古事記、日本書紀について深く深く語るスレッド [無断転載禁止]©2ch.net
大和朝廷が善でこれに抗する勢力が悪というのは誤った考え方である。
権力は悪でありいずれも悪であることには変わりがない。
勝利した側が歴史を編纂(改竄)する際に、相手を悪者にしたり、あるいは歴史上から完全に消し去ったのだ。
古事記、日本書紀で描かれる対立はおそらく「出雲」「熊野」でのものだけではない。
8世紀に入ると同時に激しい東国侵攻が始まっておりこの神話が暗示するのは東三河(穂の国)への侵攻、撃滅であろう。
そこから諏訪に逃げていったのである。
そして本宮山が実は真の「出雲大社」なのである。
その事実は不都合な真実として抹消された。 神武天皇以前は約240代にわたり天皇ではなく上方様という偉い人が日本の王でした。 いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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日本人はどこからきたのか?
出雲の猪目洞窟遺跡の人骨から、その謎に迫る。
https://readyfor.jp/projects/izumo17990 海流の関係で東シナ海で遭難すると出雲に流れ着く可能性がわりと高いからなあ ウガヤフキアエズなのか?
ウガヤフキアワセズなのか? >>78
出雲神話の首長大穴持の祖先スサノヲは、古代新羅の
曾尸茂梨(ソシモリ)という地から移住してきたと『日本書紀』が
記すのだから、有象無象の漂着者を除けば古代出雲地方への
集団渡航者の支配層は、現慶尚南・北道の地出身だったのではないか? >>80
スサノオは高天原(御所高原)から追放されて新羅に行って汚すぎたから島根に行ったんやで >>83
西暦57年の新羅王は、丹波国出身の倭人だよ。
この倭人の王が新羅の祖と言われている。
朝鮮の正史ではね。 昔の丹波と言えば、今の丹後も入る。
今の丹後の与謝地方のことだろうな。
ここに伝わる有名な民話が浦島太郎の話だが、以下に述べられた人のことだろうか。
新羅の「昔氏」の祖先というのも、いかにも浦島に相応しい。
脱解尼師今:
新羅第4代国王
在位期間
57年 - 80年
姓・諱
昔脱解
生年
紀元前19年?
没年
80年
脱解尼師今(だっかい にしきん)は、新羅の第4代の王(在位:57年 - 80年)で、姓は昔(ソク)、名は脱解(タルヘ)。第2代の南解次次雄の娘の阿孝(アヒョ)夫人の婿。新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。 浦島太郎は山幸彦で竜宮城は沖縄のことだよ
ニニギ〜山幸彦〜ウガヤフキアエズ〜神武天皇は南九州(日向)にいたよ
ウミガメのメスは南九州で産卵した後に沖縄近海に向かうよ >>88
浦島太郎は南九州から亀に乗って沖縄へ向かったんだ
海中での呼吸はどうしたんだろうね
往復いろいろと大変だったろうね 竜宮が海の底というのは後の時代の創作
古い文献ではどこかの島に行ってるだけだから潜ってはいない 竜宮の場所は海の底や、遠方の島に加えて、海上の洞窟というのもありではないか? 亀形の船の船員を助けて、その礼にかの国に連れていかれ
ナイトクラブみたいな美女ぞろいのソープで骨抜きにされて
帰されたら精力減退の爺様になってました。単純な話だな。 普通に考えて沖縄でしょ
沖縄から縄文時代の本土製の土器が見つかってるし
沖縄人のY染色体は本土から分岐したD系が主だし
神武天皇が弥生時代初期だから山幸彦神話は縄文時代の話だし
遺伝子的にも考古学的にも海洋生物学的にも童謡的にも神話的にも整合している 日本書紀、古事記は朝廷の秘蔵書物だった
その中の逸話が左遷貴族などによって漏れ出て伝承され童謡化された
山幸彦→浦島太郎
彦五十狭芹彦→桃太郎 古事記と日本書紀じゃ血統が違うよね。羅列しない方がいいんじゃないか? その通り
日本書紀と古事記を比較研究すれば分かるが
古事記は日本書紀の一書曰くを都合よく繋げた文章であり
皇統に連なる氏族関係については、奈良時代以後に強大化した氏族が追加されているふしがあり
そもそも古事記の初出は平安時代に太安万侶の子孫が出してきたもので、その時に太安万侶が書いたと主張しているもので
確かに太安万侶の墓は見つかったが、太安万侶が古事記を編纂したことは証明されていないし
文章的にも平安時代に書かれた偽書であるというのが、本居宣長以前の定説であったが
本居宣長がごり押しして、今現在も権威ある書物ということになっているが、総合的に考えると、平安時代の偽書が正しいと思われる
日本書紀と古事記で血統が違うという指摘は、そういった、皇別氏族の追加とそれらの祖とする皇子らの追加や、第2〜4代天皇の皇后の出自が相違している点について、ということか
現在、考古学の発展によって第16代天皇までは存在したであろうとされ、歴史教育の現場でも、仁徳天皇陵と、倭王武=雄略天皇ということが教えられているが、それ以前については未だ隠されている
それらは考古学による証明によって遡っており、最近では、倭迹迹日百襲姫命や彦五十狭芹彦命の存在が証明されようとして、それは同時に第7代孝霊天皇が存在したということに繋がるので
第10代崇神天皇が実質的に初代であるという俗説と、欠史八代は架空であるという妄言を打ち破ることになる
このように、考古学的成果によって第7代孝霊天皇までの存在が確定しようとしているが、問題は上記の通り、日本書紀と古事記では第2〜4代天皇の皇后の出自が相違している点である
また、この第7代孝霊天皇から、一夫多妻制が始まっている点も注目に値する 日本書紀と古事記における第2〜4代天皇の皇后の出自の違いについて
日本書紀
第2代の皇后=事代主の娘
第3代の皇后=鴨王(事代主神の孫)の娘
第4代の皇后=息石耳命の娘(懿徳天皇の姪)
古事記
第2代の皇后=師木県主の祖の河俣毘売
第3代の皇后=師木県主波延(河俣毘売の兄)の娘の阿久斗比売
第4代の皇后=師木県主の祖の賦登麻和訶比売命(亦名を飯日比売命)
第5代以降の皇后は日本書紀も古事記も同じになっている
第5代天皇から考〇天皇というのも考えさせられる
恐らくこのままいけば、第7代までの存在はすぐに立証されるだろうが
そこからさらに遡る時、この相違点が問題になってくる
しかしながら、科学によって解明され、古事記の権威は失墜し、日本書紀だけが残ることになるだろう 日本書紀
初代の皇后=事代主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命
第2代の皇后=事代主の娘の五十鈴依媛命
第3代の皇后=鴨王(事代主神の孫)の娘の渟名底仲媛命
第4代の皇后=息石耳命の娘(懿徳天皇の姪)の天豊津媛命
古事記
初代の皇后=大物主神の娘の伊須気余理比売命
第2代の皇后=師木県主の祖の河俣毘売
第3代の皇后=師木県主波延(河俣毘売の兄)の娘の阿久斗比売
第4代の皇后=師木県主の祖の賦登麻和訶比売命(亦名を飯日比売命)
大物主は大己貴命(大国主)の幸魂
事代主神は大己貴命の子
日本書紀も古事記も、初代の皇后は、国を譲った側の娘
師木県主
磯城縣主(シキノアガタヌシ)は奈良県磯城郡三輪町金屋の城上郡志貴御県坐神社の鎮座地付近、現在の磯城郡にあった豪族の名前。
日本書紀の神武天皇の段によると弟磯城(オトシキ)を磯城縣主に任じています。
志貴御縣坐神社
祭神は、神社明細帳では大己貴神になっているが、
志貴連の祖神である天津饒速日命とする説などがある。 天照なんてただの伊勢の地方神だったんよ
天武が東方豪族の力を借りて即位したため、皇祖神のひとつとして崇められるようになっていった 伊勢神宮は滅ぼされた土着の神が豊受
その祟りを封じる征服者側の神が天照 >>110
サルタ彦大神。
豊受大神=御影(月読)神=ウサギさん(宇佐(菟)族の奉じる)月神。
奉仕なさっていらしゃったのが稚日女命/稚日霎貴命。おトヨさま(女王トヨ)=豊媛命/豊来入媛命(豊鋤入媛命)/宇佐女(宇佐族の女)。改め、宇受女(ウズメ) >>115
伊勢神宮は要するに月神(外宮)と太陽神(内宮)を祀ったのが原形のようです。
これは、天皇家の璽の幡/幟(錦の御幡)にも表れている所で、日幡と月幡。
天皇の御座の左右にあり、
日幡()には元来、赤(金)丸の中に三足烏、
月幡には(銀の丸の中に)蛙(クレーターの影が兎に見えるか蛙に見えるかは民族により異なる) >>115
農耕神のトヨウケがどういういわれでツクヨミと習合するんだろうね 歴代天皇の覚え方あるみたいだけど、なかなか頭に入りません。 若桜町舂米(ツクヨネ)に白ウサギをまつった神社があったらしいよ
ツクヨネが舂米(しょうまい、つきしね、つきよね)で脱穀のことらしい
ツクヨミの音が農作業と関連するから農耕神によっていったんじゃない? NHKがアマテラスを天皇家の祖先と言ったかで謝ってた。 日本最古の正史でそうなってるんだからそれでいいだろ 他の局は断定しない表現だったって。
皇室の祖先とされているアマテラスとか 謝罪する意味が分からない
古事記、日本書紀にそう書いてあることが事実だからな
まぁそんなことで喚いているキチガイどもがウザイからとりあえず謝りましたって感じか
それすらも無視しとけばいいのにな キリスト紀元やグレゴリオ暦の使用も特定の宗教を肯定することになるから止めて欲しいね おまえ5ちゃんねるに居てもいいけど少しは大人になれよw >>140
世界平和を実現するためにはキリスト紀元・グレゴリオ暦の押し付けを止めることが先決だよ
キリスト教宗派別大国が常任理事国として国連を使ってキリスト教倫理・キリスト紀元・グレゴリオ暦を押し付けて統一を目論んで世界支配しているのが世界の歪みの元凶だからね
特定の宗教に起因するものを標準規格にしようとするから争いが絶えない
キリスト教が世界支配をすることをやめればキリスト教国家がイスラムにテロされることも無い
自分で争いの種を蒔いて自分が被害に合って報復のために戦争
これが戦後体制における世界秩序
特定の宗教を肯定するような紀元・暦を標準規格にすることをやめて
地球統一紀元元年・地球暦(世界暦カレンダーをベースにした新カレンダー)を制定し、その下で各々の宗教が各々の支配地域で各々の紀元・暦を使えばいい
それこそが真に公正公平であり、世界平和の礎となることができる >>26
倭、大和、日本、邪馬臺
全部同じ発音です。 >>137
古事記、日本書紀の上代に掛かる部分は官製偽書です。 >>128
日本書紀は国定教科書
古事記は塾の手作り教科書 >>148
古代日本が中国の属国(朝貢国)だった。とか、中国から渡来した子孫が王朝(大和朝廷)を開いたとか、
それら渡来勢力が相争って幾度も王朝の興亡が在った
等々を隠したかった。
また、持統天皇の「妾は醜く血生臭い事や浅ましくい事が大嫌いです。よって、ヨキ言葉を選び、爽やかな文面で編纂しなさい」(大意)
女帝のこの一言(「善言撰」)により古事記、日本書紀共に編纂するいぜから「歴史書」で無くなる事が確定したと言って間違いありません。 そう言えば天孫降臨も鳥取説があるらしいね
地形や周辺神社に祀られている神々が一致するとか読んだ記憶がある
たしかに国譲りでタケミナカタが宮崎から諏訪まで逃げるのは違和感しかなかったから
妙に説得力があったな >>151
>たしかに国譲りでタケミナカタが宮崎から諏訪まで逃げるのは違和感しかなかったから
妙に説得力があったな
「タケミナカタ富(トビ)命」は古代出雲王国第八代スクナヒコの八重波津身さま(富(トビ)王家当主)と古志の国から輿入れなさった沼河媛との御子。
渡来人ら(首魁は徐福)が起こしたクーデター/テロにより
主、副二人の王がほぼ同時期に殺害されると言う前代未聞のテロ事件により
渡来人らとの共住を嫌い神(カモ)族(王族の事)や出雲人らが各地に離散。
タケミナカタ富命も母親の実家に多くの出雲人らと共に移住。
その後、出雲人と母親実家の古志の人らを率いて信濃方面に進出して平定、出雲第2王国を築いた由。(諏訪、信州地方には古代出雲王国時代とほとんど同じ信仰と祭儀が良く保存されています。)
、、、スクナヒコは副王の称号。
、、、出雲王国は「主王のオオナモチ」と「副王のスクナヒコ」の「主副二王制」。
、、、因みに、同八代オオナモチ(主王)は八千矛様) >>151
タケミナカタは出雲から諏訪に逃げたんやで
稲佐の浜(いなさのはま)は、島根県出雲市大社町にある砂浜。
国譲り神話の舞台でもあり、「伊那佐の小濱」(『古事記』)、「五十田狭の小汀」(『日本書紀』)などの名が見える。
また稲佐の浜から南へ続く島根半島西部の海岸は「薗の長浜(園の長浜)」と呼ばれ、『出雲国風土記』に記載された「国引き神話」においては、島根半島と佐比売山(三瓶山)とをつなぐ綱であるとされている。
弁天島(べんてんじま) 稲佐の浜の中心にある。かつては弁才天を祀っていたが、現在は豊玉毘古命を祀る。
塩掻島(しおかきしま) 神幸祭においては塩掻島で塩を汲み、掻いた塩を出雲大社に供える。
屏風岩(びょうぶいわ) 大国主神と建御雷神がこの岩陰で国譲りの協議を行ったといわれる。
つぶて岩 国譲りの際、建御名方神と建御雷神が力比べをし、稲佐の浜から投げ合った岩が積み重なったといわれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%90%E3%81%AE%E6%B5%9C 天照(あまてらす)のように現代日本人でもすぐに理解できるような名称は新しい 藤原改ざん書記、藤原まんせい記
こんなの読む価値あるの?
さっさと焼却処分で 神武天皇以前にも上方様と言われた天皇にあたる人が治めていた時代がかなり長くあったらしい。
古事記ではウガヤフキアエズは1代に短縮されているが、ウガヤ朝は少なくとも51代で多分74代は続いたという古史古伝もある。 あるだろうな
最初の頃の天皇はやたら長寿で明らかに不自然だしな 国譲りの舞台が出雲だとすると、その後出てくる出雲建が?になるんですが
でも出雲じゃないと出雲大社が大国主を祀るのが?になります
ここはどう解釈されているんですか? 熊野大社もオリジナルは和歌山なのか出雲なのかはっきりしないらしいな 記紀などの書かれている藤原氏の家系は微妙。
もし、藤原氏に都合が良い記述にできるとしたら
藤原氏はもっと自分たちの家系を美化できたはずだ。
でも、そうはしていない。