ちょっと訂正

神剣あれこれ
古事記日本書紀に「神剣の形代を作った」記述はない

だいぶ後の時代の書物で記紀神話の時代に「神剣の形代作った」という記述あり
ソースは古語拾遺

平家が三種の神器持って西へ
後鳥羽天皇即位で大揉め>三種の神器がないから

壇ノ浦で神剣水没>大問題となる
以降27年間神剣捜索の上皇天皇頼朝の命が下り続ける
※安徳天皇は神剣と共に生き永らえ徳島の祖谷で天寿を全うしたという説もある
 神剣は当時石立山とも呼ばれた剣山に埋蔵され、故に剣山と言う

揉めに揉めて…
最終的に伊勢神宮で、人が制作し、贈答済みの剣を、神剣の形代とすることに
水没から20年ぐらい後

平家の西へからみれば30年近い間揉めに揉めて大問題となった
熱田はオリジナルが熱田神宮にあると主張
でも見せられないからあるかどうかは確認できない
古語拾遺でサクッと作られた形代は熱田にあるという神剣からは作られなかった

以上。神話というより歴史の世界の話です