじゃないかな?
ものすごい貧乏時代からも脱出したみたいだし。 1976年7月末
ファンクラブへのメッセージ
田中信昭
最近よく甲斐バンドと一緒になる機会が多いの
ですが、彼等とは「照和」で活動して 時期が
一緒なのと、長岡和弘、大森信和の二人が同じ
大学だった関係で、会えば昔話に美しくない
花を咲かせております。
荒井由実の詩の中に「時はいつの日でも
親切なともだち 過ぎていくきのうを 物語に
かえる」というのがありますが それが
なんというか、気に入っておるんですけど、
僕も学生時代から今まで いろいろ恋したり
ふられたり ふる人の相手になったり、
つらかった事 みじめだった事 たくさん
ありますが、今となっては すべて良い思い出
となって あざやかに よみがえるのです。 >>38 の続き
そうです みなさん ふられてもいい
人を愛しましょう 世界はひとつ!人間みな兄弟
百恵ちゃん すてき!
リリーズ かわいい!!
アグネスラムちゃん こっち向いて
キャー!!!
おわり 1976年7月末
ファンクラブへのメッセージ
伊藤薫
どうも かおるです。
ファンクラブのみなさん こんにちは。
何を書いていいかわかりませんが思い
ついたことを書きます。
ほんとにファンクラブができるまでに時間が
かかってしまって みなさん おまたせしました。
ぼくは芸能人 対 ファンという形ではなくて
みんなファミリーという形でありたいと思って
ぼくらがポールのファンであるように みんなが
リンドンのファンであってほしいですね。ハハハ
みんなで もっといい音楽を作り すばらしい
ショーができるように がんばっていきたいと
思っているのであります。
とりとめのない話しになりましたが 次回には
もっと内容のあることを書いて見たいと思います。
どうも すみませんでした。
それでは みなさま おげんきで。 1976年7月末
ファンクラブへのメッセージ
田中一郎
みなさん こんにちは。
ファンクラブへ入会ありがとう。おめでとう。
別にあらためて言うことなんてないけど、
みんなにとって楽しいファンクラブに
してほしいです。ネ。
僕達リンドンは、これからも いろんなステージ
をふんでいきますが、今まで同様に増々、客席の
みんなと、コミュニケートして行きたいと思って
ます。
そのために、いい曲、いい演奏を、できる限り
やって、いいレコードを作りたいと思います。
全部、あたりまえのことだけど、みんなと
楽しくやることが、僕の願いなのです。
これからも リンドン よろしく。 「12月の雨」 荒井由実
時は いつの日にも
親切な友達
過ぎてゆく きのうを
物語に かえる ファンクラブが出来たと思ったらすぐに解散?
ファンとの集いとかやらなかったのだろうか。 1976年2月にやっとファンクラブ発足で、
4月にメンバーにメッセージをお願いしたけど
忙しくて、書いてくれたのが7月末だったと
書いてあります。
7月20日にアルバム発売も発表したし、さあ
これからだ!というかんじの7月だったんだ
けど…
レコードは出なくて、明けて1977年解散でした。 ギターアッパーカット
ARB時代のギターサウンドが終わったら、
リンドン時代のギターサウンドもやって
くれないかな?
アマチュア時代〜プロ時代〜解散まで。
SG、フライングV… 今回のギターアッパーカット2では東芝、クリス・トーマス、モップス、甲斐バンドの神田共立講堂と大阪サンケイホールにゲスト参加したときにシンコーミュージックに誘われた等、リンドン時代の話題が多かったね
デビューシングル野良犬のエピソードとかポールモールの長さが8分もあってサンタナみたいなアレンジだったとかいろいろレアな話がきけて楽しかった
セカンドアルバムBAD NEWS編のレコーディング裏話もめっちゃ楽しみ >>48
私は、5人時代のARBのライブに1回しか行って
いないのですが、HIDEKI時代の曲ってファースト
アルバムに入ってない曲だらけだったと思う。
ジャンル的にロックじゃなかったし。
杉山清貴とオメガトライブみたいなバンドだった。
リンドンファン友達からの手紙に
「パパママロックンロール」が好きだと書いて
あるけど、私はとんな曲なのかもぜんぜん
まるっきり記憶にない。
音源残っていたら、デビュー前の曲をなんらかの
形で出してくれないかな? >>47
神田共立講堂、大阪サンケイ、それと
甲斐よしひろ「セイヤング」の
真夜中のパーティーのこと、「大森さんへの手紙」
に書いてある。 「甲斐バンド 神田共立講堂」でググってみたら
1976年12月20日で浜田省吾とのジョイントが
出てきたけど、それなのかな? 今回のアッパーカット、自分的には過去最高だった。一郎、別に宮城と険悪でもなんでもないじゃんとか、きちんと石橋を立ててあげたりとか、大人な対応は流石だなと思った。
これが石橋なら一郎、宮城の話なんてスルーするか、ディスるかのどっちかだな。 話しを聞いてて思ったのは、やっぱりARBは田中一郎のバンドだということ。
石橋凌でもキースでもない。
一郎ありきで出来たバンド。
神田共立での一郎を見て、シンコーが一郎に声をかけたらしいし、キースも一郎が連れてきた。その後もボーカリスト不在でもメンバー全員が歌おうなんて時期もあったらしいし、当初はやっぱり一郎のバンドとして色が濃かったね。 >>53
エンマくんも一郎が誘ったと言ってたよね。
…だってリンドンのサポートキーボードで
リンドンの準メンバーみたいな人だもん! >>53
ARBは、もともとは田中一郎を売るために結成
したバンドだもん!
ボーカルのみのボーカルがいないバンドで
デビューした可能性だってあったし。
リンドンはボーカルのみのボーカルがいない
バンドだからね。 7月1日の甲斐バンドの日比谷野外音楽堂は
WOWOWで生中継だって。 何で一郎はドラムにキースを選んだのだろうか?
まだ伊藤薫の方が上手いのに、他に居なかったのかな
その後に少し組んだ河村カースケは上手い HIDEKI時代のARBの淋しい街からの歌詞は「俺」じゃなくて「僕」だった。
チューリップや甲斐バンドのように。
僕は別に流れて行こう~♪
僕たちは急いで家に帰ったものさ >>58
リンドンから、そのままついていったリンドン
ファンの人たちは、HIDEKI時代のライブの
テープをみんな持っているよね。たぶん。 アッパーカットで、HIDEKI時代にテレビ出演したって言ってたね。
リンドンもバンバンのバックじゃなく、一郎がロン毛でかわいかった時代の映像が見たい。 原田真二「てぃーんず ぶるーす」 1977年10月25日発売
フジテレビの深夜番組
ARBはデビュー前なのにシンコーミュージックの力で出演できた
フリー、フェイセズの山内テツ(ベース)が参加したクリエイション
夜街(よるのまち) アルバムに入ってるバージョンになる前のもっとロックっぽいシャッフルバージョンで出演
石橋秀樹が加入する前の4人時代はドゥービー・ブラザーズみたいなバンドのイメージでやっていた
石橋秀樹が加入してからはローリングストーンズよりも(ロッド・スチュワートがいた)フェイセズみたいな衣装と曲のバンドにしたかった
https://www.youtube.com/watch?v=FUYt9C0so4M 田中、宮城がまん丸に太っていて、腹が出て
ギターまで、ベースまでの距離が凄く遠くて
見た目が良くないバンドだった。
何故ふたりであんなに太っていたんだろう?
…だからHIDEKIだけが、飛び抜けてカッコ良く
見えていた。 シンコー時代はスタジオ代無料、スタジオ練習後の飲食費も無料
すごく事務所に優遇されてたとキースが言ってた 一郎はフェイセズのサウンドを目指していたらしいがARBのファーストはキーボードの使い方とかモロ当時の歌謡曲
ライブでのサウンドは知らんけど 田中一郎はめちゃくちゃ頑張ってダイエットしたんだよな。
ワイルドローティーンガールの撮影時にはガリガリ。 5人時代のARBは、ぜんぜん好きになれなかった。
「BAD NEWS」を聴いて
「リンドンの音に戻った!」と思って、また
ライブに行きたくなった!
しかもリンドン時代は、まだ未熟だったかんじ
が、完成して行きたかった場所にたどり着いた
みたいなかんじがして感動してしまった。
事務所を独立して、やりたかった音を作れる
ようになったのかな?と思った。
でもライブハウスが怖そうなイメージでなかなか
行かれなかった。
お酒が出る、メンバーがお酒を飲むというだけで、
なんか怖かったんだ。 ベイシティローラーズのような売り出し方で大成功したのって、結局チェッカーズだけだよね?
ARB→メンバーの反発で事務所クビ
ローズマリー→可愛い人よでプチブレイク?ボーカル伊丹幸雄
レイジー→ある程度成功したけど長くは続かず、メンバー分裂後にそれぞれブレイク
チェッカーズ→言わずもがな >>69
チェッカーズはデビュー前シャネルズの猿真似でコンテストに出場していたのか 当時のシンコーミュージックにはレベッカとかプリンセスプリンセスはいなかったけど
舘ひろし、金子マリ&バックスバニーがいたらしい
https://www.youtube.com/watch?v=SoIWFLO8Ym8 >>71
友森昭一がメンバーになる前だったか…
田中一郎がレベッカのギターになるという
噂話が流れたことがあったよね。 一郎がレベッカ加入?
甲斐バンド解散後かな?噂あったのか… 花田裕之はPANTA
谷信雄はGO-BANG'SやECHOES
中村昭二は伊藤さやか アッパーカット、ARBが終わったら甲斐バンド、リンドンもやってほしいな。 1976年3月か4月のファンクラブの
リンドンインタビュー
質問 : 好きなミュージシャンは?
のぶあき「ポール・マッカートニーと荒井由実」
かおる「ボクは やっぱり ビートルズ
その他もろもろ」
いちろう「ボクは もちろん ビートルズ…
ポール・マッカートニー好きですが
たとえば かおるが最近手に入れた
レコードとか そういうので
すぐ好きになるタイプで 今いっぱい
いい音楽がありますね。世の中には。
みんな好きですよ。」 ラジオで、やたらセックス・ピストルズとか
パンクロックとか大騒ぎになったのは、
1976年の秋頃だった。
私は大貫憲章さんのファンで、ラジオを
いつも聴いていて、NHKのラジオの公開放送
とか、「音楽専科」のバナナキッズの集いとか
に行っていたのですが、大貫さんが突然
パンクにハマってしまって、ファッションが
パンクファッションに変わってしまったのです。
「限りなく雑音に近い音楽…パンクロック」
とか言われていて、世の中は大騒ぎだった。
田中一郎が一人、アルバム「BAD NEWS」の音
みたいな音に突っ走りはじめたのって、ちょうど
この頃だったから、田中一郎も大貫憲章さん
みたいに衝撃を受けて変わったのかな?
ギターアッパーカットでセックス・ピストルズと
クラッシュが好きだと言ってたよね。
かおるが新しく手に入れたレコードってパンク
だったりしたのかな? この疾走感がすごい演奏を聴くとリンドンは早すぎたパンクロックだったのかも知れません
クラッシュやピストルズと比較してもまったく遜色がないギターとドラム
https://youtu.be/hJOcGUrDRMQ?t=13s >>81
日本のミュージシャンは、芸能人ではあるけど
「いわゆる芸能人っ!」というのと違って
早めに行って、入り待ちしたりしてると、
けっこう簡単に知り合えて、友達みたいに
話できたりしたけど、さすがに外国のバンド
とかミュージシャンと知り合うとかは
できなかった。
大貫憲章さんのトークライブにいくと、裏話を
いっぱい聞けて、外国のミュージシャンと
親しくなったみたいな気分になれて楽しかった!
新しい曲とかミュージシャンとかバンドとか
いっぱい知れたし。
大貫憲章さんは、当時ベイシティローラーズの
ウッディに似てると言われていた。
ロックファンは、たいていベイシティローラーズ
が嫌いだったけど、大貫憲章さんは
ベイシティローラーズを否定しなかった。
すべてのものを否定しないというかんじで、
そういうとこが好きで、大ファンでした! ARBって、そもそもメンバーが決めたバンド名ではなく、シンコーが当時流行りのBCR(Bay City Roller s)を意識して名付けたんだよね?
一郎はまぁかわいいし、エンマもそれらしい感じはしたけど、キースや宮城を見て無理だと思わなかったのかね? 「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」
曲は1911年
映画は1938年
…映画のストーリーがバンドの出世物語だから
このバンド名にしたという話じゃなかったっけ? 私は平凡で平均的なロックファンなので、
ベイシティローラーズが嫌いでした。
音楽評論家の人たちって、やたらと悪口ばかり
言いまくるイメージだったけど、すべてのものを
否定しない大貫憲章さんのファンでした。
だいたいのロックファンはベイシティローラーズ
が嫌いだったので、ベイシティローラーズの
ファンは、アイドルファンの人たちだと思う。
シンコーミュージックは、パンクをやらせよう
という発想はなかったのかな?
1977年からパンクバンドをやってたら、凄かった
のに… 今ググってみたら、
1911年は、明治44年
1938年は、昭和13年
だった。
「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」
って、明治時代の曲だったんだね。 タイタニック号で
「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」
を演奏していたそうです。 2023年6月7日(水)
今朝のニュースで、福岡大学附属大濠中・高校で
インフルエンザ&コロナのクラスター発生で
300人ぐらいの生徒が欠席で休校になったと
報道されていました。
まだまだ なめてかかってはだめなんですね。 宮城伸一郎 (東京都出身)
なんで田中信昭はチューリップに入れてもらえなかったんだ >>91
田中信昭は、やっぱりビートバンドを
やりたかったんじゃないのかな… 田中信昭はリンドン解散から2年後の1979年に一度限りではあるが、リンドンを名乗り、中村昭二とドラムの3人で福岡でライブをおこなった 田中一郎はチューリップや財津和夫ソロのレコーディングに、ゲストミュージシャンとして参加している。あのバスをとめてでの安部さんとの掛け合いは必聴。伊藤薫以外にもリンドンとのつながりはある。 1975年4月5日発売
チューリップ「無限軌道」
B面1曲目「もしも僕が」
も安部俊幸&田中一郎のギターだよ!
1975年12月1日発売
チューリップ「日本」
A面6曲目「あのバスを停めて!」 チューリップも伊藤や宮城が入る前まではよかったんだよなぁ。虹とスニーカーの頃くらいまで。代表曲も全部その頃までのもの。
財津和夫の宇宙への傾倒から変な方向に向かって行って、そのうち姫野、安部、伊藤が脱退して財津和夫とバックバンドみたいな体制になっちゃった。
結局、財津和夫のワンマンバンドだったんだな。 ギターアッパーカット「BOYS&GIRLS」
「BAD NEWS」から「トラブル中毒」までが
凄く良いのは、田中一郎&野中良浩の才能
だったんだね。
サンちゃんは
「一郎がいなくなってからARBのメンバーを
やっているのは、毎日が針のむしろの上にいる
みたいだった」
と言っていた。 ギターアッパーカット「BOYS&GIRLS」
「BOYS&GIRLS」をやった4〜5バンド出てた
イベントってTHE BADGEも出てたのかな?
その場にメンバー全員いたかんじの話だったよね。 リンドンのシングルの中では夏の日の恋が一番好き。
一郎ボーカルはプロデューサー新田和長さんのアイディアかな?姫野達也をボーカルにしてチューリップが売れたから、一郎で試してみたのかな? 夏の日の恋
リンドンの2ndシングル
作詞・作曲 田中信昭
http://youtu.be/ckHP3dDvMQs >>103
8000枚しか売れなかった。
お金なくて発売日に買えなくて、同級生の友達が
お金を出し合って、私の誕生日にプレゼント
として買ってくれたんだ。
この頃の一郎が最高にカッコ良かった時だと思う。
この頃を知っているとARB時代は、かなり
おじさんになっていたかんじ。 >>104
いい話ですね。
当時シングル盤は500円程度でしたっけ?
8000枚なら一応オリコンの右側のチャートには入ってたのでは?80位あたりに。
この頃、ジャケ写見る限りかわいいですよね。
当時、ロン毛は居たけど茶髪は珍しい。 3枚のシングルで一番売れたのって、やっぱり陽気な雨? リンドン「陽気な雨」…500円
リンドン「夏の日の恋」…500円
リンドン「赤いドレスは着ないでおくれ」…500円
ARB「野良犬」…600円
ARB「ワイルドローティンガール」…600円
ARB「魂こがして」…600円
ARB「ノクターン・クラブ」…700円
ARB「BLACK X'mas」…700円
ARB「ダディーズ・シューズ」…700円
ARB「クレイジー・ラブ」…700円
ARB「さらば相棒」…700円 19歳の田中一郎は、チューリップの
「私のアイドル」の歌詞みたいだった。
♪
ギターをかかえた姿が とてもすてきだった
あなたの写真は あなたの声は 私をくるわせた
肩までのびていた あなたの長い髪は
なにげないあなたのしぐさが
とてもセクシーだったわ
いつだってあなたの姿に
ふれるたび胸がふるえた
♪ BLACK X'masは三曲入って700円はお得だね。
個人的にはノクターン・クラブが好き。
超名曲だと思う。
魂や風だらけより好き。 私は「シェリーは昼間は死んでる」が好き!
凌がロートレックが好きだと言っていたから
ARBファン友達とロートレック展を観に行った。 シェリーは昼間は死んでる、いいよね。
B面なのが惜しいくらい。
イントロからもうかっこいい。 >>116
「PLAYER」って
田中一郎が「ロックンロール・ギター」
を連載してた雑誌だよね。
雑誌のグラビアでARBのメンバーとファンたちが
写っている写真(高校生の宮田和弥が写っている)
で、一郎は「PLAYER」のロゴの赤いTシャツを
着ている。 「雨」がテーマの楽曲ランキングにリンドン 陽気な雨は無かった
1位 レイニー ブルー / 徳永英明 204票
2位 Squall / 福山雅治 80票
3位 はじまりはいつも雨 / ASKA 70票
4位 Imitation Rain / SixTONES 67票
5位 最後の雨 / 中西保志 53票
6位 雨 / 森高千里 47票
7位 みずいろの雨 / 八神純子 46票
8位 雨のMelody / KinKi Kids 40票
9位 雨のち晴レルヤ / ゆず 37票
10位 ニワカ雨ニモ負ケズ / NICO Touches the Walls 32票
11位 雨あがりの夜空に / RCサクセション 29票
12位 ENDLESS RAIN / X JAPAN 26票
13位 恋音と雨空 / AAA 25票
14位 晴れたらいいね / DREAMS COME TRUE 24票
15位 Rain / 秦基博 23票
16位 優しい雨 / 小泉今日子 19票
17位 雨の慕情 / 八代亜紀 15票
18位 RAIN / SEKAI NO OWARI 14票
19位 傘がない / 井上陽水 13票
19位 恋人も濡れる街角 / 中村雅俊 13票 >>118
当たり前だけど、あるわけがない。
令和の今、陽気な雨は誰も知らないに等しい。 >>120
このロックンロールバージョンの陽気な雨、かっこいいよね。もちろんストリングスの入った歌謡曲チックなシングルバージョンも好きだけど。 ギターアッパーカット「指を鳴らせ!」
私はARBの曲の中で一番好きな曲は
「イカレちまったぜ!!」です!
サンちゃんて、凄いミュージシャンだったんだね。
やっぱり田中一郎&野中良浩は最強! 「ROLL」博多のぼせ バンドマン グラフィティ
という本を読むまで、私は浦田賢一さんのことが
好きでした。
この本では、田中一郎は福岡で石橋凌とARBを
結成して、甲斐よしひろを追って上京してきた
というストーリーになっています。
浦田賢一ワールドには、リンドンが存在しないので
この本を読んで、浦田賢一さんのことが大嫌いに
なってしまいました。
浦田賢一さんは、何故こんなSF本を出版したの
でしょう??? 浦田賢一「ROLL」
2010年4月10日 第1刷発行
田中もやがて甲斐の後を追って、ARBというバンド
を作り上京して行く。
そのARBのヴォーカリストが「石橋凌」。 「浦田さんには福岡の頃さんざん世話になりました」と一郎が感謝しているから悪い人ではなさそう
http://youtu.be/duL0GfoM94o?t=4m10s >>123
その本には甲斐バンドがデビュー前に浦田がドラムを担当して、
甲斐よしひろをボコボコに殴ってやめた話は書かれていますか? 富澤一誠「[照和]伝説」
1982年3月1日 第1刷発行
1974年5月、今度はリンドンが「陽気な雨」で
デビューした。
田中信昭はKBCラジオの岸川均に呼び止められた。
「今度、<全日本アマチュア・フォーク・コンテスト>が始まるけど出てみないか」
田中信昭は信頼している岸川の申し出をすぐさま
承諾した。さっそく、そのことを田中一郎、伊藤薫
に話してみると、「腕試しにはいいチャンスだ」と
いうことになり、出場してみることになった。 富澤一誠「[照和]伝説」
1974年5月、今度はリンドンが「陽気な雨」で
デビューした。
その直前に行なわれたリンドンの<旅立ちコンサート>には、[照和]の仲間、甲斐よしひろとピエロがゲスト出演した。 >>127 の補足
1行抜けてた!
岸川は<歌え若者>の常連だったリンドンにひそかに
目をつけており、新しい企画が始まったので声を
かけたのだった。 >>126
ざっと見直してみたけど、甲斐よしひろと
田中一郎がよく浦田賢一の家に遊びに行って、
浦田賢一のドラム中心のレコード・コレクション
を聴いていたこと。
甲斐よしひろが東京に旅立つ時に福岡青年文化会館
という所で最後にコンサートをした時に何曲か
浦田賢一がドラムを叩いたこと。
…良い話しか書いてないみたい。
石橋凌は、19歳でARB入り上京する。
…となっていて、リンドンというバンドが
存在しない世界になっている。 福岡時代はリンドンでドラムやってた伊藤薫やシナロケでドラムやってた川嶋一秀も
ダンスホールのハコバンドでドラムを演奏して稼いでいた浦田賢一のお世話になってたみたいだね >>130
実際の話
浦田賢一はサンハウスをやめて理容学校に通う事にする
甲斐よしひろはコンテストで優勝してデビューの話をもらう
甲斐よしひろは1人で上京するのが不安なのでチューリップ(成功例)みたいにバンドを組んでデビューしたいとレコード会社と交渉する
甲斐よしひろは浦田賢一にプロデビューを条件にドラム担当を依頼する
浦田は引き受けるが理容学校も通うと言いだす
甲斐よしひろアマチュアではないのだからそれは無理だと言う
浦田はキレて甲斐を殴る
甲斐はデビューが決まっていたので顔をカバーする事で精一杯で一方的に浦田に殴られる
浦田は甲斐より4つ歳上だったかな
甲斐も実家は床屋でサラリーマンも経験していたから浦田の気持ちも理解は出来ていただろう >>132
ハッピーフォークフェスティバル(文化放送)で
金賞受賞した時は、「かいよしひろバンド」で
一応バンドの形で出てたよ。
私がリンドン・田中一郎ファンで、友達が
チューリップ・財津和夫ファンだったから、
リンドンとチューリップを観に決勝大会に行った
んだ。
アマチュアの人たちにぜんぜん興味なかったん
だけど、一人(1バンド)びっくりして度肝を
抜かれるような凄いヴォーカリストがいて…
その人の演奏が終わった瞬間、
「なんなの?!この人はいったい…!!!」
「ここに出てるっていうことは、この人は今
アマチュアだっていうこと?!」
「嘘だ!信じられない!こんな凄い人が
アマチュアだなんて…!!」
と友達と二人で大騒ぎしてしまいました。
その時は、その かいよしひろ という人が
リンドンとチューリップと友達だとぜんぜん
知りませんでした。 ハッピーフォークフェスティバルは、
カップヌードルがスポンサーだったので
お客さんがよかったと思う人(バンド)を書いて
投票して、抽選でカップヌードル、シーフード、
カレーの3個セットをプレゼントということで
なんの迷いもなく「かいよしひろバンド」と
書いて投票箱に入れました。
カップヌードルは当たらなかったけど、あの
衝撃の出会いは今でもハッキリくっきりと
覚えています。
かいよしひろバンド以外の出演者のことは、
ぜんぜん まるっきり覚えていません。
…そんなふうに甲斐よしひろ様は、最初から
ぜんぜん まるっきり違っていました。 >>134
当時はまだカップヌードルシーフードはないよ。
カレーとノーマルの醤油味しかないはず。 >>135
ハズレちゃって、もらえなかったから、ずっと
3個セットだと思っていたけど2個セットだった
のかな??? >>136
浦田賢一著「ROLL」は、
「リンドンというバンドが存在しない世界」なんだ 浦田が甲斐バンドに正式加入していたら芝山や鮎川から顰蹙を買っていたな
「なんね、床屋になるからバンドやめる言うとったろうが!」 浦田賢一の友人武田鉄矢は海援隊のドラム上田雅利を財津和夫に引き抜かれた
甲斐よしひろも財津和夫方式でメンバーを集めた >>139
浦田賢一「ROLL」 P.155
「昭和49年、1974年の2月。
何の迷いも無く、サンハウスを辞めた。
このバンドは、俺にとって[通りすがりのバンド]」
…ポール・マッカートニーのウィングスのドラム
になるとかローリング・ストーンズのドラムに
なるとか考えていたことが書いてある。
ちなみに かいよしひろバンドがハッピーフォーク
フェスティバルで金賞受賞したのは、1974年3月。 浦田賢一「ROLL」 P.282
「そして昭和56年、1981年から20年間。
俺は一切スティックを握らなかった。
音楽とは違う[役者・浦田賢一]としての道を歩む。」
…1983年、シーナの産休休暇中のサンハウスの
メンバー、ドラムは浦田賢一だった。 6月18日
今日は、私が中学生の時に大好きだった
ポール・マッカートニーの誕生日です!
1942年生まれだから、81歳かな?
浦田賢一「ROLL」にドラムソロのテープを
RKB放送局の人を通じて、ロサンゼルスの
ポール・マッカートニーの事務所に送って
もらったと書いてある。
本当にウィングスのドラムになりたかったみたい。
ビートルズ、ビートルズと言っている人は、
みんな結局は、ポール・マッカートニーが
好きなような気がする。(私もだけど…) >>142
1983年、サンハウス再結成。以下4箇所でライブを行う。
東京(6月18日 渋谷LIVE INN、9月23日 日比谷野外音楽堂)、福岡(8月7日 福岡Super Live '83 小戸公園)、仙台(8月11日 ロックンロールオリンピック)。
メンバー:柴山俊之(Vo)、鮎川誠(Gu)、奈良敏博(Ba)、浦田賢一(Dr)。
他にもちょくちょくドラムの仕事はしていたと思う 「照和」とは。
岸川
昭和の世の中を明るく照らすようにというオーナーの願いだったそうです。
照和のことは、音楽評論家の富澤一誠さんが昭和52年に出された『照和伝説』という本に詳しいんです。
その本や新聞記事などを参考に、私の見聞をふまえてお話ししましょう。
まず照和はニューミュージック好きの若い連中が、生演奏で腕を競えるライブ喫茶でした。
喫茶店ですからアルコールは出ません。入場料はジュースやコーラつきで250円だったそうです。
それで好みのバンドの演奏が楽しめるので、若い人たちの人気を集めたのです。
ちなみに、連中の出演料は、バン食といっていたバンド用の軽食つきで
30分の1ステージがソロ700円バンド1,000円だったそうです。 甲斐バンドもチューリップみたいに照和閉店後の深夜にバンドの練習をしていたが
冷蔵庫から食材を盗み食いしていた事がバレて深夜の練習は禁止されたとラジオで言っていた >>145
1983年9月23日
サンハウスの日比谷野音のゲストが、田中一郎の
ARBの東京での最後のステージだったんだよね。
(東京でのラストステージがワンマンですら
なかった!) 芸能人の自伝ってみんなゴーストライターが適当に書いた代筆なんだからそんなに目くじらたてなくても…
松本伊代なんか自著の紹介で「私も今日初めてこれを見たんで、まだ私も読んでいないんだけど」と言ってました >>149
事実と違う内容の出版物って迷惑だよね。 一郎とサンジが楽譜を読めた事が意外だった
幼少期にピアノかバイオリンを習っていたのかな? >>151
サンちゃんが、一郎を信頼していて
「一郎がいなくてARBをやれるわけない」
と思ったって言っていたのが何故なのか、
今回の話を聞いてよくわかった! 富澤一誠の照和伝説は、結構前に中野の古本屋で偶然見つけて穴が開くほど読んだよ。
取材もかなりしてるし、リアルで読み応えのある本だと思う。少なくとも、渾身よりはだいぶマシ。 一郎は祖母の影響で幼少期からスコアが書けるようになっていたみたいよ。 チャーや布袋みたいにピアノを習っていた子供はギターの上達が異常に早い
一郎もピアノかオルガンを習っていたと思う ピアノを習うというのがブームだった時代世代
だよね。
女の子の8割ぐらいは、ピアノを習っている
かんじだったから、3歳ぐらいからピアノを
習わされていたという男の子もけっこういた。
サンちゃんもピアノを習ってたりしたのかな? >>153
リンドンは銀賞だったのに金賞になっているん
だけど、九州地区優勝ではあるから、まあいいか
というかんじ。
「照和」伝説
が出版されたのはARBが「W」の頃です。
今週のギターアッパーカットは「W」だよね?
「Loft23時」は、ベースが大活躍してるよね? リンドンは照和の1ステージ、バンドで1000円を3人で分けていたのか
1971年まで1ドル360円だったからバイトしまくらないとギブソンのギターは買えないぞ 一郎は裕福な家庭で一人っ子だから親に買ってもらったのかもよ?
ドラムセットも祖母に買ってもらったみたいだし。 一郎の父親は少年院の院長
白浜の父親は少年院の教官
院長だから何かコネと言うか立派な家系かな >>158
高校生の時に長期ローンで買って、デビュー
してからも2年間ぐらいローン払い続けていた
んだよ。
プロになったら、もっといいギターを安く
手に入れられたり、会社のほうから
「これを使ってください」
と言って、くれたりするようになったとか。
それで「ブロになってよかった!!!」
と思ったそうです。 少年院教官は法務教官で国家公務員
子供の躾もしっかりしているイメージだが何故かバンドマン
一郎と松藤は甲斐よしひろよりも賢い高校に通っていたのに >>162
中学生の時は、生徒会長とかやっていて
学力の高い県立高校に進学するつもりだった
みたい。
県立高校に受からなくて福大大濠に進学した
みたい。 >>162
お父さんは、法律から外れるようなことさえ
しなければ、自分の好きなこと、やりたいことを
やればいいと言っていたとか。
お父さんは、いろいろな少年を見ているからね。 たしかにどこか知的というか、育ちの良さが見え隠れしてたかも?
ARBという頭も育ちも悪そうな連中の中では一人浮いていた。 佐藤剛さんが亡くなったみたいですね。
佐藤剛さんがいなかったら、あの甲斐バンドは
なかったと思います。
ご冥福をお祈りします。 佐藤剛が居なければ甲斐バンドはフォークやフォークロックグループのままだったかもね。
裏切りの街角だけの一発屋で数年で消えていたのかもしれない。 ギターアッパーカット 「W」
甲斐バンドでは…1ギタリスト
ARBでは…アレンジとかミックスとか全部を考えて
ギターを弾いて、音楽的なプロデュース
をしている
…でも藤井さんは、田中一郎はARBの1ギタリスト
であるという印象操作をガチガチに固めていたと
思う。
音楽的なプロデュースをしているのは、石橋凌
みたいな印象操作をしていたと思う。 「W」の時、ライブに行くと、ジャケ写でメンバー
が顔とかに押していたWのスタンプを入場の時に
手の甲とかに押された。
ライブ中は楽しくてよかったんだけど、ライブが
終わって日常に戻ると、お風呂に入ってもWが
なかなか落ちなくて…
「明日から日常生活に戻るのにどうしよう〜?!」
と思いました。 >>169
同意。
リーダーであり曲作りやサウンドプロデュース、アレンジまですべてを自分の思うままにやった一郎が気に食わなかったんだろう。
凌は藤井に尻尾振ってたし、さぞかわいかったんだろうね。実際、一郎は藤井に殴りかかったくらいだし、関係性はよくなかったんだろう。 白浜久は幼馴染みで一郎と仲良しだったけど、在籍中はそんなこと言える雰囲気じゃなかったみたいね。 >>172
YouTubeで見たなにかのインタビューで、
白浜さんが凌は、二人が幼なじみだと知らなかった
と言っていた。
「知っていたら、俺をメンバーにしなかったと
思う。凄い喧嘩別れだったみたいだから…」
…みたいなことを語っていた。
二人が幼なじみだと知られてから、白浜さんと
ARBの関係が微妙になったのかな?
白浜さんより一郎のほうが2歳年上で、同じ公務員
住宅の中で生まれたから、一郎は、白浜さんのこと
を生まれた瞬間から知っていたと言っていた。 このDJしてる人、福岡で古くからミュージシャンやってる人みたいね。
おばさんの方はよくわからないけど、音楽活動してるみたい。
白浜久は昔の交戦的なイメージと比べて少しカドか取れた印象。 >>174
私が見たYouTubeのインタビューは、たぶん
これでした。
さんきゅーです! リンドン時代の田中一郎
プロのレコーディング初参加作品
Hiro Tsunoda & Space Band/Mr.DJ(1974年)
https://www.youtube.com/watch?v=b9eXaIQW3PU
超、懐かしい!
つのだひろ&スペース・バンド『ミスターD.J』
ヒロさんの、第二期スペース・バンドのデビュー曲。
僕の、プロのレコーディングの初参加でした。
六本木ソニー。←これ、かなり伝説なスタジオです。
ギターではなく、コーラス!
ヒロさん、高橋さん、そして僕。
♪「I want you please!」とかって歌ってます。 >>177
なんとなく甲斐バンドの悪魔に狂ってに似てる。
リフとか、そっくり。
甲斐はつのだひろからもパクってたのか笑 >>175
金尾よしろうさんて、照和出身のミュージシャン
なんだね。
8月31日に「音楽魂」ライブがあるみたいです。
洗足音楽大学仲間の丸山圭子さんが出るみたい
です。
丸山圭子さんのエレックレコード時代の仲間
よしだよしこさんと生田敬太郎さんも出るみたい
です。
丸山圭子さんのブログを見ていると、大学のライブ
があった時は、田中一郎のステージ写真が載って
いたりするよ。 「どうぞこのまま」の頃、甲斐さんは
「丸山圭子いいなあ」「丸山圭子好きだ」とか
やたらと言ってたよね。 丸山圭子さんと海援隊は、エレックレコード仲間。
1972年デビューの同期。
武田さんは、照和時代にリンドンのメンバーに
うどんを奢ってやったと言っていた。 甲斐バンド 日比谷野外音楽堂
「みんな、老いぼれるなよ!
まだ老いぼれちゃいけないからな」 「いつか見た青い空」 海援隊
あなたを夕焼の詩にはしない
遠ざかる想い出の人にはしない 「ピピ&コット」はケメこと佐藤公彦が名付け親で、ドイツ語で“オシッコとウンチ”という意味。
金谷、佐藤が二人とも本番が近づくとトイレに行きたくなる、というところから名付けられた。
アマチュア時代は、泉谷しげる、古井戸、RCサクセションらと共に活動。エレックよりプロデビュー。
泉谷しげる、生田敬太郎、古井戸、佐藤公彦、とみたいちろう、海援隊らと、エレック主催の唄の市コンサートを中心に活動。
佐藤公彦脱退後にリリースされたシングル「愛をつかまえよう」は、佐藤公彦の作詞・作曲であり、シングルのライナー(ピピ&コットの意味)も佐藤が寄稿している。
メンバー紹介は、金谷、早川、板垣の男性3名と吉田、丸山の女性2名の計5名がクレジットされている。 >>184
私にとって「あっちゃん」というのは、
金谷あつしさんのことです。
…中学生の時、エレックレコードに入り浸って
いました。
それで海援隊と出会って、照和を教えてもらい
ました。
その時、田中一郎と伊藤薫は、高校3年生でした。
まだ照和に出てたのかな?それとも照和は、もう
卒業してたのかな? >>184
丸山圭子さんは、1972年デビューだけど、
ピピ&コットは、1971年デビューです。 >>181
武田鉄矢やさしいな。
リンドンを自身初の映画に出してくれたしね。
坂崎と拓郎のラジオにゲスト出演したときにも、リンドンの話してたし。 エレックレコードでレコードを出している人は、
事務所もエレックレコード所属ということになって
エレックレコードのビルの中に事務所とリハーサル
スタジオとレコーディングスタジオと…全部が
ありました。
1つ「メイトルーム」という部屋があって、そこは
ファンが自由に使える部屋でした。
ファンがいつでも行きたい時に行って、くつろげる
部屋でした。
エレックレコードのレコードは全部置いてあるので
聴きたいレコードを聴きたい放題でした。
他のファンの人たちと友達になれるし、エレック
レコード所属のミュージシャンたちが事務所に
来た時は、メイトルームに遊びに来てくれるので
ミュージシャンたちとも友達みたいになれました。
お昼ごはんもメイトルームにある電話から、近所
のお蕎麦屋さんに出前を頼んでメイトルームの中
で食べたりしてました。
泉谷しげるさんと加奈崎芳太郎さんが会社に来て
いると社内放送でラジオ番組みたいな放送を
はじめたりして、ファンたちには、楽しい場所
でした。 エレック・レコード
1969年に設立され、1970年、広島フォーク村のよしだたくろう(平仮名表記)をスカウトし、
1971年6月リリースされた『よしだたくろう オン・ステージ ともだち』がヒットし、会社が軌道に乗る。
その後も泉谷しげる、佐藤公彦(ケメ)ら人気ミュージシャンのレコードをリリースし急成長。
設立時は新宿の喫茶店の2階、僅か15坪の事務所だったが、
3年で年商20億、新宿管内では伊勢丹に次ぐ高額納税企業になった。
7階建ての本社ビルを建設し、最盛期には社員100人を越えた。 エレック・レコード 末期
1972年以降は、よしだたくろうや泉谷しげるをはじめとする看板アーティストの移籍・独立が相次いだ。
1972年1月にはよしだたくろうがCBSソニーに移籍。
1973年には、海援隊が『風雲編』を最後にテイチクレコードへ移籍、スタッフの一人が音楽出版社を設立。
1974年5月にはスタッフの一人が古井戸とともに音楽出版会社を設立。
1974年10月には泉谷しげるが『黄金狂時代』を最後にレコード会社を移籍。
1975年7月にはケメ(佐藤公彦)が『遠乗りの果て』を最後にレコード会社を移籍した。
1974年12月には、URCレコードの販売を受託している。
エレックレコードは1976年7月15日1,300万円の不渡りを出して倒産した。負債総額は12億円。
エレックレコードの社員であった門谷憲二は、倒産の原因を放漫経営と分析している。
1975年シュガー・ベイブでエレックからデビューした山下達郎の話では
その頃にはスタジオの機材や事務所の家具には差押えの赤い紙がベタベタ貼られていてピアノの弦は錆びて使えなかったとの事 >>189
エレックレコードに行くようになった時は、2階に
ある小さな事務所でした。
同級生の友達がエレックレコードに行くとケメくん
のボスターもらえるよという情報をくれたので、
エレックレコードに行って
「ケメくんのポスターください」
と言ったら、ケメくんのポスターを1枚くれ
ました。
それでケメくんのポスターをもらうためにちょく
ちょくエレックレコードに行くようになりました。
そしたら、引っ越しすることになったというので
引っ越し先に行ったら、新しいエレックレコード
は、ビルごと全部エレックレコードでした。 >>190
加奈崎芳太郎さんが、なにかのTV番組に出ていた
時、エレックレコード時代、印税というものを
知らなかった。
あの頃けっこう稼いでいたと思うんだけど。
俺の印税は、どこに行ってしまったんだろう?
…みたいなこと言ってた。 よしだたくろうはエレック時代は給料制でレコードが売れても印税は貰えなかった
当然メジャー (ソニー) に移籍するわな
7階建てビルも拓郎のおかげで建ったのではないかな >>192
古井戸の「さなえちゃん」はスマッシュヒットした
そのおかげか古井戸の2人はギブソンのハミングバードを使っていた >>193
私がエレックレコードに行くようになった時は、
吉田拓郎さんは既にいなかったので、拓郎さん
とは、お会いしたことがありませんでした。
トップは、泉谷しげるさんというかんじだった。
古井戸もケメくんも凄い人気だったから、
エレックレコードは、まだいっぱい稼いでいたん
だろうな。
チャボさんもケメくんもアイドル歌手みたいに
女の子ファンたちからキャーキャー言われていた。 「ラブイズオーバー」を作った伊藤薫は、
龍とかおるのかおるくん。
楳図かずお作品が大好きで、メイトルームに来ると
へび女とかミイラ先生とか猫目少女とかの話で
盛り上がっていた。 「母に捧げるバラード」が売れて海援隊は
遠い人たちになってしまった。 リンドンの片江さんのあとのマネの新郷さんは
ヤンジャの後、エレックにいたよね。 >>198
リンドン解散した時、エレックレコードって
まだあったのですか?
エレックレコードがなくなって、海援隊は
ヤングジャパンに移籍したと思っていた。
ヤングジャパン所属の四季というロックバンドが
レコード会社がエレックレコードだったので
ピピ&コットの早川隆さんがディレクターとかを
やっていたのですが、エレックレコードが
なくなって、早川隆さんはヤングジャパンの社員
になりました。 ギターアッパーカット テレキャスターPart.1
ギターを弾いてない私が聞いても、ほとんどが
わからない話だった!
ジュリエットの柴山和彦さんの話だけ「おっ!」
と思った。
ジュリエットはエンマ(遠藤誠一)がメンバーだった
バンド。
エンマは、リンドンのサポートキーボードで
ARBのオリジナルメンバー。
リンドンがヤングジャパンに入って、一番最初
ぐらいの仕事がガロの前座でツアーをまわると
いうものだった。
一緒にツアーをまわっていて、リンドンと
ジュリエットのメンバーは親しくなった。
そしてエンマは、リンドンのサポートキーボード
になった。
そしてエンマはARBのオリジナルメンバーに
なった。
…柴山和彦さんて凄いギタリストだったんだね。 テレキャスター編
バンバンの今井が使っていた話が出てくるといいな エレックは倒産したけど、その後再建されて多分、今でもあるはず。 >>204
今、wikiで確認したら、倒産は1976年7月15日で、再建は2004年でした。
再建した頃「エレックレコードの時代」という本
が出版されました。
ケメくんは、体をこわしてピピ&コットを離れて
それでソロになることになったということで、
中学生の時から、ずっとその話を信じていた
のですが、その本を読んだら、ケメくんをソロに
して売りたいから、体をこわしたということに
して、ピピ&コットを脱退させた…というような
ことが書いてありました。
ああ…芸能界… あっ…でも会社の都合の脱退だったので、
ケメくんとピピ&コットのメンバーは、とっても
仲良しでした! ケメは超ボンボンでレコードが売れなくなると父親が所有していたビルの管理人になる
晩年インターネットの普及で自分の活動を全国にPR出来るようになると細々と歌手活動を復活した
早川義夫も同じで本屋の物件は親に購入して貰った >>207
1回は、引退してしまっていたみたいだもんね。
晩年は、自宅でライブやったりしてたんだよね。 2017年7月29日 田中一郎ブログ
ケメさん
佐藤公彦さんが亡くなった。
何度かツアーをご一緒したなぁ。
あんな感じなのに武道家だった。
スタッフをやられていた弟さんとの喧嘩は、
空中戦だったもんなぁ。
ご冥福をお祈りいたします。 甲斐バンド イベント出演
2023年10月7日(土)
「長岡 米百俵フェス〜花火と食と音楽と〜2023」
東山ファミリーランド
甲斐バンド出演予定時間 18:30〜 アニメをみて、2〜3ヶ月でやめてしまったのか…
今、中古のレスポールがお店にズラッと並んで
いるそうです。 >>201
ギターアッパーカット テレキャスター番外編
バンバンの今井さんのテレキャスターの話
出ましたね。
マネージャーの新郷さんのテレキャスターの話
のほうが長かったけど…
バッヂの中村さんのSGも出た。 バンバンって基本ばんばひろふみと今井ひろしの2人組だけど、ある時急に4人になったりとあまり安定してなかったみたいたね。高山厳もいた。リーゼントの今井ひろしは今何しにてるんだろう。 ボーカルが凌さんでないなら、ARBとは呼べないな。 >>214
私が出会ったバンバンは、4人編成のロックバンド
だった。
高山厳さんが、高山弘という名前で、すっごぉ〜い
イケメンだった! バンバンて、3人から4人そして2人の編成だったでしょ?高山嚴さんの芸名の嚴って
確か一郎がつけたんじゃなかったけか? やったぁ!!!
今日のギターアッパーカット、森純太くん登場だ!
純太くん大好き!! >>217
知らなかったです!
高山弘というのが本名なのかな?
当時の高山弘さんはイケメンで、「涙だけが」を
歌う姿を見るたびに「うっとり」していました。
当時は、みんな若くてカッコよかった! 純太くんは、今でもカッコいい!
田中一郎が、いっぱい喋りすぎ。
もっと純太くんの話をいっぱい聞きたかった。 サムソン冬木ね、一郎自身も似てるの自覚してたらしい。若い頃の冬木とは特に似てる。 ギターアッパーカット 森純太2
純太くん カッコいい!
斉藤光浩は、ルックスがよかった…美少年だった
から、16歳でデビューできてしまったかんじ
なのかな? ギターアッパーカット 森純太3
・鮎川誠
・野山昭雄
・野中SANZI良浩
・木暮武彦(杉崎花の父)
・クラッシュ 1983年だったと思うのですが、吉祥寺の曼荼羅に
ARBではないバンドのライブを観に、ARBファン
友達3人で行ったことがあるのですが、その時、
曼荼羅の近くの楽器店が、ARBのライブのテープ
をガンガンにかけていたのです。
「これ、いつのライブですか?」と店員さんに
声をかけて、話したら、店員さんが
「サンジもRCのリンコも うちでベースを買って
いるから、二人ともよく来るんだよ」
と言っていて、3人で、わぁわぁ…きゃあきゃあと
大騒ぎしてしまいました。
サンちゃんの話を聞いたら、そんなレスポールとは
ぜんぜん関係ない話を思い出しました。 >>229
ベルズのプロデューサーって全部、田中一郎
なのでしょうか?
野山くん大好き!カッコいい!
野山くんのギター大好き! 田中一郎プロデュースなら、The Heartがいいなと思った。甲斐バンドみたいな感じ。 バンドやろうぜ ROCK FESTIAL
2023年8月12日(土) 大阪 Zepp Osaka
J(S)W
ZIGGY
UP-BEAT
2023年8月19日(土) 愛知 Zepp Nagoya
J(S)W
GO-BANG'S
PERSONZ
2023年9月2日(土) 東京 Zepp Haneda
J(S)W
岸谷香
筋肉少女帯 似てない。
あんなおちゃらけたバンドと一緒にするな。 どっちが、おちゃらけ?
どっちもおちゃらけてないよ!
両方とも、最高のタテノリバンド!!! バンドブームの頃、ダントツの一番人気だった
J(S)Wのチケットは、ぜんぜん取れなかった。
ARBファン友達、甲斐バンドファン友達あたりが
集まって、J(S)Wのライブに行きたいから、誰か
ファンクラブに入れよという話になって、
ファンクラブの申込み用紙を見たら、「学年」と
いう項目があって、恐ろしくて、ファンクラブに
入るのを諦めた。
それでJ(S)Wのライブにあまり行かれなかった。
適当に「高校1年」とか書いて出せばよかった
のに。
私のARBファン友達は、みんなだいたいJ(S)Wの
メンバーと同じ年齢だから。 甲斐バンド以外のバンドのライブに行くと、
大森信和さんに「この浮気者!」と言われました。
ARB以外のバンドのライブで、キースに会った時、
キースに「この尻軽女!」と言われました。
バンドマンにとって、自分たちのバンドのファン
だと思っている人が、他のバンドのライブに
行くのって「浮気」という感覚なのかな? リンドンがタテノリ?
一般的にタテノリバンドとはビート系やパンク系バンドのことを示すのでは?
リンドンはフォークロック〜R&Rバンドだし、タテノリバンドとは違うんじゃない? リンドンは、タテノリロックバンドだよ!
3人編成のJ(S)Wというかんじ。
リンドンに似てるバンドは、みんなビートパンク系
というジャンルのバンドなんだ。 去年、田中一郎スレは、その話題で盛り上がって
いたんだけど、私はずっとそれでリンドンは、
ビートパンク系だと思っていたんだけど、
リンドンは、ビートパンク系ではなくて、
ビートバンドというやつみたいでした。
とにかくタテノリロックバンドです。
早すぎたタテノリバンドです。
バンドブームの頃に存在してたら、凄く売れてた
と思います。 リンドンは、レコードとライブがぜんぜん違う。
ライブに行っていた人は、タテノリバンドだって
よく知っている! ARBは
・BAD NEWS
・BOYS&GIRLS
・指を鳴らせ
・W
・トラブル中毒
…の間だけリンドンに似ていた(音だけ)
雰囲気は、リンドンとARBは、ぜんぜん似ていない リンドンは3枚のシングルレコード収録の6曲だけ聞くとチューリップみたいなフォークに感じるけれど
ライブだとルースターズ、ロッカーズ、モッズと同様のビートバンド(めんたいロック、パンクロック)に聞こえる
素敵なMusic
http://youtu.be/hJOcGUrDRMQ?t=13s いまJUN SKY WALKER(S)がテレビの生放送スタジオライブで2曲披露したけど
ARB、RCサクセション、松任谷由実が融合した雰囲気だった。
リンドンがテレビのスタジオライブで演奏した映像もどこかに残ってないかな。 ボーカルが下手くそなところだけは似てるなw
リンドンはちゃんとしたボーカリストをフロントに置いたらもう少し売れたかも。 1970年代は、ヴォーカルのみのヴォーカルがいる
バンドって
「グループサウンズみたいで、ダサい!」
とか思っていました。 >>252
リンドンの時は、「悲しみを抱きしめて」という
タイトルだったと思う。
コーラスは、田中一郎の歌声だった。 24時間テレビ
谷村新司にエールを送るために、キンちゃんと
べーやんが来た! 「鮎川誠ワールド」には、リンドンというバンド
が存在しているのに
「石橋凌&サンハウスワールド」には、リンドン
というバンドが存在していない。
SF! >>258
時系列のことじゃなくて、鮎川誠の映画の
石橋凌のはな 誤送信してしまった!
鮎川誠の映画の石橋凌の話、リンドンという
バンドが存在しない異次元空間だった! 「石橋凌ワールド」にリンドンというバンドが
存在していないから、サンハウスが巻き込まれて
しまうんだよね。
そういう記事を読むたびに不愉快な気分になる。 リンドンの「わがまま娘」だ!!!
中村さんは、リンドンの音源をいっぱい持って
いるのかな???
…ていうか、きっと奥さんが音源持っているよね。
素敵!!! >>265
リンドンの「わがまま娘」の「こころを奪うことは出来ても愛を育てることを知らない」のパートを歌ってるのは誰なのかわかりますか?
信昭さんや一郎さんとは違うような気がします。
ドラムの伊藤薫さんのような気がするのですが。
曲のエンディングで「キャー!かおるくーん!」って女性たちの黄色い歓声が入っていたのでそんな気がしました。 >>268
かおるくんです。
かおるくんがヴォーカルの曲は、けっこうあった
と思います。
心を奪う〜は、かおるくんが歌っているのがいい
です。
間奏のギターは一郎くんが弾いているのがいいし。
このバージョン、けっこうテンポが遅いですね。 >>269
ありがとうございます。
薫さんは美声ですね。 Badgeの中村は一郎のファンだった女と結婚。そして離婚。 >>271
離婚してしまっているんですか?
じゃあ、奥さんが音源を持っているとかはないか。 リンドン
デビュー曲「陽気な雨」
レコードしか聞いたことのない皆様
ぶっ飛んだでしょう??
これが最高のPower Popです!!
https://www.facebook.com/badge.shoji/videos/699121722046891/ >>275
やっぱりリンドンは世界一!!
一郎くんのギターは世界一!!!
日本では、フォーク一色みたいな時代に、こんな
凄いバンドが存在していたんだよ!
はじめてリンドンのステージを観た時に
「日本にもこんな凄いギターを弾く人がいたんだ」
と思って、一瞬で虜になってしまった!
チューリップも
海援隊も
サンハウスも
甲斐バンドも
みんなリンドンをよく知っているよ! 2023年8月31日 22:00〜22:45 NHK
TULIP50年の軌跡〜密着ラストツアー
・心を開いて
・ぼくがつくった愛のうた
・青春の影
・心の旅
・虹とスニーカーの頃
・思えば遠くへ来たもんだ
・魔法の黄色い靴 2023年9月2日 05:40~05:50 NHK
NHK映像ファイル あの人に会いたい
なつかしい「あの人」の、珠玉の言葉がよみがえる
今年1月に亡くなった鮎川誠さん。
「シーナ&ロケッツ」のギタリスト兼ボーカリストとして「ユー・メイ・ドリーム」など数多くの楽曲を発表。日本のロック界をけん引した。
鮎川さんは昭和23年福岡県久留米市生まれ。九州大学在学中からロックバンド「サンハウス」のギタリストとして活動。
いわゆる「めんたいロック」の先駆けとなる。
昭和53年に上京し、妻のシーナさんたちと「シーナ&ロケッツ」を結成。
「涙のハイウェイ」でデビューする。昭和54年発表の「ユー・メイ・ドリーム」などがヒットし、精力的にライブ活動を行う。
連続テレビ小説「ちゅらさん」に出演するなど俳優としても活躍した。 TULIP50年の軌跡 密着 ラストツアー NHK
2023年8月31日 22:00~22:45
2023年9月04日 23:55~24:40
去年デビュー50周年を迎えたチューリップ。最後の全国ツアー、福岡での最終公演の模様をお届けする。
財津和夫らメンバー独占インタビューも交え50年の歩みを振り返る。
去年デビュー50周年を迎えたチューリップ、1年を超える最後の全国ツアーに密着。
「心の旅」「青春の影」「虹とスニーカーの頃」などヒット曲の数々が披露された地元福岡での最終公演の模様をたっぷりとお届けする。
また財津和夫をはじめメンバーそれぞれの独占インタビューや貴重な過去映像を交えてバンド50年の歩みを振り返っていく。
語りは福岡出身の俳優・桜井ユキが務める。
【出演】財津和夫,姫野達也,上田雅利,宮城伸一郎,【語り】桜井ユキ
https://tulip.bitfan.id/ >>275
この音源って、甲斐が優勝したハッピーフォークのゲストで出したときのものだね。
この前にオレンジ色の喫茶店もやってたはず。
この時代のリンドンの映像見たいよなぁ。 >>280
じゃあ、これはラジオ放送の録音だったりする
のかな?
田中一郎、司会の人によく女の子と見間違われて
いた。
私もはじめてリンドンを観た時、女の子?
男の子?どっち?と思って、よく見たら男の子
だった。
デビューする前の8mm映像は、絶対にあった
んだけど…
リンドンのワンマンの時に上映したから。 >>281
昔、甲斐バンドファンの人からハッピーフォークの決勝ラジオ録音音源をMDでもらったから間違いない。MDは探せばあるけど再生するハードがないわ。
昔つのだひろの歌番組に一郎が出たときに、つのだひろがリンドンのTV出演を録画して持っていると言ってたから、あるところにはあるはず。0℃の誘惑で光浩がバックで弾いてた。 ロックキャンディーズの動画が発掘されてるからリンドンもあるっしょ TULIPのTV観た!
「魔法の黄色い靴」が8000枚しか売れなかった
ってびっくりした!
(「夏の日の恋」といっしょじゃん!)
ラジオでガンガンにかかっていたから、
チューリップって凄く売れてる、凄い有名なバンド
なんだと思ってた。
ラジオでいっぱい流れていたのは、シンコーの力
だったのかな?東芝EMIの力だったのかな?
それにしても、追加公演いっぱいありすぎ!
ライブやっているうちに財津さん元気になって
いったのかな?よかった! >>282
中野サンプラザだ!
なくなってしまったね。
伊藤薫ファンの友達と二人で入待ちしてたら、
大学生のお兄さんたちから、しつこくナンパ
されたことがあった。
もうすぐ一郎と薫が来るんだら〜というかんじ。
九段会館とか厚生年金会館とか…リンドンの
想い出がある会場がどんどんなくなっていく。
寂しい…
来年、デビュー50年だもんね… チューリップって、トップテンクラスのシングルは実際二曲くらいしかないよね。
心の旅
虹とスニーカーの頃
青春の影、僕が作った愛の歌、夏色の思い出、サボテンの花、銀の指環あたりも、実際にはそんなにヒットしてない。サボテンの花は後年財津和夫ソロでヒットしたけどね。
甲斐バンドの方がトータルセールスでは上。 >>286
佐藤剛さんて、すっごぉ〜い人だと思う! グレイトリッチーズの解散ライブ(パーティー?)
の時に、マモルくんがチョーリップというユニット
を組んで「夢中さ君に」を歌ったのですが、
♪天使の君を地上に降ろしたんだね♪と歌いながら
「恥ずかしい〜!!」みたいな表情をしていたので
「じゃあ この曲を選ぶなよ!」と心の中で
ツッコミをいれてしまいました。
でも「心の旅」とかを選ばずに、この曲を選ぶと
いうことは、先輩たちがライブの時にどの曲を
やるか、ちゃんと見ているんだなと思って感心
してしまいました。
私は、そんなバンドマンたちが大好きだ! >>289
「夢中さ君に」を歌っているマモルくんの映像が
あるのかと思った。
♪天使の君を…を歌う時、恥ずかしそうで、辛そう
だった。
財津さんは、いつもサラッと歌うよね。 TULIP
「無限軌道」の「もしも僕が」と
「日本」の「あのバスを停めて!」は
安部俊幸&田中一郎のギター 【レッド・ツェッペリン!ディープ・パープル!】田中一郎のキ゛ターフ゜レイのルーツ UK編Part2
https://www.youtube.com/watch?v=HLSYoLII9XY
前回からスタートしました、私のギタープレイのルーツ 。
UK編Part2 は、ツェッペリン、パープル、ハード・ロックの始まりです!
お楽しみに! POPなチューリップとROCKなサンハウスを混ぜて化学反応がおきたのがリンドンのような気がする
なんとなく リンドンのほうが先にデビューしたから、
プロとしては、リンドンのほうが先輩になって
しまったけど、福岡ではサンハウスが先輩!
というかんじだったみたいだから、サンハウスの
メンバー全員、一郎に対して先輩面してるもんね。
私は、シーナ&ロケッツは知っていて好きだった
けど、1982年までサンハウスというバンドを
知らなくて、福岡時代を知らないから、最初の
うち、サンハウスのことを後輩のくせに礼儀
知らずと思っていました。 でもARB解散中、キースとか柴山さんとかが出る
ライブとかによく行っていたんだけど、行くと
柴山さんが「ライブを観てくれたから関係者だ」
という屁理屈をつけて、打ち上げに入れてくれた
んだ。
柴山さんて凄く優しいんだよ。 3〜4年前、東京駅の新幹線のホームのベンチに座ってる柴山さんを見たことあるけど、異様だったな。赤毛の長髪爺さん。 TVでジャニーズのことをガンガン放送していたので
急に思い出して、レコードを捜しました。
近藤真彦
「夢絆/BLUE CITY」12インチシングル
…ちゃんと「Guitar/田中一郎」って入ってる。 You Tubeのコメント見たら、「BLUE CITY」で
「夜のヒットスタジオ」に出て、マッチと共演した
と書いてあった。
知らなかった。観なかった。 ギターアッパーカット UK編2
リッチーブラックモア レインボーの札幌公演で
死亡事故が起きて、それを境に武道館のライブが
つまらなくなった!
それまでは、武道館のライブは、アリーナ席さえ
とれれば、早く走ってステージの真下あたりに
たどり着けば、ボーカルの唾がとんできそうな
場所でライブを観られた。
死亡事故からは、通路の間に柵みたいなのを入れて
自分の席から動けない状態にされてしまった。
私は、武道館のことしかわからないけど、全国的に
そういうふうに変わったみたいです。
今ググってみたら、
1978年1月27日 札幌中島スポーツセンター
亡くなったのは19歳の女子大生だったそうです。
私は、このツアーの武道館公演に行きました。
これがニュースになったので、親が、私がライブに
行くのを心配するようになってしまいました。 リッチーブラックモアと言えば「ギター壊し」
お約束!…で、生で見たら、大迫力!なのかと
思っていたら、軽くフン・フン・フンという
かんじでした。
男の子たちが、あれに大興奮するのがなぜなのか
わかりませんでした。
でもみんなギター壊すのを待っていたんだよね。 結成当時のリンドンがカバーした曲
・井上堯之
・PYG
・モップス
・ガロ
・ニールヤング ──間近でみられていた中村さんにとって、リンドンのサウンドは、どのようなものでしたか?
リハーサルではCSN&Yの「オハイオ」を演りよんしゃって、めちゃくちゃハードロックなアレンジで、3人でよくあんなに分厚い音が出せるなあと感激したんよ。
クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング
https://www.youtube.com/watch?v=pAis0cKjJFY 中村さんが、ザ・レインのオーディションの
時の「二人のフォトグラフ」をUPしている!
のぶあきくん可愛い! 自由に歩いて愛して(1971年7月21日発売)
作詩:安井かずみ/作曲:井上堯之/編曲:PYG
PYG
萩原健一:ボーカル
沢田研二:ボーカル
井上堯之:ギター
岸部修三(岸部一徳):ベース
大口広司:ドラムス
大野克夫:オルガン
https://www.youtube.com/watch?v=PkXmJPQno58 田中一郎のギター・アッパーカット2。今回は、『UK編Part3 ザ・フー&クイーン!』です!!
お送りしています、私のギタープレイのルーツ ・シリーズ。
UK編Part3 は、ザ・フー、クイーンです!
かなり違ったタイプのバンドですが、どちらもUK色は強いですね!
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=uDNbjF2kQ9k リンドンは、当時「第2のビートルズ」と言われて
いたバッドフィンガーの
「嵐の恋〜No Matter What」をライブでやって
いました。 リンドンは、ニール・セダカの
「オー!キャロル」と「カレンダー・ガール」
をライブでやっていました。 「オー!キャロル」は、BADGEもやっていました。 ”パワーポップ”というジャンルがあります。
「The Who、ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、バーズなどのバンドの初期の音楽をベースにしたポップロックの一つの形態」
そして、このバッドフィンガーこそ”元祖パワー・ポップ”と呼ばれているバンドです。
アメリカのケーブルTV”VH-1”が選んだ”エッセンシャル・パワー・ポップ・トラック20” の見事1位に輝いていたのが彼らの「嵐の恋」でした。
バッドフィンガーはビートルズのアップル・レーベルと契約した最初のグループ。
共にソング・ライターとしての才能もあるピート・ハムとトム・エヴァンズを中心に結成されました。
はじめはアイヴィーズという名前でしたが、ビートルズの "With a Little Help from My Friends"の仮タイトルだった"Bad Finger Boogie"にちなんでバッドフィンガーに改名 >>318
私は「サマータイムブルース」を子供ばんどで
知って、しばらくの間、子供ばんどの曲だと
思っていました。
ARBと子供ばんどは、一緒にライブ出てることが
けっこうあって、ARBと子供ばんど両方のファン
という人がけっこういました。
一郎とうじきさんは、仲良かったです。
忌野清志郎の「サマータイムブルース」で、日本
では大変な曲になってしまいましたね。
♪それでもTVは言っている
日本の原発は安全です♪ >>320
現在「by Ryo-Ichiro」というのを見ると、なんだか
うるっとしてしまいます。
凌は、リンドンを存在してなかったことにするのを
やめる気ないのかな?
リンドンを存在していなかったことにするのを
やめて、また3人で一緒にやればいいのに。
「サマータイムブルース」ってエディ・コクラン
の曲ですよね? ALFEEのSummertime Bluesは1970年のThe Whoバージョン+1980年の子供ばんどバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=ygavsqlJpww >>322
坂崎さん、カッコいい!!!
やっぱり桜井さんは歌上手いけど、歌っている時、
サングラスの下は、白目になっているのかな? 「もう首を締めるところまできている。
しっかり締めてコロそう!」
by 五郎丸歩 2015年ラグビーワールドカップ
五郎丸歩は、鶴田小学校→老司中学校
田中一郎は、三宅小学校→老司小学校→三宅中学校
甲斐よしひろは、三宅小学校→三宅中学校
…3人は、がっつり地元!
でも、五郎丸歩は1986年3月1日生まれ
甲斐バンドの解散は、1986年6月 五郎丸歩は、みやけヤングラガーズ出身です。
甲斐さんの甥っ子もみやけヤングラガーズにいた
そうです。
その頃のみやけヤングラガーズの練習場は、
九州がんセンターのグランドだったそうです。
三宅小学校の地区なので、三宅小学校の生徒が
多かったそうです。
九州がんセンターは、田中信昭さんが亡くなった
病院です。 甲斐バンドの解散ライブは、武道館5日間、
ステージ裏まで、お客さんを入れました。
ライブが終わって駅に入ると、お客さんたちが
甲斐バンドの曲を大合唱してました。
…なんか感動でした! 田中一郎は何で三宅小学校から老司小学校に転校したの?少年院は老司にあって、一郎はずっとそこの官舎にいたんだよね? >>327
経歴にそう書いてあったから、私が思っただけ
なのですが、小学校入学時にまだ老司小学校が
なかったのではないかな?
五郎丸歩の母校、老司中学校もあったら、一郎は
老司中学校に行っていたと思う。
三宅は、大橋駅からすぐだけど老司はバスに乗って
いくような距離。
甲斐さんが、一郎がバスに乗って通学していて、
それが羨ましかったというような話をしてたこと
があった。 >>327
ググってみたら、
福岡市立老司小学校設立は、1965年(昭和40年)
福岡市立老司中学校設立は、1981年(昭和56年)
でした。 9月1日「白浜久ブログ」関東大震災から100年
「池袋西武が消える」
に、6歳から8歳まで板橋にいたから、池袋西武に
行っていたと書いてあった。
白浜さんのお父さんは、いっぱい転勤する人
だったのかな? 9月10日「白浜久ブログ」残暑再び襲撃
「チューリップ50周年」
リンドンデビュー前の一郎と安部俊幸さんの
エピソードが書いてあるよ! 白浜久は中学一年生の1年間だけ三宅中学校に通ってました(中二で新潟県に引っ越し)
放課後の三宅中学校で白浜久にギターのコードを教えてくれたのが中学三年生の田中一郎でした >>332
6歳から8歳まで東京にいて、また福岡に戻った
のでしょうか?
老司中学校があったら、老司中学校に行っていた
よね。たぶん。 松藤さんのピエロって、ヤマハのコンテストで
優勝とかじゃなかったでしたっけ?
違うっけ?
東芝EMI以外では、デビューしたくないとかいう… 大石吾朗の「コッキーポップ」でピエロの曲を
ず〜っとかけていたから、ピエロって凄く売れてる
有名なバンドなのかと思っていました。
あのピエロって、松藤さんのバンドのピエロだった
のかな?? 白浜久のブログには4歳の頃に福岡県福岡市から北海道の千歳市に引っ越して搾りたての牛乳をしょっちゅう貰いに行かされたとか
東京、新潟にも行ったが成人するまでの20年間のおよそ半分は博多住まいと書いてありますよ
0歳~4歳までの4年間は福岡県
12歳~13歳までの1年間は福岡県
16歳~20歳までの5年間は福岡県 >>331
白浜久のブログ読んだけど、宮城の在籍期間は財津和夫の次に長いと書いてあって、「ん?」と思った。安部さんは居ないけど、今回のツアーって姫野や上田も参加してる。脱退してalwaysで活動した期間、上田はTONY時代を除いた通算では宮城のが長いという意味かな。 >>337
上田さんがいなかった間は、けっこう長かった
もんね。
宮城さんは、リンドンの伊藤薫と一緒に
チューリップのメンバーになったし。 >>336
白浜さんは、大学をちゃんと卒業しているんです
よね?
大学を中退しちゃっている人だらけだけど… 白浜久は大学生のときに陣内孝則と映画を見に行ったり
森山達也・浅田孟・川嶋一秀とバンドを組んだりして
遊んでばかりいたので留年したけど中退はしないで6年で卒業して国家公務員になりましたね 甲斐バンドは長岡さんだけ唯一卒業してるね。
福岡大学経済学部。
大森、松藤は福岡大中退。
やっぱり九州勢で凄いのが鮎川誠。
九州大学農学部卒業の秀才。 ヤマハポピュラーソングコンテストの
「あやつり人形」という曲のピエロというバンドは
松藤英男さんがリードギターをやっていたピエロ
なのでしょうか?
同じバンド名の違うバンドなのでしょうか?
甲斐バンドファンの人なら知っているのかな? 自分で質問しておいて、ググってみたら、後半は
メンバーが入れかわり、たちかわりと書いて
あって、門田一郎さんの還暦祝いに、松藤さんも
行っているという記事があった。
やっぱり、松藤さんがリードギターやっていた
バンドのピエロみたい。たぶん…
「コッキーポップ」というラジオでず〜っと曲
流れていたんだ。
やっぱり「実力の照和組!」だね。 今日の「白浜久ブログ」髪を切った
にもチューリップネタが、ちょこっと入っていた。 お送りしています、私のギタープレイのルーツ ・シリーズ。
UK編Part4 は、Dr.Feelgood、POLICE、U2。
前回までと違って、今回からはミュージシャンになってから出会ったバンド!
見える角度にも、変化がありました。
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=wiMN90jayqo >>345
・鮎川誠
・チバユウスケ
・アベフトシ
甲斐バンドの「冷血」の照明
「冷血」が出た時点では、今までになかった
まったく新しい照明だったそうです。
「だから「冷血」の時は、俺を見ないで照明を
見てて!」と言っていたのを思い出した。 ARBの田中一郎がリハーサル中
↓
それを見ていたジッピー・メイヨの感想
「あっウィルコだっ!!」
https://www.youtube.com/watch?v=nYBj1C9jwxI >>347
甲斐バンドの冷血を初めて聴いたのは、甲斐よしひろのサンスト。
衝撃的だった。
これこれ、こういうのが聴きたかったんだよ!って感じ。
でも、照明はともかく音に関してはライブだとなんかダメ。音というより歌い方かな。なんか、ねちっこい歌い方がいまいち。オリジナルはもっとクールだし、後半のシャウトもなんか違うなぁとずっと思ってる。
やっぱりNY3部作は他とは相対的にオリジナルが良すぎてライブでの再現性が低いね。
ナイトウェイヴ、ブライトンロック、キラーストリートとかは例外だけど、ブルーレターなんて絶対にオリジナル以外ダメ。 >>351
「トラブル中毒」は、凄くレコーディングに凝って
いたから、全てオリジナルのほうがいい気がする。
ツアーがはじまってライブで聴いた時、全て
「あれ?!」と思った。 歴史にもしもは無いけれど一郎が1983年にARBを脱退しなかったら
「トラブル中毒」以降のARBはU2っぽいサウンドになってた可能性あり
当時の日本のバンドの多くはU2の悪影響でスティーヴ・リリーホワイトみたいな音になってたから >>353
今回のギターアッパーカットで、それらしいこと
言ってるもんね… 大友康平さんが
「あたし憂鬱(U2)なの」
というギャグをやっていたよね。 田中一郎のギター・アッパーカット2。
今回は、『US編Part1 チャック・ベリー、ベンチャーズ!』です!!
お送りしています、私のギタープレイのルーツ ・シリーズ
US編Part1 は、ロックンオールの父、チャック・ベリー!
そして、エレキ・ブームの元祖、ベンチャーズ!
もう、伝説です!
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=CDHjmGRYjo4 US編の予想
ジミヘン、サンタナ、デュアン・オールマン、ザ・バンド、イーグルス、ブルース・スプリングスティーン、キッス、ガンズ 2024年5月5日 リンドンデビュー50年!!
田中一郎ブログに5月5日に50周年ライブやるって
書いてある。
私は、芸能界って1日でも早くデビューしたほうが
「先輩!」っていうのが常識だと思っていたけど、
それは、昭和の常識なのかな?
昭和の時代は、芸能界って体育会系と一緒で
「先輩は絶対!」というかんじだったよね。
最近は、スポーツ界でも「先輩は絶対!」みたいな
ことなくなっているみたいだし。
私は昭和の人間だから、先輩に対する礼儀を
知らない人って信じられない!
ARBは、昭和のバンドだよね。 ARBのリーダーは、リンドンのギタリスト
田中一郎。
ARBは、もともとは田中一郎を売るために
田中一郎を中心に結成されたバンド。
ARB結成は、リンドンが解散する前。
リンドン活動中に水面下でARBは、結成されて
いた。
リンドンとARBを切り離せない。 リンドン
・田中信昭
・田中一郎
・伊藤薫
のスレだから、
・BADGE
・ARB
・TULIP
の話題になる。 一郎、ヒマがあるとレストランに食事に行くって、随分とリッチだなw
何でレストラン? 婆さん相変わらず屁理屈だなぁ、一郎のブログのコメントでもリンドンリンドン言っててワロタわw >>371
10年ぐらい前だったか…そこまで前じゃないか
わからなくなってしまったのですが、田中一郎
ブログがJ(S)Wの話題だったので、
「白いレスポールを弾いている純太さんの姿を
見ると、ARB時代の一郎さんの姿がカブって
見えます。」
…みたいなことを書き込みしました。
その何日か後にJ(S)Wのライブに行ったら、
純太くんが、白いレスポールを頭の上まで持ち
上げて見せてくれました。
「あっ…純太くん、田中一郎ブログ読んでる!」
と思いました。 リンドン婆さんってもはやリンドンのアンチなのかと思えてくる たぶん甲斐バンドとJ(S)Wが、2バンドでTV出演
した時の田中一郎ブログのJ(S)Wの話題だった
と思う。
何故リンドンアンチと思うのか意味がわからない。 リンドンの田中一郎とARBの田中一郎は、同じ人
だよ! 甲斐バンドとJ(S)Wのイベンターは、同じ
ディスクガレージだったんだ。 それって貴女の感想ですよね?
あんなおちゃらけたバンドと一緒にしないでほしいわ。 ホコ天のバンドって田中一郎っぽい雰囲気も少しはあった
THE FUSEはARB エデンで1・2みたいな曲やってたし
https://www.youtube.com/watch?v=R9n0RHhZ6xo
BAKUはARB ダディーズシューズみたいな曲やってた
https://www.youtube.com/watch?v=TZDyHnNPsVE リンドンは、田中信昭がMCで笑いをとりまくって
いたよ。
私は、カッコよく曲を決めた後、MCで笑いに
落とすパターンのライブが好き! >>381
おちゃらけたバンドというのは、どのバンド?
一緒にしないでほしいというのは、どのバンド?
…意味がわかりません。 私は今でも田中信昭&甲斐よしひろは、最強の
お笑いコンビだと思っています。
だからリンドン&甲斐バンドが大好き!
音は、ARBのBAD NEWS〜トラブル中毒までが
一番好きですけど…
ARBはMCがおもしろくなかった。 ディスクガレージはユイ音楽工房とフジパシフィック音楽出版と東洋化成の3社が出資して作られた(1979年創業) >>386
何故アンチだと思うのか意味がわからないので
説明してください。 リンドンとJ(S)Wは、「明るく楽しい」イメージ
ARBは、「暗い」イメージ
雰囲気は、ぜんぜん似てないと思います。 BAD NEWSの頃、新宿ロフトのライブに行っていた
人から、聞いた話なのですが、その頃の打ち上げ
風景は、真ん中で凌が久留米音頭を歌って、
キースが○○芸をするというかんじで盛り上がって
いたそうです。
一郎は、すみっこのほうでおとなしく飲んでいて、
陰キャを作っていたそうです。
凌は、柴山さんにだけ へーコラしていたそう
です。 >>388
自分の胸に聞いてみなよリンドンアンチさん >>391
何故アンチと思うのか詳しく説明してください。 私がARBのライブに行くようになったのは、1982年
のWの頃からです。
妻子持ちになったせいか、リンドン時代一郎を
取り巻いていた凄い美人のファンたちが1人も
いなくなっていました。
子育てに忙しいのか、あの怖い奥さんもライブ
会場には来ていませんでした。
ARBのファンは、だいたい凌ファンなので、
なんの障害もなく、一郎に話しかけられる状態に
なっていました。
「やったぁ!!一郎くんをひとり占めできる
じゃん!」
と思って、会うたびに話しかけていました。
話していた内容は、なんだったか覚えていない
のですが、一郎と私の会話が面白かったみたいで
「一郎って、こんな面白い人だったんだ」とか
「一郎、面白い!」とか言って、みんなが集まる
ようになってしまいました。
それで結局、真ん中に一郎がいてファンたちが
取り囲むみたいな形ができあがってしまいました。
「ちっ!結局モテるんじゃん!ひとり占めでき
ないじゃん!」
と思いましたが、みんで一郎を取り囲んで、
おしゃべりをするのは楽しかったので、
「まあ、いいか…」と思って、みんなで楽しく
暮らしていました。 >>394 の続き
私がライブに行くようになってからは、真ん中で
凌が久留米音頭を歌うということはなかったので
私は、久留米音頭を聴いたことありません。
キースの○○芸は、新宿ロフトのオールナイト
パーティーの時に何回か見させてもらいましたが、
打ち上げで見たことはありません。
なんかARBは、Wを境にファン層がコロッと
変わったそうです。 ARBや甲斐バンドのことも、一郎のことなら書いていいよ! ジュンスカのプレイリストで80年代の夏休みにタイムスリップ
JUN SKY WALKER(S)宮田和弥さんが
「1983年 高校の夏休み」をテーマにセレクト!
♪イカレちまったぜ!!/A.R.B.
♪崩れ落ちる前に/THE MODS
♪トランジスタ・ラジオ/RCサクセション
♪Girl Friend/The Roosters
♪ユー・メイ・ドリーム/SHEENA & THE ROKKETS
♪サマータイム・ブルース/子供ばんど
♪ロックンロールレコード/TH eROCKERS
https://audee.jp/news/show/110665 バンドブームで、J(S)Wが、なかなかチケットを
取れないほどの人気だった時に、宮田和弥さんは、
下北沢ロフトの田中一郎ソロライブに来て
「イカレちまったぜ!!」を歌ってくれました。
宮田和弥さんが歌う「イカレちまったぜ!!」は、
最高でした!!!
下北沢シェルターで、田中一郎ソロライブを
よくやっていた頃、毎回J(S)Wのメンバーの
誰かが観に来ていたので、毎回J(S)Wファンの若い
女の子たちが、田中一郎ソロライブに来ていま
した。 田中一郎のギター・アッパーカット2
今回は、『US編Part2 ステッペン・ウルフ、ジミ・ヘンドリックス!』です!!
お送りしています、私のギタープレイのルーツ ・シリーズ。
US編Part2 は、ロックンオールからロックへ!
映画音楽、野外大イベント、いろんな夜明けです。
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=U8wTHfMAdW8 ステッペン・ウルフ、ジミヘンでイージー・ライダーの話にはならなかった
ウッドストックはYouTubeで見たジミヘンの演奏中に客がゾロゾロ帰る映像は衝撃的だった
映画では別日の観客の映像を差し込んで捏造演出して無理やりジミヘンを持ち上げていた JUN SKY WALKER(S)はインクスティック芝浦ファクトリーのライブでイカレちまったぜ!をカバーしたと思う
当時はARBの曲をカバーするバンドなんてほとんどいなくて珍しかったから覚えてる >>403
私はJ(S)Wのメンバーは、ARBというバンドを
愛していると思います。
田中一郎ソロライブに来ていたJ(S)Wファンの
女の子たちは、メンバーが好きだと言っている
からARBを聴くようになったと言ってましたが
ARBのことをよく知っていました。
J(S)Wを好きだとARBのこともけっこう好きみたい
でした。 宮田和弥さんは、石橋凌の還暦ライブにも
呼ばれています。
仕事で日本にいなくて、行かれなかったという
ビデオメッセージを出しています。
YouTubeにあります。 リンドン、ARB、甲斐バンドのデモテープ音源も聞いてみたい
https://amass.jp/170078/ 【新番組】田中一郎のギター・アッパーカット2。
今回は、『US編Part3 ドゥービー・ブラザース、イーグルス!』です!!
US編Part3 は、ギター・リフやダビング、盛沢山!
今回、結構、弾いています。
西海岸の大物バンド、両巨頭。
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=LCTGD7MnFUw リンドン時代、田中一郎はイルカさんのこと大好き
だった。 【新番組】田中一郎のギター・アッパーカット2。
今回は、『US編Part4 KISS、エアロ、ヴァン・ヘイレン、レッチリ!』です!!
US編Part4 は、昔ではありますが、ハードロック・新世代!
またまた、曲名を間違っていたりしますが、お楽しみください。
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=uKA2BouMzgQ https://i.imgur.com/I8F2QBd.jpg
ご家族等などに教えてプラス\4000×人数をGET可能!
tk..tk [あぼーん用] >>413
気付いていても声をかけたりしないほうが多いと
思うんだ。
甲斐バンド時代、甲斐バンドの一郎ファンの
男の子たちが、どこどこで女と二人でいたという
情報をいっぱい私にくれた。
けっこう見られているんだよね。 昔ならともかく今の一郎が小田急線に乗ってたら、ちょっと嫌かな。 ギターヒーローが庶民のように電車に乗ってるのがちょっとね…。
皆んな意外とお金無いのかな。 アリスのコンサートで前座をやっていたリンドンの田中信昭、田中一郎、伊藤薫 谷村新司さんがいなかったら、私はリンドンと
出逢っていませんでした。
当時、学校の友達のほとんどが、毎週、谷村新司
さんの「セイヤング」を楽しみに聴いていました。
「セイヤング」で「西からの風」というヤング
ジャパン所属のバンドが全部出るというライブの
告知があったので、学校で一番仲良しだった
チューリップファンの友達と二人で
「なんか面白そうたね…行ってみようか」
と出掛けて行きました。
それで、私にとっては
「世界最高のバンド・リンドン」と出逢いました。
それから、その友達と二人で、チューリップと
リンドンのライブに行くようになりました。
谷村新司さんにいっぱい「ありがとう!」です。 従兄弟がアリスのファンだったので、アリスと
リンドンが出るライブには、従兄弟と二人で
行っていました。
当時、従兄弟の家は北千住にありました。
当時、谷村新司さんが「好きだ!」「好きだ!」
と言っていた鳥居恵子さんの実家も北千住に
ありました。
鳥居恵子さんの実家は、北千住駅から従兄弟の
家までの道の途中にある喫茶店でした。
アリスとリンドンが出るライブに行って、従兄弟と
それぞれ自分の家に帰りました。
家に帰って、すぐぐらいに従兄弟が、興奮状態で
電話をかけてきたので、何かと思ったら、
帰り道、鳥居恵子の喫茶店で谷村新司がお茶を
飲んでいた!ということでした。
ライブ終わってすぐ、鳥居恵子さんの実家に
行ったみたいでした。
噂になっていた時もあったみたいなので、あの頃
付き合っていたのかもです。
後に「北千住駅」が、あいみょんの歌詞になるとは
その頃は、夢にも思いませんでした。 今日の一郎のブログで知ったのですが
アリス セカンド ライブ のジャケットでべーやんが弾いているSGは一郎が貸した物だったのですね アリス セカンド ライブ 発売日1974年7月
ボーカル、ギター:堀内孝雄、谷村新司
リードギター:鈴木康博(オフ・コース)
ベース:後藤次利(トランザム)
ドラムソロ:矢沢透
https://www.youtube.com/watch?v=dKPF_cAj5mw
陽気な雨 発売日1974年5月 >>423
そのライブ行きました!
1974年3月31日(日) 神田共立講堂
「西からの風」
第6回 13:00〜
・ザ・ムッシュ
・バンバン
・リンドン
第7回 18:00〜
・アリス ワンマンショー 今、スケジュール手帳を見たら、前日の
1974年3月30日(土)が「第3回 ハッピーフォーク
フェスティバル 決勝大会」中野サンプラザ
でした。
かいよしひろバンドが優勝した日です。
既に5月5日にデビューが決まっていたリンドンは、
ゲスト出演してました。
…春休みは、リンドン、リンドンだったんだ… 今日、YouTubeで、鳥居恵子さんの出ているドラマ
を観ていたら、鳥居恵子さん…美しかった!
あいみょんの歌詞も大好き! 鳥居恵子って、目を奥二重からクッキリ二重に整形したよね、絶対。
整形する前の方がかわいかった。 音楽とかいうゴ〇以下のコンテンツに必死な雑魚乙^^
ここの雑魚共俺特定素材いっぱい残してきたけどいまだなにも出来ないのワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwこれでチンコ勃ったり飯食べれたらマジ笑えんだけどザーコ^^つか寝れもしねーだろ?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwまず韮川小学校出身であることは分かると思うけどそこの雑魚イジメた事もレスしまくったからね〜^^こっちチンコ自動で勃ちすぎて触らなくても射精しちゃうんだがガチでwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww飯も超旨いし毎日よく寝れるわ〜^^なんとなく想像できると思うけどwつかマンコや尻穴やフェラや食事や睡眠の時俺のレスでも思い出そうね〜wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
↑なんjに置きまくってるけど特定できない雑魚草w 俺は神で白人よりも上の存在だから白人でそれやってても優位性無いからねw 今夜、21時更新! ギター・プレイのルーツ、日本編Part1!
【新番組】田中一郎のギター・アッパーカット2。
今回は、『日本編Part 寺内御大&加山雄三さん!』です!!
お送りしています、私のギタープレイのルーツ ・シリーズ。
今回からの日本編、Part1は、日本のエレキの夜明け!
国内の大先輩の話ですから、難しくもありますが、まずは大御所から。
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=Yr43YBfNFcg 中村昭二さんのFacebookに2004年の
One boy in HAKATAがupされてる == One boy in HAKATA ==
2004
LG= ICHIRO TANAKA
BA= JEFF YAMAMORI
DR= TETSU KAWASAKI
G.Vo= SHOJI NAKAMURA Xで、伊藤薫がシーナ&ロケッツをフォローして
いるのに気付いた。
薫くん、鮎川さんと仲良かったのかな? 今夜、21時更新! ギター・プレイのルーツ、日本編Part2!
今回は、『日本編Part2 スパイダース、ブルーコメッツ、GS!』です!!
お送りしています、私のギタープレイのルーツ ・シリーズ。
前回からの日本編、Part2は、日本で最初のバンド・ブーム、GS!
12歳から15歳くらいまで、ド真ん中でした。
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=Nhsyqo1FiRw >>437
浦田賢一さんは、リンドンというバンドが存在
しなかった話を作って
「ROLL 博多のぼせバンドグラフィティ」
という本を出版しました。
リンドンが先にデビューしてしまったから、
悔しかったのかな?
柴山俊之が歌う「陽気な雨」は、聴いてみたい
です。
甲斐よしひろが歌う「陽気な雨」は、YouTubeに
あるけど。 生きているうちに、リンドンというバンドが存在
していたという話をいっぱいしたいんだ! 藤井さんは、「エンマは俺が連れてきた」と嘘を
ついて、リンドンというバンドが存在して
いなかったことにしたし。 1973年3月12日って、たぶん第1回ハッピーフォーク
フェスティバルで準優勝した頃だ。
伊藤薫と田中一郎は、高校を卒業する時だから
ギリ高校3年生。
サンハウスは、照和組じゃないのに濃い関係だった
んだね。
何故、藤井さんはリンドンというバンドを存在
していなかったことにしたんだろう?
サンハウスがARBの先輩バンドという印象操作を
固めたかったからかな? 私がエレックレコードで、千葉和臣さんとはじめて
会ったのは、1972年12月6日だったので、
1973年3月12日は、私は東京で海援隊のメンバー
と既に知り合っていました。
1973年3月8日に銀座テレサに「ぎんざNOW」を
観に行ったのですが、その日のゲスト出演が
アリスでした。 柴山俊之さんが「陽気な雨」を歌ってくれたら
リンドンが存在しない異次元空間がなくなって、
平和な世界になる気がする。
でも柴山さんが「陽気な雨」って似合わなすぎて
想像するだけでおかしいけど。
バンドブームになって、新宿ロフトの打ち上げが
「関係者以外は出ていってください」
に変わった時、柴山さんはいつも
「ライブを観てくれたから関係者だ!」
と言って打ち上げに入れてくれたんだ。 藤井「エンマは俺が連れてきた」って異次元空間
だよ。 石橋凌「19歳の時にARBというバンドに
オーディションを受けて入りました。」
…って「異次元空間」だよ! >>450
リンドンスレで、よくそんなことが言えるね プラスワンが厚生年金会館の近くにあった頃
「柴山俊之トークライブ」に行ったんだけど
仕事帰りに行ったから、凄く遅くなってしまって
もう席がなかったんだ。
諦めて帰ろうとしたら、柴山さんが
「しょうがないから、楽屋に入りな」
と言って、楽屋に入れてくれたんだ。
でも楽屋にモニターがないから、柴山さんが
何を話しているのか、何をしているのかまったく
わからなくて、結局帰ったことがあった。
リンドンが存在しない異次元空間がなくなって
みんな仲良く暮らせることを夢見ています。 中村昭二さんがFacebookに2004年の
「One boy in TOKYO」をUPしています。
田中一郎、激太り。
でも髪型は、この時のほうがいいな… >>450
1976年7月20日(石橋凌の20歳の誕生日)は、
田中信昭がMCで
「ついにアルバムが出ることになりました」
って発表した、リンドンファンたちにとって
スペシャルな日だったんだよ!
石橋凌が19歳でARBに入ったっていうのは
「異次元空間」…暴力だよ THE BADGE解散後、田中信昭さんがやっていた
ハートブレイクバンドのギターは、海援隊の
千葉和臣さんだったんだよ。 >>461
エンマくんは、リンドンのサポートキーボード
だったから、エンマくんはリンドンの準メンバー
みたいな人だったんだよ。
藤井さんが「俺が連れてきた」と言うのは嘘!
「異次元空間」
中2病の爺さんが絡んでくるとリンドンが
存在していたという話がいっぱいできる >>461
そう思うならリンドンスレに来なきゃいいのに >>461
このスレの0002の1976年7月20日のライブの
MCで田中信昭が
「ついにアルバムが出ることになりました」
って発表したんだよ!
1976年7月20日は、石橋凌の20歳の誕生日だよ 1976年7月のリンドンのスケジュール
12日〜17日 合宿
となっていたのです。
みんな試験休みか夏休みだったので、ちょうどいい
旅行になるから、合宿について行こうぜ!という
話になりました。それで
「一郎くん…合宿ってどこでやるの?」
と聞きました。そしたら一郎くんが
「教えない!教えたら おまえたちは ついて
くるだろ!おまえたちが来たら合宿にならない
んだ!」と言ったので
「絶対に邪魔しないからぁ〜!!!」
とみんなで くいさがったら
「じゃあ ヒントだけ教えてやる!
山と湖に囲まれた別荘地」
と言ったのですが、どこだかわからなかったので
ついていくのを諦めました。
…で帰って来てライブがあって、山中湖だったこと
がわかって、アルバムが出ると発表がありました。
だから山中湖のスタジオでレコーディングしていた
のではないかな?と思ってしまいました。 リンドン婆、一郎のブログにコメントしてるえみって人か。一郎はまだ覚えてるかなぁ。 中2病の爺さんが絡んでくると昔のことを
思い出して、リンドンのこといっぱい書ける。
昔の事って、何かキッカケがないと思い出したり
しないもんね。
中2病の爺さん、ありがとう。 >>468
ファン引退してから30年ぐらいたつから、覚えて
ないんじゃないかな…
私も甲斐さんの事務所辞めてからのソロ活動とか
ソロの環境にいる人たちのことをまったく
知らないし。
私はリンドンファンしてた10代の時のことが
大事なんだ。
歴史をねじ曲げられて、リンドンストーリーを
書き換えられると、私の人生も書き換わって
しまうから凄い迷惑なんだ! 「えみ」じゃなくて「えみりい」なんだ。
だから「えみ☆☆」とかにしてみたの。
よろしく! >>470
凌や浦田がどう言おうとリンドンはたしかに存在するし、歴史もアンタの人生も書き換わってないと思うよ。
むしろここでリンドンがいない世界だと何度も騒ぐことのほうが周りからはそう見えるんじゃないかな? チューリップのアルバム
「ぼくがつくった愛のうた」が出た時、
「ぼくがつくった愛のうた(いとしのEmily)」
という曲が入っていて
「私の名前の曲がある!!」
と思って大喜びした。
「私のアイドル」という曲を聴くたびに一郎くん
の姿が思い浮かんでいたら、リンドンファンの
友達もみんなそうだと言って、リンドンファン
たちで勝手に「一郎のテーマ」というタイトルを
付けた。
「一枚のアルバムの中に私の曲と一郎くんの曲
が入ってる!」と思って凄く嬉しかった。
そういうくたらないことが、私のささやかな幸せ
たったのに、凌くんが「19歳でARBに入った」と
言うようになって、歴史をねじ曲げられて、
ものすごく傷ついた。 ぼくが作った愛の歌は名曲。
後年、紅茶かポッキーか忘れたけど、CMにもなったよね。あれは姫野達也だからいい。甲斐バンドでいうビューティフルエネルギーだよね。
Emily、いい名前じゃん! >>472
同意。
別に誰が何を言っても歴史は変わらない。
だから、異次元空間とかリンドンがいない世界とか言わない方がいい。 今日の中村昭二さんのFacebook、2004年のライブ
の「Unionjakに魅せられて」だ。
田中一郎さんがいっぱい写っている。
メンバー紹介がある。 リンドンの時代、ライブハウスというものがあまり
なくて、ルイード以外は普通のホールでのライブ
でした。
ステージから最前列までの間がライブハウスみたい
な状態になっていました。
一郎が一番人気だったので、一郎の真下はなかなか
とれないので、私は信昭の真下あたりで観て
いました。
その頃、田中信昭さんはいつもユニオンジャック
柄のロンドンブーツを履いていました。
だから手を延ばせば届きそうな場所にユニオン
ジャック柄のロンドンブーツがありました。
今でも「ユニオンジャック」と聞くたびに
田中信昭さんのロンドンブーツとリンドンのライブ
を思い出します。 田中信昭さんの真下で観る時は、たいてい3人で
固まって観ていました。
曲の合間に3人で、ごちゃごちゃと話していると
信昭さんに、丸聞こえみたいで、時々マイクを
通して、私たちの会話に入ってきたりするので
面白かったです。
信昭ファンの友達が「のぶが泣いてる」と言うので
こんな泣くような場面でもないのに、泣いてるわけ
ないじゃん!と思って見たら、本当に涙を流して
いたので「ほんとだ!泣いてる!」と言ったら、
信昭さんがマイクを通して
「汗が目に入ったんだぁ〜!!」
あと「変わらぬ愛」という曲があるのですが、
はじめて曲目を聞いた時「変わらない」と聞こえた
ので、3人でごちゃごちゃと
「「変わらない」?…変なタイトル」などと言って
いたら、また信昭さんがマイクを通して
「「変わらぬ愛」だぁ〜!!」 Union Jackに魅せられて 2004
LG= ICHIRO TANAKA
BA= JEFF YAMAMORI
DR= TETSU KAWASAKI
G.Vo= SHOJI NAKAMURA
https://www.facebook.com/watch/?v=1375168893384104 小畑ポンプさんが すかんちを脱退したそうですが
薫くんは、もうROLLY様と仕事してたりしてない
のかな?
すかんちとは関係ないのかな? 2006年の情報では、チューリップのマネージャー
だった人が、ROLLY様の事務所の社長だから
薫くんがROLLY様の舞台監督をやっていると
書いてあった。
私は昔UFOキャッチャーでゲットしたROLLY様人形
を今も持っている。 TULIPのシングル
「ぼくがつくった愛のうた〜いとしのEmily」
B面が「私のアイドル」だったんだ。
アルバムしか知らなくて、シングル盤を
知らなかった。
私のささやかな幸せが3倍ぐらい増した!
…49年間、知らなかった。 今夜、21時更新! ギター・プレイのルーツ、日本編Part3!
今回は、『日本編Part3 フライド・エッグ、クリエイション、ファニカン、キャロル!』です!!
お送りしています、私のギタープレイのルーツ ・シリーズ。
日本編、Part3は、遂に日本のロックの夜明け!
GS後に、本格的ロックが次々に登場。
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=RtzIg4WKQoI 仲井戸麗市に誘われて1年間だけRCサクセションのメンバーだった生田敬太郎
音楽的な相違から生田敬太郎が脱退した後にRCサクセションは大ブレイク
https://www.youtube.com/watch?v=Fysh_lhZLfU 生田敬太郎さんと言えば、やっぱり
「この暗い時期にも」です。
マックスは、ロックだったと思います。
お給料が現金手渡だった時代だったので、毎月
25日にエレックレコードに行くと、エレック
レコードのミュージシャン全員に会えました。 しかし、生き字引みたいな人だな。
もうこんなとこで管巻いてないで、本を執筆した方がいい。俺は買う。 散発的に書き散らすより、どこぞに時系列に沿って
書いてくれたら貴重で読みごたえがありそうなのに >>493
中学生の時、親に嘘をつきまくってエレック
レコードに入り浸っていました。
エレックレコード以外のことは、ぜんぜん知り
ません。
中学生の時は、ケメくんのことを「私の王子様!」
と思っていました。
エレックレコードに行くと、ケメくんが
「ハンカチ落としやろう!」とか言い出して
みんなでハンカチ落としやって遊んだりしました。
夢のような場所でした。
10年ぐらい前のケメくんのライブをYOUTUBEで
観たら、ケメくんがMCで
「昔は王子様、今はおじいさま」
と言っていました。 佐藤公彦さん(1952年1月9日生)と
大森信和さん(1951年9月3日生)と
キース(1952年2月6日生)は、同じ歳(同学年)です。
千葉和臣さん(1951年12月24日)と
姫野達也さん(1952年2月1日生)も同学年です。 忌野清志郎さん(1951年4月2日生)も同学年です。 >>493
急に思い出したのですが、昔、田中一郎さんに
「おまえは、お子様ランチみたいな奴だ」
と言われたことがあります。
「何それ?」と聞いたら、私は
「私、量は少しづつでいいから、あれもこれも
食べたいわ」
…という奴だそうです。
言われてみると、たしかにそうだなと思いました。
私は、広く浅くいろいろなことに興味ある。 美樹克彦さんもヤングジャパンにいました。
1976年9月3日の甲斐よしひろの「セイヤング」
ゲスト出演が長岡和弘・田中信昭・田中一郎
だった日、田中一郎さんが
「美樹がですね…なんて…呼び捨てにしちゃい
ますけど…僕 仲いいから…」
と語っていました。 ARBが『W』を発売した1982年に美樹克彦のヒット曲をカバーした堤大二郎
https://youtu.be/CnSjb6lVPUk
ARBのクレイジーラブと堤大二郎の花はおそかったは同じ頃にラジオでよく流れてた曲
https://youtu.be/1P55t5Zn5ow 今夜、21時更新! ギター・プレイのルーツ、日本編Part4!
今回は、『日本編Part4 関西の超人ギタリスト達!』です!!
お送りしています、私のギタープレイのルーツ ・シリーズ。
日本編、Part4は、関西の超人ギタリスト達!
ブルース、ソウル、ラグタイム。バリバリです!
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=Ej-57DRnzPs >>503
タルボのライブがARBを脱退して、ソロになって
最初の仕事だった。
その次の仕事が、ゲストギタリストとして
甲斐バンドのツアーに参加だった。
ゲストギタリストをやったことがキッカケで
甲斐バンドのメンバーになることになった。
甲斐バンド関係の記事によると
「一度、一緒にやってしまったら、甲斐さんは
一郎を手放したくなくなった。「メンバーに
なってくれ!」と頭を下げた。」
と書いてあった。
…当時の甲斐バンドファン全員が体験した
「田中一郎、甲斐バンド加入ストーリー」です。 1983年 トーカイ・タルボのライブ
・田中一郎
・松浦善博
・鮫島秀樹
・吉岡貴志 ストロベリー・ジャム
元・だるま食堂の吉岡貴志(ds)を中心に結成。
メンバーは吉岡のほか、近藤敬三(g,vo)、竹中正(g,vo)、清昌弘(b,vo)。
一時は松浦善博(g)や板倉雅一(key)らも参加。
1975年10月にアルバム『野いちご』でメジャー・デビューするが、翌年に解散。
その後、吉岡貴志(浅岡タカシ)はダウンタウン・ブギウギ・バンド、
清はアイドル・ワイルド・サウス、
近藤はJ-WALKにそれぞれ加入。
https://www.youtube.com/watch?v=90VIN9gRDO8 >>510
大盤振る舞いだな。流石時価総額40兆円企業 >>513
当時の彼氏が「宿無し」が好きで、よく歌っていた
から、私はツイストの曲の中では「宿無し」が
一番好きなのですが、今wikiを見たら、「宿無し」
の発売日は1978年4月10日で、松浦義博さんが
メンバーになったのは、1979年と書いてあり
ました。
甲斐よしひろさんと世良公則さんは、よく比較
されたりして、二人一緒みたいにされた記事とか
よくありましたよね。 鮫島秀樹さんは、
1977年〜1981年 ツイスト
1984年〜2005年 ハウンドドッグ
…だそうです。 今夜、21時更新! ギター・プレイのルーツ、日本編Part5!
今回は、『日本編Part5 同時期にデビューしたギタリスト達!』です!!
お送りしています、私のギタープレイのルーツ ・シリーズ。
日本編、Part5は、同時期にデビューしたギタリスト達!
デビューの頃、感動したり、嬉しかったり、驚いたり!
1970年代中頃のことです!
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=tJRV8tfdNIM >>520
まりちゃんズの尾崎純也さんは、バスケット
シューズというバンドを作って、リンドンの
1977年2月5日の新宿ロフトのライブに出ている。
1977年2月23日のリンドンの解散コンサートにも
尾崎さんは来ていた。
藤岡孝章さんと藤巻直哉さんは、藤岡藤巻を作って
大橋のぞみちゃんと「崖の上のポニョ」を歌って
いた。
まりちゃんズは「ブスにもブスの生き方がある」
でバーンと登場したかんじ。 >>517
今回は、リンドン〜ARBの流れがよくわかる話で
嬉しい!!
ジュリエットのキーボード・エンマくんは、
1974年10月8日のリンドンのプロになってから
はじめてのワンマンライブからサポートキーボード
で出演していた。
リンドンのワンマンライブの時は、だいたい
エンマくんは出ていた。 バスケットシューズは、ぎんざNOWに出てたのを観たことがある。いちにさんしバカとかいう歌を唄ってた。
後でこれって海援隊のカバーだったと知った。 四季というバンドは、レコード会社がエレック
レコードで、事務所がヤングジャパンでした。
牧田和男さんは、スタジオ&ステージ
ミュージシャンとかプロデューサーとか…
海援隊のバックバンドとかいろいろ仕事している
有名人みたいです。 ガロのマークさんは、私が通っていた美大予備校の
先輩です!
世代がぜんぜん違うし、私が通っていた頃は既に
ガロは凄く売れていて有名人だったので、
「マークは先輩なんだよ」という話を聞いていた
だけなのですが…。
私は、昼は高校、夜は美大予備校に通っていて
リンドンファンしていました! ほんとだ、エンマがいる!
ちゃんとオルガンのフロントにENNAって書いてある。ガロって、世代的には学生街の喫茶店以外ほとんど知らないけど、ロックバンドだね。
アルフィーがこの構成を真似した感じがする。 >>528
これを観ていたら、
「THE ALFEE 坂崎幸之助が語るガロ」
というのが出てきました。
聴いたら「チューリップ派・ガロ派」という話
だったみたいで、
「僕はチューリップ派でもガロ派でもなくて、
両方から影響を受けました。
この2つから影響を受けました。」
と話していました。
ガロは、クロスビー・スティルス・ナッシュ
&ヤング…なんですね。 「坂崎幸之助が語るガロ」を観たら、
「坂崎幸之助が語るチューリップ」とか…その他
いっぱい出てきて、チューリップとガロを聴いた
のですが、坂崎さんがいてくれれば、日本の音楽史
は、なんでもわかるかんじ。 11月19日、20日の白浜久ブログを読んだら、
「松藤英男・小山卓治ジョイントライブ」
の話でした。
50年前、白浜さんがはじめて松藤さんを観た時、
松藤さんはSGを弾いていたとか、この日、
松藤さんに弦とピックを貰ったとかいう話が
書いてあります。 松藤英男さんはピエロというバンドのリードギター
でした。
ピエロは、1973年ポプコンの第5回で入賞して、
ポプコンのラジオ番組で、ずっとピエロの
「あやつり人形」という曲がかかっていたので
私は、ピエロは凄い売れている有名なバンドだと
思っていました。
当時、照和に入り浸っていたという人の書き込みを
どこかで見たら、甲斐よしひろよりピエロという
バンドのほうが人気があったと書いてありました。 四季というバンドの曲のタイトルも
「あやつり人形」だったよね…と思ってググッて
みたら、B面の「季節」という曲は、作詞・作曲
ケメくん(佐藤公彦)でした。
四季は、ヤングジャパン創立時から所属していた
バンドだそうです。
1974年デビューみたいなので、リンドンと四季は
同じ事務所の同期です!
リンドンは東芝EMI
四季はエレックレコード 白浜久さんは、甲斐バンドのメンバーと仲良い
ですよね。 2023年11月18日(土) RUTE 松藤英男
1.甘いキスをしようぜ
2.メガロポリスノクターン
3.オールナイト ロング ドライブ
4.レイニードライブ
5.ダイヤル4を廻せ
6.グルーピー
7.汽笛の響き
8.バランタインの日々
9.楽宴
ーー小山卓治さんと
10.きんぽうげ
11.ビューティフルエネルギー ググッたら、松藤英男さんのセットリストは
見つかったのに、小山卓治さんのセットリストは
見つからなかったんだ。 今、断捨離中なのですが、1977年のエアロスミスの
ツアーパンフレットを見つけました。
このまえ >>541
誤送信してしまった!
この前のギターアッパーカットの話のとおり
「第一部■バウワウ」になっています。
18歳の斉藤光浩さんの写真があります。
バウワウが出ていたことを覚えていなかった
というより、前座のバンドがいたことも覚えて
いませんでした。
1977年2月…リンドンが解散した時です。 ブラッド・ウィットフォードは、1952年2月23日生
トム・ハミルトンは、1951年12月31日生
…キースと同じ歳だ!
ジョー・ペリーは1952年9月10日生だから、日本の
「学年」でいうとキースより1年下! 白浜久も1977年のエアロスミスの来日公演&前座BOWWOWを福岡市九電記念体育館にモッズのメンバーと見に行ったと言ってた 負けず嫌いの森山達也は終演後に「モッズの方がイケてる」と白浜久、浅田孟、川嶋一秀の前で粋がってたらしいw 今夜、21時更新! ギター・プレイのルーツ、日本編Part6!
今回は、『日本編Part6 年齢が僕と近いギタリスト達!』です!!
お送りしています、私のギタープレイのルーツ ・シリーズ。
日本編、Part6は、年齢が近いギタリスト達!
結局、前回と同じように、デビューも近いかも知れませんけどね。
またまた、1970年代中頃のことです!
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=PiBh9u-6hyo モッズって、クラッシュの真似とか言われてかなり評価が割れるけど、個人的には好きだな。
森山達也はたぶんめんたい系のビートバンドの中では飛び抜けて歌が上手いし、詞のセンスも高い。
梶浦という上手いドラマーが脱退してしまったが、まだまだバリバリ現役でいて欲しい。 1977年 エアロスミス日本公演
(第一部は、すべてバウワウ)
1月29日(土) 群馬県スポーツセンター
1月31日(月) 武道館
2月1日(火) 名古屋市公会堂
2月4日(金) 福岡・九電記念体育館
2月6日(日) 京都会館第一ホール
2月7日(月) 大阪・フェスティバルホール
2月9日(水) 武道館
リンドンは…
2月5日(土) 新宿ロフト
2月23日(水) 新宿ルイードで「解散!」 >>550
森山達也さん…甲斐よしひろさんとの対談で
「めんたいビート」とか「めんたいロック」とか
言われるの絶対に嫌だ!と語ってましたよね。 テレビ神奈川に出演するキャロルが見たくてUHFコンバーターを買いに行った田中一郎
UHF放送が開始された初期の頃にはテレビにUHF受信回路がなかったため、
外付けのUHFコンバータ(UHF信号をそのままVHF波に変換する)が使われた
一郎がUHFコンバーターを使ってTVKで見たジョニー大倉がいなかった3人キャロル
https://www.youtube.com/watch?v=9ure6rCt5X4
https://www.youtube.com/watch?v=3EnARRFJmIs ミューマジャパン、ファンキートマト、ライブトマト、懐かしいなぁ。
たしか、ARBのヒットマンや甲斐バンドのフェアリーのPVを初めて見たのもTVKだったと思う。一郎のソロ、甲斐よしひろ&Project Kのライブもライブトマトで観た。
うちは神奈川だから、当時UHFで42CH簡単に観れた。シャーリー富岡、マイケル富岡の富岡姉弟も懐かしい。ただ、世代的にファイティング80sは覚えてないのが残念。 財津和夫さんの「Wake Up」のドラムは、
松藤英男さんだそうです。 2023年11月18日 RUTEのライブで、
「きんぽうげ」の後のMCで松藤英男さんは
「今、大森さんいたよね?」と言って、
それに対し会場は「うん!いたいた」の大賛同
だったそうです。 YouTubeで「Wake Up」をググッたら、TULIPの
ライブの「Wake Up」が出てきた。
ドラムは伊藤薫さんだった!
かおるくん!カッコいい!!! リンドンと対バンしたザ・モッズ(森山達也、白浜久、浅田孟、川嶋一秀)
森山達也はマイクを振り回すパフォーマンス
浅田孟と川嶋一秀はサンハウスへ移籍
照和のオーディションにやってきた開戦前夜(高校生の森山達也、浅田孟)を合格させたのは甲斐よしひろと田中一郎 >>559
リンドンとモッズが対バンした時、プロとの違いを
見せつけられた感じで、ショックでしばらくの間
立ち直れなかったみたいなことを白浜久さんは
どこかの記事で書いてましたよね。
なんの記事だっけ? RCサクセションの
♪オンエアーしてくたさい
見たいのはロックショー
YEAHミスターテレビ局のプロデューサー〜♪
を聴くたびに、私は8時代ゴールデンタイムに
毎週、普通の民放で「ファイティング'80」
みたいな番組をやってほしいということだと
思っていました。
でも今ググッてみたら
「ヤング・ミュージック・ショー」をもっと
やってくださいということだったみたいです。
どっちにしても♪夢のロックンロールTVショー♪
ですよね。 下北沢ロフトにARBの「ファイティング'80」の
ビデオがありました。
田中一郎脱退後、しばらくの間、月に1回ぐらい
ARBファン友達で集って下北沢ロフトに行って
ARBの「ファイティング'80」のビデオを流して
もらってビデオライブやっていました。 丸山圭子さんの元だんな様の佐藤準さんは、
Charさんのバンド…スモーキー・メディスン、
BACCOのキーボードだった。
サトウレイさんのお父さん。 筋肉少女帯の曲に「高木ブー伝説」という曲が
あるので、筋肉少女帯のライブに高木ブーさんが
ゲスト出演したことがあるのですが、高木ブーさん
は、いかりや長介さんのことを
「あんな怖い顔してて、いい人なわけないだろ。
見たとおりの怖い人だよ。」
というようなことを言ってました。
いかりや長介さんは、筋肉少女帯の「ドリフター」
という曲のことを激怒していたらしいです。 初期のサザンが全員集合に出演した時に桑田佳祐が少年少女合唱団のコーナーでアドリブで冗談を言って受けたので
後で長介に君面白いなドリフに入らないかと誘われた 桑田佳祐さん…1956年2月26日生
Charさん…1955年6月16日生
大友康平さん…1956年1月1日生
世良公則さん…1955年12月14日生
…この4人を並べるだけで、田中一郎さんより
1歳下は凄い! 丸山圭子さんは、1954年5月10日生
…田中一郎さんと同じ歳です。 田中一郎が見に行ったコンサート(1982年2月1日中野サンプラザ)より
ヤング・ミュージック・ショー(放送日1982年5月8日)
https://youtu.be/FwrtjHxtkFo 中村昭二さんがFacebookに
「僕は君に首ったけ」…リンドンLive
をUPしてます。
…聴くと瞬間的に心が10代に戻ります! 今夜、21時更新! ギター・プレイのルーツ、日本編Part7!
今回は、『日本編Part7 もう、いろんなギタリスト達!』です!!
お送りしています、私のギタープレイのルーツ ・シリーズ。
日本編、Part7は、気になるギタリスト達、70年代から現在まで大全集!
まぁこれも、前回に近いかも知れませんけど、みなさん素敵です!
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=NUAt4xYooJo >>570
11月29日の「白浜久ブログ」に20年前、初台Doors
で一郎さんとシャケさんとCS&Nの「Wooden
ships」をやったと書いてあります。
アルフィーとマカロニえんぴつの話も出ましたね。 田中一郎のギター・アッパーカット2。
今回からは、『スーパー・ギタリスト、西山 毅さんをお迎えして!』です!!
ゲスト・ギタリスト・シリーズ!
HOUND DOGのギタリストとして活躍した西山 毅さん、登場!
幼少の頃、少年時代、活動開始、素敵です!
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=0yZllpOe4oY 1980年10月リリースのHOUND DOG 2ndシングルは、GEORDIE の All Because of Youに糸井重里の訳詞を付けたカバー曲
https://www.youtube.com/watch?v=TKANv_XQRss 今、断捨離中で友達がくれた「第3回ハッピーフォークフェスティバル '74.3.30」のカセットテープを
見つけました。
サイドAに「甲斐祥弘インタビュー〜ポップコーン
をほおばって」が入っていて、
サイドBにゲストのリンドンの
「オレンジ色の喫茶店〜MC〜陽気な雨」
かいよしひろバンドの
「金賞受賞〜ポップコーンをほおばって」
が入っています。
落ち着いたらカセットテープを聴けるようにしよう!
今テープがあっても聴けないのです。 西山毅の話は面白かった。次回も楽しみ
HOUND DOGは甲斐よしひろのサンストでデビュー曲の嵐の金曜日を聴いて知った HOUND DOGは1985年のフォルテシモから2000年くらいまで観客動員数は多かったからバンドメンバーは稼げたよな
西山毅はギャンブルにはまったとか言っていたけど 一郎は甲斐バンドに加入して3年で解散したからそんなに稼げなかったな
バンド解散後、甲斐よしひろのツアーにも参加したからバンドメンバーで稼げたのは4年くらいか >>586
加入して2年だよ。
甲斐バンドは、お給料はぶあいせい 誤送信されてしまった。
甲斐バンドは給料が歩合制で、ワンステージいくら
という形で、半年ライブツアー、半年レコーディング
等という形でやっていた。
自分用の機材は自分持ちで、ARBで使っていたものが
使えなくて全部、新しいものに買い替えなければ
ならなかったから、最初のうちはかなり貧乏に
なった。
ARBは、少ないながらも給料は月給制だったからね。
たったの2年だったから、あまりお金持ちにならない
うちに終わってしまったんじゃないかな? 人体実験だと分かっているなら打たない選択も許される。
打たない場合と比較しないとワクチンの安全性や効果を正しく評価できないから。
もちろん接種者と未接種者を比べるときは接種の有無以外の条件をできる限り等しくしないといけないけど
未接種者にも是が非でも打たせようとする連中がいるあたり、
実は人体実験は終了済みでワクチン薬害の証拠隠滅を図ろうとしてるんではないか
しかも2、3年ではあっさり全滅しないよう工夫してあるようだ。
ワクチン接種者はさまざまな病気で病院を利用するようになってもなぜ自分がそうなったか理解しない、したくもないだろうし、
他の感染症にも罹りやすくなりそれらのワクチン接種または治療を勧められる
医師や製薬会社はバレないように人口削減できて金儲けもできてウハウハだろう 田中一郎のギター・アッパーカット2。
今回も、『スーパー・ギタリスト、西山 毅さんをお迎えして!』のPart 2です!!
ゲスト・ギタリスト・シリーズ!
西山 毅さん、Part 2!
ギタリストとして! ミュージシャンとして!
濃いです。お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=Rb4F6hda-Sk 一郎が高校3年生のときに「こいつには勝てないな。こいつには負ける」と降参したのは「博多仲良し会ブルースバンド」の白井俊哉
https://www.youtube.com/watch?v=Bu5ZAtdIago 竹田元がジョニー大倉ソロアルバムにPLAY・アレンジ・サウンドプロデュースしてたのでジョニー大倉のアルバムに2曲参加した一郎
https://www.youtube.com/watch?v=23_dpfH0f7M ハウンドドッグ
私はベースのうみちゃん(海藤節生)ファンでした。
うみちゃんの元カノが石橋凌ファンで、ARBのライブ
に来てました。 リンドン婆は若い頃、ミュージシャンと付き合ったりとかはなかったの? 私は「だから大好きロックンロール」も
「嵐の金曜日」も大好きです!
…西山さんは嫌いだったんですね…
甲斐さんは「嵐の金曜日」をサンストでかけていた。 私がハウンドドッグの曲の中で一番好きなのは
「ファニーフェイス」です。
歌詞が新宿ロフトのオールナイトパーティーの風景
みたいなので。
「ファニーフェイス」を聴くたびに新宿ロフトの
オールナイトパーティーを思い出します。
新宿ロフトのオールナイトパーティーに集まる人
たちって、今でいうパリピっていうやつだったの
かな? だだだだけども ファニー・フェイス
お前なしでは Bad Bad time
ががが gota lady 集めて
そろそろ始めよう That's all right
R&R Party R&R Party
今夜はゴキゲン
今夜はサタディ・ナイト
https://www.youtube.com/watch?v=BwE4GnL7LEI >>599
西武球場ですよね?
1部のトリがハウンドドッグで、2部のトリが
RCサクセションでした。
私はRCサクセションのファンなので行ったのですが
このハウンドドッグのステージを観てファンに
なりました!
この日のRCサクセションとハウンドドッグ…
最高でした!
…この日、けっこう前のほうの席だったんだ! 1981年 西武球場
オールナイトニッポン
スーパーフェスシャワーリングJAM
1部
ヴァージンVS
シーナ&ロケッツ
ハウンドドッグ
2部
シャネルズ
横浜銀蝿
RCサクセション 西武球場…
一般的な知名度はシャネルズとか横浜銀蝿とかの
ほうが上というかんじだったので
「えっ?!RCサクセションがトリ?いいの?」
と思ったのですが、ライブではRCサクセションは
まさにキング!でした!!! 西武球場 トリのRCサクセション
1.ボスしけてるぜ
2.よそもの
3.SWEET SOUL MUSIC
4.ブン・ブン・ブン
5.スローバラード
6.ステップ
7.雨上がりの夜空に 1980年代の観客動員数が多かったのは甲斐バンド→オフコース→HOUND DOGではないかな
HOUND DOGは1985年の大雨の西武球場とフォルテシモのヒットでモンスターバンドに化けた 甲斐バンド…
武道館の1.5倍の大阪城ホールは2日間だし、
解散の武道館は後までお客さんを入れて5日間だった
もんね… 今TVでクリスマスソングをやっていて、「安奈」が
出てきた!
甲斐さんかっこいい!
…私はセカオワの「サイレント」が好きです! 田中一郎のギター・アッパーカット2。
今回も、『スーパー・ギタリスト、西山 毅さんをお迎えして!』のPart 3です!!
ゲスト・ギタリスト・シリーズ!
西山 毅さん、Part 3!
シグネチャー・モデル! マーク・ファーナーとの共演!
ジェフ・ベック、よもやま話! その他、盛沢山!
今回も濃いです。お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=xU2dztFNOvE 次回は田中一郎×西山毅 セッション
お楽しみに!
ハ・ガ・ク・レは井上堯之(ザ・スパイダース、PYG)の影響
https://www.youtube.com/watch?v=A8bRxhUwg08
Doobie Brothers - Long Train Running
https://www.youtube.com/watch?v=bCnM-mB6t3A 【西山毅をアッパーカット !!!!】
田中一郎のギターアッパーカット2。
西山さんのシグネチャーギターについて、たっぷりと。Part.3!!!
https://www.youtube.com/watch?v=nRzUVj7lXLo 本来はゲストの西山毅に多くを語って貰わないといけないのに
一郎はおしゃべりだから夢中で井上堯之の話とかをしていたな たしかに一郎は少し喋りすぎだな。
途中で西山から「ちょっと喋らせて」みたいに言われてたし。ゲストが来たら聴く側に回らないとな。 『恒例・謳い納め独演会 2023』
2023/12/16(土)高円寺ShowBoat
Section 1
1.乾いた花
2.お前はいつも女だった
3.Black & Red
4.OK! OK!
5.ダディーズ・シューズ
6.シェリーは昼間は死んでる
7.Naked body
8.赤いラブレター
9.エデンで1・2
10.Just a 16
もぐもぐタイム
Section 2
11.イカレちまったぜ!
10.13番街のワル
11.Hip Shake Hip
12.さらば相棒
13.ハ・ガ・ク・レ
14.クレイジー・ラブ
15.明日への賛歌(アリス)
16.いちご白書をもう一度(バンバン)
17.ポスターカラー(古井戸)
18.ダーリング(沢田研二)
19.クリスマス・イヴ(山下達郎)
20.あんたのバラード(Vo.ACE)
抽選会 Section 3
21.Do it! Boy
22.トラブルド・キッズ
23.ボート・ピープル
24.MOON
25.Day by day
26.クリーニング
27.Blue Wind
28.HEY!
29.モノクロ・シティ
30.S.U.R&R
31.Believe in R&R
32.Sissy R&R
33.Whisky & Vodka
34.ユニオン・ロッカー
Encore
35.Black X’mas
36.かりそめのスウィング
37.TOKYO CITYは風だらけ
38.ラ・ラの女
39.DANCE MUSIC
40.Born to be Wild(Vo.ACE)
41.War is Over! 私が谷村新司さんキッカケでリンドンと出会った時、
アリスが歌っていたのは「明日への讃歌」でした。 古井戸の「ポスターカラー」のセリフ部分は、
チャボさんのアドリブなので毎回、内容が違って
いました。
神宮外苑のテニスコートを眺めているのは、たいてい
出てきた気がします。
私は、国鉄に乗って由比ヶ浜まで行って、途中から
雪になる話が好きでした。
由比ヶ浜に降る雪の風景が見たくて、雪が降ってる朝
「具合いが悪い」と会社に電話して、由比ヶ浜に
行ったことがあります。
清志郎さんとチャボさんは、同じ女性を好きになって
しまったことがあるそうです。
「ポスターカラー」の女性がその人なのかな?と
私は勝手に想像したりしてました。 すみません!まちがえました!
セリフはたぶん古井戸の「花言葉」です。
セリフの内容がポスターカラーの歌詞みたいだった
ので。
今、まちがえたかも…と思ってググッていたら
YouTubeに忌野清志郎ボーカルの「花言葉」が
ありました。
やっぱり清志郎さんとチャボさんが1人の女性を
好きになってしまったことがあるって、「花言葉」
「ポスターカラー」の女性だったのかな?と
また想像してしまいました。 古井戸の「花言葉」のセリフ…「アルゼンチン
大使館前 午前6時30分待ち合わせ」
「横須賀線 片道230円の切符を勝って…」
…等でした。毎回、内容が違っていました。
ググッていたら、甲斐よしひろボーカルの
「ポスターカラー」がありました。 >>622
エレック レコードの日比谷野音のライブ盤で聴いたような もんた&ブラザーズのダンシング・オールナイトの発売日は1980年4月21日
甲斐よしひろのサウンドストリートのダンシング・オールナイトオンエア日は発売一ヵ月前の1980年3月26日
https://www.youtube.com/watch?v=OpjIkrHAmoU >>624
私もさっきYouTubeで、それを聴き直しました。
アドリブなので、本筋は同じなのですが、毎回
ちょっとづつ違っていて、凄く長い時とか短く
終わってしまう時とかありました。
喫茶店の中二階で神宮外苑のテニスコートを二人で
見ていたり、会えなくなった彼女を思い出して
道玄坂あたりを歩いたり、雪の由比ヶ浜に行ったり
…身近な場所がいっぱい出てきて、場所の映像が
思い浮かぶのでリアルでうっとりと聴いていました。
私は古井戸の曲、ほぼ全部好きです。
とくに仲井戸麗市ワールドは、うっとりです! 甲斐よしひろさんの歌う「ポスターカラー」も
うっとりです!
さっきググッていてYouTubeにあるのを見つけました あずま、閉店!
ショーボートの近所の甘味処。
でも、中華そば、焼き飯が、激美味!
いままで何度も、本番前の僕らの胃袋と心を満たしてくれた。
30日で閉店だと聞いたので、昼御飯にと、行ってみた。
当たり前かも知れないけど、10人以上の行列。
明日は、休みだそうです。
仕方がないから、御夫婦に挨拶だけしてきました。
ありがとうございました!
高円寺喫茶店「甘味処あづま」
https://shige-gourmet.jp/azuma/ 田中一郎のギター・アッパーカット2。
今回も、『スーパー・ギタリスト、西山 毅さんをお迎えして!』のPart 4です!!
ゲスト・ギタリスト・シリーズ!
西山 毅さん、Part 4!
ミュージシャンが語る、深~い話!
liveでの音場! モニタリング!
今回も濃いです。お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=D-rN-BUdAYc リンドン時代、ルイードの1部と2部の間に酒を
飲んで、酔い潰れて2部の途中で終了という事件が
ありました。
その時、私たちファンはなにも知りませんでしたが
後になって考えると、裏でARBを結成して、
リンドンを辞めると言った頃なのではないかと
思います。 一郎がリンドンを辞めたから解散したの?
それとも、いつか解散することは既に決まってたの? 谷村新司がラジオで赤いドレス~を何度もかけてくれたと言っていたから
3枚目のシングルがダメなら終わりと判っていたのではないかな アルバムと4枚目のシングルを発売予定だったから
解散の予定なんかなかった。
一郎が辞めるということになって、新しいギターを
入れてやっていくか検討したけど、一番人気だった
のが一郎だから続けるのは無理ということで解散に
なった。
リンドンファン情報は、そんなかんじでした。
ルイードで酔い潰れたのは、1976年の秋です。
石橋凌ワールドではARBというバンドは既に石橋凌を
中心に結成されていて、石橋凌を中心に活動していた
頃です。SF! アルバム発売が決まったということを発表したのが
1976年7月20日(石橋凌の20歳の誕生日)で、その後
ずっとファンクラブからのお知らせで、アルバムを
出す出すと言ってました。
でも待っても待ってもアルバムは発売されずに、
1976年12月に突然、スケジュールがほとんど
なくなってしまった。
でも解散は発表されなかった。
1977年になって2月に新宿ロフトのライブがあって
その時も解散は発表しなかった。
2月15日頃にファンクラブから解散のお知らせが
きて、2月23日のルイードが解散コンサートに
なりました。
4枚目のシングルは、たぶん
「ふたりのフォトグラフ」たったと思います。 35分前のキースのX
「咲いた花みて 浮かれる前に
咲かせた根っこの恩を知れ」 >>636
石橋に向けたメッセージ?
相当恨んでるんだろうね。
ARB一筋、骨を埋める覚悟で刺青まで掘ったのに。
キース、食えてないんだろうね…。 信昭くんはARBの渋谷公会堂を観に来ていた。
後楽園ホールの田中一郎ソロライブもけんちゃんを
連れて観に来ていた。
一郎くんも甲斐バンド時代
「最近、信昭のライブに行ってる?」とか私に
聞いたりしていた。
リンドンのメンバーは、仕事仲間というよりは
友達なんだろうな… 信昭くんとも甲斐さんとも凄いケンカしても
いつの間にか仲直りしちゃってた。
…だから甲斐バンドは何回も再結成した。 伊藤薫さんが、うじきつよしさんのXをフォロー
しているのに気付いた。
今日リポストしてた。 田中一郎のギター・アッパーカット2。
今回も、『スーパー・ギタリスト、西山 毅さんをお迎えして!』のPart 5です!!
ゲスト・ギタリスト・シリーズ!
西山 毅さん、Part 5 !
シグネチャー・モデル#2!
活動の現在、未来!
今回も濃いです。お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=BaOjs0cYCko
田中一郎×西山毅 Extra セッション
https://www.youtube.com/watch?v=BBO6DcP8aOk 田中一郎が所有しているギターの本数
・最近は数えてないんですよ
・高見沢俊彦の本数よりは少ないです
・年齢の数よりあるかも
バンバン・いちご白書をもう一度の頃は
前座とサポートを月に15本くらいやってた
https://www.youtube.com/watch?v=p9wZ6Ul4frA 一郎もそうだけど、甲斐も人の話をろくに聞かないで、自分のことばかりしゃべりたがるよな。
次のゲストは松藤よろしく。 松藤は甲斐の話も頷いて良く聞いてくれてる。
一郎と甲斐はぶつかるだろうけど、松藤はいい意味でいつも聞き役だから、いつも側においておきたいだろうな。大森さんはどうだったんだろう?一郎とは仲良かったみたいだけど。 大森さんは「他人には興味ない」というのが口ぐせ
だったのに甲斐バンドのメンバー全員のレア情報を
凄くよく知っていた。
実は他人に興味津々というかんじだった。
基本、おだやかな人だったから、話聞き上手だった
んじゃないかな。
基本、おだやかな人だから怒ると凄い怖かった。 チューリップ、リンドン、甲斐バンド…3バンドの
メンバーの中で1番モテていたのは、大森信和さん
だったんだよ。 >>650
心の旅のヒット以降は圧倒的に姫野達也 (タッチー) ARBに石橋凌を呼んだのが甲斐さんじゃない人に
なってしまっているということを知った時、
「凌を呼んだのは甲斐だよっ!」
と言って、大森さんはけっこうマジで怒っていた。 NHKは最初は石橋凌を呼んだのは甲斐よしひろだと解説
https://web.archive.org/web/20220804131350/https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0009070860_00000
↓
現在のNHKは
石橋凌を呼んだのは甲斐さんじゃないと捏造して隠ぺい
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009070860_00000 咲いた花みて 浮かれる前に
咲かせた根っこの恩を知れ 甲斐よしひろの事がよほどなんだな。
田中一郎と繋がってるからか?
KBCの岸川ディレクターに紹介しなければ芸能人になれなかったんだから、甲斐は恩人だろ。 大森さんと話していた時、ARBの話題になったら
大森さんが「甲斐が凌を呼んだんだよ」と言ったので
私は凄いびっくりして「ええ〜っ!!!凌くんを
呼んだのは甲斐さんなの?!!」と言ったら、
大森さんはびっくりしている私を見てびっくりして
「ARBでは誰が凌を呼んだことになっているの?」
と聞いたので
「ずっと一郎くんが凌くんを呼んだって言ってた
のに一郎くんが辞めたとたん、手のひらをかえす
ようにラジオ局のプロデューサーだかディレクター
だかが呼んだっていう話に変えたんだよ!」
と言ったら、大森さんは
「凌を呼んだのは甲斐だよ!」と言って怒っていた。
本当に岸川さんが絡んでいたのかな?
もう大森さんに聞けないし…
雑誌の記事とかでずっと一郎くんが凌くんを呼んだ
ことになっていたので大森さんから聞くまで私は
一郎くんが凌くんを呼んだんだと思っていました。 一郎くんと甲斐さんが出会ったのは幼稚園なんだから
それが不満ならARBのオーディション断ればよかった
のに… 多分、オーディションの頃は甲斐に対して嫌悪感は持ってなかったはず。もちろん、一郎に対しても。
音作りそっちのけで俳優とつるむようになって、調子に乗って芸能人面するようになってからだろうな。あとは、藤井にそそのかされてたというのもあると思う。 田中一郎のギター・アッパーカット2。
『海外レコーディングをアッパーカット!』Part 1は、アナログ録音時代です!!
今回から、しばらくギターやギタリストから離れて、海外レコーディング事情を!
…と言いましても、今回のPart 1は、直接触れてきた1970年代のアナログ時代を!
https://www.youtube.com/watch?v=9-P-OACjriU 伊藤薫さんがケラリーノ・サンドロヴィッチさんの
Xをフォローしているのに気付きました。
みのすけさんは朝ドラ(ブギウギ)に出るんですよね。 うじきつよしさんもケラリーノ・サンドロヴィッチ
さんをフォローしてリポストしてる! 私のリンドンファン友達は、薫くんのことが大好きで
その時ちょうど高校3年生で、進学するか就職するか
…進路について迷っていた時、たいていは学校の先生
に相談すると思うのですが、薫くんのことが大好き
だったので、薫くんに相談しました。
そしたら、まだ起きてもいない先のことを考えても
しょうがない。
今現在どうしたいのか、どうすればいいのか…
いつも「今」のことを考えていなさい…みたいなこと
をアドバイスしてくれたと言っていました。
ちなみに私の美大予備校の先生もほぼ同じことを
言っていました。
アーティストはやっぱりいつも「今」のことを考えて
生きているものだったりするのかな?と思いました。 アナーキーの「教室の中で」
♪きっと明日は いい事があるさ
明日じゃダメなのさ
今やらなきゃ 今すぐ♪
私も中学生の時、教室の中でイライラしながら
毎日そんなふうに考えていました。 えび「保険人生おくれ」
大森信和さんはファンハウスでプロデューサーを
やっていた時、新人発掘みたいなこともやっていた
ので、小滝橋通りの新宿ロフトにえびのライブを
観に行ったことがありました。 えびは関東ローカル番組時代の初期のイカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)に出たときに見たけどスターリンみたいだった 私事ですが、今日1月20日は私がリンドンと出会った日・記念日です。
1974年1月20日…ちょうど50年前の今日、銀座で
「西からの風」というヤングジャパン所属のバンドが
全部出るコンサートがありました。
谷村新司さんのセイヤングで告知していたので、
おもしろそうだなと思って出かけて行きました。
リンドンというバンドが出てきた瞬間
「日本にもこんな凄いロックバンドがいたんだ!」
と思って感動に震えました。
釘付け、虜でした!
私にとってRing Dongは世界一!
世界最高のバンドです!! 田中一郎のギター・アッパーカット2。『海外レコーディングをアッパーカット!』
Part 2は、デジタル・マルチ登場!and…です!!
前回から、しばらくギターやギタリストから離れて、海外レコーディング事情を!
…と言いましても、今回のPart 2も、海外には届かず、1980年代のデジタル・マルチ等を!
https://www.youtube.com/watch?v=nynvhPy4flA 田中一郎のギター・アッパーカット2。『海外レコーディングをアッパーカット!
Part 3は、ニューヨーク、ロンドンでの体験談…です!!
前々回から、しばらくギターやギタリストから離れて、海外レコーディング事情を!
今回のPart 3で、やっと海外事情に辿り着きました!
いろんな影響を受けた1980~1990年代でしたね!
ニューヨークのパワー・ステーション・スタジオでのレコーディング秘話
https://www.youtube.com/watch?v=2ZzBBcLV7HE 一郎、昔はフサフサでサラサラなきれいな髪質だったのにね。やっぱり毛染めは髪が痛むよな。 田中一郎のギター・アッパーカット2。『海外レコーディングをアッパーカット!』
Part 4は、番外編!ニューヨーク、ロンドンでのこぼれ話です!!
しばらくギターやギタリストから離れて、海外レコーディング事情を!
今回のPart 4は、出会ったアーティストや現場秘話!
専門的な話は、ほとんどありませんが、お楽しみください!
https://www.youtube.com/watch?v=xWqQ0Yw1gWU 田中一郎のギター・アッパーカット2
『ビートルズが愛した楽器たち!』Part 1は、ジョン・レノン!
今回からスタートします、ビートルズの愛用器たちについて。
Part 1は、ジョン・レノン! その1回目は、リッケンバッカー325。
弾き易いとは言えないくらいの、ショート・スケール!
ジョン、凄い!
https://www.youtube.com/watch?v=RdNfiLZUMlQ ビートルズの愛用楽器は河村カースケから借りてきたのかな?
コレクターの彼をゲストで呼べばよいのに 田中一郎のギター・アッパーカット2。『ビートルズが愛した楽器たち!』
Part 2は、ジョン・レノンの二回目!
前回からスタートしました、ビートルズの愛用器たちについて。
Part 2も、ジョン・レノン! 今回は、エピフォン・カジノ。
これも、ハイ・フレットは弾き易いとは言えない感じの、ネック・ジョイント!
ジョン、凄い!
https://www.youtube.com/watch?v=QqnRjwJAvq0 一郎 ブログ
吉田 彰さん、ご逝去。
2024/02/19 16:43
辛いです。
渋谷で一緒に映画を観て、くじら屋で食事したっけ…。
心から、ご冥福をお祈りいたします。
コメント
チューリップ・海援隊・リンドン・甲斐バンド…照和組の4バンドは、私の青春でした!
4バンドが一つの大学の運動部みたいなノリで大好き!でした!
4バンドのメンバーの中では、一郎さんが1番年下なんですよね?
2. ichiro
2024年02月20日 15:00
そうですね。
まぁ、薫さん、松藤さんとは同じ学年ですけどね。
ちょっと面白いのは、チューリップの姫野さん、海援隊の千葉さん、甲斐バンドの大森さんと長岡さん、そしてリンドンの信昭さん、
みんな同い年です。福岡では、プレイヤーが豊作だった年なのですかねぇ?
あ、サンハウスの奈良さんも同じだ。 白浜久ブログで、白浜さんが吉田彰さんのこと、
チューリップのこと、照和のこと、福岡のことを
書いています。 つのだ☆ひろさんと坂崎幸之助さんがチューリップの
ライブを観に行っていた つのだ☆ひろは先日の白浜のブログと同様に魔法の黄色い靴を高評価していた。
しかし心の旅の次のシングル夏色のおもいではアイドル路線と酷評していた Part 3も、ジョン・レノン!
田中一郎のギター・アッパーカット2。『ビートルズが愛した楽器たち!』
Part 3は、ジョン・レノンの三回目!
前々回からスタートしました、ビートルズの愛用器たちについて。
Part 3も、ジョン・レノン! 今回は、ギブソンJ-160E。
アコースティック・ギターにピックアップを搭載!
他のアコギとの違い。1960年代と現行との違い!
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=uh_a8YvtZtA 魔法の黄色い靴よりも、夏色の思い出、心の旅、悲しきレイントレイン、いとしのエミリーの方が好きだな。財津和夫より姫野達也のポップで甘いボーカルが個人的には好み。 チューリップは心の旅 (作詞 作曲 財津和夫) が大ヒットして
ヴォーカルの姫野達也がアイドル並の人気者になったから暫くシングルは姫野のヴォーカルになった
シングルの決定権はバンドメンバーでは無くてプロデューサーの新田和長かな リンドンも新田さんだから「夏の日の恋」の
ヴォーカルは田中一郎だ!…って新田さんが决めた
のかな?
新田和長さんて「海は恋してる」ザ・リガニーズ
だよね? ◆リンドン
70年代半ばとは思えない、この強烈なビート感。そして胸焦がすメロディ!
ARB/甲斐バンドの田中一郎(G, Vo)、チューリップ/オールウェイズの伊藤薫(DS,Vo)、THE BADGEの田中信昭(B,Vo)が在籍。
https://note.com/poptraks/n/nfb07eb88417b 元〈リンドン〉田中信昭さん、それに中村昭二さんと川崎哲さんで結成された、THE BADGE<'82-'86>。
その中村さんが新世代と組むバンドでステージに
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1761283897487466497/pu/vid/avc1/1280x720/zs2IT7h6rJvX3-cX.mp4
リンドンのspiritを汲み、60sのハートを80sの空気に昇華させたような、
ポップでパッションあるBeat Soundは、そして、いまに生き続けているんですね チューリップの魔法の黄色い靴は業界内では高評価だったがヒット曲にはならなくて
セカンド シングルとセカンド アルバムも売れなくて財津和夫は、かなり焦っていたと語っていた。
3枚目のシングル心の旅が起死回生の大ヒット
リンドンは3枚のシングルが全く売れなくて世間的には無名バンドで消えていった サンハウスよりは有名だったよ!
シナロケが売れて有名になったら、サンハウスが
有名だったみたいな話に変わっていった。
ARBがちょっと売れた時に藤井さんが「田中一郎は
70年代に存在していたビートバンド・リンドンの
ギタリストだった!」とか「田中一郎は現役高校生
の時にオーディション番組で準優勝して19歳で
デビューした!」とか宣伝してくれたらリンドンは
そこそこ有名だったということがわかったのに…
藤井さんはリンドンを存在していなかったことにして
無名なバンドにしてしまった! 1973年にチューリップの心の旅がヒットしていなければ
翌年にリンドンや甲斐バンドは東芝からデビューしていたかわからない
甲斐バンドはセカンド シングルの裏切りの街角がヒットして生き延びた ピエロというバンドの存在は知っていたけど、
サンハウスとかアップルツリーとかは、まったく
聞いたこともなかった!
まったく知らなかった! エレックレコードで千葉和臣さんと出会った時、
千葉さんはチューリップというバンドのことを
熱く語ってくれたけど、サンハウスというバンドの
話は誰からも聞いたことがなかった。 サンハウスの1stや2ndのレコードは入手困難で長い間、廃盤だったから音楽誌DOLLの売りたし買いたしコーナーでレコードを録音したカセットテープを2000円で売って小遣い稼ぎしてる人がいっぱいいた
1980年にデビューしたルースターズや柴山が歌詞を提供したARBをきっかけにサンハウスを知った後追いキッズたちが2000円のカセットテープを争うように買い求めてた
サンハウスの1stや2ndが再発されたのはARBがYELLOW BLOODを発売した1984年
再発するのが4年遅かった >>699
姫野達也のwikiより
福岡県福岡市出身。東福岡高等学校から八幡大学に進学。
アマチュア時代は、後に海援隊メンバーとなる、
高校・大学の同窓である千葉和臣とともにライラックを結成していたが、
財津和夫に誘われチューリップに加入 >>701
私がエレックレコードで千葉和臣さんと出会ったのは
1972年で、ちょうど「魔法の黄色い靴」がラジオで
ガンガン流れていた頃でした。
千葉さんが「チューリップって知ってる?」と
聞いてきたので「知ってる!知ってる!魔法の
黄色い靴でしょ?」と言ったら、千葉さんは嬉しそう
に笑って自慢げに「俺、チューリップのメンバーと
友達なんだ!」と言いました。
それでチューリップのメンバー一人一人が前は
どんなバンドにいたという話をしてくれたのですが
その時の私はチューリップのメンバーの認識が
なかったので「メンバー一人一人のことは
わからない」と言いました。
でも千葉さんはチューリップのメンバーと凄く
仲良さそうだったので、後になって武田さんが
財津さんと上田さんのことを凄く怒っていると
知ってびっくりしました。
後に「贈る言葉」という曲の認知度がチューリップの
曲以上になるとはその時は想像すらできませんでした 武田さんがいるのに千葉さんが見当たらない時、
私はいつも「武田さん!」と声をかけて
「和臣くんは?」と聞く…凄い失礼な奴でした。
でもそんな失礼なことをしても武田さんは怒ったり
しなくて「今日は千葉は…」と言って千葉さんが
いない理由を説明してくれました。
武田さんは凄く優しいお兄さんでした!
…中学生の時って怖いもの知らずだったなと思います ばんばひろふみさんが来てくれました。
勇気を持って『田中信昭さんのこと覚えてますか?』
と尋ねると、
『おぉー!信昭、懐かしい名前やなぁ。』
と陽気な雨を口ずさんでリンドン時代の話、ばんばんのバックバンドと前座をしてくれたこと、合宿所のことなど過去の思い出をたくさん語ってくれました。
ばんば様ありがとうございます
https://www.instagram.com/p/C3xA-n8PXJ6/ 個人的には菊のボーカルが気持ち悪すぎてサンハウスは全く受け付けない。シナロケで鮎川誠かっこいいなと思って後追いで聴いたけど、ちっとも刺さらなかったな。
夏の日の恋はリンドンのシングルでは一番いいよ。
さすが新田和長。ストリングスアレンジも素晴らしいし、しっかりした曲に仕上がってる。ボーカルもルックス的に一郎で正解。
ちゃんとプロモーションしてメディアに出てたら、もっと売れたんじゃないか? 当時の日本のロックは
・村八分(チャー坊)
・頭脳警察(パンタ)
・サンハウス(菊)
みんな個性が強すぎ >>701
「財津和夫に誘われてチューリップに加入」
誘われてと言うかドラムの上田雅利と同様に引き抜き
甲斐よしひろはチューリップの成功例を見ていたから甲斐バンドもいろんなバンドからメンバーを引き抜いて結成した チューリップのバンド名はビートルズのアップル レーベルのアップルに似た名前にしたくてチューリップにしたと財津和夫が言っていた
石橋秀樹のアップル ツリーもおそらくアップル レーベルから思い付いたバンド名だと思う
甲斐バンドは事務所が考えたバンド名で当初はペパーランド (ビートルズのイエローサブマリンの映画に出てくる国) >>706
1970年代…村八分と頭脳警察は有名だったから
知っていました。…というより日本のロックバンドと
言ったら村八分と頭脳警察というかんじでした。
でもサンハウスというバンドはバンド名も聞いた
ことありませんでした。
まったく知りませんでした!
…九州では有名だったのかな?
ARBのライブに行かなかったら、私は今でも
サンハウスを知らなかったかもしれません。
シナロケのことはユー・メイ・ドリームから知って
いましたけど。
RCサクセションと同じ事務所だったから1980年頃
シナロケのステージはいっぱい観てました。 >>705
グアム・サイパンツアーを大失敗して大赤字で
事務所ヤングジャパンはプロモーションするお金が
なかったのです!
でももし事務所がシンコーだったらチューリップの
ものまねバンドみたいにされていた気がするし…
ヤングジャパンだったからタテノリロックバンドが
できたと思う! 田中信昭さんのお墓参り
信昭さんがお亡くなりになられて20年。リンドンからデビューされて50年が経とうとしてる。
遠い遠い昔の話。
当時を知る方々に聞くと、音楽仲間から愛される兄貴的な存在、
器の大きさ、きっと優しくて素晴らしい人だったに違いない。
自分は会ったことないが、リンドン、THE BADGE、THE RAINの産み出された作品を触れてその人柄を感じます。
彼の作品が世界中のどこかで聴かれる以上、魂はいつまでも誰かの心に残り続ける。
信昭さん本当にありがとう。
https://www.instagram.com/p/C3w8IHKvZY1/ >>695
バンバンは初期のシングル4枚が売れなくて4人いたメンバーも2人になり
次のシングルがダメなら諦めようと5枚目のシングルはユーミンに依頼する事となる
その後、谷村新司はラジオでノーマークだったバンバンに大外から一気に捲られたと笑って言っていた。 この人たちの曲はラジオやテレビで放送禁止なのでみんな知らなかった
知らなくて当たり前
サンハウス
・アルバム収録曲のほとんどが男性器と女性器についての猥褻な歌詞なので放送禁止
村八分
・バンド名の村八分が差別用語なので放送禁止
頭脳警察
・過激すぎて放送禁止
<君たちにブラック・パンサーの同志を殺し、ゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、我々にも、ニクソン、佐藤、キッシンジャー、ド・ゴールを殺し、ペンタゴン、防衛庁、警視庁、君達の家々を爆弾で爆破する権利がある!> >>713
でも村八分と頭脳警察は有名だったから知って
いたよ!
サンハウスはバンド名すら聞いたことがなかった!
東京と福岡の認知度ってぜんぜん違ったのかな?
チキンラーメン知らなかったし…
お盆は7月だし… >>704の投稿コメントより
masatoshisekiguchi
3日前
わーッ!
妹はバンバンの追っかけ、
彼女は甲斐バンドの追っかけで
僕はよく付き合わされリンドンも観てたんですよね 埼玉県で育った亜無亜危異の仲野茂は15歳の頃にサンハウスのレコードを聴いていたと言ってるから
1975~1976年に高校生だった埼玉県民はサンハウスの名前を知ってたみたい 仲野茂…昔のトークライブの時に話してたけど、
影で柴山さんのことを「柴じい」と呼でいたら
うっかり本人にむかって「柴じい」と言ってしまった
とか…
サンハウスって埼玉では有名だったのかな?
村八分と頭脳警察は凄く有名だったよ! 1975年〜1976年
私は東京でリンドンのライブにどっぷりと
ハマッていました!
サンハウスはバンド名すら聞いたことがありません
でした! 1975年て…田中一郎が最高にカッコよかった時だよ! >>718
その頃、圧倒的に人気があったバンドは ベイ シティ ローラズ 70年代に世間一般に知られていたロック バンドは、
ぎんざナウとかテレビに出ていたキャロルとダウンタウン ブギウギ バンド
村八分や頭脳警察なんて誰も知らんわ
ちなみに、ぎんざナウにはアルフィーやオレンジ ペコも出ていた ユーチューブ田中一郎のギター・アッパーカット2では
リンドン時代の思い出を語るときや
一郎が高校生だった時の思い出を語るときは
サンハウスやマコちゃん(鮎川誠)の話題が何度も出てるね。
九州の福岡県に住んでいた時の田中一郎はサンハウスや鮎川誠にかなり影響を受けたと思われる。 >>721
村八分と頭脳警察は凄く有名だったよ!
若者はみんな知っていたよ!
…東京だけの話だったのかな? >>720
ロックファン…とくに洋楽ロックファンはたいてい
ベイシティローラーズが嫌いでした!
ベイシティローラーズのファンてロックファンでは
なくて、アイドルファンの人たちというかんじでした 福岡ではリンドンてものすごい人気だった
みたいですよ!
照和の関係者はチューリップより売れる!と思って
いたみたいだし… >>722
昔、甲斐よしひろのセイヤングでみんなで
「チューリップと海援隊が上京してしまって
ポッカリ穴があいたみたいになって停滞してまった
時期があった」
という話をしていたことがあった。
その時、田中一郎は高校生だから、福岡には
サンハウスしか残っていなかったんだよ 田中一郎は安部俊幸さんにぞっこん!だったから
サンハウスの影響はそんなに受けていないような
気がする。
チューリップに対してとサンハウスに対してと
…なんか違うもん! 甲斐バンドは、甲斐よしひろが日本人向けに洋楽のエッセンスを盛り込むの上手いよな。
裏切りの街角とか、日本人好きそうなメロディラインだし。 リンドン時代はキャロルみたいなリーゼント革ジャン姿の後期より、デビュー時の長髪でバギー履いてる一郎の方がカッコいい。 >>728
裏切りの街角はキンクスのパクリと言えばパクリだが
日本で1番売れたシングルおよげたい焼き君もキンクスのパクリ
哀愁が漂うメロディーは日本人好み >>724
1966年のビートルズの武道館公演よりも
1976年のベイ シティ ローラズ の武道館公演の方が大騒ぎになった アメリカでは大谷翔平はビートルズみたいだと報道されてるけどBCRとは報道されてない
●ヌートバー
彼はマイケル・ジョーダンやザ・ビートルズのような存在です
●ジオリト
彼の人気度は今まで見たことがないレベルだからね。ヤンキースもある程度の出待ちはいるし、ホワイトソックスはまぁパラパラとサイン待ちの人がいるくらいかな。
だけど、エンゼルスはどこに行っても出待ちの人だかり。エンゼルスではなくショウヘイ・オオタニ目当てのね
トロントでも人だかりができてたから、先にバスを降りて様子を見てたんだよ。そしたら彼がバスを降りた途端10代くらいの女の子が号泣し出したんだ。 翔平が話しかけに行ったとかじゃないんだよ。彼が「見えた」それだけ。他の人もみんな発狂してた。
あんなの見たことないって。ビートルズと昔のChicago Bullsが組み合わさった感じだって、彼はそれにうまく対処してるよ。僕だったらあれは対応できないし、あんなレベルの人気望んでないよ。でも、彼の場合はまったく気にしてない風なんだよね
●ウォルシュ
「チームのバスの外にいた女の子4人が、大谷が中に乗っているのを知って泣きだした」
「(球界一の選手とされる)マイク・トラウトもかなり大物だけど、マイクがバスに乗っていても泣きだす子は見たことがない」そのエピソードに「ビートルズやマイケル・ジャクソンと同じ!」と大興奮
●カルフーン
カブス戦でシカゴに行った時のこと。 出待ちをしていた女性ファンが3人いた。
「彼はあまり乗り気ではなかったんだけど、僕らが無理やりバスから下ろしてね(笑)。 そうしたら、3人のうち2人が、ショウヘイがバスから降りてきた瞬間に気絶しちゃったんだ。 その時、『ワォ、彼はロックスターなんだ』って感じたよ。その光景を見て、彼は大物だとみんなが気が付いたと僕は思っているよ」
●デーブ・ロバーツ監督
「ショウヘイはビートルズのようなものだ」 >>730
Sunny afternoon でしょ?
Bメロとかよく似てるよね。
イントロは東京の一夜のライブテイクに似てる。
裏切りの街角は、当時まだ小学生になりたてくらいの甲斐バンドを知らない頃に何度もテレビや有線とかで聴こえてきてて、やけに印象に残る曲だったけど、後年HEROがヒットした後に甲斐バンドストーリーを聴いた時に「え〜っ!これって甲斐バンドだったんだ?」ってビックリしたよ。
チャート7位が最高位らしいけど、それ以上にインパクトのある曲だと思う。 ギターアッパーカット
一郎の左薬指にキラリと光る指輪 結局、一郎って離婚してなかったの?
それとも新しい奥さん? >>726
1976年9月3日 甲斐よしひろ「セイヤング」
チューリップと海援隊が出て行った後というのは
もう完全に沈滞ムードが1年半ぐらい続きましたよ!
もう最悪の時期でね…
…甲斐よしひろ・長岡和弘・田中信昭・田中一郎の
4人で福岡時代のことを話していました。
この日、リンドンのルイードライブだったのですが
私はライブに行っていませんでした。
ライブに行っていた友達が速報電話してくれました。
「長岡さんが来てるから、たぶんこれから
セイヤングに出るよ!聴きなよ!」
それでガッツリとスタンばって聴けました!
アナログの時代の情報って人の情だったなと思います 一郎の息子はベースを弾いてる
今40歳を越えいるだろうからプロではないな ビートルズが愛した楽器たち!』Part 4は、ポールさん!
ビートルズの愛用器たちについて語るシリーズも、Part 4
今回は、ポールさんのベース、ヘフナーについて!
マルチな彼は、1960年製のカジノをいち早く入手したり、
マーチン、エピフォンなどのアコギも、本当に多才です
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=T47RwAYpSgI 1976年9月3日 甲斐よしひろ「セイヤング」
(チューリップと海援隊が出て行った後)
やっぱりその1年半ていうのは、完全にある種の
沈黙でね…
やっぱりあの人たちが…バーッと…チューリップ
…海援隊ね…盛り上げたので…わりとその…
マスコミ関係の目が僕らのほうに向いたと!
そのいい時期に俺とリンドンも出て、僕らもいった
という雰囲気なんですけども… 甲斐よしひろの「ランチタイム」って
「最悪の時期1年半」「沈黙の1年半」に作ったの
かな?
東京までは遠いよね
縋るものなんてありゃしない
僕は疲れてる 奴も疲れてる
※「奴」というのはリンドンの田中一郎氏の事です 家族の話なんて聞いたことなかったけど、アッパーカットに出るようになってからよく言うようになったね。 キンクスはパクリの常習犯だよ
You Really Got MeはThe Fantastic BaggysのAnywhere The Girls Areのパクリだし
All Day And All Of The NightはHal BlaineのDrums A Go Goのパクリ
ロックの系譜はパクったりパクられるのが当たり前の世界
ロックンロールとは文化の継承 1976年9月3日 甲斐よしひろ「セイヤング」
一郎:でも僕らはあれですね…
リンドンていうのはもともと生ギターっぽかった
ですけど…
まあ…僕が入ってあんなになりましたけど…
やっぱり「照和」では異色でしたね!
甲斐:そうですね!
一郎:やっぱり生ギター中心の「照和」っていう
喫茶店で…
甲斐:うん…うん…
一郎:昼間っからエレキの音鳴らしたりしてね…
甲斐:うん…うん…
一郎:ほんとに…文句ばっかり言われましたけど…
甲斐:そうですね!いつも…いつも喧嘩してましたね
信昭:(笑)喧嘩…上と…!!
一郎:ほんとの喧嘩ですね! 1976年9月3日 甲斐よしひろ「セイヤング」
甲斐:あの…「照和」っていうのは地下にありまして
フォーク喫茶はね…それで1階の…たとえば
リンドンっていうのは「大ハードロック」で
ありましたからね…昔から
上のウエイターと喧嘩するわけです!
上のウエイターが「うるさい!」と言って
文句を言ってくると…
一郎:僕はとくにやってました! 1976年9月3日 甲斐よしひろ「セイヤング」
甲斐:一郎とは…僕とは…幼稚園と小学校と中学校が
一緒でね…
一郎:小学校と中学校とが…ね
甲斐:一郎が1年下なんですけどね…
一郎:そうなんです!
甲斐:たまたまそれだけなんですけど…
一郎:ふふふ…(笑)
甲斐:たまたまだけど…いつも一緒にいた…と!
昔から!
一郎:うん!一応ね!…パチンコ…酒…全部
甲斐くんと一緒に学びましたけどね! 1976年9月3日 甲斐よしひろ「セイヤング」
甲斐:夜遊びはやりました!!一郎と…!!
いつも博多で!!毎晩!!
一郎:毎晩!!
甲斐:毎晩やりましたね!ほんと…真面目に!
長岡:やりましたね!
一郎:18ぐらいだよね! >>739
照和で活動していた妙安寺ファミリーバンドの方の話では
チューリップと海援隊が上京してからは甲斐よしひろのギター弾き語りの曜日が凄い人気だったそうな
武田鉄矢と同様に甲斐もトークは上手いから集客力はあったであろう、
甲斐バンドのデビュー前には2000人集めたらしいし、以前は900人と書いてあった気がしたけれど、それでもデビュー前で凄い 甲斐バンドのwikiより
1974年
8月31日、アマチュア時代最後の「甲斐バンド出発(たびだち)コンサート」を、福岡電気ホールにて開催(約2000人動員)。
11月4日、シングル『バス通り』でデビュー(キャッチフレーズは“九州最後のスーパー・スター”)。
12月3日、神田共立講堂でデビューコンサート。前座ゲストのチューリップのステージ終了と共に、
客がゾロゾロ席を立つという「屈辱」のコンサートとなる。 長岡さん…甲斐バンドの50周年に戻ってきて
くれないかな?
…1曲だけでもいいから… 長岡 和弘
2月19日 22:26 ・
私の大先輩で大変お世話になったチューリップ??のベーシスト吉田彰さんが逝去されました。
福岡に居たアマチュア時代から上京して何もわからない私を大変お世話していただきました。
チューリップと甲斐バンド…コンサートも前座をやらしていただきました。
一緒にサンフランシスコ、ヨセミテ、ラスベガス、LA、ハワイ…と初めてのアメリカ旅行でもお世話になりました。社員旅行でも毎年ご一緒しました。
東京での住居も100mも離れてなく私はそばにくっ付いていました。
吉田さんの奥様と私の妻は大学生の時に女性デュオのグループで活動していました。不思議な縁での繋がりを感じていました。
バンド退団後の乃木坂の吉田屋珈琲店の1人目の客として珈琲をいただきましたね。
福岡へ戻られてからも西南学院女子寮に勤務時にも遊びに行きました。お寺でのコンサートにもお邪魔しました。
いつも楽しいお茶目なjokeで腹の底から笑わせてくれましたね。
もう逢って会話ができない事だけが残念ですが、私の中で吉田さんはズッと生きていますよ。話し声だって冗談だって交わす事が出来ます。夢にだって出てくる事でしょう…
私と知り合っていただいて心から感謝致します…安らかにお休みください。今度は天国でお逢いしましょう。またお世話になる…と想います 1976年9月3日 甲斐よしひろ「セイヤング」
甲斐:博多フォークの自主制作なんかで出してた
LPがあるでしょ…
長岡:うん…うん…
甲斐:リンドンと僕らが入ってなくて…ほら…
一郎:ああ…松藤たちのね…
甲斐:「妙安寺ファミリーバンド」とか「ピエロ」
とか…そういうのを何曲かかけたんですけどね
…
一郎:ああ…1回聴きましたけどね…
甲斐:あの…やっぱり…こう…あれですね…こう…
がんばっとったんだろうなあ…という気は
するんですけども…
やっぱり商品になるのは別だなという気が…
非常に…その時切実に思ったりしたんですけども
…
やっぱり…あの…プロになって曲作りの面とか
ね…いろいろなカンジで…やっぱり…こう…
変わりましたか?
雰囲気…バンド活動の考えとか…
一郎:考えはやっぱり多少なりともどんどん変わって
ますけどね…
甲斐:やっぱりかなり遊び半分でやってた部分はある?
一郎:それはある意味では、今でもぜんぜんあるしね…
甲斐:やっぱり「好きで…」っていう…?
一郎:「好きで…」っていうよりも、俺が…客の前に
俺が先に楽しんで、その後楽しんでちょうだい
っていうカンジはありますが…ハッキリ言って!
甲斐:ああ…なるほどね! 『ビートルズが愛した楽器たち!』Part 5は、ジョージさん!
Part 5は、ジョージ・ハリスンのグレッチ!
ビートルズの愛用器たちについて語るシリーズも、Part 5。
今回は、ジョージさんのグレッチ、カントリー・ジェントルマン!
チェット・アトキンス、ステファン・スティルス、二ール・ヤング、ブライアン・セッツァー、
名手が使ったギターです!
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=nyTOwM-iNow >>721
リンドンもけっこう「ぎんざNOW」に出ていたよ!
レギュラーはなかったけど…
1976年7月20日…石橋凌の20歳の誕生日の日
17:00項から「ぎんざNOW」出演で
19:00頃から目黒区民センターでライブだったんだよ!
「ぎんざNOW」ではリンドンファン投票の人気2位の
「キャンディガール」という曲をやりました。
「ぎんざNOW」って生放送だったからあまり映像が
残っていないんだよね。
1976年7月20日は、もうリーゼントの頃だったから
ロン毛の時ほどはカッコよくなかったけど…
でも石橋凌が19歳でARBに入って、もうARBは活動
していたということはないよ! 1976年7月20日
リンドンがぎんざテレサに入ったのは15:00頃 つのだじろうの「恐怖新聞」の心霊写真コーナーに、
リンドンのライブで撮影した写真が掲載されている 矢沢永吉、宇崎竜童、ユーミン、あたりはぎんざnow!に出演していた事は黒歴史だな
ユーミンに至ってはデビューしてから君こそ明日のスターみたいなコーナーに出場して1週で落とされたから リンドンの映像って、ほんとに見つからない。
バンバンのバックとかじゃなく、リンドン単独の映像が見たい。 >>741
私たちファンには息子の話してくれてたよ!
けんちゃんが3歳ぐらいの時、アパートの向かいの
家も田中さんで、けんちゃんと同じ年の男の子が
いて、その子がすごく可愛い子で、けんちゃんに
「◯◯ちゃんも田中なんだよ」と言ったら意味が
わからなかったみたいできょとんとしていたとか…
ずっとツアーに出てる間、なかなか家に帰れないから
「パパは会社が好きなんだね…」と言われてしまった
とか… 私たちファンには息子の話してくれていたのに
「アリーナ37℃」という雑誌のARB特集の記事で
「ARB女を語る」という記事で、こういう女性が
好みだとか、結婚するのはこんな人がいいとか…
独身と思わせるような記事を角野恵津子という
ライターが書いたのです。
メンバーと話したりしないファンの人たちはそれを
読んで、田中一郎は独身だと思ってしまったみたい
でした。
それで話がぐちゃぐちゃになってARBがSFな世界に
なっていったんだよ! 大谷翔平の奥様って本当にあのバスケットボール選手
なのかな?
本当だったらカッコいいのにな…
あのバスケットボール選手だったら田中さんだよね…
だいたいリンドンが二人「田中さん」だったから
「信昭くん」「薫くん」「一郎くん」と呼ぶように
なってしまったんだよね… >>734
♪くすり指の指輪に 興味があるほど
少女でもないし あの娘
そんなに重たい愛でもないさ♪
甲斐バンド「エンジェル」
…私はこの曲大好きですが、今の御時世だつたら
この歌詞を出せないような気がする。
不倫した芸能人は殺人犯と同等みたいな扱いされて
いるもんね…
♪さっき別れたはずなのに もう思い出してる♪
…っていうところが私は好きです! エンジェルはオリジナルよりリピート&フェードに収録された新バージョンの方が好きだな。 ♪テレフォンコールは2度目に切るのが合図さ♪
…って、現在の若者が聞いたらまるっきり意味が
わからないだろうな… 電話を受けちゃうと通話料がかかっちゃうから、鳴らす回数で合図を決めたりしてたね。あと、基本は固定電話だったから家族が出ちゃうと大変だった。
当時の甲斐の詞には「電話」がよく使われていたね。テレフォンノイローゼ、ダイヤル4を廻せ、エンジェル、冷血、ミッドナイトプラスワン…もっとあるかな? 電話回線を使う従来の固定電話は廃止だけど、利用者はIPネットワークでこれまで通り既存の電話番号で使える。電話回線がインターネットにシフトしていく感じだね。昔は固定電話の権利っていうのがあって、個人資産の一部だった。新規で権利を買うと12万くらいかかったよね。一人暮らし始めたばかりのころ、わざわざ買ったよなぁ。大変だった。 >>767
ミッドナイト・プラスワン…好きです!
…まゆみさんの姿が思い浮かんでしまうけど… >>763
やっぱり大谷翔平選手の奥様は「田中さん」だよね?
カッコいい!!!
大谷翔平選手…奥様まで完璧! キースが九州ツアーで大濠公園を散歩の映像を
XにUPしてる!
大濠公園は田中信昭と伊藤薫が出会った場所。
二人がここで出会ってリンドンが生まれた!
道を挟んで福岡大学付属大濠高校があるんだよね。 ARBは田中一郎がキースに
「俺がバンドやるって言ったら一緒にやる?」
って聞いて、キースが
「やる!」
って答えて生まれたんだよね! 一郎ちゃんのブログ見ると5月4日のライブは
リンドンの曲、やりそうだね。
行ってみようかな。リンドンのリアルタイム知ってる人いるかしら? 行けるなら行っといたほうが良いですよ
観られるうちに、です 1976年9月3日 甲斐よしひろ「セイヤング」
甲斐:オリジナルをやるっていうバンドで…
やっぱりチューリップは!ね!
そういうところが非常にあります!!
一郎:やっぱりある意味で別格的なね…存在だったね!
甲斐:異色だったわりに最初の曲から…かなりコード
が…めちゃくちゃ凝ってたりして…やっぱりね!
ただ生ギターの部分で…アタック面で なんか
非常に弱かった部分ていうのが…隠さない部分
だったと思うんですけども…
その時にやっぱりがんばってたのが海援隊で…
一郎:うん…ね… 1976年9月3日 甲斐よしひろ「セイヤング」
甲斐:海援隊はその時はエレキだったんですね!
一郎:うん…ね…大ロックね!
甲斐:大ロック大会でほんとにもう…
福岡のハードロックというかんじでね…ほんと!
一郎:ベースがよかったですね!
甲斐:ええ…ベースがよかったっていうかんじが
しますが…
その時のドラムが今のチューリップの上田雅利
で…で…結局上田雅利がまあ…いろいろあって
チューリップのほうに行って…チューリップが
エレキになって…海援隊が今みたいになった…
と!
一郎:うん!
甲斐:それでチューリップがポーンと出て行って
海援隊も出て行きましたよ!
一郎:うん! 一郎がビートルズの楽器を紹介してたけど
「洋楽」を聴く日本人、ここ10年で20%から2%に激減していた・・・
https://i.imgur.com/s21Y5IT.jpg >>778
私はARBは「田中一郎のバンド・ARB」のほうしか
知らないのですが、ARBのファンの人は洋楽を
ぜんぜん聴かなくて、いきなりARBと出会って
いきなりARBファンになったという人がけっこう
いました。
私は「ロック好きな人は洋楽を聴く」「男の子は洋楽を
聴く」というイメージで固まっていたので、洋楽を
聴かなくてARBファンというのが当時けっこう衝撃
でした。
でも逆に洋楽しか聴かなかっ ご送信してしまった!
でも逆に洋楽しか聴かなかった人がARBと出会って
「日本にもこんな凄いバンドがいたんだ!」
と感動してARBにハマった!という人もいました。
なんか私がリンドンと出会った時と同じかんじ
だったので、私は音楽のことはよくわからないの
ですが、「田中一郎の音」は洋楽ファンを納得
させられる音なのかな?と思ってしまいました。
田中一郎は凄い人なんだなと思いました! 洋楽離れに洋画離れ
洋楽はヒップホップが主流
もう世界的ヒット曲出せなくなってる
洋楽を有り難がるのは70年代まで
日本人にとって音楽はメロディだから
メロディ捨てた洋楽は厳しい >>781
実際1980年頃、ARBあたりから洋楽でロックでは
なくて、日本のバンドでロックという新しい時代が
始まったみたいですよね! ギターアッパーカットを観ていたら
甲斐バンドの79年と80年のNHKヤングミュージックショーがアップされていて見入ってしまった 白浜久さんが4月7日のふくおか音楽村ライブWALK
というライブでARBの曲…田中一郎の曲も斉藤光浩の
曲もやると告知している >>783
ギターアッパーカットをまだ観ていないのですが
YouTubeに79年のが入ってきたので観たら…
甲斐さんが若くて凄く可愛い!!
私は79年の武道館の時[Kai Band]のロゴが入ってる
黒いネクタイを買いました。
79年の武道館の時「ここに田中一郎がいたら
いいのにな…」と思ってステージの上に幻の田中一郎
を観ていました。
1984年に夢が現実になってしまいましが、そしたら
なんかピンとこなくて複雑でした。 >>785
甲斐バンドの79年80年の2ndギターは一郎とも交流のある佐藤英二
HEROのヒット以降はキーボードも2人にして演奏はまとまっている
79年のNHKホールの時にはベースの長岡は病欠で既にいなかった
甲斐バンドが観客動員数1位でピークの頃ですね 長岡さんはライブで安奈を演奏したことはあるんだろうか? >>785
79年は甲斐バンド初の武道館で100万$ナイトのタイトルでライブ盤になった
この時も長岡は不在、甲斐バンドは観客動員数1位になって頂上からの景色を見ないで長岡は脱退
一郎が加入した頃にはオフコースが観客動員数1位になっていたから一郎も頂上からの景色は見ていない 米フェスの仕事は長岡さんからだったし、長岡さん
ブログかなんかに米フェスに行って久しぶりに
メンバーたちに会ったって書いていたよね! >>789
5人時代のARB嫌いだったから、ARBのライブに
ぜんぜん行ってなくて、甲斐バンドの初武道館に
行ってステージを観ていたら、このステージに
田中一郎が立っていたらいいのに…と思って幻の
田中一郎を観ていました。
でも1980年になって「BAD NEWS」が出たら
リンドンの音に戻っていたから、甲斐よしひろと
田中一郎は幼稚園で出会って2人ともプロの
ミュージシャンになったけど、それぞれの音楽を
やっていて また誤送信してしまった。
それぞれの音楽をやっていて一緒のバンドではない
ところが浪漫だよな…と思っていました。
でも1982年11月に石橋凌がこれからは役者もやると
発表したので、私はARBが「役者が歌うバンド」に
なるなんて絶対に嫌だったので、それならば
甲斐バンドのほうがいいなと思ってしまいました。
でも長岡さんが脱退した時に甲斐さんが
「新メンバーは絶対に入れない」と言っていたので
甲斐バンドのメンバーになるのは無理だし…と思って
いたら79年の武道館で見た夢が現実になってしまった
ので、びっくりしてしまいました! 田中一郎が甲斐バンドに加入したのは大きかったな。甲斐バンドに比べ知名度は劣るにしてもメジャーバンドのリーダーが、一ギタリストとして加入するんだから。そして、ステージ映えするしルックスもいい。あと、みんな小柄だからやたらとデカく見えた。 ARBは一応ビクターの2推しバンドだったんだけど…
一推しはサザンオールスターズ まさかサザンがこんなに売れるとは思わなかった。
コミックバンドみたいだったしな。
ツイスト、アリス、サザン、ゴダイゴ、甲斐バンド
70年代末期はニューミュージックwで盛り上がったな。当時まだ小学生だったけど、甲斐バンドが好きな俺渋いゼ!って思ってたわ。 田中一郎ブログでARBを「自分のバンド」と言って
くれている!
うれしい! >>796
1980年頃はザ・ベスト10の常連ツイスト、アリス、サザン、ゴダイゴは甲斐バンドよりも人気があった
それなのに甲斐バンドが観客動員数1位なれたのはライブの本数が多かったから
そのせいか演奏時間は短く正味90分なかった
セットリストで決まっているアンコールが3回あってその都度5分くらい休憩していた >>798
80年になると、あれだけヒットを飛ばしまくってたゴダイゴ、ツイスト、アリスも勢いが無くなり、解散や活動停止に。サザン、甲斐バンドは方向性は違うけど、存在感は増して行ってた。 甲斐バンドファンの人のブログを見たら、3月1日の
「セイヤング」で甲斐さんが吉田彰さんの思い出とか
照和の思い出とかを話していたみたい。
何故か照和の人たちはフルネームで呼びあっていた
とか…財津さんだけは「財津さん」だったけど
それ以外はお互いにフルネームで呼びあっていたと
話してました。
「田中一郎」はどこからが名字でどこからが名前か
わからない。「田中一郎」は「田中一郎」という
単体だそうです! 白浜久さんもチューリップのこととか吉田彰さんが
白浜久さんのライブに来てくれたこととかをブログ
に書いていたよね。
白浜久さんは先輩たちに可愛いがってもらっている
よね… 甲斐さんが月に1回JFNでやってる方のラジオ番組LEGENDS四月第一週は
デビュー前に照和のみんなに手伝ってもらってデモテープを4曲録音した話題でした
吟遊詩人の唄
バス通り
他2曲 デモテープを持って東京に来た時、リンドンの3人が
住んでいる部屋に泊めてもらって、一郎の布団で
一緒に寝たという話のデモテープかな…? そういえばARBの「ラ・ラの女」…
♪今すぐ受話器とってくれ
ダイヤル回してみてくれ♪
…だった!!
2024年固定電話廃止 4月10日は、リンドンのドラム伊藤薫さんの誕生日
です!
薫さん、おめでとうございます!!
カッコよかった薫さんもついに70歳…
身長183cm 体重65kg、福岡の千代町の人です。
リンドン時代は八丁堀に住んでました。
甲斐さんが八丁堀にも千代町にもウケていました!
リンドン時代は本当に本当にカッコよかったです!!
チューリップ時代もカッコよかったですよね! 伊藤薫さんは、新宿ロフトの初代店長CHAPさんと
仲良かったみたいです。
それで1977年2月5日リンドンは新宿ロフトに出演した
みたいです!
「リンドンファンクラブの会報のライブレポ」
CHAPっておかしい人です。かおる氏の家に泊まったら
朝はいつもジャガイモさといものみそ汁で、パジャマ
に学生服のボタンをつけてるとか言うのです。
(本当についてたら いたいよね)
…ライブレポの上に1月11日四日市でのチューリップ
のコンサートで上田氏のかわりを薫さんがつとめた
と書いてあります。 中村昭二さんのfacebookにリンドンの「9月の歌」が
upされています!!
うっとり! 中村昭二さんがfacebookにリンドンの
「Orange Special」をupしてます!
この曲…作詞:田中信昭 作曲:田中一郎 なんです! 1977年2月5日のリンドンの新宿ロフトのライブには
松藤英男さんがゲストで出演していたので、
新宿ロフトには福岡大学付属大濠高校の同級生3人
(伊藤薫・松藤英男・田中一郎)がそろっていました。
…で1977年6月15日の新宿ロフトは甲斐バンド
でした。
甲斐バンドの新宿ロフトライブはYouTubeに
あります。
甲斐さんの声が可愛い!!
大森さんのギターが素敵!! ARBは1977年6月15日は新宿ルイードでした!
最初にシンコーから来たライブのお知らせハガキは
1977年5月11日,24日の新宿ルイードのお知らせ
でしたが、最初のお知らせハガキはメンバーが
田中一郎・エンマ・宮城伸一郎・キースの4人で
まだHIDEKIの名前がありません。
2通目のお知らせハガキが1977年6月15日の
新宿ルイードと6月24日の渋谷YAMAHAのお知らせで
そこからHIDEKIの名前があってメンバーが5人に
なっています。 石橋が凌になる前の秀樹時代の切り抜きある?
お知らせハガキどんなのか見てみたい。 >>811
スマホで写した写真をここに貼るってどうやって
やるの?
高齢者だから文明の進化についていけてない!
リンドンの写真も持っているけど今PCとかスキャナー
とか持ってないんだ。
ARBの写真も持っているけど…
スキャナー持っていてもここに貼る方法がわからない 5ちゃんねる専用ブラウザ(専ブラアプリ)をスマホにインストールすれば、スマホで写したリンドンやARBの写真をここに簡単に貼れますよ
スマホがアンドロイドならChMateという専ブラのアプリをインストールすれば貼り付けまでの作業を一気にしてくれます
スマホがiPhoneならBB2Cやtwinkleという専ブラのアプリ imgur.comって言うサイトに画像をアップロードしてから、アップした画像のリンクをここに貼るんだけど難しいかな? >>813
ありがとうございます!!
ヘタにさわってスマホが使えなくなったら困るので
時間がとれる時に挑戦してみます!
以前はMacとWindowsが両方あって、Macの名前が
「のぶあきくん」でWindowsの名前が
「のぶかずくん」で2人とも大活躍してくれていた
のですが古くなって使えなくなってしまいました!
プロバイダーも解約してしまいました!
PCってどんどんバージョンアップして使えなくなる
から文明の進化についていけません! >>816
集まらないだろ?
本当に会いたいのか? 初めて聴いた。
なかなかいいね!
途中のボーカルは伊藤薫かな。
一郎ではないよね。 1976年7月20日 リンドンファンクラブ人気投票
1位.わがまま娘
2位.キャンディガール
3位.恋のイエイエ
4位.バースデーパーティ
5位.タンポポガール
6位.あいつ
7位.素敵なミュージック
8位.悲しみを抱きしめて
9位.陽気な雨
10位.オレンジ色の喫茶店 11位〜
・夏の日の恋
・過ぎ去りし恋
・抱きしめたい
・不思議な夢
・悲しき想い 夏の日の恋が11位なのは納得いかんな。
リンドンのシングルではこれがピカイチ。
ただしストリングスが入ったスタジオ録音盤に限る。
ライブだと音数が少なすぎてペラペラなんだよね。 Xで「松藤英男」を検索したら「古希ライブ」のこと
がいっぱいだった!
…やっぱり甲斐バンドは凄い!! 「imgur」の説明を読んでいるけど難しい!
今週はGW前の追い込みで仕事忙しいから無理かも…
来週がんばる!! >>825
ゆっくりでいいよ。
仕事が忙しいのはいいこと。
頑張って! >>827
ハッキリ覚えてなくて、自分の記憶にちょっと自信が
ないのですが、この曲のタイトル…レコードになる前
は「ラブポエム」だったような気がする…
でもこの曲好きです!
田中一郎さんはリンドン時代、好きな花という質問に
「タンポポに似ている野げしの花」と答えていました >>829
田中一郎19歳の時の声!
伊藤薫は4月生まれだからデビュー(1974年5月5日)
の時すでに20歳だったけど、田中一郎は12月生まれ
だから2枚目のシングルレコード「夏の日の恋」の時
まだ19歳だった! キースが「旧ロフト潜水艦があった頃からお世話に
なっている」とXに書いている!
以前なにかのインタビュー記事で田中一郎と潜水艦の
新宿ロフトによく一緒に行ったとか言っていたよね!
ARB結成当時…まだメンバーが4人だった時のこと
かな…?
YouTubeのインタビューで「結成してから1年ぐらい
ボーカルはいなかった」と語っていたし… 新宿ロフトは1976年10月開店で平野悠さんの
「新宿ロフト35年史」に潜水艦は1年数カ月で撤去
されたと書いてあるので、1977年は潜水艦があった
ということかな? 19歳後半〜20歳前半の田中一郎が最高にカッコ
よかった!!!
メビウスの輪みたいに永遠にその中にいてほしかった
!!!
ARB時代すでにもう別人みたいな感覚がしていて
リンドン時代の話をしてくれていた時、一瞬
「何故この人が、私の大好きな一郎くんのことを
こんなによく知っているんだろう?」
と思って…3秒ぐらい考えて
「あっ…そうか本人なんだ!」と思ったことが
ありました。 ビートルズは4人全員が歌えるヴォーカリストであり、それぞれの個性的な歌声とコーラス・ワークも大きな魅力ですが、
やはりメインとなるのはジョン・レノンとポール・マッカートニーの2人。
ジョージが歌う曲で有名なのは、サムシング、ホワイルマイギタージェントリーウィープス、タックスマン。
リンゴはイエローサブマリン、ウィズアリトルヘルプフロムマイフレンズなど。 >>836
フォークル、かぐや姫、アリス、アルフィーも3人歌っている リンドンの場合、リードボーカルではなく歌える人が3人いるだけ ポール・マッカートニー(田中信昭)
ジョン・レノン(田中一郎)
ジョージ・ハリスン
リンゴ・スター(伊藤薫)
谷村新司(田中信昭)
堀内孝雄(田中一郎)
矢沢透(伊藤薫)
桜井賢(田中信昭)
坂崎幸之助(田中一郎)
高見沢俊彦(伊藤薫) 田中一郎のアッパーカット、ここ数回の一郎の頭髪が増えた気がするのは気のせい? >>841
不自然な髪に誰も突っ込めないんじゃ?w まぁ、70のおじいちゃんだしね。
芸能人は大変だな。 いまどこで歌ってるんだい?
ジョンとジョージには会えたんだね ギターアッパーカット
今回は弦の張り替えなので老眼鏡をかけてきた
100均ではなさそうな老眼鏡