諏訪周囲の信仰
小宮の御柱ももうだいたい終わったし
次の御柱までの間に、諏訪周囲の信仰について語らって
6年間を過ごしましょう。
こぉぉぉぉぉゥれぇはさんのぉぅぇぇぇぇえええええ!
ヨイサ!
ヨイサ!
ヨイサ!
※お諏訪様以外の話題でもいいです 諏訪大社以外には何があるんですかいの?
冬の諏訪湖に神の歩く道?と呼ばれる自然現象があるのは聞いたことがあるけども >>2
そこら中に氏神様がおるよ。
御社宮司様とかも氏神だし。
街中を見ると、夫婦地蔵とかもかなり多い
縄文のビーナスもおる(茅野だけど)。
諏訪大社の関係といえば関係だけど
洩矢神という神の末裔が今でも生きてる。
あと、稲荷信仰とかも盛ん。
>冬の諏訪湖に神の歩く道?と呼ばれる自然現象があるのは聞いたことがあるけども
それは御神渡りだね。
なんか最近出てないような気もする なんか意外と知らない人が多いようなので、まずはちょっとした解説からはいろうか。
諏訪大社は2万5000以上の末社を持ち、起源も非常に古い。
信濃国の一宮であり、神位は正一位であり、信濃的には日本一の神社。
よく誤解されるが、諏訪大社は春宮・秋宮・上社・下社の4宮で構成され
場所としても諏訪〜茅野の広域に分散している、神社集合体。
祭神は大国主の子である建御名方神とその奥さん。
10月になっても出雲に帰らないため、諏訪は「神在月」である(理由は諸説ある)。
主な神事は「御神渡り」「蛙狩神事」「御頭祭」「御船祭」「御射山祭」そして「御柱祭」。
最も有名なのは6年に一度、諏訪・茅野・岡谷を上げて行われる御柱祭で
10トンもの巨木を切り倒し、人間の手で曳行して、4つの宮に4本ずつ(計16本)建てる。
日本三大奇祭としても有名で、お祭りというレベルをはるかに超越した、信濃国の行事。
参加する氏子の数は数万人にもなるとか。
また、この年は一年を通して「御柱祭の年」であり、諏訪周囲の神社は
中規模の社から小さな祠まで、それぞれの御柱を建直す(小宮祭)。 知名度としては落ちるものの、御頭祭も奇祭として有名。
狩りを行い鹿を得て、頭を切り落として捧げるが、その数が75頭とかそんなレベル。
(現在は非常に残念な事に剥製を使っています。神様怒るだろjk)
それ以外にも鹿の「脳和え」「生鹿」「生兎」「切兎」「兎煎る」鹿の五臓などが神饌として捧げられて居た。
ちなみに兎はまるごと一匹、下から串刺しにして立った状態。
これら神事は、建御名方神ではなく、それ以前に地域に居た「もっと前の土着神」のモノとされる。
(モレヤ神、チカト神、ソソウ神に加えミシャグチなど)
国譲りの段で天津神に敗れた建御名方神は諏訪に逃げ込んだ事になっているが
その際に、上記神々を率いたモレヤ神と戦争になり、勝利して現在の地位を得る。
建御名方神の氏族は諏訪氏で、代々大祝を担い
洩矢(モレヤ)神の氏族は守矢氏で、代々神長官を担う。
どちらも、神から続く家系図を持ち、諏訪では神として扱われていたが
既に大祝は途絶え、神長官についても守矢氏は生き残っているものの
一子相伝の神事は伝えられることなく、消えてしまっている。 おお、スレ立てようかと思って何年も悩んでいたんだ乙!
諏訪信仰スレじゃなくて諏訪周辺の信仰スレにしたのが良いね
御柱祭が有ったり同人ゲームの元ネタになったりでちょっとは知られたかな
諏訪全般でこの板だとお題はどんなのがあるかねー
ミシャグジ信仰・諏訪大社(特殊神事)・御柱・諏訪版国譲り・建御名方周辺
守矢家・大祝・お神使様・原始信仰・甲賀三郎伝説・諏訪勘文・鹿食免・祝神
もっと有る気もするけどこんなもんか 諏訪界隈には街中に小さな祠が多く
夫婦地蔵もやたらと多い。
石棒がそこら中にあるんだけど、あれは普通なのかね? 夫婦地蔵ってあまりない気がするが双体道祖神と違うのか?
他の地域の事を知らないので小さい祠が多いのか分からないけど
自分の地区で見ると半径1km以内に20社はあると思う
山に隣接している地域は山の神も多くあるからね
同族で祀っている祝神(これも諏訪地域だけか?)の祠も多いかな
道路沿いにない場合はその地区の鎮守とかにまとめられていることが多いね
あと石棒はミシャグジ信仰とも関係が有ると言われているけど
縄文遺跡の宝庫なのが大きいと思う、発掘調査で出土すれば博物館行きだけど
田畑の耕作等で出てきた場合は神社、道祖神、小さい祠へ奉納とか
そのまま御神体としてお祀りされてるケースが多い >>10
そうそう、双体道祖神ね。
石棒は小さな祠に入れてあるのもあるけど
親戚の家では玄関に置いてあった。
まぁあんなもんいっぱいあるから
出たものは出たとこで保管すりゃいい
と言ってたけど、そんなモンなんだろうか。
うちの近所も半径1kmなら20くらいはありそうだなぁ。
古めの家ならどこも家に一個ある 諏訪と縁がないので初歩的な質問させてください。
石棒ってよく縄文時代の遺跡とかで出土するものと同じ形状ですか? 「カルラ舞う」っていう漫画でやってたな。
オミシャグチ、金屋古神、時渡り、あと死体を柱にくくりつけて
剣打つんだっけ?
ちょつと感動しちゃう漫画だったな。 >>12
こんなの
ttp://dl.dropbox.com/u/7883020/img001.jpg
ttp://dl.dropbox.com/u/7883020/img002.jpg
この祠は珍しくプチ御柱が立ってない。 >>12
石棒は金精信仰とかと違って縄文時代のものそのものがほとんどで
後年に作られて奉納されたものは少ないと思う
なのでどんなに古い年代に作られた祠や建物より一番古いものだったりする
御柱はなぜ6年(7年)に一度なのか
タケミナカタはなぜ、どこから諏訪にきたのか
なぜ守矢は諏訪なのか
おしえて まぁ6年と決まったのには何がしかの理由があるだろうけど
とりあえずあんな祭り、毎年やるわけには行かないのは間違いない。 〜諏訪豆知識〜
この辺りでは、神様なら稲荷だろうが佃煮だろうが
とりあえず四方に御柱を建てる習慣がある。
女神の場合は建てないという説もある。 伊勢でも柱を引っ張ってるようだけど、
やらないと諏訪の人達が暴れるからだ
と聞いたことがある。 高血圧で入院した知人の親御さんが「お陰で御柱祭を手伝わなくてすむから助かった」と喜んだとかw そんな事より>>1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレに乗じて改変してみたけどさ。
こないだ、諏訪の御柱行ったんです。御柱。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで動けないんです。
で、よく見たらなんかボードにでかい数字を書いて、カウントダウンとかしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、カウントダウン如きで御柱を盛り上げようとかしてんじゃねーよ、ボケが。
掛け声の回数までなに指定させてんだよ、カウントダウンて。
なんか893屋さんとかもいるし。一家総出で御柱か。おめでてーな。
よーし今回も柱の先頭に乗っちゃうぞー、とかやってるの。もう見てらんない。
お前らな、記念撮影だけはしてやるからその場を空けろと。
御柱ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
前後の柱の曳行担当地区をからかっていつ喧嘩が始まってもおかしくない、
怒鳴るか怒鳴られるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。チンピラもどきは、すっこんでろ。
で、やっと動けたかと思ったら、春宮担当の奴が、これはサノエ〜、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、「サノエ」じゃなくて秋宮近辺を意味する「山王(山王台)へ」なんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、これはサノエ〜、だ。
お前はその柱も秋宮まで曳いてくつもりなのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、これはサノエ〜って言いたいだけちゃうんかと。
御柱通の俺から言わせてもらえば今、御柱通の間での最新流行はやっぱり、
七五三(〆)巻き、これだね。
建御柱は七五三巻き重機吊りで。これが通の楽しみ方。
七五三巻きってのは綱を下から外せる。わざわざ上で外すために人は乗らない。これ。
で、それに重機(クレーン)吊り。これ最強。
しかしこれをやると次から華乗りの意味すらなくなるという危険も伴う、諸刃の剣。
地元衆にはお薦め出来ない。
まあお前ら地元衆は、安全で楽しい観光行事でも眺めてなさいってこった。 地元の人で書き込みしたい人もいると思うが諏訪地域最大CATV回線使用者は巻き添えで全鯖規制中 >>25
まぁまったり待つべ。
どうしてもレスしたければレス代行とかある
■スレタイ検索:レス代行
http://www2.ttsearch.net/s.cgi?k=%83%8C%83X%91%E3%8Ds&o=r
そういえば「パワースポット」とやらが人気だけど
諏訪大社にもパワスポ効果で人がふえているようだねぇ。
アレも新しい信仰みたいなもんだろうか >>24 いや、諏訪に地底人でも住んでるのかと思って。
諏訪大社って諏訪湖の水辺にあると思ってたけど結構湖から離れてるんだね
それと御頭祭って神事凄い原始的な儀式だけどいつから続いてるんだろう 俺も興味はすごくあるんだけど、諏訪はおろか長野県すら足を踏み入れたことないんだよな 近年の諏訪の祭りは何でも御柱と混同してしまって下らんよ。
下社のお船祭りとか風情或る良い祭りだったが今では酷いもんだ。
そもそも諏訪弁が勇壮ではないからな。 あまり詳しくないのですが、質問です。
諏訪大社に祀られている建御名方神は「海の神」ですよね?
お船祭りなどもその名残だと思うのですが、長野には海がないのですよね。
諏訪湖を海としていたのでしょうか?
それとももともと海のあるところの神様で、
中つ国平定の際に建御雷神に追い立てられたからなのでしょうか?
あと、聞いた話だと、諏訪で鎌を軒先(?)に飾るという風習があると聞いたのですが、
これについて詳しく知っている方がいたらいろいろお話を聴きたいです。
どのようないわれがあるのでしょうか?
諏訪大社と関係はあるのでしょうか?
よろしくお願いします。 日本海を渡って列島の日本海側に至り、そこから南進した人たちだから父祖が信仰した海の神を祭るのは当然だと思う。
そして諏訪の人たちの一部はさらに南進して、大和朝廷に隷属するまでに太平洋にも到達している。
(その経路が現在のR153)
最終的には衣に至ったが、壬申乱後、持統天皇の時代に大和朝廷に滅ぼされた。
なお、衣の海=衣浦の地名が残っている。
碧海(あおみ)と呼ばれていたのは、そう青くもない海だが緑色の強い日本海とは違う青みの強い海だからそう名づけたのだろう。
もちろん歴史からも彼ら太平洋に至った王権の存在は抹消されている。
大和朝廷が崇める最高神が彼らの神と習合しており、不都合だったこともある。
出雲〜糸魚川〜安曇野〜諏訪が入路じゃないのか?
諏訪に限っては後々まで特別扱いされた地域。
タテミナカタノミコト=海の神と言う認識もない。
ナギ鎌の縁は知らない。諏訪大社に関連する事は確か。 >建御名方神は「海の神」ですよね?
それどこ情報〜それどこ情報よ〜 >>32
丁寧な回答ありがとうございます。とても興味深いおはなしです。
やっぱり諏訪には不思議がいっぱいですね!w
>>33
私もそう思っていましたが、>>32さんが仰っているのはそれを信仰する人たちの経路かなと。
そういえば、霧ヶ峰に「薙鎌神社」もありましたね。気になります〜。 意味は全く異なりますが言葉自体は残ってますね。
頭屋(とうや・当家)と呼ばれる祭祀の(準備も含めた)責任者ですが。 一年神主って意味は二つあって一つは>>40と同じそのまま一年交代の神主
>>39が言ってるのは一年で役目が終わって殺されちゃう人柱、生贄の方でいいかな?
まず俺の知識だと断っておくけど
これ諏訪信仰語りだと何か魅力的で結構流布してるけど
最近の地元研究者はあまり注目しない感じを受ける
大祝は違うから該当すると言えば風祝かな
十訓抄とかに出てくるけど鎌倉期の守矢文書や大明神画詞にも記載がないので
鎌倉期にはもうこの風習はとっくに廃絶されていたと言われている
あとは神使(おこう)様は御頭祭に生贄になった説もあるけどだいたい否定的
途中で生贄になったら一年間務めることができないしね
まあ、諏訪の信仰って謎が多くて分からないことだらけなので
十人十色かもしれないから一参考までに そういえば諏訪湖の事を「諏訪の海」って書いてるものが何かあった気がする。
和歌だったか。
まぁ単なる見立てかもしれない。
そもそも、海と湖って昔はどれくらい違うものとして認識されてたのかな。
淡水海水だし全然違うっちゃ違うけど。
薙鎌は神長官守矢史料館の柱にいっぱい刺さってたわぁ。
信濃は昔から水薦の多い場所という事だったらしいから
普通に藻刈鎌が必需品だったんじゃないかね。
確か、御柱に使う木を選定したときも、薙鎌を突き立てるだかなんだかするんじゃなかったっけ。 御柱祭とかだんじり祭りとかの死人の出る祭りですけど。
あれって合法的に生贄とるためにやってるんですよね? おみわたりって温暖化だけではなく、護岸をコンクリートで固めてから出来にくくなったんだってさ。 洋ゲの名作「オブリビオン(Oblivion)」中に、Akavir=The Land of Dragon という
国があり、その国軍の隊長の亡霊がMishaxiという名。
Akavir人は、人頭蛇身とか竜・蛇に関連した人種として説明されている。
それにしてもケト…じゃなくて西洋人がミシャグジってコアなモチーフ使うじゃん。
期待してた援軍が来なくて壮烈死しても、何年も亡霊として任地に留まっていた
義に厚い人物として描かれていて、ちょっと嬉しかったボクなのよ。 日本の聖地(神社)は独善的な一神教世界と違い、豊穣な多神教風土が残っているのは幸いだが、
実際そこに祭られてる信仰対象の歴史・正体が良く分からないケースが多すぎる
元々は土着のカミを祀る霊場に、官製神話(記紀)の祭神名を当てはめたり、
外来の様々な宗教・信仰がミックスされて分け分からない状態になったからだろ
苗字に「澤」の字があって、家紋が沢潟の家は諏訪氏と関係があるというのは本当? >50家紋も苗字も真に受けてはいけない。ほとんどは関係ない。
>>46
そうか? 当たり外れがあるのかな?
僕の時はめちゃめちゃ歓迎されたぞ?
意気投合して明け方まで飲んで、
「御柱のときは泊まりに来い」とまで言われてたぞ。
本当にとまりに行ったけれどw
単純に、君の性格じゃないのか? >>46
諏訪人に知人がいるが、確かにそういう印象がある。
>>46
諏訪というか長野県全般にその傾向があると感じる。
東北なんかも旅すると同様だから気象が厳しい寒冷地の特徴なのかも。
君こそ御柱前と言うグッドタイミングで運が良かったんだよ。
それにその性格は一般論であって、諏訪の人間全てが閉鎖的で冷たいわけではないからね、。
ちなみに見たのは上社or下社どっちの御柱?木落しは下社じゃないと駄目だよ。 >>18
そして守矢神社では御柱を建てない。
>>32-33
上社本宮、下社春宮、下社秋宮の元になった神社?が、別々の氏族だった可能性も高い。
上社前宮は明治時代に格上げされた、歴史も謂れもない神社だから割愛。 >>42
薙鎌は風除けらしい。
風を切るか鎌。
風神としての側面の象徴。
でも、薙鎌は農業にも使うのと、農耕神としても信仰されていたから、こっちの意味合いもあるかもね。
>>56
そうだよ。守屋山が御神体。 洩れやは縄文系で、タテミナカタは出雲=渡来系と言うことか。 こういう実生活で特しない金にもならない様な話題って面白いやな 神道って色々と曖昧でカオスで謎すぎる
それでも拝んじゃう不思議!
ところで春宮で御朱印お書きくださった若い神職のお方がめさめさ感じ悪かったです 現地の人に聞いたら上社の御神体は裏山に岩があってそれという話。 洩矢神と建御名方神の子供の系図がイマイチ理解できない。
あれはどういう事なんだろ 洩矢神 →千鹿頭神 →児玉彦命
建御名方神 →片倉辺命 →児玉彦命
↑ここ
片倉辺命─(実子)→児玉彦命
↓
千鹿頭神─(養子)→児玉彦命
こういうこと?? 兼任だな。どんな血統も古く遡ればいい加減で信用できない。 伝承されている血統を現実のものとして頭から鵜呑みに・・・? ROMってみたけど、ここってホントに血沸き肉踊りウキウキワクワクの楽しいスレだこと!うへぇ… >>75
事実かどうかを聞いてるんじゃないよ。
民俗学板なんだから、もう少しマシな頭を持って欲しい。
諏訪周囲の信仰で正史に近いであろうと思われるのは、建御名方神。
対する洩矢神、神長官守矢氏の系図は口伝による秘事だとして
少なくとも守矢氏は、正史と口伝に相違が有ることに気づくでしょ。
何しろ、長い家系図のどうでもいい途中が交雑するわけじゃなく
洩矢神から三親等というかなり直近で起こってる。
諏訪氏の方の系図を見ても、片倉辺命の跡を児玉彦命が継いでいるわけじゃない。
片倉辺命→児玉彦命 という流れを後代に残す意味があるとすれば
守矢氏の血統への介入・牽制かな と考えられなくもないが
肝心の守矢氏家系図は詳らかになっているわけではないし
やはり目的が今ひとつ不明。
「現実に起こったんじゃない?」は考えうる一つの筋道だし
「後代で何らかの利益の為に偽造されたのでは?」というのも発想の一つだ。 >>69
ムカツク態度とられたら文句言っていいんだろうか?
鳥居の中では気が引ける >>80
相手は鳥居の権威を背負っていても、人間同士。
人間として理不尽な事にはハッキリ抗議すべし。
南方熊楠も地元の神主の所に乗り込んだ。
私事ではありますが、私にもゴウツク僧侶に一喝し、やり合って追い返した経験あり。 >>78
>74の言う兼任よりもキツイ守矢家乗っ取りとしか読めない。 >>80
神主なんぞ微塵も偉いもんじゃないんだから何言ってもOKだよ。
でも、微塵も偉くない事を自覚してっから
殴り返されてもしらんで。 >>82
なるほど。
>大神之御言之随千鹿頭神之跡乎継弖
ソッコーで洩矢系列終了のお知らせじゃないか。
えげつない。実にえげつない。 サマーウォーズの75って御頭祭の75頭の鹿のことですか? >>28
>諏訪大社って諏訪湖の水辺にあると思ってたけど結構湖から離れてるんだね
いや、今の湖が小さくなったという事なのでは?
昔の諏訪湖はもっと大きかった。
(因みに、数十年前と比較しても、一部埋め立てられたりして年々小さくなってる。) 古代の諏訪研究を極めれば日本の秘密がかなり解けるらしいが、
それをやっちゃうと今の皇室の存在がやばくなるんで、封印されてると言うか自粛してるとか、
そんな風潮があるのかなと思う。 >>90
今更そんな事で皇室の存在がやばくなるわけがないだろう…
万世一系が真ん中でぶった切れてました とかいうと
それなりに問題になるだろうけど
神代の事なんて、今の皇室の存在と殆ど関係ない。
今でも神の子孫と思われてるわけないないしな。
逆に、どういう理屈で皇室の存在がやばくなるって思ってるのかを聞きたい 諏訪大社に行ったら
「タケミカヅチとタケミナカタがずっとLOVEでいられますように」
って絵馬に書きたい。 >>92
>逆に、どういう理屈で皇室の存在がやばくなるって思ってるのかを聞きたい
例えば、諏訪独立運動が起きるとかかな
縄文人の逆襲って奴 天皇陵の調査も許さない宮内庁だから、神代の事にも神経質だと思う。 >>99
その神話自体がウソ、ってことじゃないの、バレちゃまずいことって
北西岸は氷申さぬ異例にて御渡ござなく候
本年は「明けの海」でした
ぶっちゃけただの自然現象なんだが御神渡りが無いとなんだか残念な気分 堤防を築いて水質を悪化させた挙げ句に内側へ湖畔公園なんて
ものを整備して、ゆくゆくは人工の渚をさらに内側へ作っていこう
ってんだからいくら冷えたって…ねぇ。 ちなみに「当社神幸記」・「御渡帳」による約560年の記録で
今回を含めた明けの海だった回数
江戸時代(19)・明治(3)・大正(2)・昭和(15)・平成(17)
平成に入ってからは御神渡りが無いのが当たり前の状態・・・倦怠期ですかね >>102 水質は昭和の時代より改善しているでしょ。
湖周すべてをコンクリート壁で固めた事で氷が張っても岸にせり上がってしまう事。
&諏訪湖はそもそも浅い湖ですが、護岸工事の際に急深な岸にした事で凍結しにくなった事、が温暖化と合わせておみわたりの出来ない原因でしょう。
地元の方に聞くと工事以前は自然の渚が各所にあって、からす貝など沢山取れたそうですよ。
諏訪(和田峠、霧ケ峰)に限らず
神津島や伊豆箱根の黒曜石も東日本中心に広く分布してるけどね。 >>111
関東東北はあくまでもヤマト=日本に征服された土地でしょ 歴史の捏造はやめなよ
日本という国号の発祥地でなくたって縄文人や蝦夷など立派な祖先がいるじゃないか 本当の歴史に誇りを持ってほしいね
戊辰含めそこらへんを朝鮮小沢に利用されてめちゃくちゃにしたのが
単純馬鹿東北人? 千葉・茨城から九州高千穂に、
宮城・岩手から奈良三輪山に
天孫降臨という噂もあるんだけど。 茨城から高千穂なんて意味が無いからありえんでしょ?
朝鮮系の経路としても同様。 New!!
↓
熊本/大学生・女児殺害事件「ここ1年くらいはパチンコ店に入り浸っていた」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/720
↑
ギャンブル依存 発達障害がある場合も
「ギャンブルにのめり込んでいる人の中には、発達障害の人がかなりいる」。
こんな見方が、ギャンブル依存者の回復を支援する専門家の間で認識され始めた。
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2011021002000055.html
http://megalodon.jp/2011-0210-0913-45/www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2011021002000055.html
2011年2月1日
兵庫・加古川の母娘殺害:夫に懲役25年
「勤務先を解雇されてパチンコなどのために借金を重ね、家族の生活費などを使い込んだ…
このため妻しのぶさんから離婚を求められ絶望的な気持ちになり」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/718
東池袋 出会い系カフェ殺人事件・女子大生と男「1万円の攻防」
借金200万円→パチンコで負けてから深夜11時出会い系カフェ入店→ラブホテルで殺害
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/714-719
北関東・5人幼女連続レイプ殺害犯を警察が捕まえない理由は、飯塚事件で無罪の人を死刑にしたから
北関東・5人幼女連続レイプ殺害犯を警察が捕まえない理由は、飯塚事件で無罪の人を死刑にしたから
警察は犯人を知っています。
警察は犯人を知っています。
犯人は今も週末にパチンコを打っています。
犯人は今も週末にパチンコを打っています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/669-671
●マスゴミは大学生がパチンコに入り浸っていたことは総スルーするぞ(笑)● 公認神話で、タイマンでボコボコ・いい所無しの敗残兵の役割を被って、
地元の者(特に神職関係)は汚名を晴らそうとは思わなかったんだろうか?
まったく健御雷神に歯が立たず、一矢も報いず両腕引きちぎられて、諏訪まで逃げて命乞いして止まったのが起源って・・・
あまりにも情けなさすぎる
地元信仰のプライドはなかったんだろうか?
朝廷の権力なんて後々まで続かないし、記紀の扱いへの批判や、従来の伝説や新説なんかを、
もっとアピールする機会はいくらでもあったのに タケミナカタの汚名は晴らさず、新たに創った神話が甲賀三郎伝説でつ >>117 皇室批判に繋がるので戦後まで何も言えなかっただろうな。
戦後も神話など後の作り話と明白になった故そういう運動も起こっていない。
タテミナカタも地元にしたら侵略者でしょ。 神話で無残に敗れた神であるにも関わらず、戦神としてかなり信仰されていたのも謎
神話エピソードしか知らない者からすれば、理解できないくらい篤く信仰されてきた神
敗残した神という点から、祟り神や御霊信仰的に鎮められ、祭られていたならまだしも、
そういう形跡もない >>120
それこそに建御名方大神、建御名方刀美大神さまの真髄がある。
ただ己の為だけに無為な闘いを大和朝廷に仕掛けたわけじゃ決してない。
そもそも目的を果たしたという意味では負けてなどいない。
>>120
少なくとも諏訪においては侵略者側だからじゃない?
勝って統治権を手に入れたんだから祟る必要がないじゃん。 ここまで読ませてもらって、また諏訪に行きたくなってきたなあ。
昔、上社本宮社頭で、自動筆記みたいな感じで勝手に祝詞みたいのが口から勝手に出てきて、トランスになってしまったことがあるんだ。
俺って戦闘的無神論者なんだけどなあ。不都合な真実だったわ。 お前もか!俺も以前左手が石神の意識体が憑依したことがあってな!
くっ、また。他のやつには秘密だぜ? >>124戦闘的無神論者ってなんだ?説明してくれ。 諏訪大社の御頭祭はユダヤ起源だと、久保有政というキリスト教の
牧師が主張してるんだな。 人間の考える事など一緒だから世界各地で共通点が多いもんだ。 >>121
諏訪に限らず、日本神話ってのは
国津神が負けたけど、負けきってない話だからね。
本当に負けていれば、キリスト教みたいに悪魔化してしまう。
(足長・手長とかは妖怪扱いになってるけど)
日本神話では、侵略側が確かに勝ったという話ではあるけど
割りと平和的に平定して、共存していくってお話だし
各地にある神社や伝承は、国津神のモノも多いからねぇ。 >>130
> 本当に負けていれば、キリスト教みたいに悪魔化してしまう
ヘブライ人は別にそれらのメソポタミアの神々を負かしたわけじゃないけどな
むしろペルシャに助けてもらうまで虐め抜かれてジリ貧だったわけで
唯一絶対の神しか認めない排他的な一神教と違い、
多神教は敗者と共存する余地がある
特に日本は勝者の側が、敗残者の怨念を畏れて神として篤く祭る(御霊信仰)等、
善悪二元の一神教へブライズムには理解不能の価値体系、包容力を持つ ____
Y/ニニ|>o<|\
/ //\___\
|/ / === |  ̄ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| / ・ ・ | キリスト狂を信仰すると
\(6 (_λ_)\ 精神障害になるのだ
/ _ ||||||| _|
|(( \□ ̄□/| 我 ◆82SSORBSMoは毎晩
\  ̄ ̄ ̄ ノ 。。 錯乱状態なのだ。
/ ̄ ̄\ /  ̄ ̄ ̄ ̄。|了 \______
/ |: | ̄ ̄ ̄。。
| |______| 。
| | | | | | | | 。
| | | | | | | | †
★人類史上、最大最狂のカルト「キリスト教の歴史」
邪教だからぶっ殺せ!(十字軍の遠征)
自分がやられないためには他人に罪をかぶせろ!(魔女狩り)
土人は人間(=クリスチャン)じゃないからぶっ殺せ!(南米はじめ後進国を陵辱)
ベトナム戦争はフランス人宣教師から始まったのを知っていますか?
キリスト教の歴史は血まみれの殺戮の歴史。
右のほおを打たれたら、相手の息の根の止まるまで殴り続けるのがキリスト教の本質だ。
歴史を勉強しましょう。侵略の先兵は必ず宣教師だったことを。
(いまのアメリカはどうです?ピューリタンの国は戦争したくてしかたがありません)
日本がザビエルなどの言う妄想を信じなかったからこそ、八百万の神仏がまします豊穣な文化伝統を持つ日本がある。
キリスト教を受け入れなかった祖先に感謝します。 ミシャグチを祭るところは信濃に多いのは確かだが、シャグジは関東近辺にも
ある。
縄文の神とする説があるが、だとすれば何故これらが東北に少ないのだろうか?
柱が倒れた瞬間
http://www1.axfc.net/uploader/K/so/94666
世相は厳しい結果 諏訪大社下社春宮で「筒粥神事」
2011年01月16日 中日新聞
神事を終えた北島和孝権宮司は
「今年は怖い1年。過去20年間の中で最も悪い結果が出た」と語った。
春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き、足をすくわれる相だという。
昨日、NHKの熱中っていう番組で奇祭特集で栃木県だっけかの諏訪神社で
ジャランポイ?かそんな感じの祭りやってんだけどもとはヒトミゴクウだった
のはいまは葬式的な祭儀としてかなり面白い感じにしてやってたな
個人的にはミシャグジ神祭祀を仕切っていた一族の神格化が洩矢神だと思っている
だけどなぜ洩矢だけの専売特許みたいになったのかは謎 公式神話に無様な敗残を晒した(改竄、貶められた)神が、
よりにもよって「日本第一の軍神」として堂々と崇拝されてきたのが謎過ぎる
「日本書紀」にこのエピソードがない事も関係してるんだろうか
(本居以前は「古事記」は「日本書紀」講書の際のサブテキスト扱いの立場で、もともと「紀」の方が重んじられてきた) そーね、古事記は「国史」じゃないからね
伝承集みたいな扱いだった
藤原一族のゴリ押しがいかに酷いゴリ押しだったかという記憶は
江戸初期くらいまでは残ってたんじゃねえの?
タケミカヅチもフツヌシも、中央高地には全然無関係だからな >>142
>よりにもよって「日本第一の軍神」として堂々と崇拝されてきたのが謎過ぎる
そら諏訪人が勝手にいうとるだけだろ >>144
最低限の歴史を勉強してきてから、こういうとこで物言えよ >よりにもよって「日本第一の軍神」として堂々と崇拝されてきたのが謎過ぎ
縁起とかってあるでしょ?多くの神様はその縁起で一つの神様に繋がってるのは理解できるしょ?
日本一の軍神=これは神さまの級長(シナツ)ヒコ=風神でありシナノ(信州)を治める神
なんだけど後に縁起でタケミナカタとなり(連なり)文字どうり負けはしてもシナズ(死なず)
つーことで弱いとかじゃないんだよね。それも縁起だから雷は親父格にあたるんじゃね? もうちっと実利的な話なんだけどな
壬申の乱、田村麻呂、鎌倉幕府などが関係している
でも、いちおうカミカゼも関係している
平安時代の官牧の半数が信濃にあった意味を考えろといいたい >本居以前は「古事記」は「日本書紀」講書の際のサブテキスト扱いの立場で、もともと「紀」の方が重んじられてきた
本居は筋金入のバカ。
この国に深刻な差別問題をもたらし、70年前にこの国を負け戦に導いた元凶。
江戸時代の三重県に行き惨殺したい。 本居宣長に死を
というスレッドを立てようとしたら跳ね返された。どなたかお願いします。 時代背景を考えれば立派な人だけど、
彼以降の国学者もしくは右翼で、彼を信奉してるやつはたいてい馬鹿だね
ていうかもう死んでるから 信州人の血を引いてる自分には嬉しいスレだ。
しかしばあちゃんが諏訪出身だがあまりこのスレ向きの話は聞いたことないんだよな。
御神渡りが減ったのは工事のせいだったのね…。ばあちゃんが子供の頃はスケート出来るくらい厚い氷が張ったそうな。
このスレ見てたら諏訪大社行ってみたくなったよ。恥ずかしながら行ったことないw ばあちゃんの話で思い出したが、いぼ石とかはスレチなのかな?信仰とはちょっと違う気もするが…。 いわゆる「民間信仰」の範疇だね
だけど、いぼ石ってのは日本中どこにでもあるぞ
諏訪で比較的有名なのは児玉石神社かな >>156
無知なもんで全国にあるのは知らなかった。神社の名前は聞いてなかったが、場所的に児玉石で間違いないと思う。レス有難い!
まあ全国共通なんだろうが、その神社の水を付けるといぼが取れるっていう民間信仰ですよね。
流石にオカルト好きでもうさんくせー!って思ったんだが、叔母が本当にいぼ取れたらしい。
個人的には何かいぼに効く成分でも含まれてるんかなーなんて思ってる。あと叔母は思い込み激しいからプラシーボ効果もあるのかもww
俺も去年いぼ治療(マジで痛い!)してたからそんときはすぐ諏訪に行けない自分を呪ったw 参道の石畳とか境内の磐座とかにくぼみがあって、そこに水が溜まってる
で、その水は一年中枯れることがない・・・ってのがいぼ石信仰のパターン
児玉石のやつはかなり深いくぼみで、確かに枯れてるのは見たことないな
効くかどうかは責任持てないw 関係ないです
いやまあ100%ないとはいえないけど、もしあるとしたら
平安時代以前の歴史の闇の中の話で、たぶん誰も論証できません 秩父
→朱+失、父
→ノ+木+三+人
→三+人+ノ+木
→秦爻
ああー、そういう種類の電波を強烈にネット上で撒き散らしてる爺さんがいるね
基本的に電波ではあるけど博覧強記で大したもんなんだ
後継者がいなくて嘆いているようだから立候補したら?>>161 ちょっと奇妙な御柱の立て方をした神社を見かけたのでご意見お願いします。
一之柱は社に向かって右手前、二之柱は社の前の左脇、
三之柱は社の真後ろ(!)、四之柱は社の左後ろ奥の敷地の端辺り。
なお四之柱は木に囲まれていて一見みえませんでした。
通常御柱といえば社を四角く囲むものかと思っていましたが、
このような立て方をするというのは何か理由があるのでしょうか?
あるいは類例などがありましたらお聞かせ下さい。 文字だけだと把握しきれないが
その場所がどうしても御柱が建てれない立地条件とか
社殿が移築してたり本殿が別にあるとか
社殿と別に磐座みたいな物があるとかじゃないのかな?
諏訪地域外になると変則もありかもだが
まあ、そこの氏子衆に聞くのが手っ取り早いと思うけどね ご意見ありがとうございます。
そういえば社と四之柱の間に何かありました。
三之柱は真後ろでなくても建てられたような気がしますが、
また行く機会があれば見てみますね。 >>163
・実は社が移動した
・実はもう一つ社がある 諏訪大社上社の裏にある祠ってだれかしってるひといますか?
できればなんなのかも教えてください 上社のって前宮ではなく本宮でいいのかな?
裏方向が三と四の御柱が有る方向(神山)のことだったら
境内に隣接してると言えばこの祠か
諏訪信仰マニアの大半がみてると思われる某サイト参考
http://genjin.cool.ne.jp/mieru/taiko.htm
http://genjin.cool.ne.jp/zatugaku/kanaisya.htm
他にもあるかもなので違ったらごめんなさい ありがとうございます
自分の先祖と関係あるみたいなので
興味が沸きました
自分でも調べたんですけど
やっぱりそのサイトでした 伝承や、信仰はとことんあやふやなのに、あれ程激しい祭は存続している理由はなんなのか?
>>130の>(足長・手長とかは妖怪扱いになってるけど)
ってアシナヅチ・テナヅチのことですか?
だとしたら何故妖怪になったんですか?
どういうことなのか説明してください>< >>171
信仰ってのは理屈じゃないってことの証明なんだろう >>173
一般の市民や氏子にとっては様々な理屈じゃない「想い」を持ってると思うのですが。
統括している「真髄」みたいなものがなければ続かないと思うんです。
そこが一般の市民や端々の氏子には意図的に秘されていると思うのです。
表面的な伝統を守ることに腐心させられ、自分達が一体何を守っているのか、疑問に思わない訳がないです。
しかし、黒いものがあっても関係者は口をつぐまざるを得ない。そういう強固な縦社会が構築された世界です。
安易な考えかもしれないですが、相撲の世界や歌舞伎の世界と同じように
「人々の想いとの解離」が起きているのに、必死に取り繕ってるような状況に思うのです。
>>174
ええと、それは外から見た見解だよね?
諏訪の人は基本的にやりたくてアレやってるからね
古い伝統があるにもかかわらず、
「表面的な伝統を守ることに腐心させられ」ていないところが貴重なんだよ
進軍ラッパ吹いて伝統の祭もなにもあったもんじゃないだろ?w 進軍ラッパはもちろんのこと、お舟祭りに木遣りを鳴いてみたり
息杖を用いずに地べたへと長持を放り出してしまったりするのも
伝統になっているわけですよ…残念なことに。 近代以降の伝統を伝統として守る立場は、それはそれで貴重なんだよ。
なぜというに、現代の常識ではそういうものを伝統として扱わないからだ。
それをなぜ伝統として扱うかというと、自分らの爺さんが本気でやってた、
ということをリアルに知っているからだね。
本来は、その心持ちこそが伝統そのものなんだよ。
現代の文化的価値観、現代の常識とは違う、昔ながらの伝統の守り方なんだ。 >>148
現代は一括りにされているけれど、下社と上社は別物。
坂上田村麻呂の戦勝祈願(と諏訪の新兵の加勢)は、下社らしい。
夫婦神という扱いだけれど、上社は建御名方、下社は八阪刀売神の勢力圏。
つまり、本当の軍神は下社の八阪刀売神。 >>174
> 統括している「真髄」みたいなものがなければ続かないと思うんです。
> そこが一般の市民や端々の氏子には意図的に秘されていると思うのです。
個人的には、神様に生贄を差し出しているんだと思っている。
御柱祭のたびに人が亡くなっているからね。
木落としの当日ではなくても、数日後、病院などで。 諏訪と伊那は信濃の中でも独立王国みたいに思われてるらしいけど、
諏訪はわかるんですけど、伊那は何故そう言われるのですか?
>>178
奈良〜平安期、中央と諏訪の連絡を金刺が全面的に掌握していたのは確かだろうが、
千年の経緯と実情をすっ飛ばしてそういう言い方するのは乱暴。
>>180
伊那は中世まで諏訪の一部だったから・・・って話じゃないのかしら? このスレで良いのかわからないけど、祝神って諏訪独特のもの?氏神とは違うの? >>182
手塚治虫によれば祝殿(いわいでん)と言って
山梨と長野の一部で行われており「氏神様」を
文字通り解釈した神社とのこと。
祝神も先祖まつりも宅神祭の大規模なもの。
基本的に氏子全員の苗字が同一なので、直会
などの際には区別のため屋号が飛び交う。
…こんなところでしょうか。 >>181
> 千年の経緯と実情をすっ飛ばしてそういう言い方するのは乱暴。
これについては、それ以前レスも同じだよ。
軍神=建御名方で話を進めているのだから。 >>183
ありがとう。諏訪特有のものでもないのか
祖父母が諏訪出身で東京に移り住んだんだけど、うち含む非長野県民の同族一同が
建てた小さい社が諏訪にあって、調べてみたら祝神?らしいということで調べていたのです
ちなみに諏訪らしくミニ御柱が建っていたけど一本だけだったので最初、何この汚い杭?と思ったw >>184
「軍神=建御名方」というのが中世以降の「実情」だと言ってるんだよ。
その実情が千年来どう形成されたのかも検証せずに、
「それは真実と違う」と断言するのが乱暴でなくてなんなんだ?
田村麻呂の件等が(後の?)下社方の仕切りである可能性は確かに高いが、
「八坂刀売が軍神だ」といえる歴史上の根拠はどこ探したってねえよ。
たとえロジックだとしても、乱暴すぎてデタラメの域だ。 >>185
同じ氏族で氏神的なものを祀る形式は全国どこでも見られますが、
諏訪で面白いのは、そういう集団もしくは集住地域を
「まき」と呼ぶところです。
だから祝殿や産土神のことを「まき神」と呼ぶこともあります。 >>187
そうなのか。確かに巻って聞いたこと無い
自分、諏訪人じゃないし苗字+巻って書いてあったから最初「巻」って名前かと思ってたよ
うちの祝神の建立者も多分知らなかったと見えて微妙に使い方間違えてるしw
教えてくれてありがとう たぶん・・・だけど、「巻」じゃなくて「牧」が由来なんじゃないかと思うよ。 や、だから表記の問題じゃなくて由来の話。
あくまでも憶測だけど。
漢字表記なんて江戸時代まではいい加減なもんだったからね。 牧は古代からあるし、牧由来と考える方が憶測だと思うけど。
牧が由来だと昔から牧の字は放牧地って認識が有りそうだが
それだともっと広い範囲の字名とかにならないか?
字が牧→巻に変化している地域名とかならあるけどね
個人的には取り巻くとかの「巻」方がしっくりくるな
分からんので適当だけどw 少なくとも平安時代、信濃には官牧がたくさんあって、
諏訪にも三つ四つあったんだよね。全国で二十もない中で。
街道筋の宿場町になった時代でも、重要な馬宿であり続けたわけだし。
その管理集団がルーツなんじゃないかなあというホント憶測です。 いちおう。
牧の概念は古墳時代に海外から馬を導入してからつくられたもので、上代には遡れない。
「牧」を意味する「まき」は古語にはないわけで、仮に「牧」を由来とするなら建御名方命入訪以降の集団ということになる。 縄文時代は、諏訪湖や山の地形を利用して、鹿を囲い込んで狩りをしてた
「ま」は強調、「き」は境界、の意味で、狩りを中心とした共同体の単位だった
モレヤ神の仲間のチカト神は鹿を中心とした狩りの神
以上から、「まき」は意外と古くからあった概念で、官牧などの馬の牧はそれを上書きしたのかもしれないよ >>196
よくわかんね・・・
上代ってのは主に奈良時代だろ?
古墳時代につくられた概念が上代に遡れないってどういう意味?
それが建御名方だかどうだかわかんねえけど、
もちろん牧の概念は、ヤマト勢力が入って以降だよね。
つか、当然だけど馬が入ってからってことだ。
古墳を見る限りでは、諏訪においては6世紀末くらいだな。 >>197
そういう語源説はなんとでもいえるからねえ。
少なくとも諏訪で境界の意味といったら、「き」じゃなくて
柳田言うところの「sk」の言葉だろ。サカとかサクとかスクとか。
千鹿頭の話はなにが関係あるんだか、よくわかんねっす。
でも、ケモノを囲い込むことを「マキ」だっていう解釈なら面白い。
狩猟でも牧畜でも同じに「マキ」だという。それはあるかも。 >>199
狩りをするときに巻という。
巻狩りとか巻き上げとか。
巻は狩りをするコミュニティの単位でもある。 長野、山梨以外で「巻」または「牧」と呼ぶ地域はありますか? >>200
だからさ、個人的な思い込みだけ言うんじゃなくてさ、
なんかこう、参考になる材料を提示してくれよ 江戸時代までは、漢字をどう宛てるかなんて超いい加減だったからな
漢字に囚われるとなにも見えない
日本語は音なんだよ マキがどう言う組織か書いてあるのは見たことはあるが
語源に関して研究している文書ってないのか? だからね、語源説は学問になりにくいの。
結局、憶測以外なにも言えないから。 望月なんかの実態から考えると、馬の柵(まのき)じゃないのかと思うんだが 大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
>>211
古さと歴史の長さじゃね?
ずっと今までつながってる所が。 >>186
>>148は平安時代の話なのに、中世を持ちだしてどうするの。
>>213
超古代の神事が、ほんの数年前まで継承されていたのも魅力だね。 >>214
諏訪神社に関して信用のおける研究対象は中世以降。なぜなら文献があるから。
それ以前に関しての言説はおおむね妄想。
考古学の成果をきちんと踏まえているのなら妄想レベルからは脱するが。 上社と下社の仲が悪かったせいで下社系の文献が充実してないのは痛手だね
下社が負けてなかったら信仰形態は変わっていたのかねー
金刺家が滅んでいなければ総領家も変わっていたかも、などと妄想 >>216
>>148は諏訪限定、信仰限定の話ではなく、文献から見た日本全体の治世の話だろ。
もちろんそれでも憶測レベルだが、妄想とまでは言えない。
そういう古い文献には、残念なことに、上古以前の諏訪で誰がどんな祭りを
していたかという情報は、また聞きの噂程度が2、3件しか残ってないんだよ。
>>217
1行目、まったくです。しかしまあ、歴史は常に勝者のものですから。 長野県下伊那郡豊丘村神稲の「佐原」(読みはサハラ)という集落に佐原諏訪神社(御手形神社)があります
ここの御祭神は、建御名方神と武甕槌神だそうです
佐原というと千葉県の佐原を連想しますが、ウィキによれば千葉県の佐原という地名の由来は
「古代から香取神宮が鎮座し神官の祭典の時に使用する土器、「浅原(さわら)」を造って納めていたので「サワラ」という地名がついたともいわれている」
偶然の一致かもしれないが面白いと思いました >>128
どこかで見た名前―と思ってたら、4,5年前(だったかな)teacupの掲示板で
「フリーメーソンは信用出来る人たち」とか太鼓判捺してた作家の方ですね?
記憶が正しければ、そして、その手の話に介入する時に私が使いそうな手法的
に―(『300人委員会』〔ジョン・コールマン著〕の)「二十一カ条の最終目標」と、
フリーメイソン "ユダヤ人にとって、積極的に参加する動機が十分にあった"
等のグーグル複数語検索を根拠として(あとP2ロッジの事件やフリーメイソン
のロッジが米軍基地の近くにあることなんかも書いていたかも知れません)、
疑義を呈する書き込みをさせて戴いたと思うんですが―それを2度も問答無用で
削除されたばかりか、その後、その板には書き込めなくなっていたので掲示板
からリンクしてるHPの方を確認してみたらレムナント出版という一応はマスコミの
端くれじゃないですか、「(この人たちの出す本は怪しいな)」って本気で思ったの
を今でも覚えてますよ。【反証可能性】まで否定してしまうなんて―でしょ?(笑)
久保有政
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E4%BF%9D%E6%9C%89%E6%94%BF
ジョン・コールマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3
もっと最近、別の人の疑問にはちゃんと答えてるみたいですね。
http://8928.teacup.com/yomimono/bbs/581
http://8928.teacup.com/yomimono/bbs/583 個人的に日ユ同祖論はこじつけっぽいというか胡散臭く感じるなぁ… そういえば大祝諏訪家出身の女の人がなんでも鑑定団に出てたな
諏訪家の名前を残そうと、息子に諏訪を名乗らせているらしい 大祝諏方家直系って平成に入って断絶したよね?娘さんがいて外に嫁いでたのか 明日諏訪行ってくるわ
諏訪大社4つと守矢資料館は
以前行ったことあるけど
ミシャグジ神、洩矢神関係で
見ておいたほうがいいスポット
ありますか? ↑書いたもんだけど、今日守矢資料館行ったら
たまたま当主の人がいて、横の家に上げてもらってお茶ご馳走になったわ。
当主のお姉さんにも会えた。
向こうはなんか教員の研修会みたいな感じの仕事中で、資料について
色々解説してるところを横で聞いてたら「何かの縁だから」って感じで
呼ばれただけなんだけど、さすが教職の人だけあって接しやすくて話し上手かった。
こっちは生きた伝説が目の前にいるってのでガチガチだったからキョドりまくってたけどな。
>>229
当主さんに普段は会うこと出来ないから良い出会いがあったねー
しかしこの過疎スレでは緊急のアドバイスを受けるのは厳しいぞw 南信濃村と上村は昔諏訪大社の社領だったみたいで、御頭祭につかう鹿を献上してたとか
その後天領となったみたいだけど
諏訪に限らず、善光寺の御開帳とか7年に一度の大祭って長野県は多いのかな 今の2ちゃんねるの管理人は右翼団体とアダルトサイト運営しているヤクザな訳だよ
他の運営もそいつに小遣い貰ってる舎弟
心理学を応用したネット掲示板に依存してる人間は薬漬けにされたジャンキーと
何ら変わらない
今はほぼ全て運営による捏造情報の書き込み
ヤクザに雇われた中国人でまともな人間は居ない
それに2ちゃんはリアルタイムに実名が判るシステムなってる
2ちゃんねるはそのアクセスログを右翼団体、企業やマスコミやライターたちに
販売しているからアクセスする時は気を付けないとな。
諏訪は養蚕の中心地だったから養蚕関係や猫神が多いんじゃね。 諏訪大社・御柱・建御名方命・洩矢神について調べています。
比較的手に入りやすい資料ってありますか? 今読んでる精霊の王(中沢新一)に主にミシャグジについてだけど諏訪周辺の信仰について書かれてて興味深い。
辰野の鎮大神社ってところにも行ってみたい。 >>234
〈お諏訪さま 祭りと信仰〉
諏訪大社 監修 鈴鹿千代乃.西沢形一編
勉誠出版を図書館で見つけ、読んでみたけどかなり面白かったよ。
諏訪大社は何度か行ってるけど、守矢資料館にも行きたくなった。
>>234
地元の図書館か本屋だな。
それ用のコーナーあるし。 長野県には地名の由来がアイヌ語である場合が相当数ある。 >>234
遅レスですが
諏訪明神 カミ信仰の原像
寺田鎮子・鷲尾徹太著 岩田書院
自分の知りたいことのかなり核心に触れていて読んでいてわくわくした。 手塚治虫家系にも繋がっていて木曾義仲お供の美女武士の巴御前にも繋がる下諏訪の神主家系筋、断絶して残念だた。 今の守矢氏は78代目
79代目はあるのだろうか?それとも断絶してしまうのだろうか?実にもったいないことだな。 >>32
>最終的には衣に至ったが、壬申乱後、持統天皇の時代に大和朝廷に滅ぼされ・・・・・・
誰が滅ぼされた何という戦役のことなの?飯田街道(現在のR153)途中の
三河挙母町では、そんな伝承は聞かないんだが。 >>239
ハハハ 適当なこと言ってんじゃねぇよw(笑) >>247
そもそも飯田街道が全線整備されたのって織豊期から江戸時代にかけて。
それ以前は足助平谷間あたりはほぼ不通。
少なくとも古代から交通路として使われたという根拠はない。
柳田國男も『東国古道記』で津島信仰や伊勢信仰との関係に触れて
>かつて中部山岳地帯と海岸を結び付ける道は秋葉街道だけであったが、
やがて浪合を通り飯田・根羽に連なる三州街道(飯田街道)が開けてきて、
>その段階で津島神社の御師たちが入り込み、【中略】山間に広く分布していった。
また長野県下伊那郡天龍村坂部に伝わる『熊谷家伝記』第四巻でも
R153にある治部坂峠の名の由来を、天正三年にあるとしているので、
少なくともそれ以前は峠のすらない、人の行き交うことすらまれな道だったことを傍証しているといえる。
あと、天武持統時代の信濃は壬申の乱以前から大海人皇子の領地があった関係から相当に優遇されており、
信濃の諸豪族は攻め滅ぼされるどころか舎人に登用せれる者が続出してる。
さらにいうと、天武天皇は信濃に絶大な安心感を抱いていて副都を置こうとすらしている。
具体的には、『日本書紀』の巻第二十九、天武天皇十三年二月庚辰の条で
>庚辰。遣浄広肆広瀬王。小錦中大伴連安麻呂及判官。録事。陰陽師。工匠等於畿内。令視占応都之地。
>是日。遣三野王。小錦下悉女臣筑羅等於信濃、令看地形。将都是地歟。
と記されるように適地を選定しており、天武天皇十四年の条では実際に行宮を造営してる。
>壬午。遣軽部朝臣足瀬。高田首新家。荒田尾連麻呂於信濃、令造行宮。蓋擬幸束間温湯歟。
この方針は持統天皇にも継承されていて
東国諸豪に度々饗を賜ったり木曽路を開くなど盛んに活動している。
どう考えても信濃の勢力と衝突していたようには思えない。
飯田街道の歴史から見ても天武持統朝の政策から見ても>>32の書き込みは根拠なしとみなしていいと思う。 「伊那」の地名は、ホツマツタヱに書かれている。
すなわち、天八意ノ命(阿智彦)が身罷った去(辞)洞(いなほら=お隠れになった洞窟)の場所を
「イナ=伊那」と呼び、以来 阿智家の勢力範囲をイナ(伊那)と呼んだ。
当時の阿智家の勢力範囲について、大御食神社の「美しの杜社伝記」には、応神天皇(3世紀末)
から仁徳天皇(5世紀)に至るころの近郷〔伊那市西春近小出(小黒川南)〜中川村大草(小渋川北)
〜松川町上片桐(松川北)〕において、赤須彦が祭事を司っていたことがわかる。
天安2年(858)の記述からは、近郷〔伊那市西春近小出〜飯田市伊賀良〕には 三十二の里があり、
それぞれの里の規模についての記述がある。
このことから、少なくとも9世紀までの伊那郡と諏訪郡の境は 伊那市の「小黒川」であったことが推定される。
また、「伊那」の地名については、稲・井名・猪名部・建稲背命・アイヌの幣束「イナウ」などに因るとの
諸説があるが、倭名類聚鈔(10世紀)によれば 諸説が「伊那」の地名発祥の地とする現在の伊那部
などの地域は、当時 諏訪郡の範囲内であったと推定される。このことから諸説では「伊那」の地名由来
の説明に十分ではない。 現在では大御食神社の「美しの杜社伝記」は江戸時代に盛んに作られた偽社伝の一つとされている。
そもそも日本語音韻学の立場からすると使われている神代文字の音韻は、
せいぜい中世以降のものでありとてもではないが古代まで遡ることは出来ないもの。
とてもじゃないが古代史の資料にできるようなものではない。
文献学的には伊那の由来についての主張は否定せざるを得ない。
それに古代の伊那地方に阿智家などという怪しげな勢力の登場する余地はない。
伊那郡の郡司(大領)は科野国造氏、及びその末裔の金刺氏が世襲していたからね。
言うまでもなく金刺氏は諏訪下社大祝家の金刺氏の同族。
少なくとも上社のある下諏訪から伊那郡衙のある飯田辺りまでは金刺氏が抑えていたと考えられる。
このような状況下で郡名の由来になるほどの大勢力が上伊那に存在したとは考えにくい。
第一、郡の中心地におかれる郡衙が飯田市座光寺の恒川遺跡群で確定し、
これに比肩しうる遺跡群が存在していない以上、
考古学的にも阿智家の存在については否定的に見ざるをえない。 というかなんで諏訪はスバルの地のトルコなりだって何時まで経っても周知されないんだろうな〜
ミシャグジ様自体はイザナミ神でヒノカグツチ関連でイザナギが両断な流れー >>253の中では当たり前かもしれないけど初心者には何を言っているのかちんぷんかんぷんだよ 神無月はいつから?
諏訪の神様は、大きすぎて迷惑だから、来るなと言われてるそうだけど。 春宮〜秋宮〜前宮〜本宮と回ってきたよ。
本宮本殿屋根の葺き替え中でイマイチ
神長官守矢資料館良かった。
ミシャグジ総本宮も参拝
小さなお宮だけど鹿のツノ 栗 黒曜石が捧げてあった(笑) 車で行ったのね
電車徒歩では2日がかりだった
ついたちに行くと、毎月神事やってるらし 守矢資料館は入るとおじさんがすごい勢いで展示物の説明をしてくれるよね
うちは先祖の家が本宮の近くで五官の祝の一人と同じ苗字だったから
子孫認定されて更にいろいろ説明してもらった。ただの近所の同姓さんなのにw
ミシャグジ総本宮は行ったことないなあ。墓参りついでに行ってみようかな
>>257
調べたら11/3だった。諏訪明神はでっかい蛇で、出雲の神様会議所の周りを7巻きしても
尻尾はまだ諏訪の松の木にかかっているとかそんな話だっけ?
そういえば去年上田の酒造からもらったカレンダーが神在月表記だったよ そうそう、一生懸命説明していただいた。
郷土に誇りがあるんだね〜
とても楽しい諏訪めぐりでした >諏訪明神はでっかい蛇で・・・・・尻尾はまだ諏訪の松の木にかかっているとかそんな
そうそう、それそれ。
こういうのを読むと、建御名方神は建前なのかなあ。
wikiの諏訪神党に、自分の名字、発見! 諏訪、行ってきた。
大社4箇所まわったが、圧倒的におもしろかったのは
上社前宮。
でも地元の人こそが、「前宮なんか行っても何もないよ」とおしなべて言うんだよね。
その人が意識的に隠しているわけではない感じだったけど
もともと考えた賢者は、下社に観光客を集めさせて集金運営し
本当に聖なる場所は、あまり観光されないように秘して設計しているのではないかなと思った。
古代人の叡智を感じさせたな。 大祝の男系子孫の方っていらっしゃるのでしょうか
御本家は断絶してしまい残念なことですが、天皇家や
出雲国造と同じ万世一系の家系
比較的近年に分家した諏方家はどちらにいらっしゃるのでしょう >>263
自分も上社前宮が一番好きだわ、平日の朝方とかは人影もなくて気持ちいい 本宮にバイクを停めて前宮まで歩くのが好き。
途中で北斗神社の階段でガクブルしたり、
御頭御社宮司総社にも寄れる。
(神秘性という意味では個人的には前宮以上に何かを感じる。) 神奈川の真坂山ってとこに大蛇が住んでいて、日照りで池の水が少なくなると諏訪湖に飛んでいったらしい。 「諏訪大社 祭りと信仰」読みたくてずっと探してるけど、どこにもないわ 元諏訪って言われてる神社が徳島にあるね。
かなり古いらしい。ここから現在の位置に移ったんじゃないかとも言われている。 >>273
オカルトネタは一期一会だからな
ボケもユダヤ民族の歴史の一覧表とかエルメス神とか
新人類だか旧人類だかが男はマクロ、女はミクロに強いだか
トマトが悪魔の実と呼ばれていたとかもう一度見たいなと思ってても
見つからないもん 去年の新聞に次回の上社の御柱は辰野から調達って書いてあったけど、
地形的には宮処牧の山向こう…のような感じだからいいのかな?
いや、いまでも何らかの関わりがあるんだろうなと思った次第で。 >>273
タイトルが間違ってるからではない?
>>237には、<お諏訪さま 祭りと信仰>とあるが。 >>263
> でも地元の人こそが、「前宮なんか行っても何もないよ」とおしなべて言うんだよね。
> その人が意識的に隠しているわけではない感じだったけど
もともと、諏訪大社の一角ではないからね
明治の大編成で、地元民(前宮周辺)の強い要請で格上げされた >>281
それなら洩矢神社や守屋神社を大社に加えればいい話で
前宮は完全に地元のエゴだから、周りの住人の態度が>>263 >>268
苗字に諏訪さんはいらしゃるのですが、その方達はどうなんでしょう?
諏訪の引用がわからないので私も知りたいです。 >>278
先に客がいると無視される。その客が帰ると怒涛の説明ラッシュが始まる あれさ、「すみません少し自分で見たいんで」って言ったらさ、
15秒後くらいして再開してきて正直うざかったから「けっこううるさいかな」って言っちゃったよ。
こっちもそんなこと言いたくないんだから言わせないでほしい。 >>274
>元諏訪って言われてる神社・・・・・・・・・・・・・
社名は、何というのですか?鎮座地名も、やはりスワなのですか? >>223
ikuraサーバ落ち?なのか5/24から神社仏閣板のどのスレにもアクセス不能だ。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/
このHP記事の言う出雲系の諏訪信仰(田植え行事)・都都古和気信仰とは、
どういう信仰のことなのだろ?
郡山(安積)地方関連の古代歴史考察
http://www5.plala.or.jp/obara123/rekisi_10.htm#弥生時代 点で区切ってしまうから混乱するのであって
答えは書いてありますよ?
諏訪信仰にも都都古和気信仰にもお田植え
行事はかかっているのです。 今年の筒粥神事は、昨年同様3分5厘。
春から夏に注意。 真弓常忠氏著『古代の鉄と神々』に拠れば、諏訪大社は古代製鉄業に従事した
人々が建南方を祭神として祀った神社で、御柱は踏鞴炉の高殿の4本の押立て
柱が元だと。さらにその南柱を最も神聖視し、そこに金屋子神を祀ると。これ
より製鉄従事者の崇敬する神社は南宮なのだと。
『梁塵秘抄』にある「南宮の本山は、信濃国とぞ承る・・・美濃国には
中の宮、伊賀国には稚き児の宮・・・」の本山が、諏訪大社。 >>174
進軍ラッパは、流石にまずいと言う意見を全国各地では聞くよ。
地元じゃ問題にならないのかな?
いつの時代から進軍ラッパ吹く様になったのか気になるが、
昔の伝統に則って祭りをするなら、昔は無かったのだから、
進軍ラッパを無くしてもいいと思うが。 うわあ諏訪信仰とかキモオタのやることじゃん
自分のオナネタにするために神を信仰するんだろ? >>297
お前はそうしてるんだろうね でないとそんな発想は出てこない >>282
そんな神社まであるんだ。
深いな。諏訪は、 >>265
先祖が神話の時代の神の
直系一族って
そういないですからね。 何も知らずに諏訪に
行ったので守矢資料館を見逃してしまった・・ 来年はいよいよ御柱祭だね
今のうちに目を通しておくべき本とかある? >>305
信濃国二宮小野神社・矢彦神社にも、諏訪大社同様に御柱祭が
あるんだね。7年に1度、諏訪大社御柱祭の翌年に。
他にも催行する神社があるのかな?
ひょっとしたら諏訪大社よりも古い?小野神社・矢彦神社 2010/9/20
ttp://blogs.yahoo.co.jp/keinoheart/51044394.html >>251
「美しの杜」の名前の由来となってる熱田神宮創設者で有名な宮簀姫こと
厳色姫の「美しの杜」の社伝記に書かれている事も嘘ですか? ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 >>308
「美しの杜」は大御食神社にある「美女ヶ森」とも呼ばれる森林の事を指す
由来はヤマトタケルの最後の妻である尾張国造の娘である宮簀媛に因む
ヤマトタケルが大御食神社の場所に立ち寄ったとの事でそれの縁だろ
で宮簀媛が夫のヤマトタケルの遺品である三種の神器の草薙剣を祀るため
熱田神宮建てるが、大御食神社では熱田神宮から草薙剣の御霊代とともに
宮簀媛が迎えられたとのこと
諏訪近くの松本市に大宮熱田神社と伊那市に熱田神社があり、
そちらもヤマトタケルと熱田神宮との深い関係があるとの事で
なんか大御食神社との事と関係ありそう 今年の御柱祭で死者が出て、神社が訴えられてるね。
死ぬかもしれない緊迫感が祭りの高揚感を盛り上げるのに。
組み体操を止める運動会みないなものかw。 これまでの死者は結構な数になるのでは?
死ぬ者とその家族・関係者の身になってみろ
いずれこの祭も必ず形を変えることになるだろう あす2016年6月26日21時00分〜21時50分
NHKスペシャル 古代史ミステリー「“御柱”〜最後の“縄文王国”の謎〜」
というのがあるらしい ちょっと楽しみ >>314
何十年もの間、結構な数の死者を出しながらも、形を変えずにやってきた。
そのことの意味を考えるのが民俗学。 >>318
何十年? それっぽっちの歴史しかないのか >>320
昔は、生贄を柱にくくりつけて落としてたんだけど
それが禁止されたので、みんなで落ちれば誰かは死ぬだろうと今の形になった
いつから今の形になったのかははっきりしないが
そこまで古い話ではない >>317
御幣餅として名前出てた人が落ちてまさに死んだ本人なんだね。
どこかで見た名前だと思った。 >>322
バーカ。
御幣持ちと落ちたのは別人たわ。 昔に比べれば大分現代に譲歩しているとおもうけどな
ここの祭祀系統は
神=自然
自然は恵をもたらし、そして時に命をうばう
優しい神様だけじゃない
だから「畏れ」「敬う」 下諏訪の実行委が解散総会
「成功裏に終わった」
下諏訪町の御柱祭実行委員会は18日、今春の諏訪大社下社御柱祭を総括する解散総会を下諏訪商工会議所で開いた。
事務局は、山出し、里曳き合わせて約91万3千人が訪れた祭りを振り返り、
「諏訪地方観光連盟御柱祭観光情報センターと協力し、来訪者の情報不足をある程度解消できた」と報告。
全体的には成功裏に終わったと評価した。
約120人が出席。
3時間近く曳行時間が遅れた、との反省も出た。木落し坂では、危険を回避するため女性や子どもらに御柱から離れてもらうのに時間がかかったことから、
「一度綱を離れても、速やかに合流できる迂回路を設けるといった対策が必要」との指摘が出た。
自作の腕章で規制線内に入ろうとする人がいたことも話題になった。
人口減などで各世帯からの賛助金の総額や企業などから受けた特別賛助金の件数は減った。
「企業に対し広告効果が高く魅力的な特典を検討する必要がある」との意見も出た。
会計決算は、歳入歳出ともに1億4800万円余。
約500万円を、次回2022年御柱祭までの通年観光に活用する目的で下諏訪観光協会に交付することを確認した。
(2016年10月19日掲載) 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組の官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカムを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部へ送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄に落ちるので、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全部自分の出来心から起きた事で、どこに訴えるわけにもいかないのですが、
なんとかあの人達と縁を切って新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 タケミナカタの正体は、敗残した怨霊神(物部守屋大連)を、
「健き(雄々しき)御名のお方」(=モリヤ神)として、その末裔である神長官・守矢氏が祀ったもの
神体山・守屋山に依りまし、血の祭儀・御柱によって封じられている
諏訪大社創建はタケミナカタ敗死より遥か古いのは言うまでもないが、
それは古き神・ミシャグジであり、
新しき神・タケミナカタは諏訪信仰を一変させた
それを行ったのは、石上神宮系の物部一族とされる テディベアで小宮御柱祭を再現 白樺湖畔の美術館
茅野市と立科町境の白樺湖畔にある蓼科テディベア美術館は1日、
9月の池の平神社御柱祭で使われたメドデコや法被などの展示を始めた。
冬に訪れる観光客に小宮御柱祭について知ってもらおう、と初めて企画した。
実際に使われた法被をテディベアに着せ、メドデコに乗せて雰囲気を演出。
準備風景や、御柱1本をボートで引っ張って湖面を曳行する「お池渡し」などの写真約60枚も展示した。
美術館の担当者は「県外からの観光客に、諏訪地方の御柱祭に親しんでもらいたい」としている。
来年2月末まで。
県民や県内に通勤通学する人は入館料が半額で、高校生以上700円、小中学生400円、3歳以上小学生未満150円。
午前9時半〜午後5時。
火曜休みだが、20日、27日、1月3日は開館する。
問い合わせは蓼科テディベア美術館(電話0267・55・7755)へ。 ここがアマテラス皇族さえも敵わない、
わが国における、
真の王族のスレか・・・
>>332
物部はニギハヤヒ系列なのに
どうしていきなりオオクニヌシ系列に収斂されるんだ??
ソースが無いなら妄想レベル
下らない言葉遊び >>336
同盟では意味が無い
血縁レベルで証明しないと無意味 横からだけど末裔云々だったら血縁も関係してくるでそ? NHKの番組を見た感想
諏訪に黒曜石の一大産地があって、石器時代を通じて繁栄し、周辺を支配する国家になった
しかし鉄を使うようになって、人口は減った。
当時の祭祀は綿々と受け継がれ、その繁栄ぶりを伝えた。
というようなことなんかな >>340
どっちの立場か知らんが、
疑いたいなら
ちゃんと具体名や出典を挙げないと
意味不明の文言で終わっているぞ
>>341
あのあたりは金鉱もあったんだが
当時の技術で採掘は至難だったろうな
板復帰(NG!:Gather .dat file OK:NOT moving DAT 286 -> 286:Get subject.txt OK:Check subject.txt 286 -> 286:fukki NG!)0.95, 1.12, 0.89
age Maybe not broken 諏訪大社行くんだけどやっといたほうがいいことある? 昔はあの柱に生贄くくりつけていたんですよね、なんて聞いちゃダメだぞ 周辺というより、土着のミシャグチ系と移住して来たタケミナカタ系の争いでしょう ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 元ある神のお作りになられた山の残るは一握り。
自然の森は人間の都合で、杉や檜だらけの森となった。
山には動物たちの食べる餌場もねぐらもなく、木の実や食べられる柔らかい葉もなく、人間ならば雨露しのぐ家もなく、食料もない状態なり。
熊や動物が食物を求め人間社会に入り込み人間を襲うのは、そもそも、人間が彼らの生きる場を奪ったからにほかならぬ。
山から動物の姿消えれば、いずれこの世は人も住めぬ世界へと荒廃する。
山は人間の想像つかぬほどの緻密さにて生態系を守っている。
人はそろそろ目を覚まし、自然との共存に本気で取り組まねば手遅れなり。 今朝ついに諏訪湖の氷にヒビが入ったらしいね。
今年は御神渡が出現しそう 神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
JSV7I 本日付で御神渡り出現認定。
雪が降ると積雪で見られなくなってしまうので早めに見に行かないと。 >>6
いつから諏訪大社って名乗りはじめたの?
最初は名前違ったよな もっとも古い文献では南方刀美神社だけど
出雲大社と同じで途中で名前変わってるのが解せない >刀美
っていうからには、
奈良(大和)の登美(鳥見)の地がルーツなのかなあ? 諏方郡の南方刀美神社 という表記だから すわ という地名は古代からあるのはわかるんだけど
謎や 「すわ」は周防の古い呼び名だし
タケミナカタは周防から諏訪に移住して来たんじゃないかな? みんな貴重な意見ありがとう
東北住みで、こないだ初めて諏訪大社訪れてから興味持っていろいろ調べてたんだけどなかなか情報少なくて。
平安時代の延喜式には
信濃国 諏方郡 南方刀美神社(二座 )並明神大社
となってて古くから崇敬を集めてたのが伺えるね 東北なら出羽一宮の鳥海山の「鳥海」も、
元の読みは「とみ」なんじゃないかな。 タケミナカタ=富氏で
周防(すわ)から移住して移住先に諏訪(すわ)と名付けて
ミナカタトミ神社を建てたと考えれば筋はあう 具体的にいつどういう集団が周防から移住したかをしめすものがないならすじがあうんではなくこじつけただけかと。 ミナカタなんだから宗像氏じゃない?
それと国譲りの時期を言えなんて無茶にもほどがあるぞ >>372
>ミナカタなんだから宗像氏じゃない?
大当たりー(^O^)/ いや「九州の前」がある。
大神神社の初代神官はオオタタネコだが、『新撰姓氏録』によれば、このオオタタネコは宗像(宗形)氏の一族なんだな。
んで、その大神神社から直線で僅か2km南にご鎮座するのが宗像神社。
そしてその宗像神社のご鎮座する地こそが登美山(鳥見山)
の地なの。
この辺、匂う匂う〜
でも宗像氏。さらに「その前」がある。 登美の宗像神社
と
南方刀美神社
相似形ってことね。 紀伊半島をもうちょっと下がって紀三井寺のある和歌山市三葛。
こここそが南方熊楠の出た南方姓の発祥の地とされているんだよなあ。
紀三井寺って、紀の国の巳(みい=蛇)さんの寺
ってことだよ。
南方刀美神社の地主(とこぬし)神も巳さん(蛇)でしょ?
で、タケ南方神がその抑え(結界)の役目をしているんだよ。 う〜ん、もっと手前、
大和と、北九州や中国との中間…
まあ中間よりはもうちょっと大和寄りなんだけどゴメン。
学術板ではもう限界 話としてまとめると、誰でも飲み込めそうな話なんだよね。
あの世で起きた神の相談。
エバは、イナンナだった女性でモーゼに旧約聖書の作者になってもらうことをお願いして
自分はイシュタルとして身を潜める。
イシュタルは、マリアとイエスが親子だという話を広める為に
イエスにメシアの役を務めるようお願いする。
イシュタルは、マリアや中国の妲己や天照大御神とグループを形成し、
お稲荷さんを始める。※お稲荷さんには重要な仕事があり、悟りを開く前の人間に対し、
誘惑を仕掛ける。また、人間の秘儀参入時の霊界の審査もお稲荷さん中心で開催される。
それが、稲穂を実らせる前の荷物という意味。
此処重要。重要なのに日本人は誰も字の意味を解いてない。
お稲荷さんとは悟りそうな人をそのまま進ませるかどうかを
判定してくれる存在。
現在の課題。
イエスが中心の世界だけれども、イエスはお稲荷さんに呼ばれてメシアになった人で
メシアはお稲荷さんが引き連れている地縛霊に憑依を依頼し、輪廻を終えるカルマが
無くならないように働きかけ、霊界からの支配が継続するように見張っている。← この点を言及してほしい。
王路(引き寄せの法則) おまえらの力が必要だ!
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/atopi/1512118999/ チラ裏だが
福岡から関東に数年前に出てきて、また数年後伊那辺りに移る予定なんだが、ぼんやりと長野てどこよー?くらいのノリでココ開いたら以外と縁が深そうで驚いた
最近諏訪にまつわるご縁にやたら恵まれててこのスレは興味深い
たまに覗かせていただきます 実家神奈川だけど親戚が伊那と安曇野にあり
諏訪の御柱祭と穂高神社の御船祭を見に行ったことがあります
安曇野氏も元は九州北部の海人族でその移住だと伝えられてますね
宗像氏も同じ九州北部の海人族
どちらが古いのかな スレ読んだ
元地元民で諏訪明神絵詞も続群書類従のやつは読んだ
書籍は上で紹介されていた「諏訪明神」くらい
ここでいう「諏訪信仰」って地元民はほとんど知らないと思うよ
もしかしたらネットの情報で、最近は地元民でも興味のある人はスレ民と同じように思っているかも
まず地元民は上社と下社は別物との認識
自分は上社側だったから下社のことはほとんど知らない
「諏訪明神」も著者を案内した地元の人が上社側だったからか、下社側についてはあまり突っ込んでいなかったね >>16
>御柱はなぜ6年(7年)に一度なのか
諏訪明神絵詞には「寅申の干支に当社造営あり(略)桓武の御宇に始まれり」とあって
その前には坂上田村麻呂の奏上によって天皇から田畑が寄進されれたとある
ここから解釈して、6年ごとの式年造営は桓武天皇の指示による、という説をどこかで読んだ
補足すると、式年造営であって御柱ではないが、これが御柱の元と言われている(この後に柱の話がでてくるので)
式年造営は上社の宝殿に残るが、桓武期の造営の規模はわからない >>57
>上社前宮は明治時代に格上げされた、歴史も謂れもない神社だから割愛。
これ神社仏閣板でもみてその観点からみたらそうだとしても、民俗学的にはどうだろう?
御頭祭や過去の御室神事、大祝の戴冠も前宮で行われていた
これらは神職の間の秘儀だったから、摂社のほうが都合がよかったのではなかろうか
尚最近はネットで上のようなことも知られたためか、前宮をお参りする観光客も少しは増えたみたい
…というように怪しい情報も断定的に書かれているから、鵜呑みしないで裏を取ったほうがいいよ >>58
>そうだよ。守屋山が御神体。
ネット上ではよく見かける説だけど、諏訪大社の公式見解は違う(検索してみて)
もちろん三輪山信仰や神奈備信仰、山の名前の連想からこの説が生まれたことは理解できる
私もこの説には否定的だが、その根拠は以下
・前宮、本宮の南の山が神体山で一般人立ち入り禁止なのは確か(行けば書いてある)
・中央高速道もその山を通す計画があったが、上社は認めず大きく迂回することとなった(地図参照)
・守屋山は登山が可能で、山頂には物部守屋神社の奥宮がある。これは上社の摂社末社ではない
・平安から江戸にかけて時の権力者や信濃国一帯から寄進を集めていた諏訪大社が、ご神体である山を社領としなかったことは考えにくい
・守屋山は上社から大分北に離れないと拝めない。大神神社と違って
ましてや別神社と思っている下社側の人にこの説をいったら不機嫌になるかもしれません そもそもの起源は一つの神社で後世に勝手に増やしただけなのでまったく有りがたくないよな >>392
それらは守屋系であって、諏訪大社(金刺氏→諏訪氏)とは別だったりする > ・守屋山は上社から大分北に離れないと拝めない。大神神社と違って
県道183号線の大鳥居を無視してる? >>393 >>396
今までどこかで見た「ご神体は守屋山」をそのまま信じてました
検索すると確かに神職は否定しているとありました
https://www.hesocha.com/entry/shintaizan
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=4017346 (コメント欄)
しかし現在の公式見解はそうではなくても「守屋山がご神体」と言われている理由があるでしょうから
それらを教えてください >>397
否定的なんだけど、思いつくところで
・守屋=洩矢からの連想
・地図上での神奈備らしさ
・大祝重信解状に「一、守屋山麓御垂跡事」とある
・上社古図の一番上に守屋山頂と物部守屋神社が書いてある あと読んだと思うけど
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/zatugaku/sintaisan.htm
30.1.6の追記に関連して明治時代の地図を見てみたら、本宮の南には、山の上から次のように書いてあった
鳩ヶ峰、瀧澤林、宮山官林
これによると「宮山」は本宮背後の斜面の下半分(明治政府が召し上げた後の地図だから「官林」なのでしょう)
また「山」には、山麓の森林地帯にある自分の地所を指して単に「山」と言う使い方もある
なので推測なんだけど、「鳩ヶ峰山麓」と書いても伝わらないから「守屋山麓」と書いたり
本宮の地所を「山」と言っていたらそれを聞いた研究者は峰を含む山体だと思ったりして
徐々に守屋山の山頂・山体がご神体とのイメージが形成されたのではなかろうか いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
役に立つかもしれません
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
5O8 >>400-401
ありがとうございます
八ヶ岳原人さんのそのページは読みました
レスあったような古文書の幾つかには守屋山の名はでてくるものの
「諏訪神社上社に関する古文献と現在行われている諏訪大社の祭祀からは、「守屋山を祀る」ことを見いだせません。」
というのが現実のようですね
とはいえ >>396
もしそのR183の大鳥居(諏訪市四賀?)にて守屋山遥拝の風習などがあるのであれば教えてください
いずれにせよ民俗学的には興味深いものですから 上社の御射山神事とかもわざわざ諏訪湖の対岸でやるし、何がなんでも上社の宮山には立ち入らないって点は徹底してるよね
守屋山は杖突街道が中腹かすめてる位だしあんまり禁足地って感じはしないねえ まあそういうのは近代になってから勝手に出来たルールなんやろな そういえば諏訪ってお盆は普通に仏式?
それとも大社が先祖供養的なことまでやってる? 諏訪にお寺がまったくない訳でもあるまいし
諏訪湖花火の次の日に岡谷でも花火が上がるけどいわゆる0266地域の灯籠流しが主体 >>400
天竜川沿いにある洩矢神社には御柱があるけど
物部守屋神社には麓にも山頂の奥宮にも御柱がないんだよね
物部守屋神社が物部氏系なのか神長官の洩矢神社系なのかは分からんけど
諏訪大社のご神体ではない独立した存在なのは確かなんだろうなと思う >>413
ご神体は大祝家の諏訪氏そのものでしょ
出雲大社の大国主が現世の権力から切り離されて出雲国造から祀られようになったのに対し
諏訪氏は大国主の子のタケミナカタが諏訪を制圧し天皇家同様に上古から続いた神の子孫という設定なんだし
明治以降だと諏訪氏も諏訪大社から切り離されたから形あるご神体は存在しないのでは
強いて言えば前宮には本殿があるからその中身だとか洩矢家近くにある諏訪氏墓所なんかがご神体なんじゃないの
江戸時代後半国学が流行したり明治以降各地の神社が国家神道に組み込まれる過程で
大和にある大神神社と三輪山の関係を真似て守屋山がご神体とか言い出したんじゃないの 本宮の場合、現在は神居と書かれた空間をお参りしてるけど
明治まではそこに仏式の鉄塔(石の塔)があった。神仏分離で今は上諏訪の温泉寺
また諏訪大明神絵詞には次のような記述がある(うろ覚え)
「社壇は三壇で上壇には鳥居格子のみ、なんと仏性の本質を表していることか」
この上壇が神居を指すとも考えられるけど、硯石から向こうを指すという説もある
後者なら、神体山(宮山)に捧げものをしていたことになる
大祝が現人神だから、鉄塔も神体山もおまけ、と言う人も少なくないけど >>416
本来=大祝に降ろした神、の意味なら
ミシャグジ(原田哲郎氏)か、普通にタケミナカタ
またタケミナカタとしても、古事記通りにとるか
ミナカタトミが古事記には組み込まれたとして、違う説をとるか… >>412
御柱のあるなしでいうと、上社摂末社の大年神社と御座石神社もない
しかし物部守屋神社の神紋は根梶ではないよ 御柱のことかな?以下の説があると思う
・御柱は造営が大変だから簡略化されたもの説
・桓武期に開始
・それ以前にあった
諏訪大明神絵詞でいうと書かれた時代(室町初期)には既にあって、桓武朝のときに式年造営が開始されたことが書いてある
1番目の説をとると、桓武期から中世の間のいつぞやに変化したことに
またその式年造営の開始の段に、以下の様に書いてある
数十本の御柱、上下の大木一品別一二千人の力にて採用す
ここの解釈次第だが、「御柱」を今の御柱と同様に考える人もいるし、造営の材木と考える人もいる
後者の中にも「上下の大木一品別け」を御柱と考える人がいる(上下だから上社と下社で一本ずつとか)
2番目の説では、これらがこの時始まったと考える
3番目の説をとるなら、もうそれぞれ
・真脇遺跡のウッドサークルにも見える縄文人の祭祀かも(NHKの番組)
・インドやネパールの柱の祭祀とも関連するかも(寺田鎮子氏) 日本でインドの神様の話始めるヤツって小学生かなと思う そうは言ってもインド発祥の仏教が日本まで伝来してるんでなあ
あと京都学派が大好きな照葉樹林文化とか言う、アジアモンスーン地帯中心に存在する比較的均質性の高い基礎文化もあるし 神仏習合を語るのはみな小学生ということだな
比較民俗学もか 神様の数え方は一柱二柱、ご神木、高木の神、天の御柱 お伊勢様の正殿の下にあるのも心御柱だね
朝廷の祭祀にも柱のイメージは残っていると 御頭祭の方が内容的に縄文の色濃いような気がしますが御柱とどっちが先なのでしょうか?
友達が安曇野に移住し穂高神社の御船祭を観て、あの祭が諏訪にもあると知ってから興味を持った者です。 各々の神事の始まりはわからなくて、御柱ほど諸説の流布もないので…
諏訪大明神絵詞には、坂上田村麻呂の報告で桓武天皇が諏訪明神に田畑等寄進してから
其より以来一年中七十余日神事(付順役狩猟各四ヶ度)ならびに百余箇度の饗膳今に退転なし
とあり、これに書いてある神事(御頭祭や四度の御狩神事ほか)は桓武期から絶えていないことになっている
これ以前はわからないし、これ以降はいろいろ絶えているんだけど 絵詞の御頭祭(酉の祭)を読むと、饗膳については「禽獣の高もし魚類の調味美を尽す」とあるだけで
その後の、神使に大祝が玉鬘を掛けたり、神長が御杖を渡すなどの儀式の記述のほうが多い
神使はこの神事の後、御宝(さなきの鈴)と御杖を持って諏訪佐久郡を分かれて回る(伊那方面も同様の儀式が三日前にあって出発済)
神使は先々の村で廻神として拝まれる
これが室町初期の酉の祭で、その後廻神、廻り湛が失われ、神使も一人になり、御杖も持って歩けない柱に変わる
江戸時代に菅江真澄が酉の祭を見てスケッチと記述を残し、平成になってそれを元に守矢資料館が展示としおりを作成 後の解釈は人それぞれだと思うけど、かつての酉の祭と廻神は、農作の開始時期に各村に神威を届けるためのものだったと思うよ
御贄(禽獣の捧げもの)については、神職が潔斎するときの篭り屋やにあったり
また本宮の贄掛の大欅辺りにあったりして、昔はわりと日常的にあったのではないかと
饗膳も年に百余回もあったことだし ありがとうございます。
たいへん勉強になります。
以前ざっくりと調べましたが多少盛って書かれていたとしてもかなりの費用と豊富な贄が必要ですよね。
遺跡等からも古くから栄えていたことはわかりますが、その後も時の政権からバックアップを受けるなど特別視されていたこともとても興味深い点です。
また、御神体が現人神という点も見逃せません。 神仏習合を受け入れながらも狩猟は維持したからね
低平地よりも狩猟に依存する時代が長く生命線だったのかも 神社そのものはいつからあったんだろう?
祭祀の場としては縄文からあったろ、ってレスはあるとは思うけど… お船祭りはなぜ下社にしかないのか?
海のない山の中でのお船祭りはやはり佐久地方が海だった頃の名残なのか?
又は海人族だった頃の名残?
ミシャグチは『サク』からきている説?
諏訪は『洲波』?
徳島にある元諏訪
とても面白い >>434
日本書紀の持統天皇のところに「使者を遣わして竜田風神、信州須波・水内等神を祭らしむ」とあるから、この頃には朝廷が認めるほどの形態はあった
天武天皇が信濃の地を調べさせたり、信濃に行宮を作らせたりしたから、そのときに朝廷は知ったのだろうという説がある
諏訪大明神絵詞は日本書紀の持統天皇の記述を引いて「是即当社祭礼始なるをや」と言っている
また「神氏系図称一族系図」と「異本阿蘇氏系図」では、用明天皇の二年に湖南山麓に社壇を構えた、とある
これらは昭和になっての発見で、特に後者は偽書説がある。
長野県史や諏訪市史では「異本」も正しいと扱い、諏訪市史では2つの系図を混ぜて掲載したらしいけど、
両史の編纂に関わった人が後に「阿蘇氏文書を全て調べたが異本の記述は見つからなかった、後の研究結果に期待」的なことを書いている
偽書だから書いてあることは間違いとは言えないし、偽書説のない「神氏系図」は正しいとは言えないんだけど では大祝はいつからかというと、
両系図では、社壇を築いたときの「神子」(異本では乙頴とも)が大明神が最初に降りた御衣祝
絵詞では、有員が最初で「神氏の始祖也」とある(もちろん用明天皇は出てこない)
遺跡では、本宮近くのフネ古墳が5世紀前半、下社近くの青塚古墳が6世紀後半
と言われていて、後者は用明天皇の治世に符合するね
今の社殿が発掘調査されたとは聞いたことがないけど(数年前本宮の拝殿前で遺構跡が見つかったニュースはあったけど)
磯並遺跡の発掘レポートはネットで読めた。確か縄文から近世までの複合遺跡 神氏・金刺氏が入る前の祭祀もあったでしょうけど、自分にはわかりません
前宮や磯並社あたりの社がそれぞれ何なのか、とかも
公式サイトには「 国内にある最も古い神社の一つ」と書かれていました >>437
自己レスです
異本阿蘇氏系図に関しては、今の長野県史では史料に用いず、諏訪市史も慎重なようですね
なので混ぜた系図もないと思います(推測)
http://user1.matsumoto.ne.jp/~fukusima/yamakawa.htm
また神氏系図の発見は明治でした。m(__)m
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927367
の21コマ目が神氏系図 おお、ありがとう
用明天皇とはかなりリアルな時代だね
他の神社の御由緒にはもっと古くに創建したことになっているのがざらなのに リアルと言えばリアル杉かなあ
系図なら、書き足し書き写しつつで、いつの時代の記述かわからないだろうし 縄文からの遺構がありそれ以降の政権の対応からも、無視できない力を持った完全討伐が難しい勢力が存在していたように思えます お船祭りに関してネット弁慶
志賀島辺りの海人族、安曇氏が移って来たのが安曇野と言われ
穂高神社は、御祭神が安曇氏の祖神の綿津見神・穂高見神で、御船祭や奥宮での御船神事が有名
安曇郡にあるもう一つの式内社が川會神社で御祭神は底津綿津見神
「諏訪神社誌」( http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983470/16 )曰く
川會神社の社伝に「建御名方命の妃は綿津見神の娘で、建御名方命と妃は水の溢れた土地から水を流し平地にした」旨
また「信府統記」には泉小太郎伝説(龍の子太郎の元の一つ)があり、小太郎の母の犀龍が「諏訪大明神の変身なり」と
諏訪大明神絵詞の祭の七月を見ると、御遷座の行列の記述の後に「次に渡物(鉾山)あり」とだけあり、船形かどうかの記述はない(鉾山=山鉾?) タケミナカタがまんが日本昔話のオープニングの竜で松本平の水を抜いたと
安曇氏が船の祭を伝承し八坂刀売がその一族の出とすると、下社に御船祭があることと確かに繋がるけど… 松本安曇野も佐久小海のようにかつて湖だったの?
島内、島立とそれっぽい地名は残ってるけど
そういえば蟻ヶ崎という地名もあつたね >>446
伝承だから地学的事実とは別かと
逆質問になるけど、佐久は有史の時代に湖だったの?ソースがあれば教えて 上社でも御柱迎えに行く神輿は船形だけど、これは後の時代に始まったのだと思う
神様が御柱を迎えに行くのは腑に落ちないし、武者行列や花笠踊りと同じく里引きを賑やかにしようとして
下社の御船祭は神輿による御遷座が主で、お船は従、氏子の愉しみ
なのでお船は神事よりは後に始まったのだと思う。御船神事、御船祭、船形の山車は結構あるようで、それらを比較検討してみないことには、だけど
川会の伝承は小泉小太郎伝説に後から竜蛇神ということでタケミナカタを結び付けたんじゃないかな 仁和地震の時に崩れた山の土砂で川が堰き止められてできた相木湖と、もう一つの湖が小海地方に残る地名の由来と言われている
海ノ口から海尻間にできた湖は約100年後の決壊により消失したと言われているが、相木湖は鎌倉中期までは存在していたとみられている
安曇野・松本平も山間の扇状地
水が流れ出る場所は限られているから過去に同様の現象があったのかも知れないが、海人族である安曇族の流入が大きく影響していると考えた方が納得できる 周防の昔の読みが「すわ」なので
周防からの移民かと思うがどうかな 「諏訪大明神絵詞」の桓武天皇の御宇に阿部高丸を海から攻めた折に、海上の波の上を騎馬で渡った時の不思議な様を描いてるが、この時から「諏方すわ」の二字を「趨波」と書いたと言ってる。(続群書類従巻第七十三諏訪大明神絵詞上500ページ)
「すわ」は「すほう」あるいは「すおう」とも関連ある? 海人伝承というのは要するに、フェニキアやギリシャ人などの古代地中海文明を日本まで民族が違う海人達の間で伝え持ってきたということ。
諏訪の周辺の湖・誕生の神話がギリシャのオルコメノスなどの湖・誕生神話と酷似してるのも、その一例。 九州北部から出雲・越を経て安曇野・諏訪へ
または佐久・小海から諏訪へなのかも知れない
海人族・出雲族の神はそれと共に流入したのはわかるけど、モリヤ・ミシャグチが元々の土着の神?
あんな山の中に進出したのはやはり地下資源と当時の交通要所だったからなのかな? 有名な紅葉狩や八面大王、両面宿儺
これらも地下資源や交通要所の制圧とみて正解? >>456
和田峠の辺りから黒曜石が採れるのと
湖のおかげで冬も食料がとれるので縄文時代から栄えてたんじゃないのかね
出雲系はヒスイの採れる越の糸魚川を征服してそのまま妙高高原を越え信濃の諏訪まで勢力下においていったんだろう 海洋民同士の戦で負けて逃げる先は山の中の湖が最適なのでは? 異説ではあるけれども、自分は「神氏=大和の氏族」説を押している
もちろん他の氏族(出雲族、安曇族、天白神を奉じた一族)の流入はあったと思うし
金刺氏も信濃国造として勢力はあったし、それ以前に洩矢・守矢の一族もいたと思う 天白神の分布と春宮の近くにある天白神社から、八坂刀売が天八坂彦命の子だとする説があるね。それを直接書いた史料はないようだけど
長白羽命(天白)・天八坂彦命を祀る氏族が伊勢の神麻続機殿神社のあたりから来たという説をとると、八坂刀売は麻績部の一族と関係があることに。
地名は麻績部に由来するとも言われる麻績村から麻績川を下ると、泉小太郎が堰を破った山清路なのだけれど、関係あるのかな? 神氏の系図の古代部(御衣祝以前)についてのまとめ。
およそ下の三説あるかと。(説の名前はテキトーです)
・建御名方直系説:洲羽国造家―神氏:神氏系図(神氏系図称一族系図の中の漢文)より
・金刺氏分家説:金刺氏―神氏(乙頴より分家):異本阿蘇氏系図より
・金刺氏より養嫡子説:洲羽国造家―乙頴(養嫡子で継続):修補諏訪氏系図正編(神氏系図、異本阿蘇氏系図でも解釈可能)
補足として、
・洲羽国造家は、ここでは建御名方命から御衣着祝の手前までの便宜的表現。(洲羽国造の実在は不明)
・直系説でも神氏系図によれば神氏に金刺氏の血は女系で入っているし、分家説・養嫡子説でも、阿蘇比売命が洲羽国造家とすれば(修補諏訪氏系図の補、大祝武居祝系図)、その血は入っていることに。
・「異本阿蘇氏系図試論」では「神氏系図」(神氏系図称一族系図と同じものかは不明)も異本阿蘇氏系図と同様中田憲信らの作と疑っているらしい。修補諏訪氏系図正編の系図は「中田憲信著諏訪家譜抜粋増補」。
金刺氏については、異本阿蘇氏系図、一本金刺氏系図(中田憲信著引用)、大祝武居祝系図とも祖は神八井耳命。日本三代実録にも金刺舎人について同様だと。
(異本阿蘇氏系図以外はネットで見られる諏訪資料叢書28巻と修補諏訪氏系図.正編・続編を参照した。) 史実か否かや実在性は別にして、各系図には編纂或いは書いた人の思いが反映されるもの。(系図以外もそうだけど)
諏訪氏家譜や寛永・寛政の諏訪氏の系図は清和天皇を祖としているが、これは徳川家と同じにしたいという思いかと。(修補諏訪氏系図続編には、そうでない古い系図を某が処分した、とあった)
見る人も同様、それぞれの思いでどう解釈するかは変わってくると思います。
血統、中でも男系重視か、或いは養嫡子としても家柄が重要か。
下社側か上社側か。皇統か或いは建御名方の系がよいのか。などで。
(特に当該家の人の思いは強いでしょう)
個人的には、「有員より前はわからない。養嫡子はあったかもしれないが、神氏の家柄は建御名方命を祀る一族から続くもの」と、当たり障りなく思っています。 総てを鵜呑みにはできないけれど
天皇系が各地を平定融合していたとしたら
『多くの場合にらみられる、その平定した土着神も祀った後に、実は皇族に繋らなる系統と知ららしめている点』
その元々の土着の神々は天皇系よりずっと古くから永く栄えていたことにる
出雲の石田家、千家、諏訪だとモレヤ、ミシヤグチが、それにあたるのでないだろうか この地を治めることにした天皇系は征服者
征服平定された側の諏訪はそれらよりかなり古くからの文化歴史と資源や交易力を持っていたはず
神家の補佐役となったモレヤだったが本当の祭神は最後まで伝えなかったのではないだろうか?
そこの辺りに、後世まで為政者の庇護を受け、税の免除は元より、近隣のから祭事等の援助を拠出させるよう言わせたりしていたところに繋がっているのではないだろうか?
モレヤ・ミシヤグチとは何者だったのだろう
その力と求心力の元は何だったのだろうか >>451
「周防国」は、当初は「周芳(すは?すはう?)国」だったんだね。
「周防国」の何処かに「すは」という土地があるのか?
そもそも「すは」の語義・語源は、何なのか?
景行天皇『紀』に記された女酋神夏磯媛の盤踞地佐波郡「沙麼(さば)」が、
「すは」に変化したのか? >>466
思い付きレヴェルでは石見や伊予に周布もあるけどね、スハの発音がスファだったとして
しかし他にも、複数の地名相似か文化的な相似がないことにはなんともかんともね 荒俣だっけか
福井の九頭竜はクトゥルゥが変化したものだ!というネタで小説書こうとしてたの 諏訪では神に仕える手長足長が
福島県会津地方では人々を苦しめる物怪とされ磐梯山山頂に封じ込められている。
諏訪の神仙がなぜ東北では悪霊とされているのか詳しい理由を知ってる方はいますか?
磐梯山から猪苗代湖を挟んだ湖畔近くにある守屋神社が関係しているのかな? 伝承を見た感じでは壱岐の海人族が東北を襲った話じゃないですかね
その海人族が諏訪に移住してるんでしょうか >>470
なるほど
その説なら秋田や山形の日本海側にも似たような伝承がある事も説明がつきますね。
阿賀野川を遡れば会津地方にも来れるし >>31
産屋、うぶやにお飾りするよ。錆びた鎌。
産屋の砂はお守りになる。 コロナのせいで来年の善光寺の御開帳が一年延期になったけど、もしかしてこのまま行くと再来年の御柱祭は善光寺の御開帳と同時開催?
御柱祭って府中の小笠原が攻め込んできたせいで一月延期とかはあったみたいだけど年越して延期ってまだないよね? 先祖代々諏訪地方に住んでる人は縄文以前からの居住者なのだろうか?
遺伝子調査したら面白い結果がでるかもな。 >>446>>447
安曇野が昔湖だったのは事実。伝承などではない。
>>449安曇野は日本有数の規模を誇る盆地だ。扇状地などというものではないわ。
>>451関係ない。 >>480
安曇野は盆地だが、その盆地の中に扇状地型もある
分けて定義するものじゃない >>479
諏訪湖周辺よりも茅野の方が原住民の可能性大。 >>474
関係なし。その説は相手にされていない。
>>465
天皇(大和)系は下社の金刺氏。
上社諏訪氏は違う。 地元民もモレヤ云々知ったのはここ20〜30年の話。 そういえば善光寺には今でこそ諏訪神社はないけど昔はあったらしいね
前の御開帳のとき県立博物館であった公演で塔頭の坊さんが言ってたけど、現在では日本忠霊殿がある場所が諏訪神社だったらしい
飯田の元善光寺は建御名方を祀る麻績神社がすぐ隣りにあるけど、明治六年までは八幡社で創建も天正年間以前とだけあり意外と新しかったんで善光寺と諏訪社って意外と縁が薄いのかと思ってた 神話の時代からの土地の特徴が名前として残ってるとか感慨深いものがあるな。
ところで何故諏訪以外の土着神は残ってないのだろうか。
規模の違いか?
やはり諏訪地方には一大勢力が存在したんだろうな。
大和朝廷と戦争をした証拠品は発掘されたりしないのだろうか。
普通国譲りなんてするか? 大祝家なら既に断絶したし、神長は次期当主は決まってるけど口伝は失われてるし、他の世襲神職と似たようなもんだしで、既に終わってしまったかと。 >>490
家が続いても血の濃さは他人同然
むしろ本家より濃い奴もいるだろ >>491
伝承や口伝が続いてなきゃ意味ないよ。
血ならそりゃ誰もがアダムとイヴまで遡るわけでさ。
諏訪信仰は明治維新で致命傷を負ったんだよ。出雲みたいに世襲体制を維持できていたらね。 >>492
天皇家だって公然の秘密で途絶えてるし
出雲の千家家も、そもそも大国主とは他人の皇族の家系
血筋もへったくれもない
出雲王朝の血筋は地元の人達のほうが濃いだろうよ 天皇家は国家宗教の神道最高司祭だぞ
我らの女神の子孫でもある
萌えろ! >>493
血筋ってのは家としての伝統が継承できているかが大事なのが日本なので。
諏訪の場合は、それがもうないって話をしてるだけだよ。生物学的に血が続いている人はそりゃどこかにはいるかもしれないが。
そもそも神話の話を持ち出せば、守矢氏と三代目位で出雲系に入婿されてるが、それで家の伝統が途切れているとは誰も考えてないわけでさ。 >>495
そもそも血筋の話に家系や伝統の講釈持ち込まれてもなぁ だから血が続いていると自覚してる人がいなきゃ意味ないよといってるんだけど?
民俗学板でイエの意味も分からない人がいるとは思わんかった。新年早々驚いたわ。 >>497
血筋の意味を知らない人がいた事の方が驚いたよ >>493
天皇家が絶えてるって、どこで公然の秘密になってるの?知らんかったわ。 >>499
神武天皇から続いてると本気で思ってる? >>500
つづいてない証拠もないから、続いてるという解釈でいいじゃねーか >>501
うん。そうだね。
疑いを持っていても続いてるとしている。
まさに公然ですね。 >>502
疑問を呈すのは別に全く問題なし。
都合よいものを集めればよいものができあがる。
それでよくないか。 >>502
その論理でいったら、諏訪の血筋もやっぱりあてにならないから断絶してるって結論にはならないの?まさか諏訪だけは神代から続いてると信じてるわけ?証拠何もないのは一緒だし。
論理が全く破綻してるよ。 >>504
で、最初に戻るけど
初代天皇(本物が誰か知らんけど)の血筋も日本人の中に永遠に続いている。
で、何処が破綻してるの? 大名諏訪家は健在の筈だから、大祝諏方家の断絶時にそれを引き継ぐ事は出来た筈だけど、そうならなかったのは、既に引き継ぐべきものが何も残ってなかったからなんだろうね、やっぱり。
諏訪氏が祭祀の実権を最初から持っていなかったのか、それとも中途で失ったのかとか、古伝があれば調べられたのに。 >>506
健在と言っても男系は明治に断絶してしまって
養子が入れ替わりで家名を継いでるに過ぎないからな 上社と下社って諏訪の祭祀拠点として一体感を古くから持ってたみたいだけど、それでも厳然と上下分かれてた理由は何なんだろう。 金刺氏と諏訪氏で分かれていたらしい
金刺はもともと諏訪とは関係ない外からきた役人みたいだな
なぜ神職になったのかは、古代は信仰が権力だったのだろう
古代は信仰>>>金だったのかもな 守谷資料館の人は中央が監視の為に下社を建てたと言ってたな。 >>511からの流れだと曰く
下社ができたのは中央が(認識だか推奨だかする祭祀から外れることのないよう)
上社を監視するためだ、と読める 絶えても物部氏を養子にすればいいだけだな
物部氏のやるべき儀式なんだろうから 大和朝廷にそんな祭祀を監督するような政策とってた事例って他にあったか? 513です。
興味がある人は資料館で聞いてみると良い
俺が下社の成立ちを聞いたときは、それまで事務的な感じで説明してたのに「中央が…云々」の時は蛇蝎の如く吐き捨てるような言いっぷりだったので
怯んで深堀り出来なかった。 >>504
血筋云々はよくわからんけど、祭祀に関しては戦国末期から江戸初期にかなり断絶してる。
戦国期に諏訪家滅亡と高遠家の簒奪、武田家による奪回と勝頼による相続と再滅亡、分家の諏訪頼忠の大祝就任と上野移封などの混乱でかなりの祭祀が失われた。半世紀以上にわたり当主が祭祀を主催できてないので当然ではあるのだが。で、どうしようもなくなって頼忠の息子の頼水はそれまでの慣習を捨てて菩提寺を新たに建立したり仏教と言うか曹洞宗中心の宗教政策とってる 俺のうちは常陸国だが、代々諏訪の氏子で家紋も丸に梶の葉。
もしや、諏訪神族の末流だったりしてと思って今自分の家系を調査中。
多分、諏訪神族であったとしても、嫡流の諏訪子爵家とは何百年もかなり前から離れていることになるが。 >>522
守矢資料館のしおりによると、明治維新に伴って世襲神職が廃止されるのを惜しんで、口伝の一部のみ引き継いだとあるけど、実際のところ、その一部が残っていた全てなんではなかったかと思う。 >>522
頑張るどころか権祝の矢島家と合戦沙汰起こしてるしおもいっきり混乱を激化させてる側だろ >>6
>諏訪大社は春宮・秋宮・上社・下社の4宮で構成され場所としても諏訪〜茅野の広域に分散している、神社集合体。
諏訪大社は上社前宮・上社本宮・下社春宮・下社秋宮の4社で構成され、場所としても茅野市・諏訪市・下諏訪町(2社)の広域に分散している神社集合体。
>最も有名なのは6年に一度、諏訪・茅野・岡谷を上げて行われる御柱祭で
最も有名なのは7年に一度(数え年)、茅野市・諏訪市・下諏訪町・岡谷市を上げて行われる御柱祭で >>33
天竜川を遡ってきた説もあり、伊那谷(下伊那)には建御名方神が立ち寄ったとされている手形神社や、また信濃國二之宮・小野神社等が鎮座まします。 >>274
徳島県には有名神社の元宮とされている神社が多く鎮座まします。 地味に神話の国出雲でも諏訪信仰が強い
諏訪部氏(のちの三刀屋氏)、飯島氏(のちの三澤氏)、飯沼氏(依田氏)、中澤氏(のちの牛尾氏)、桑原氏といった西遷御家人が鎮守として諏訪明神を祀ったため。意外にも室町中期くらいまでは御射山祭のために銭を送ったり関係が維持されてる >>530
大鹿村にも元諏訪を主張する神社があったり遠山村も昔から諏訪大社と関わりあるし
タケミカヅチに敗れたあとは船で瀬戸内や伊勢志摩の小島なんかに身を隠しながら海路を北上して
三河か遠州あたりに上陸して人目につかない秋葉街道沿いをひっそり登って来たとか
そういうルートもリアルかもなあ
奥三河から遠州、南信濃にかけては南朝の伝説も多いし大きな川を遡って山中に身をかくしたりとか潜伏行動がしやすいのかも >>539
この図で最も強い鹿児島でさえ沖縄の2/3くらいしか残ってないからな縄文遺伝子
その沖縄もアイヌの1/2ぐらいしか残ってない
そのアイヌも縄文人度50%くらいだからな
しかもそのアイヌは最近は混血でどんどん日本人に近づいてるし >>540
九州は鬼海カルデラ大噴火でほぼ全滅したから >>543
なんに影響されたが知らんが九州は鬼界カルデラ以降の縄文遺跡も多い そもそも縄文遺跡の数と現代に残る縄文人遺伝子って別物だから
沖縄とか密度的にほぼゼロに近いけどアイヌ除く都道府県別では最も高い
特に縄文時代末期以降の人口分布・動態が問題となるのである 中部高地は縄文遺跡数は確かに多いがその時系列的動態が問題となる
☆中部高地(長野)の縄文遺跡パターン
縄文草創期〜前期は少なく、中期に急増、後期は漸減傾向、晩期で急減
(参考として弥生早期遺跡はほぼゼロ)
☆南九州(鹿児島)の縄文遺跡数パターン
縄文草創期〜早期に急増、前期はほぼゼロ(早期末葉の鬼界カルデラ噴火による影響)、中期に漸増、後期に急速に増加、晩期に急減
(参考として弥生早期遺跡はほぼゼロ)
※同じ九州でも熊本以北はまた違った動態を見せる
縄文草創期〜早期は少ない、前期に増、中期に増、後期に漸減、晩期に増
(参考として弥生早期遺跡は長崎で増)
鬼界カルデラ噴火で早期南九州縄文人はどこに行ったのか?
実を言うと北部九州や朝鮮南部、西日本沿岸部に避難している
例で言うと熊本県の縄文早期轟A式土器が遠洋航海に向いた縄文前期轟B式土器に変容し、西日本沿岸部の広い範囲で出土、朝鮮半島南部でも出土する
中部高地が縄文晩期には激減する理由は寒冷化
寒くなって西南日本太平洋側や関東平野に縄文人が逃げる&縄文人自体の人口減少も影響
日本全体で縄文中期26万人→縄文晩期8万人
参考
http://rarememory.justhpbs.jp/suwajyou8/suwa.htm 今年の入ってからというごく最近の研究では、新石器時代の朝鮮半島に縄文人が渡っていると言う確実な遺伝人類学的証拠が提供される
半島南端部の安島、煙台島、欲知洞各貝塚個体から縄文人祖先系統を検出
中でも、縄文人ゲノムと常染色体SNPの高網羅admixture解析で90%以上一致した欲知洞遺跡新石器人からはmtDNAハプログループM7aも検出されている
https://i.imgur.com/keOxhIb.jpg
さらに時代の下った4〜7世紀の半島南端部金海・伽耶人から現代沖縄県民に匹敵する縄文人成分を検出
鬼界カルデラ噴火後に朝鮮半島に逃げ延びた縄文人の子孫であろう
特に縄文度の強かったAKG_10203個体からは縄文人固有のY染色体ハプログループD1a2も検出された
https://i.imgur.com/Eh3hmtg.jpg
https://i.imgur.com/89UHdG1.jpg 最新のゲノム解析を用いた分析では、朝鮮半島中南部もJOMON peopleの勢力圏内だったと言う事実が明らかにされ、nature・science等の高権威な論文雑誌で公表される事態が相次ぐ
驚くべきことに、縄文人の遺伝的痕跡は現在のソウル市にあたる朝鮮半島中部地域でも確認されている
紀元前4000年のtaejungni遺跡出土新石器個体は現代韓国人はおろか、さらに現代日本人よりも縄文人に近かった
「鬼界カルデラ噴火によって大陸に避難した縄文人」というのは主に考古学的証拠(縄文土器分布、九州産黒曜石分布)によって支持されていたが、最近ではゲノム解析研究が強力な後押しをしている…
というのが、最新の東アジア古人類学界の流れなんだよな >>549
現代日本人に残る縄文人遺伝子という代物は「単純な二重構造説に基づく異集団交雑の結果によるものではなく、東アジア周辺(特に朝鮮半島)への縄文人の移動をも踏まえたダイナミクスを考慮しなければならない」というのを言いたかった
わかりにくかったらすまん 「日本人の遺伝的形成」や「古代日本史の成立」を考える上で「朝鮮半島に渡った縄文人」って「凄まじく重要」なんだけどゲノム解析が行われる今年に入るまで注目されてなかったんだよね、マジで
で、考古学者達が「縄文VS弥生」とかっていう愚かな構図を妄想していたんだが、実はこの時代はそんなものでは測り知れない重層な歴史があるって訳よ
何しろ古代朝鮮南部までもが縄文人の分布圏内になってしまう ところで、「縄文晩期には日本全国で縄文人が8万人しかいない」とY染色体ハプログループD1a2の分岐年代ボトルネックから東大研究チームが2019年に推定しているが、では実際に全国的にはどうだったか
諏訪は縄文晩期には壊滅状態にある、縄文晩期末葉から弥生早期にかけての1000年くらい遺跡そのものが無い(弥生遺跡すらもないと言う状況)
これは縄文晩期の寒冷化がどれだけ厳しかったか?と言うことを示している
一方で、岡山や愛知には縄文晩期の超巨大貝塚群(津雲や吉胡など)が形成されていたし、青森では亀ヶ岡文化が隆盛する
縄文晩期における「縄文の首都」は山陰や東海および北東北に移行している
「縄文中期の諏訪」と「縄文晩期の諏訪」を一緒にしてはいけないということだ
前者とは全くの別物であり、少なくとも1000年の断絶期があるってことですよ
http://rarememory.justhpbs.jp/suwajyou8/suwa.htm
>諏訪地方は約3千年前から約2千年前に至る長期間、その氷河期から続く4万年を超える歴史の中で、唯一の空白期を迎えた。
>時折、天竜川・釜無川沿いから乏しい魚を求めて、諏訪湖畔、横河川畔、上川・宮川畔などをキャンプ・サイト的に利用する人影が見られた。
>やがて次に来る弥生時代・農耕文化の担い手、諏訪地方最初の先駆者が、庄ノ畑(しょうのはた)遺跡(岡谷銀座2丁目)に居を構えた。
>横河川で漁労を営んだ縄文人の庄ノ畑集落は、遥か以前に消滅していた。そこに新たな集落が発達し、ムラを作り農業に従事した。
>新たなムラは、横河川の氾濫による冠水を避け、居住地を高台に選び、それに接した低湿地に横河川の細流が流れ込む地形を、そのまま水田として、直播を行う原初的な稲作農耕を営み始めた。その生業も縄文的な漁労・狩猟・植物採集も合わせた多様なものであった。
>だが、その後に登場する海戸(かいど)・天王垣外(てんのうがいと)遺跡のように古代まで続く大集落を形成できるほどの生活基盤にはなりえなかった。 諏訪周囲の信仰関係ないじゃん
こじつけで人種の話したいならふさわしいところでやれよ
神の国諏訪スレとかいい感じに狂っててちょうどいいと思うよ >>553
こじつけ云々と言うのは比較宗教学そのものの否定では?文系なんてそんなもの
そもそも民俗学領域文化人類学と考古学・自然人類学は関係大有りなんですがな ここの人達は学問ごっこがしたいだけだぞ
あまり高尚なものは求めてない >>555
いやさ、学問ごっこにしてもデタラメばっか書かれると一々否定したくなるというね?
つまりは江戸しぐさアンチみたいなものだよね
このスレも江戸しぐさレベルなの? 江戸しぐさっていうか東日流外三郡誌みたいなものだよなこのスレは 最初の方はこのスレもそれなりに機能してたんだけどね
デマやオカルトも学問板に書き込めば高尚になると思ってヤバイのが寄ってきちゃうんだよ >>554
その域に達していないからな
まあ専門のはなしで、文系がーとか言い出すやつはろくなもんじゃない >>523
たとえば鹿島神宮のちかくの鉾田市には諏訪神社と諏訪と言う地名がある
9世紀に諏訪大社に勧請したと伝えられている
諏訪一族とは関係ないですねえ >>533
元諏訪神社がそう言っているだけで諏訪大社は認めていない
学会的に認められたわけでもない
安易に信じる人もいるんだろうね 諏訪に至る経路一般的には日本海経由と言われている
四国だと太平洋経由で違和感あるわな なんで海外から来たきたことにすんの?
根拠はあんの? さっきTVで山梨県北杜市の梅之木遺跡出土品をやっていたが
ここは諏訪から近い、黒曜石と何か関係ないのでしょうか 古代は色々交易していたようだからある
なにせ同一言語・・・はたして同一言語圏なのだろうか? 話の流れぶった切ってたらごめん
スレちゃんと全部目通せないんだけど高光姫命の話ってどこかで出てる?
出てないのならその辺のお話しがしたい >>567
スレ内検索すれば良いと思うよ。
今のところ出てないしスレも死にかけてるから
話を聞かせて それと先日本で読んだんだけど
ミシャグジ社の御神体は柱・棒状のもの(巨木、石棒など)って説は
もう否定されたかあまりメジャーではないの?
山から巨木を切り出してくる御柱祭との関連性とか、よければご教授いただきたい。 >>568
おお、レスありがとう。
一通り読んでみたけどないっぽい
諏訪市大和の先宮神社にタケミナカタと土着神の戦いにも参加したと伝わる高光姫命が
鎮座されていて、湖底の曽根遺跡とも何かしら関係があると踏んでいるんだけど、
ここのスレならなにか面白い話が聞けるかなと思って コロナ禍の御柱祭 ガイドライン策定 長野県諏訪地方 2021.11.17
> 県感染警戒レベルの段階ごとの対応をまとめ、レベル4以上の場合は曳行は実質的に中止。
> 重機などで「運搬」し、木落しや上社の川越しは行わない。
↓
諏訪大社の御柱祭 「里曳き」は人力で実施へ 04/15 17:34
意味のないガイドラインだよ >>572
ほとんど中止じゃねーか!
氏子達が命をかけて繋いできた祭りを
自分たちの保身で改悪したようなのだ いやいや
レベル4以上の場合、人力での曳行は中止としましょう
↓
レベル5だけど(3以下に下がることを期待して?)人力での曳行を実施したい
↓
昨日の時点でレベル5→人力で実施 【諏訪大社】御柱祭2022年【小宮祭・諏訪神社】
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1653809799/
>>1
今回の御柱スレが無かったのでスレ作りました。こちらもよろしくです >>575
寺社板か、ご苦労さん
面白い話題が出たらこっちにも転載してくれや
たぶんここなら次の御柱祭りまでスレが残ってると思うんで 【ユダヤ人権団体】 公開された脅迫殺人予告メール
://egg.5ch.net/test/read.cgi/diplomacy/1575269544/l50
古代墳墓の四隅に木を建てる風習の名残だと聞いたことがありますが、本当でしょうか?
なおミシャグジ、アラハバキ、クナト神、またイスラエル氏族、縄文人、そして出雲族が諏訪エリアを一時的に支配(統括)していたとの伝承についてその信憑性は如何でしょうか? 小宮祭りもほぼ終わったね
今回はコロナでイレギュラーも多かったんでいろいろ事後考察がはかどりそう 若者は皆東京に行って帰ってこない
それは東京に出れば職もあるのに長野みたいな僻地にはろくな求人ないのもあるが、
議論好きというテイで答えられない質問が出るまで質問し続けるとか
昔の共産党支持者みたいな手法で全開でマウントしたり揚げ足とってくる連中
言い返すと「で?で?で?」と返してくるからな
子供の口喧嘩みたいな事をやって「オラたちが勝ったズラ」だからな。都会だと次は無視するゴミ人間が平気でのさばってるし
人口15万人の諏訪盆地の中で数十年どころか子供の代まで逃げられない。
逆に言い返したらどんな嫌がらせされるか分かったもんじゃない・・
いちいち言い訳つけて人間的に卑劣な行為を正当化するからな
いや田舎民は人ではなく猿だけど
村社会特有の粘着質でウェットな性格
所謂、都会の「普通の人」が極端に少ない
諏訪からと言ってるが、どんな地域か知っといた方がいい とりあえず🍆🎺💻🦍になんか光もう一体加えればいいだけだと思うの