明治以降の大きな流れで言うと,日本には汎アジア主義と西欧主義があった。
汎アジア主義はアジアを糾合して西欧に対抗する思想。
西欧主義は脱亜入欧というように西欧に組み入れられようとする思想。
汎アジア主義者は腐敗した清朝の打倒を支援して中華民国と共同で西欧に対抗しようとしたが,
中華民国も結局腐敗した。そこで,朝鮮半島のように満州も支那地域も日本が領導して西欧に対抗しようとなった。
要はアジアに対する失望だ。
西欧主義者ははじめからアジアに失望していたから,植民地主義的に東アジアを支配すればいいと考えていた。
日中戦争の開始時には汎アジア主義者も西欧主義者も日本が東アジアを支配しなくていけないと意見が一致したわけだ。
大正時代以降ではそこに社会主義インターナショナルも入り込んできて,社会主義者はソ連の指導で東アジアを統一をと考え,
とりあえず日本にやらせてあとは日本での革命をし,ソ連に献上と考えていたわけだ。
結局,どの勢力も日本が東アジアを永久にしろ一時的にしろ支配すべしとなり,国民の考えが統一されていたわけだ。