北朝鮮といえばこの人を忘れないでくれ

11代目山村 新治郎(やまむら しんじろう、昭和8年(1933年)4月28日 - 平成4年(1992年)4月12日)は日本の政治家

山村の名前を一躍有名にしたのが、よど号ハイジャック事件である
1970年、山村が運輸政務次官を務めていた時にハイジャックが発生
乗客の身代わりとして人質になり、よど号に搭乗して犯人らと共に北朝鮮に向かい、その後解放されて帰国した
この英雄的行動により「男やましん」「身代わり新治郎」として山村新治郎の名が広く知れ渡った

1992年、自民党訪朝団団長として北朝鮮への訪問を翌日に控えた4月12日、自宅にて精神疾患を患った24歳の次女に出刃包丁で刺され殺害された
北朝鮮に訪問の際には22年ぶりによど号グループ首謀者の田宮高麿と会う予定であった
次女は心神喪失により責任能力なしと判断され不起訴となるが、4年後に自殺