神社の起源
真脇遺跡の環状木柱列もその類かな
同じ場所に何度も建て替えられているし
宗像出雲との交流もありうる 伊邪那岐(女,1,ふたなり,子が3人。)=伊邪那岐(男,2,ふたなり,泥泥系??沼??から養子,神道の創設者と主張。)
伊邪那岐(男,5)=伊邪那美(女,6,神道の創設者)
天照大神(女,治77年位,97歳位で、いそらに毒殺される。)
天照大神が神道(読み方不明。古代文字の発音なので、判別できず。表記も古代文字らしい。)と名付けたらしい。 最近、神社本庁の田中恒清氏(事務方・総長、石清水八幡宮宮司)の周りで非常に残念な情報がよく見受けられます。
(詳細は「神社本庁の自浄を願う会」のFacebookページをご覧ください
https://ja-jp.facebook.com/jinjahonchojijyo/ )
この情報に見られる田中恆清氏の態度は
一、自分の発言に責任を持たない、前言を謝罪もなく翻す
一、奉戴すべき皇統に連なる統理に対し失礼な言動がある
一、職員宿舎転売問題や宇佐八幡宮社家追放、富岡八幡宮殺人事件などに関与していた疑いがもたれている
これらは神道人のとるべき態度ではないと思います。 有史以前から宗教の能力や場所、はあったと思われる。 動物や鳥や虫や魚類甲殻類の世界でもね。植物もそうだろうな。 692 可愛い奥様 sage 2019/01/16(水) 19:54:45.11 ID:abpH71MD0
https://i.imgur.com/OdfSmQl.png
A「神明鳥居(Shinmei torii)」
B「鹿島鳥居(Kashima torii)」
C「明神鳥居(Myōjin torii)」
D「八幡鳥居(Hachiman torii)」
E「春日鳥居(Kasuga torii)」
F「中山鳥居(Nakayama torii)」
G「外宮鳥居(Gekū torii)」
H「三柱鳥居(Mihashira torii)」
I「三輪鳥居(Miwa torii)」
J「両部鳥居(Ryōbu torii)」 >>644
普通になんかに書く場合は圧倒的にB
立ち小便対策に壁とかでよく見るのもB >>644
AとGはほとんど一緒だな
最初見分けがつかんかった 一人の神様を信仰して皆に功徳があることは不思議だが効率的な信仰システムだとは思えない面も。 関連ネタ無いなら無理してスレチ書き込む必要ないぜよ >>635
宗像出雲との交流?能登半島の真脇遺跡やチカモリ遺跡の環状木柱列に類似
する柱列が、北部九州・出雲地方の何処に遺存されているのですか?
派生スレ
神道って、ホンマに日本の習俗かあ?
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1539979817/ ★☆ あなたの知らない神道と仏教、日本人にルーツの事実 ☆ ★
聖文と科学的物証からの専門研究者のおどろきの情報です。
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1025769358.html
紀元前の日本には、イスラエルから古代アメリカに移住しマヤ文明などを築いていたニーファイ人とレーマン人が渡来して移住しました。
そののち、紀元前に秦からユダヤ教徒の徐福たちが集団で西日本に渡来して、日本に旧約神道が広がりました。
邪馬台国の字は、当時の中国人があてた字で発音でいえば「ヤマト国」です。
「ヤ」はヘブル語の「ヤハウェ」の短縮形で、「マト(מטה)」は「分家、枝」の意味があります。
紀元3世紀末、原始キリスト教会の会員たちは、邪馬台国にいたユダヤ教徒だったニーファイ人たちと徐福集団の子孫たちのヤマトに伝道して邪馬台国を併合し、旧約神道は新約神道に移行しました。
釈迦は、ヤハウェ(イエス・キリスト)の預言者です。
聖徳太子も空海は、神道や仏教のルーツが、ユダヤ教、キリスト教であると知っていました。 神道は元からあった土着の原始宗教にどんどん新しい信仰や神話や伝説が
かぶせられて出来たものだからね スサノオのヤマタノオロチ退治に始まり、その後の武将豪傑の退治物語は土着宗教排除の転化 それだって資料によって退治した人が違うんだから
もともとあった伝説にかぶせているって事だしね 文字文化が形成される前に伝承を伝える場所として発生。
当時の記録文化は南米のケープ状の物それが注連縄。 住居よりは共同大規模葬儀跡の方がいいかも
葬儀するとしばらくは特別の場所になる 古代の海岸線を見ると支配者の屋敷をつくりそうには思えないんだよね 昔観た世界不思議発見!という番組では、地方豪族の懐柔というか交渉に
水飴プレゼント作戦も使ったと言っていた イスラエルの失われた十支族、それが日本人支配層の起源。
神社の起源は、ヘブライの移動式幕屋。 >>695
イスラエルの流民が吹きだまったのが古代中国の斎国/蘇州。山東半島周辺。
中国の道教は、教義がユダヤ教と酷似しているそうです。
一説に秦帝国に亡ぼされた斉国の旧王族ともいわれる道教のマスター(方士)の、
徐福(徐市/彦福)が秦帝国の始皇帝を舌先三寸で騙して巨万の富、財貨をせしめた上、
二度に渡り古代日本に渡来。(日本の王となる野望を持っていたらしい)
その際、引率した
合計五千人の秦国人=元斉国(徐氏)の若者(イスラエルの子孫)やあらゆる職業の工人、熟練者、身内親族、御一族郎党、、、
初回、山陰地域(出雲王国)に二千人。、、、所謂、海部/秦族に(出雲王国の正副二人の王を殺害して乗っ取りを謀るも失敗して逃げ帰った)
二回目、九州佐賀に至り、三千人、、、後に所謂、筑紫国(←筑秦国)、物部。
また、秦帝国もイスラエルの民ではないかとの説もあります。 渡来人の中にイスラエル系も幾分いたかもしれないという程度の事じゃないの そういうスタンスで考えれば面白い説なのに
何が何でも全員ユダヤ人でなければ気が済まない人のせいで台無しになってる 伝播説的に考えても
文化が伝播して日本に伝わってるだけって考えた方が
遺伝学的にも整合する
仏教伝来してるとこは全員インド人が渡来して根付いたのかって話
常識的に考えてそんなことはない
シルクロードを西アジアから東アジアへ
聖書の文化や信仰が形を変えながら伝来しただけで
ユダヤ人が渡来したわけではないだろ シルクロード・大陸経由のユダヤなどは数人いたかもしれないね 離散したユダヤ人は、宋の時代(960年-1279年)に中国大陸の河南省(カナン)まで来てたのは事実
当時は、遣唐使廃止以来の貿易、日宋貿易が行われていた
入ってくるとしたらこの時期だろう 日本の神話 古事記
www15.plala.or.jp/kojiki/ >>709
道教はユダヤ教と良く似た(瓜二つ)だとか。
道教のマスター。徐福さまは前後二度に渡り併せて五千人余の童男童女を日本列島に連れて来ました。
一度目は山陰地域(出雲王国)にいたり二千人を連れて来ました。
彼らの子孫が後に、海部/尾張氏(徐福の子孫)、秦族等と呼ばれる大集団になります。
二度目は先ず伊万里に入り直ぐに有明海に回航して佐賀県の吉野ヶ里を本拠(都)としました。
この際に連れて来られた三千人余の海童(秦国人の少年少女)らが物部族になります。
同所を本拠として栄えて国を建てて
秦国人が築いた国だ!として筑秦国を号したのが後に筑紫国に変化したようです。
筑紫国はまた、物部王国と言って差し支えありません。 >>18
この谷川健一氏の御嶽観ですね?
”沖縄のウタキは神の依代と見られるクバやアザカなどの樹木にかこまれた空地に、
聖域を示す小石が並べてある程度にすぎない・・・古くはモリという言葉を使用
したと推定・・・・・・”
日本の神々(岩波新書)p15 谷川健一著 1999年 1章 神社の原型
ttp://kazuno.in.coocan.jp/86kioku/18K-05/Kamigami/15.htm あんな津波のリスクの高い位置に偉い人の屋敷なんか作らないよ そうでもない。津波ひがいの無い期間が長くあれば特に。 確かに神社の歴史から言うと、出雲大社などは歴史は浅い方だとする説はあるな 出雲大社は歴史が浅く、たまたま津波が無い時期に、偉い人の屋敷が海沿いにあったという説?
本気で言ってるのか? 当時の出雲のエリアの検討も必要性だろ 出雲大社の歴史は浅い方だというのも新鮮。 半島でなく島だったんでしょ
国外との交易で栄えた地域 >>746
杵築大社(出雲大社)は西暦716年に竣工落成しました。
それまでソコに神社らしきモノはなかったです。
何故、あの場合になったかは、本殿の裏手の竜王山に八千戈王(いわゆる大国主神)が埋葬されていた為(のちに別所に改葬された)
創建、造作に当たっては元出雲王国の旧二つの王家が共同して当たりました。
国(大和朝廷/皇室)や今の出雲国造家は全く関わって居ません、(出雲国造は一管理人として雇用されていた。)
のちに出雲国造や国は策謀を巡らせ元出雲王家から搾取横領した。 >>747
いわゆる神社の本殿(高床式古代建築)に神を祀る形は、
神魂神社が最古かもしれません(元王宮殿)
出雲王国が物部勢に攻め滅ぼされたさいに
東王家は大庭の王宮(現、神魂神社)を辞して
王宮は総司令の物部十千根将軍が入城して進駐軍総司令本部となり戦後処理と統治に当たりました。
物部十千根将軍の子孫は秋上家となり
時世の変遷(大和を平定して大王家となった物部王朝(垂仁(神話の神武東征(数人を一人とした)の本体)、景行、成務)が僅か三代で滅亡)から
秋上家は出雲での立場が危うくなる中
元王宮を元王家に返還を申し入れますが、固辞された事から
元王宮殿をそのまま神社にして神魂神社を創建。
元王家は秋上家が王宮を良く保ってくれた(西の王家の王宮殿は侵攻時に破壊された)事に感謝して
和解、融和した(姻戚関係を結ぶ)由。此れにより出雲での秋上家の立場が安泰となったという。
因みに、今見る神魂神社の本殿は二千年前の出雲王家の王宮殿を(幾度の造替の度々に)ほぼそのままの姿でよく伝え保存されています。 そやけん、神社の起源は偉か御仁の邸と言われるっとたい 農耕神、太陽神、海洋神、蛇神、先祖供養、病気災害除け、英雄神 くらいか ここでのパターンて、神社の起源から成り立ち方の種類の事だろ 否定する必要は無かろう。それのみではないとしても。 >>362
残念 湯殿山が神社になったのは明治以降でその前1000年は寺でした 昔は明治政府がはっきり申請させるまでは寺と神社の区別があいまいだったんだよ
特に修験道は尚更
当時は寺にご神体があっても何もおかしくはないからな 見えない存在は確かにいるけど できる事には限界はある
ポンポンで叩けば 何かしらできるし 透明な存在はすべて
ブロックチェーンの短い晩のようにおいかさなってるイメージ
長いほど長く扇風機をあてないといけない感じ。 患部におもちゃの扇風機でずっとすってけば
半年くらいでカルピスのように薄くなってく。あててく感じ。ここからロボット反応大
宇宙に存在すうすべての透明はすべて物理的に壊れる。
透明を相手にしてる人と話すと ホログラムって思う。 透明でもなにかしら
採取はできる。十分人の手の届く範囲。神はブロックの長いだけのイメージのロボット
水まけば 何かしら反応あるから 怪しい場所には砂をまけばいいと思う。
透明を相手にするときはお金を絶対にかけない事ってさ 家にあるもので十分こわれる 出雲地方で一番格式の高い神社を知っているか?
「彌久賀神社」だ。
※別名”美久我神社”
時間と空間を作ったとされる、アメノミナカヌシ様が祀られている
知る人ぞ知る、小さな古社だ。
個人的には日本最高レベル。
神紋は、「二重亀甲 違い鷹の羽」
この場所には、一般人が立ち入ってはいけない
なぜなら、カゴメの唄の元ネタとなった場所だからな 古代ギリシャで神として崇められていた完全数、6,28,496
最初の数字が”6”であることから、
古代から幾何学図形として六角形が神秘的な数学的構造だと考えられてきた。
亀甲紋やフラワーオブライフ、六芒星なんかがそうだな。
カゴメというのは、籠を編んだときの模様。
つまり、籠目である。
ご存知の通り、それは六角形だ。 かーごめ かごめ →籠目(六角形)
籠の中の鳥は →六角形の中にある鳥に関係するもの
濔久賀神社の神紋を見てほしい。
六角形である亀甲紋の中に、なんと鷹の羽が互い違いになっているではないか。
「亀甲紋の中に鳥」
というと、「二重亀甲違鷹羽」「二重亀甲立ち鶴」「二重亀甲鶴の丸」
ぐらいしか無い 日本人の起源は
中国雲南省だよ
漢の皇帝が日本の奴国に金印を贈ったんだが
それは蛇(ヘビ)の持ち手がついてた
西域の王にはラクダ
漢民族の王には亀
など動物がその民族性を表してるんだ
ヘビモチーフの印を贈ったのは、雲南省の王と、日本の王だけ
雲南省少数民族と日本人の共通点
稲作(棚田、水田)
漬物
豆腐
納豆
味噌
イナゴ、ハチノコ
らっきょう
こんにゃく
鮨
顔が似てる
高床式
茅葺き屋根
鳥居
銅鐸
歌垣
下戸(酒に弱い)
DNA >>751
タケミナカタが上陸した地、新潟県
最終的には長野県の諏訪の地に定住