>>619
小林誠氏は思ったのですね、「星巡る方舟」のガトランティスの描き方はよろしくない、と。
そこから匂う、制作者側のエリート主義感、ですね。
ヤマト側とガミラス側というエリート側がいわゆるDQNという底辺層、はっきりと言いましょう、アレは暴走族ですね、エリートがドンキホーテにたむろするヤンキーを叩き潰すというお話です。
ヤマトの沖田艦長もドイツの音楽を艦内に流し悦に浸り、ガミラスはドイツそのものというのはお分かりですね、ヤマトもガミラスも出渕氏が憧れるドイツというキーワードで一体化してる訳ですね。
そこから感じられるのは「選民意識」です、バカな底辺層には伝わらないであろうと見下す中で「俺たちは分かり合える」をやるというエリート同士しか交わし合う事が出来ないよねというエリート意識が非常に鼻についたのです。
もうこの2199シリーズは限界であろう、老人オタクエリートスタッフの姿勢に限界を感じたわけです。
もっと違うガトランティス像を作りあげていかなければならない、と。
小林誠氏がやれる範囲、ビジュアルですが、底なし沼のような「宇宙の恐怖」、得体の知れぬ恐怖を表現しようと思ったのでしょうね。恐怖とは結局は「死」ですね、恐怖の根本には「死」が横たわっていると小林誠氏は思っておりますので、それを表現した、という事であります。
死を恐れる狂王が地獄の入り口の前でもがき苦しみながら宇宙を徘徊しているイメージです。巨大な地獄というおもちゃを手に入れて狂った自分を律してくれる相手を探していたのです。
その律する人間はヤマトの古代進であった。
もし賛同してくれるのならば後継者になってもらいたかった、という話です。
(高次元で古代は一瞬、後継者へと変わろうとしました、それを止めたのが森雪なのですね。そのようなストーリーだと思いますよ。)
それは映画「地獄の黙示録」のカーツ大佐とウィラードの関係と同じでしょうね。
王位の継承のような。
小林誠氏サイドではそのように構想してきたのかもしれません。