北海道の開拓民の文化について教えて [無断転載禁止]©2ch.net
北海道って開拓民が自国の方言や文化をコミュニティ内で保守できなかったのはなんで? 稲田騒動の後に移住した洲本藩士なんかはかなり旧領との関わりが強い
北海道での藍栽培が本格化すると脇町商人を呼び寄せて流通を一任してるレベル
後に渋沢栄一❨ちなみにこいつの実家も武州で藍問屋も兼業する豪農だったりする❩が北海道の藍取引に参入しようとしたときには共同歩調とって撤退に追い込むレベル
文化に関しては、武家文化自体が明治には消滅するわけで北海道移住とはあんまり関係ないと思う 根室は街の雰囲気が銚子と似てる感じがしたなあ
文化というよりは大規模漁港という機能的な共通のせいだろうけど 開拓民の話となると明治の移住者の話になりがちだけど、戦時の疎開者と戦後の引揚者の開拓村も忘れちゃいけないと思うんだ >>45 逆に昭和の頃までは本州四国九州でも口琴を弾く部落が当たり前に点在して居てNHKや新聞でも紹介されて居たのに戦前戦中派の日本人が定年で役所や会社から居無くなった頃からその手の習俗は一切紹介され無くなりアリラン伴奏パヨカカムイ舞踊ばかりが紹介されるようになったよね 北海道の石造物を調査した本を読んだ事がある
出身地別に村というか集落が作られ、出身地でやっていた講中を組み
出身地に多い石仏を作る傾向があったようだ。
例えば、文字塔が多い地方民がつくった集落は北海道でも文字塔が多く
刻像塔が多い地方からの集落は刻像塔が多い。
北海道に役行者の石造とかもあるが、東海地方からの移住者が多かった土地なのかもしれない。 北海道伊達市は戊辰戦争で負けた仙台藩亘理領の旧武士たちが開拓した街。殿様自ら集団を率い移住し、農業に従事した。
苦労の末、開拓に大成功した旧家臣団だったが移住から15年、若い世代は元々武士だったことを知らないことに気付く。
そこで、武者行列を行う祭りを始めた。
伊達武者祭りの起源だ -っしょ
なまら
これは本州のどこに起源をもつ言葉なんだろう