ここでは記録に残らないこと、気が付かれないと思われることを考察、推測します。
性質上、ある程度の主観や思い込みが入ることがあると思いますので、気になる方はここから下は読まないで下さい。

今回のライブツアーで最初に思ったこと、今回はとても声が出ている(高音まで素晴らしく)こんなに出ているのは「奇跡のメロディー」で
蘇州夜曲などを毎日歌っていたころ以来です。良くボイストレーニングをされたのかもしれません。

まず20日の方から、2ndのMCで彼女が言われていたこと。
録音もメモもしていないので、表現の違う所もあるかと思いますが、主旨はあっていると思います。
「こういうことの前は不安で不安で緊張して足が震えることもあります。でも時間が解決してくれる。
どんなに緊張しても不安でも、がむしゃらにやってしまえば、時が過ぎて終わってしまう。そんな気持ちです。」
緊張しいの彼女がなんでこのようなライブや舞台に立てるのか、今まで疑問でしたが、そうかそう思ってがむしゃらにやっているのか。

つぎに21日2nd最後のMC.(この日は冒頭から涙に詰まることがたびたびあった)
「才能にいて考えることがあった。
みっともなくとも、過剰でも、欠落していても恐れない。
欠損があって不格好でも、いきつづければと思う。
やりたいことと向き合って、むごいことがあってもどんなになっても進む。
人生に栄光は求めない(ここは違うかもしれません)
死ぬときに、ああ面白かったと言って死にたい。
子供たちには、自分のお葬式の時はドビッシーの「月の光」をかけてねと言ってある。
かけなかったら化けてでるとも。
今日来られた方々はそれぞれの人生を送って別々生きられていますが
人生の一瞬でもこの会場で、同じ思いを共有していただいたことに感謝します。」
録音やメモをしておらず、かなり言葉は違うかもしれませんが、自分はそういう意味を言われたと記憶しています。
このMCが何を意味するのか。
今回の選曲、どれも片思いや、むくわれない恋の歌を選ばれています。
「土曜日のタマネギ」「中央線」「アクシア」「夜のブランコ」がメインになった意味は。

ここからは自分の勝手な推測ですが
彼女は、あの宗教から離れて、女優の道にひたすら進むことを心に決意してくれたのではないか。
「才能について考えた」彼女は女優・歌手で初めて才能が花開いた。それをとったらぼんやりしたとりえのない主婦になってしまう。
あの宗教はこれからは女優の道の大きな妨げになる。
幸い下のお嬢さんも中学生で、子育ては一段落した、これからは自分の力で生きていける。
そして彼女も、自分の求める道を進んでいく。
(ご主人の話は出てきていませんが、彼があの宗教に固執するなら離れるつもりなのかもしれません。)
勝手な思い込みかもしれませんが、自分にはそう思えます。