三河は現在の北朝鮮から満州にかけての半牧半農系、
大和は燕から黄海沿岸を伝って現在の韓国経由で入って来た大規模稲作系。

大陸でもこの両者は日本と時期を同じくして三韓付近で戦争を繰り返し、
一時は騎馬系遊牧民の力を得て半牧半農側が優位に立つが、(漢末期・弥生中期,出雲全盛期)
気候が回復し始め米と養蚕の体制が本格化し、徐々に経済力に違いが生まれ(晋〜南北朝・古墳期、出雲陥落)
やがて稲作側の圧倒的生産力に飲み込まれ、融合同化する。(随・尾張陥落、奈良朝のはじまり)
中国はその後大規模侵入は終息し唐王朝が生まれ、その頃に日本も異民族侵入はほぼ絶える(蝦夷討伐・同化の始まり)
記録では、韃靼人が江戸期に至るまで越中あたりに何度か侵入を試みようと
使節(スパイ)を送ってるのが伺えるが結局は断念している。
日本も東アジアの歴史と全く同じ流れの中にある。