馬鹿丸だしと野村沙知代の学歴詐称に見るルサンチマンの本質
東京都知事選に出馬した際に、コロンビア大学卒業、通訳として活躍などと学歴と経歴を詐称したサッチーこと野村沙知代。
実際は荒川区立第二瑞光国民学校(戦時中の小学校)卒業が最終学歴なのだが。
また本人は戦後の混乱期、進駐していた米兵を相手にするパンパン(私娼)をしており、その際の必要で英語の会話力をつけたとされている。

かたや64歳にもなってなお、俺様は大学院卒業のエリートと嘯く駒澤大卒業の馬鹿丸だし。
とりわけ、六大学各校に対する底無しの学歴コンプレックスの反動で病的な中傷を行ってきたことは周知の通りです。
もっとも駒澤風情の身でありながら、自らの学力不足に加えて努力を怠った末の受験失敗である事実を直視せず、卒業後も定職に就かないまま今日に至っている。
受験や就職に限らず、人は失敗や挫折を教訓として後世の碑にしなければならないもの。
ところがとこりがひねくれ者の本性がそれを拒み、あろうことに六大学を逆恨みするという愚挙に至っている。
さらに現実の浮かない人生を嘆きつつも、ネット掲示板という仮想世界に身を投じることでそのルサンチマンを払拭しようと躍起。
このような幼児性行の代表例として次のようなものがある。
任侠映画や勧善懲悪の時代劇、野球やサッカーなどのスポーツを通じて人は自らの人生を置換し増幅する。
あたかもその成果や栄光を体験したかのような錯覚に自ら埋没してしまうことで現実を否定する。
実際には現実は変わることもなく、妄想は妄想でしかないことを多くの人は知っています。
だから成功者を本心から称えることができるのです。
そうして仮想空間に取り憑かれて自己という主体を喪失することなく日々全うに努力を重ねるのです。
一方でそのことを無視し、成功者を妬みつつもちゃっかりその成果を横取りしたり学歴や経歴を詐称する輩は必ずいるのです。
つまり怠惰で不誠実な態度が招いた一連の不遇で劣等感をいだきつつ、その裏返しの自己顕示欲が一人歩きしている代表が馬鹿丸だしであり野村沙知代というこになる。
悲しいことに、余りにも自分の知性とかけ離れたステータスを選んでしまったことで却ってお里が知れることになってしまったのは皮肉だろう。