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尾崎豊10代 [無断転載禁止]©2ch.net
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0007NO MUSIC NO NAME垢版2018/04/16(月) 02:42:07.11
【事務所マザーの社長の福田信の罠に嵌められた尾崎豊の悲劇】
NYに留学させたのは全てソニーから事務所マザーのレコード会社M&Cに
移籍させる為だった。権限がある親元から離しNYで軟禁状態にして
同年輩のマネージャーの空田満が覚醒剤を持って近づいて尾崎豊に
覚醒剤を与える 事務所マザーの社長の福田信がその弱みを握って
毎日 尾崎豊のマンションに押し掛けて「俺の言う事を聞かないと覚醒剤を
やってる事をバラすぞ!俺のレコード会社に移籍しろ!」と脅迫し追い詰める
事務所のレコード会社に移籍して日本に帰国したら事務所スタッフは掌を返し
事務所のレコード会社M&Cのスタッフも掌を返し周りのスタッフは尾崎豊の
レコーディングに一切協力せずスタジオは悪意に満ちていた
更に事務所マザーの社長の福田信は移籍金を数億円払うと約束しときながら
尾崎豊に移籍金を1円も払わず まったく約束を守らない
事務所ぐるみで自分は騙されたと気づき人間不信になって
どんどん薬にのめり込んでいき覚醒剤で尾崎豊は逮捕される
0008NO MUSIC NO NAME垢版2018/06/13(水) 23:13:12.56
見城徹「尾崎豊は麻薬によってコントロールされていた」
第7回 傘をなくした少年
見城 徹
http://www.gentosha.jp/articles/-/1609?page=3

彼にとって気が休まる日がないのは、あまりにも事務所の汚い渦に
巻き込まれ過ぎたからなんだよね。彼は金のなる木だった。
同年輩のマネージャーの空田満が尾崎豊に薬を与え薬漬けにして
コントロールしていた。ステージに立たせるために嘘をついたり
いろんな策を労して、レコード会社を移籍させたりするわけですよ。
約束が守られなかったりするうちに、彼は常に事務所は
自分を搾取すると思い始めた。みんなが俺を騙すという
疑心暗鬼の孤独な状態にあったんですよ。すべてはアメリカに
行ってから狂い始めている。金銭的なトラブルが原因で人を疑い始め
ますます薬にのめり込む、そんな毎日だったと思う。

【弟尾崎豊の愛と死と 単行本 – 1994/4 尾崎 康 (著)】https://www.amazon.co.jp/%E5%BC%9F%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%B1%8A%E3%81%AE%E6%84%9B%E3%81%A8%E6%AD%BB%E3%81%A8-%E5%B0%BE%E5%B4%8E-%E5%BA%B7/dp/4062070049/ref=cm_cr_arp_d_product_top?ie=UTF8

NYに留学させたのは全てソニーから事務所のレコード会社M&Cに
移籍させる為だった。親元から離しNYで逃げれない様に軟禁状態にし
同年輩のマネージャーの空田満が覚醒剤を持って近づいて尾崎豊に
覚醒剤を与える。事務所社長 福田信がその弱みを握って毎日 尾崎豊の
マンションに押し掛けて「俺の言う事を聞かないと覚醒剤を
やってる事をバラすぞ!俺のレコード会社に移籍しろ!」と
脅迫し追い詰めコントロールする。事務所のレコード会社に
移籍して日本に帰国したら事務所スタッフは掌を返し事務所の
レコード会社M&Cのスタッフも掌を返し周りのスタッフは尾崎豊の
レコーディングに一切協力せずスタジオは悪意に満ちていた。
更に事務所社長 福田信は移籍金を数億円払うと約束しときながら
尾崎豊に移籍金を1円も払わず一切 約束を守らない。
NYからの帰国後も空田満が尾崎豊に薬を与えてコントロールして
ツアーをやらせていた。ライブ中に袖に引っ込んだ尾崎豊を無理やり
引き摺ってステージに上げていたのも空田満だった。
事務所ぐるみで自分は騙されたと気づき人間不信になって
どんどん薬にのめり込んでいきツアー中に倒れて覚醒剤で逮捕される。
逮捕後 尾崎豊が「事務所を辞める」と言ったら事務所社長 福田信が
「ツアーキャンセル料 数億円払え!」と脅し両者間で裁判が起こる。
0009Track No.774垢版2018/07/05(木) 19:48:43.95
すごくおもしろい在宅ワーク儲かる方法
暇な人は見てみるといいかもしれません
検索してみよう『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』

CWY
0010Track No.774垢版2018/07/05(木) 19:51:45.93
犯罪者の38の童貞の豚生活保護同然の40にもなって童貞でハゲててチビ、豚で不細工な糸目の不細工wwww
小中高とずっっっと帰宅部、友達皆無の人生
自分の顔鏡でみなよ自殺したらいいのに

120キロの巨体の頭だけ出してるデブ
https://imgur.com/a/2JJWHjG
かわいそ
生きてて無価値だよ
家族も友達もいないんだから死ねばいいよ

死ねばいいよ、お前豚で家族もいないキチガイなんだからwwww
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう


さびしいんだね、かわいそう

死になよニートの38のネットストーカーデブスキチガイ犯罪者のデブスじじい

こいつまじで創価のネットストーカーの犯罪者だよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



実名だして誹謗中傷してるのは創価の嫌がらせしてる
この38のデブスのニートじじいだよ!!!!みんな!!!!!
0011Track No.774垢版2018/07/06(金) 02:22:24.33
食い物にしてやろうというハイエナに
これだけ包囲されたら防げないよ
尾崎豊が死んで得をした連中やで
この濃いキャラ達なら映画が出来るな

福田=尾崎豊の事務所社長 尾崎を無理やりNY留学させ薬漬けにし食い物にした
空田=尾崎豊の同年輩のマネージャー 尾崎に薬を与えて薬漬けにした実行犯
繁美=尾崎豊の妻 尾崎に隠れて元彼の田崎と連絡を取り合い 最後、尾崎を見殺しにした
岸田=尾崎豊の青学の同級生 尾崎の死後 福田と繁美と田崎と暗躍し事務所を乗っ取った
田崎=尾崎豊の妻の元彼 尾崎に繁美を紹介した 尾崎裕哉の実父 尾崎を殺した実行犯
0012Track No.774垢版2018/07/06(金) 14:12:53.90
マザーと比べればバーニングなんてチンピラにすぎないよ
マザーはアーティストを薬漬けにして食い物にするヤクザ
0013Track No.774垢版2018/07/08(日) 07:44:11.87
【仰天!故尾前豊夫人の元愛人が語る「彼女との半年間」】
 ”地上げの帝王”早坂太吉氏の元愛人・安達洋子さんが告発したもので、
繁美さんが尾崎と結婚する以前の醜聞話。記事では当時の同棲相手K氏、
親友のA子と3人で早坂氏から金を引き出そうと画策したことや
京都旅行の一件が暴露されている。一方、女性誌が報じた内容は
繁美さんがかつて、ある会社社長と月50万円で愛人契約を結んでいたという
ショッキングな話題。しかもタイ旅行に同伴し、ヘロインを満喫したと言うから
穏やかではない。本誌は愛人契約説を囁かれたH氏と会い、醜聞の真相を聞いた。
後に繁美さんが尾崎夫人になっていたことさえ知らなかったというH氏。
一回り以上年の離れた2人の出会いは85年の初夏。当時の繁美さんは
まだ17才、都立高校の3年生だった。「学生時代の友人がディスコ通い
をしてまして 。『面白い遊びがあるから』と誘われて、青山にあるディスコの
VIPルームに行ったら、繁美さんと親友のA子さんがいて紹介されたんです。
友人の話では彼女、中3頃からディスコ通いをしてたのらしいですが・・・」
当時社長で「金にも女にも不自由してなかった」妻子持ちのH氏が語る。
「取り巻きみたいな女性が大勢いましたから。なかでも幼かった一人ですよね。
向こうのほうが興味を持ったみたいで、一方的に憧れて僕との関係に入り込んできたんですよ」
やがて週1でペースで逢瀬を重ね、関係を深める2人。H氏の弁明とは少し違い、繁美さんは
大勢の取り巻きの中で特別な存在に昇格したようである。問題の月50万円契約はあったのか?
「お金を渡したことはないし、要求されたこともないですね金品の類は一切なし。
当然ホテル代や食事代は僕が出して、1回10万円程度。それを”愛人関係”というんなら、
そうかもしれませんが。彼女にはっきり言ってましたから。”2人で接点がある時だけ
楽しくしようね。それ以外で僕は君を監視しないから、僕にも干渉しないでくれ”ってね」
繁美さんも繁美さんで「彼氏」の存在を明かしていたという。打ち明けて言うには
「土・日は彼といるから。あなたにも奥さんがいて、奥さんのトコに帰るでしょ。
私に彼氏がいてどうしていけないの」。大人びた割り切り方だ。相手の私生活も問わないH氏。
知人からの伝言では繁美さんの彼氏、「バーテンダー」だったという。再び回想。
「いい娘の反面、彼女は贅沢が好き。必ず某ホテルのスイートルームを取ってくれ、
とリクエストしてきました。で趣味はマッサージ(笑)マッサージのおばさんを呼んで、
してもらうんです。僕は脇で”面白い、変わった娘だなぁ”って思ってました」
タイ旅行は繁美さんの高3の夏休み。H氏の知人のS氏、繁美さんの親友のA子さんと
友人のB子さんの計5名で日本を出発し、現地でH氏の会社関係者が合流したという。
「高校生の思い出に」と「エコノミーのパックツアー」をS氏と折半で奮発したH氏。
3組の男女はパタヤビーチの最高級ホテルのスイートルームでバカンスを堪能した。
「麻薬ですか?だって想像してくださいよ。3対3でガチャガチャ騒いで、
ご飯食べたりしただけなんですから。そんなこと全然。タイの厳しい法律、
知ってますし。麻薬のマの字も、覚醒剤のカの字も出ないですね。
寝る時は野郎同士はイヤだから、それぞれが別の部屋で寝ましたが・・・」
H氏との半年間の関係を終えた翌86年5月。高卒直後の繁美さんは尾崎豊と巡り会った・・・。
0014Track No.774垢版2018/08/10(金) 03:21:59.69
これって路上のルールのソラチの事だろ?あいつ2009年までは生きてたんだな(笑)
てか脱税で逮捕されたとか(笑) 運び屋やるぐらいだから脱税も余裕なんだろうな(笑)

師匠 2009年08月10日13:18

自分にいろいろ音楽と仕事を教えてくれて、サポートしてくれた先生ていうか、
師匠がいました。でも、前の会社で「脱税してたことが発覚」と言うことで
逮捕されてしまい。それから会って無く、数ヶ月後、友人から、これを見ろと
尾崎豊のDVDを見せられ、特典映像ところ見たら、ビックリ、若かった師匠と
尾崎豊がずーと30分くらい映っていました。そして、いろいろ、ネットで
師匠の名前を検索すると、(師匠の名前は教えられないのですが)、
奴が尾崎を殺したとか、シャブに手を出してたとか、金に汚いとか、
尾崎を悪く利用した人物と書かれてあり、目を疑いました、どこまでが本当なのか、
わかりませんが。長く音楽を語り、音楽と仕事を教えてくれたのに、
何一つ、本人から聞いてませんでしたので、とても残念な気持ちです。
人に言えない意外な秘密は誰でも持っているんですね。
0015Track No.774垢版2018/08/10(金) 17:02:54.64
1965年 尾崎豊・吉川晃司と「飲み明かした日々」 岡村靖幸(シンガーソングライター)

1965年生まれには、尾崎豊、吉川晃司、奥田民生、岡村靖幸、中森明菜、吉田美和・・・・・・と、歌手のビッグネームが並ぶ。

とりわけ、尾崎・吉川・岡村の三氏は、私生活でも深い交流があった。

岡村氏が当時を語る。

僕が尾崎豊君、吉川晃司君と出会ったのは、一九歳の頃。もうずいぶん前のことになりますね。

僕は作曲家としてプロになったばかりで、楽曲を提供するためにプロデューサーから吉川を紹介してもらったのがきっかけで、一緒に遊ぶようになったんです。

尾崎とはよく覚えていないんだけど、当時、あるギタリストさんがよく人を集めて飲んでいて、そこで吉川がもともと親友だった尾崎を僕に紹介してくれたんじゃないかな。

三人とも同じ年だったし、会ってすぐタメ口で話すぐらいうちとけて親しくなった。

しかも三人とも同じB型。

自己紹介で聞いたときは、これは我が強いな、と思った覚えがあります(笑)。

それからは、よく三人で遊んでいましたね。

携帯はもちろん、ポケベルさえない時代。

自宅の電話や留守番電話で「今から行こうよ」って連絡したり、前日に約束して会っていました。
0016Track No.774垢版2018/08/10(金) 17:03:38.97
まずは六本木の「WAVE」(大型レコード専門店、1999年に閉店)内にあるレイン・ツリーというカフェで待ち合わせ、少し早めに着いたらレコードをみたり・・・・・・、というのが定番。

そこから、六本木の街に繰り出すわけです。

 よく行った店は、西麻布にあった「レッドシューズ」(アーティストのサロン的バーとして有名。

1996年に閉店、2002年南青山にて再開)。他には、「トゥールズバー」、ディスコの「AREA」、原宿の「港町一三番地」とか。

「港町一三番地」には当時としてはめずらしくカラオケが歌える部屋があって、三人でよく歌っていました。

僕は「あずさ2号」が好きで一八番だったな。二人は何を歌っていたのかちょっと思い出せないですが、自分たちの歌ではなかったような気がします。

ハシゴは当たり前で、六本木を中心にいろんな店に行きましたよ。

当時は華やかなりしバブルの頃で、街も店もにぎやかで若い僕らには刺激的でしたね。

 ほとんど冗談みたいによく言われますが、次の店をどこにするか、じゃんけんで決めたこともありました。尾崎が勝ったら、女の子を口説けるお店、吉川が勝ったらとことん飲めるお店、僕が勝ったら踊れるお店といった具合に。
0017Track No.774垢版2018/08/10(金) 17:04:00.02
当時、僕はお酒が苦手で無理して飲んで酔っ払っていたんです。

でも尾崎と吉川の二人は飲むのが好きだし強い(笑)。

だから僕は、飲むより大好きなダンスができるディスコに行きたかった。

でも、なかなかうまくはいかなかったですね。

 ホントは、尾崎が勝っても女の子のいる店なんかに行かないんです。

結局、男三人で飲んでる(笑)。

今思うと、不思議なくらい女の子から声をかけられなかったですね。

尾崎と吉川の二人はすでにスターだったし、三人とも身長が百八十p位で目立っていたのに。

遠慮していたとかいろんな理由があったと思うけど、一番の理由は三人ともぐでんぐでんに酔っぱらっていたからじゃないかな。

あれじゃあ、女の子は近づきたくないと思う。

意外にも当時はモテキじゃなかった(笑)。

 男三人で何を話していたかというと、こういう女の子が好きだとか、こんなタレントが好きだとか、○○食べておいしかったとか他愛のない話。

普通の青年と変わらないと思いますよ。

仕事の愚痴もしょっちゅう。
0018Track No.774垢版2018/08/10(金) 17:04:25.05
みんないろいろと悩みがあったと思うんだけど、相談するという感じではなかったですね。

何しろ、三人とも泥酔しているので(笑)。

でも三人で飲んで騒いでストレスを解消して、明日の仕事を頑張るという感じでしたね。

 当時はテレビが主役の時代で「スター=テレビに出ること」だった。

今と違って歌番組も多かったし、特に吉川は忙しかったと思います。

それでも、三人で集まって夜明けまで、飲んだり、踊ったり、歌ったりして、帰りはそれぞれタクシーで帰って・・・・・・。

楽しかったですね。

 夜遊びばかりでなく、健康的に昼間三人でスポーツクラブに通ったこともあります。

青山にある高級スポーツクラブでしたね。

当時はゴルフ会員権のようにスポーツクラブの会員になるのにも何百万必要で、普通なら利用できないんですが、尾崎の知人がスポーツクラブの会員で僕らはゲストという扱いで利用できたんです。

セレブな雰囲気のスポーツクラブで、一九歳の僕はどぎまぎしながらジムマシンを動かしていたな。

 そんなふうに昼も夜も一緒にいることが多かったんですが、あまりケンカはしませんでした。

抗論くらいはあったけど、殴り合いとか激しいケンカはなかった。

三人とも個性が強いにもかかわらず、なぜあんなに仲が良かったんだと今になって思う。

やっぱり同じ年だったから虚勢をはる必要もなくて、自然体でいられたというのが大きいのかな。

それにそれぞれがまったく違った音楽性、人間性だった故に、興味をもったり惹かれあったりする部分があったからだと思うんです。

当時の僕の目には、尾崎と吉川はキラキラと華があって、本当に輝いて見えた。

今の僕がタイムマシーンにのって当時の彼らをみたら、「まだまだ子どもだな」と思うかもしれないけど(笑)。
0019Track No.774垢版2018/08/10(金) 17:04:56.29
三人で過ごした最後の夜




 尾崎は間近で見るとびっくりするくらいきれいな目をしているんです。

彼のスタイルはシャツにやぶれたジーンズというイメージなんだけど、いつだったか、真っ白の上下のスーツに真っ赤な花束を持っていたことがあって。

こんな嗜好性もあるんだと驚いたことがあります。

暴れ馬で飲んでいても飲んでいなくても手綱がきかない奴だったけど、本当に魅力的でしたね。

 吉川は顔や身のこなしとかの見た目だけでなく、内面もすごくかっこいい人でした。

一度、僕がよいつぶれてしまって、彼の家に泊まったことがあったんです。

広めのワンルームで、独り暮らしだから当然ベッドはひとつしかない。

そうしたら、僕をベッドに寝かせてくれて、彼は床で寝たんです。

そのとき、やさしいというか彼は紳士だなあと思いましたね。

 でも、歳を重ねるうちにだんだんと三人で集まって遊ぶことが少なくなってきました。

一九歳という未熟な時期から三人ともそれぞれ自分の道を歩み始めた。

尾崎は家庭を持って子供も生まれたし、吉川は事務所が変わったり、僕も自分の音楽活動以外に他のアーティストのプロデュース活動が忙しくなっていましたから。

 僕の記憶が正しいかどうかわからないんですが、三人で最後に会ったのは二五歳くらいのとき、場所は芝浦のクラブ「GOLD」(1995年閉店)だったんじゃないかな。
0020Track No.774垢版2018/08/10(金) 17:05:20.55
ちょうどマドンナが「GOLD」に遊びに来ていた日で、VIPルームで三人で飲んでいたら、マドンナが突然現れて吉川が呼ばれたんですよ。

なんだろうって騒然としていたら、数分後、吉川が戻ってきて「便所はどこかって聞かれた」と(笑)。

なんかどうでもいいようなエピソードなんだけど、今となっては貴重な思い出です。

それからしばらくして、尾崎が亡くなって、もう三人で遊ぶことはできなくなってしまいましたから。

尾崎が亡くなったあとは、どんちゃん騒ぎをすることはなくなりましたね。

吉川と二人で遊んだり旅行にも行ったこともありましたが、ケンカになることもあって。

今考えると、三人というのが絶妙なバランスだったんだろうな。

尾崎豊の死によって、時代が終わったというか、何かが終わったのだと思います。

 じつは僕、他の同じ年のアーティストとは、あまり交流がないんです。

デビューした青年期に、周りに尾崎、吉川の他に同じ年の子があまりいなかったからかもしれません。

高校を出るか出ないかのうちに若くしてデビューするロックアーティストはそういなかったですから。

僕たち三人には十代から大人の世界、社会に飛び込んだという共通の何かがあったような気がします。

いい意味では勢いがあったし、悪い意味ではとんちんかんでしたね。

一般常識が欠如しているというか。

この間も、領収書をきれいに畳んでいないと事務所の人に怒られました(笑)。

 特殊な環境下での特殊な友情。

そんな気がします。

いい時代、ステキな時代でした。

その頃よりも今の僕はお酒が強くなったけど、わくわくしながら夜出かけて行ったり、誰かと夜通し語り明かすことはもうなくなりました。

一九歳のあの頃、彼らというステキな同級生二人に出会えて、僕はラッキーでした。
0021Track No.774垢版2018/08/30(木) 23:51:21.51
マザー関係者は葬儀に行かないどころか香典すら上げなかったんだな
尾崎はマザーのスタッフに飯を食わせる為に一生懸命頑張ってたのに・・・
マザーのスタッフは逆に尾崎を騙し薬漬けにして搾取して食い物にするとか
こんな酷い話はないよ!こんな事が日本の音楽業界で起こるとは・・・
海外のアーティストでもこんな酷い話は聞いた事がないよ!ヤクザだよ!
0022Track No.774垢版2018/10/13(土) 16:48:20.00
見城徹「尾崎豊は麻薬によってコントロールされていた」
http://www.gentosha.jp/articles/-/1609?page=3

彼にとって気が休まる日がないのは、あまりにも音楽業界の汚い渦に巻き込まれ
過ぎたからなんだよね。彼は金のなる木だった。同年輩のマネージャーの空田満が
尾崎豊に薬を与え薬漬けにしてコントロールしていた。ステージに立たせるために
覚醒剤を与えたり嘘をついたりいろんな策を労して、レコード会社を移籍させたり
するわけですよ。約束が守られなかったりするうちに、彼は常に事務所は自分を
搾取すると思い始めた。事務所が俺を騙すという疑心暗鬼の孤独な状態に
あったんですよ。すべてはアメリカに行ってから狂い始めている。金銭的な
トラブルが原因で人を疑い始め ますます薬にのめり込む、そんな毎日だったと思う。

NYに留学させたのは全てソニーから事務所のレコード会社M&Cに移籍させる為だった。
親元から離しNYで逃げれない様に軟禁状態にし同年輩のマネージャーの空田満が
覚醒剤を持って近づいて尾崎豊に覚醒剤を与える。事務所社長Fがその弱みを握って
毎日、尾崎豊のマンションに押し掛けて「俺の言う事を聞かないと覚醒剤をやってる事を
バラすぞ!俺のレコード会社に移籍しろ!」と脅迫し追い詰めコントロールする。
事務所のレコード会社に移籍して日本に帰国したら事務所スタッフやレコード会社M&Cの
スタッフも掌を返し周りのスタッフは尾崎豊のレコーディングにまったく協力せず
レコーディングスタジオは悪意に満ちていた。更に事務所社長Fは移籍金を数億円払うと
約束しときながら尾崎豊に移籍金を1円も払わず まったく約束を守らない。

NYからの帰国後も空田満が尾崎豊に薬を与えてコントロールしてツアーをやらせていた。
ライブ中に袖に引っ込んだ尾崎豊を無理やり引き摺ってステージに上げていたのも
空田満だった。事務所ぐるみで自分は騙されたと気づき人間不信になってどんどん薬に
のめり込んでいきツアー中に倒れて覚醒剤で逮捕される。逮捕後 尾崎豊が「事務所を辞める」と
言ったら事務所社長Fが「ツアーキャンセル料 数億円払え!」と脅し両者間で裁判が起こる。
0023Track No.774垢版2018/10/23(火) 09:08:18.64
これがマザーの悪行な(笑) 知ってる人は知ってるんだよね

https://www.freeml.com/bl/8650856/189152/

金が欲しいのか!この言葉は、尾崎の属していた世界を象徴している。
尾崎はデビュー当時から、金や欲に目の眩んだハイエナのような奴らに
騙され、翻弄され続けていた。20歳の時、尾崎は突然、音楽活動を休止し、
ニューヨークへ旅立つ。僕は今後の活動のために、充電期間をもうけたのだと
思っていたが、実は全然違った。尾崎という商品は金になると思った所属事務所が、
売上を独占するために、CDの販売等を他社に委託せずに、自分達で
新しいレコード会社を作ろうとしたのだ。その準備期間と、他社が尾崎と
単独で交渉したりしないようにするため、尾崎をアメリカに送ったのだ。
音楽活動を休止させて。 尾崎は音楽留学とか言われてたらしい。
月々のアメリカでの生活費は、月々156万ほど送られていたそうだ。
だが、結局はその金も所属事務所は尾崎の印税から差し引いていた。
尾崎はデビューしてから、9年間もの間、実際活動していた期間は、
たったの4年である。業界内で尾崎の取り合いや、その中で対立が
生まれていた期間や、尾崎がそういったことにあきあきして、独立して
自分自身で事務所を設立するまでの期間など、活動できないでいた。
つまり、さっぱり仕事がない。仕事の予定がまったく入らないという期間が、
長かったのだ。

7 自分:名前さえ名乗れない[sage] 投稿日:2018/10/18(木) 03:31:55
http://suntetusakudou.seesaa.net/article/235716420.html

さらにはアルバム『誕生』の作詞・作曲印税が自分に支払われていないという事態が
発覚。なんとアルバム『誕生』のすべての楽曲が日本音楽著作権協会に
届けられていなかったのだ。届出をするのは尾崎が契約していたCBSソニーの
仕事であり、尾崎に代わってCBSソニーから受ける著作権使用料を管理するのが
所属事務所の『ROAD&SKY』の仕事である。尾崎はソニーになぜ自分の楽曲が
日本音楽著作権協会届けられていないのか直接説明を求めたが明確な回答を
得ることができなかった。届けられていない楽曲には当然、作詞・作曲印税は生じない。
アルバム『誕生』の販売とバース・ツアーで歌ったことで生じているはずの使用料、
その他、ラジオなどのメディアでの使用料のすべてが無になってしまったのだ。
尾崎に支払われるべき金はいったいどこへ消えたのか。誰かが偽の口座に移し
変えたとでもいうのか。尾崎が自分で調べるまで1年以上、この事実に誰も
気がつかなかったというのはあまりに人をバカにした話だ。これじゃ、犯人が誰で
あるにしろ尾崎は楽曲を届け出なかったCBSソニーと直接の支払いをする『ROAD&SKY』の
両者にハメられたと言っても過言ではないだろう。 だが尾崎はCBSソニーと『ROAD&SKY』を
契約不履行で訴えていない。法律に詳しい兄のアドバイスがあったのか、
業界からの圧力なのか知る由もないが、尾崎は訴えない代わりに、
ソニーとの契約をやめて個人で日本音楽著作権協会と直接契約することにした。
この事件が尾崎の人間不信を一層加速させたのは間違いない。
尾崎はCBSソニーに関係した人間との仲を断ち切っている。
0024Track No.774垢版2019/01/26(土) 09:15:20.36
尾崎豊と本田美奈子は朝霞で育ちました。

尾崎豊の「坂の下に見えた街に」は、
朝霞市溝沼にある神明坂のことです。
この坂を下って真っ直ぐ進んだところに実家があり小学5年生から高校生まで住んでいました。

この坂の上には本田美奈子のご実家があり、近くの焼肉屋「グリルミートたかさご」の裏手には本田美奈子さんの自動販売機があります。

二人は2歳しか年齢が違わず、歌に対して命がけになった元となった学生時代の朝霞を歩いてみたいですな。
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