音楽にいい悪いはなく、好きか嫌いかしかないという説について。

いい悪いはないというのなら、たとえば「傑作」とか「駄盤」とかいう表現は使えなくなりますよ。
代わりに「大好きな作品」「大嫌いな作品」などと言い換えなければならなくなる。
すごく子供っぽい主観的な言い方と思いませんか。

私に言わせるなら、好きとか嫌いとか言ってるうちは幼稚なのです。
肉は好きだけど魚は嫌い、英語は好きだけど数学は苦手とか、未熟さや怠惰を正当化しているだけ。
「嫌い」というのは「分からない」を感情的に表現したものと思います。

子供の味覚は未発達なので一定方向に偏ってしまう危険性があります。
何かトラウマになるような出来事を体験するかもしれない。
その辺からいわゆる食わず嫌いも生まれるのでしょう。
また子供のうちはどんな科目だって面白さが分からず、ちょっと苦労する時期があるもの。
その分からなさや苦労がイライラにつながり、「数学なんて嫌いだ」となってしまう。
本当はどんな勉強も分かればそれなりに楽しいんですけどね。

音楽も経験が浅く聞き所がつかめないうちは、楽しさが分からず、
「ジャズってなんでああうるさいの」「ヘビメタなんて糞」となったりするわけです。
萩原健太がことあるごとに「ポップスは学習だ」と力説していたのを思い出します。

前にも書きましたが、人間の感性は潜在的には似たようなものと思います。
違いがあるように見えるのは、発達/未発達の差があるからです。
ですからある人が「いい」と感じる音楽であれば、すべての人が同じようにいいと感じる潜在的可能性があります。
あと、私は「悪い」音楽とか、音楽の「善し悪し」という言い方はしません。
>>9でも「いい音楽かどうか」と書いています。
「いい」音楽の対義語としては、「よく分からない」「未熟な」音楽などが妥当と思います。

専門家でなければ技術的・楽理的な判断はできないというようなことも書かれていますが、音楽はトータルで感じるもの。
素人は明確に言語化することはできなくても、経験を積むうちに技術的・楽理的高度さをそれとなく感知するようになるし、
音楽としての楽しさはそれこそ音楽家と同等に感受できるものと思います。
いい音楽はプロでなくても分かるということです。