北海道の開拓民の文化について教えて [無断転載禁止]©2ch.net
北海道って開拓民が自国の方言や文化をコミュニティ内で保守できなかったのはなんで? 北海道人の祖先は、自国で持て余されたヤクザ者が大多数なので、そもそも社会性や共同体への愛着が無かったんだろ 愛着がある人は移住しないんじゃないか?
アメリカの白人で一番多いのはドイツ系なのにドイツ語母語のアメリカ人はほとんどいないだろ 私が道民の家でお茶をご馳走になったときのこと
その家の42歳の息子がむずかりだした。
母親がその子を椅子の上に立たせてパンツを降ろし
牛乳の空きパックを男性器にあてがうと小便をした。
しかも、あろうことか空きパックに入ったものを
キッチンの流しに捨てたのです。
その慣れた様子からも日常的にしているのでしょう。 地域単位で入植した人たちは農業入植だったので村落は形成したけど、地域の中心となる都市を形成しなかったのが大きいかと。
北海道の都市は小樽や室蘭、根室や函館は港町で商人や港湾労働者、札幌は官吏と軍隊の街、みたいに出身地よりも職種による集住中心。
どうしても住民は出身地が雑多なものになる。
本土だと農村地帯でも在郷町があってちょっとした用事はそこで済ませられるんだろうけど、
ほぼ同時期の入植では村落の経済機能に大きな違いはないだろうからどうしても関係が弱くなる。
一方でそれを補うため距離が離れていても新しく出来た都市とは関係が強くなる。
これらの都市は日本各地出身の住民が住んでて、さらにはアメリカ式の開拓スタイルとかも取り込んでるので、
文化的にはごった煮状態のものになる。
新十津川とか伊達とかの地名を見る限り出身地による連帯感はあったんだろうけど、
文化、経済の中心である都市を形成する人々とその周辺の人々の背景の違いが大きすぎたんだよ。
都市の文化に上塗りされてしまった。 流れ者が多いのは漁業、林業従事者だよね。
漁業は春先のニシン漁、夏のコンブ採り、秋の鮭漁が短期間に大量の労働力を必要とする一方で
漁期がせいぜい2ヶ月で、それ以外の時期は仕事がないから定住者は少数だし、
労働者の出身地の文化なんかもあんまり定着しない。
昭和以降は冷凍船、加工船が普及して冬のカニ漁も大規模になるけど、
季節労働で、定住者は少ないという点は変わらないし。
林業は大正期以降に製紙業が発達すると、通年でパルプ材求めるようになってちょっと事情が変わるけど、
それまでは夏場の季節労働。
こっちも労働者が文化を持ち込むって感じじゃないねえ
炭鉱町はどんな感じなんだろ。
かなりの数の労働者が安定的に定住してるはずだしなんかあってもいい気がする。 神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
KH0NW >>18
昔の九州の炭坑町なんかは流れ者や喧嘩上等が結構多かったと聞いた 意外と昭和になってから新しい民俗が生まれてるよね
たとえば節分で落花生撒くようになったのは60年代以降らしい 投げた豆を拾って食べるという風習が衛生的にどうなの?と考えられ始めた時代という事だね どうだろう、それなら落花生豆まきは全国に広がってるはず。 どっちだよ!
「北海道 節分 落花生」で検索かけるといくつも検証サイトでてくるけど、地域的には北海道がメインで東北北陸にも伝播してるって感じかねえ
何故か九州南部でも落花生と書いてるサイトが小数存在
ところで落花生撒く地域は撒いた豆を食べるけど、そもそも大豆炒り豆地域では撒いた豆は食べないよね?
食べる分は撒く前に取り分けとくのが多い気がする いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
役に立つかもしれません
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
B3A 安定した稲作ができるようになったのは昭和初期
下手すりゃ戦後
稲作中心の民俗儀礼は廃れるよね >>16
基本ド田舎なのに、確かに民俗行事は都市型と言うか生業との関わりが薄い感じがする。
農村なのに予祝とかあんまりしないし。 近年、日本列島は災害多発し過ぎている。政策的に防災インフラと伴う予算の大強化必要。 それどころか、この板には実名・個人名・団体名出して荒し目的のスレが異様に多数挙げられているんだよなあ >>35さん
是非、酷い板違いの悪質スレを巡って、スパムや実名中傷、マルチコピペレス等を諌め回ってください。
m(__)m 宜しくお願いいたします。 スレ違い指摘されて顔真っ赤w
御託はいいからまず涙拭けよ スレ違いなのは間違いないんだが、よそも関係ない書き込みに溢れてるとか粘着コメして居座るような残念な子に話が通じるわけないんだよなあ 開拓の伊達氏族は北海道で大麻を売ったり観光行をやってました
歴史と大麻の特集やってます
聖書から学ぶ医療大麻
イエスと十字架、鳥居の関係など
伊達氏族と北海道などもあります
是非ご覧ください
https://plaza.rakuten.co.jp/denkyupikaso/diary/201808210000/ ほんの三十年前までは道南以外の北海道ではアイヌ以外の民俗行事はないって扱いだったんだよな
そんな中でろうそく貰いが報告されてちょっとした騒ぎになって、今じゃ類似の習俗が津軽どころか加賀能登でも行われたなんて論調になってるのは面白い
ただ、伝播期はまだ定説ないみたいね
戦中の疎開期に伝わったなんていう話もあるし 稲田騒動の後に移住した洲本藩士なんかはかなり旧領との関わりが強い
北海道での藍栽培が本格化すると脇町商人を呼び寄せて流通を一任してるレベル
後に渋沢栄一❨ちなみにこいつの実家も武州で藍問屋も兼業する豪農だったりする❩が北海道の藍取引に参入しようとしたときには共同歩調とって撤退に追い込むレベル
文化に関しては、武家文化自体が明治には消滅するわけで北海道移住とはあんまり関係ないと思う 根室は街の雰囲気が銚子と似てる感じがしたなあ
文化というよりは大規模漁港という機能的な共通のせいだろうけど 開拓民の話となると明治の移住者の話になりがちだけど、戦時の疎開者と戦後の引揚者の開拓村も忘れちゃいけないと思うんだ >>45 逆に昭和の頃までは本州四国九州でも口琴を弾く部落が当たり前に点在して居てNHKや新聞でも紹介されて居たのに戦前戦中派の日本人が定年で役所や会社から居無くなった頃からその手の習俗は一切紹介され無くなりアリラン伴奏パヨカカムイ舞踊ばかりが紹介されるようになったよね 北海道の石造物を調査した本を読んだ事がある
出身地別に村というか集落が作られ、出身地でやっていた講中を組み
出身地に多い石仏を作る傾向があったようだ。
例えば、文字塔が多い地方民がつくった集落は北海道でも文字塔が多く
刻像塔が多い地方からの集落は刻像塔が多い。
北海道に役行者の石造とかもあるが、東海地方からの移住者が多かった土地なのかもしれない。 北海道伊達市は戊辰戦争で負けた仙台藩亘理領の旧武士たちが開拓した街。殿様自ら集団を率い移住し、農業に従事した。
苦労の末、開拓に大成功した旧家臣団だったが移住から15年、若い世代は元々武士だったことを知らないことに気付く。
そこで、武者行列を行う祭りを始めた。
伊達武者祭りの起源だ -っしょ
なまら
これは本州のどこに起源をもつ言葉なんだろう