東日本に於ける古代信仰
色々調べたが古事記などの時代には東日本は一切登場しない
その時代東日本の人々は何を信仰していたのか教えて下さい 案外、田村麻呂が寄進や建立した建物自体、元は別なモノを祀っていたかもしれない。
不自然なくらい関係する建物多過ぎる。各地に建造できた資金源も謎だろ >>47
>越は素戔嗚尊に制圧されて服従した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
越地域を大国主とか大毘古が開拓とか平定したのは、神社由緒・記紀に
記されておる。
越地域を素戔嗚が制圧したというのは初耳なんだが、どの古書に拠るの?
>鬼伝説・鬼伝承の類いはだいたい逃げ散った越の残党・・・・・・・・・・・・・・
平安時代の京近辺に跳梁した酒呑・茨木童子が越地域先住民の後裔というのは、
何書に典拠されているの?
常陸地方の夜刀神は蛇神で農耕儀礼神が定説だが、越の残党即ち人間とは
如何なる理由からなの?
>遣わされたのが建御名方を長とする原・大和朝廷の一派・・・・・・・・・・・・・・・
定説では建御名方は、一派でなく反ヤマト王権派とされるが?そもそも「原・大和
朝廷」とは、何を指すの?大和盆地に勃興し畿外へ膨張を始めた崇神王朝なの? 蝦夷と蓋国(蓋馬族)とはなんか関係があるのかしらん
半島ー北満州は、古代においていろんな部族の吹き溜まりで
さらに列島にも拡散あるいは移動していると思う
ヨーロッパのゲルマン移動と同様に、気候変動などにより
部族の盛衰 大移動が東ユーラシアでもあったはず 神社の祭神は神社の生き残りのために何度も変更されていると
著名な神社研究家が言っているという本を読んだことがある 日本人の遺伝を調べると、沖縄とアイヌが縄文人に近く、本土の弥生人のDNAは大陸の血が入ってきている。
だから古くからある土着信仰、神話の類は九州に多いんだろう。 アイヌも文字と歴史を持っていたらしいが日本人が皆取り上げてしまたっと言っている。
>>53 それもそうだが、大抵最初のご祭神は小さくとも祀られている。 まつろわぬ人びとが制圧された時に全て破壊されたんだろうな >>52
関係ないでしょ。
移動してたから、だけで「関係ある」んなら世界中ぜんぶ関係あるね >>52
>部族の盛衰 大移動が東ユーラシアでもあったはず・・・・・・・・・・・・・
おまいは、高校世界史Bの古代中国史に五胡十六国時代という時代名が
あったことを記憶しておらぬのかね? >>57
>寺しかない恐山・・・・・・・・・・・・・・・・・・
信仰痕跡>>43例に、建造物しか浮かばぬ視野狭窄頭脳なんだね。
恐山賽の河原に林立する地蔵・石積み群は、水子供養の信仰
具現物だろ? >>55
斉明天皇紀4年(658)4月条に、遠征軍将阿倍比羅夫に対し蝦夷の族長
齶田恩荷が、以下のように誓約したとある。蝦夷の信仰した神の現存
痕跡が、秋田県にはないのだろうか?
「若し官軍の為に以て弓矢を儲けたらば齶田浦の神知りなむ。清き
白き心を将て朝に仕官らむ・・・」 >>53
“重ね餅”になっちゃうんだよね、神社のご祭神は。
あるいは“上書き”
理由はおっしゃる通り、その土地の領主交代などによる神社の存続策。 ノースの語源はナスだよ。
タタールは祟る。
宗谷より北に行くと祟られるんだよ。
ウラジオストクに逝くと恨めしや―だよ。
「ナスとキュウリ」で検索してみ。
オハはオハヨウだ。要は朝漬けだ・・・ >>54
アイヌ文字というのは初耳なんだが、西暦何年頃に日本人の誰がそれを
取上げてしまったという話なのかね? >>54
本土の弥生人というのは、具体的には何々県人を指しているの? >>62
山形県の湯殿山神社はご神体が大きな岩なんだが
その岩の前にちょこんと鏡が置いてあって
主祭神は天照という事になってる
ここはご神体が大岩なのでわかりやすいが
本来のご神体がなんなのかわからなくなってる神社も多いだろうね >>29
ご参考
48 :天之御名無主:02/01/19 14:13
・・・・・・・・日本の巨石遺跡はここで網羅されてるようです。
ttp://plaza14.mbn.or.jp/~taizan/
日本の巨石信仰について教えて下さい
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/991143035/48- >>64
アイヌ文字も神代文字の類だからなw
恐らくフゴッペの絵文字をいいたいんだろうがあれは絵だからね
続縄文期の出土物にも縄文文様の流れを汲む記号・絵があるけど、あれも単なる絵 三河、飛騨、越後より東は古事記成立の頃以降に大和朝廷に従った地域 たしかに、蜂子皇子が山形に逃げ延びた事を考えれば
越後までは朝廷の支配圏山形から先は圏外って事ですよね >>77
三河、飛騨、越後以東が、『古事記』成立AD712年以降にヤマト王権に服属?
定説を否定する新説かね?何故に8世紀初頭に服属なのかね?
三河はむろん遠江・駿河も、AD712年以前からヤマト王権勢力下だった。
飛騨の東方に位置する上野・下野辺りもAD712年以前からヤマト王権
勢力下だった。
AD647年に、現在の新潟市内に「淳足柵」というヤマト王権の拠点が設置
されており、その時点には越後の西半地域がヤマト王権の勢力下だった。 >>80
蜂子皇子の面相が、鼬の顔に見えるのか?確かに口が裂けた奇怪な
面相は、鼬というか山の神たる狼を模擬したのかも?
蜂子皇子が崇峻天皇の子で父暗殺時に出羽地方へ避難し羽黒開山と
いう伝承も、荒唐無稽ではある。惟喬親王のと同種の貴種流離譚か?
どの程度の昔からの伝承なのかな? ○河、○騨、○後は7C末頃までにヤマト(朝鮮人の末裔)の侵略を受けていたが恭順してはいない。
特に東○河はもともと○河ではなく独立した国だったのにそれが歴史ごと抹消されるという凄いことになってる。
なぜか最近になってその地域にはナショナリズムが芽生えてイベント名や百貨店名に旧国名が復活している。
平成二〇年代になって知事の権限を委譲された副知事が知事の権限で納める真の「県内県」が設定されたこのヤバさハンパない。
昭和末には圏域人口七〇万、車両台数がせいぜい三〇万台と少ないにもかかわらず独立した陸運局設置。
ちなみに当時の陸運局から四〇キロだが、「西○河陸運局」というおかしな名称からして、独立は予定されていた。
県庁所在地の陸運局から一〇〇キロを超えるため特例としてンバープレートが分かれていることで有名な磐城、庄内、飛騨とは少し状況が違う。 東○河全てを合わせても人口が77万。
その県の人口は約730万。
県全体の1/10の人口にわざわざ支庁。
この異常さにもっと注目すべき。
面積も人口も南関東県部三県と同格、商工業では最大勢力という力の強い県だね。
首都圏三県は支庁など置いていないのに、こっちは分裂。
しかも、経済が強いんだ…東○河って意外と。
そのうち、分県して日本で経済は上位十位以内なのに人口が三番目に少ない県になるのかもな。
全てお稲荷さんのおかげ。 最近、豊○市民と豊●市民の煽り合いが凄い。
その場合、○、●には田、橋、川、明などが入る。
中を入れるヤツもいるが煽り合ってるのを見たことはない。 経済は東京、大阪、マンコ、マンコ東又は東京南がフォートップらしい。
東○河はそのマンコの一部。 三河や飛騨や越後(越/高志)が日本土着系で
大和が朝鮮系…
逆なのに… 三河や飛騨や越後が沿海州ルートツングース系
大和が朝鮮ルート東夷系だよ
日本人とか朝鮮人とかいう民族が出来る前の話だからね 朝鮮人はともかく、
倭人はとっくに形成されていたよ。 ガリア人=フランス人というわけではないからね
と、つまりは言われてるのと同じような気がするんだな、この手の言説って。
確かに、その後の他民族や外国文化(文字や服飾品や食文化その他)の流入はあるにせよ、民族を構成する「基幹」のところになってる要素は変わらない。
このことで(半ば皮肉を込めて)よく言われる比喩が、「お箸を使うようになる以前の日本人は日本人ではないのか?」
というもの。 >三河や飛騨や越後が沿海州ルートツングース系
飛騨はインド人だよ。 そういや
遠州地方にフェニキア人が来ていたかもしれない説があるね。 >>100
シュメールより縄文の方が古いんだから
縄文の祖先をシュメールに求めるのは止めましょう
縄文とシュメールの先祖が共通というのならまだしも 未だに縄文とシュメールを繋げたがる奴がいることに驚き 縄文と繋げるならアマゾンとかインカ辺りの古代文明だなあ 人の行動の変化の裏にはいつも憑依的なものはあるんだけどね。
2000年以降は、地縛霊が人に話しかける事が許可されるようになったから、
人の話し声など聴こえる人は多いかもね。
霊は自分の脳に憑依してくるから、言語の違いや地方の訛りまでも
反映させることは可能らしい。 >>105
縄文文化は木の文化でシュメールは石の文化だからね・・・ https://goo.gl/znnSuW
これは、普通にショックでしょ。。
本当なの? >>111
マルチポストうざい
縄文時代は石の交易で見ていくとロマンチックだよな >>112
石の交易と言われるのは、刃物替わりの黒曜石の?護符替わりの翡翠珠の?
縄文時代は、何故ロマンチックだと言われるの?
食料入手に腐心せずとも良くなった縄文時代後期以後の限定の話なの? >>110
世界最古の磨製石器(石工)は日本出土だし、硬玉翡翠加工という石器文明最先端の技術も日本発やぞ
シュメールだってレバノン杉を刈りすぎたりした話が残ってるわけで
一概に木の文化や石の文化だとは言えないだろ 建造物に石を大量投入するのと
手で持てる石器加工する程度のを比べてもなあ 日本の石の文化は、海面が130m低かったヴュルム氷期時代(7〜1万年前)の遺跡が主であり、それらは海面上昇で沈没済み >>124
与那国にもあるし、福岡、出雲、伊勢、和歌山、名古屋などの海底にもある
探せば他にもあるだろう
ヴュルム氷期(7〜1万年前)より前は現在と同じ間氷期だったので、当然現在と同じ海面の高さだった
なので、前回の間氷期(13〜7年前)の遺跡である
金取遺跡(岩手県遠野市、8-9万年前)
砂原遺跡(島根県出雲市、12万年前)
は現在の標高に存在する 8万年前の出アフリカって、氷期で紅海に浅いところができ
渡れれるようになったからなのかな 青森県の塞の河原は恐山より古い。
川倉、今泉が有名だけれど山間部に形跡があったり江戸期の古地図に地名が有ったり。
イタコやゴミソはおいといて、石信仰の形跡は山岳信仰以前のそれより古く縄文迄遡れると思う。
オシラ様信仰がその流れを汲んでるとおもう。 海面上昇で沈没しちゃったから、山を求めたという流れだね 数千年の栄華を誇った北海道東北北陸の翡翠黒曜石アスファルトの交易物流ネットワーク圏(オセアニア系海洋民と北方トルコ系のモンゴル、イヌイット(含む渤海沿岸、越)が真脇や三内丸山縄文の構成民族と思われる。
青森市内では旧石神地区、平内町藤沢高森山に石神信仰の形跡がある。
残念ながら鎌倉期の地頭制や三浦鈴木氏他100氏族の坂東武者流入で土着豪族は衰退し山岳信仰や竈神などと融合してしまった。 津軽地方の神社に猨田彦を祀る石碑があったがいつの時代かは分からなかった
でもロマンあるよな >>133
>交易物流ネットワーク圏・・・・が真脇や三内丸山縄文の構成民族と思われ・・・・・・・
Q1.物流圏が縄文遺跡居住者の構成民族?
真脇や三内丸山に、縄文人・オセアニア系海洋民・モンゴル人の先祖・
イヌイットの先祖等が、混住していたとの御説なの?
その根拠は、何々なのですか?
オセアニア系海洋民というのは、誰?現代ポリorミクロorメラネシア人の先祖?
Q2.石神信仰というのは、何? アイヌは単一ではなく複数人種で地域でアイヌととらえています。
石神信仰は言いにくいですが生殖器信仰コンセイ信仰などとも >>134
よく残ってたよな
東北の信仰は坂上田村麿?によって全て壊されたイメージ >>134
青森市夏井田にある人知れぬ山中にある地図にない塞の河原で私も見てます。
付近は防御陣地の様。
猿が多く散策を途中でやめました。
イタコ小屋も、雪で潰れてました。 北インド2ヶ月旅したけど向こうはデカくて凶暴で手をパーにしないと襲って来るのに街中にたくさん居たな
まるでカツアゲだった 神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
XTK1T >>4
アラハバキを縄文の神って言ってるのは青森のインチキおじさんでしょw >>136
地域でアイヌととらえ・・・・というのは、
樺太アイヌ・千島アイヌ・北海道アイヌを、各々別人種と
捉えるという意味ですか?