矢沢永吉が横浜に住んでいたのは高校を上京しキャロルでデビューする間までの18歳から20代前半です。
広島の高校在学中に日本国籍で免許を取得した者が横浜市の住所で帰化になってるのはおかしい。

これはキャロル時代に親交のあった舘ひろしリーダーのクールスがデビューするにあたりデビュー曲の紫のハイウェイ(舘ひろし作詞、矢沢永吉作曲)
を矢沢永吉が作曲し、この時、名義を
五大洋光とし、この名義の経緯について2004年の地球ライブラリー矢沢永吉の本で
「横浜の洋光台に住んでいたから名付けた」とタネ明かしをしており、
捏造した人間は、洋光台だから磯子区なので「矢沢永吉は横浜生まれ」と勘違いしたと考えられる。

磯子区洋光台までは判ったが、それに続く町名は判らなかったので黒く塗り潰ぶせば敢えて伏せているようにも見せれるので黒く線を引き、本物のように作成したが
1978年には横浜には、とっくに住んでおらず、作成した人間は高校時代に免許を取得した事や1978年当時の居住地を知らなかった為に
「辻褄の合わない官報」になっている事が判ります。

それに加え、作為的に作られた官報は
矢沢永吉の「吉」は下が短い「士」であるにも拘らず下が長い「 」となっており
申請表記の時点で、このような誤字による間違いは有り得ない事です。
これで許可されたのならば
「矢沢ながよし」となってしまい法務大臣から矢沢永吉とは別人の人物と判子を押される。

いずれにしても高校時代からバイクに乗りキャロル時代には大型免許や普通免許も取得しており、この官報は捏造された真っ赤な偽物という事が明白であり、
嘘が独り歩きし事実無根のデマとなってるのが現状です。

矢沢永吉の免許証やパスポート等は
矢沢永吉写真集でも公開してますし、
国際免許もエイキチ ヤザワ フロム・ジャパンと日本国籍であり運営するショップにも昔から展示したりしてます。

矢沢永吉が在日であると言うのは時系列や論理上、成立しません。