世界、伝説上の英雄教えろください
アーサーとかジークフリートとかそんな感じのお願いします 概要
治世期間はたったの4年と短く、頼朝時代の老臣に掣肘されて大した業績を挙げられなかったものの、鎌倉幕府二代目将軍という立場と後述するあまりに凄惨な最期で一応歴史にそこそこの認知度を残すことが出来た。
御家人達を纏め上げ、幕府を盛り立ててゆこうという気概こそあったが、北条氏の政敵であった比企能員の娘(若狭局)に惚れ込み、
ついには彼女を妾にしてしまい、比企氏と緊密な関係になってしまったため実家の北条家との関係が悪化、その後ヤンデレママ政子に若狭局を殺されたことで激昂、
北条氏を皆殺しにしてやると息巻いたためご乱心として将軍の座から引き摺り下ろされて幽閉され、1年後変死した。
死因については暗殺説が濃厚で、しかも風呂場で刺客に襲われ、金玉を握りつぶされ、ペニスを切断されて悶死という大変ショッキングな死に様であったらしい。
愚昧で思慮分別が欠落した、典型的な親父の遺産を食い潰す駄目な二代目(例えるとしたら劉禅)としての印象が定着しているが、
親父の頼朝からは跡継ぎの器量無しの烙印を押されなかったので、辛うじて廃嫡された人物にカテゴライズされることを免れている。
ふぐり切断伝説の真贋
金玉を握りつぶされ挙句ペニスを斬りおとされて死んだというのは慈円の悪ふざけによる捏造ではないかという疑惑もあるが、
頼家の死から30年後、頼家の金玉を握りつぶしてペニスを斬りおとした刺客張本人を名乗る人物が、
鶴岡八幡宮に切断した頼家のペニス(らしきもの)を慰霊、供養のために奉納したという話が複数の史料に記述されており、
また面白がった口さがない野次馬達が脚色を加えて全国に喧伝したこともあって、
今では金玉を握りつぶされて死んだというのが半ば史実として定着している。
ちなみに、自称頼家のペニスを切断した刺客が奉納したと言われる頼家のペニス(本当に頼家のペニスかどうかは不明だが)は
今尚安置されており、閲覧料7165(ナウい息子)円を支払う事で誰でも閲覧する事が出来る。
閲覧した人の証言によれば「大根と見間違うほどの」サイズだったらしい。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/niberunku/hagene/1.htm サラディン 《Saladin》 出身地:イラク
アラビア語での名はサラーフ・アッディーンで、イラクのクルド族の出身。サラディンはラテン語名。
エジプトの遠征に参加した後にファティマ朝の宰相となり、1171年には新王朝アイユーブを開いた。
アッバス朝の承認を得て「スルタン(イスラム世界で支配者の意)」の称号を戴く。
その後、シリア、イラク北部、イエメン、北アフリカにまで領土を広げ、
87年には十字軍が築いたエルサレム王国を滅ぼしてエルサレムを奪回。
92年に第三次十字軍と休戦条約を結んで、キリスト教徒のエルサレム巡回を許した。
十字軍との交渉で見せた寛大な精神と開明さは、後のイスラム教徒の間で英雄視されるようになった。