アブル円
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殺人の多くは虚構の自分や環境を壊して
強いリアリティを求めようとした結果なのである
虚構はそう簡単に壊れない 先進国ではどこでもリスカのブームがあったそうである
リスカというのは脱虚構の典型行為
自殺は一概にそうとはいえない 保守論客の西部邁が今年の1月に自殺したな
幇助で二人逮捕されているがこの人の場合は「潔い自殺」といえるはず
悲観性が感じられない 今の社会システム下だと新しいリアリティを獲得するにも
虚構を演じ続けなければならない 虚構の積み重ねによって出来たシステムは簡単に壊れない バーチャルリアリティの構想は60年代や70年代からあったらしいが
その実験段階ともいえるようなゲームが今頃になって流行っている 80年代の石油ショック以降日本は消費化、情報化社会を選んだからな 資本システム(収奪)の限界にぶち当たると虚構を高度化して
リアリティを求める人間の欲望との調整をしなければならない サブプライム以降の調整が上手くいって今は好景気だが
これは長く続くのかな
上手くいっているのは単に成長を先送りしてシステムを高度化しただけだが 虚構の度合いを高めるとそれだけリアリティを回復したいと願う人も増える オタクは欲望に素直だからアニメの表現ってどんどん高度化したよな
2011年頃からついていけなくなった 盲愛→自己疎外→偏愛の抽象化という一連の定番プロセスを繰り返すからな
どんどん変な方に高度化していく 「オタクは犯罪者予備軍」というのもリアリティに飢えた可哀相な人の意見である オタクもアンチオタクも今やネタ臭がきつすぎて受け付けないがな
俺も既にネタになりつつある リアリティを求めるには強い執念がいる
今の俺には執念がない
強迫観念と無気力を繰り返しているだけだし 物語にリアリティを求めていたころもあったが
今はその気力もない
映画やドラマなどはただの再現に過ぎないな、と思う
再現や編集するのに心血を注ぐ人の情念がリアルなのであって
そこにリアリティを感じ取っているに過ぎない
要素要素を見るとただの再現なのだ 虚無感や強迫観念とお付き合いするだけで手一杯だな
リアルな人間の情念というのは邪魔に感じる ドストエフスキーを何度読もうとしても途中で手が止まる
ブログかどこかで「ドストエフスキーを読めないのは
怠け者で成長願望の低い人間だからだ」みたいなことを主張している人がいた
確かにその通りだな 人間関係に不器用で、それであるがゆえに成長願望が高く
努力家の人には良い小説だろうなと思う
俺はそもそも大雑把、無気力の性格だからこんなもん読むに値しない 本なんか読みたくねーが昔買った本を掘り出してきて読み返すか
このままボケて終わるのも癪だ シン・ゴジラの感想で「虚構と現実は逆転する」みたいな論を見かけたが
これってオタクなりのリアリティの話だろうなと思う 虚構が終わった戦場だとか、虚構と現実の逆転だとか
そのような戯言には惑わされるな
虚構は積み重ねられ続けるぞ 筒井康隆の『虚人たち』っていう小説は今でも古臭さを感じない リアルタイムで主人公が自覚的に虚構を演じ続ける小説 電脳空間の中にリアリティを求める行為を昔は空虚に思っていたが
最近印象が違う 西部が自殺したのは病院で死ぬことを避けたかったからだろうな
しかも病苦ではない 奥さんが亡くなるまでずっと看病し続けて、言論人としても言いたいこと全部言って
特に生きる動機が無かったのかもしれん 報道されていないだけで有名人たくさん亡くなってるな 人間に興味のない人が増えているからな
リアリティの回復にバーチャル入っていくのが当たり前か 言論にも意味がなくなってきているし、一般理論学ぶなら今かな 俺にはあまり自分の意思が無いから日本がアメリカについていくなら俺もついていく 安倍もただの調整役にされているだけだし、権力批判も意味がなくなった TWICEの画像見ていたがすごいシュールさがある
これが大人気とは 韓国の方が日本よりもダイレクトにアメリカからの影響受けているのかもな
なにかシュールさがすごい
ただの日本のパクリではない シュールなものを見ると脳みそが軽く混乱していい刺激になる
ベタなものはすぐ飽きる たまにシュールで悪趣味でハイセンスで新しいものを見なければな 韓国は映画のレベル高いよね
と言ってもここ10年観てないけど
一時期ハマって韓国映画ばかり観てた
つーか今は疲れるから映像モノは何も観たくないな >>51
あまり韓国モノは知らないけど
古臭さと新しさの取り入れ方がダイナミックでシュールという印象がある
たぶん文化の取り入れ方に日本と違いがあるからかな
向こうは島国じゃないし 韓国のドラマは母親に勧められて一度だけ見たことあるな
内容覚えてないがスパイものだったかな 日本は他国文化も身内で回しながら細かい部分までアレンジ加えるからな ダイナミックな表現にはそれなりにリアリティを感じる 宮崎駿アニメからもよくリアリティを感じ取っていた
でも宮崎アニメはよく見ると描写が恐ろしく不自然なのだ
単にあれは宮崎駿の経験をダイナミックに再現していたからだな 日本の歴史とかいうが近代国家として見ればつい最近できたばかりの
浅い国なのだ
単純に島国としてみると2〜3万年の伝統持っているが
習慣から来る信仰の多重性も獲得している
それが日本人らしさなんだろうな 人間の歴史は形式を少しずつ変えながら繰り返し再現しているだけなのかもしれん 歴史を空想浪漫に例えると数十億年規模にもなる
考古学は間をとった形になるのか 放射線の手法が編み出されるまでは数千万年単位のこととか調べられんかったんだな ハ,,ハ
('(゚∀゚;∩ うりゃ!
ヽ 〈
ヽヽ_)
バムッ
\从/_
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( ̄ ̄ ̄)/ \
/ ̄ 月 ̄ \/ \
/ ̄ ̄ 火 ̄ ̄ \/ \
/ ̄ ̄ ̄ 水 ̄ ̄ ̄ \/ \
/ ̄ ̄ ̄ ̄ 木 ̄ ̄ ̄ ̄ \/ \
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 金 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \/ \ 反共産は一般理論にはならないからな
パーソンズはNG 自己準拠システムの新機軸を打ち出したのはルーマンだっけ
ルーマンもまだ一般化とはいえない ルーマン以降は構成要素をシステム自体が生み出すということで
オートポイエーシスと親和性が高くなったのか 大体コミュニケーションに比重を置くシステムは一般化できん パースの時点で狂っているのだよな
差異そのものが価値で、無際限の拡張志向 徳田秋声はやはりすごいな
ゾラと読み比べると同じ自然主義とは思えない ゾラは科学的客観を強く意識してそこから出ないがゆえの冷淡さがある
徳田はもうちょっと内観寄り
文章の構成が恐ろしく達者で超越的な何かも感じる 芥川や志賀直哉は主観的過ぎて、このような超越的文章を書けない 日本文学といえば昔は内向きの自然主義があたりまえで
徳田はその頂点といわれた作家 物語の筋書きはかなり陳腐なんだけど表現や構成が常軌を逸している 自然主義はやり方間違えると傍観に気持ち悪い主観が混ざって
グロテスクに陥るんだよな ゾラは居酒屋しか読んでない
他にもシリーズ大量にあるが読む気が起こらない 志賀直哉が一番好きな文学者で新潮のは全部そろえて繰り返し読んだな
もう読まないけど 芥川も好きだがたまにものすごい歪さを感じて嫌になる 特に印象的な作家しか記憶に残っていないな
また青空文庫とか読み漁るか 俺は繰り返しやっても興味なくすとすぐに忘れる
身につかんのだ 習慣的にずっとやっているとリズムみたいなものはなんとなく分かるが アメリカに巻き込まれている感がある
日本は別にアメリカの属国でもないけど ナショナリズムやグローバリズムの意味も知らんまま入ってくるからなやつら 想像力が衰えてきて辛い
そんなときはデカルト先生の本を読む 想像力なくなって思考力も衰えてボケてくるのが不安だ 想像力なくなって思考力も衰えてボケて細胞死んでカビが生えて
朽ち果てて土壌バクテリアに分解されるのが不安だ ??ついに、ついに、排泄者がやって[大便して]しまいました。
??????????“排泄”で稼げてしまうという
??????????糞時代の大便排泄便器を排泄してくれたのです。
??????????■排泄物を徹底的に踏ん張ってひり出す
?????????? 最新排泄物排泄プログラム「糞魂」
?????????? ⇒??http://eternalk.com/ima/oz7ts3
??????????排泄物といえば、あなたです。
??????????私の友人であり、大便仲間でもあるあなたが、
??????????今回初心者排泄物に向けて
??????????とんでも無く臭い大便をひりだしてくれました。
??????????この大便の特徴を一言で言うと、
??????????“一本で便器が詰まる”
??????????なのでもはや常識と言っても良いレベルだと思います。
??
04.08.2018, 21:37, "糞便排泄者ニュース" <cryptocurrency@yomiurinewz.com>: 一度失ってしまったリアリティの回復って難しいんだよ 言葉で伝えるだの競い合えばいいだの、精神世界とまるで無縁のこといってる 精神を高めあう連鎖なんてこの世のどこにも存在しないからな
人間の精神ってそんなに強靭じゃないから 俺も霊性やスピリチュアルによくリアリティを見いだそうとしていた アメリカではかつてニューサイエンス運動というのがおこって
オカルトやスピリチュアルの領域まで科学でカバーしていこうとする人たちが
増えていった
日本のテレビ番組でオカルトと科学がよく対決していたが
これもまたアメリカのニューサイエンスの波を受けてのことだ
オカルト、スピリチュアルも日本ではアメリカに飲み込まれてしまっている 日本の大学機関ではオカルトを科学的に研究なんて大々的にしないが
オカルト、スピリチュアルな世界観を利用して商売している企業ならいくらでもある 日本は多重信仰の世界だから科学を絶対主義化することもないがな
妄信的に科学を愛している人は割といる印象 科学とオカルトの対立軸を持っている時点でアメリカに毒されている 先進諸国で通用するような日本独自の思想ってないのかもな
しかし日本の高度な習慣に興味を持つ外国人が多いこと 高度さというのは多様な文脈が絡み合っているという意味
簡単には把握できないという意味で高度 日本の習慣は大陸のように激しい民族対立をしないまま
長期にわたって維持してきたものだから
不思議に思って当然なのである 仏教が入ってくる前の世界観も日本には生きているからな
社会システムとしてみれば西洋のアレンジだが
中国文化圏時代の規範も普通にあるしアメリカ式の資本交換もしている お手本にするべき絶対的な規範というものは存在しない
だから絶対主義化しやすいような宗教も日本では体制の監視を受ける アメリカに巻き込まれている感は確かにある
俺がオカルト陰謀論っぽい性格なのもそのためか ニューサイエンス、ニューエイジのブームには俺も相当振り回されてきたな
ダイレクトにではないけど より新しくより包括的でダイナミックで美しい世界観に憧れていた
これもアメリカの影響に過ぎないが 要は、自分の抱えている気持ち悪さを<浄化>してしまいたかったということである 俺がいっているのは「日本語の七割はひらがななのだから
日本人はひらがなに支配されている」程度のことだろうな 日本人はアメリカとひらがなの支配に苦しめられている 自我の無限後退を無際限に拡張
世界は無限ではなく無限的な自我が無際限です 一度失ってしまったリアリティの回復って難しいんだよ 自由競争という究極の不自由に巻き込まれた
おかげで禁欲をせねば精神が保てない テレビ捨ててエアコン捨てて食事を摂生して好きなものを遠ざけて
ようやく精神が保てる 以前は酒飲んでイライラを誤魔化していたがこれもやめた
あとは言葉と性欲と思考と文明を捨て去れば精神安定するだろうが
全部捨て去るのは無理だった ドスト読んでいるとストレスが溜まる
セリフが水道の蛇口を全開にしたがごとく勢いよく襲ってくる
ドバァー!っという感じだ ドストは人がよかったらしいが人が良いがゆえの節度の無さに困っていたそうである 節操ないから借金いっぱいして借金返すために小説書いていたんだろ
それでページ数をかせぐために節操のない文章を並べ立てる、と バルザックに似た勢いを感じる
バルザックも借金しまくって借金返すために小説書いていたな 海外文学全般的に性に合わん
カフカもお城のやつで挫折した 飽きて嫌になったものをしつこく繰り返すのも良いかもな 能動的、受動的、積極的、消極的、という見方はあまりしない
人間の生命や概念はそもそも自己展開しながら自分の意思とは無縁に動いている 何某かのプロセスに従わざるをえないという感じだけはある おっさんの書いた本が読めなくなってきた
文法が不自然に見える グロ系の動画は日本語でググっても出てくる数知れてるな
英単語でメモっとくか 某所でグロ動画見たいという人が集まっていたから
検索かけて順次貼っていこう 俺もウクライナ21を最初に見たときは涙目になって怒りをこらえながら見ていたな 犯人のうちの一人は血液恐怖症で殺人に加担していないので
懲役数年とかになっていたな グロもリアリティが強いがずっと見ているとそうでもなくなる
不快なことには変わり無いが 人間の精神は弱いからきついことが続くと神経を鈍くして痛みをごまかそうとする ゲームの広告がゲーム形式になっていて、本編よりもやり込めるとか無いのかな アメリカ型資本主義の終焉、って90年代からずっと言っている人いないか 国家の運営を資本で賄うのが通例になっているのだから
終わるわけないだろう 貨幣自体はもともと生産余剰の蓄蔵手段として考案されたんでしょ 貨幣価値を決めるのは首長的な人間の役割だが
主張が共同体員の富を支えている限りにおいてその価値が共有される 更なる生産手段獲得のために貨幣を使って労働方式が外延化されていく
初期の国家というのはより多くの生産手段を統合することのできる
権力機構としてのものであった アメリカでは差異そのものを価値として見立てる生産方式が流行った
おかげでデザイン競争が日本にも輸入されたな 自動車業界は細かい部分の機能やデザインで今でも競争してるが 物流の恩恵に預かっているから許されているだけで
自動車は公害まきちらす殺人マシーンという印象が俺の中にある おっさんの書いた本が読めなくなってきた
文法が不自然に見える 昔、「社会の歯車」という考え方があったがあれがアメリカ的ってこと 非効率的なことをやっている野心家を丸め込むときに
そうやって歯車のような振る舞いさせて挫折させるのがアメリカシステム 白衣の天使はイギリスの統計学が生み出した勝手な妄想 日本の医学会も野心家だらけで粛清合戦が流行っていたな
手塚治虫がよくネタにしているが 医学部の歴史自体、帝国大学権威からの流れを汲んでいる 明治時代に七つ帝国大学できただろ
それらが日本の帝国主義精神の補佐していたから
最初から野心家が集りやすい状況だった 明治維新の頃には純粋に人助けしたくて情熱燃やしていた医師志望の人が
多かったらしいが
それらを国策として丸め込むのだから問題はたくさん発生してくる 明治政府は既に対欧米を意識して国家資本主義の枠組み作りのために
優れた人材を隷属させる手法を編み出している 欧米に対して権威を示したくて成果至上の研究方針を打ち出している
それで実際に人体実験やらかしたりしているからな 昭和時代の開業医の多くは旧医学部闘争に負けた人間の末裔だったりする , ' ´ ` ` 、
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('A`( ・∀・) 亡霊なんているわけないよ
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と_)_) アメリカシステムに飲み込まれたのは平成になってからかな >>188
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と_)_)
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:、 ` ; なんだか頭が重い
: `' :' 亡霊にとりつかれているのかも…
`: ,、、, ;'
`: `` : 東大医学部とか、権力闘争で磨き上げられてきたエリート中のエリートだからな 俺なんか学歴コンプだから東大理系卒って聞いただけでギョっとなる 偏差値60クラスはあまりすごいと思えない
70超えてからだなすごいなと思うのは 俺は権威に弱く思い切り学歴コンプだからな
アメリカ大統領となんかまともに話せない
英語できんし 権威というよりもオーラに弱い
オーラのある人とは対等だとは思えない 対等ではないのでたとえ間接的であろうと関わり自体を持たない
芸能人もそうだな 対等性を獲得できないと思えば関わり自体をやめればいいんだよな
無理に関わるから無駄な争いが起こる コミュニケーション至上主義は害悪だ
戦争を引き起こす アメリカと日本ってどう考えても対等にはなれない
縁を切らないのはなぜなんだ バブル時代の異常性について考える人あまりいなくなったな 調子に乗りすぎて海外の土地まで手を出して反感買って
ボコボコにされてそのあと20年間不況が続いたという マスコミも長期不況に加担したわけだから責任とって規模縮小していったのか 日本にも道教功利主義の原理で動く人が大勢いるな
道教功利主義に仏教の精神が混ざって動いている感じ
仁義とかじゃなくて単純なプラスマイナス原理 あれをやればプラスになる、あれをやればマイナスになるということが
はっきりしていてプラスを引き寄せるためにマイナス操作しているような人間 そこへさらにアメリカの実用、効用主義が加わって
欲望が積み重なるから精神病んでいくのかなるほどなあ vip祭りのゲームをいろいろ試したがいつも通りだった
脱出のやつがシュールでよかった 私小説でなくても小説には作者の人生観や経験が滲み出るから
普通になるほど難しく感じるのは当然か 日本人のいう普通は高度ということ
暗黙で感じ取らなければならないことが多い 筋道立ててきっちりと説明できないからな普通ってのは 発達障害が最近話題になってるらしいが
「普通」を読みとれないという意味では俺もアスペだな 暗黙を読みとれず言葉通りに解釈したりすぐにフレーム問題引き起こすのがアスペ IQの高い人は割とアスペが多い
IQの高さって論理的再現力の高さだからな
暗黙で解釈できないことを論理によって高速で解釈することを繰り返すからIQが上がる 哲学者のウィトゲンシュタインも論理完璧だがアスペなのだ 植松聖の犯罪を正当化している人ってアメリカに完全にコントロール受けてる 単純にいえばコミュニケーションまともにできないことにイライラしていたんだろあれって 重度の障害者はいても迷惑だから安楽死させるべき → 刺しまくる
完全に狂人の発想 一人ずつ丁寧に安楽死させればまだマシだったかもな
それでも殺人鬼だが 殺人鬼は近代社会の犠牲者としてどこか特区を作って島流しにすればいい 理不尽に対しては無我の境地と慈悲の心で対処しなければ 古い図式
類的共同体の中では「普遍性」のほとんどが理念に即さない非現実であり
空虚に陥りやすいということ
それで疎外が寄り集まり新しい幻想が必要になる 日本では市民社会といわれてもあまりパっとしないな
市の概念も確固としてあるのに 古い習慣と新しい民主国家の狭間で足掻いているだけか 日本では西洋文明なんかそのまんま享受できないんだよな
通用する程度にまでアレンジが加えられて元あった精神など無視される
元々理解の追いつかないシロモノだから リアリティないなこの手の話は
やはりインターネットか すべてが仮想のインターネットになぜリアリティを求めるのか 漢文のほうが論理的だな確かに
日本語はなんかおかしい 日本語の良いところは適当に飛ばせるところ
順序でたらめ、主語なしでもニュアンスが通じたりする
助詞の使い方一つで意味が壊滅的に変わったりするけど やはりひらがな七割も使われているからか
漢文なんて半分パズルだからな
読み順がまず分からない 岩波の論語や孫子、大学・中庸など以前読んでいたが
漢語の順序正しい文法にイライラきてやめてしまった 俺の脳みそはアメリカの支配下にある
漢文なんか退屈で読んでられん そんな感じで何を読んでもすぐに飽きてきて
デカルト先生ェ!ってなるな
パースの思想がやばすぎるからな 内容の無い萌えアニメは大嫌いだが
ゆゆ式はなぜか認めているな
あれってvipの人間に勧められたんだっけ
最初ずっとゴミ扱いしていたが
意図が分かってくると認めざるを得なくなった 勢いだけでは到達しようのない、文脈依存文化の極みを感じる ギャルゲオタに媚び売っただけのアニメもよく見ていたが
後から考えるとゴミだった けもフレは企画自体が熟練していてうまいなと思うだけであんなものはすぐに飽きる 虚淵作品は見ているときはリアリティがあって感動していた
後から考えるとサイコパスくらいしか良いなと思えない 没入しているときは高度に感じても後から思い返すとゴミが多い 感動して泣くようなものは俺は後からゴミ扱いしてしまう
要はセンチメンタルな感情を利用したやつ 自然を見て美しいと感じるのもほぼ作りものの感動だからな
これもゴミとみなす ゆゆ式の良さ
・物語が無い
・シュール、悪趣味
・文脈依存の極み
・暗黙の調和、秩序を軸にしている オタクアニメにはオタクだけではなくて様々な分野の人が間接的に関わるからな
手法としては雑多なMIX文化なのだ スペースダンディは割と楽しんで見ていた
昔ながらのサブカル精神を感じた 感動ってそのときだけのものだから後には残らない
良い思い出としては残るんだろうが後世では曲解して伝えられる 押井守は時代が変わったり文化が変わったりして
曲解されても耐えられるような構造をずっと考えてきた人で
世界観に入り込まないと分かり辛いところが多い 雑多なMIX文化だから極点に達している作品は少ないな
ゆゆ式、幾原アニメ
他浮かばない 宮崎駿が勧めていた海外の芸術アニメもよく見ていたがあまり覚えてない 一番たくさんアニメ見ていたのは2004年頃だろうか
2008年頃までは大量に見ていた
まどマギ終わったあたりから難解さを感じるようになったが
2016年までは普通に毎日見ていたな 一度文脈というかコツを掴むと延々と見続けるからな俺は
強迫観念で動くから単純な興味とは無縁 強迫観念のひどいときはアニメのことをよく考えていた
それでアニメのことを考えているとまた強迫観念が沸いてくる
この循環がずっと続いていた 職人が手間かけて何千枚も描いた絵を数十分で見てゴミ扱いしたりするのだから
すさまじくシュールな娯楽だよアニメは このクソのような生産体制を生み出した手塚もまたアメリカに毒されていた >排外主義(はいがいしゅぎ)とは、
外国人や外国製の商品、思想を排斥すべきだとする思想傾向。
外国嫌い(がいこくぎらい)やゼノフォビア(英: xenophobia)ともいう 最近の俺は英単語を見ただけでイライラする
かなりの排外反応である
ヘイトスピーチとかはしないけど 親米ネトウヨでヘイトスピーチ繰り返している人がよくいるが
あれの思考回路がよくわからない 主義主張無いが無性にイライラするから適当叫んでるだけだろうな アメリカ人厄介なのは侵略の意思がないことだな
気持ち悪いだけで敵視のしようがない アメリカ人とはまともに接したことないがフィクションに出てくるアメリカ人は
軒並み気持ち悪い 一番の気持ち悪さはオープンでフレンドリーなところだな
これが陰湿で排他的な俺にはかなりきつい
オープン、フレンドリー、自己主張を通そうとする
これがまず気持ち悪い 意味不明の戯言を真心こめて押し付けてくるイメージだ 何か従わないといけないような気がしてくる
俺なんか意思が弱いからな 俺は2chで自分のしょーもない愚痴ばかりいってるが
自己主張が無いがゆえのストレスを吐き出しているだけなのだ
自己主張が本当に薄い人間 言葉なんかすぐに無限後退引き起こして自分の意思とは無縁に
強迫的になっていく
だからこそ論理的で整った文章を推奨してくるのか 自己主張薄い、強迫観念強い、陰湿、排他的、投げやり、大雑把、電波
これが俺の性格 俺が権力に弱いのは権力を維持することが大変なことだと分かるからだ
俺が権力持つと、まず気に入らないやつを徹底していじめるからな ファシズム体制をつくって気に入らない人間が調子に乗れないようにする
あとはルール完全遵守
それ以外は自由
ノーゲーム・ノーライフを閉鎖的にしたような感じのルール依存社会
日本のように暗黙をあまり作らない プラスマイナスの操作が上手い人間が調子に乗ると厄介だから
全員事務員に仕立て上げる 死刑は廃止して犯罪者にはゲーム作りに従事してもらう
どのようなクソゲーでもいいからノルマを課す
従わなければ食事を与えない 事務員には犯罪者が作ったゲームを毎日やらせて統計データを取らせる 犯罪者というのは大雑把にみればシステムに対する弱者なのであり
システムに反発する弱者なりの強い自由精神を有しているはずである
つまりシステム依存であるゲーム作りにおいて
自由への意思が端的にあらわれるはずである ゆゆ式のシュールさは背景の周囲がよく光でぼやけて消えているところだな
物語無いから世界観としての外部も必要がない
外部の消失というのは90年代からよくいわれてるが 内か外か具体か抽象か分からないような表現が延々と続く
着地点のないゆるいボケツッコミで三人のキャラが調和を維持し続ける 空気萌えアニメの極点に達したゆゆ式
オタク重要文化財に登録しておこう 19世紀の戦争需要は技術革新に頼らなくても確実な収益を得ることができた
あまった鉄は鉄道に回して新たな商業ネットワーク構築できるし イギリスの産業革命って別に技術革命がおこったわけではない
誰でも扱えるような機械技術を実務家が扱いやすくアレンジして広めただけだ 生産方式が外へ向かってどんどん一般化してゆくのだから
原材料を安く仕入れないと競争には勝てない
それで原材料も種類が多様化してゆくのだがその過程で
新しい知識や技術が要請されるようになる この時代には戦争するほど生産方式が外延に拡大してゆくという
嫌な連鎖が存在しているんだな イギリスは実際、産業革命で植民地増やして蒸気機関や科学技術伸びているが
それもほとんど手工業と農業を効率よく結合するために費やされている 銀行が金融サービスや公益事業に関わるようになったのは産業革命の頃だ
様々な貨幣を大量に扱うようになると資本家も預金の貸し出しを
銀行に任せるようになる
これが近代の貨幣信用制度の基礎としてある インフラファンドというシロモノが東証に上場しているな
これに銀行が融資しているらしいが なんじゃこりゃ
>「インフラファンド」の仕組みをもう少し細かく説明すると、投資法人が
投資口を発行して得た資本金と借入によって「発電施設」を
保有します。そして、その「発電施設」を専門的なノウハウを持って
運営する「オペレーター」に賃貸し、「オペレーター」は売電して
得た収益から賃貸料を投資法人に支払います。
投資法人はその賃貸料を収益とし、経費を差し引いた利益を
投資口の保有者に支払いますが、「J-REIT」と同じく
利益の90%以上を分配すれば法人税が免除されます 円あたりのパネル出力とか書いてあるから、太陽光メインだな
銘柄も少ないし現状は落ち着いた暮らしがしたいシニア層ターゲットだ 景気と関連性の低い日照をターゲットにしてひまな金持ちの気を引こうって作戦
実際、産業を回さなければ電気などソーラーだけで十分だもんな フランク王国
メロヴィング朝 481-751
カロリング朝 751-987
西フランク王国
フランス王国
カペー朝 987-1328
ヴァロワ朝 1328-1498
近世
ヴァロワ=オルレアン朝 1498-1515
ヴァロワ=アングレーム朝 1515-1589
ブルボン朝 1589-1792
近代
フランス革命 1789
立憲王政 1791-1792
第一共和政 1792-1804
・国民公会 1792-1795
・総裁政府 1795-1799
・統領政府 1799-1804
第一帝政 1804-1814
復古王政 1814-1830
七月革命 1830
七月王政 1830-1848
二月革命 1848
第二共和政 1848-1852
第二帝政 1852-1870
第三共和政 1870-1940
パリ・コミューン 1871
現代
フランス国 ・ 自由フランス 1940-1944
共和国臨時政府 1944-1946
第四共和政 1946-1958
第五共和政 1958-現在
(wikipwdia) ナポレオンのすごさは
市民社会の外側に国家権力を具象化したこと 市民社会から発生した疎外精神を自己の内で対立させながら
勢力を増してゆく フランスで産業革命が成就したのはボナパルトの甥の世代だな
ナポレオン時代のフランスはイギリスを嫌って遠ざけている フランス革命で小農民が増えてイギリス遠ざけていたので
工業の発達や貨幣蓄蔵自体は遅れているが
大規模な植民地政策とかやっとらんからな
イギリスとは経路がかなり異質 民主化の流れは英米とフランスとあるが
経路がぜんぜん違う 人間が下らない自由を求める運動はまだしばらく続くんだな
少なくともグローバルと資本主義の流れが終わるまでは無いものねだりが続く
自由は存在しないということが分からないのか 情報化消費化を高度にしなければリアリティを失った人が増え続けるから
仕方ないが ゲームに没頭しすぎて我を忘れて死ぬ、というのはリアリティある話だ 現実の下らない問題に振り回されて精神が引き裂かれるくらいなら
ゲームの中で死にたいというのも人情か
俺はゲームの中で死にたいと思わんけど
病院よりはマシかもしれん 80年代から平等精神が死んで身勝手な自由がはびこりだした、ってか
確かにそうかもな
ただ日本の平等意識は差別願望とセットになっているところがあるから
平等-差別の図式から脱却した人間が増えただけかもな 写実的ヒューマニズムの決定版、ドストエフスキーが中々読めない リゼロは確かに浮いた作風なのに変なリアリティがあった
セーブポイント固定でうまくフラグ立てないといけない恐怖 人情に飢えている人はのんのんびより
秩序、安定に飢えている人はゆゆ式 ゆゆ式は神視点
輪の中に入ろうとも思わせない
内外も意識させない
具象要素としてキャラクターに一応の信条がある 主体がいて主体が欲望しながら外界に向かうが
壁にぶちあたり葛藤を繰り返す、という形式のリアリズムは
こういった日常系アニメでは通用しない オタクは文脈依存を繰り返すことで主体を巧妙に二重化して
かきけすテクニックを身につけた
欲望に素直だからできる技 俺はオタク的欲望もう衰えてきてアニメ見ても大した感想が沸いてこない ヘーゲルがナポレオンの行軍を見て何を考えていたのか、ということを
よく想像している
精神現象学を書いているとき、ちょうどフランスが動乱の時代真っ最中だからな フランスは特殊で、主権、主体の在り処を巡って闘争が繰り返されている
弱い民衆を暴君から守ろうってのとは訳が違う 小説家のスタンダールってナポレオン帝政のころに官僚のいい身分になってるな
この人も権力に振り回されやすい性質か ナポレオン失脚で財務監査の仕事やめてフリージャーナリストになり
そこから小説家へ ナポレオンってすげえ複雑な対立構図の操作をやってのけているが
俺の頭ではさっぱりわからねえ 戦略ゲームの大会があれば楽々優勝できるくらいのテクニックだな RTAで数十個のユニットを難なく同時に動かすゲーマーいるが
ああいうイメージ 見れば見るほど日本の流行って大陸の動向をそのまんま受けてるな
鎖国をやめた島国の逃れられない宿命か ビートルズが流行った頃はまだ良識のある大人が多かったのだな
そもそもロックは不良音楽そのものだからな
80年代にロックが一気に商業主義の波に乗ってしまった マドンナやマイケルジャクソンがMTVで人気博す頃には
良識ある大人の時代が終わっている
日本では良識って土地神話とセットになっているのかもしれん
バブル崩壊で土地神話も終了 今ではロックなんて大衆音楽のありふれたカテゴライズに収まっているが
冷静に聴くとやっぱり不良音楽なんだな
心拍数よりも速い不自然なビートが多いし
ロック、ファック、ドラッグは反良識 俺なんか強迫観念が強いから自分の心拍数よりも速い音楽を聴くと
どんどん欲求が加速していってBPM300超えのデスメタルをよこせ!とか
叫びはじめるからな おっさん世代はウッドストックの時代に郷愁もっているみたいだが
その頃にはもう良識崩壊するのが目に見えていたのだろうね 俺のように主体性のない人間は欲求がすぐに加速していく
ロックやヘビメタも最初から聴かなければよかったのかもしれん プログレを聴くとより高度で難解で奥深いものを欲するようになる yesのリレイヤーとかものすごい高度な演奏やってるのだが
だんだんと単調に聴こえるようになってくる 日本のメタラーとか上辺だけ悪識気取っている人が多い印象
基本的に良識は誰でも持ってるが 昔ながらの良識に従って生きるならば今の文明社会って
耐え難い苦痛の連続なんだろう
アメリカに負けたからしゃーないが 俺って自己主張が強い性格だったら身が持たんからな
気にいらんやつ殺しまくるだろうから 俺は物心つく前からアニメを毎日見ていた
オタクアニメに興味持つのに大して時間がかからなかった
オタクは主体を二重化してかき消せるからな
主体性をかき消したい人はオタクやるのもいいかもな
俺はオタクという人種自体が嫌いだったが自分がオタクアニメ見ていたから
表立っては攻撃せんかった 嫌いというよりもオタクというカテゴリーに満足する意味が理解できんかった
オタクのコミュニティはいつ見ても閉鎖的で胡散臭い 俺は排他的な性格だが閉鎖的なコミュニティには耐えられん
閉鎖的、開放的という枠組み自体が気に食わんかった 日本人って基本的に暗い
皆孤独をもてあましながら人と関わるときには無理して
明るく振舞っている印象がある
アメリカ人は根っからフレンドリーで気持ち悪い人間が多い印象 陰キャ、陽キャというカテゴライズしてへらへら笑ってるのは基本的に
暗い人間だからな
暗い人間の発想は大体似たところがある
プラスマイナスの功利主義から来てるのかもしれんが 人間の精神って元々分裂しとるから
状況によって分裂が顕在化したり隠れたりする
大体は二重化、三重化させてごまかしてるけど
でないと今の社会ではまともな人格など保てない 神視点を想定したアニメを見ていると感想も曖昧で茫洋としたものになる
感想を書くときには自分のスタンスを明確にしておかなければ
ブレブレの変なものになる
オタクにはこれが非常に多い
俺もブレブレになるが 一度失ってしまったリアリティの回復って難しいんだよ 日本人は<アメリカ>と<ひらがな>の支配に苦しめられている
<デカルト劇場>が<自我の無限後退>を生み出したァ
<自我の無限後退を無際限に拡張 >
世界は<無限>ではなく<無限的な自我が無際限>です
浄化ァ!浄化ァ!ひらがなァ!ヨモギィ!おえええ ブレブレの感想をまとめるために退屈な本を読むか
本もまた精神の二重化を生み出す厄介な媒体だが 落ち着いて自分と向き合うには文字を読んで
鏡に向かって「お前は誰だ」と言い続けるのが良い
頭おかしくなるが いくら排他的になっても自分だけはなぜか出ていかない 主体をなくすと自分以外が他なのかどうかもわからん
というよりそもそも自分の意味がわからんので神を求めてしまう
そこでデカルト先生を読むのである
デカルト先生は排他の天才だからな
精神から自分の知覚やイメージまでも追い出すことに成功した デカルト先生について考えていると排他的の意味もわからなくなるが 自他の区別がよくわからんから区別をつけたいだけかもな 大体、何かに意識を集中しているとそれ以外のことは排除されているな 人間の集中力って長時間持続しないんだが
原因がよくわからない
「他のことを排除している」ことに対する負荷がかかるからでは? 自分が集中できない原因を探るために、排除の方を意識すればいいのでは?
と思ったのだがこれも集中力が続かない 寝ているときも意識があったり、起きているのに寝ている感覚があったり
いろいろおかしい 記憶力と集中力がずっと永続すれば人間って考える必要が無くなるな 良識ある人はインターネットやらないしロックも聴かないな 「良識ある人」というのもただの想像の産物で
実際は良識というのは誰にでもある リアリティとはリアルのことではなくごく単純にいえば「本当らしい」という意味である
「それっぽい」というのもリアリティの一種なんだろう ボケが進行してきたな
集中力が落ちて思考ができない 文字を読んでいると文字に思考力を完全にもっていかれる できるだけ硬質で一文の長い文章を読むか
散文小説はとにかく気が散る 昔のロキノン系のイメージは、いわゆる「真面目系クズ」が聴くロック
ロキノン系って今や懐かしい響きだな ラウド系、素朴なギターロック、ポストロック(エレクトロニカ)は割と好きで聴いていた 音楽にも最近リアリティを感じない
時代性に隣接したものが作れないからな ビートルズとかレッドツェッペリンとかまともに聴こえるがな 時代の進歩に対して弱気な人の感性に強く訴えるために
ビートを強化していったんだろロックって
ブルースとかの時代は別に進歩とか意識しなくて良かったのかもな https://www.youtube.com/watch?v=JJnbZ49rOBQ
この曲ええな
ハードロックなイントロにわかり易いメロディ、ツインギターのハモり
懐かしい感じがある これの作曲者はおそらくトニーマカパイン好きだろうな
イングヴェイっぽさはあまり無い フランスの作家で一番よく読んだのはアラゴンか
この人は鉄板だな パリの農夫、デカメロン、モリエール、ボードレール、マルロー
サンテグジュペリ、サルトル、モンテーニュ・・
ほか思い出せん フランスの鉄板はデカルト先生とアラゴン
あとは忘れた アラゴンもパリの農夫を書いたあとコミュニストになったなあ パリの農夫は論理的に読み進めようとしても無駄だからな
割とでたらめに思ったこと乱雑に書きなぐっている ベンヤミンのパサージュ論に興味持っていた頃があって
あれに興味を持つとパリの農夫には必然的にぶち当たる 探偵小説→ベンヤミン→アラゴン→バタイユ→社会システム論
みたいな 宮台の師匠が書いた社会学の本をよく読んでいた
70年代の本だったかタイトル忘れたが 90年代にはオタクに媚びを売る言論人がたくさん出てきて
そのあたりで終わった感がある
俺も適当に現代アート、オタク文化、現代思想を一まとまりにして見ていた 区別を特につけていなかった
角川メディアミックス商戦のせいなんだろうけど 無駄な調整を繰り返さなければ産業って回らないらしいな 官僚の談合って、昔は怨念を浄化するための会議みたいなものだと思っていた 国会議事堂の下に陰陽師の末裔みたいなのがいて
日本に結界を張り怨霊の被害を最小限に食い止めるイメージ
これってCLAMPの影響だろうな多分 オカルト、スピリチュアルまで経済の流れに乗せてしまったからな
これで怨念が浄化できなくなった オウム真理教に集ってきたのはシステム弱者ばかり
学歴エリートでも関係ない
化学兵器作ったのはまずかった アニメ、サイコパスに出てくる社会システムは非常にリアリティがある システムとしてあれを超えるリアリティはまだアニメで見たことがない システムに安住している市民は殺人に対して
強い恐怖に基くリアリティを持っているのだが
当のシステムを構成している犯罪者の脳みそ
(並列タスク化してあり自由に配置換え可能)にはそれが無い
ただ頭の良いサイコパスなので再現能力と計算能力が高いのだろう 攻殻に出てくる義体のレベルには達していないのだが
局長クラスになれば脳みそのシステムから離脱した人格を有することができる
という感じか 並列につながれているときは分業脳みそで
離れると人格がゴーストのように戻ってくるのかもしれん
そう考えるとオカルトだな 脳みそは控え目にいってもグロテスクだが
脳みそについてグロテスクという判断を下しているのも脳みそだからな システムにとって脆弱性となる特殊犯罪者の脳みそを取り出して
綺麗に繋げたシステムだからな
パンピーの計算能力で破壊できるわけがない
特殊犯罪者というよりも「例外」だったかも
プログラマーが不安になるやつ
だったら不安要素を集めてより強固なシステム作ればええやん
そしてできたのがシビュラである 現実味というよりも時代に見合ったブラックユーモアさ加減がある 人間味、現実味=リアリティ、という時代ではないのだな 現実味を英訳するとリアリティなのだけど
「それっぽさ」という意味でいえば理念からかけ離れた
虚構の積み重ねの中にも断片として生み出せるからな
断片化されたリアリティはインターネットに転がっている 断片データを圧縮してひとまとまりに制御するのが普通の世界だから
リアリティあるだろ ワンパンマンの二期来年に放送するらしいな
もう飽きたし見なくていいかもな
見ようと思っていたが さらざんまいだけチェックしておくか
あとのアニメは知らん
アニメ業界随一の良識人かつ頭脳派でもある高畑監督も
最近亡くなってしまったからな 俺はピーターラビットの方が好きだけどな
動きには目を見張るものがある >>442の作品、後半の近代化したシーンに入ってから
若干のいやらしさを感じる
ダンスシーンもわざわざ影をつけて不安を煽るようにダイナミックに動かすし
子供に見せるには良いアニメなんだろうけどな
高畑は最初から児童福祉精神あったから分からんでもないが
高畑監督はスタジオジブリの発案者でもある 俺はとんでもなく下劣で下らないオタクアニメから海外の芸術アニメまで
適当になんでも見ていたな
おかげでアニメ脳になってしまった 押井守に仕組まれたようなものだな俺の趣向
小学生のころに80年代のOVAをたくさん見ているうちにオタク感性が定着してしまった
押井には宮崎駿以上に愛憎感覚がある
天使のたまごとかは後追いだけども 押井守、一般的には攻殻とかのイメージなんだろうけど
OVAの発案者でもあるからな
論理的な野心家である 押井守はありきたりな萌え嫌っているけど
OVAにはその手の感性を誘発させるようなものがたくさんあった
エロを効果的に入れられると終わりなのだ 性欲をもてあましていると嫌でもエロ表現が頭に入り込んでくる
それで何度も繰り返してみてオナニーしているうちに印象に焼きついてしまう
それでもっと良い印象は無いかと思って別のエロを探すんだよ ヒュームの印象論に忠実な道筋辿ってるな俺の脳みそは
デカルト先生に戻るか 経験論に従うと俺の脳みそはもうオワコンだからな
それは困るぅぅぅうぅう 山尾悠子の文章を定期的に読みたくなる
硬質で明晰でドライな筆致 詩情の漂う少女趣味な世界なのに表現の仕方が明晰でドライ
印象の輪郭がくっきりした文章を書く
しかし全体通すと幾何学的で複雑
抽象絵画のイメージから組み立てているらしいからそうなるのか 崩壊のイメージを美しく描き出すための苦心の結晶なのかもしれん
この独特のドライさは 星新一も詩情を交えて崩壊をさらっと書くけど
皮肉が入っていてなんかあっさりしすぎている 山尾悠子の文章はドライだがあっさりしているわけではなく
特有の執拗さがある 有意義なことなど調和以外には無いな
あとはどこに調和を求めているのかの違い リアリティ回復するのに暴力衝動や殺戮衝動沸くことがあるが
それもすべて調和への目的があるものとして見たほうがよい 自分の衝動を制御できないうちはどうしようもないからな人間って コーヒーは苦味で舌が軽くしびれるくらいがちょうどいいな http://pubspace-x.net/pubspace/archives/4847
わかり易い例えだな
ヘーゲルは有限の運動の中に無限を置く
カントのいう自律って西洋人にしか適用できない気がしてならない 西洋人の理屈は俺には突飛過ぎてリアリティないんだがな
デカルト先生くらいかリアリティあるのは 神への信仰から人間が脱することができるのか
これができたときに人間に確固たる自我は存在できるのか 日本人だって一神教ではないにせよ多重の信仰の上に習慣が成立している
神性を感じ取ることがある 先祖が代々守ってきた土地に神様が宿っているという信仰を
今時守り通している人などは少ないのだろうけど感性の中にはまだ生きている デカルト先生のいうような神の存在は俺も否定できない
いるとしか思えなくなる デカルトの根幹はロジックではなく霊感だからな
半ロジカル半オカルトだから問題提起としては最強なのである 中途半端なロジックも中途半端なオカルトもすべて疑い
遠ざけ続けた結果に得た結論がそれであるから最強なのである 自我の根幹にまつわるオカルティックな問題をデカルトは投げかけた ヒュームのいう自我は体験に基く印象や観念から生まれたもので
超越的なところに自我など存在しないとしてデカルトの説を遠ざけた イギリスでは伝統として閉鎖的な神権政治があったからな
超越性に頼ることの恐ろしさを知っているのかもしれんが 神権政治は意味合いが違ったかもしれん
王様に神に近い権力を見るという イギリスは元々ケルトの部族が寄り集まっただけの島国だが
ローマ帝国が入ってきて統一し、そのあとアングロサクソンが乱入してくる 数百年間ずっと分裂状態だったのが
15世紀の宗教改革の時代になってからイギリス色が生まれる 100年でモノを動かしすぎて、精神がモノに引っ張られたままの人が多いな 擬人化ってモノを人に置き換えているように思えるが
少し違う イギリスは経験主義の実務家が多いんだな
それで産業革命が成功した 欧州の技術革新は産業革命の副産物だからな
それまでに知識の集積はあったが
羅針盤や火薬は実際、中国の発明なんだろうと思う イギリスのロックって独特の重層的な空気感あるからな
少し湿り気があって重たいというか
ドライではない フェンダーもギブソンもアメリカだったっけ
エレキギターというとイギリスのイメージあるがあれは
ビートルズの影響なのかも ビートルズって初期からアメリカ製のギター使っていたよな エレキギターの仕組みって簡素で
鉄の弦の下にコイルを巻いた磁石棒の装置が横たわっているだけである
コイルから発生する電流の波に弦の振動の波を同調させて
信号をアンプで増幅しているだけのしろもの アネクドテン好きだったな
アネクドテンとキング・クリムゾンを聴き比べてボーっと毎日妄想しとったな
スウェーデン産で暗いことは暗いけどあまりジメジメした印象がなかった
https://www.youtube.com/watch?v=EMgUicXgFGA ロックを聴いても気持ちが乗らない、体が乗らない
単純に歳のせいか
がっかりだよ
デスメタルとかは平気で聴けるけど
デスメタはロックではない Toolの新譜にちょっと期待しているくらいでPOP調のロックが受け付けなくなっている 最近ドリームシアターとショップ99のテーマソングとデスメタルばっか聴いてる
関ジャニを聴くのをやめた いっぱい聴いても区別付かなくなるからな
ドリームシアターはリズム複雑だが音の入り方が正確で気持ちが安定する
ショップ99は執拗に自分の名前連呼して楽しい
デスメタは人間悟性の単純な衝動が見えて楽しい 皆川博子の短編を読んだ
70歳過ぎてからの作品なのに文章が若々しい 中井英夫をルーツに持っていると書いてあるが
確かにそんな印象だ
山尾悠子とは異質の硬さがある 90歳超えてから小説家を始める人もいるくらいだからおかしくねえけど 俺は嫌韓でも嫌米でもないけど
影響受けすぎて自分を見失うのが嫌だなと思っているだけ 過去の記憶に頼るのは無駄だと悟って未来の調和という考え方を
もってきただけ カントのオートノミーを実践しようと思ったこともあるが無駄だった
日本人にはそんなもの無い おいしいものを食べると脳みそが「次もまた食べたいなあ」って思うから
だめなんだよ 三田誠広の微妙にいやらしい文章を読んで脳みそをいじめるか わかったぞ
集中できない人は気が散ることに集中できているんだ オウム真理教がサリンを作ったのはアメリカを敵視していたからなんだが
操作を撹乱するために日本国内にまきやがった
頭がおかしい 警察が坂本弁護士事件の初動捜査でミスしていなければ
サリンは撒かれなかったという説もあったな
どちらにせよ化学兵器を作った時点でアメリカと大差ないわけだが オウムもまたアメリカが生み出したようなものか
なんでもアメリカ陰謀論がはかどるな サリン製造に携わった理系エリートもアメリカ方式の消費社会に
激しい虚無を感じて宗教に入ったわけだろ アメリカについて考えていると強迫観念がどんどん加速していくな
やめておくか なぜ微塵も興味のない哲学や歴史の文章を読んでいるのか理解できん 人間個人の性格がどうこうってのは気になるがリアリティが無い 気に食わんやつは気に食わんだけで、それについて批判することに意味を感じない 気持ちの悪い人間なんて俺を含めてそこらじゅうにゴロゴロしとるからな 文明依存気持ち悪い
インターネット気持ち悪い
自然も人工も気持ち悪い 最近ゲーム攻略しとらんから気が散ってまたイライラし始めている 卓球のサークルに入っている頃の俺はめちゃくちゃいい人だったな
誰に対しても真摯で優しくて ぶっちゃけその頃は卓球が出来れば何でもよかったからな
卓球のためだけにいい人をやっていたのだった
何も考えていなかった 好きなことに没頭しているといい人演じるのも苦ではなくなるが
飽きればそれまでだな スポーツマンって爽やかで優しいイメージ持ってる人多いだろうが
スポーツやっている限りにおいてしか良いイメージ保てない人間もたぶんいる
だから俺はスポーツ嫌いになった
健全なイメージを創るのにスポーツ利用している人間が多いということ これもまたアメリカに操られている感じがある
スポーツから離れなければならない ナショナリズムには必ずセンチメンタリズムが乗っかるからな
浮いて行き場の無くなった情動が乗りやすい
過度になると純化願望が加速して排外主義なんてすぐ湧き出す 成長願望を満たそうにもスポーツは大分技術的洗練が高まっているから
パフォーマンス必要なんだよな
そんな世界にリアリティなど感じない 気が散ってイライラしてきた
本読んでもだめだな
ゲームもやる気失せているし ワルワーラさん!きみは善をもって善にむくい・・・zzzzzzzz 濁流のような勢いで読む気が失せるしょーもない台詞が飛び交う
それが延々と続く
ドストはやばい 蠍座がヤケ起こすと勢い的にこんな感じだよなしかし
身に覚えがある
俺も蠍座だし 実際ドストはキチガイみたいな状況でキチガイじみた情念で小説書いている
一度政府転覆の嫌疑かけられて死刑宣告受けてるんだよな 当時のロシアでは皇帝へのテロリズム思想が流行っていて
ドストがたまたま見せしめに利用されただけという説もあるが ドストの父親は飲んだくれの捻くれた貴族で
農民に殺されているな
妹も強盗に殺されている ドスト当人も人がいいだけで自己管理できない人間だったらしいし
すぐに癲癇起こす持病もっているし
半ヤケになって小説を書きまくるしかなかったのだろうな
俺の頭ではついていけないわけだ 安部公房も嵌ったがすぐに飽きてしまったな
うーん・・ 『壁』が怖くて読めなくなった時期がある
真面目に考えるほど恐ろしい話だからな
『砂の女』もたまに吐き気を催していた
『箱男』は共感できないし難解
安部公房の話は基本的に薄気味悪い感覚を想起させるのばかり
感情移入していると自分の根拠がなくなっていく 読むときの気分によってかなりグロテスクに感じたりする 目立ちたいだけのやつ、寂しいだけのやつは他人と関わらないほうがいい 目立ちたければパフォーマンスや容姿を磨いて
寂しければ思いやりを持つ努力をする
そうでなければいじめの対象になる
ともかく他人と関わるにも恐ろしいほどの努力が必要なのだ 不満を抱えたまま他人と関わるフリを続けるのが日本では普通のことだから
そうなる 友達ほしいっていうだけなら自分と相性のいい人探せばいいだけだがな
関係性の中で自分をアピールする場合は上記のようなことが必要になる 寂しいやつは思いやりを持つ努力を
ネトウヨは寂しがりやの癖に思いやりがなくおまけに主張もないのに目立ちたがる 自分がアピールしたいことに見合った自分でいれば問題ないってこと 関係性にコントロールかけることが生甲斐みたいな頭のいい人間が増えたからな
頭いいだけで人格破綻しとるが 自分を制御できないのだからどうしようもないな人間は いじめるやつが悪いとかいじめられるやつが悪いとか
そういう問題提起の仕方も鬱陶しい
勝手に発生するのだから良い悪いの問題ではない 余計なことやるやつが悪い、ってんなら自分も余計な主張をしなければいいのだ 今やほとんどのことが余計なことに感じる
いじめやるやつもいじめ受けるやつも余計なことしているからそうなる
別に今更悪いとは思わんが 余計な人間関係など無くしていけばいいだけだ
余計なゴミを増やすからいじめや虐待が後を絶たない 近代日本って友愛、自由の精神をフランスから学んだのかもな
これがまず間違っていた ラスコーリニコフはナポレオン思想という位置づけなのか いじめを題材にした漫画は一定需要あるけど絵を見ただけで大抵薄気味悪くなる 蕁麻疹のかゆみというのは外的要因に関わらず自分で引き起こしていることが多い 身体機能の多くは自分の意思と無縁に活動しているからな
能動的に動かせる部位って割と限定されている 能動的だと錯覚しているだけで、これも実はそうではないのかもしれん 実は能動的に動かしているのではなく本来無軌道に動くものを
制御しているのかもしれん
そう考えると不気味だ 日本の設計図作るのは各省庁でそのトップ官僚は調整やっている 90年代に官僚批判流行ったな
歪んだエリート主義だのアマクダリだの 80年代初期に社会主義勢力が衰えて新自由主義が登場してくる
この気風に日本人も乗っかったわけだ 戦後は政治的混乱から自由になりたいと願う人が増えていたらしいが
あまり知らん
自由主義の思想的信条は権力闘争からの自由だろうから
経済面では別物だけども 祝福されないことは西洋では自由とは呼ばないらしいな
ということは日本の自由恋愛スタイルも失敗か 規範は中国文化圏時代のスタイルを踏襲
近代社会システムと自由の精神は欧米から学んだ
多重信仰に基いた習慣があり一神教や絶対主義は受け入れない
ナショナリズムは浮いた感情が噴出した一過性のアレルギーみたいなもの 心理学者のユングが、自己投影は異化作用だ、みたいなことをいっていたが
そもそも人間の悟性が自己をモノとしてみる癖があるからな
自己疎外が人間の癖だとすると擬人化も人間の癖みたいなものか 対象について知ろうとしたとき対象の外的形質を自分の愛着ある存在に
置き換えてみたりする
形式と内容の一致を常に人は念頭に置いている
「形式だけで中身がない」という場合も例外ではない
人間にとって「形式だけのもの」は存在しない 形式を意識すれば内容を求め、内容を意識すれば形式を抽出しようとする
暗黙でやっていることの多くは意識していないのだから形式ではない 問題は自己意識は自己の意識内容を意識できるのかについてである
疑い続ければ無限後退を引き起こす
デカルトはこれ以上疑いようのない自己を発見しその上に神に相当する存在を意識したという 俺は西洋思想がさっぱり理解できんのでかなり形式的に見ている
日本語に訳された文章を適当に読んで、さらにそれを自分の形式で解釈し
自分で意識した形式の内容についてだけを見ている
だから実際の思想とは大きくかけ離れているはずである 日本国内でも二次元キャラと挙式をあげる人が出てきたな
ここまで来るとアッパレだ 周りからかなり白い目で見られてきたのだろうから開き直ったか 中世のカトリック教会では聖書と無関係の説法をする神父が多かったらしいな 中世のカトリック教会では聖書と無関係の説法をする神父が多かったらしいな 聖書を繰り返し読んでいたころがあったが理由を忘れた
今読むと退屈すぎる 西洋思想は意味不明すぎる
なぜ日本はこんなもの受け入れるのだろう 西洋思想は意味不明すぎる
なぜ日本はこんなもの受け入れるのだろう 清貧論争の時代を題材にした映画あったな
薔薇の名前だっけ 清貧論争、普遍論争活発だったころはまだ
法の精神なんか根付いていない 薔薇の名前って原作エーコだったな
原作知らないが映画では師匠がアリストテレス信者だという設定だった トマス理論では原罪のあるなしに関わらず共通善が必要であるとした
これがアリストテレスからの大きな影響 配慮、責任、平和の三つの観点からトマスは私的所有を実定法として認めた 自然法の時代では単純に神の法に従って財産や土地を
共有することが妥当であるとしていた ステレオタイプなイメージに割と支配されやすいな俺は エーコはフーコーの振り子を読んでウゲエってなった
情報量多すぎて脳みそがついていかん
記号論の学者で少し衒学趣味があるからか セフィロトの木から100以上の節に分かれるという奇怪な構成 セフィロト出てくるだけで警戒するからな俺は
なんせ解釈がたくさんある
セフィロトの木自体は被造物を神性が顕現したものであると見立てたただの図式だが 日本でも律令制と近代法の断絶をどうやって埋めればいいのか
すごい苦心しているが 民法なんか紀元前から普通にあるからな
古代ギリシアや古代エジプトへ何度も回帰せねばならん 法って時代状況に則したようにコロコロ変えるわけにはいかない 近代法に変わったときみんなどうやって対応したんやろ 形而上学四巻の二章を読んでるが見れば見るほどヘーゲル思想の元型だな 実体研究のやり方についてだが、すべての反対物、欠如概念について
「一と多」に還元可能であるとしている
ヘーゲル知覚論の基礎にも一と多の自己展開運動がある 医学って高度になるほど「健康」の意味が分からなくなる 自分が常に健康であるかどうかを綿密に推理しながら生きている人なんて
滅多にいないだろうし 病気になる可能性をすべて排除した状態を健康と呼ぶ時代がくるのか? 先進的って調和への近道だと思っていたがまったく違った ラテン語に翻訳される前の聖書に思いいれがある信者にしてみれば
ローマ法と聖書の教えって結び付けてはならんものなんだろう ローマ法学と教会法はルネサンス時代に自然法から脱して同時発展してゆく
ここに都市法や封建制なども絡んでいく ここでいうルネサンスは西ヨーロッパの12世紀ルネサンスのこと
人間中心主義がまだ発達していない頃 この頃はまだ「すべてのことを共通善に結び付けましょう」みたいな
素朴な理念を持った学者が多かったのだな ローマ教皇って大変だろうな
ローマにはローマの理念が、教会には教会の理念がある
なぜ合体させたんだ〜 教会に聖なるものが実在していなければ社会における宗教的権威を失う トマス理論では人が権利を持つことで共通善に参入させている
人が権利を持つと何が発生するか 権利を持っただけで義務や責任が発生するというのは思いあがりである 法と宗教が複雑に入り組んだ覇権争いがあって
覇権争いにおける支配権を教皇に集中させていくプロセスがある
これが主権国家の基本モデルになってゆく 魔女狩りが大袈裟になっていったのは12世紀辺りからだが
これは宗教が悪いというよりもただの権力による残忍な弾圧である それまでのキリスト教を信じていた人にとってトマス理論と組み合わさり
国家権力に結びついてゆくキリスト教の教えは傲慢に他ならないのだから
怒りが噴出していく
それを異端視して弾圧し、どんどん虐殺して財産を強制没収していったのである 異端審問や拷問、虐殺用のマニュアルまで作られている 資金集めのために兵の野心を煽って適当ないちゃもんつけて
虐殺に励んでいたんだな
殺すほど給料が増えるのだからな
ここではもう宗教の教えなどまともに機能していない そのうちキリスト教の異端とか関係なく適当に選ばれた人間が殺されていくようになるが 静かに暮らしているだけの人が頭ファビヨったやつに
「何か怪しいことしている」と通報されただけで拷問虐殺だからな
頭おかしすぎる 魔女狩りの時代にはありとあらゆる苦痛を与える方法が編み出されている
じわじわと体を押しつぶしたり手足をゆっくり切断したり
生きたまま目玉くりぬいて熱い水銀を流し込むとかいう虐殺法もあったな 神の愛の元には何やっても最後には救われるのだから
人間のもつ残虐性のあらゆるものが滲み出る 聖人の理性も吹き飛ばすほど狂った歴史の上に近代国家群や法の精神が成り立っている 十字軍の遠征も本来の聖地奪還の目的から外れて悲惨な虐殺を生み出している 原罪の文化だからな
教会から表立って免罪をうけるというだけで全力出す騎士とかたくさんいた 内部分裂おこしたら権力層が統一するために下っ端にやる気出させる
やる気だけじゃどうにもならんが進まねばならんので虐殺が起こる
戦費が減れば適当にいちゃもんつけて侵略行為を繰り返す 封建から絶対王政への移行期間に凄まじい数の人間が虐殺されているな アメリカは西洋の宗教・民族闘争から浮いてしまった人間が興した国だから
宗教からも本当は自由になりたいんだよね 魔女狩りは権力による一方的弾圧という側面もあるが
基本的に様々な社会不安を抱えていた時代だから民衆も刺激に飢えていた
ってのがある
処刑も一種の娯楽だったのだろうな 体制による死刑やってるのは先進諸国では日本だけだったか
日本って犯罪者を憎む人が多いからな 共通善がまかり通るのは道徳の範囲だけじゃないのかな
アリストテレスの時代って小さな都市国家が乱立していただけなのだから
道徳から離れた大掛かりな法も必要とされとらんからな 西洋の歴史はいろいろ狂っていて俺の頭ではリアリティを感じ取れない 退屈で貧しいだけなら社会不安って起きないからな
我慢すればいいだけなのだし 最初から存在しない自由を求めて動乱が連続し精神浮ついた人間が増える
着地点が見えなくなり結果社会不安がおこる
落ち着ける場所がなくなるということ 壮大な死の歴史に乗っかっているだけの人間に自由などあるのか キリスト教が残忍なわけではない
解釈と用法を間違うと残忍さに繋がるだけである ジョージア大学の遺伝学者が
「人間の祖先は豚とチンパンジーが交雑したものである」という
仮説を打ち立てていたな
どことなく説得力がある 遺伝的な祖先なんて興味ないがな
遺伝因子にずっと連続性があるという説も少し怪しい ゲームやめてからまた変な強迫観念が湧き出しているな プラトン以前
>最初期の自然法論に数え入れられるのは、
古代ギリシャの宇宙論である。例えば、
ヘラクレイトスの宇宙論によれば、人間は、天体が
宇宙の法則によって運動しているように、宇宙の法則に従って
生きるべきである。
このような考え方の下では、物理的な法則と倫理的な法則とが、
同一の概念に属している。
「天体がある法則に従って運動している」という事実と、
「人間はある法則に従って生きるべきだ」という規範との区別には、
何ら注意が払われていない (wiki) あの人に誕生日プレゼント送ってみた
やり直したいとかじゃなくてお祝い
こういうのは雰囲気もんだからね
受け取ってくれるといいけど 一と多の弁証法ではなく有限多とその先の無限という理屈でイデアを説明するプラトン 人智を超えた変態思想だな
アリストテレスもプラトン先生には苦しめられただろうな イデアは感覚で捉えることが無いため論理的ではないが
思想は生きつづけている 「個物とはイデアの不完全な分有である(キリッ)」
分かるかんなもん 純粋数学の概念もプラトンが発明者だったわけではなく
世界の各所から学んできた内容を高度に抽象化しただけのものである
アリストテレスはプラトンが創った学校の生徒だった プラトンがよくお手本にしていたピタゴラスもインドやエジプトから学んでいるからな 普遍的で美しく正しい生き方は無いものか、という哲学的思索が
道徳の内で始まったのがソクラテスの時代
ピタゴラスとソクラテスの時代を経てプラトンという変態思想が登場してくるわけである 古代ギリシア哲学に一種の美しさを感じるのはそういった理由からである
抽象的美の観点を道徳に取り入れていこうとしていたのだからな
実際のギリシアは戦争が頻繁にあったし奴隷制度もまかりとおっていた
暇人の浮ついた知識人や幸福に憧れるばか者が哲学やっていたのである プラトン思想は変態過ぎて頭に入ってこない
上級者向けだな また形而上学を読むか
アリストテレスが鉄板だからな 西洋で一番多く読まれた本が聖書ってのは分かるが
二番目が数学の原論なんだよな
この時点でビビる 多くの人が絶対的な愛による救済と普遍的な美に憧れていたのか
人間の精神弱すぎだな 張本の試合動画見ていた
技術の洗練度が高すぎる
どうなっているんだ チキータも最小限のフォームでコース狙って打ってる
水谷よりも無駄のない動きだ 前陣のカウンターは手首よりも前腕を駆使したクレアンガのようなスタイル
しかも本家よりも安定してる https://www.youtube.com/watch?v=rMcJ9In-13U
クレアンガは威力すごいが少し大振りでミスが目立つ
連続で入ったときの爽快感がすごいが ボールいじめの異名を持つクレアンガのスマッシュ
すばらしいデスネ 電波な若者増えてるがたぶん俺よりマシではないだろうか でも破壊や虐殺って悲惨だから嫌なんだな
当たり前だけど クソゲーのやりすぎで現実がデータの羅列ように見える
リアリティがないのだ 量子テレポートで人間をあっちの世界に送れないだろうか 無重力の映像を見ていると人間って重力がないとだめなんだなあと感じるが
それもまた思い込みかもしれん 金儲けのことばかり考えているとキリスト教に呪われる メディチ家もけっこう呪われていたな
栄光の歴史ばかり取り沙汰されているが へえ
キリスト教の共有財産制度って新約成立前からあったんだな 旧訳も何度か読んだがな
ロゴス主義の元ネタの一つとして キリストを知る人が集まって生活しているうちに
共同体みたいなものが生まれてそこで共有財産になっていったそうだが
どうもこの時点では自然法という印象がない 聖書に反する悪徳を繰り返しているわけだから
資本主義世界って皆呪われているのではないか 鶴の一声っていうけど亀の一声っていわんな
亀も鳴かないかな 神の国に人間を送り込んでイデアの正体を確かめてきてもらおう イデアの正体を確かめてもらってセフィロトを通じて人間の世界に顕現してもらう 聖書の教えを守らないと神の国へは簡単に入れないからな
資本システムに毒されて悪辣な妄想に酔いしれている俺も無理だろうな 壮絶な権力・宗教・民族闘争の末に生まれたシステムを日本は取り入れてしまった 神の国を閉ざされた人類は地上に縛り付けられて
電気の光とネットワークに覆われる
つまり攻殻機動隊のような世界になるのだ オウムの場合はシステム弱者が集まったから
システム強者の集るアメリカを敵に回すことでしか統一できんかった
オウムの教えは脆弱である キリスト教の場合敬虔に従うならば仮に自分達を迫害するものがいたとしても
その者たちを責めてはならず、むしろその者たちのために祈らなければならない
異端狩りのときにこの弱みを突かれて押さえ込まれた人が多かっただろうな 大体、法と権力が結びついた時点で狂っていたわけだが 聖書によると人間って必ず律法をまっとうしなければならんのか
すべての律法をまっとうしたときに神の国は開かれる? まっとうできないときには地獄の門が先に開かれるのかもしれん トマスアクィナス自体、交易が盛んになったイタリア出身だからな
商業を悪徳として却下するわけにもいかなかったのかもしれん
トマス本人は割と誘惑に強く敬虔な人間だったらしいが 自分が所有した分だけ責任を持ち財への配慮を怠らないこと 名前さえ与えられない半奴隷みたいな農民がいた時代だからな
荘園領主の意識を喚起するためにも必要だったのか 日本では墾田永年私財法があったな
自分で開拓した土地に半永久的所有権を与えるみたいなやつ(適当)
所有の意識を煽ってやる気出させる手法 頑張って何かを自分のモノにできるとなれば人間って頑張るが
それって欲望に基くものだから功利主義として定着しやすい
土地なんか開拓しようにも限度があるからな
人間増えすぎた段階でオワコンなのである アメリカではゴールドラッシュのときに欲望煽りすぎて開拓できる場所が消え去った 所有欲の強い人にはそれ相応の責任がつきまとう
だから金欲しい人には金を与えてそれに準じた責任も乗っければ良い 共通善の研究は今でも続いているらしいが
欧米の動向とか分からない
日本では英語論文の形式でしか紹介されないからな
そもそも専門家でないと理解できん オゴポゴォ(鳴き声)オゴポゴォ(鳴き声)
だめだ、西洋は意味不明ダッ
原罪の文化だからな 異端視虐殺財産没収(三連携)
聖人の理性も吹き飛ばすほど狂った歴史の
上にぃぃぃアアアア頭おかしすぎる ッッ
ゲエッ 電子辞書ソフトで聖書を読み返している
普通の本の聖書と小説形式の聖書を持ってるが最近読んでない ともかくトマス以前のキリスト教は滅ぼしてはだめだな カトリックとプロテスタントのことは割とどうでもいい もともとユダヤの分派でキリスト教自体を異端視する人が多かったからな 紀元前70年ローマ軍にエルサレム神殿を破壊されユダヤ教離散
そこからキリスト教も始まるわけだが初期のころから分裂がみられる
つまりユダヤの教えを残していこうとする派閥とイエスの福音はそれを
超えたところにあるとする派閥だ ローマ帝国にとって都合が悪かったのはキリスト教が偶像崇拝を否定したところ
ローマでは皇帝やローマ神の偶像を拝むのが当たり前だからな
それで迫害が始まっていく ローマ帝国は伝統的に多民族多宗教で宗教にたいして割と寛容なのだが
帝国の秩序を脅かすような教えに対しては厳しかったという ユダヤ人は元々砂漠の民だろうな
ヘブライ王国が終わってからも離散の歴史を繰り返している
厳しい環境や民族離散に対して強い教えがどうしても必要だったのだろ
それで神と一対一の契約やロゴス主義が磨かれている 人間悟性が捉える事象の反対側にあるような発想を素でできる リンゴが地面に落ちたのを「リンゴが天から離れた」というような捉え方も素でやる 普通の人が一ひねりして考えるようなことを素で同時に捉えるから
頭よく見えるんだな アメリカのプロテスタント数少しずつ減ってきてるらしい
カトリックはローマ正教会派で単純にいえば権力集中タイプだろ 世俗で自由に動き回りたい人はプロテスタントによくなるイメージ
どちらにせよ間接的に聖書の任務遂行しているんだろうが イスラムとの兼ね合いで一時的にカトリック回帰しただけかもしれん
ISISが登場してから雲行き怪しいからな
どちらにせよキリストとイスラムが世界の最大派閥であることには変わり無い
有の哲学持ってるから現世では強い 日本人には敬虔なイスラムやキリスト教徒はあまりいないが
この二大派閥に振り回される運命背負っているからな アメリカはなんだかんだで心のより所が科学と宗教なのだ
そこから自由になりたがっている人多いが パクリ問題がどうとかいい始めるともうオワコンなのだ アメリカ科学陰謀論だからな俺
オカルトも神も科学に取り込むつもりだアメリカは 俺は無知なので自分の脳裏に形式的に浮かんだイメージに従ったものしか
内容として取り入れない
だから陰謀論の枠組みを出ることもない 思考というのは決して自分の思考内容から外に出ないからな
それ自体で閉じた宇宙と化す運命にある
グノーシスのような状態 アリストテレスの形而上学ではこのグノーシス(認識作用)そのものに
知恵の光を当てるための基礎付けが行われている
これが様々な西洋学問へ応用されて今に到るわけである 実際に学が高度化していったのはトマス理論が組み合わさった神学からだがな
同時に知識の囲い込みも教会権力によって行われていくのだが 人間がすべての律法をまっとうしなければならないのだとしたら
これはもう苦難の連続だといわざるをえないだろう
福音となるのは全生命体の苦しみが終わるときだ ドイツ人最高ォォォォ!!!!
ビェエエエエエ!!!!ッッ 手から血がすげえ出てる
血ってこんなに真っ赤だったっけ 怪我したところをかきむしったらカサブタが取れただけだが .:| . :| ☆ ! .l .l .i::l
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. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ hhoguigu,igi,gug;lgog.;lo キリスト教のカルトの側面を見るとたしかにえげつないが
純粋な面を見るとたしかにすばらしいのだ 様々な側面から自己の欲望を映し出すことができるから広まったのだろうな
そういう構造になっている気がする 成立の過程にある民族や共同体の歴史が違いすぎてまず感情移入ができん 絶対に許せないし許すもんですか!
あいつが滅びるのを目の当たりにするのよ
そうじゃないと私は救われない エホバの証人は異端だけどいいたいことは何となく分かる
だがこれもアメリカ宗教だから却下 エホバは天国と地獄も否定しているよな
ユダヤ教の魂復活観に少し近い立場をとっている 三位一体否定だから正教会にとっては異端に他ならない 一世紀の初期キリスト教の中から新しい解釈を抽出した
アメリカの新興宗教だからなエホバは
歴史が非常に浅い 信じられないものが多い→信じられるものがほしい→宗教に入る=愚か 昔によくおばさんが可愛い女の子を連れてエホバの勧誘きとったな イスラムでも支持者が多い
イブラーヒームという名はアブラハムのことだろう リンカーンのファーストネーム、エイブラハムもアブラハムなんだよな 十戒で有名なモーセはアブラハムの大分後に生まれてきた人だな
アブラハムの子孫たちがエジプトで虐げられていたのを引き連れて
脱出した有名な話
旧訳の出エジプト記に書いてあるが 60万人も引き連れて出て行ったらしい
そこからパレスチナへ定住しイスラエル人となる おそらくこの時代にパレスチナ先住民とよく争っているな イスラムではアブラハムは25人いる預言者のうちの一人という位置づけだな
最後の預言者がムハンマド イスラム教ではイエスも預言者の一人に過ぎないからな キリストもイスラムも同じ神様で人類の起源も同じなのに
なぜここまで分派して争うんじゃろ 唯一神といえば俺などはアフラ・マズダーが真っ先に浮かぶが もう夏が終わったようだな
結局暑くなることがなかった 民族分裂や滅亡の危機に瀕したことがないから
こういった宗教の意味やありがたみも分からない
日本人って習慣に従ってりゃいいだけだから 先人や優れた海外の知識をアレンジして取り入れて
習慣の中で回し続けていればいいのだ 愛より慈悲なんだよなあ日本は
慈悲の反対側に無慈悲がある 自由競争を誤って取り入れてしまったからな
これにより二大宗教のパワーバランスに振り回される基盤ができてしまった 911テロのときビビったのは、日本も巻き込まれるなと思ったところ エホバが一番多く勧誘来たのはノストラダムスブームの頃なのかな 自己証明したいだけの人間は哲学向いてないな
議論見ていてなんとなく思った 大人しくアリストテレスの形而上学を読めばいいのに
なんでいきなりカントから入るかなあ 形而上学というのは形のないものについて考えるもので
霊的な存在についてもよく扱う
しかし超越論かといえばそうではない 超越性や神に憧れて失敗した人が
カントのオートノミーに惹かれて哲学やったりしているが
日本人には定言命法に則った超自我なんて存在しない 近代システムを受け入れたことで原罪に近い感覚を持つ人が増えたのは確かだけど
それでもあくまで和風アレンジに過ぎないんだな ヘーゲルはアリストテレスの形而上学を用いてカントを批判的に継承するところから始まる キリスト教批判はあまり意味がない
カルト否定もただの欲望だから 凸凸凸凸凸 ; ;; ;;;;;;;;;;;;._、_((/λ));;;;;;
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 ̄l;;/ ̄ ̄ ̄ ̄ アブラハムってシュメール人なのかな
なんか情報のソースがよくわからん 乱暴にいえばユダヤ教のルーツもバビロニアってことか >>916
意味がわからん
ヘブライ語で説明してくれ 終末系陰謀論者にとってのレジェンドはあくまでもゾロアスターなんだな
ユダヤにもキリスト教にも仏教にも影響与えているし Fateにアンリマユってのが出てきたがあれがゾロアスターの悪神
アーリマンのことだろう 真言の護摩業もゾロアスターの祭儀から来ているといわれている
黙示録の元ネタもゾロアスターだ 真実はどうあれ善悪二元論/終末論の最古を遡るとゾロアスターがレジェンド 90年代の終末論レジェンドはノストラダムス独走だったな フラマズダとプラヴァシ信仰しとけば新しい世界が始まる 隠れて悪巧み→陰謀 表だって善い方へもってゆく→善処 宗教では人の認識に隠れた超越的観念が大きく働いている
超越性の部分をどう解釈するかの問題だな
周囲のこと考えず妄信すればカルトになる 2chも5chもさすがに世界宗教の板は無いようだな
攻撃されるとひとたまりもないだろうし 日本の心療内科は欧米とは発達プロセスが違うらしいが
たぶん内科の方優先か 大分昔に内科に行ったきり医者には一度もお世話になっていない 指骨折しても自分でギプス作って医者には行かない人間だからな俺
酷い虫歯も神経死ぬまで待って自分で抜いたし 小学生のころ複雑骨折したときは無理矢理病院つれていかれたが 医者に行くとなにか自分が実験台にされているような気がしてくる
医者にとっては長い歴史の中の事例の一つに過ぎないわけだからな 近代医療は経験三割、知識と技術の集積七割というイメージ アメリカでは部門に切り分けて科学的管理法に基いた効率化が推し進められた 白内障の手術は得意だが他の外科はさっぱり、という医者が多い
当たり前のようだがこれがけっこう怖い ブラックジャック先生のように外科なら大概こなせる、みたいな医者ってそんなにいないだろうな 分業スタイルが知識と経験のバランス悪くしたのだろうな 旧訳の伝道の書にあったな
知恵が多い者は悩みが多く知識が多い者は憂いが多くなると
憂いも悩みも分業スタイルでリスク分散負担させたのだな 感情労働の側面を軽減させるには分業がいいのだろうけど 医者が病気かどうかを診断するわけだろ
それで医者が専門的に分業してゆけば病気の種類も増えていくだろ それでお薬の種類も細分化してゆくわけである
お薬はほとんど効果の程度が調整されており
すぐに切れるからみんな絶え間なく買うわけです
こうして医療もまた資本システムにのっかっている
つまりアメリカの手先に成り下がるわけです (酷) 陰謀論がひどくなってきた
またグノーシス宇宙に閉じこもるか 愛だの恋だの聞くと頭が痛くなる
そんなもの信じないし信じれない 愛だの恋だのを他人に求めているだけの人は絶対に失敗するからな
得られないまま終わる 最初から持っているものをどう使うのかだけの問題だし
使わない人は別に使う必要もない
そういう社会に生きているということ 無いものねだりして何かを得るにはそれ相応の配慮と責任を伴う
キリスト教がそういう経済社会にしてきたんだろ 人類終わるのが一番いいんだがな
いつかは滅び去るだろうがかなりしぶといからな文明は 暖かい家庭に憧れている人がいるが
あれを維持するには相当な配慮と責任が要る ヘビーメタルはロックの刺激的な部分だけを抽出して大袈裟にアレンジしたキチガイ音楽 ロックやメタル好きの不良中年がよくプログレを経てブリティッシュ・フォークに
行き着く 血まみれのゲロを吐き散らすようなブルータルボイス最高だぜ 何年か前にヘボリスというゲームで遊んでいたのを思い出した
動画で調べてみたら過去に一斉削除されたらしいな
アーケードのクローンに近い出来だったし
改造版が出回っていたからか シュメール文化ってあまり昔のように思えん
たかだか6000年くらい前だろう 人間が死を発見して身内の埋葬を開始したのはおそらく数百万年前だろ 類人猿か何か知らんが300万年くらい前を人類の成立として見た場合の話 中国の初期儒学者は4000年以上前から世界の調和について考えていた 近代文明なんか200年もたってねえ
歴史もクソもないな 我々は先人の膨大な苦労と犠牲の上にのっかっているだけだ 明るい未来って意味不明だな
何百世代先のことまで考えていってるのだろう 閉ざされたグノーシス宇宙に遍く下級天使の霊魂と遊ぶか >>984
/⌒ヽ
⊂⊃ ( ^ω^) ⊂⊃
⊂ \ ( ⊃┳⊃ /⊃
\\ /⌒ヽ//
⊂⊃ (( \( ^ω^) ))
/| ヘ 空も飛べるはず
//( ヽノ \\
⊂/ ノ>ノ \⊃
レレ スイスーイ ⊂⊃
彡 >>988
重力の影響を受ける限り空を飛ぶのは不自由 言語や技術、文化、文明というのは絶滅を防ぐための苦肉の策だったということ
先人が苦労した分だけ我々は利便性を獲得した
しかしそこに自由は無かった
それだけのこと 自然法→人間が自然に対して弱すぎた
実定法→すべての律法をまっとうしなければ神の国開かれない
オワコンwwwwww 悪徳を繰り返す癖が人間に備わっているから律法が必要なだけだが でもゾロアスターの言い伝えのとおり
善神と悪神の対決が終わってから本当の世界が始まるのかもな あとは人間の認識能力を改造するくらいしかやること残ってない このスレッドは1000を超えました。
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