もう一度ここでOASISさんによる「フィルマークス」についての言及を噛みしめよう

ただ席に座って映画を観ているだけなのに、まるでその作品の創造主にでもなったみたいに、
そして「何者」かにでもなったように映画通を気取ったりシネフィルぶったりと勘違いしてしまう人達の多い事(もちろんそこには自分も含まれるが)。
上から目線で薄っぺらい言葉を並べ立てながら作品を褒めたり貶したりする事で評論家の仲間入りでも果たしたかのように錯覚したり、
ただ人より多く映画を観ているだけの事をステイタスと思っていたり、映画を他の趣味とは違う特別に高尚なものと思い込んだり。
観た映画の本数を誇らしげにプロフィールに掲げる人、自分がいいねを貰いたいが為に誰彼構わずいいねをばら撒く人、
コメントを貰いたいが為にわざと他ユーザに向けての質問形式にする人、ネットで調べただけの情報をコピペで羅列し知識人ぶる人、
ネットから引っ張ってきたあらすじに一文二文足しただけのものをレビューと言い切る人、
映画の内容とは関係の無いレビューとは名ばかりの自分語りばかりする人、誰も興味の無いようなプライベートな情報をさも皆が待ち望んでいるかのように公開してしまう人。
そしてそれらにすかさず反応し、馴れ合わなければ気が済まないという風にわらわらと集まり出す人達。
拓人と同じ様に、自分が紡いだ言葉に共感してもらいたい、自分が表現した事を認めてもらいたい、
そして自分を尊敬の眼差しで見つめるような観客から惜しみない拍手や賞賛をもらいたいと願ってやまない。
隆良の様に「個人的には〇〇が良かった」と人とは違った個性的で鋭い映画の見方をしていると思っていても、結局それは多くの人達が賞賛している部分であり一般的な見方と変わらなかったりもする。
そんな何が何でも自己アピールしたいという欲求がいいねの数を競い合うなどといった映画レビューサイトとしては可笑しな行為を生み出し、剰え、人気ユーザーとして煽てられ自分は他者とは違う「何者か」なのだと勘違いしてしまう。
いいね、コメントの数に一喜一憂してしまったりする、
そんな行為がやみつきになりある種のドラッグ的な快感が得られてしまう所に、狭き世界で刹那的快楽に溺れるような虚しさを感じる。

「何者」評