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諏訪周囲の信仰
0001天之御名無主
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2010/12/07(火) 21:08:45
小宮の御柱ももうだいたい終わったし
次の御柱までの間に、諏訪周囲の信仰について語らって
6年間を過ごしましょう。

こぉぉぉぉぉゥれぇはさんのぉぅぇぇぇぇえええええ!
ヨイサ!
ヨイサ!
ヨイサ!

※お諏訪様以外の話題でもいいです
0390天之御名無主
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2018/06/30(土) 14:25:12.82
スレ読んだ
元地元民で諏訪明神絵詞も続群書類従のやつは読んだ
書籍は上で紹介されていた「諏訪明神」くらい
ここでいう「諏訪信仰」って地元民はほとんど知らないと思うよ
もしかしたらネットの情報で、最近は地元民でも興味のある人はスレ民と同じように思っているかも

まず地元民は上社と下社は別物との認識
自分は上社側だったから下社のことはほとんど知らない
「諏訪明神」も著者を案内した地元の人が上社側だったからか、下社側についてはあまり突っ込んでいなかったね
0391天之御名無主
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2018/06/30(土) 15:15:31.15
>>16
>御柱はなぜ6年(7年)に一度なのか
諏訪明神絵詞には「寅申の干支に当社造営あり(略)桓武の御宇に始まれり」とあって
その前には坂上田村麻呂の奏上によって天皇から田畑が寄進されれたとある
ここから解釈して、6年ごとの式年造営は桓武天皇の指示による、という説をどこかで読んだ

補足すると、式年造営であって御柱ではないが、これが御柱の元と言われている(この後に柱の話がでてくるので)
式年造営は上社の宝殿に残るが、桓武期の造営の規模はわからない
0392天之御名無主
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2018/06/30(土) 15:28:13.34
>>57
>上社前宮は明治時代に格上げされた、歴史も謂れもない神社だから割愛。
これ神社仏閣板でもみてその観点からみたらそうだとしても、民俗学的にはどうだろう?
御頭祭や過去の御室神事、大祝の戴冠も前宮で行われていた
これらは神職の間の秘儀だったから、摂社のほうが都合がよかったのではなかろうか
尚最近はネットで上のようなことも知られたためか、前宮をお参りする観光客も少しは増えたみたい

…というように怪しい情報も断定的に書かれているから、鵜呑みしないで裏を取ったほうがいいよ
0393天之御名無主
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2018/06/30(土) 16:15:33.85
>>58
>そうだよ。守屋山が御神体。
ネット上ではよく見かける説だけど、諏訪大社の公式見解は違う(検索してみて)
もちろん三輪山信仰や神奈備信仰、山の名前の連想からこの説が生まれたことは理解できる
私もこの説には否定的だが、その根拠は以下
・前宮、本宮の南の山が神体山で一般人立ち入り禁止なのは確か(行けば書いてある)
・中央高速道もその山を通す計画があったが、上社は認めず大きく迂回することとなった(地図参照)
・守屋山は登山が可能で、山頂には物部守屋神社の奥宮がある。これは上社の摂社末社ではない
・平安から江戸にかけて時の権力者や信濃国一帯から寄進を集めていた諏訪大社が、ご神体である山を社領としなかったことは考えにくい
・守屋山は上社から大分北に離れないと拝めない。大神神社と違って

ましてや別神社と思っている下社側の人にこの説をいったら不機嫌になるかもしれません
0394天之御名無主
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2018/06/30(土) 22:53:58.33
そもそもの起源は一つの神社で後世に勝手に増やしただけなのでまったく有りがたくないよな
0395天之御名無主
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2018/07/03(火) 21:24:44.35
>>392
それらは守屋系であって、諏訪大社(金刺氏→諏訪氏)とは別だったりする
0396天之御名無主
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2018/07/03(火) 21:45:35.49
> ・守屋山は上社から大分北に離れないと拝めない。大神神社と違って

県道183号線の大鳥居を無視してる?
0397天之御名無主
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2018/07/05(木) 12:56:27.22
>>393 >>396
今までどこかで見た「ご神体は守屋山」をそのまま信じてました
検索すると確かに神職は否定しているとありました
https://www.hesocha.com/entry/shintaizan
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&;illust_id=4017346 (コメント欄)

しかし現在の公式見解はそうではなくても「守屋山がご神体」と言われている理由があるでしょうから
それらを教えてください
0398天之御名無主
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2018/07/05(木) 22:57:56.77
守屋山とモリヤ山をこじつけた日ユ同祖論だよ
0400天之御名無主
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2018/07/11(水) 19:26:16.90
>>397
否定的なんだけど、思いつくところで
・守屋=洩矢からの連想
・地図上での神奈備らしさ
・大祝重信解状に「一、守屋山麓御垂跡事」とある
・上社古図の一番上に守屋山頂と物部守屋神社が書いてある
0401天之御名無主
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2018/07/11(水) 19:58:36.28
あと読んだと思うけど
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/zatugaku/sintaisan.htm
30.1.6の追記に関連して明治時代の地図を見てみたら、本宮の南には、山の上から次のように書いてあった
鳩ヶ峰、瀧澤林、宮山官林
これによると「宮山」は本宮背後の斜面の下半分(明治政府が召し上げた後の地図だから「官林」なのでしょう)
また「山」には、山麓の森林地帯にある自分の地所を指して単に「山」と言う使い方もある

なので推測なんだけど、「鳩ヶ峰山麓」と書いても伝わらないから「守屋山麓」と書いたり
本宮の地所を「山」と言っていたらそれを聞いた研究者は峰を含む山体だと思ったりして
徐々に守屋山の山頂・山体がご神体とのイメージが形成されたのではなかろうか
0402天之御名無主
垢版 |
2018/07/12(木) 22:56:06.62
いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
役に立つかもしれません
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

5O8
0403天之御名無主
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2018/07/12(木) 23:07:34.00
諏訪行きてえなあ
0404天之御名無主
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2018/07/13(金) 00:19:31.68
>>400-401
ありがとうございます
八ヶ岳原人さんのそのページは読みました
レスあったような古文書の幾つかには守屋山の名はでてくるものの
「諏訪神社上社に関する古文献と現在行われている諏訪大社の祭祀からは、「守屋山を祀る」ことを見いだせません。」
というのが現実のようですね

とはいえ >>396
もしそのR183の大鳥居(諏訪市四賀?)にて守屋山遥拝の風習などがあるのであれば教えてください
いずれにせよ民俗学的には興味深いものですから
0405天之御名無主
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2018/07/16(月) 04:39:05.92
上社の御射山神事とかもわざわざ諏訪湖の対岸でやるし、何がなんでも上社の宮山には立ち入らないって点は徹底してるよね

守屋山は杖突街道が中腹かすめてる位だしあんまり禁足地って感じはしないねえ
0406天之御名無主
垢版 |
2018/07/16(月) 08:28:35.64
まあそういうのは近代になってから勝手に出来たルールなんやろな
0408天之御名無主
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2018/07/17(火) 02:54:07.65
>>404
だから>>398で結論出てるから
0409天之御名無主
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2018/08/13(月) 20:11:33.63
そういえば諏訪ってお盆は普通に仏式?
それとも大社が先祖供養的なことまでやってる?
0410天之御名無主
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2018/08/13(月) 21:09:07.02
諏訪にお寺がまったくない訳でもあるまいし
諏訪湖花火の次の日に岡谷でも花火が上がるけどいわゆる0266地域の灯籠流しが主体
0412天之御名無主
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2018/08/24(金) 12:59:11.73
>>400
天竜川沿いにある洩矢神社には御柱があるけど
物部守屋神社には麓にも山頂の奥宮にも御柱がないんだよね
物部守屋神社が物部氏系なのか神長官の洩矢神社系なのかは分からんけど
諏訪大社のご神体ではない独立した存在なのは確かなんだろうなと思う
0413天之御名無主
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2018/08/24(金) 15:08:05.68
御神体何なの?
0414天之御名無主
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2018/08/24(金) 17:02:14.91
>>413
ご神体は大祝家の諏訪氏そのものでしょ
出雲大社の大国主が現世の権力から切り離されて出雲国造から祀られようになったのに対し
諏訪氏は大国主の子のタケミナカタが諏訪を制圧し天皇家同様に上古から続いた神の子孫という設定なんだし

明治以降だと諏訪氏も諏訪大社から切り離されたから形あるご神体は存在しないのでは
強いて言えば前宮には本殿があるからその中身だとか洩矢家近くにある諏訪氏墓所なんかがご神体なんじゃないの

江戸時代後半国学が流行したり明治以降各地の神社が国家神道に組み込まれる過程で
大和にある大神神社と三輪山の関係を真似て守屋山がご神体とか言い出したんじゃないの
0415天之御名無主
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2018/08/24(金) 18:24:28.34
おお 詳しくありがとう
0416天之御名無主
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2018/08/27(月) 22:47:00.25
本来の祭神はなんなのだろうな
0417天之御名無主
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2018/08/29(水) 19:07:48.22
本宮の場合、現在は神居と書かれた空間をお参りしてるけど
明治まではそこに仏式の鉄塔(石の塔)があった。神仏分離で今は上諏訪の温泉寺
また諏訪大明神絵詞には次のような記述がある(うろ覚え)
「社壇は三壇で上壇には鳥居格子のみ、なんと仏性の本質を表していることか」
この上壇が神居を指すとも考えられるけど、硯石から向こうを指すという説もある
後者なら、神体山(宮山)に捧げものをしていたことになる
大祝が現人神だから、鉄塔も神体山もおまけ、と言う人も少なくないけど
0418天之御名無主
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2018/08/29(水) 19:18:31.25
>>416
本来=大祝に降ろした神、の意味なら
ミシャグジ(原田哲郎氏)か、普通にタケミナカタ
またタケミナカタとしても、古事記通りにとるか
ミナカタトミが古事記には組み込まれたとして、違う説をとるか…
0419天之御名無主
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2018/10/08(月) 22:49:41.34
>>412
御柱のあるなしでいうと、上社摂末社の大年神社と御座石神社もない
しかし物部守屋神社の神紋は根梶ではないよ
0421天之御名無主
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2018/10/12(金) 21:18:51.81
御柱のことかな?以下の説があると思う
・御柱は造営が大変だから簡略化されたもの説
・桓武期に開始
・それ以前にあった
諏訪大明神絵詞でいうと書かれた時代(室町初期)には既にあって、桓武朝のときに式年造営が開始されたことが書いてある
1番目の説をとると、桓武期から中世の間のいつぞやに変化したことに

またその式年造営の開始の段に、以下の様に書いてある
 数十本の御柱、上下の大木一品別一二千人の力にて採用す
ここの解釈次第だが、「御柱」を今の御柱と同様に考える人もいるし、造営の材木と考える人もいる
後者の中にも「上下の大木一品別け」を御柱と考える人がいる(上下だから上社と下社で一本ずつとか)
2番目の説では、これらがこの時始まったと考える

3番目の説をとるなら、もうそれぞれ
・真脇遺跡のウッドサークルにも見える縄文人の祭祀かも(NHKの番組)
・インドやネパールの柱の祭祀とも関連するかも(寺田鎮子氏)
0422天之御名無主
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2018/10/13(土) 06:28:24.36
日本でインドの神様の話始めるヤツって小学生かなと思う
0423天之御名無主
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2018/10/13(土) 07:29:47.53
そうは言ってもインド発祥の仏教が日本まで伝来してるんでなあ
あと京都学派が大好きな照葉樹林文化とか言う、アジアモンスーン地帯中心に存在する比較的均質性の高い基礎文化もあるし
0424天之御名無主
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2018/10/13(土) 16:30:49.37
>>423
ンだなや
0425天之御名無主
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2018/10/13(土) 17:06:27.25
神仏習合を語るのはみな小学生ということだな
比較民俗学もか
0426天之御名無主
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2018/10/13(土) 18:18:00.09
神様の数え方は一柱二柱、ご神木、高木の神、天の御柱
0427天之御名無主
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2018/10/14(日) 21:38:21.11
お伊勢様の正殿の下にあるのも心御柱だね
朝廷の祭祀にも柱のイメージは残っていると
0428天之御名無主
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2018/10/15(月) 12:35:26.22
御頭祭の方が内容的に縄文の色濃いような気がしますが御柱とどっちが先なのでしょうか?
友達が安曇野に移住し穂高神社の御船祭を観て、あの祭が諏訪にもあると知ってから興味を持った者です。
0429天之御名無主
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2018/10/16(火) 18:41:43.69
各々の神事の始まりはわからなくて、御柱ほど諸説の流布もないので…
諏訪大明神絵詞には、坂上田村麻呂の報告で桓武天皇が諏訪明神に田畑等寄進してから
 其より以来一年中七十余日神事(付順役狩猟各四ヶ度)ならびに百余箇度の饗膳今に退転なし
とあり、これに書いてある神事(御頭祭や四度の御狩神事ほか)は桓武期から絶えていないことになっている
これ以前はわからないし、これ以降はいろいろ絶えているんだけど
0430天之御名無主
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2018/10/16(火) 19:25:00.81
絵詞の御頭祭(酉の祭)を読むと、饗膳については「禽獣の高もし魚類の調味美を尽す」とあるだけで
その後の、神使に大祝が玉鬘を掛けたり、神長が御杖を渡すなどの儀式の記述のほうが多い
神使はこの神事の後、御宝(さなきの鈴)と御杖を持って諏訪佐久郡を分かれて回る(伊那方面も同様の儀式が三日前にあって出発済)
神使は先々の村で廻神として拝まれる

これが室町初期の酉の祭で、その後廻神、廻り湛が失われ、神使も一人になり、御杖も持って歩けない柱に変わる
江戸時代に菅江真澄が酉の祭を見てスケッチと記述を残し、平成になってそれを元に守矢資料館が展示としおりを作成
0431天之御名無主
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2018/10/16(火) 20:07:01.80
後の解釈は人それぞれだと思うけど、かつての酉の祭と廻神は、農作の開始時期に各村に神威を届けるためのものだったと思うよ
御贄(禽獣の捧げもの)については、神職が潔斎するときの篭り屋やにあったり
また本宮の贄掛の大欅辺りにあったりして、昔はわりと日常的にあったのではないかと
饗膳も年に百余回もあったことだし
0432天之御名無主
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2018/10/18(木) 21:37:47.93
ありがとうございます。
たいへん勉強になります。
以前ざっくりと調べましたが多少盛って書かれていたとしてもかなりの費用と豊富な贄が必要ですよね。
遺跡等からも古くから栄えていたことはわかりますが、その後も時の政権からバックアップを受けるなど特別視されていたこともとても興味深い点です。
また、御神体が現人神という点も見逃せません。
0433天之御名無主
垢版 |
2018/10/21(日) 22:28:54.46
神仏習合を受け入れながらも狩猟は維持したからね
低平地よりも狩猟に依存する時代が長く生命線だったのかも
0434天之御名無主
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2018/10/25(木) 21:38:12.36
神社そのものはいつからあったんだろう?
祭祀の場としては縄文からあったろ、ってレスはあるとは思うけど…
0436天之御名無主
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2018/10/26(金) 14:27:21.36
お船祭りはなぜ下社にしかないのか?
海のない山の中でのお船祭りはやはり佐久地方が海だった頃の名残なのか?
又は海人族だった頃の名残?
ミシャグチは『サク』からきている説?
諏訪は『洲波』?
徳島にある元諏訪

とても面白い
0437天之御名無主
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2018/10/28(日) 19:34:43.37
>>434
日本書紀の持統天皇のところに「使者を遣わして竜田風神、信州須波・水内等神を祭らしむ」とあるから、この頃には朝廷が認めるほどの形態はあった
天武天皇が信濃の地を調べさせたり、信濃に行宮を作らせたりしたから、そのときに朝廷は知ったのだろうという説がある
諏訪大明神絵詞は日本書紀の持統天皇の記述を引いて「是即当社祭礼始なるをや」と言っている

また「神氏系図称一族系図」と「異本阿蘇氏系図」では、用明天皇の二年に湖南山麓に社壇を構えた、とある
これらは昭和になっての発見で、特に後者は偽書説がある。
長野県史や諏訪市史では「異本」も正しいと扱い、諏訪市史では2つの系図を混ぜて掲載したらしいけど、
両史の編纂に関わった人が後に「阿蘇氏文書を全て調べたが異本の記述は見つからなかった、後の研究結果に期待」的なことを書いている
偽書だから書いてあることは間違いとは言えないし、偽書説のない「神氏系図」は正しいとは言えないんだけど
0438天之御名無主
垢版 |
2018/10/28(日) 20:06:58.91
では大祝はいつからかというと、
両系図では、社壇を築いたときの「神子」(異本では乙頴とも)が大明神が最初に降りた御衣祝
絵詞では、有員が最初で「神氏の始祖也」とある(もちろん用明天皇は出てこない)

遺跡では、本宮近くのフネ古墳が5世紀前半、下社近くの青塚古墳が6世紀後半
と言われていて、後者は用明天皇の治世に符合するね
今の社殿が発掘調査されたとは聞いたことがないけど(数年前本宮の拝殿前で遺構跡が見つかったニュースはあったけど)
磯並遺跡の発掘レポートはネットで読めた。確か縄文から近世までの複合遺跡
0439天之御名無主
垢版 |
2018/10/28(日) 20:27:29.25
神氏・金刺氏が入る前の祭祀もあったでしょうけど、自分にはわかりません
前宮や磯並社あたりの社がそれぞれ何なのか、とかも
公式サイトには「 国内にある最も古い神社の一つ」と書かれていました
0441天之御名無主
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2018/10/29(月) 19:47:25.45
おお、ありがとう
用明天皇とはかなりリアルな時代だね
他の神社の御由緒にはもっと古くに創建したことになっているのがざらなのに
0442天之御名無主
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2018/10/31(水) 00:18:35.90
リアルと言えばリアル杉かなあ
系図なら、書き足し書き写しつつで、いつの時代の記述かわからないだろうし
0443天之御名無主
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2018/10/31(水) 09:17:23.70
縄文からの遺構がありそれ以降の政権の対応からも、無視できない力を持った完全討伐が難しい勢力が存在していたように思えます
0444天之御名無主
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2018/11/02(金) 19:30:14.89
お船祭りに関してネット弁慶
志賀島辺りの海人族、安曇氏が移って来たのが安曇野と言われ
穂高神社は、御祭神が安曇氏の祖神の綿津見神・穂高見神で、御船祭や奥宮での御船神事が有名

安曇郡にあるもう一つの式内社が川會神社で御祭神は底津綿津見神
「諏訪神社誌」( http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983470/16 )曰く
川會神社の社伝に「建御名方命の妃は綿津見神の娘で、建御名方命と妃は水の溢れた土地から水を流し平地にした」旨
また「信府統記」には泉小太郎伝説(龍の子太郎の元の一つ)があり、小太郎の母の犀龍が「諏訪大明神の変身なり」と

諏訪大明神絵詞の祭の七月を見ると、御遷座の行列の記述の後に「次に渡物(鉾山)あり」とだけあり、船形かどうかの記述はない(鉾山=山鉾?)
0445天之御名無主
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2018/11/04(日) 14:03:16.84
タケミナカタがまんが日本昔話のオープニングの竜で松本平の水を抜いたと
安曇氏が船の祭を伝承し八坂刀売がその一族の出とすると、下社に御船祭があることと確かに繋がるけど…
0446天之御名無主
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2018/11/04(日) 14:10:53.18
松本安曇野も佐久小海のようにかつて湖だったの?
島内、島立とそれっぽい地名は残ってるけど
そういえば蟻ヶ崎という地名もあつたね
0447天之御名無主
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2018/11/04(日) 19:06:51.14
>>446
伝承だから地学的事実とは別かと
逆質問になるけど、佐久は有史の時代に湖だったの?ソースがあれば教えて
0448天之御名無主
垢版 |
2018/11/06(火) 22:21:44.83
上社でも御柱迎えに行く神輿は船形だけど、これは後の時代に始まったのだと思う
神様が御柱を迎えに行くのは腑に落ちないし、武者行列や花笠踊りと同じく里引きを賑やかにしようとして
下社の御船祭は神輿による御遷座が主で、お船は従、氏子の愉しみ
なのでお船は神事よりは後に始まったのだと思う。御船神事、御船祭、船形の山車は結構あるようで、それらを比較検討してみないことには、だけど
川会の伝承は小泉小太郎伝説に後から竜蛇神ということでタケミナカタを結び付けたんじゃないかな
0449天之御名無主
垢版 |
2018/11/29(木) 16:35:00.63
仁和地震の時に崩れた山の土砂で川が堰き止められてできた相木湖と、もう一つの湖が小海地方に残る地名の由来と言われている
海ノ口から海尻間にできた湖は約100年後の決壊により消失したと言われているが、相木湖は鎌倉中期までは存在していたとみられている
安曇野・松本平も山間の扇状地
水が流れ出る場所は限られているから過去に同様の現象があったのかも知れないが、海人族である安曇族の流入が大きく影響していると考えた方が納得できる
0450天之御名無主
垢版 |
2018/11/29(木) 18:41:22.59
地質的に諏訪湖って凄いんだよな
0451天之御名無主
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2018/11/29(木) 23:12:32.94
周防の昔の読みが「すわ」なので
周防からの移民かと思うがどうかな
0452天之御名無主
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2018/11/30(金) 19:42:25.23
「諏訪大明神絵詞」の桓武天皇の御宇に阿部高丸を海から攻めた折に、海上の波の上を騎馬で渡った時の不思議な様を描いてるが、この時から「諏方すわ」の二字を「趨波」と書いたと言ってる。(続群書類従巻第七十三諏訪大明神絵詞上500ページ)

「すわ」は「すほう」あるいは「すおう」とも関連ある?
0454天之御名無主
垢版 |
2018/12/01(土) 12:11:58.56
海人伝承というのは要するに、フェニキアやギリシャ人などの古代地中海文明を日本まで民族が違う海人達の間で伝え持ってきたということ。
諏訪の周辺の湖・誕生の神話がギリシャのオルコメノスなどの湖・誕生神話と酷似してるのも、その一例。
0456天之御名無主
垢版 |
2018/12/01(土) 22:34:50.64
九州北部から出雲・越を経て安曇野・諏訪へ
または佐久・小海から諏訪へなのかも知れない
海人族・出雲族の神はそれと共に流入したのはわかるけど、モリヤ・ミシャグチが元々の土着の神?
あんな山の中に進出したのはやはり地下資源と当時の交通要所だったからなのかな?
0457天之御名無主
垢版 |
2018/12/01(土) 22:36:38.92
有名な紅葉狩や八面大王、両面宿儺
これらも地下資源や交通要所の制圧とみて正解?
0458天之御名無主
垢版 |
2018/12/01(土) 23:21:27.58
>>456
和田峠の辺りから黒曜石が採れるのと
湖のおかげで冬も食料がとれるので縄文時代から栄えてたんじゃないのかね
出雲系はヒスイの採れる越の糸魚川を征服してそのまま妙高高原を越え信濃の諏訪まで勢力下においていったんだろう
0459天之御名無主
垢版 |
2018/12/02(日) 01:00:19.86
海洋民同士の戦で負けて逃げる先は山の中の湖が最適なのでは?
0460天之御名無主
垢版 |
2018/12/02(日) 04:52:10.44
異説ではあるけれども、自分は「神氏=大和の氏族」説を押している
もちろん他の氏族(出雲族、安曇族、天白神を奉じた一族)の流入はあったと思うし
金刺氏も信濃国造として勢力はあったし、それ以前に洩矢・守矢の一族もいたと思う
0461天之御名無主
垢版 |
2018/12/11(火) 05:29:03.83
天白神の分布と春宮の近くにある天白神社から、八坂刀売が天八坂彦命の子だとする説があるね。それを直接書いた史料はないようだけど
長白羽命(天白)・天八坂彦命を祀る氏族が伊勢の神麻続機殿神社のあたりから来たという説をとると、八坂刀売は麻績部の一族と関係があることに。
地名は麻績部に由来するとも言われる麻績村から麻績川を下ると、泉小太郎が堰を破った山清路なのだけれど、関係あるのかな?
0462天之御名無主
垢版 |
2018/12/15(土) 07:12:37.99
神氏の系図の古代部(御衣祝以前)についてのまとめ。
およそ下の三説あるかと。(説の名前はテキトーです)
・建御名方直系説:洲羽国造家―神氏:神氏系図(神氏系図称一族系図の中の漢文)より
・金刺氏分家説:金刺氏―神氏(乙頴より分家):異本阿蘇氏系図より
・金刺氏より養嫡子説:洲羽国造家―乙頴(養嫡子で継続):修補諏訪氏系図正編(神氏系図、異本阿蘇氏系図でも解釈可能)

補足として、
・洲羽国造家は、ここでは建御名方命から御衣着祝の手前までの便宜的表現。(洲羽国造の実在は不明)
・直系説でも神氏系図によれば神氏に金刺氏の血は女系で入っているし、分家説・養嫡子説でも、阿蘇比売命が洲羽国造家とすれば(修補諏訪氏系図の補、大祝武居祝系図)、その血は入っていることに。
・「異本阿蘇氏系図試論」では「神氏系図」(神氏系図称一族系図と同じものかは不明)も異本阿蘇氏系図と同様中田憲信らの作と疑っているらしい。修補諏訪氏系図正編の系図は「中田憲信著諏訪家譜抜粋増補」。

金刺氏については、異本阿蘇氏系図、一本金刺氏系図(中田憲信著引用)、大祝武居祝系図とも祖は神八井耳命。日本三代実録にも金刺舎人について同様だと。
(異本阿蘇氏系図以外はネットで見られる諏訪資料叢書28巻と修補諏訪氏系図.正編・続編を参照した。)
0463天之御名無主
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2018/12/15(土) 07:24:21.77
史実か否かや実在性は別にして、各系図には編纂或いは書いた人の思いが反映されるもの。(系図以外もそうだけど)
諏訪氏家譜や寛永・寛政の諏訪氏の系図は清和天皇を祖としているが、これは徳川家と同じにしたいという思いかと。(修補諏訪氏系図続編には、そうでない古い系図を某が処分した、とあった)

見る人も同様、それぞれの思いでどう解釈するかは変わってくると思います。
血統、中でも男系重視か、或いは養嫡子としても家柄が重要か。
下社側か上社側か。皇統か或いは建御名方の系がよいのか。などで。
(特に当該家の人の思いは強いでしょう)

個人的には、「有員より前はわからない。養嫡子はあったかもしれないが、神氏の家柄は建御名方命を祀る一族から続くもの」と、当たり障りなく思っています。
0464天之御名無主
垢版 |
2018/12/16(日) 19:56:01.43
総てを鵜呑みにはできないけれど
天皇系が各地を平定融合していたとしたら
『多くの場合にらみられる、その平定した土着神も祀った後に、実は皇族に繋らなる系統と知ららしめている点』
その元々の土着の神々は天皇系よりずっと古くから永く栄えていたことにる
出雲の石田家、千家、諏訪だとモレヤ、ミシヤグチが、それにあたるのでないだろうか
0465天之御名無主
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2018/12/16(日) 20:13:39.91
この地を治めることにした天皇系は征服者
征服平定された側の諏訪はそれらよりかなり古くからの文化歴史と資源や交易力を持っていたはず
神家の補佐役となったモレヤだったが本当の祭神は最後まで伝えなかったのではないだろうか?
そこの辺りに、後世まで為政者の庇護を受け、税の免除は元より、近隣のから祭事等の援助を拠出させるよう言わせたりしていたところに繋がっているのではないだろうか?
モレヤ・ミシヤグチとは何者だったのだろう
その力と求心力の元は何だったのだろうか
0466天之御名無主
垢版 |
2019/01/02(水) 14:14:38.53
>>451
「周防国」は、当初は「周芳(すは?すはう?)国」だったんだね。
「周防国」の何処かに「すは」という土地があるのか?
そもそも「すは」の語義・語源は、何なのか?
景行天皇『紀』に記された女酋神夏磯媛の盤踞地佐波郡「沙麼(さば)」が、
「すは」に変化したのか?
0467天之御名無主
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2019/03/19(火) 16:26:45.93
>>466
思い付きレヴェルでは石見や伊予に周布もあるけどね、スハの発音がスファだったとして
しかし他にも、複数の地名相似か文化的な相似がないことにはなんともかんともね
0468天之御名無主
垢版 |
2019/03/19(火) 18:59:16.80
荒俣だっけか
福井の九頭竜はクトゥルゥが変化したものだ!というネタで小説書こうとしてたの
0469天之御名無主
垢版 |
2019/04/04(木) 13:10:40.78
諏訪では神に仕える手長足長が
福島県会津地方では人々を苦しめる物怪とされ磐梯山山頂に封じ込められている。
諏訪の神仙がなぜ東北では悪霊とされているのか詳しい理由を知ってる方はいますか?
磐梯山から猪苗代湖を挟んだ湖畔近くにある守屋神社が関係しているのかな?
0470天之御名無主
垢版 |
2019/04/04(木) 16:22:51.50
伝承を見た感じでは壱岐の海人族が東北を襲った話じゃないですかね
その海人族が諏訪に移住してるんでしょうか
0471天之御名無主
垢版 |
2019/04/04(木) 19:47:35.67
>>470
なるほど
その説なら秋田や山形の日本海側にも似たような伝承がある事も説明がつきますね。
阿賀野川を遡れば会津地方にも来れるし
0472天之御名無主
垢版 |
2019/04/04(木) 21:44:17.91
ナガスネヒコと関係があったら面白い
0473天之御名無主
垢版 |
2019/04/07(日) 11:53:50.34
長髄彦はわからないけど、土蜘蛛とする説はあるよね
0474天之御名無主
垢版 |
2019/05/21(火) 15:47:12.76
阿波の多祁御奈刀弥神社は元諏訪なのか?
0476天之御名無主
垢版 |
2019/08/22(木) 10:48:27.17
>>31
産屋、うぶやにお飾りするよ。錆びた鎌。
産屋の砂はお守りになる。
0478天之御名無主
垢版 |
2020/06/19(金) 00:44:29.37
コロナのせいで来年の善光寺の御開帳が一年延期になったけど、もしかしてこのまま行くと再来年の御柱祭は善光寺の御開帳と同時開催?
御柱祭って府中の小笠原が攻め込んできたせいで一月延期とかはあったみたいだけど年越して延期ってまだないよね?
0479天之御名無主
垢版 |
2020/09/14(月) 18:29:41.06
先祖代々諏訪地方に住んでる人は縄文以前からの居住者なのだろうか?
遺伝子調査したら面白い結果がでるかもな。
0480天之御名無主
垢版 |
2020/11/05(木) 11:43:18.37
>>446>>447
安曇野が昔湖だったのは事実。伝承などではない。
>>449安曇野は日本有数の規模を誇る盆地だ。扇状地などというものではないわ。
>>451関係ない。
0481天之御名無主
垢版 |
2020/11/05(木) 17:41:18.94
>>480
安曇野は盆地だが、その盆地の中に扇状地型もある
分けて定義するものじゃない
0482天之御名無主
垢版 |
2020/11/10(火) 08:28:38.31
>>479
諏訪湖周辺よりも茅野の方が原住民の可能性大。
0483天之御名無主
垢版 |
2020/11/10(火) 08:32:32.33
>>474
関係なし。その説は相手にされていない。
>>465
天皇(大和)系は下社の金刺氏。
上社諏訪氏は違う。
0484天之御名無主
垢版 |
2020/11/16(月) 10:57:53.56
地元民もモレヤ云々知ったのはここ20〜30年の話。
0485天之御名無主
垢版 |
2020/11/27(金) 09:35:58.12
そういえば善光寺には今でこそ諏訪神社はないけど昔はあったらしいね
前の御開帳のとき県立博物館であった公演で塔頭の坊さんが言ってたけど、現在では日本忠霊殿がある場所が諏訪神社だったらしい
飯田の元善光寺は建御名方を祀る麻績神社がすぐ隣りにあるけど、明治六年までは八幡社で創建も天正年間以前とだけあり意外と新しかったんで善光寺と諏訪社って意外と縁が薄いのかと思ってた
0486天之御名無主
垢版 |
2020/12/20(日) 17:14:47.80
神話の時代からの土地の特徴が名前として残ってるとか感慨深いものがあるな。
ところで何故諏訪以外の土着神は残ってないのだろうか。
規模の違いか?
やはり諏訪地方には一大勢力が存在したんだろうな。
大和朝廷と戦争をした証拠品は発掘されたりしないのだろうか。
普通国譲りなんてするか?
0488天之御名無主
垢版 |
2021/01/01(金) 22:43:44.22
大祝家なら既に断絶したし、神長は次期当主は決まってるけど口伝は失われてるし、他の世襲神職と似たようなもんだしで、既に終わってしまったかと。
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