一言で言えば「監獄」それが私の幼少期だった。

私の父は城東の貧しい家の出身だった。父親の父親(つまり、「私」の「祖父」にあたる)は板金職人で、雨の日は仕事もせず酒を飲み、
晴れの日は日が沈むのが待ちきれない様に帰宅し、一風呂あびては酒をあびる様に飲む、とても早口で頭に血が上りやすい人だったそうだ。
祖母の苦労も絶えない、日当をそのまま使い込んで深夜上機嫌で帰って来た日からしばらくは、晩御飯はめざしや近所で卵を産まなくなった
にわとりを潰したものばかりだったよと父は笑っていた。

しかし、私は気づいていた。父の目の奥は笑っていない。子供だった私はそのことが無性に怖かった。

その理由を知ったのは、父が荼毘にふされる1日前、10年ぶりの母親からの電話でその訃報を聞いた夜のことだった(つづく))

O蔭戦子「あの日から」2049