>>211

天村雲命ら丹波勢が大和に大量に移入して勢力を誇ったのを見た、
(徐福らに掻き回された出雲帝国の王家や王族の分家が移住していた)葛城の鴨族(神(王族)=カモ))らは
天村雲命らの勢力と品位を認め、大王に推戴、
天日方奇日方命(登美家//八重波津身(出雲東王家、第8代少彦)の御子。母親は摂津三島(高槻市辺り)の生玉依媛)の妹、タタラ五十鈴依媛命を大王后として
高尾張(葛城/磯城、丹波連合)、大倭国が成立?
所謂、欠史八代が天村雲命が開いた大王家(ニギハヤヒが来るまで?)。

第8代孝霊天皇の時に九州の物部王家から横やり、、、侵攻を受けて
旧主、孝霊は倭国を放棄して逐電。吉備国(元々の勢力圏内)を建てた。
九州から攻め入り旧主を追い出して新たな大倭国の主となった(所謂、ニギハヤヒに比された )王家も在地の葛城勢に呑み込まれ
僅か三代(150年?)を過ぎた頃、
別の九州の物部王家が再び機内を攻略、侵攻してきて(内応(裏切り)も有って)
新たな王朝が成立。
(所謂、崇神〜。実際には崇神は準備中に死去していて、遺志を継いだイクメ大王=垂仁天皇(神武天皇のモデル)が実行)