【正典】先代旧事本紀【偽典】
正典なのか偽典なのか徹底討論!
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、宇摩志麻治命、物部氏、
大成経等々、まあそんな感じで好きなだけ、どうぞ。 十種神宝の胡散臭さはパチンコ雑誌の広告によくあるパワーストーンに匹敵するレベル >>2
瀛津鏡、辺津鏡、八握劔、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼
三種の神器をヒントに創作したものかも知れず。 >>3
むしろアメノヒボコの八種の宝
あと蛇のヒレ蜂のヒレは大国主の根国訪問譚からのパクリ
>>4
題材はそこから持って来たのかも知れませんね。唯、神宝としての性質は
矢張、三種の神器からだと察しますが。 >>5
三種の神器は王権の象徴たるレガリアであり、十種神宝はタマフリのための呪器
性質も似てないと思うがなぁ
>>6
共に天孫降臨の際に授けられた神宝ではなかったっけ。 >>7
それは神宝の性質というより来歴だな
しかし先代旧事紀の記す十種神宝の来歴はどうも疑わしい
記紀には一切神宝の記述などないし、神宝の内容そのものも(古事記の)アメノヒボコと大国主の伝承からパクってるワケだから、どう見ても後世にデッチ上げたものだと分かる
>>8
慥かに来歴の方が相応しいですね。パクリの件は私も同様に受止めて居り
ます。記紀説話からヒントを得て新たな饒速日降臨説話を構成して、
古語拾遺以降に出来上がったと見るのが妥当なのかも知れませんね。 古代からの数多の戦や、時の権力者による焚書で
失われた神代の日本の記録は多いだろうな。 しかしニギハヤヒはあんな凄い宝を授けられて、豪勢に御供引き連れて天下った割りには、わずか数頁であっさり死んでしまうんだよな
死者をも蘇らせるはずの十種神宝とは一体何だったのか
編纂した奴はアホだろ
当たり前だろ(笑)
ちゃんとそういう考察するからこその民俗・神話学板であって、いい加減な思い込みで隠された真実!
とかやるのはオカルト板とか心と宗教板でやること。
それがわからんなら下手な書き込みするなよ。 実際の処、旧事紀の饒速日伝承とか物部氏の系譜とか、伝承としてどの様に
考察されるべきすか。 スサノオとアマテラスの争いの話においてはギリシャ神話との対応が
見出せるのではないか?
アポロンがサティールとの音楽コンテストで勝利して、サティールを
松の木に吊るして生きたまま、生皮を剥いで殺したという神話において、
アポロンとスサノオの太陽との関係、サティ−ルが生皮を剥がれたことと
皮を剥がれた馬の類似、サティールの尻尾は馬の尻尾と形が同じであること、
アポロンの楽器リラとアマテラスの侍女の機織の両方が「紡ぐ」という
イメージを持っていること、何より星座のリラは中国の機織姫に相当する。
ニギハヤヒは卑弥呼の末裔
もっと言うと卑弥呼は物部氏の女王 卑弥呼は崇神天皇と同時期の人なのにその末裔がどうやって10代前の神武の頃に天下るというのか
天鳥船はタイムマシンか
天鳥船は川船だから、底は平らだろう。加えて、鳥のイメージが
結びついてる。
これはアークと似てるんだな。アークは底が平らな箱舟だし、
蓋の上では羽の生えた2人の女性が両膝と両手を前について
拝む体勢で対面している。
俺はエチオピアのアークを見ただけだが。 今年の11月ころまでには、すべて本当のことがわかるみたいだよ。 ∧_∧ ┌────────────
◯( ´∀` )◯ < 僕は、神山満月ちゃん!
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lll 女王、卑弥呼。女王ヒミコ。
天照大神荒魂=(御神号)憧賢木厳之御魂天疎向津比売命(=瀬織津比売大神)
・・・天を祀る日向の姫巫女。
天照大神。又の御称号を(天照)大日霊女貴命
・・・大ヒミコ女王。 偽典としても平安時代にはあったんだよね
かなり古いし、誰が書いたんだろう 物部氏の流れの誰か。
ある意味、物部氏の血統の尊貴さ、正当性、優位性をあやふやな神話にせず一筋の有った歴史として著しています。
日向族、親百済路線が権力者や朝廷の主流に有っては不都合極まりない真実を孕んでいたのかと。
須佐之男命こそ、我が国の始祖王。
天照皇大神(実体)はニギハヤヒ尊(布留、オオトシ(/倉稲魂命)。)。
神武天皇とされた御方は猿田彦神と天香山命(高倉下命)の骨折りの結果、ニコニコでニギハヤヒ尊の築いた三輪山王権に婿養子入り。
(ニギハヤヒ尊の末姫(跡取り/末子相続)の伊須気依姫と政略結婚。/元の妻子は日向に置き去り)
四十杉のオヤジと二十歳そこそこの清らかな乙女の親戚同士の無理からの縁組み ちなみにかなりの内容で一部は遺失していると思われる文献からの引用もあるみたいだから、やはりそれなりの知識人だろうし、歴史にも名を残した人が書いたような気がします
モリヤとかアラカイとか クジは偽典ではない。物部本でもない。撰の馬子は物部を滅ぼした。
竹内と無関係ではない。知ったかぶりはやめよう。
曾我の先祖は武内(竹内)である。これは常識だ。 民俗学的に神とは陰陽男女神で一組つまりカップルであると考えられる。
よってムスビの働きで子孫がなされる。
クジキで独り神が続く系図が竹内文書では民俗学的通りズバリ陰陽二神名と
なっている。系図とは実はそういうものである。 平安では序が無いとされるがすでに失われ、平安以後に見つかったとも
考察できる。特に珍しいことではない。
後に加筆がなされたと思われるがそれは本筋の続き的、つまり系図もそうだ。 滅んだ物部はすべてではない。政治生命、勢力は失われたが残りの大勢は
散見される。昔話や系図だけでお家再興とは古今を通じ無理な話であり
逆に曾我が見たことや古伝承で構成されていると強く感じられる。 日本歴史を見ると弱肉強食・下克上。天下を取ったものは
系図を改変している。改変できるのは系図のデータベースを伝承保存している家
が存在するということ。竹内は太古から天皇に使えてきた。
だから臣のトップを冠する。
近代のように見える語が出てくるだけで竹内を侮ってはいけない。笑 神代においての重複事項を学者たちは「つぎはぎだぁ」とこぞって言うが
冷静に考察すると古く痛んで損じたり欠本部分を修復再現し、その痕跡をわざと
残すのが当時の法である見方ができる。
それが後に日本書紀の一書に曰くの成立となる。当時はクジキが一番古いと
古典では伝えられ後世に偽書のごとく言われたがたが実際に古いと言うことだ。笑