イエス・キリストは実在の人物なのか???
様々な二次資料や話、その他からジーザスの実際の存在を自由に考え述べる場があるという事は良いことだな。
ここは学会でもないし2(5)ちゃんらしい自由な場だ。ヘイトレス溢れる匿名掲示板の中、良いスレだ。
知的好奇心をバンバン発揮して遠慮無く、考えがある人は存分にカキコすれば良い。 様々な二次資料や話、その他からジーザスの実際の存在を自由に考え述べる場があるという事は良いことだな。
ここは学会でもないし2(5)ちゃんらしい自由な場だ。ヘイトレス溢れる匿名掲示板の中、良いスレだ。
知的好奇心をバンバン発揮して遠慮無く、考えがある人は存分にカキコすれば良い。 おっとダブるタッチしてしまった、大切な事だから二回ということで(笑) 俺などはイエス・キリスト仏教徒説なんかにも興味がある
イエス・キリストの生涯に「空白の17年間」という謎の期間がある
この間、イエスが13才頃からインドを放浪して、その間に仏教に触れその教えを受けた可能性ね
『聖イッサ伝』等には、イエスはバラナシ、ジャガンナート等インドの地で仏教の説法をしたのでヒンドゥー教等に睨まれた
そして危険回避の為ヒマラヤ山脈に隠れたとの記述もあるらしい
大人になったイエス・キリストが広めた宗教の基に上座仏教があり、ユダヤその他の教えとの一部融合も計りつつ説法した、とかね >>91その説に興味がある
確かドイツ人だったかが研究して出した本が話題になったことがある
日本にもそれより前(40年前後くらい前)に「キリスト教は仏教」みたいな本が出てた >>92
日本のはこれかな
『仏教とキリスト教―イエスは釈迦である』(1973年) (レグルス文庫〈29〉):Amazon.co.jp: 仏教自体はカスピ海あたりまで広がってたから、何らかの形で話が伝わってても不思議はないな。 新訳聖書の外典を予約したから、そこにイエス・キリストの正体を知る手掛かりがあるかも。 イエスが水の上を歩いたって話も元ネタがあるのかね。 >>99
ルパン三世でそれ言ってたな 次元とルパンが海上を歩いて へ〜クリスチャンに言わせると認識論って学問じゃないんだ。
>学問的にイエス・キリストの存在が証明されないのなら、イエス・キリストは架空の人物で間違いないね。 この発想そのものが不勉強な証拠です。
何度も言っているように、そんな基準が成り立つなら、お釈迦様やソクラテスなども、架空の人物になってしまいます。 認識論を考えましょう。 >>鹿取信二
「はっきり言って昔の人間が昔の狭い人間関係の中で考えた内容が貧しい物語なんだから聖書とあがめるのがわからん」。そうですか。
でも分かる人もいるようなので、この現象だけは仕方ないでしょうね。 樋田氏の他の動画にもコメントしたけど、ピカソの絵が嫌いなら、見なければいい
だけの話。あなたの生活に脅威を与えることはないと思います。 古事記は、古事記としての読み方があるようですよ。 古典には、古典の読み方があります。 >>鹿取信二
>学問的にイエス・キリストの存在が証明されないのなら、イエス・キリストは架空の人物で間違いないね。 この発想そのものが不勉強な証拠です。
何度も言っているように、そんな基準が成り立つなら、お釈迦様やソクラテスなども、架空の人物になってしまいます。 認識論を考えましょう。
>聖書って聖典じゃないの誤りがあっては困るでしょ。 「誤り」って言葉を単純に、一元的に理解しているから、そういった見解になるんです。 時間的前後関係、地理的な記述、細かな筋立て、などには、人によっては「誤り」だという部分はあります。
現代人が要求するような正確さを、昔の人は考えないからです。それを「異同」なのだと理解する人もいますが、「誤り」は「誤り」として、ではなぜそうなっているのかを考えながら
研究するという人もいます。 それでも「聖典」「正典」として、機能するんですよ。 あなたが知らないだけです。 >>鹿取信二
>>そういう説明は知っているよ。 ただあなたが、いや、ONE PIECE Luffy氏が「存在しない」、と言っていたので、挙げたんですよ。 (だったら、最初から「信じるに足りる文献はない」とか
言えば?って話です) タキトゥスは挙げなかったけど。 また、『古代誌』の中でも、あなたが挙げた箇所を私は、証拠としていないので、誤解なきよう。
(後代の書き込みが指摘される部分と、そうでない部分がある) でも、イエス・キリストの存在を証明することは同時代の文献がないから、実在しないというのから、前にも書いたように、ソクラテスも、プラトンも、ブッダも、存在した証明ができないなります。
これは、古代の人、すべてに起こり得る現象です。 はっきり言って、どうでもよいこと。単なる懐疑主義に浸るつもりはないので。 死んで生き返ったみたいなパフォーマンスは明らかに新興宗教的でが胡散臭過ぎる
聖書も神の言葉も穴だらけ矛盾だらけだし
原罪ってどう考えても人間の罪じゃなくて神自身の罪だよな
どう見てもマッチポンプな上に凄い責任転嫁してるし1番信用出来ない神様だな クリスマスってイエス・キリストの教えと関係ないしな。てか、元々ミトラ教の習慣。 イエス・キリストって汚いおじさんじゃん。こんな奴を拝んで何になるの?。 ここは信仰やその御利益を対象としたスレではないんでね。 いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
役に立つかもしれません
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
XV0 イエス・キリストは救世主でもなんでもない。ただのおっさん。 イエスは神ではないと思うし、救世主だったかどうかも別として、ただのオッサンではないと思うね
権威に屈せず、慈愛を以て人を励ました、なかなかの人間だったと思う >>1
釈尊もイエスも実在はしたよ
聖職者側の権威付けの為に後世ずいぶんと不適切な粉飾もされているがな イエスはオリンポスの民に王権を奪われたティタン族の王では? イエスが存在しないということは、その弟子たちも存在しないのですか? 権力に負けず、しかし処刑されたジーザスという人間は存在し、弾圧下でもジーザスを裏切らなかった弟子らも存在した
彼等はジーザスのその思想を伝導していったわけでしょう
ある時からキリスト教として権威、権力を持つようになる中でジーザスの伝説的な神格化も意図され進んだ
そういう流れはあったと思われる でもキリストの身代わりに処刑された弟子か、キリストが処刑された後にキリストの名を騙る弟子が居たって事でしょ
ほとんど最初から詐欺な最低集団じゃん >>130
イエスの復活はそういう仕組みによるものと断定できる裏付けのある根拠は?
復活の意味も形式的な現象を指すとは断定できないのだが キリスト復活自体が無かったモノとして解釈していいの?
単なる何かの比喩?
だがキリスト復活が売りの奇跡だしそれで信者になった連中は単なる勘違いのバカですか?
ノストラダムスの予言と一緒でいい加減過ぎ
ああ解釈も出来る、いやこう解釈も出来るとその場その場の言い逃れに終始してるようにしか見えない >キリスト復活自体が無かったモノとして解釈していいの?
単なる何かの比喩?
科学的な発想としては生物として死亡した人間が生き返るとは考えにくい…何か仕掛けがあったのか?
それとも何かの哲学的な法則を言わんとした(例えば生命の永遠性、精神の不滅、或いはイエスの教えの永遠性等の)譬喩なのか?
キリスト教徒でも神学者でもない私がここで結論することはできない
しかし、むしろ奇蹟よりも世界宗教として広まっている現実のその理由に興味がある
イエスの教えでは奇蹟の位置は本質ではなく、あくまで民衆の興味を引く為の方便ではないのかと
彼の教えの本質は、人間愛や弱者への奉仕などの人間・社会への貢献の精神的支柱となるということ
世界宗教としては、そういった面が評価されているのではないかなどと考える
また、このスレタイについての意見としては、イエスという哲学的実践者は実在したと思っている いやいや、キリスト教はそもそも原罪からして思考放棄を人間に強要する宗教であり神の前には皆平等、神を疑ってはならぬと言う事を逆手に取って、支配者達に物凄〜く有利な宗教
王は神の地上における代理人、王の前に人間は皆平等、民衆は難しい事を考えるな、王を疑ってはならぬと書き換えて支配するのに都合が良いから支配階級に便利なツールとして広まり、これを信じ受け入れれば民衆も安寧に暮らせると強要したから広まっただけ
あとは騙された民衆、無思考状態にされた哀れな子羊達が延々と供物として屍の山を築き続けてるだけ ↑自惚れた乱暴な言だなw俺は単純すぎると思うわ。同意はできんww 2ちゃんは色んな輩のおるw
>>98
何か面白い手掛かりありましたか? イエスは大麻をやってその癒しで宣教活動してました それまで聖職者しか扱えないものを破って大麻(の精油)を人々に教え知らしたのです
https://plaza.rakuten.co.jp/denkyupikaso/diary/201808160000/ 植物状態から復活した、というのが死んでから生き返ったように見えただけだろ、普通に考えて 処女懐胎も、素股でマンコにぶっかけて処女なのに妊娠したってだけだろ、普通に考えて
現代でも稀にある話が、科学の無い当時は理解できず神の仕業だと思い込んでただけだろ いろんな説があるが古代の人がいれば十字架にはりつけされてなかったかもな キリスト教ってアーメンって唱えるじゃん
要するに本質的にはアメン(太陽)信仰なんだよ
イエス=太陽で噴火によって太陽が隠れた後に太陽がまた見えて来たって現象を表している
太陽が無いと作物は育たないし飢饉が蔓延するし太陽は命の源
人々は暗闇の中では生きられない
それを死と再生の現象として表しているんでは?
天照の天岩戸隠れのエピソードも縄文後期の鬼界カルデラ大噴火を記しているという説もある
太古の世界では自然現象を人物(神々)の記録として伝えるのが主流だったのだろう キリスト教って仏教のパクリでもあるから
色んな宗教のミックスの結果生まれたものでしょ
そこには世界最古の宗教である日本神道もパクられてるから
そういうことになる >>143
神道は仏教からパクってる
大乗仏教は日本に入って来た時点で大元からだいぶ変わっている
時代によって最大権力の宗教に擦り寄り用済みとなったら切り捨てを繰り返し生き延びて出来たのが神道という姿
また、全ての宗教は原始ミトラ教が起源であるという説が濃厚
ミトラは太陽神だが時代によって様々な顔を持つ
基本的に素朴な自然崇拝である
キリスト教が最もタブーとしているのがミトラ教やゾロアスター教との関係 ミトラは柔軟な習合という性質を持って様々な宗教に形を変えている
神道もその一つであると言えるだろう 日本神道は維新後にキリスト教の教義からもパクっている
神道には本来、教義が無いからね >>144
全ての宗教は神道が大元
ゾロアスター教やその派生のミトラ教の元が神道 世界最古の文明は日本
世界最古の磨製石器は日本
世界最古の石工技術は日本
世界最古の翡翠加工は日本
世界最古の土器は日本
世界最古の絵文字は日本
世界最古の縄文字は日本
世界最古の農業は日本
世界最古の造船は日本
世界最古の遠洋航海は日本
世界最古の捕鯨は日本
1万2千年前に氷河期が終わり海面が130m上昇して大陸と切り離されて文明が醸成し
7300年前の鬼界カルデラ大噴火によって世界中に離散して文明の種を広めたのは日本人
世界中に離散した日本人が石工技術を用いて各地に記したペトリグリフは世界共通絵文字
世界中で文明の種を蒔いた日本人を現地人が神々として語り継いだものが世界各地の神話
絵文字に対するアンチテーゼとして粘土板に文字を刻んだのがメソポタミア
石工技術がないから粘土で作った文字
ゆえにそれに端を発する聖書は世界共通文字を破壊したと記す
それが6000年前
逆に絵文字を継承し続けた古代エジプトは日本と同じ太陽信仰を守っていた 世界中の太陽信仰の大元が日本だから、全ての宗教の大元も日本となる
太陽信仰の発生は、7300年前の鬼界カルデラ大噴火によって、九州〜東北北部まで何年も太陽が出なくなった自然災害によるもの
太陽が何年も火山雲に覆われて出なくなったことで、太陽光による殺菌作用が無くなり、農作物も育たなくなり、疫病が流行って地獄絵図と化し、太陽の重要性を日本人が理解したことによる
その経験をもって、世界中に世界最古の船で離散し、各地で現地人を教育し、文明を世界中に広げた
ゆえに日本はその国号で太陽信仰の大元を主張している 7300年前の鬼界カルデラ大噴火後に、当然ながら日本に残った勢力もある
東北北部まで逃げた集団は三内丸山遺跡を形成した
当時の皇祖の祖先は北海道まで退避して、その血筋が後のアイヌとなったことは遺伝学的にも証明済み
高天原とは北海道のことであり、火山雲が無くなった後、退避中に日本列島に住み着いた集団(出雲)に対して国譲りを迫った
火山雲が出続けている間に日本列島に出来た集団なので出雲という
北海道から親潮に乗って太平洋側を南下して常陸に着き、西日本の出雲に対して国譲りを行った
国譲りの際、高天原の皇祖は「そこは私の子孫が治めるべき地」と主張した正当性は、元々鬼界カルデラ大噴火前からその地を治めていたから
国譲りが成立後、四国経由で南九州(日向)に至り、沖縄(琉球=竜宮)も治め(縄文後期に東北の土器出土、神話の山幸彦)、神武東征を以て奈良に至り、日本列島全域を治め、日本国建国 極論を信じる信じないは構わんが、スレタイから外れまくってねえか? 明治の頃は国家神道を世界化しようとしたんだが世界はキリストやってて戦争が怒って昭和でドボン 神道には教義や経典が無いから仏教や維新後はキリスト教からも思想や要素を借りて或る意味体系化・体裁化しようとした イエスは実在した人物だと思うよ
本人が神ではなく本来の神や聖職に勤しむ者の在り方、姿勢を真面目に考え不況もした人だろ ジーザスは広い意味では仏教徒、あるいは仏教思想を持つ思想家にして司祭 金髪長髪の白人ではないと思うけど実在したでしょ 人間イエスは 世界4大宗教に教祖とされる人物が、実在しなかったと判明していて成り立ち存続しているものはあるのだろうか >>165
新約聖書にはイエスの12才〜30才までの記録がないが、聖イッサ伝にはその間の修業時代と思われる事が記されている
しかもインドでの修行時代の事が 有名な説だから真面目な有識者による誠実な検証も欲しい所 キリスト教は仏教、イエスは仏教を学んだ-的な書籍や意見は意外とあるよね。 一応、時間はかかるが、インド方面とは往来可能だし、ジーザスは釈尊滅後500年後くらいの人で、そういう意味では矛盾しないが イエスが青年時代に関係したエッセネ派はユダヤ人の仏教系団体だったとの話がある
それでエッセネ派で施設(寺院)に住む人たちは仏教の出家僧の様に独身でいた
(ユダヤ教は結婚を重視する) 仏教は、約2500年前(紀元前5世紀)にインド北部ガンジス川中流域で、釈迦が提唱し、発生した(初期仏教)。
「旧約聖書」はいつ、どのように編纂されたのか
まとまりのあるものが最初に成立したのは前5世紀から前4世紀頃で、ユダヤ民族がペルシアの支配下にあった時期です。
http://textview.jp/post/culture/14116
仏教の発生と、ユダヤ教旧約聖書の成立は、同時期 ユダヤ教旧約聖書がゾロアスター教国家アケメネス朝ペルシャ支配下で書かれたことは、
その内容見れば分かる通り、ゾロアスター教に対するアンチテーゼとして逆張りした神設定であることからも分かるが、
仏教との関係性も考えるべきだな 釈迦という人物は約2500年前、現在のネパール南部、インド北東部との国境付近のルンビニー(Lumbinii)で誕生
そして80まで生き布教、弟子の育成に邁進
イエスは約2000年前の生まれで30才前半で死去した(事になっている)
大雑把に言って、イエスは釈迦が没してから500年後の生まれ
釈迦と直接の会見は無理だが、布教主義で既にかなり広域に広まっていた仏教思想、教えにイエスが触れ、学ぶ可能性は出てくる
イエスの持つ哲学・イエスの教えが旧ユダヤ教に拠り従うものなのか?
意外にも仏教の影響、釈迦の仏教の教えとの共通性がかなり認められるものなのか?
時代、時系列的な理屈は合うので、当然ながら教え・教義の内容の共通性や影響の検証が大きい判断要素 イエスは実在したとみて、まず間違いない。根拠も書こう。
架空の人物なら、洗礼者ヨハネの洗礼を受ける必要がない。
洗礼を受けたからには弟子入りしたも同じなんで思想的にも、
イエスは洗礼者ヨハネとほぼ同じだったはず。しかも洗礼者ヨハネも
処刑されてるんで、ヨハネの教団に対して、イエスとその教団の特異性も弱い。
で、洗礼者ヨハネも、イエスと同じく、「自身がキリスト(人の子)」とは主張してなかったはず。
福音書内で、イエス自身は「自分をキリストと呼ぶな」と弟子に注意までしてる。
しかし、残されたイエスの教団としては、当時のイエスに会った者の証言から
イエスが自身をキリスト(人の子)と主張してた言質を探したはず。
(そうでないと、洗礼者ヨハネの教団に飲み込まれる危険がある。
ヨハネ教団に対する、なんらかのアドバンテージが必要で、
なんとかしてイエスをキリストに仕立て上げないといけない)
「人の子には枕する所もない」とか、あまり関係ない発言も福音書に収録してる。
(人の子は、必ずしもキリストを指す用語じゃない)
イエスが死んだ時に、神殿の幕が破けたとかも事実ではあるんだろう。
ことがショボイだけに。なにかが引っ掛かって破けたとか
鳥の爪とか風で飛ばされた石とか、経年劣化とか、ともかく偶然で起こりそうな話だ。
時間が経ってから収集した話だから、話が大袈裟になってたり
(遺体も弟子の誰かが盗んで行ったんじゃないかなぁ……弟子同士はバラバラに逃げ
互いに身を潜めてたろうから、他の弟子の行動は把握しきれなかったろう)
時期が少しズレてたりしてそうだけど、真摯に収集してそうには思う。
イエスやその教団にとって、都合の悪い逸話も結構あるし。
で、そういう感じで福音書でキリスト化させられたイエス像が、運よく
パウロの眼の一時的不調とその回復にかさなって、パウロの転向を生んだ。
それこそがキリスト教にとって本当の奇跡だったんじゃないかと。 ●イスラム教⇔〇キリスト教⇔●ユダヤ教⇔〇ゾロアスター教⇔●バラモン教⇔〇仏教
仏教はバラモン教に対するアンチでありゾロアスター教の神を如来化
キリスト教と仏教の関係性は言わずもがな
新約聖書ヨハネの黙示録はゾロアスター教の影響大
イスラム教はアンチキリスト教として復古主義的にユダヤの神ヤハウェの唯一性を説いている ユダヤ教旧約聖書において神は闇そのもの(ユダヤ教神学の定説)
対してキリスト教新約聖書では神は光であると説かれている 道教のタオと神仏習合も考えると
●イスラム教⇔〇キリスト教⇔●ユダヤ教⇔〇ゾロアスター教⇔●バラモン教⇔〇仏教⇔●道教⇔〇神道
このような図式が浮かび上がる 隣り合う宗教圏は、飲み込まれないために、その逆を打ち出す
それは逆側の隣接地でも同様に起こるので
宗教圏オセロが形成される
それにより光と闇が現れる ●イスラム教⇔〇キリスト教⇔●ユダヤ教⇔〇ゾロアスター教⇔●バラモン教⇔〇仏教⇔●道教⇔〇神道
●イスラム教=アンチキリスト教、ヤハウェ(闇神)復古主義
〇キリスト教=アンチユダヤ教、ゾロアスター教の影響を受けて、最後に光が勝つヨハネの黙示録で〆る
●ユダヤ教=アンチゾロアスター教、旧約聖書創世記よりユダヤ教神学においてヤハウェは闇神(宇宙そのものである闇)
〇ゾロアスター教=アンチバラモン教、最後の審判により最後にアフラマズダ(光神)が勝つ
●バラモン教=ブラフマン(宇宙原理、すなわち宇宙そのものである闇)至上主義
〇仏教=悟りの境地である有頂天は無(闇)を超えた先にある光
●道教=タオはブラフマンと同様である無極(闇極)
〇神道=天照大神(光神)が復活する神話をもち、祭司長である天皇は天照大神(光神)の子孫 オセロとは面白い着眼点だね
必然的に陰陽バランスが成立するってこった 仏教(釈迦)は、バラモンのその生まれからて権威的民衆支配層として君臨する立場、それを正当とする姿勢・位置に対し、アンチの立場をとった
また釈迦はバラモンの権威的形式的儀式や占い、魔術的祈祷等を否定した
釈迦「人はその生まれ(身分)ではなく、その行いにより尊き者となるのだ」
「占いや大仰な儀式を行わないのが仏教である」
そしてバラモン・六師外道らとの戦いは言論(法論)をもって行われた 思想、宗教には、権威化へのアンチテーゼや堕落への危惧・革命は付き物 ↑そんな事は皆が知っているだろう
釈迦は自らは王族(王族とはいえ豪族レベルだったとも)の生まれだった
が、彼は『人間の偉大さ、価値は生まれながらのカーストに依らず、その行いにより決まる』という思想だった
最高権威だったバラモンとも堂々法論し戦い打ち破った