>>587
ざっくり箇条書き
・Escape〜Frontiersの成功で、一年の大半をレコーディングとツアーに消費する生活に疲れてた
・1984年あたり→母親(母子家庭で絆が深かった)の体調が悪い上に、ソロ活動とバンド活動で揺れている時Journey側から
「ボーカルいないとどうにもなんないから早く決めて」とせっつかれる
・母親が死去して(死ぬ間際に『Journeyに戻るべき』とアドバイス)悲しむ暇もなく「レコーディングあるから早くこい」と呼び出される
・Raised on Radioツアー中マネージメント側に『もう疲れた、辞めたい』と言っても聞き入れてもらえず、ツアー終盤で失踪(一度目の失望)
・以後10年くらい表舞台から消える(1991年に一度だけJourneyとしてステージに立った)
・1994年前後で音楽業界に復帰してソロ2ndを出す
・ソロのツアーをやり始めると、ソニーレコード社長が『Journeyと和解して』と言い出す(このあたりからペリーの体調が悪くなる)
・RoRツアーの件で負い目があったペリーは渋々Journeyと再会→思ったよりわだかまりもなく意気投合
・Journey再結成→1996年/Trial By Fireリリース
・ツアー前に趣味のハイキングをしにハワイへ行く→変形性関節症(退行性骨関節症)を患ってると判明
・ペリーは時間をかけて治す方法を模索するも、Journey側は「ツアーあるから手術でもして早く治して」と急かす
・2年以上回復の兆し無し→もう待てない!とJourney側がペリーを解雇する(二度目の失望)
・ペリー『人生の岐路に立った時、バンドは私の身体や心よりもツアーで入ってくる金を選んだ』
・ペリー再度表舞台から消える(結局手術はした)

これをどう捉えるかは…まあ個人の自由だと思う
けど、音楽業界の体質と個人的な事情でボロボロな人生なんだろうなぁとは思う
何だかんだ言って2000年代に以降も、授賞式とかには出てきてはくれるけど…
カメラのあるところではにこやかに肩組んでるけど、個人的な話は誰ともせずすぐ帰るらしい
ペリーの恨みは相当根深いし、今さら音楽業界に興味もないだろうね