これは、いわゆる国家規模の造営であって、
その建設場所を確保するためには大きな権力が働いた事は言うまでもない。

では、普通に聖地に作られている神社はどうか。
これははっきり言って、その土地のどこに建てても良いようで大きな意味は無いようだ。
幕末の写真などを見ていても、神社の位置が大きく変わっているのは極普通で、
また、そういう記録も多い。
神社の総大本とも言うべき秦氏の天照御魂神社ですら、大きく位置を変えている。
これは、後代に出来た他の大社との位置関係を修正したからのようだが、
つまりは、神社の「もと」が地磁気であるとか、御神木の生えていた場所であると言う根拠は何も無い。

特に、沿岸地帯の神社はその前身が明らかなる「砦」だった痕跡が強く、
また、高地にある古い神社の場合、かなりの確率で高地性住居の縄文遺跡があり
荒神信仰があることから、荒神、つまり元始信仰の塚であった可能性も高く、
その上に「抑え」として築かれたと考えられる。

現に、三輪山、諏訪や宮崎の諸県山などは、古くから荒神の塚があるという言い伝えや記述があるが、
現在においても塚は発見されていない。