父親を殺そうとしたときの記憶が消えようとしている [無断転載禁止]©2ch.net
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しんどい時の記憶ってどんどん消えていく。
忘れてはいけないけど、本当は忘れたい、よくあるDVの話。
書き留めたのでどんどんいきます。 四人兄弟の末っ子、小学生までは宝物のように誰からも可愛がられて育った。
少し気の強い母と、無口で頭の良い父のもとに生まれ、平凡に幸せに暮らした。
四人も子供がいるなんて、さぞご両親は仲が良いのね。
なんて友達の親に言われても、子どもなので何も感じなかった。
末っ子らしく、明るく自己中心的な性格に育った私は、両親の仲なんて気にも留めず、毎日ドッジボールに明け暮れた。 異変を知ったのは多分小学5年生だと思う。
この頃からは記憶が曖昧。
忘れたいことって本当に忘れられるんだなと思う。
「私ね、お父さんに、暴力を振るわれてるの」
母の言葉に耳を疑った。
父は無口で少し冷たいけど、そんな暴力的な姿は一度も目にしたことがなかった。 どうやら子供のいないときに、殴る蹴るをされていたらしい。
ずっと私たちには気付かれないように耐えてきたのだと。
小学生の私には衝動が大きすぎて、あぁ何も助けられないと思った。
母は夜中に突然横腹を蹴りあげられたり、台所で突き飛ばされたりしていたらしい。
にわかには信じられなかったが、ふと家を見渡せば前よりも明かりが暗く感じ、母はやつれ、食卓に父の姿はなかった。
「あなたが生まれた頃までは優しい人だったのよ」
アルバムを開くと、私が生まれる前の写真には父の笑顔があった。
あ、私は生まれてはいけなかったんだ。
と素直に思った。
今まで何も気付かなかった自分を恥じた。 母はそれまで一人で寝ていたが、その告白からは私が一緒に寝ることもあった。
それでも私の前では暴力は無く、にわかには信じられなかった。
母からは、「何かあったら101番をするんだよ」と言われていた。
数週間後、母の布団で昼寝をしていたら怒号で目が覚めた。
ふすまを開けると、台所で言い合う両親がいた。
父はビール瓶を振りかざして、今にも殴らんとしていた。
衝撃だった。
あの光景は今でも忘れられない。
あの時の母は強かった。
鬼のような父に向かって「やれるもんならやってみな!殴ってみなよ!」と返していた。
でも顔は怯えていて目は涙で真っ赤だった。
気付くと私は電話に向かって走り、受話器を手にしていた。
「警察よぶよ!!!」と叫んだところで記憶は終わっている。
とりあえず母に怪我はなかったので、多分助けられたんだと思う。 それから父は私たちの前でも暴力的になった。
母がいない時でも、皿を投げたりドアを蹴飛ばしたりした。
でも私たち子供に手はあげなかった。
いっそ私も殴ってくれと願った。
母だけ辛い目に合うのが悲しかった。
中学生にあがったころ、私は家に帰るのが嫌で、毎日ひとりで公園に行った。
冬は知らないマンションのロビーで本を読んで過ごした。
父のことは怪物か何かだと思うようになった。 ある日、父と家に二人きりになるときがあった。
父は新聞を読みながら酒を飲んでいた。
私はふと包丁を手にし、息を殺して父の背後に立っていた。
少年院に行こうと、人生を無駄にしようと、目の前の怪物を早く殺したいと思った。
ここでまた記憶が終わってるんだけど、
たぶん父に気付かれないうちに包丁をしまった。
母を悲しませてはいけないと踏みとどまったんだと思う。 それから少しして、初めての家族会議が開かれることになった。
県外の大学に行っていた兄弟も集まり、数年ぶりに家族の顔が揃った。
議題は、「離婚裁判」について。
意外にも、離婚を申し出たのは父からだった。
父は何と、地元で有名な悪徳弁護士を雇い、既に300万円を支払ったという。
母は離婚に反対だった。
理由は4人も子供がいること。
父は仕事だけは真面目にこなしていた。
とりあえずその300万を取り返すよう説得することが会議の目的だった。
途中、兄が父に「俺らはあんたを父親だと思いたくない」と言った。
父は「勝手にしろ」と返した。
思春期のガキの私には理解できなかった。
こんなやつ、さっさと別れてくれと思った。
年の離れた兄たちは別れられない理由も理解していて、私に席を離れるよう促した。
結果的に、後日100万だけは取り返すことが出来たらしい。 その後高校を卒業し、県外の大学に入学。
この頃には暴力はなくなっていたが、一言も父とは話さなかった。
私が実家を出てすぐ、父が食道がんになる。
よし死んでくれ!と思ったが生き永らえてしまった。
見舞いには誰も行かなかった 大学3年の冬、私はうつ病になり退学。
実家には帰りたくなかったので2年はバイトをして一人で生きた。
それでも限界がきたころ、
あー、父もうつ病だったんだ
と気付いた。
うつ病の辛さ、お金を稼ぐことの大変さ、
そして会話の全くない子供の大学資金を払う寛容さを知った。
「目も合わせたくない」から「少し話してみようかな」に気持ちが変わった。 私は実家に戻り、父に声をかけた。
「子供の頃よく行ってた海、あれどこだっけ?」
約8年ぶりの会話は、他愛もないことだった。
今さら仲直りの握手なんてとても出来なかった。
「あ〜、○○だな。お前イルカが見たいってうるさくてさ。そのあと、〜〜〜」
父は嬉しそうに話し始めて、止まらなくなった。
なんだ、この人私と話したかったんだ、と思った。
あれ?なんだか少し嬉しい…。 今までの沈黙が嘘だったように、その後は普通に会話をするようになりました。
お酒を飲んだときに少し暴言を吐くくらいで、まあ可愛いおっさんです。
人ってこんなに変わるのかというくらい、空気が柔らかい。
誰かを変えたければまず自分を変えてみよう、と思うようになりました。 DVなんてよくある話、うちは全然マシな方。
今だからこそそう思えるようになったけど、当時の自分には地獄のような日々でした。
同じような境遇の人を助けるまでは出来なくても、痛みを少し分かってあげられる人になりたい。
最近、教育の場で仕事を始めてこのスレを立てました。
あのとき周りの大人が気付いてくれていたら、何か違ったかもしれないと思います。
今でも当時の嫌な記憶は思い出せないけど、ゆっくり、家族の時間をやり直すつもりです。 でもいつか、あの人が死んだら、顔を一回だけ殴ってやろうと思っています。 同じ墓には入りたくないので、頑張って嫁に行きます。
みなさん良いクリスマスを。 【世界の汚物、朝鮮人(山葡萄原人)】
今、朝鮮人というのか、韓国人というのか、様々な言い方があります。いずれにしても朝鮮人です。「コーリア(Collier)」という言い方には、全ての朝鮮人が入ります。
みんな気が付いていませんが、この朝鮮人が世界中を汚しているのです。まず、南の韓国は日本を完璧に汚しました。ありもしない従軍慰安婦問題を捏造して、世界に108体の慰安婦像をばらまいています。
日本に「謝れ!」と言い続けてきて、日本国にウンコをひっかけているようなものです。
それだけではありません。南京大虐殺まで口出しして、朝鮮人が「南京大虐殺は日本人がやった!」と言うのです。朴 槿惠は「千年恨みは忘れない!」と言いました。何の恨みがあると言うのでしょう。
日韓併合の38年間、日本は朝鮮を豊かにしたのです。豊かになった証拠に、併合時に比べて朝鮮半島の人口は2千万人も増えたのです。豊かだから人口が増えたのです。
朝鮮の物を奪っていたら人口は増えません。
何故、朴 槿惠は「千年も恨みを忘れない。足を踏んだ人は忘れても、足を踏まれた人は千年忘れない」とウソ言ったのでしょうか? ウソを言うものではありません。
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