現在では大御食神社の「美しの杜社伝記」は江戸時代に盛んに作られた偽社伝の一つとされている。
そもそも日本語音韻学の立場からすると使われている神代文字の音韻は、
せいぜい中世以降のものでありとてもではないが古代まで遡ることは出来ないもの。
とてもじゃないが古代史の資料にできるようなものではない。
文献学的には伊那の由来についての主張は否定せざるを得ない。

それに古代の伊那地方に阿智家などという怪しげな勢力の登場する余地はない。
伊那郡の郡司(大領)は科野国造氏、及びその末裔の金刺氏が世襲していたからね。
言うまでもなく金刺氏は諏訪下社大祝家の金刺氏の同族。
少なくとも上社のある下諏訪から伊那郡衙のある飯田辺りまでは金刺氏が抑えていたと考えられる。
このような状況下で郡名の由来になるほどの大勢力が上伊那に存在したとは考えにくい。
第一、郡の中心地におかれる郡衙が飯田市座光寺の恒川遺跡群で確定し、
これに比肩しうる遺跡群が存在していない以上、
考古学的にも阿智家の存在については否定的に見ざるをえない。