和邇は鰐であって鮫ではない!!!
日本書紀や古事記に出てくる和邇は普通にワニを指す。鮫ではない。
鰐と鮫を混合しているのは確かであるが、まぎれもなく和邇は鰐のことである。
日本に居もしない生物なのに出てくるのはおかしいのでは?と思うかもしれないが
そもそも、竜や虎だって居ない、でも出てくるし、
鰐は氷河期までは日本に居たとされる。(一応、年代的に古代日本人とバッティングはしている)
稲葉の白兎のワニの背を渡る話は、東南アジア各地(アフリカにもある)に古くからある酷似した神話が
日本に伝わり、日本の話として古事記に記されたものでやっぱり和邇はワニなのである。
とはいえ、当時の日本人には「ワニ」というものがなんなのか想像つき難く
身近な鮫と混合してしまうこともあったのだ
そもそも和邇に関して
足は4本有り、口の長さ3尺、トラや鹿が水を渡ると仕留める と説明されているし
陸に上がりヘビのようにうねるともある
これを鮫というのはいかがなものか・・
結論は混合されていたのは確かであるが
鰐はワニそのものを指す言葉であり、鮫ではない。 和邇は第七代孝元天皇の兄から始まる古代の有力豪族の和邇氏。
有力な海人族で神功皇后の半島への征途の際には水軍三百人以上が付き従った云々。
神功皇后の半島侵攻は半島側の史書との摺り合わせ照合をするとどうやら史実のようですが
初戦こそ沿岸部で華々しい戦果を挙げますが早々に反攻されてコテンパンに遣られ押し返された負け戦だった模様です。
(歴史は繰り返して、秀吉の朝鮮侵攻、太平洋戦争などとよく似た経緯?)
和邇氏の首長らがしんがりを務め追討軍を阻止するため
決死隊として半島南部に駐留したようです
(日本側は和邇氏の首長を鎮守将軍と任命し、その鎮守の軍隊との表記。大本営発表!)
神功皇后が北九州から瀬戸内海各地にほぼ等距離に順次創建設置した数多の神社群は、
実のところは半島側からの反攻に備えた哨戒、堡塁基地と考えると良いかも知れません。
中でも田の付く長田、生田、広田は実際に屯田兵が駐留した場所で日本側の絶対防衛線。
住吉大社は言わば大本営。
社殿、参道が真西に開け明石海峡から遥か西を睨み付けているのもそのため?
住吉大社のあるあの辺りは昔は住之江、墨之江とよばれた大きな入江で内湾を形成していた天然の良港。
大祓詞に言う、大津辺に居る大船を云々は当に住之江を念頭にしたものかと。 因みに、和邇氏の祖の嫁が所謂、卑弥呼。
所以は、その称号と尊号が尋常ならざればなり。(時代も整合性あり)
大倭姫命(倭の女王を意味)。天造日女命!。大海霊姫命。日女命(位がかなり高い女性の称号)。
姫御子は義理の弟の孝元天皇(所謂、男弟)の后となって孝霊天皇をお産みになられています。
卑弥呼の兄の姫御子がトヨ。
この方も、大倭姫命。天豊姫命。
なんと、開化天皇のお妃さま。 >>1
千田稔氏説ですね。古典の記す「和邇」は、鮫でなく揚子江に棲息する鰐で
江南から渡来した海人族の記憶が反映されていると。 >>943
揚子江ワニだろ。奄美に流れ着いたのが南島雑話に在った様な >和邇は鰐であって鮫ではない!!!
いやここはドラゴンだと言ったほうがおもしろくないか? 象(きさ)も絶滅したマンモス・ナウマンゾウですか? >>5
太古往古の隠岐には、鰐が棲息していたらしい。
1 : ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★:2013/09/13(金) 14:21:35.41 ID:???0★
島根県立三瓶自然館は12日、同県の隠岐の島で東アジア最古の巨大ワニの化石を
発見したと発表した。これまでは台湾で出土した約1000万年前のマチカネワニの
仲間が最古とされていたが、今回は約2000万年前の地層から見つかった。
化石は胸椎と呼ばれる背骨2個(幅約21センチ、高さ約18センチ)で、骨の大きさ
から全長約7メートルのマチカネワニの仲間と推定される。これまで出土した中では
最大級という。
化石を見つけた同館の河野重範氏によると、7月中旬、隠岐の島北部の海岸で地質を
調査中に、骨の表出した岩を発見。クリーニングした結果、ワニの骨と確認された。
このワニは、日本列島が大陸から分離しつつあった約2300万年前に大陸との間にできた
湖で生息していた・・・・・・・・・・・・・・・・
【社会】2000万年前の巨大ワニ化石=東アジア最古か―島根・隠岐の島
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1379049695/ そもそも日本にワニは生息してたのかいな?
沖縄を除いて
もちろん約2000万年前の化石ではなくて弥生時代のころの話である。 つうか日本神話そのままの発見場所ジャン。
ようは島根=日本海にワニがいた。大陸移動=島根にあるし。
神話をよむとき弥生時代とかてきとうなバイアスはイラン。
ワニなら日本中・・大阪か琵琶湖でも化石なかったけ? 人類さえ存在しなかった時代の話をされても神話には無関係すぎる 和邇とは日本では古くは鮫の事を言い、浚に遡ると海亀の事を指した。
一寸検索してみれば分かる。 因幡の白兎に出て来た和邇は間抜けな悪役だけど昔の人達的には「海の中の生物=愚か者」って認識だったの?
気になって眠れないんだけど >>14
>和邇とは日本では古くは鮫の事を言い、浚に遡ると海亀の事を指した
ワニ=ワニ・・後に山陰なんかでサメをワニといってるが・・ワニはワニ=日本語
でいつぐらいからあるかしらんが・・神話=トヨタマ姫が出産するとき・・陸で出産
そのときワニになって・・子供を産んでるだろ。これを見るなっつうて見たのがウガヤフキアエヅ >>14
東北地方では、鮫を食するんだねえ。
46 :ななしの珍味:2005/11/23(水) 16:46:57 ID:7jIHO9b1
自分は宮城県出身ですけど、気仙沼では鮫を普通に食いますよ
モウカ鮫の心臓の刺身は・・・・・・・・・・・・・・・・
■ サメ 鮫 ■
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/toba/1108908613/46 >>9
それは大昔すぎる。ヒトがまだヒトでなかった頃だろう。 では因幡の白ウサギの鰐は古代日本に流れ着いた実際のワニを見た人の記憶の影響か?
因幡の白ウサギと同様の伝説はポリネシアか何処か海外にもあるらしいからその辺の関係や影響があるのか? 白 大 隠
黒 岐
兎 主 鰐
朴 小 安
浜 倍 間違えた
因 大 隠
白 黒 岐
兎 主 鰐
朴 小 安
浜 倍 琵琶湖畔にも和邇という地名があって、そのあたりでは大魚(たぶんビワコオオナマズ)が
人を襲って呑み込むとか言って恐れられていたんだよな。大塩平八郎がここで遭難しかけて、
そう書き残している。
和邇ってのは、人を襲いそうな大魚全般を指す名前だったんじゃね? それこそ
鮫も鰐も全て含めるような。 ちょっとスレチで申し訳無いが
韓国人がデンバーで天孫光臨を再現したがっている 正体ではなく神遣いである
そこは間違えないよう
龍 蛇 鳥 亀 『龍神』と「神遣い」は別である
龍神も金、銀、白、青、赤、黒、色々ある
鰐も蛇も鮫も和邇も「神遣の龍」を意味する
白兎は『龍神』を意味する
龍王界の姫神 白 波乗りウサギ まあ、海岸を歩いていたら襲われたとか
川を上ったとかの描写からしてサメじゃないわな 和邇氏は海洋氏族なので実際に南洋の方まで行っていて、鰐を見知っていたのかもしれませんね。 南方の民話みたいなものが何処かを経由して古代日本に伝わった結果とか。 生物としてのアリゲータ直接ではなくとも話の中に南方話としてのアリゲータ伝播の影はあるかもな >海に鰐はいない
和邇氏が航海で南洋方面に行っていたとしたら、和邇氏は普通に南方の島や陸地にも上陸していたと考えるのが妥当でしょう。
当然、入江から川に入って川を遡るようなこともしていたことでしょうし。
そうなると和邇氏が南方の淡水域で鰐を見知っていた可能性は十分にあり得ると思うのですが? 南方の淡水域のことまで詳しいなら、なおさら出雲の海にワニがいないことをよく知ってたはずだ >>56
別にヨットレースしに行ってんじゃ無いんだから、南洋にまで行けば陸地にまで上がると考えるのが普通でしょ。
てか今は和邇氏が南洋にまで行ってた可能性について言及してんのになんで出雲とか話そらすの? 神話の舞台となった地域周辺にワニがいないことがわかっているのなら、
なおさら神話に出てくる「和邇」がワニであるわけではない、というスレタイに沿った話をしているまでだが? >>60
スレタイのどこに
>「和邇」がワニであるわけではない
なんて書いてあるの?
>スレタイはのっけから
「和邇は鰐であって鮫ではない!!!」 だし、
>>1は、序文から
>日本書紀や古事記に出てくる和邇は普通にワニを指す。鮫ではない。
>鰐と鮫を混合しているのは確かであるが、まぎれもなく和邇は鰐のことである。
と書いてあるんだけど? >>61
どうでもいいことばかり言ってんな
で、因幡の白兎に出てくる「和邇」はワニだと思ってんの? レスの流れとしては>>51から始まって(ワニは海にはいない)、
それに対して>>55が「和爾氏が南方の淡水域でワニを見知っていた可能性はある」とレスする
この時点で>>55は>>51の反論でもなんでもないのだが、
>>56で「本物のワニを知っているなら、(>>51の言うように)ワニが海にいないことを知っているはずだから、
(海に棲んでいる)和邇はワニではありえない」という反論が来ると、
>>57で再び的外れの「和爾氏が南洋にまで行っていた可能性」が語られる >>62
反論できないと
>どうでもいいこと
になるとは便利な脳内回路してんね。 wwwむしろ鮫でなく鰐である可能性を探って行くのはスレタイに沿う姿勢と言えるがなww
伝説伝播という可能性も含めw そうそう。
そもそも
スレタイの主旨を正反対に読み違えている時点でなんとも(^_^;) 近所に鰐河神社ってのがある
その神社の言い伝えでは鰐がお姫様を背中に乗せて
川を遡ってきてお姫様は一時期ここに住み着いて皇子を産んだ
その子供が後の応神天皇
神社の傍を小さな川があり、その川は春日川という
和邇と春日とは意味がありそう 倭太 が 和田(和田ノ原 は 海?)、 倭二 が 和邇、 倭三 が 和讃 ? そういやベトナムでも人間は竜と妖精の間に産まれたらしいな
竜信仰って縄文系か、弥生系か気になる '80年代か'90年代だったかTVムックという番組で因幡の白ウサギとワニ絡みの面白い回が確かあったんだが…
ビデオテープなくした(涙) >>73
二見書房から出てた『謎学の旅』(新書)の3巻に収録されてたな
ニューギニアの一部では、食用の鰐を「ワニ」と呼ぶという話も出てきたが、
あれほんとか? 和邇氏は太古の皇族(天皇の兄)が祖の古代豪族。
一部のお説ではいわゆるヒミコ(大倭日女命(特別な女王の称号)。大海霊女命。天造日女命、日女命、、)のムコ様。
ヒミコの男弟は義理の弟にあたる天皇。 伝承の記憶の要素も鑑みワニの可能性は棄てられないな 豊玉姫が本体のワニに変身してウガヤフキアエズ命を産んだということは、妹の玉依姫もワニということだよな。
玉依と似た言葉に中国の玉衣がある。
アゲート(瑪瑙)で作った服。
最初は魔除けの意味を持つ服だったらしいが、次第に意味合いが変化して死人に着せる服に変遷していったらしい。
この玉衣を着た人間の写真を以前どこかの本で見たことがあるんだが、これが鰐に見えたんだよ。
玉衣は中国から和邇氏が交易で輸入して着てたものなのではないか?
それで彼らの部族衣装となっていたから古事記に「本体」と書かれたのではないか? 玉依姫とはいわゆる霊媒巫女(神が寄り付く憑代)かつ一族の相続権者。
日女命(ヒルメの命)に同じ。
稚日女命(生田大神/天照大神稚御魂)
大日靈貴命(大日女命。廣田皇大神/天照皇大神荒魂(伊勢内宮荒祭宮祭神と西宮廣田神社は御同体)) ×稲葉(因幡)の白兔
〇稲場の素兔
白兔ではなくて素兔。
素(ス。始まり。元々の。中心、、、)が付く神様がいらっしゃいますね。
イナバは稲が堆く積まれた所(伊勢神宮の唯一神明造は稲を集積して保存する高床式倉庫に由来)。、、、神聖な場所。 豊玉姫の出産時、正体を目撃された際に和邇(ワニ)が陸上に腹這いになり、のたうつと書かれているからな
サメが陸で腹這いになり、陸上でのたうつかねぇ? >>98
逆にワニの方がのたうたなくね?
サメなら陸に上がればのたうつぞ。
古事記の始めの方に国産みの記述があるが、見事に関東以東の記述がない。
このことから日本神話は南方民俗由来と推測できる。
だからもともとはワニだった話も混ざってるのは当然。
日本に来てからの出来事の話ならサメの確率が高い。
だいたいサメの種類にもシロワニなんてのもあるぞ。 それともう一つ。
ワニなら産むのは必ず卵だか、
サメは卵胎生のものもいるから子供を産む場合もある。
具体的に何を産んだという記述はないが、
卵を産んだなら更に異常なことだからそういう記述があるはず。 >>96
>玉依姫とはいわゆる霊媒巫女
いやそれは分かるんだけどさあ、なんか気になるんだよ「玉衣」。
もしかして霊媒巫女に「玉依」って漢字当てたのってあと付けじゃないの?
↑で玉衣着るとサメに見えるって書いたけど人魚にも見えるんだわこれが。 『和名類聚抄』
似鱉、有四足、喙長三尺、甚利歯、虎及大鹿渡水、鰐撃之、皆中断
訳:鱉(スッポン、もしくは何らかの水生爬虫類)に似て四足あり、吻長3尺、歯は非常に鋭い。虎や大鹿が水を渡ると攻撃し、仕留めて断つ
四本足… 和邇は天皇家から分かれた大豪族の和邇氏。(和仁、王仁、丸)
素ウサギは日神(昼の神)と月神(夜の神)とを兼ねた旧来の最高神。、、、その神を信奉する一族や勢力。
ウ、偉大な。尊大なる。
サ、神霊
ギ、男性尊称
ウサギ神を信奉する勢力と和邇氏(海の民)の利害が一度は一致して連合、連携するも
増長したウサギ神側にやがて和邇氏側が盛大に造反し離反した(倭乱、倭大乱)?
身ぐるみ剥がされ赤肌になった、、、死んだ。
、、、ウサギ神と一族郎党(正当王権)は滅ぼされた(排除された。滅亡の瀬戸際に立たされた)。 そもそもワニという生物を表す日本語は、いつ頃から使われ始めたのかと ・ウサギは宇佐氏の隠喩
・鰐は和邇氏の隠喩
和邇氏は海洋航海氏族なので日本列島内に止まらず、遠く海外まで交易のため進出。
それに宇佐氏が便乗。
宇佐氏は海外から様々な文物、文化、渡来人などを引き連れて自身は富む(本拠地である宇佐八幡宮における多国籍文化・宗教の重層化した賑わいぶりの理由がこれ)が、様々な理由をつけて和邇氏に航海の対価を支払わず。
これにブチ切れた和邇氏に軍事攻撃を受け半壊滅。
つまり
「無賃乗船→半殺しの刑」に処せられる。
これが「因幡の白ウサギ」の逸話の真相。 サメの中にフカやワニがいるだけでサメの仲間に変わりない
クジラやイルカの中にシャチやスナメリがいるだけでクジライルカ類に変わりない
それより、当時のサメ・フカ・ワニの区分が今と同じでいいのか? 和邇。
和は多分、和国
ワは自称(わたしの原型?)
邇は、近い(親い?)の意味合いがあるようです
黎明期の天皇家(この時代は単なる有力な1豪族かも)の兄(大倭媛命/大海靈女命(ヒミコ)/天造媛女(大王家)の婿)から始まる和邇氏。 素直にワニだろう。
実物はいないから、伝聞による怪物イメージだろうけど。
サメとすると、続きの話がおかしくなる。
嘘がばれて毛皮をはがされて泣いていると
1)最初に通りかかった人が「海水に浸って乾かせば治る」
→ 傷がひどくなる
2)あとから大国主が来て、「真水であらって蒲の穂をつけろ」
→ 治る
サメだと毛皮をはがれたのは海中であり、体は海水で濡れたはず。
人と話すのは地上だから、すでに海水に浸って乾かした状態だろ。
その後、1)の部分で白兎はまた海水に入って乾かすのか?w
ワニに海岸で襲われたとするなら、話は通る。 ワニの伝説をワニのいない地域ではサメで代用
狐が化かすという話を狐がいない地域でタヌキで代用したようなもの 同じ出雲神話にヤマタノオロチがあるよね。
実在するはずがないから、「蛇が8匹」に置き換えるのかよ?w
因幡の白兎はフィクションであり、実話ではないから
日本に実在しない伝説の怪物(ワニ)でOKだと思う。 わしも「鰐」で良いと思います派だが、ヤマタノオロチに関しては「八人の豪族、部族の象徴化」という説も面白いと思うてる 和邇。
ハニ。、、、埴(土器)は出雲族の得意とするところの技。その集団。 南方のワニのお伽噺の伝承の変化したもの
だからワニ 古事記は朝廷側で編纂され、お偉いさんに捧げたんだよね。
山陰の方言でサメをワニと言っても、朝廷側の人間がワニを知らないなら
編纂の段階で朝廷側標準語のサメに修正してしまうか、
ワニと記した上で「ワニとはサメのこと」のような説明を入れるはず。
そうじゃないと、朝廷側のお偉いさんが読んだときに「ワニって何だ?」となる。
つまり、朝廷側で理解し得る言葉として「ワニ」が存在したわけだ。 和邇。
ハニ。、、、埴(土器)は出雲族の得意とするところの技。その集団。 亜熱帯地方の民話が混入して伝承されてきた中で成立した伝説
元は鰐 お寺などにある鰐口(わにぐち)も古くからありますね。
鈴を平べったくしたようなもの。
↓ Wikiの説明。現存する最古のもので1001年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B0%90%E5%8F%A3
江戸時代に描かれた「百鬼夜行絵巻」で、この鰐口の妖怪がある。
ワニの妖怪ではありませんが、結構笑えますw
http://www.i-rekihaku.jp/gakublo/tokubetsu/71
古代において正確なワニの知識はなかっただろうけど
水辺の化け物みたいな伝聞の知識はあったんじゃないか? そうだよね。日本の金毘羅・金比羅=サンスクリット語でKumbhra。
これも「鰐」の意味でガンジスの鰐が神格化されたのだとか。
こんな伝播の結果もあるし、何らかの伝承や伝来で太古の日本にも鰐のイメージが存在したかもしれない。 私も、和邇とハニ(さらにその内の「ニ」は、赤土、朱砂を意味する「丹」と関連があるような気がしています)には、なにか重要な繋がりがあるような気がしています。
あと、「ヤマタノオロチ」伝承は、『出雲国風土記』には全くその記載がないことがとても興味深く感じます。
結論を言えば、出雲以外のどこか他地域の伝承であろうと考えています。
それが『記紀』編纂者側においては、出雲の伝承、ということにしなければならない事情があったのだろうと、そのように考えています。 平安時代に書かれた辞書である和名類聚抄には和邇は鰐であり、スッポンのような巨大な爬虫類で川を渡る鹿を食うと書いてある。
少なくとも平安時代にはワニが爬虫類の鰐であることは知られていた。 ワニは爬虫類でも特別な生物。密猟は王者を怒らせるだけだ。ヒトを
見つけ次第食べる恐ろしい。 幕末の浮世絵師、歌川国芳は鰐鮫(ワニザメ)を多く描いてる。
http://chinaalacarte.web.fc2.com/kanshou-175.html
一枚目は鮫というより巨大な鮭(サケ)にも見えるw。
その下の絵は明らかに鰐だ。想像で描いてるんだろうが
かなり鰐に近いよね。森島中良の『紅毛雑話』を見てる可能性も。
http://yamtai.tumblr.com/post/5693153699/紅毛雑話-4
因幡の白ウサギを酷い目にあわせるのが鰐鮫だ。
国芳は鰐鮫を神の化身のように扱ってるみたいだな。 話はズレるが因幡の白ウサギが大国主命にガマの穂綿にくるまれと
助けてもらうのだが、これがガマの穂綿の形状だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ガマ
チクワに似ているね。
昔の蒲鉾(かまぼこ)はこうしたチクワ状のものだったらしく、
昔で言うならガマは蒲鉾に似ているんだ。原料も現在ののような
海水魚ではなく淡水魚のナマズだったらしい。
ナマズ・・鰐鮫とは鯰(ナマズ)のことじゃねーのか? ガマの写真:スマソ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ガマ#/media/File:Typha_latifolia_02_bgiu.jpg ウィキの住所って貼れないんだな・・もうええわ・・スンマセン・・ 鰐だよ。爬虫類の鰐のイメージの影響が例え間接的であれ大なんだよ。 /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
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l l '''''''''''''''''''''''''''''''''''''' ̄l | |
https://www.youtube.com/watch?v=dFj6B-dIKY8 因幡のシロウサギ的な話は南方系の地域には何種かあるんでせう? 日本神話の鰐(ワニ)を鮫(サメ)だと言うのは間違い
鰐は爬虫類のワニで合ってる
東アジア最古巨大ワニ化石、島根で発見 2000万年前
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG12048_S3A910C1CR8000/
マチカネワニ(待兼鰐、Toyotamaphimeia machikanensis)は、更新世(ミンデル氷期-リス間氷期頃、30-50万年前頃)に日本に生息していたワニ。体長約7メートルの大型のワニである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%8D%E3%83%AF%E3%83%8B
大陸との接触以降、古い中国語でイリエワニを指す語であった「鰐」という字・概念が輸入された。『和名類聚抄』では「鰐」を「和邇」と訓じ、
似?、有四足、喙長三尺、甚利歯、虎及大鹿渡水、鰐撃之、皆中断
?(スッポン、もしくは何らかの水生爬虫類)に似て四足あり、吻長3尺、歯は非常に鋭い。虎や大鹿が水を渡ると攻撃し、仕留めて断つ
と解説している。
和邇が鰐であることについては、丸山林平が1936年『国語教材説話文学の新研究』において『和邇伝説』と題した章を設け、和邇はサメであるとする説(以下、鮫説)を否定し、和邇はワニである(以下、鰐説)と断定している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%8B#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E8.AA.9E.E5.90.8D
イリエワニ(入江鰐、Crocodylus porosus)はクロコダイル属に分類されるワニの一種。
インド南東部からベトナムにかけてのアジア大陸、スンダ列島からニューギニア島、及びオーストラリア北部沿岸、東はカロリン諸島辺りまでの広い範囲に分布する。
後述のような海流に乗って移動する生態から、オーストラリア北部には近年になって東南アジアから海伝いに分布を広げたと考えられている。
日本では奄美大島、西表島[4]、八丈島などでも発見例がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%AF%E3%83%8B
八重山諸島に鰐が居たという公文書もある
八重山諸島の住民は鰐を捕獲して食べていたという記録が残ってる >>148
アフリカを出たユーラシアン・アダムは6-8万年前
これは新人の祖
この内のD系は2-3万年かけて、イリエワニが生息するインド南東部からベトナムにかけてのアジア大陸、スンダ列島、奄美大島などを通って日本に渡来しているので
日本神話に登場する八尋鰐などの古代のワニは爬虫類のワニで合ってる
縄文海進時の温暖化などを考慮すると日本列島に到達したイリエワニもいただろう
縄文海進時(6,000年前がピーク)は黒潮流速が増加するから尚更
https://www.jamstec.go.jp/frsgc/jp/press/050721/index.html
だからウサギが縄文海進で島に取り残されて
黒潮に乗って来たワニを伝って本州に戻るんだな
日本神話はD系の天皇家の話
D系はイリエワニの生息地を通って来たから
ワニから皇祖が生まれる話が収録されている 素朴な疑問。
記紀編纂時には日本に鰐はいたの?
もういなかったとして、鰐が日本から絶滅してから記紀編纂時までどのくらいの年月が経っているの?
仮にいなくなって何万年単位の時間が経過していた場合、そんな動物が民族の記憶として残るものなの?
また、世界的に見てそのような実例はほかに存在するの?
ちなみに、虎は一万年ぐらい前まで(だったかな?)、日本列島が大陸と切り離されてしばらくの間は九州あたりには生息していたことが分かっているが、日本神話に虎に関係したエピソードは存在しないよね(のちの中国などからの輸入譚などは除く)。
さらに仮に伝承として鰐の話が残っていたとしても、いなくなって万年単位とかすでに久しい時間が経過している場合、いま(=記紀編纂時点)に存在する動物に置き換えられた、あるいは合従された、という可能性はないの?
出雲の海岸から隠岐の島の話だとしたら、あの海域はシュモクザメが多く現れる海域としても有名である。
よって記紀の編纂がされる頃には、日本列島住民の間では、鰐と鮫が合従されていた(一種のキメラ化していた)という可能性は? 東南アジアからの渡来人からしたらこの間までいた場所の情報だからね ロシアの日本研究者アレクサンドル・メシェリャコフ氏の震災5周年に寄せたコラム
「悲劇にも動じない日本人の姿
このような未曾有の自然災害によるカオスの中にあっても、
人々は、「日本人としての本領」を決して失うことはなかった。
人々は、死を目前としても自らの矜持を守り抜いた。
ロシアの作家ボリス・ピリニャークは「日出る国のルーツ(Корни японского солнца) 」の中で、
こう書き記している。
「震災による大火事の後、生き残った人々が、死体を埋葬するために集まった。
人々は、多くの死体が整然と並んだままの状態で丸焦げになっているのを
目の当たりにした。それらの死体の下からは、
まだ息をしている子供達が見つかった。
大人達は、皆でまとまって整列し、自らの体を焦がし、
炎からの盾となることによって、子供達の命を救ったのであった」
ポーランドの外交官スタニスラフ・パテクは、
震災後の混乱の中で生き別れた父と娘が、奇跡的に再会した場面を、こう書き記している。
「震災後、離れ離れになっていた父と娘が、偶然に路上で再会。
遠くにお互いの姿を見つけた後も、
父と娘は、駆け寄って抱き合ったりすることはなかった。
歩み寄った二人は、日本の礼儀作法のままに、
体の前で手を合わせ深々とお辞儀をし、
静かにただ一言「こんばんは」と言葉を交わしたのであった。
この時、二人は、お互いに相手の体に触れることはなかった」」
http://www.nippon.com/ja/column/g00353/ >>151
40万年前の化石は見つかってるはず
まぁ揚子江下流に住むワニを倭人が知ってたんだろうね
さすがに40万年前の記憶なんて木っ端みじんに消えるやろし まぁ、「***の可能性は絶対無い」という証明はできないねw
記紀が8世紀、仏教が6世紀、魏志倭人伝が3世紀、漢書が1世紀くらいで
古事記の何百年も前から周辺国との交流があるわけで
いろいろと伝聞の知識があるんじゃないかと思う。
ちなみに虎なら、記紀でも使う十二支に寅があるし(羊や竜も)
高松塚古墳(700年頃)に白虎の壁画があるよ。 ( ^ω^)━・~~時間の許す方は>>1からここまでROMってみると結構オモシロイと思いますお >159
クビラ。〇
和邇、、、和を草書体から平仮名に崩して逝くと『は』になると思うので
和邇はまた、ハニ(埴輪のハニ。土。土器製作)でもある予感がして
それを得意とする出雲族を暗示している? 古代日本においてワニとは水に住む体が硬い危険な動物の総称
水に住むトゲトゲの体が硬い危険な動物がウニ
水に住むハサミを持った体が硬い危険な動物がガニ(イガウニ)ことカニ
でっかい生き物の総称がオニ
でっかくて水に住む体が硬い危険な動物がワニ
ウミヘビもサメもワニも全部ワニ >>160
ひらがなの「わ」は、「和」が元だよ。
ひらがな「は」の字源は「波」。 やはり因幡の鰐の背景には爬虫類のワニが見え隠れする http://www.minakatella.net/letters/12tawara37.html
要するに和邇が鮫にして※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)でなきは疑いを容れず、
ただし熱地には※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)が海辺に出る事も鮫が川に上る事もありて動物学の心得もなき民種はこれを混用するも無理ならず、
したがってオラン・ラウト人ごとく二者を兄弟としたり、ペルシアの『シャー・ナメー賦』に※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)大海に棲むとしたは有内ありうちの事だ。 純然たる海産のワニではなく汽水域の生息
無知な上に文盲の>>169を発見しますたwwww >>170
>>165は純然たる海産のワニなんて一言も言ってないだろ
書いてないことが見える病気か?
海水に爬虫類のワニはいないって言ってるから
海水に爬虫類のワニがいる例としてイリエワニを出してるわけで
日本語を理解しろよ低能 >>172ガイジよ
隠岐と本州の間にあるのは何だ? アナタ ピリピィーン?
ピリピィーン セローイ!
ピリピィーン セロイセローイ!
d.パレモンゴリーデ(南蒙古人種)
茶黄色、低身短頭で、顔は丸くやや広鼻。中国南部から東南アジアに
広く分布。
ピリピィーン セローイ!
ピリピィーン セロイセローイ! >>173
イリエワニは海流に乗って日本列島まで到達する だが爬虫類の鰐のことをwaniないしそれに近い言い方をする日本語以外の言語なんてどこにもないだろ
そこはどう落とし前をつけるつもりだ >>177
東南アジアからの移民が地元の説話を伝える時に
日本にいるワニ(サメ)で例えたんじゃない? >>180
因幡の白兎と鰐の話に南方の説話が混入している可能性はあると思う 和邇。ワニ。
別の音読みには、
「オニ」。鬼、王仁(ワニ)、王爾、王弐(ワニ)
「オジ(清音化して、オシ?忍、押)」。越知、尾子、渡、小千(小千氏)、越、尾地、越智(越智氏)、、、
また、「カニ(蟹、可児、)」「カジ(楫、柁(陀)、可児、河鹿、梶、)」。 >>1
和邇氏は、宗像氏と同じ大国主直系の神門臣家分家らしいよっ 向家・富家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−D深淵之水夜礼花−淤美豆奴−F天之冬衣−八重波津身(事代主)−H鳥鳴海−I国忍富−L田干岸円味−N布忍富取成身−O簸張大科戸箕−弩美宿祢(野見宿禰)−飯入根
神門臣家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−
E八束水臣津野−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−G八千矛(大穴持・大国主)−伊佐我(伊佐波)=出雲建子(伊勢津彦)・阿遅須枳高日子−鹽冶毘古能−J速甕之多気佐波夜遅奴美−K甕主彦−M身櫓浪−P遠津山崎帯−Q振根=倭健(日本武?)−伊賀曽熊の子↓
建部(武部)と出雲笠夜の島氏=斯摩宿禰(志摩・島−島谷(散自出雲族?))
宗像家・和邇家←この位置
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−E八束水臣津野−吾田片隅−田心姫・多岐津姫・市杵島姫(宗像3女神。) 和邇。
人名、家名、氏族名に「邇」が用いられる時、
それは、〇〇と同族/同源。近(親)しいもの
和邇とは、和(倭)と同族。ないしは近しい者(近縁関係)ぐらいの意味となりますよ? >>189
ここで海部氏の勘注系図に天火明命の六世孫(七代目)世代に宇名比日女命(初代ヒミコか?)の名が記されています。
このお姫様が(後の)天皇家の兄君と結婚なさってこの子孫ら和邇氏の始祖となります。
黎明期の弱小天皇家と大倭大王家(天火明命の系譜)の合従連衡の証みたいな氏かも。 縄文人の祖先がナウマン象追って日本に来たころは日本は亜熱帯。
ちゃんとマチカネワニの化石も出土してる。
また、ワニは水際に並ぶ習性があるがサメにはない。
神話成立の時代には居なくなった可能性は高いが、
民族的記憶(口承など)で伝えられていたことも十分有り得る。 ワニって言ってんだからワニだよ
サメならサメって言ってる
日本人を馬鹿にしすぎだな 和名シロワニというサメの種類もある。
「でかい口で人を襲う恐ろしいモノ」として混同されたふしがある。
例えばトヨタマヒメノミコトの出産シーンは
どちらかというとサメのイメージ。
これも実物の鰐を直接目にする機会が
無くなって久しい為に混同された可能性がある。
だから「ワニ」と表記されていても登場シーンごとに
どちらなのか判別する必要がある。 自慢ではありませんが私は神話学の博士号持っています。
chiebukuro.yahoo.co.jp/my/kumahanter777 自慢ではありませんが私は神道学の博士号を持っています。 >>23
因幡とは表記していないのな。稲場、、、稲藁が堆く集積された神聖な場所、、、伊勢神宮の正宮等の様式の大神殿
ウサギは宇佐の神(九州(筑紫)からヤマトに降臨した神祇)。
神話中、何度となく神や貴人らが九州からヤマトに行く(降臨)話を失念してはダメですよ?
和邇氏はいわゆる海部、海運を支配した氏族。
ワ(ハ)タナベもワタ(海)ナ(領した)ベ(部民)
同様に秦氏の秦シンをハタと無理やり読ませたハタも海を意味しています? 海の中に鰐はいない。
よってトヨタマヒメノミコトはサメ。
竜宮は大陸から借りてきた概念。
日本書紀にある浦島の記述には竜宮の名は無い。
そもそも日本古来の概念に龍は無い。
鰐は龍神ではあり得ない。
だから鰐=龍神て誰の説?
根拠の無い事をもっともらしくほざくのは馬鹿の証拠 海に棲む鰐はいる
イリエワニ
不勉強で断言は馬鹿の証拠 こんなのあった(ダーウィン辞典というサイトから)
〜川の王者イリエワニが、10年ほど前から、海で観察されるようになりました。
沿岸部に留まらず、100キロも沖にある島にまで泳いで渡るものまでいるんです。
島に上陸したイリエワニは、産卵のために砂浜にやってくるウミガメを襲っていると言う。
一体、なぜイリエワニが最近になって頻繁に海で目撃されるようになったのでしょうか。
この謎を解くために地元の研究者らは、このワニにGPS発信器を付けて行動を追跡する調査を開始しました。
そのデータからは、イリエワニが魚の産卵行動などに合わせて川を20キロ以上も一気に移動することや、海に出て別の川にも出没沿岸部に留まらず、100キロも沖にある島にまで泳いで渡るものまでいるんです。
。嵐の接近時には2日ほど前から避難行動を始めている様子など、想像以上に活発で頭脳的に行動している姿が捉えられました。 和邇氏。、、、和(倭)氏(と天皇家)から出た近親(邇)氏族位の意味。
系譜からもそれは読み取れます。
和邇。、、、倭奴? 上の方に書いてあるじゃん
イリエワニは海を渡って日本列島まで来てたって ネズミ、、、根棲み。根の国(出雲?)に棲む神、、、スサノオ?
ウサギ、、、古来、月神の使い。ないしは月神。また、上古には月神を天照神(暗闇を)と言った。/月神かつ太陽神(最高神)
または、そのまま?宇佐の神(秦氏の神?) 和邇氏は後には丸氏とも。
マル、、、丸、円等の地名は和邇氏関連だったかも? >>220
マルチ豚うぜー
誰も開いて見たりはしないよ 日本神話が拡散されたという可能性を排除してはならない 南方の海で遭難して出雲に流れ着くことはあり得るが
出雲で遭難して南方に流れ着くことはあり得ない 神話が伝播するのに必要なのはワニじゃなく語る人間
あと、因幡の素兎と海幸山幸神話はまったく接点のない別物
登場するワニも同列に語ってはいけない >>230
遣唐使の南方ルートのように、船で南下していくこともできるんだよ 6000年前の東北の土器が沖縄で出土したりしてるしね。 縄文時代には北海道から沖縄まで交易ルートがあるからな ウラジオストク周辺の大陸からも、縄文時代の日本産の黒曜石が出土してますね。 南方、ミクロネシア方面…広い地域に因幡の白ウサギと似た話があるらしいね 和邇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E9%82%87
サメ説とワニ説の両方を読んでみれば、ワニ説が正解だと分かる。
戦前に論破されたサメ説が戦後になって、戦前を否定する風潮に乗っかって学会で調子に乗ってるだけなんだな。 >>243
単にワニ派が猛烈に加筆してアンバランスになってサメ派が弱いように見えるだけっぽい そうでもない印象 やはりワニ説の強みなのではないか キツネに霊力があると言う話がキツネのいない地域ではタヌキで代用したのと同じだよ
ワニの話がワニのいない地域でサメで代用されたんだよ 代用もなにも和邇って書いてあるんだから
サメと書いてあるけどこれワニのことじゃない?ってんなら代用だけれども まあ実際南シナ海あたりで遭難すると海流の関係で島根に着くことは多いからなあ 発音としてワニがどうなのか…も大事だけども、南方や海外に因幡の白兎と内容の酷似した話がある
それが日本に届く可能性は否定できない
…という事が大きいポイントだと思ったりする 日本から東南アジアに伝播したという可能性を排除してはいけない
中世に日本から東南アジアへの入植が行われていた
移民した日本人が自らのアイデンティティを確保するために日本神話を口承した結果である可能性もある いわゆる「ドゴン族の神話」におけるシリウス神話の形成と同じパターンである可能性があるということ フランスの植民者の民話がアメリカ先住民の神話になったという話もあるね(レヴィストロースの『大山猫の物語』)
ただ、ドゴンの場合もアメリカの場合も、物語の発出点は圧倒的な文明力を持った側なので
東南アジアにとって中国はそうであっても日本はそうでないから微妙なところだな
「排除できない」けど「考慮に入れる必要もない」レベル >東南アジアにとって中国はそうであっても日本はそうでないから
中世の日本も当時の中国と同じレベルの文明力だったので
「考慮に入れる必要もない」レベルではなく、十分考慮するべき事案
東南アジアに日本人町が出来、移民日本人が国家中枢に入り込むレベルだからね 因幡の白兎の元ネタ古事記の編纂の時代は、我が国はまだ中国に先進されていた時代
大陸からの交流関係(遣唐使等)によりモタラサレタ文化・お伽話の影響など含まれる可能性も 中世の東南アジアに日本人町が出来て、移民日本人が国家中枢に入り込んだのは事実だが
それより前の古代に、華人が移民している
日本への文字の伝来は2000年前から始まっており、そこから600年以上文字を使った交流を重ねた上での古事記編纂
東南アジアも日本も、中国を中心とする文明を元にしている
アラブの千夜一夜物語の『アラジンと魔法のランプ』も中国の話
古代文明の文字を現在も使用しているのは中国のみ インダスからメソポタミアへの文化の移動が5000年前にあった
メソポタミアからエジプトをへてギリシャへ文化の移動があった >>265
なにが中国を中心とする文明を元にしている、だ
言語が全く違うじゃねーか 生き肝を採られそうになった猿が、亀をダマシて竜宮から逃げるような話だったかと 龍宮の乙姫が病気になりサルの肝を食えば治るという事で龍宮にサルが連れて来られる 猿、龍宮でその事情を立ち聞き
今わしの肝は木の枝に引っ掻けて干してある
だから戻らねばわしの腹には肝はない
そう騙して逃げるおはなし 古事記と言えども何らかの国際的交流・異文化流入の影響下 神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
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UMW 遠いワニの生の(実際に見た)記憶か、南方話の流入か >>271
元の話は逆
サルタヒコが死んだときの話が元にある
御伽噺はそれを元ネタにして創作されたもの 結局、因幡の白うさぎの海渡りのエピソードは南方由来の話が淵源なんだろうか… 奴ではなく考慮に含むべき発想な
狭量なる決め付けこそ危険 あったかもね 海流に乗って
確かそういう実験もされてるんだべ? なんか途中の中継点の一つがイースター島とかいう説もある 米国西海岸の川岸で発見された『ケネウィック人』の化石が、縄文人(縄文時代の日本人)ではないのかという学説が発表されたとか ♪海はよ〜〜 海はよ〜〜 でっかい海はよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 >>316
現在日本人におけるゲノム上の縄文人由来の割合と、Y-Qの割合は、整合性あるね ここ最近、板もスレも少し活気づいて大変に悦ばしい
和邇は鰐派の私 ♪私の〜ラバさん〜酋長の〜ムスメ〜
色は〜黒いが 南洋じゃ〜美人〜…♪ 昔々TVムックというJT提供のテレビ番組があり、一度この件が取り上げられた事があったと思う
和邇はワニ説も出ていた様な記憶 BS放送やスポンサー(視聴率)に気を使う必要の無いNHKの番組に歴史エピソード検証番組等は時々あるみたいだけどね ああいうタイプの番組の支持者は日本では視聴者としては少数派なのだろうか。 歴史を読み解くみたいな番組はBS入れると結構ある様な気もする。 東南アジアに似た話があるのは
中世に日本人が植民した結果という可能性もある ドゴン族の例を見ても分かるように
むしろそっちの方が濃厚だな 大阪の豊中市でマチカネワニという約45万年前の鰐の化石が発見されてるよね
例えば1億年前も豊中辺りの気候は現在とあまり変わらなかったと、その気候の中で生息していた鰐
日本に鰐の記憶が残る可能性が見える気もする マチカネワニの化石は大阪大学で常時展示だったかな。 お、既出だったんだね!
やっぱり、因幡の和邇は鰐だったんじゃないかなあ
爬虫類の 約2000年以上昔にインドで開かれた仏教
仏教(上座仏教)説話のいわゆる釈迦の前世ものの中に既に「猿が鰐(ワニ)を騙して川を渡る話」がある
我が国への仏教伝来は538年、またはその前後であり、古事記成立は712年
仏教伝来の流れの一環の中で、このインドの鰐騙しの話は何気に伝わり因幡の白うさぎの成り立ちに影響したかもしれない 猿や小鹿の鰐騙し譚はインドネシア方面等の南方に古くから分布している
更にその元はより古い仏典と思われる(釈迦の前世譚の一つに猿王が智慧で鰐王を騙し川を渡る説話がある) コノハナサクヤヒメ神話がアダムとエバの楽園追放譚に「由来」するかというと、恐らくそうではないだろう。
神話的エピソードは大抵、類似するものが世界中に広がっていて、その起源なり伝播ルートを解明しようとすれば、比較的(comparative)・文献学的なアプローチが必要になる。安易な出土年代比較や類型論的アプローチでは無理。 日本には鰐を見た可能性やその記憶の残留の影響可能性も、還流する南方系お伽話の影響の可能性もあって面白いなw
今後色々な説に触れていきたいものだ >>357
それ面白いからそれを示す文証、文献等を教えて 結局どちらにも欠片も根拠はないんだよなあ
語順が似てるから日本語とトルコ語は同系だって言うのぐらい根拠がない >>357結構重要だ
そのソース出してくれ こちらにはそんな資料は見当たらなかった >>357
はよ。材料無しで出鱈目言ってみただけか? シャチだろ
プレシオサウルス ノトサウルス モササウルスかもしれんぞ ワニ。は、そのまま川に棲息する鰐でオッケー?
出雲族らが信奉する龍蛇神の原形の一つが件の鰐。
何となれば、ワニは出雲族を比喩したものと考えられます?
かたや、ウサギさんは、そのままウサギ=月神の遣い/月神の顕現と言うのは古来デフォルトなので、
月神信仰をゆうする豊国の宇佐族(〜出雲神族とコラボしたのが宗像家)の事で有ろうと判る仕組みですね?
、、、宇佐神宮(八幡宮)にお祀りされている応神天皇ですが、
神功皇后が生んだホムタ御子が幼逝したため、
秘密裏に、たまたま年格好が同じだった関東の国造と成っていた宇佐族の御子、竹葉瀬君を養子に迎え成人〜即位なさったモノ。
なぜそんなややこしい事をしたか?の理由は神功皇后らが苦労の末に成し遂げた半島からの莫大な権益を守る為 >>372
この半島諸国からもたらされる莫大な年貢収入が後に、河内の巨大古墳群や仁徳天皇による三年間の税の免除等の原資に成ったのではないか? まあ東南アジアから日本、ロシア東端、アラスカからアメリカ大陸へと続く交流の深さ、これら民族か同祖同文化であることは常識なわけで
この太平洋沿岸圏の中にいる日本人が鰐を知らないわけないよね
更に相模国風土記稿によれば影取町の由来である影取池にいたのも元々は蛇じゃなくてわに
池に鮫がいるわけないからこれも鰐のことで鰐の存在は昔から常識
ちょっと調べて得た知識なんか信じちゃダメだよ笑 同祖でなくとも文化に共通する要素は見えるのは確かだが、それは兎も角として爬虫類のワニが因幡の白兎の話には出現。 大勢の鮫が背ビレのある背中を水面から出して横に並ぶという様子は想像に描きにくい 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青と6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青と6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B宇野壽倫(東京都葛飾区青と6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
異臭を流し込んでくるなどの嫌がらせを何度も繰り返ししつこく行ってくる嫌がらせ犯罪者である
C色川高志(東京都葛飾区青と6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
D清水(東京都葛飾区青と6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
E高橋(東京都葛飾区青と6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青と6−23−20) 鰐もサメも双方の支持者が納得する決定打が難しいな。 南方経由で来た日本人の祖なら鰐の記憶もありだろうぜ 因幡の白兎的なエピソードは南方の民話などにあるもんな。 ワニ見た事がある人間の往来も太古からあったんじゃねーの。 ポリネシア、オーストロネシア系の集団が行き来していたから知っていただろう
また、イリエワニが温暖期に日本に到来していただろう そうなると
出雲の神話は仏教がベースってことになるね
日本書紀、古事記、風土記が編纂された時点で作られた話だとするとあり得る
仏教推しの蘇我氏
日本書紀「須賀がなまってソガ」
スサノオが鎮座した須我神社は日本初之宮
出雲大社真裏の素鵞社(そがのやしろ)は祭神スサノオ
蘇我入鹿を祭る入鹿神社の祭神はスサノオ
蘇我氏が支配する体制を終わらせて天皇が支配する体制を確立した、大化の改新→天智天皇→天武天皇→日本書紀、古事記、風土記が編纂
大化の改新の前と後が、蘇我氏支配→天皇支配、スサノオ系→アマテラス系への国譲り 天武天皇は蘇我氏のバックアップ、蘇我氏が強かった飛鳥に執着、皇子時代の名は大海人、スサノオは大海原を支配、ワ
天智天皇の男系子孫の桓武天皇(山部天皇)で平安京へ、山人、ヤマト
天武と天智は兄弟じゃない説有り
スサノオ→海幸彦→蘇我氏→天武→断絶
アマテラス→山幸彦→天皇家→天智→桓武→今上
スサノオ系なのに天武が記紀編纂した理由は、海と山の争いを終わらせて日本を統一するため
そのために神話を編纂し、系図を編纂し、一本化 面白いね。編纂目的は大義名分立てや権威付けだしね。 始皇帝の命を受けて蓬莱の国に渡ろうとした徐福を邪魔したあれの話と全く被ってるやん 俺はシャチだと思うが…
宇佐氏と和邇氏の争いが神話化したの説も捨てがたい そもそもサメで代用なんてしてすらいないぞ。
勝手に「このワニってのはサメだろう」と後世の人間が一時期言ってただけ。 今回の台風の影響で元ペット鰐の類いが何処かの河川や湖沼で見つかったり、移動があったりせんかな... 因幡の白兎の鰐の存在、ジャータカ物語などからの影響か、生きた鰐が絡んでいるのか興味深い 日本神話により何を覆い隠したか
北伝大乗仏教伝来よりも昔に、南伝上座部仏教が伝来していたとしたら
日本神話は南方からの渡来を覆い隠していると言える
ワニをサメだと言い出したのも、南方からの流れを隠すためでしかない
南方からの渡来を隠した結果の天孫降臨だとすると
やはり天皇の出自を隠すための日本神話と言える
東南アジアから北上してきたことを日本神話で隠した 北伝大乗仏教を大々的に利用したのも
南伝上座部仏教が伝来していたことを隠すためとも考えられる 東南アジアまでヒンドゥー教や南伝上座部仏教が伝来していて
黒潮でそのまま日本列島に伝来していたとしてもまったく不思議ではない
むしろ陸上伝来の北伝大乗仏教より海上伝来の南伝上座部仏教の方が先に日本に伝来していると考える方が自然 元はインド仏教として同一だったとしても
カトリックとプロテスタントを別の宗教と認識していたように
南伝上座部仏教と北伝大乗仏教も別の宗教と認識していたとすると
そしてカトリックとプロテスタントのように両者が教義や信者の取り合いで争ってたとすると インドのナムチはインドラ(漢訳 天帝・天皇)に負けた
日本のオオナムチは因幡の白兎を助けて国造りを行うが、天皇の先祖に国譲りを迫られて負けた 古事記や日本書紀編纂より仏教の存在の方が古いしな。 当時の日本で鰐を見ることもあったのかもしれないが、鰐を騙して海・川を渡る-というパターン、エピソードの形態がジャータカしてるんだよね。 そのでかいムーブメントの中だろうが、日本の正規の記録のつくい以前かもね。 調べれば調べる程ワニなんだろうなと思うけどもどうしてもサメであってほしい
日本の話なんだから馴染み薄いワニよりサメの方が良いじゃない?
ワニよりサメの方が好きだし、可愛いし サメやイルカは良く打ち上げられて目にしたらしいから、海外からワニという言葉だけ伝わってきて、サメやイルカにワニという名前を充てただけなんでないのかなと思う
ワニの刺身といってサメの刺身を食べるよね、あの辺の人たち >>428
動物っぽい名前が神話化するのは良くあるよ
桃太郎だって本当は全員が人間なのに名前の語感で動物にされてしまった ちなみにワニは、ハワイ語だかマレー語だかで船を意味するらしいよ(ワァヌィ=船) 帆舟の形してるからワァヌィって呼ばれた説って意味ね
細切れでスマン >>148
>>149
イリエワニがいる長江流域で生活している、稲作発祥民族と言われている苗族最大の祭りでは東方の海の向こうにある究極の故郷へ祈りを捧げる
長江文明には日本文化と類似するものが多い
長江流域にも倭人がいると古代中国の史書に書いてある
最古の船は、氷期が終わった1万2千前から海面が上昇していき、大陸と切り離された日本で作られている
最古の稲作は12000年前の鹿児島→長江の方が後
最古の弥生式土器は7000年前の鹿児島→シニガイ文化の方が後
古代から日本⇔大陸の海洋交易を日本が主導していたので大陸と交易してた日本人は古代からワニを知っている
大陸から切り離された日本が必要として成立したのが船と海洋交易 古代からワニを知ってたら
サメのことワニなんて呼ばないような 少し前に出雲の古代王家(富家)の末裔の方が伝承を本にしていて
出雲族の祖先はインドのドラヴィダ人でアーリア人の侵攻から逃げてきたと書いている
(遺伝子などで科学的には証明されなそうだけど)
インドにはワニがいたから神話の和爾はそのイメージ、龍もワニから来ているということだ
日本語のルーツをドラヴィダ語(タミル語)に求める学者もいた
ドラヴィダの血は淘汰されて大陸の知識や言葉の断片だけ残ったのかもしれない
>>481
でも日本近海にいないのはたしかだからワニを知ってた一族がいたとして
子孫は鮫と混同するようになってもおかしくない 混同?
鰐を鮫って言い出したのは明治からでしょ
なんで明治政府が鰐を鮫って嘘吐いたかを考えたほうが良い ■ホツマツタヱによる船の名称
・ワニ…大型の帆かけ船
・カモ…小型の手こぎ舟
・カメ…大型の手こぎ船
■ニワトリのせいでワニに噛まれる事代主
賀茂氏が信仰する事代主は、小船(=カモ?)に乗っていてワニに手を噛まれたとか、荒れた海でワニに足を噛まれたとか、ニワトリが鳴いたせいだとか言われている
ニワトリには朝を告げて神事を終わらせる役割があるため、宵のうちに鳴いて神事を中断させると縁起が悪いとされる
なお、事代主だけでなく道真公(道明寺天満宮=土師寺の土師氏の末裔で土師氏の始祖野見宿禰は事代主の末裔)もニワトリに鳴かれている
ちなみにニワトリは古語で「臼辺鳥/ウスベドリ」と呼ばれていた
■ニワトリ(臼辺鳥)の声→餅つきの臼の音の比喩?
お彼岸(春彼岸/秋彼岸)に拵える「ぼたもち/おはぎ」はウスで餅つきの音をさせずにご飯をすりつぶして作る
・春は牡丹「ぼた餅/隣知らず(餅を "つく" 音がしない)」
・秋は萩の花「お萩/隣知らず(餅を "つく" 音がしない)」
・夏は「夜船(いつ "つく" か気付けない)」
・冬は「北窓("つき" が見えない)」
■ニワトリは天鈿女(オカメ)の神使い
・「ウス」ベドリ…頭に鶏冠(トサカ)を持つ
・アメノ「ウズ」メ…鈿はカンザシを意味する
ちなみに天鈿女が祀られる鈿女神社は「オカメ様」と地元民に呼ばれる
天鈿女はカメ(大型の手こぎ船)でニワトリを飼っていた?
■事代主が漕ぎ足を噛まれたのは刑罰?
・刖 yuè …足を切り落とす古代中国の刑罰
事代主≒ヒルコは不具で足が立たず海に流されている
なお天鈿女は天孫に従うと言わなかったナマコの口を小刀で切りつけている >>485
>■ニワトリは天鈿女(オカメ)の神使い
>・「ウス」ベドリ…頭に鶏冠(トサカ)を持つ
>・アメノ「ウズ」メ…鈿はカンザシを意味する
>ちなみに天鈿女が祀られる鈿女神社は「オカメ様」と地元民に呼ばれる
>天鈿女はカメ(大型の手こぎ船)でニワトリを飼っていた?
熊手を売る「酉の市」のことを「おかめ市」って言う地域ある
あと狂言では、おかめ、お多福、のことを「乙」「乙御前」と呼ぶ(オトは、劣る、醜女、末子などの意味)
熊手とか醜女とか子が足たたずとか、熊野のイザナミを連想する
ちなみに熊野にはイヤ/ユヤという読み方もある
熊野(イヤ/ユヤ)、窟/岩屋(イワヤ)、揖屋/伊賦夜/言屋(イフヤ)、元は同じ意味を指す言葉だったのでは >>481
ウミヘビだって魚類と爬虫類両方いるだろ。
>>484
嘘ついたというより複数ある説からサメ説を国定教科書に採用した。
現在サメの絵で描かれることが多いのは直接的には国定教科書に由来する。 >>485
事代主は釣りしてたって話よくあるけど、魚を釣りつつ鳥も釣っていて飼い主の怒りを勝ったんじゃないかと妄想してるw
>>484
嘘って何だよw
明治政府は標準語を定めたんだよ
ttps://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/293.html >>488
明治政府が標準語定める前から「わに」は爬虫類の鰐に使われてるからな。
平安時代の和名抄に有四足と書かれ、江戸時代の訓蒙図彙・和漢三才図会・紅毛雑話でも爬虫類のワニの絵に対して鰐(わに)という名前が使われている。
方言で鮫を和邇と呼ぶことを知ってる人でもこれを知らなかったりする。 うん、だから色んな方言がある中から標準語が選ばれたわけだからさ 明治政府が標準語を定めました
爬虫類の鰐=ワニ
魚類の鮫=サメ
うん、そうだね
でも、神話ではワニをサメと言い換えて教えました
それは出自を隠すためです
この古墳時代の日本人は、縄文系・北東アジア系・東アジア系の3系統の祖先によって構成され、
三重構造の構成としては、縄文系・北東アジア系(弥生時代に移入)・東アジア系(古墳時代に移入)の祖先であり、
この多重構造が古墳時代に成立し、現代においても同様の構造が見えているというのが我々の発見したことです。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20211001-00260989
・縄文系
・北東アジア系(弥生時代に移入)
・東アジア系(古墳時代に移入)
の3系統の混血が古墳時代以降の日本人の主であり
縄文系とは4万年前に東南アジアから北上した集団のこと
それが天皇の出自であり、それがバレると天孫降臨が瓦解して、天皇による統治の正統性が失われるから
ワニをサメって言い換えて出自を隠しただけの話
それは今でも続いているから
東南アジア系のみ縄文系って言い続けてる >>482
任那の中心、金官加羅国(狗邪韓国)
建国者首露王の妃はインド(サータヴァーハナ朝)の王女である許黄玉
加羅国=韓国=空国=仏教国
任那=那に任された地=イザナギに任された地
金官国=金属採取の役目の国
任那(? 〜562年)
加羅(3世紀〜6世紀中頃)
弥生時代の3世紀までに鉄器が普及していたのは北部九州地域に限られており、
日本のその他の地域から出土する鉄器は僅かである。
日本で純粋に砂鉄・鉄鉱石から鉄器を製造出来るようになったのは
たたら製鉄の原型となる製鉄技術が朝鮮半島から伝来し、
確立した6世紀の古墳時代に入ってからである。
それまでは朝鮮半島産の鉄を利用していた。 >>482
許黄玉はインドのサータヴァーハナ朝の王女で、
インドから船に乗って48年に伽耶に渡来し、首露王と出会い、
その時にインドから持って来た石塔と鉄物を奉納した。
許氏は首露王との間に10人の息子をもうけたが、
そのうち2人に許姓を与え、それが金海許氏の起源とされる。
2004年の学会発表によると、許氏の「インド渡来説」には遺伝学的根拠がある。
金海にある古墳の、許氏の子孫と推定される遺骨を分析した結果、
ミトコンドリアDNAは(韓民族のルーツである)モンゴル北方系ではなくインド南方系の特徴を備えていた。
サータヴァーハナ朝(Sātavāhana、紀元前3世紀/紀元前1世紀? - 後3世紀初頭)は、古代インドの王朝である。
デカン高原を中心とした中央インドの広い範囲を統治した。
パックス・ロマーナ期のローマ帝国と盛んに海上交易を行い、商業が発達した。
この時期の遺跡からは、ローマの貨幣が出土することで有名である。
王たちは、バラモン教を信仰したが、仏教やジャイナ教も発展した。 >>482
サータヴァ―ハナ朝では、特に仏教なども国家の保護の下で活動していた。
当時王妃を始めとした王家の女性はしばしば仏教教団に種々の寄進を行っており、しかもそれは国家によって奨励されて援助すらされていた。
2000年前にインドのサータヴァーハナ朝の王女とその従者たちが
鉄器製法技術と仏教をもって朝鮮半島南部に定着し金官加羅国(任那加羅)の初代王と婚姻した
北九州〜半島南部を中心に栄え、山陰にも勢力を伸ばし、これを出雲という
畿内からの国譲りに負けて吸収合併された際に、分家である出雲の長は日本海側から信濃に入り、諏訪に封印された、これが諏訪大社
本家である筑紫の那国(なのくに)の長は海神を祖とする安曇氏、これは太平洋側から信濃に移住したと説かれている
出雲は本州として大和と協力したから神話に組み込まれたが、筑紫は九州であり大和が国譲りを迫った側の本家本元だから隠蔽した
どちらにせよ、国譲りで負けた勢力が逃げ込んだ場所が信濃、というのは明らか
2000年前に
インド南部に栄えたサータヴァーハナ朝の王女とその従者が
鉄器製法と仏教をもって対馬海峡に到達し
任那日本府の中核を担う金官加羅国(日本が鉄採取のために半島南部に作った国)の初代国王と婚姻していたという事実
土着の自然の神々を擬人化した上でなければ仏教を説けないため
当然ながらサータヴァーハナ朝はバラモン教と仏教をセットで伝来している
(キリスト教を教える際にユダヤ教の知識が必要であることと同義) >>482
ダマスカス鋼とは、木目状の模様を特徴とする鋼であり、古代インドで開発されたるつぼ鋼であるウーツ鋼の別称である。
南インドで紀元前6世紀に開発され、世界的に輸出された。
tps://i.imgur.com/tGZ2XuC.jpg
天叢雲剣
天に群がる雲のような紋様を持つ刃の剣。
上座部仏教(南伝仏教)は東南アジアで止まっておらず、
約2000年前の時点でインド南部のサータヴァーハナ朝の王女が自ら布教しにきていたという事実
その王女は日本が鉄採取のために作った任那日本府の中核である金官加羅国の建国者と婚姻していたという事実
これら重大な事実を隠蔽している日本の史書と神話 >>482
銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。
中国江蘇省無錫市にある春秋戦国時代(紀元前770 - 同221年)の地方国家「越」の貴族墓(紀元前470年頃)から、日本の弥生時代の銅鐸に形が似た原始的な磁器の鐸が出土している。
日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に発展したというのが定説だが、発掘調査を担当した南京博物院考古研究所の張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると指摘している。
越(えつ、紀元前600年頃 - 紀元前306年)は、春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国。
首都は会稽(現在の浙江省紹興市)。
後に漢民族形成の中核となった黄河流域の都市国家群の周辺民族とは別の、南方の長江流域の百越に属する民族を主体に建設されたと言われる。
越は楚、呉など長江文明を築いた流れを汲むと考えられており、稲作や銅の生成で栄えた。
『史記』をはじめとする諸書では、夏の少康の庶子を越に封じたことを越の君主の起源とする伝説を述べている。 >>482
『呉越春秋』は夏の少康の庶子であった無余を最初の越の君主とし、また夫譚の前に無壬・無?を挙げる。『史記』越王勾践世家は初代から允常まで二十余世とし、『漢書』地理志は初代から勾践まで二十世とする。
越侯夫譚
越侯允常 - 『史記正義』によると、はじめて王を称した。
越王勾践(在位紀元前496年 - 紀元前494年)
呉の支配による空位:紀元前494年 - 紀元前491年
越王勾践(在位紀元前491年 - 紀元前464年)
越王鹿郢(?与)(在位紀元前463年 - 紀元前458年)
越王不寿(在位紀元前457年 - 紀元前448年)
越王朱句(州句、翁)(在位紀元前447年 - 紀元前411年)
越王翳(在位紀元前410年 - 紀元前375年)
越王錯枝(在位紀元前374年 - 紀元前373年)
越王無余之(在位紀元前372年 - 紀元前361年)
越王無?(在位紀元前360年 - 紀元前343年)
越王無彊(在位紀元前342年 - 紀元前306年?)
少康(しょうこう)は、夏朝の第6代帝。
『史記』越王勾践世家や『漢書』地理志粤地、『呉越春秋』によれば、少康の庶子である無余が会稽に封ぜられ、文身(入れ墨)・断髪したのが越の起源であるとされる。『漢書』によれば、文身断髪した理由は蛟竜の害を避けるためとされる。
『翰苑』巻30所引『魏略』逸文や『魏志倭人伝』にある倭人の習俗についての説明では、倭人が入れ墨を彫っているのは大魚や水鳥の害を防ぐためであるとして、この少康の子の故事が引き合いに出されている。 >>482
銅鐸が発見された記録は、『扶桑略記』の天智天皇7年(668年)、近江国志賀郡に崇福寺を建立するのに際して発見された記述が最古であろうという。
ただし、天智期の記事を詳細に記しているはずの記紀は、この出来事について全く触れていない。
『続日本紀』には、和銅6年(713年)、大和宇波郷の人が長岡野において発見した記事があり、『日本紀略』には、弘仁12年(821年)、播磨国で掘り出され、「阿育王塔鐸」とよばれたとある。
>「阿育王塔鐸」
阿育王=アショーカ王
アショーカ(訳:無憂〈むう〉、在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)は、マウリヤ朝の第3代の王である。
漢訳音写では阿育王と書かれる。インド亜大陸をほぼ統一した。
釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。
アショカとも表記される。アショーカの名前は花のアソッカ(無憂樹)を由来とする。 >>482
『古事記』の国産みには小豆島(播磨灘にある島)の別名として大鐸姫(大野手比売)が登場する。
『諸系譜』では布留多摩命の娘として登場し、天日方奇日方命の妻・日向賀牟度美良姫の別名とされる。
小豆島では島の島玉神として祀られ、島内にはかつて大鐸村などの地名もあった。「おおぬでひめ」の「鐸」(ぬで、ぬて、ぬりて)とは銅鐸のことで、実際に三五郎池の西側から銅鐸が出土している。
『古事記』では伊邪那岐命と伊邪那美命の子とされ、夫や子孫に関する記述はないが、『諸系譜』では綿津見神の子・布留多摩命(倭国造、尾張氏等の祖)の娘とされ、天日方奇日方命の妻とされる。
銅鐸の女神である大鐸姫は
倭国造の祖である布留多摩命の娘であり、天日方奇日方命の妻とされる。
天日方奇日方命は鴨王(かものおおきみ)とも呼ばれ、天皇以外で「おおきみ」と呼ばれる唯一の存在である。
天日方奇日方命(鴨王)の父は大物主神(大国主神)であり、同様にカモを関する迦毛大御神(阿遅?高日子根神)の父は大国主神(大物主神)である。
また、大御神を関する神は、伊邪那岐大御神、天照大御神、迦毛大御神の三柱のみである。
国生みを行った側の娘、あるいは倭国を造った側の娘が、銅鐸の女神であり、
銅鐸の女神は国を譲った側の大国主(大物主)の息子と婚姻しており、
国譲りを迫った側の天皇側と同じく「オオキミ」「大御神」を称されている。
弥生時代の銅鐸が668年に発見されたことを記紀は記さず、
821年に発見された際には「阿育王塔鐸」つまり仏教の鐘と呼ばれていたとされる。
春秋戦国時代に越国が南伝仏教を受け入れて、越王は無を重視し仏教の鐘として銅鐸が作られた。
越国が滅亡したことで、銅鐸と南伝仏教が日本に伝来して南伝仏教の国が作られ、仏教の鐘として日本でも銅鐸が作られたが、
土着集団が国譲りを迫り、銅鐸が埋められた。 >>482
漢委奴国王金印が出土した志賀海神社の山誉祭 神楽歌
君が代は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで
あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身骸<みがい>に命<いのち> 千歳という
花こそ 咲いたる 沖の御津の汐早にはえたらむ釣尾<つるお>にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや
志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで
今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ
いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良<いそら>が崎に 鯛釣るおきな
国歌である君が代に酷似しているが、先々代の香椎宮・宮司 木下祝夫の父である木下美重によれば、この山誉祭神楽歌が旅芸人によって広められ、古今和歌集に収められ、のちに薩摩琵琶の『蓬莱山』にある「君が代」になり国歌になったことが香椎宮に所蔵されていた筑紫の神楽記録から判明しているという。
また福岡市東区の名島神社とに福岡県大川市の風浪宮も類似した神楽歌が伝わっている(志賀海、名島、風浪宮の三社の神職は共に安曇氏)。 >>482
ワタツミ→フルタマ→倭国を作った者→娘が出雲の大国主の息子と婚姻
一時は近畿を中心とした銅鐸文化圏という概念が存在したが、その後吉野ヶ里遺跡をはじめ北部九州で多くの銅鐸およびその鋳型が出土したことから、銅鐸文化圏の概念は否定された。
特に、吉野ヶ里遺跡から出土した銅鐸およびその鋳型が伝出雲出土銅鐸(木幡家銅鐸)と完全に一致したことから、最近ではむしろ北部九州で作られたものが出雲にひろまったと考えられるようになった。
銅鐸
北九州→出雲→近畿、四国、近江、中部
倭国を作った者たちに国譲りを迫り、日本中の銅鐸が一斉に埋められ、今の日本の三種の神器の一つである銅鏡が作られ、古墳時代(ヤマト時代)が始まる >>482
海人
イザナギ→ワタツミ→フルタマ→安曇(ア住み、最初に住んだ、最初に国を作った)
これが南伝仏教と関係している
前の国の信仰、銅鐸、南伝仏教、国譲り後丸ごと隠蔽
山幸彦と海幸彦、山幸彦が勝って天皇が治める
蘇我はスサノオの流れ、スサノオの子孫の出雲はワタツミの筑紫と婚姻連合
蘇我神社はスサノオ
北伝仏教をゴリ押しして地位を復権して蘇った我、蘇った倭
そして仏教の守護神となったスサノオ
実は兄弟じゃない天智と天武
大海人皇子を教育した凡海氏(海部一族の伴造)
大海人皇子→天武
天智→山部(桓武)
仏教統治を進めた天武朝、奈良の大仏完成時に招いたのは東南アジアの南伝仏教の僧侶
大海人の天武朝が途絶えて天智朝の山部が平安京へ
倭国を作った安曇が逃げ込んだ信濃伊那
国譲りで負けた大国主の息子が逃げ込んだ信濃諏訪
仏教寺院の最高峰は長野の善光寺 わたつみ
倭辰巳
倭国の金印のトーテムは辰巳
海人が国を作って
山人に国を譲った
仏教の守護神となったスサノオ
善光寺を支配している藤原氏、アメノコヤネ
三島由紀夫「日本の胸には、緑色の蛇が喰いついている。この呪いから逃れる道はない」
海神、ワタツミ、倭辰巳、倭のトーテムは龍蛇、国を作った者と国を治めている者は違う、呪術
神話と史実、鏡合わせで暗号化
出雲のスサノオ→大国主→日本海側から信濃へ
筑紫のワタツミ→倭国造→太平洋側から信濃へ
銅鐸の流れから筑紫が大元、派生が出雲
出雲を神話でピックアップして大元の筑紫のワタツミの倭国を隠蔽 ワタツミ系海人族は北九州から四国経由して尾張から上陸して長野伊那やで
あと、国譲りを迫った側はワタツミ(ツクヨミ)筑紫(ツクシ)でもスサノオ出雲でもないからな
その両方は一体であり、そこに国譲りを迫ったのがアマテラス系な
出雲の大国主が西向いてるのは、出雲の元が筑紫だからな
2世紀に国譲りが完了して銅鐸を全て埋めて鏡を作った時点で
それまでの倭国の歴史を継承してアマテラス系が治める様になったからな
出雲だけ記紀で描かれてるのは、出雲がアマテラス系に恭順したからやで
スサノオ系出雲とアマテラス系ヤマトが同盟結んでワタツミ(ツクヨミ)系筑紫を滅ぼして隠蔽して乗っ取ったからな
だから出雲だけ記紀で描いてワタツミの倭国は完全に抹消したからな
徳島の海部氏
毎年天皇に布を献上
これ国譲りからずっと続いてる儀式
ワタツミ→布留多摩命
ツクヨミ=スサノオの系図も海人が持ってるでしょ
ツクヨミ(ワタツミ)の筑紫とスサノオの出雲は筑紫から出雲へ派生して婚姻結んで一体だから
四国から
東側の摂津に天照
北側の安芸に須佐之男
西側の日向に月読
天照と須佐之男が本州一体として協力して
月読の九州を支配して隠蔽
これが天照と須佐之男の誓約 >>69
春日氏は和珥(丸邇、和邇、丸)氏と同族だしね
>>102
漢語で類聚し漢籍を出典としてるんだってよ
つまり、それは900年代の中国での概念だなあ >>93
>>101
おもしろい
全身ウロコのように翡翠つなぎの埋葬服を来たミイラもいたよね
まるで武将の鎧みたいな >>121-122
数は違うけど「イワンレクトゥシペ(アイヌ民謡で六頭の化け物という意味)」の歌を聞くと、ヤマタノオロチ連想する
困った外来者をやっつける話なんだけど、やっつけ方はサルカニ合戦に似てるし、やっつける人は女神さんなんだよね
もしかしてヤマタノオロチの元ネタは、アイヌ系による「6団体のオロチョン族を撃退した話」とか「6人のオロチョン族に侵攻された話」とかだったんじゃないの?って思ってしまう
(ちなみにオロチョン族はアムール川あたりの鹿角つけた少数民族のこと http://p2.cri.cn/M00/12/D7/CqgNOlwl0XGAAU5_AAAAAAAAAAA389.640x427.jpg)
記紀の中にもアイヌのような描写の民族が出てくるし、ヤマト朝廷は記紀作成前に全国から民話を取り寄せてるからアイヌの話も把握してたと思うんだよね
ちなみに、そのアムール川あたりには他にも少数民族がいて、どの民族だったか忘れたけど(ナナイ族かな?)めちゃくちゃ「カンチュガ」さんが多いらしくて、いつも語感が「春日」みたいだなーと勝手に思ってる
和邇氏やその系譜の春日氏って、奈良盆地でも居を北東に構えてたし、奈良よりも北東からやってきた人たちなんじゃないの?って オロチ族、オロチ人(露:О́рочи、自称:ロシア語: орочисэл、古称:ロシア語: нани(アムールのナナイからの借用で、наは大地、ниが人で、「土地の住民」の意)は、ロシアの少数民族の一つ。
人口は約900人でハバロフスク地方のアムール川支流トゥムニナ川(Тумнина)下流およびその支流およびフンガリ川、アムール川、キジ湖他に居住している。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%81%E6%97%8F ヤマタノオロチは越国を侵略したオロチ族を出雲国のスサノオが退治した話 >>512
アムール川からバイカル湖にかけて住んでるらしいけど、バイカル湖の東側にクダラという地名があるの気になる
あと扶余や高句麗も鹿に執着してる人たちだったのも関連あるのか気になる
↓この辺りも日本に馴染みあるし、打月なんてまるでウサギの餅つきみたい
>鄂倫春族(オロチョン族)の人々は名月を祭る時に独特な行事を行います。空き地に一鉢の清い水を置き、その周りに供え物を並べます。そして、たらいの前にひざまずいて、月に拝礼をします。
>また、土族(トゥ族)にも類似した習俗があります。中秋節の夜にたらいに清水を入り、月の影が水に映れるようにたらいを置きます。そして小石で水面に映っている月を打ちます。この習俗を「打月」と言います。 和邇は「はに(赤土)」の転訛って説聞いてなるほどと思ったんだけどみんなはどう思う? 鳥は凶悪害悪悪魔魔物災禍災厄国賊畜生餓鬼地獄
故にすべての鳥は鮫の餌 中国で実在の獏が描かれた青銅器が見つかって瑞獣の獏と実在の獏の同一説が出て来たらしい。
日本神話の和邇に関してもこれから新しい証拠(記紀と同時期に和邇という名前で描かれた鰐の絵や鮫の絵)が見つかるかもしれない。 >>93
玉衣
https://www.google.com/search?q=%E7%8E%89%E8%A1%A3&rlz=1C1NDCM_jaJP732JP732&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwjF9rHz_8D2AhXSEHAKHR60CU4Q_AUoAXoECAEQAw&biw=1920&bih=937&dpr=1
ワニだ >>522
どう見てもサメじゃなくてワニのウロコみたいに見える 金縷玉衣
きんるぎょくい
中国、漢代、死者に着せた玉の衣。
玉匣(ぎょくこう)ともいう。名刺大の玉片を金の糸でつなぎ合わせ、鎧(よろい)のように全身を覆ったもの。
玉のもつ霊力によって肉体を永遠に保たせようと願ってつくられたものと考えられる。
皇帝や皇后、王侯貴族が用いたが、身分によって銀縷、銅縷の別がある。
河北(かほく/ホーペイ)省満城漢墓、江蘇(こうそ/チヤンスー)省徐州土山漢墓などで発見され、完全に復原できるようになった。
『前漢書』霍光(かくこう)伝をみると、金縷玉衣のほか、喪葬の具、棺や槨(かく)、柩(ひつぎ)をのせる??車(おんりょうしゃ)などが下賜されることを記している。 >>518
埴(粘土)→和邇
ゴーレムのようなモンスターの可能性もあるわけか。 高天原で暴れすぎて追放処分された須佐之男命(すさのおのみこと)は、
五十猛命(いそたけるのみこと)、大屋津姫(おおやつひめ)、抓津姫(つまつひめ)の三神を従え、新羅國に天隆り曾尸茂梨(そしもり)に住みました。
しかし、ここに居たくないとのことで、埴船(土でつくった船)に乗り日本へ戻るときに、 大浦の島(神島)に船を泊めて、上陸したと伝えられています。
http://www1.ttcn.ne.jp/~kitasanbe/a_sub_kagura_yamatanooroti.html 史実では4世紀末に日本に伝わった馬が日本神話では須佐之男命の時代から日本にいたことになっている。
同様に後から漢籍や絵画で知った鰐を神話に登場させたとしてもおかしくはない。 >>529
史実では4世紀末に日本に伝わった馬
どの史書に4世紀末に日本に馬が伝わったと記されているのか? >>530
史書ではないがhttps://ir.kagoshima-u.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=11003&item_no=1&page_id=13&block_id=21によると日本にもともといた馬は一度絶滅して4世紀末に再導入されたらしい。 >>533
先史時代、現在の日本列島に相当する地域にはウマが存在した。それは今から1万年以上前
の氷河期のことである。当時は寒冷な気候のため、日本にもウマの生育に適した草原が発達し
ており、岩手県では2万〜3万5千年前のものと考えられる化石化した馬骨も発見されている
(中村 1993:505、近藤ほか 1994:49)。
当時は氷河として地上に大量の水が存在していた影
響で海面低下が発生し、日本はユーラシア大陸と地続きであったため、ウマは陸地伝いに日本
へやってきたものと理解しうる。ただし、約1万年前の氷河期の終了とともに気温が上昇し、
大陸から隔絶することで形成された日本列島においては、森林が草原にとって代わり、ウマの
生息を許す環境ではなくなった(中村 1993:505)。つまり、氷河期の終了とともに、日本列
島ではウマが絶滅したものと考えられる。 >>482
最近その説をyoutubeで見て調べて見たけど
ドラヴィダ人に特徴的なハプログループはH(古代インド人)
https://en.wikipedia.org/wiki/Y-DNA_haplogroups_in_populations_of_South_Asia
出雲所縁の地域ではハプログループDが濃いと言う特徴があるけど
Hは日本では出て来ない事から、集団的な渡来は無理筋だろうな
江戸時代に歴史偽書作りが流行ったらしいけど、それじゃないかな
「鼻の長い動物がいる国から来た」とかw 出雲族とか海人族とかここじゃ当たり前のように使っている用語だが確か宝賀の造語なんだよな
明確に違いが確認できない集団を族として分けるのには違和感がある 氏族の祖神が海のモノだから彼奴らは海人というのは暴論
では山の神の子孫なら山人なのか
日本、わけても西日本では大半の地域において海も山も身近なものであったわけで それは干拓の進んだ今ですらそうなのだから
河内湖、ともすれば奈良湖でその先の海を感じられたはずの奈良盆地も例外ではなく 漁労や水運に関わっていた氏族(クラン)も山と無関係ではいられなかったろう 逆も然り
オオヤマツミの例が分かりやすいか
だから俺は和邇がワニだとかサメだとかの海棲生物を意味するという説にすぐさま与すことはできない
賀茂(鴨)も同様 というか今ちょっと調べてみたら割と簡単に答えが出てきたわw
和邇氏の本拠地に和爾下神社という神社があるのは知っていたのだが、和爾下があるなら和爾上的な社もあるのではとどうして俺は今まで一度たりとも考え付かなかったのだろうw
あったあったw
程近くに和爾坐赤坂比古神社というのがあったわw
赤坂比古とは件の神社の主神 阿田賀田須命の別名で和爾神ともいう(天理観光ガイド「和爾坐赤坂比古神社」より)らしく赤坂=和爾坂らしい
また応神記には"櫟井の 和邇佐の土を 端つ土は 肌赤らけみ…"とあるらしくやっぱり赤いらしいw
というか和邇氏絡みと見られる近くの古墳の名前も赤土山古墳だしw
ダメ押しで言えば実際に現地に行った人のHPを読むとあの辺赤土だらけらしいw
和邇氏の和邇はやはり本拠地周辺の特徴的な赤土(ハニ)の転嫁で間違いない
つうかここに同じこと書いてあるわw→ 國學院大學「古典文化学」事業 地名データベース「丸邇坂」https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/chimei/wanisaka/
このスレの518は俺だ
2年越しに答えを知ることができてちょっと感動して長文になってしまった
何にしてもきちんと調べる癖をつけることの大切さを理解させてくれてありがとう(?)