中島みゆきは父の早世を二つの歌にして発表しています。一つはサード・アルバム
『あ・り・が・と・う』に収録されている『まつりばやし』で、もう一つは8枚目
のアルバム『臨月』に収められている『雪』です。

『まつりばやし』では去年父親と一緒にまつりばやしを見ていたが行列は通り過ぎ
ていったところだったと父親の逝去を暗喩し、今年のまつりばやしでは父親は眠り
続けていると長い昏睡期間を振り返っています。

また『雪』では道標だった父親の逝去で戸惑う姿が歌われています。


一般に娘にとって父親とは最初に接する大人の異性であり、「ファザ・コン」まで
行かなくとも父親の存在は大きいとされています。ましてやその父親が娘にとって
尊敬に値する人物であった場合なおさらでしょう。

中島みゆきは高校3年生の時に「自分なんかいても仕方がないんではないのか」と
思い詰めます。そこにはいろいろな要因があるでしょうが、その一つとして父親
に比べて自分の矮小さが堪えられなくなったことも考えられます。

また、プロ・デビューを断り大学卒業後父親の仕事を手伝いながら音楽活動を続け
る中で、父親の偉大さを改めて実感したのではないかと思います。それは『雪』の
歌詞「あの人が教えるとおり 歩いてくはずだった私」に見て取れます。

1975年5月、中島みゆきは「第九回ポプコン本選会」で入賞をして本格的な音楽活
動を始めます。10月に開催される「つま恋本選会」へ向けて『時代』の仕上げをし
ている夜、父親がいきなり倒れ約5ヶ月間昏睡のままこの世を去ってしまいます。
それを中島みゆきは『雪』で「手をさしのべればいつも そこにいてくれた人が 
手をさしのべても消える まるで 淡すぎる 雪のようです」と歌っています。

また『雪』では「あの人が旅立つ前に 私が投げつけたわがままは いつかつぐ
なうはずでした 抱いたまま 消えてしまうなんて」とも歌っています。「わが
まま」とはプロ・デビューを断り定職にも就かず父親の仕事の手伝いをしながら
音楽活動をすることを指しているのでしょう。それを「つぐなう」機会がやっと
巡ってきたのにその成果を見ることもなく逝ってしまったことへの無念さを歌う
と同時に、父親に借りを作ったままであることがその後の中島みゆきの音楽活動
へのばねになったのではないかと推察します。(FINE)